して、1審の懲役5年の判決を取り消し無罪を言い渡しました。
・「あなたのいない右側に」見事な歌声で歌手としても活躍する…ドラマからバラエティーまでマルチな才能を発揮しています。
家庭では一男三女のパパとして子育てにも奮闘中。
そんなつるのさんも今年40歳。
子供たちに自らのルーツを伝えたいと思うようになりました。
しかしそれを知る父が既に亡くなっているため聞く事ができません。
番組ではつるのさんに代わり家族の歴史を追いました。
これまで謎だった「ツル」の文字の由来が明らかになります。
戦前上海に渡った祖父。
その足取りが分かりました。
そして戦後一家を襲った未曽有の大水害。
迫りくる土石流。
野家の波乱に満ちた歳月です。
この日つるのさんは知られざる家族の歴史と向き合う事になります。
本名が芸名です。
「つるの」を平仮名にしたのには理由があります。
こういうのが普通の「ツル」なんですけど僕の「ツル」うちの父親から聞いたのはこういう…ここが一本の棒というのを聞いたんですよ。
これが僕の「ツル」っす。
野家は祖父の代までここ野町という地区で暮らしていました。
現在も15軒の「ツルノ」姓の家がありますがその漢字は異なっています。
剛士さんの祖父が生まれ育った家を訪ねました。
剛士さんの祖父進登の兄の子供です。
この地区の「ツルノ」姓の「ツル」はもともとこの雨冠でした。
剛士さんの家の「ツル」や雨冠のない「ツル」はそれがいつしか省略されるようになったといわれます。
この「」の文字の謎に迫りました。
三谷紘平さんは九州特有の名字の成り立ちを研究しています。
実は「ツル」とは水の流れる音だったと考えられています。
(水の流れる音)昔の人はこの水の流れが「ツルツルツル」と聞こえたというのです。
そこから川の近くの肥沃な土地を「ツル」と呼びさまざまな漢字を当てました。
九州にはこの「ツル」を使った地名が数多く存在します。
例えば大分県の「都留」。
宮崎県の「下水流」。
福岡県の「桑鶴」。
九州各地には「ツル」が付く地名が今も50か所以上あります。
つるの剛士さんの一族はもともと福岡県柳川市西津留という土地で暮らしていたと考えられます。
そこで剛士さんの一族は「ツルノ」と名乗り始めました。
その時他の一族と区別するため「ツル」の音に動物の「鶴」を使う事にしたといわれます。
しかも少しでも見栄えを良くしようと「飾り字」と呼ばれるものを使いました。
雨冠はこの部分が変化したといわれます。
雨冠の「」は国字。
中国生まれの漢字ではなく日本で作られたものです。
「峠」や「鰯」なども国字にあたります。
この雨冠の「」を使った野家の本家を継ぐ達彦さん。
剛士さんとは6代前でつながっています。
野の一族は今から200年ほど前西津留から野町に移り住んだといいます。
野家の先祖がおさめられている納骨堂です。
この納骨堂は野町の野家の墓を1か所にまとめようと60年前に建てられました。
先祖の遺骨およそ160体がおさめられています。
「ツルノ」の姓には九州で生きた先祖たちの暮らしが隠されていたのです。
へぇ〜。
そんななんかちょっとなんかあれか…。
つるの剛士さんのルーツ。
祖父進登の人生からたどります。
明治44年進登は農家の四男として生まれます。
長男ではなかったため家を継ぐ事はできず別の仕事を探しました。
二十歳の時親戚が上海で働いていると知ります。
進登は思い切って海を渡る事にしたのです。
進登の長男でイラストレーターの久男さん。
昭和60年のつくば科学万博のメインマップや絵本のイラストなどを手がけています。
中国上海に渡った進登。
当時上海には租界と呼ばれる外国人居留地があり世界中から多くの人が集まっていました。
進登が渡った昭和初期には2万人近くの日本人が暮らしていたと言われています。
進登の足跡に関してある手がかりが見つかりました。
進登二十歳の時の徴兵検査の記録です。
昭和6年5月23日場所は上海検査場。
当時の進登の住所も書かれていました。
その場所を訪ねます。
進登が暮らしていた文路地区。
現在は出稼ぎ労働者や高齢者が数多く暮らしています。
80年ほど前進登が暮らした建物が残っていました。
当時ここが上海文路140号。
現在住んでいるのは郭さん夫婦。
親の代からこの家に60年以上暮らしています。
上海にいた日本人について研究している…進登に関するある資料を見つけてくれました。
進登が住んでいた上海文路140号には「直榮商會」という会社がありました。
職種は製靴業。
進登はここに住み込みで働き靴を作っていたと思われます。
日本橋の靴店の輸入記録にも「直榮商會」の名前がありました。
当時進登の家から橋を渡ると華やかな欧米人街が広がっていました。
そこでは連日ジャズやクラシックの演奏が行われていました。
進登も毎晩生の演奏に酔いしれます。
進登の長女登子さんは当時の事を聞いていました。
しかし間もなく上海は激変します。
9月に満州事変が勃発。
排日運動が広まり上海でも日本人への風当たりは強まります。
進登は僅か1年で日本に戻らざるをえなくなりました。
福岡県門司現在の北九州市門司区です。
上海から戻った進登は門司で仕事を探します。
明治40年から続く酒屋池亀商店。
いらっしゃい。
今日はよろしくお願いします。
ここで進登の写真が見つかりました。
昭和13年進登27歳の時の写真です。
進登はここで住み込みで働いていました。
朝6時に起床。
店の掃除をしたあとは大八車に酒を積み配達して回りました。
そして昭和18年進登は結婚します。
いとこ同士の結婚でした。
終戦後。
進登は新たな職に就きます。
日本セメント門司工場で働き出します。
戦後復興の好景気にわき待遇がいいと評判でした。
仕事も順調子供にも恵まれます。
3人きょうだいの末っ子として生まれたのが貞雄。
後の剛士さんの父です。
しかしそんな平穏な日々を思わぬ出来事が襲います。
当時野家は小さな平屋に住んでいました。
そこから程近くの民家です。
(取材者)この岩っていうのは…?非番だった進登は新聞を読みチカヱは食事を作るいつもの朝でした。
しかし3日前から降り始めた雨はやむ気配がありません。
「大蔵川の濁水は八幡市内を洗い街は刻々と危険にひんしています」。
九州各地で被害が出始めていました。
そんな中で家族はある異変を感じます。
裏山の風師山から何か聞こえた気がしたのです。
当時小学2年生だった登子さん。
午前11時異変を感じた父進登は家族を連れて自宅前の社員寮に向かいます。
2階建てで自宅より安全だと思われました。
そこは逃げてきた人々でひしめきあっていました。
その時です。
風師山が崩れ土石流が発生したのです。
社員寮の1階部分は土砂や岩で埋まります。
自宅は既に土石流に飲み込まれていました。
「まずい」と思った進登は土石流の間隙を縫い長男の久男を背負って2階から飛び降ります。
そして当時1歳の貞雄を背負った妻チカヱが飛び降りるのを支えました。
家族はしっかりと手をつなぎ土砂の中を懸命に逃げました。
そして日本セメントの工場に逃げ込んだのです。
「門司では風師山が28日正午ごろ頂上付近から数十か所にわたって山崩れを起こし一瞬にして50数戸を押し潰しました」。
死者・行方不明者合わせて143名という大惨事でした。
一瞬にして全てを飲み込んだ土石流。
家族は間一髪助かったのです。
土石流の被害に遭った野家。
家族はその後ベニヤ板で仕切っただけの仮設住宅で暮らします。
隣の住人の声は筒抜け。
家族が布団で寝たら隙間もない狭い部屋でした。
1年後ようやく会社の社宅で暮らせるようになります。
水害で全てを失い一からの再出発でした。
進登は子供たちにつらい思いをさせまいと明るく振る舞います。
そして子供たちにやらせたのが音楽でした。
少ない家計をやりくりして楽器を買い与えます。
次男の貞雄にはバイオリンやトランペットをやらせました。
上海で音楽に出会った進登。
子供たちにも楽器を覚えさせたかったのです。
貞雄は高校に入学すると新たにクラシックギターに打ち込みます。
貞雄の幼なじみの柿添信義さん。
昭和43年の春貞雄が高校2年生の時の事。
貞雄のギターの腕前を買っていた音楽教師から女子生徒との共演を勧められます。
当時の音楽教師村上五一さん87歳。
貞雄は一学年上の女子生徒と練習を始めます。
その女子生徒こそ…後に剛士さんの母となる女性でした。
剛士さんの母令子さんです。
貞雄との練習中気になっていた事があります。
発表会当日。
その時の写真です。
披露したのはバッハの「アリア」。
共演は成功しましたが恋愛には発展しませんでした。
そして一学年上の令子は一足先に高校を卒業します。
ある日家族と一緒に映画館に行った時の事です。
そこで貞雄と偶然再会します。
そして2人は交際を始めます。
高校卒業後貞雄は大手の協和銀行に就職。
そして入行して5年目の昭和49年。
2人は結婚。
貞雄22歳令子23歳でした。
母令子の賀来家。
実は九州では由緒ある家柄です。
賀来家の起こりはこの地だといわれています。
特別収蔵庫に賀来家に関する古文書が保管されています。
賀来家の始まりは鎌倉時代の武士賀来惟康。
戦国時代にはキリシタン大名大友宗麟の重要な家臣でした。
その後賀来家の人々は各地に散らばっていきます。
江戸時代初期大分県豊後高田市で暮らしていたのが賀来惟氏。
結婚し新生活を始めた2人。
その翌年長男が生まれます。
それがつるの剛士さんでした。
いや〜。
5年前59歳で亡くなった…剛士さんは銀行員だった貞雄さんの仕事ぶりについて全く知りません。
剛士が生まれた頃貞雄は門司から埼玉川口支店に転勤し営業を担当していました。
連日の外回り。
課せられたノルマは厳しいものでした。
しかも貞雄は高卒。
大卒の行員たちと営業成績を競わなければなりません。
同じ営業担当だった…伊藤さんもまた高卒で入行。
貞雄とは親しい間柄でした。
その後貞雄は広島大阪と転勤を重ねます。
昭和62年時代はバブル。
貞雄は営業実績を買われ東京勤務を命じられました。
株や不動産が値上がり銀行間の競争は激しさを増していました。
これまで以上のノルマを課せられます。
貞雄はどんな時でも生真面目で熱い営業スタイルを貫きました。
上司だった…
(取材者)どんな感じなんですか?そんな貞雄に客は信頼を寄せ順調に成績を伸ばしていきました。
するとある資産家と100億円を超える預金の契約に成功したのです。
仕事は順調。
家庭でも剛士の下に3人の女の子に恵まれます。
休みの日には子供たちに得意のギターを披露しました。
剛士にも4歳の頃からギターを教えました。
そんな貞雄が子供たちに繰り返し言い聞かせた事があります。
その一方で子供たちに勉強しろとは言いませんでした。
そんな父の影響の下高校生になった剛士はこう考えるようになります。
やがて剛士は芸能界に入りたいと打ち明けます。
そして平成9年剛士22歳の時。
剛士は大役を射止めます。
オーディションを勝ち抜き「ウルトラマン」の主役に抜てきされたのです。
しかしこのころ大量の不良債権を抱えた銀行は冬の時代を迎えていました。
平成13年銀行は早期退職者を募ります。
重苦しい空気が流れる中で貞雄は真っ先に手を挙げます。
貞雄50歳の決断でした。
1年後千葉にある車用品の販売会社に転職します。
銀行時代の営業が接客に生かせると思ったのです。
当時の社長…貞雄が面接に来た日の事を覚えています。
貞雄は銀行時代と同じように丁寧にそして熱意をもって対応しました。
その姿はすぐに評判となり貞雄目当ての客がやって来るようになります。
営業成績は毎回トップ。
43か月連続売り上げ1位を記録しました。
これは今も破られていません。
そして平成20年剛士は羞恥心で大ブレーク。
そしてその年の「紅白歌合戦」にも出場します。
貞雄も家族とともに剛士の晴れ姿に拍手を送りました。
・「羞恥心羞恥心俺達は」しかしこのころ貞雄の体に異変が起きていました。
診察を受けると肺がんが見つかったのです。
「余命は1年」と告げられました。
貞雄は闘病中周囲に弱音を一切吐きませんでした。
カメラを向ければいつも笑顔。
余命宣告されてから半年後剛士の初めての単独武道館ライブが決まります。
それは1年後の平成23年1月でした。
「何としても剛士のライブに行く」。
懸命な闘病が続きました。
しかしライブまであと1か月半ほどに迫った平成22年11月22日。
貞雄は59歳で息を引き取ったのです。
平成23年1月剛士さんの単独武道館ライブ。
・「永遠と呼ぶ事ができたなら」・「言葉では伝える事がどうしてもできなかった」・「優しさの意味を知る」そして自分の…え〜家族そして母ちゃん。
そして父ちゃんも多分どっかで見てくれてると思います。
(拍手)親父!見てるか?今回貞雄さんの遺品の中から一枚のDVDが見つかりました。
それは闘病中の貞雄さんを励ますビデオメッセージ。
働いていた車用品の販売会社の同僚たちからでした。
大手銀行退職後51歳で再出発を果たした職場。
それまでの肩書を一切捨て若い同僚たちと懸命に働きました。
貞雄さんは今も同僚たちの目標となっています。
貞雄さんが生前使っていた手帳が見つかりました。
そこには息子剛士さんへの言葉が書かれていました。
「当たり前のことができないのが人間である。
だから努力するのです。
世の為人の為につくすにあれ」。
闘病中の弟を見舞った時話は剛士さんの事になりました。
浮き沈みの激しい芸能界。
久男さんはそれを心配しました。
しかし貞雄さんはこう言ったのです。
父の言ったとおりその後剛士さんはさまざまな分野に活躍の場を広げていきます。
いやほんとありがとうございました。
うん…。
まあ完全に受け継がれてます。
2015/11/27(金) 14:07〜14:55
NHK総合1・神戸
ファミリーヒストリー「つるの剛士〜父の生き様(ざま)に誓う〜」[字][再]
59歳の若さで亡くなった父は、叩き上げの銀行マン。天才と呼ばれる働きぶりが明らかに。さらに戦後の門司で、家族は土石流に襲われます。生死を分けたある判断とは。
詳細情報
番組内容
59歳の若さで亡くなった父。高校卒業後、大手銀行に勤めた銀行マンだった。剛士さんは、父の生前の働きぶりを知らず、ずっと気になっていた。今回、取材で明らかになったのは、父の天才と呼ばれた働きぶり。さらに戦後の門司で、父は家族とともに土石流に襲われていた。生死を分けたある判断があった。さらに戦前、祖父は中国・上海に渡った。今まで謎だった当時の暮らしが明らかになる。剛士さんは驚きを隠せなかった。
出演者
【出演】つるの剛士,【語り】余貴美子,大江戸よし々
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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