文太さん魂宿った!妻・文子さん、農業引き継ぎ初挑戦
「仁義なき戦い」シリーズなどで知られる俳優・菅原文太さんが転移性肝がんによる肝不全のため81歳で亡くなってから、28日で1年が過ぎた。命日となったこの日、文太さんにゆかりのあるそばが収穫されていたことが分かった。2009年に設立した山梨県北杜(ほくと)市の「おひさまファーム竜土(りゅうど)自然農園」で、妻の文子さん(73)らが、夫が好きだった長野県松本市のそば店から依頼を受けそばの実の栽培に初挑戦し、10月に収穫。名優のこだわりを貫いたそばは、同店で年明けにもメニューに加わる予定だ。
文太さんは生前、農業に興味があった。加えて07年にぼうこうがんを患い健康、食に強いこだわりを持ち、09年に「おひさまファーム」を開いた。昨年、亡くなった後に農場を引き継いだ文子さんが今年挑戦したのは、夫が大好きだったそばの栽培だった。
文太さんは5、6年前から、長野県松本市のそば店「榑木野(くれきの)」がお気に入りで、年越しそばを毎年注文していた。それを思い出した文子さんが、栽培について店に相談したという。「榑木野」の吉澤文武社長(53)は「ちょうどその時、ウチも在来種のそばの実を使った新商品を考えていたんです。それで、文子さんに『やってみませんか?』と話してスタートしました」と振り返った。
特定の地域で人が手を加えず無農薬で育つ在来種。1月末に種をまき、夏に各地で猛威を振るった台風の影響も受けず、猛暑も乗り越えた。初めてづくしで手探り状態だったが、シカによる獣害があった以外は無事収穫にこぎつけた。実が小粒なだけに収穫量は少ない。今年は東京ドーム0・7個の広さにあたる3ヘクタールの農場の約4分の1で栽培し、500キロを収穫したが、通常の品種と比べると収穫量は半分程度だという。
「でも、健康にいいものを食べるのは大事なこと。夫もよく『(農薬を使った)今の野菜はダメだ』と話していました。私たちのやり方では、もうからないかもしれないけど、夫の思いを継いで、この土地を守っていかないといけないから」と文子さん。現在は文子さんも含めた3人が中心となり、ボランティアの学生などの力を借りながら耕している農場の経営を考えつつも、「体にいいもの」を作ることが何より根幹にある。
無事、そばが育ったこと以外にも、喜ぶ出来事もあった。「夫が2年ほど前に原木から育てようとしていたマイタケが、今年初めて収穫できたんです」。文太さんが口にできなかったマイタケは、実がギッシリ詰まっていて1キロ以上あるものも。「香りもすごくいいんですよ。『これだけは夫に味わわせてあげたかったな』と思いますね」と、残念そうに語った。
収穫されたそばは「榑木野」が新商品として発売する予定。吉澤社長は「菅原さんは男気のある方。それを崩さないように、我々も全て手仕事で作ります」と強い決意を見せている。商品の名称については、文子さんに命名を依頼しており「それが決まり次第、年明けにもお客様に食べていただきたい」と考えている。「文太そば」と名付けられる可能性もあるが、「まだ全然、決めてません」。亡くなって1年。そばに文太さんの心が宿る。
文子さんにとって、文太さんから託される形となった農場は「生きがいというよりは、『大きな宿題』のようなもの」という。「農場としては決して広くはないけれど、無農薬を試みて、きっちりとそれを続けていく。そこに、小さいながらも私の『社会的役割』があると思うんですね」と天国の夫へ思いをはせていた。(高柳 哲人)
◆菅原 文太(すがわら・ぶんた)本名同じ。1933年8月16日、宮城・仙台市生まれ。53年に早大法学部に進学するが、2年で中退。58年、「白線秘密地帯」で映画本格デビュー。東映入り後、73年の「仁義なき戦い」で人気となる。80年、「太陽を盗んだ男」で日本アカデミー最優秀助演男優賞を獲得。2014年11月28日、転移性肝がんによる肝不全のため死去。享年81。