池内恵(いけうちさとし 東京大学准教授)が、中東情勢とイスラーム教やその思想について日々少しずつ解説します。
「イスラーム国」へのリクルート経路はモスクではなく家族と友人
2015年11月29日 01:26パリの同時テロについて、しばしば「組織性」が論じられる。しかし私はこれには慎重である。
というのは、「イスラーム国」そのものへのリクルートにしても、「イスラーム国」に共鳴しその活動の一部であると主張されるテロを決行する集団へのリクルートにしても、通常の意味での「組織」は依然として見えてこないからである。
組織があるとすれば、それはかなりの部分、家族・親族(従兄弟、そのまた従兄弟といったつながり)の紐帯と重なっているだろう。そのようなネットワークを「組織」と呼ぶのであれば組織と言えるだろうが、組織を成り立たせる前提を、血縁や盟友関係のような紐帯が提供しているため、指揮命令系統や情報伝達が私的な手段によって多くが担われ、よって察知されにくい。見知らぬリクルーターが組織的に勧誘して扇動・教育・訓練に誘い込むのであれば、勧誘を断った者たちから当局に情報提供がなされるだろうが、最初から閉ざされた私的関係の中で勧誘されるのであれば、外部から知り得る機会は限られている。
宗教教義の理念を掲げた過激な思想や行動様式が、モスクを通じてではなく、家族・親族・友人関係を通じて伝播され、動員の主要な経路となっているという組織原理上の特徴は特に重要である。
これについて、オックスフォード大学のテロ・紛争関係の研究センターの研究者の発表が、英国の新聞で興味を持って受け止められ紹介されている。
この研究を紹介する記事によれば、「イスラーム国」に西欧から行った戦闘員のサンプルのうち、モスクを介してリクルートされた者は5%に過ぎず、それに対して、75%は友人、25%は家族を介しているという(数値が100%を超えているのはほぼ全てが友人・家族を通じて勧誘されているものの、5%はモスクでも重なって勧誘されている場合があるのか。研究成果を詳細に見ていないので、ここでは記事の紹介にとどめる)。
また、戦闘員となる者たちが「洗脳されている」「倫理的に欠陥がある」といった通説とは異なり、自分の意思で参加しているという知見も示している。
「モスクで勧誘されたわけではない」ということに驚く趣旨の記事の書き方自体が、欧米でイスラーム教の理念に基づく動員のあり方、その組織を理解しにくいという現実をよく現している。
「イスラーム国」の組織原理が理解されにくい一つの理由として、「イスラーム国」に取り組む欧米の主体が、宗教というものをキリスト教をモデルに考えてしまうからだ(もう一つは、合理主義・個人主義的な人間観を強く持ちすぎているからでもあるのだが、ここではその話は問わない)。
キリスト教がもっぱら「教会」のものであり、教会を通じて広められてきたことからの類推で、イスラーム教に関してもモスク単位での過激化が想定され、過激なモスクの監視と摘発が試みられ、熱心にモスクに通う信者が「怪しい」とされる。しかしイスラーム教(特にスンナ派)ではモスクは出入り自由の祈りの場所に過ぎず、信者を登録・統制する機能が極めて弱い。また祈祷といった儀礼を熱心に行うことが、イスラーム法の政治・軍事面での規範を重視しているかどうかを外から判断する決め手にはならない。
米国あるいは西欧の「科学的」な政治・社会研究では、「熱心な信者」を分析上見分けるために、「日曜に礼拝に行く」ことを代置することが多い。ここからの類推で「モスクに行く」「1日5回の祈祷を行う」をもって「熱心な信者」とし、「熱心な信者が必ずしもジハードに走らない」ことを謎としたり、宗教とテロに関係がないことの証明としたりするのだが、これはイスラーム教を理解しようとするもののキリスト教のバイアスから抜けられずにかえって混乱する、欧米のリベラル派に共通した認識のバグといっていい。日本から中東を見るときは、欧米の思考のバグまで受け入れる必要はない。この研究は欧米の通説のバグを修正しようとする試みではあるだろう。