とりあえず、転部のためのTOEFL ITPは終わった。
自分がどうして容姿がものをいうクソ大学の底辺学部にいるのか良く分かる出来だった。
仕方がない。とりあえず来週TOEIC IPを受けてひとまず終わりだ。
どうせ醜いものはボコボコにするのに、心地の良いものは大切にする人間が多くて呆れる。
同性愛の人間が異常なのか、そうでないのかというのは、結局のところどこで異常にするのかというものである。
自分は容姿が醜い。容姿が醜いから、ひどい扱いを受けたことが散々あるし、自分が醜い者に散々な扱いをしたこともあるし、今もしているかもしれない。
だから、容姿がいい人間はセックスができるのに、醜い人間はセックスができない。
そんな社会は自分にとってクソだと思うし、異常なのだが、そんな社会を皆さん認めているし、醜い者がひどい扱いを受けているのをよくわからない科学的根拠でウダウダ肯定したりするのだ。
そのくせして、同性愛が異常だとかいう科学的根拠はあるのかとか言って怒るのだろう。
結局、容姿がいい人間がどこまでも肯定される。毎日、自分は生きている心地がしない。
同性愛の人間が異常だと言った人間に対して正義面して叩いている人間というのは、結局のところ自分にとって同性愛は受け入れられるから叩いているだけだ。
正義もクソもない。