(阿川)おはようございます。
阿川佐和子です。
今日のゲストはあんまり大きくはないんです。
でも金メダル3連覇達成なさったという偉業を持っていらっしゃいます。
でもなんかあんまり大騒ぎにならないっていうところに私はすごくシンパシーを感じる。
柔道家の野村忠宏さんです。
(拍手)引退おめでとうございます。
ありがとうございます。
と申し上げていいんですか?もうハッピーな引退ですから。
ハッピー…ハッピーな?もうスカ〜っと?そうです。
もうすがすがしくやりきったっていう。
でもやっぱり簡単にはこうなんか抜けないのねしっかり…。
いや結構ねやっぱり2か月3か月体をやっぱ動かす量がすごく減りましたし夜のおつきあいっていうのは一切しなかったんです。
今はどんどん?引退したら来いよ来いよっていう感じでお酒飲む量が増えて…。
なんか自堕落な生活が…。
あははっ!
(ナレーション)今日のゲストは…。
その名が世界に知れ渡ったのは21歳のとき。
(解説)引き手を持って…。
(実況)背負い投げどうだ?一本!初出場のオリンピックで金メダル!アトランタオリンピックで金メダルを獲得。
続くシドニーアテネでも金メダルを獲得し日本人として初めてオリンピック3連覇の偉業を達成しました。
しかしその後の選手生活は怪我の連続。
三度にわたる手術を乗り越えてオリンピックを目指しましたが思いはかないませんでした。
そして最後の金メダルから11年。
(場内歓声)今年8月に40歳で引退を発表。
(場内拍手)今日は野村さんが栄光をつかんでもなお自らと戦い続けた原動力にサワコが迫ります。
柔道始めたのは?3歳からです。
3歳から。
3歳から実家のじいちゃんが作った町道場で柔道を始めて。
完全な柔道一家ですよね。
柔道一家。
野村さんのお父様は…。
天理高校の方の教員になって。
先生になって。
天理っていうのがもう柔道の名門なんですよ。
ふ〜ん。
それでお兄様も柔道をなさってた。
1つ上の兄も柔道をして。
でうちのおやじの弟はミュンヘンオリンピックで金メダル取って。
もう何その家じゅうが柔道着って感じの…。
大変お母さん洗濯だけで。
はい。
ふふふっ。
大変です。
ああ〜そうですか。
ええ〜まず一曲目。
今でも記憶に残っている曲はなんですか?長渕剛さんの「とんぼ」です。
おお〜。
聴いてたのは中学生…中学2年生の頃ですね。
天理中学に進学しまして。
家から最寄り駅まで15分20分…まあ母親が毎朝車で送ってくれてで電車で30分くらいで着いて。
で朝トレーニングして授業を受けて。
で授業終わってから放課後練習ですよね。
その練習のあとに週4回ぐらい塾にいかされてたんですよ。
あっ塾にもいってたんですか?それはやっぱり勉強もちゃんとできなきゃいけないって?母親の方がもうしっかり勉強もしなさいっていうことで。
だから駅まで母親が迎えに来てくれて車の中で弁当を食いながら塾まで行って。
悲しい…。
そうです。
もうだからすごいつらかったんですよ。
もう途中でやっぱ子どもながらに限界が来てなんでこんな毎日を送らなあかんねん!っていうね。
ふふふっ。
そのころにもう自分の世界に入るときに聴いてたのがこの音楽で。
あっ逃避するために?そうです。
イヤホンつけて?音楽の世界に。
はい。
なんかやっぱり長渕さんの強さとかねなんかこう格好よさがその当時感じて。
う〜ん。
ほんと懐かしいですけどやっぱねあの〜そのときはすごく苦しかったしね子ども心に。
逃げようとしたことあるんですか?まあ柔道をやめるつもりはなかったんですよね。
それはつらくなかったですか?あの〜柔道はね小学校中学校高校のときってほとんど勝つことがなかったですけど…。
野村さん?
(野村)中学校に入ったときに身長が140センチの体重が32キロだったんですね。
そりゃあガリガリ君だね。
ちっちゃくてガリガリでした。
うん。
で高校進学するときに天理高校の柔道部に入るかどうかって迷ったんですね。
でうちの兄が天理高校の柔道部に入部するときっていうのは「人の3倍努力する覚悟を持って柔道部に入ってこい」って…。
それお父さんがお兄ちゃんに?言われたらしいんですよね。
ええ。
自分が天理高校に入るときは「もう無理して柔道せんでいいぞ」って。
あははっ。
ってことは俺にはもう全然期待してくれてないんだなっていうふうに思って…。
だからちょっとその心の中でおやじ見とけよ!って。
反骨心というかもっと期待してほしいもっと息子の柔道見てほしいっていう思いの方が強かったです。
でも普通好きではあるけれどもやっぱり芽がないなと思って諦めるとか。
ただ自分は弱いなりにその背負い投げっていう技がすごく好きで。
得意というかそのときは好きだけ…好きな技だったんですよね。
自分よりも実力のある相手であったり自分よりも大きな相手を練習のときにたまにだけどその背負い投げで投げることができたんですよ。
だから今はその…試合には勝てないけども俺はこの背負い投げっていうのをもっともっと一生懸命磨いていったら3年後になるか5年後になるか分かんないけどすごい選手になれるんじゃないかって。
だから今は自分に期待できないけど未来の自分に期待してたんですよ。
(でんきやさん)こんにちは〜。
《オーブンレンジってあっためるだけじゃもったいないんで》ご主人せっかくなんで。
《なので私は食材や調味料を持って行って一緒にお料理を作りながら使い方の説明をしてるんです》
(夫)2のほうね。
はいそうですね。
早いですね覚えるの。
(妻)あっジュージュー鳴ってる。
《電化製品買ってそれでなんか幸せな暮らしができればいいなって。
そういうお手伝いをしたいです》レンジが全部やってくれたんで簡単だったです。
簡単でした?あっよかった〜。
小さな野村選手が花開くのがやっぱり大学?大きく変わったのは大学入ってからですね。
入ってから?大学に細川伸二先生ってあの〜自分の師匠であり恩師なんですけどもロサンゼルスオリンピックの60キロ級軽量級の金メダリストなんですよ。
金メダリストがいらした。
そのときそのおんなじ大学の柔道部の仲間その中で野村さんはどれぐらいの感じだったんですか?ええ〜っとね大学1年生のとき天理大学の柔道部の中で校内予選っていうのがあるんですよ。
はあ〜。
校内予選で勝った選手が関西大会に出場できるんですけど大学1年生のときは関西大会に出場できなかったんですよ。
選ばれなかった。
校内大会で負けてたんですよ。
で大学2年生になって細川先生に「お前そんなんじゃ強くなられへんぞ」って。
「もしお前がほんとにこれから世界で活躍できるような選手になりたいんであればちょっとその練習じゃ無理やぞ」って言われたんですよ。
自分としてはうん…頑張ってるつもりだったんですよ。
けど先生から見たら全然甘かったらしいんですよね。
でまあふだん試合時間は5分なんですよ。
どんなにトレーニングしてどんなに鍛えてても5分間で腕はパンパンになるしもう息は上がって酸欠になるし。
そのくらい5分って言うてもハードなんですよね。
死にそうな体力の使い方なんですね。
で練習時間っていうのはだいたい6分掛ける12本ぐらいするんですよ。
ほう〜。
5分で死にそうなのに。
(野村)はい。
練習では6分の12本なんですよ。
「お前よう考えてみろ。
試合5分であんだけきついのに6分の12本できるか?」って言われたんですよ。
できっこないじゃないですか。
(野村)けどこっちとしては練習だからしなきゃいけないじゃないですか。
はあ〜そうか。
加減してたっていうことなんですか?「お前はよう頑張ってるけど6分の12本こなせる練習しかしてない。
1本目から出しきれ」って。
本番だと思えってことですか?稽古も。
はい。
それで6分の3本やって5本やってもうきついと思ったら休んでいいって言われたんですよ。
何クソっていう気持ちがグッと出てきて何クソの精神でやったんですよ。
きつかったけどやっぱできるんですよね。
やってみればできるもんなんですか。
はい。
そのときに限界だって思ったのは自分で作った限界だったんだって。
でそっからその自分では気づかないエネルギーを振り絞ってやる練習こそ勝負への執念とか集中力とかギリギリの勝負を勝ちきるそういう柔道への思いっていうのを養うというかね強化するには意味のあるものなのだっていうのをそのときに先生から気づかせてもらったんですよ。
それ分かるとやっぱりこう技とかその柔道の力っていうものは変わってくるもんなんですか?すぐには変わらなかったです。
すぐには変わらなかったけどそういう練習を毎日繰り返すことで半年後ぐらいに全日本の学生チャンピオンになったんですよ。
まあ〜伸びた伸びた。
でアトランタオリンピックで…。
(野村)そうです。
もうガッと駆け上がりましたね。
ガッといったんですか。
けどアトランタオリンピックはまさか自分が出られるとは思わなかったです。
ほう〜。
ちょっとねほかのその代表候補の選手が海外で負けたりして代表権を勝ち取ったっていうよりも代表に選んでもらったみたいな感じの選考だったんですけど。
でもどうだったんですか?アトランタは。
ええ〜っとまあ結果としては優勝しましたけど…。
「結果としては」ってあなた。
金メダルを取って一躍有名になってで新聞で一面を飾ると思ったら…。
思ったら「野村」っていう文字だけが一面に出ましたね。
やっぱり決勝戦でええ…ヤワラちゃんが負けたっていうニュースの方がやっぱり大きかったんですよね。
だから野村の金メダルよりもヤワラちゃんの銀メダルの方がビッグニュースだったんですよね。
はあ〜。
それはどう思ったんですか?
(野村)まあ1回目ね自分大学4年生だからやっぱりオリンピックで金メダル取るっていうことはもうスターになるっていうことでどんなシーンが…決勝で勝ったシーンなのか表彰式でメダルをもらってるとこなのかワクワクしてたら写真がないっていうのに…。
あははっ!その現実を見て相当ショック受けましたね。
あははっ!周りはどうだったんですか?ヤワラちゃんには勝てないよって。
ええ〜!
(野村)けど1回目自分がオリンピックで勝てたっていうのはやっぱヤワラちゃんの存在も大きいんですよね。
ああそうですか。
はい。
やっぱ同じ日に試合をするっていうので。
オリンピックになって柔道っていうのはやっぱすごい過度なプレッシャーとかってあるわけなんですよね。
そのプレッシャーとか期待っていうのをもう彼女が一身に背負ってくれて外からの嫌なプレッシャーっていうのは一切感じる必要がなかったんですよ。
そういう意味ではその…伸び伸びと大学4年生らしく伸び伸びと思い切って試合できたっていうのは大きかったですね。
ふ〜ん。
(ナレーター)自分で歩きたい。
自分で食べたい。
年を重ねるとそれが当たり前ではなくなってしまう。
だから私たちはささえ続ける。
よりそうささえるパナソニック。
これからの介護。
これからの暮らし。
パナソニックのエイジフリー。
(夫)ごちそうさん。
(妻)はいありがとう。
結構残ったね。
(でんきやさん)よいしょ。
いっせーのよいしょ。
《冷蔵庫ってコンセント挿してから中が冷えるまで時間かかりますよね》《だから事前に了解を頂いたお客さまには前もって冷やしてお届けしてます》いや〜ホント冷えてるとすごい助かるよこれ。
《ほんの少しの時間でもお客さまに不便な思いをさせたくないなっていうのが一番の思いです》はよ済んでよかったわ。
ありがとうございます。
野村選手にとって自分の武器っていうか強みっていうのは?素人にも分かるように説明していただくと…。
自分は子どものときから弱いくせに投げられるのが大嫌いだったんですよ。
どうしたら投げられないかっていうのを常に考えてたんですよ。
オリンピックでまあ3大会優勝して一般の方にはやっぱり野村の投げ技豪快な一本をとる技っていうのを注目されたけどほんとの強さっていうのは受けの強さなんですよ。
投げられても…。
投げられそうになっても回避できる対処できる。
だから思い切って技掛けられるっていうね。
はあ〜!ちょっとその野村選手の強さっていうのがVTRであるのをちょっとこう解説していただいきたいんですが。
野村さんの強みである「相手に投げられない能力」。
その真骨頂がこちらの試合です。
(実況)
(野村・スタジオ)中々組ませてくれないんですよね。
(実況)危ない内股!
(野村・スタジオ)「内股すかし」っていう技で…。
(阿川・スタジオ)すみません何がどうなったのかちょっと今よく分かんなかったんですが。
あっリプレイ。
宙に浮いてんのが野村さん?
(野村・スタジオ)そうです。
(阿川・スタジオ)でこうひっくり返って…。
(野村・スタジオ)一本勝ちするんですけど。
だから相手はね組ませてくれなかったんですよ中々。
わざと自分がね相手にはい組みなさいっていうふうに相手有利な組み手にさせてあげたんですよ。
相手はいけると思った瞬間に技掛けてくるんですよね。
だから全部それを自分は誘ってるんですよ。
ちょっとすみませんけど私投げられても困るんですけどねええ〜っと一応…ちょっと待ってね。
まあ相手はこういう…。
私モンゴルです。
モンゴルです。
で野村です。
あっ野村ですはい。
でこうねここをとり合うんですよお互いに。
こうやってとり合って中々とらせてくれないから自分はここを持ったんですよ。
はいはい。
ここっていうのは決していい組み手ではないんですよね。
へえ〜。
いい組み手は?いい組み手はここをとるのがいちばんなんですよ。
あっこういうふうにつかむのが。
(野村)こうやったら相手を制することができていいんですけど相手はここを組ませてくれないから自分はここをとったんですよ。
で相手もここをとりたいから。
自分はここをとれますよねパッと。
でこの瞬間は相手が有利な組み手になってるんですよ。
ああ〜。
この瞬間にその内股っていって…。
こっちの足で?
(野村)自分のここをここを…。
ここをこうやんの?こうやってこうやって…ひっくり返そうとするの?で佐和子さんが向こう見て。
そう。
(スタッフ)あははっ!これが内股なんですよ。
でこう来た瞬間に自分は予測してこれをこうすかして逆にこうなるわけですよ。
ああ〜!なるほど!それを空中でやってるんですよ。
空中の中ですかしたんですか?空中ですかしてこう掛け直してるから…。
ちょっともういっぺん見てみようか。
じゃあここのここのシーンですね。
(野村・スタジオ)自分の左手…。
(阿川・スタジオ)ちょっと待って向こうがモンゴルさん。
(野村・スタジオ)ここでストップ!
(阿川・スタジオ)あっちはもう内股掛けてきてるわけですね。
(野村・スタジオ)そう掛けてきてもう若干自分は投げられそうになってるんです。
あれ浮いてるんですよ体が。
(阿川・スタジオ)ええ。
もう半分投げられてるような。
うわっうわっ負けるぞって思ったら…。
(野村・スタジオ)そう。
空中で足を入れ替えてるんですよ。
(阿川・スタジオ)なんじゃいな。
(スタッフスタジオ)あははっ!
(阿川・スタジオ)これ自分でも予測の…。
ある程度誘ってますから予測はしてたけどまさかここまでこういうかたちでは思わなかったですね。
プロの柔道選手柔道のコーチとか見てもありえないっていう。
だって投げられる途中で返すっていうことですもんね。
はい。
これでやっぱり周りが野村の才能というか天才だっていう声が上がりはじめたんですよね。
パチパチパチ…
(拍手)ふふふっ。
オリンピック3連覇という柔道家として前人未到の偉業を達成した野村さん。
(実況)3連覇の大偉業成る!しかしその後の選手生活は怪我の連続でした。
満身創痍の体で最後の金メダルから11年もの間現役を貫いた理由とは…。
もう20代中盤後半ぐらいからは常に引退っていうのはもう意識はしてたんですよね。
2000年のシドニーオリンピックで2連覇金メダル取って引退するって言ってたんですよ。
それはもうやっぱり自分らアマチュア選手はオリンピックが節目なんですよね。
はあ〜。
やっぱり次って考えたら4年後っていうのはもう自分30手前だしもう25歳で2連覇して格好よくやめていこうって。
そういう思いがあったんですけどオリンピックのあとに休んだりしたらもう一回よしチャレンジっていう思いがあって。
やる気になって。
けどいつかまあ引退するときは来るんだろうなっていうのは常に思ってて。
それがまあ心の限界が来るのか体の限界が来るのかっていうのも自分でも分からなかったんですよ。
結局40歳まで。
だからもう…。
「結局40歳まで」ってそこが長くないですか?長いです。
だから心の限界が来なかったですよ。
今でもやめてすがすがしい思いはあるけどやれるもんならまだまだやりたいし…。
あっそうなんですか。
もっとうまくなりたいもっと強くなりたいっていうすごいその思いはあるんですよ。
そうすると体の限界を感じはじめたのがいつごろなんですか?北京オリンピックの1年前に右膝のじん帯を断裂してそこからがやっぱり自分の一つの苦しみが始まったというか。
北京も出れなかったし…。
ロンドンも出られなくて。
そのころきついなっていうのはあったんですよ。
だからもうそのオリンピック選手としてとか日本代表として世界一を目指す柔道っていうのはもうちょっと厳しいなっていうのはあったんですね。
ただんん…ステージが変わってもチャレンジしたいなっていう思いは消えなかったんですよ。
で体の限界がちょっと来た。
そうです。
もう体の限界…ほんとにもうどうしようもなくてですね。
それは最終的にはいつ?最終的には今年の夏ですね6月7月ぐらいにはもう…。
あっもうほんとに引退発表する直前までなんとかまだ続けるぞって気持ちは…。
ドクターにも例えば膝であれば「膝を酷使し続けたアスリートの最終形」って言われて。
最終形なんですか。
膝の関節内がもう変形しきっててですね。
あっ骨の…。
半月板とか軟骨とかもなくて。
ない?
(野村)ないです。
外科的な見解でいけばもう膝っていうのはもう手術もできないって。
今歩くのに支障はないんですか?歩くのには支障はないですけどまあ普通に正座はできないし…。
正座できない。
はい。
例えばあぐらかいてても5分ぐらいあぐらかいてたら動くときにもう痛たたた…ってなったり。
で今息子が長男が9歳なんですけどたまにねやっぱりパパとしてこうキャッチボールしたりとか一緒にするんですけどキャッチボールでも痛いし。
ええ〜…。
もう自分はほんとに最後は強くなりたいっていう思いはうせることはなかったけど技術に対しては深まる一方だけどその技術を生かせるだけの体は失われていくっていうそのなかでこうあがいてたんですね自分は。
だから年を重ねて体も…肉体も衰えて怪我も増えたけどなんとか今まで磨いてきた技術を生かしながら40歳でもできるなんかいい柔道がないか一瞬でもいいから輝けないかなと思ってやり続けてきたんですよ。
へえ〜。
でも一種なんていうか後輩とか仲間とか野村があそこまで頑張ってるんだから俺たちまだ足りないやとか支えになるっていう存在でもあったんじゃないですか。
3連覇した頃っていうのはまあいろんな人から尊敬を頂いたけどそのあとの11年の苦しみとかチャレンジっていうのを見てまた違う見方をね周りの方もしてくれるようになって。
どういうふうに…。
まあやっぱ続ける姿…。
ほかの競技のトップ選手北島選手もそうだしフェンシングの太田選手とかもうみんなベテランなんですよその競技では。
けどやっぱりそこまでいったらみんな相談できる相手とか悩みを打ち明ける自分の弱さを出せる相手がいなくなってくるんですね。
トップに立っちゃうとね。
そういう選手たちがちょっと自分にそういう話をしてきてくれたり。
そういうほんとの各競技のトップのベテラン選手たちがやっぱり自分のチャレンジっていうのを見て俺も頑張ろうもうちょっと頑張ろうっていうふうに思ってくれてますね。
だから最後もほんと引退試合…8月29日に引退試合に出場したんですけど会場中がね自分のファンの人ももちろんいてくれたしそれ以外の人もいっぱいいたけど最後自分が負けたときに会場が一つになってみんなが拍手してくれたんですよ負けた試合に対して。
そのときに金メダルではなかったけどここまで柔道をやり続けてきて苦しんだけどつらいことの方が多かったけど最後までやり通して自分の思いっていうのをやり抜いてよかったなと思いましたね。
だから結構自分ね柔道になったらこうなってねあんまり外のつきあいもなくなったりとか結構厳しい顔しか見せなかったんです。
周りからもそういうふうに見られてるんだろうなっていうのはあったけどやっぱり最後こうやってみんなから会場からね最後拍手しながら「よう頑張ったお疲れさん」ってみんなに言ってもらってあっ自分まあまあ愛されてる選手だったんだなって。
あははっ!みんなに敬遠されてる選手だと思ってたんですか。
愛してましたよ。
ふふふっ!ずっと。
だからすごくね引退試合っていうのも負けはしたけど幸せな時間だったですねうん。
でもまあこれからも野村さんが活躍してもらわなければ困る場所はいっぱいあるわけだし。
まあ世界を取った野村の柔道もそうだしそのあと11年苦しみながらも柔道と向き合ってきたものっていうのはまあ子どもたちにもそうだしオリンピックを目指すトップアスリートたちにも…。
若き選手たちにも…。
伝えていきたいなっていう。
そうですね。
じゃあちょっとそろそろ2曲目を伺いたいんですが今その引退した野村さんを元気づけてくれる曲はなんですか?TUBEの「SecondChance」っていう。
前田さん?前田さんです。
前田さんにはすごくかわいがっていただいてて。
個人的におつきあいがある…。
はい。
2008年に自分が北京オリンピックに出場できなくてそのあとから親しくさせてもらって。
まあ自分が北京に出れずにで怪我もして手術もしてっていうなかで前田さんが自分のことをイメージしながら書いてくれた曲がこの「SecondChance」っていう。
ああ〜!これ野村さんの曲なんですねじゃあ。
そうですはい。
おお〜!いや〜!ふふふっ。
だからほんとにまあねオリンピックっていうステージじゃなくなったけど自分のステージが変わってもやっぱり自分の夢目標っていうのを追い求めるっていうこのところ歌詞からもすごくずっと力もらったし。
小さい頃に「お前やめてもいいんだぞ」っておっしゃったお父様は引退するっていうことを報告なさったときにはどうだったんですか?3連覇したっていうとこまではよかったけどそのあと11年間ほとんどいい結果出せなかったなかでどっか競技を続けることに対して申し訳ないっていう気持ちがあったんですよね。
もう柔道やめた方がいいのかなって思うときもあったんですよ。
でそのときに父親も途中ね3年…4年前まではもうやめてほしいって言ってたんですよ。
へえ〜。
だから息子がもうここまでボロボロになってやり続けてる姿っていうのはもう親として見たくないからやめてほしいっていうふうに思ってたみたいなんですよね。
ただそれでもやっぱり自分は諦めずにやれることを精いっぱいやり続けてきてやっぱそれはおやじも見てくれてて。
去年はもう「とことんやりきれ」って。
「とことんやりきって胸を張って引退しろ」って。
「ここまでできるのはお前しかいない」って。
やっぱり自分が思った思いっていうのを信じて胸を張って最後を迎えたらいいんだなって。
うん…そういう力というか勇気をもらいましたね。
お客さんに言ったらお客さんに…。
2015/11/28(土) 07:30〜08:00
MBS毎日放送
サワコの朝[解][字]【野村忠宏▽限界挑んだ柔道家】
ゲスト・野村忠宏/柔道家▽「この歳でも出来る何か良い柔道はないか、あがいてた」弱小少年期から五輪3連覇の偉業達成まで…天才柔道家、その原動力に阿川佐和が迫る!
詳細情報
番組内容
ゲストは、柔道家の野村忠宏さん。アトランタ、シドニー、アテネと日本人で初めてオリンピック三連覇を達成。その後11年もの間、怪我と戦いながら現役を貫いた末、今年の8月、40歳で引退を発表しました。幼少期はほぼ無名に等しい選手で中学入学時点では140cm、32kgと小さく“ガリガリ”体型。高校生まで試合に勝つことは殆どなかったといいます。3度も金メダルを獲得するほど強くなった理由とは一体?
番組内容2
プロのコーチをもうならせたアトランタオリンピック準決勝での技を解説していただきます。この試合を機に“天才”の声が上がり始めたという、その神技とは!?
柔道競技で史上初の快挙を成し遂げた野村さんが、長きにわたり現役を貫いた原動力とは何だったのか…。阿川がそのパワーの秘密に迫ります。
出演者
【司会】
阿川佐和子
【ゲスト】
野村忠宏(柔道家)
1974年、奈良県生まれ。
1977年、祖父が創設した豊徳館道場で柔道をはじめる。
1993年、天理大学体育学部に入学。大学2年生の時に、アトランタ五輪で金メダル獲得。
2000年、シドニー五輪で連覇達成。その後、米国留学し柔道から離れる。
2003年、2年のブランクの末、復帰。全日本選手権優勝。
出演者2
2015年8月、現役引退を表明。
音楽
【番組テーマ曲】
「Tea for Two(二人でお茶を)」歌:ドリス・デイ
お知らせ
【解説放送あり】
制作
【製作】MBS TBS
【制作協力】TBSビジョン
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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