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僕はジャニヲタの友達が少ない

または拗らせ系ジャニヲタの憂鬱

『007 スペクター』感想:カッコウは巣を持たない

映画
まず書いておきたいことは、冒頭のホイテ・ヴァン・ホイテマ長回し撮影が素晴らしいことはもちろん、そこに付いている音楽が、完璧に映像とシンクロしていたということ。
「死者の日」の祭りのリズムが響きわたる中、カメラはボンドと共にそのパレードをなめていくのですが、その後建物に入り、建物内で演奏されているバンドの遠くからフェイドインしてまたフェイドアウトしていく環境音楽まできっちりと「死者の日」の持続するリズムと合わせていて、部屋に入りボンドが仮面をとって素顔を表すとライトモチーフ的に出現するボンドのテーマの旋律がまた自然にそこにミックスされ、その後ボンドが窓の外に出て走り出すと徐々にリズムパターンが変化して緊張感が出てきて…というのが一連の流れのなかで淀みなく行われていて、いわば音楽の長回し、というような所業でした。
確か前作では声優のアテレコのように、映画の映像を流しながらオーケストラが実際にそれに合わせて演奏する、というスタイルをとっていたようなのですが、今回もその手法なのでしょうか。(そうでなかったら、あんなにかっちりと合わせるのは難しいはず…)

さて、ダニエルクレイグの007のお楽しみといえば、いつもボンドの拷問シーンの趣向が凝っている事ですが(??)、今作のヴィランクリストフ・ヴァルツ演じるフランツ・オーベルハウザーもボンドに中々個性的な拷問を仕掛けてきます。

オーベルハウザーは「目を潰された男を見たとき彼の心が消えるのが見えた」と言い、"身体ではなく心への拷問"としてボンドの脳に針をぶっさすのです。

オーベルハウザーのこの拷問スタイルは、「ロボトミー手術」に着想を得ていると考えられます。
ロボトミー手術というのは目の上部から針を刺し込んで脳の一部をこそぎ取ることで精神病を治す(と考えられていた!!)ために実際に行われていた色々曰くつきのアレですが、目から爪を刺し込まれている男の情景によってオーベルハウザーの脳裏にこれが連想されたということでしょう。

ロボトミー手術といえば、映画ファンが思い出す作品があります。
ジャック・ニコルソン主演の「カッコーの巣の上で」という映画です。

当時の精神医学とロボトミー手術の恐怖を描いたこの映画ですが、元々この「カッコーの巣の上で」というタイトルはマザーグースの一節の 
  Three geese in a flock.
  One flew east,
  And one flew west,
  And one flew over the cuckoo's nest. 
から取られています。
ダチョウが3羽いて、ひとつは東へ、ひとつは西へ、ひとつはカッコーの巣の上に飛んで行った。
という歌詞なのですが、これがなぜ精神病院を舞台にしたこの映画と関係があるのかというと、cockoo(カッコウ)という言葉は俗に頭がおかしい、精神異常の、という意味で使われる事があるらしく、またcockoo's nest(カッコウの巣)は精神病院の蔑称として使われるそうなのです。

カッコウの巣というのは考えてみるとおかしな言葉です。カッコウに巣はありません。
カッコウというのは自分で巣を持たず、他の鳥の巣に卵を産みます。
他の鳥の巣で孵化したカッコウの雛は、他の卵を巣から蹴落とし、自分が1番餌をもらって大きくなって飛び立ちます。

このことから、cuckoo in the nest(巣の中のカッコウ)という慣用句には、
"(1) (子供への親の愛を横取りする)愛の巣の侵入者." (weblioより)
という意味があるそうです。

そういうわけで、オーベルハウザーはボンドのことを「カッコウの雛」だと言わんとするんですね。

ボンドは自分の巣を持てないし、持つとしたらそれは存在しない巣…誰かにとって不都合な巣…世の中が隠しておきたい巣、である。
誰も愛せないし誰からも愛されない。
産まれながらにそういう存在であるということを痛感させる。オーベルハウザーは生涯を通じてボンドに心の拷問をしていたんですね。

オーベルハウザーは、かつてボンドが愛したものを殺したのは全部自分が仕組んだことだったのだ、と明かすのですが、その時に印象的な言い回しをします。
「私は君の苦しみの作者だったんだよ」と言うのです。

この台詞が、後にボンドを旧MI6本部に誘い入れた時、ボンドの行く先が矢印で壁に描いていた=ボンドの未来は初めからオーベルハウザーによって予め決められていたことだった、という展開につながっていくのだと思います。

壁に書かれていた、でもうひとつ繋がる線は、サムスミスによるスペクターの主題歌です。
the writing's on the wallというのは「不吉な予感、予兆」という意味で、見えざる手が現れて壁にバビロンの崩壊を予言して書いた、という聖書の中のエピソードが元になっているそうです。
字幕だと「運命だから」的に訳されていたと思いますが、やっぱりこういう所に非母国語映画を観ることの難しさがあると思いました。

ところで、映画の中ではCがナインアイズっていうのを発足させようとしますが、これは「ファイブアイズ」が元になっているんでしょうか。
ファイブアイズはスノーデンの暴露とかでその存在が有名になった、アメリカ合衆国、イギリスオーストラリア、ニュージーランド、カナダの5か国で結ばれているスパイ同盟で、互いに収集した機密情報を共有する代わりに互いの盗聴活動はしないようにしようというようなもの。
ジョージオーウェルの悪夢的なテーマは「キャプテンアメリカ:ウィンターソルジャー」でもやっていたけれど、*1今だとやっぱ「ドローン」って単語が入ってくるんすね。

そんな折、NSAの通話収集プログラムが今週で終了するというニュースがあったりして、スパイ映画もリアル世界との折り合いをつけるのが難しそうです。


*1:ところで、ウィンターソルジャーにはハイドラ職員にアサンジがいるっぽい示唆があったり、スカイフォールのシルヴァのモデルはアサンジだっていう話があったりして、ハリウッドにおけるアサンジのイメージって…