2015.11.30 09:00
クリエイター、研究者、僧侶らで語る「人工知能の現在と未来」。第8回目SENSORS SALON参加者は真鍋大度氏(Rhizomatiks Research)、松尾豊氏(東京大学 特任准教授・GCI寄付講座共同代表)、市原えつこ氏(アーティスト)、松本紹圭氏(光明寺僧侶)、そしてモデレーターに西村真里子(HEART CATCH)。舞台となったのは神谷町 光明寺。エンターテイメントから宗教まで、人工知能が変えようとしている世界の様々な事象を語り尽くした。レポート第2弾で掘り下げたテーマは「人工知能は悟れるのか?」。
人工知能の研究が進めばすすむほど、避けては通れないのが「人間とは何なのか?」という問い。人間らしさを突き詰めた際に、浮かび上がってくるものが「協調」「他者理解」、そして「共感」だと以前のインタビューで松尾豊氏は語った。
多くの仕事が人工知能により代替されるとの予測の中、人間はどのような社会を目指すべきなのだろうか。未来を展望するためには技術一辺倒ではなく、「宗教」についても考える必要があると自身も人工知能学会 倫理委員会 委員長を務める松尾氏が語る。
【左から】モデレーター・西村真里子氏(SENSORS.jp編集長、HEART CATCH)、真鍋大度氏(Rhizomatiks Research)、松本紹圭氏(光明寺僧侶)、松尾豊氏(東京大学 准教授)、市原えつこ氏(アーティスト)
今回の議論の場である神谷町 光明寺を提供してくれた松本紹圭氏は東京大学文学部哲学科卒業後、仏門に入り、2010年にはインドでMBAを取得というユニークな経歴の持ち主だ。僧侶でありながら、インターネット寺院「彼岸寺」を運営したり、超宗派の寺業計画を支援する「未来の住職塾」の塾長も務める。
僧侶 松本氏から研究者 松尾氏に発せられた問いである。
前記事では、人工知能がディープラーニングによりクリエイティビティを獲得し始めていることに触れた。人工知能のスペックが今後も日進月歩で進歩していくことが予想される中で僧侶としての疑問をぶつけたとのことだ。
人間の人生を物語に見立てときに、宗教が果たす役割として松本氏はアメリカの現代思想家ケン・ウィルバーの議論を紹介した。すなわち、宗教には物語を支え、物語を生成する水平的な役割がある。一方で、より深い宗教の役割として垂直的な方向性もあるはずだという議論だ。たしかに人間が人生に物語を見出し、意味を生成しながら、物語を生きるのは動物的な特徴だとしても、やはりそれだけでは限界がある。
2014年に公開された映画『トランセンデンス』ではシンギュラリティを迎えた世界で、亡き科学者の意識がアップロードされた人工知能が人類や世界を混乱に陥れていく様が終末的に描かれている。このように粗製乱造される、人工知能が人類を襲うシナリオを松尾氏は"AIホラー"と呼称し、ディープラーニングがまだまだそこまでの水準に達していないことに注意を喚起する。
「人工知能は心を持つのか?」という議論はかねてより、強いAI/弱いAI論争として知られる問題だ。これは何も人工知能に限った話ではなく、人間においても歴史的に哲学の領野では「人間には自由意志があるのか?」という問題が滔々と議論されてきた。
人工知能のディープラーニングの前提には膨大なデータの存在が必要である。眞鍋氏の脳に電極を埋め込む時代が来ればより人間とは何か?をデータとして知る世界に一歩近づく。同時に人間には歴史というデータも存在する。データそのものの重要性が高まる中にあって、寺は今も昔も人々のデータを管理する場であり続けてきた。松本氏によれば今でも先祖を辿る際に、お寺を訪ねる人が多くいるという。理由はお寺では過去帳と呼ばれる個人の法名、死亡年月日、享年を記す帳簿を管理しているからだ。このビッグデータが重要視される時代にお寺に求められる役割は「供養」ではないか、と松本氏は語る。
スペックという面で人間を超えようとしている人工知能と、人間を超えた仏になる道を目指す仏教は似ている面もあるという松本氏。今後はますます身体性や人間とは何かが切実に問われていくのではないのかと主張した。
これに対し、松尾氏は他の職業、例えば教師や医師も例外ではなく、価値や感情を汲み取りながら職能を向上させていく職業は皆、淘汰の波にさらされていくという見方を示した。モデレーター西村氏が対面で人間の機微や関係性を勘案しながら醸成されていく恋愛に話を展開したとき、人工知能研究の松尾氏も思いもよらぬ展開が...?
12/1 「あなたは人工知能と恋愛できますか?」アーティスト市原えつこが創造する未来の恋愛(明日公開予定)