【素朴な疑問が湧くほかない不思議の国:ニッポン,「 Viva,チャ チャ チャ,ニッポン」的なお笑い物語】
【朴 裕河の従軍慰安婦問題議論は「文学論的な限界」を背負っている】
①「韓国大学の招聘教授に 元朝日新聞記者」(『日本経済新聞』2015年11月27日朝刊42面「社会1」)
本日〔2015年11月27日〕の『日本経済新聞』朝刊にこのベタ記事が掲載されていた。
北星学園大学(札幌市)の田村信一学長は〔11月〕26日,元朝日新聞記者で従軍慰安婦報道に関わった植村 隆氏(57歳)が本〔2015〕年度で非常勤講師を辞任し,来〔2016〕年3月から韓国の私立「韓国カトリック大学校」に招聘(しょうへい)教授として就任すると発表した。韓国において学校の新学期は3月に始まるので,このような記事の内容になっている。
それはともかく,旧大日本帝国の大元帥閣下の統帥のもと,広く公認されていた軍隊内性奴隷制度,その「従軍慰安婦」に関する関連報道を,前世紀中に報道する役目を果たしてきた植村 隆元朝日新聞記者を,日本側マスコミ〔マスゴミ〕およびネット言論世界〔⇒デタラメざんまいの騒擾的な発想に溺れるサイバー空間の汚論〕は,従軍慰安婦問題に関して,植村元記者をまるで戦犯扱いする騒ぎであった。
出所)https://www.youtube.com/watch?v=-qnbyIpplpY
植村 隆の配偶者が韓国人女性であり,その親族が慰安婦問題に別途,植村自身とはまったく無関係にかかわっていた事情をとらえた日本側のネット的盲論が,この配偶者の関連をさぐっては,基本的に「関連のないこと」を前提にしていながらも,多少は「あること」(これもほとんど問題の本質には関連がない)もごたまぜにしたうえで,この植村を非難・攻撃していた。しかも,植村の子どもたちまで巻きこんで脅迫するかのようなネット言論がサイバー空間を飛びかっていた。
植村 隆は,従軍慰安婦問題をめぐり名誉毀損の提訴をしていた。ウェブ版『産経ニュース』(2015.4.27 18:11更新)は,こう報じていた。
このニュースをまず念頭に置いてもらったうえでつぎに,少し回り道をするような「従軍慰安婦問題」に関する話題を,次段 ② ではとりあげる。★ 元朝日記者・植村氏の名誉毀損訴訟
文芸春秋と西岡氏が争う姿勢 ★
「慰安婦記事を捏造(ねつぞう)した」などとの指摘で名誉を傷つけられたとして,朝日新聞元記者の植村 隆件氏(56歳)が,文芸春秋と東京基督教大学教授の西岡 力氏(59歳)を相手に,計1650万円の損害賠償と 謝罪記事の掲載などを求めた訴訟の第1回口頭弁論が〔4月〕27日,東京地裁(原 克也裁判長)であった。文芸春秋と西岡氏は請求棄却を求める答弁書を提出し,争う姿勢をみせた。
訴状によると,朝日記者だった植村氏が平成〔1991〕3年8月,韓国人元慰安婦とされる女性の証言を初めて掲載した。「意図的に事実を捏造した」と批判する西岡氏の論文や,「 “慰安婦捏造” 朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」との見出しが付いた昨〔2014〕年2月6日号の週刊文春の記事などについて「植村氏や家族への敵意をあおり立てた」 としている。
註記)http://www.sankei.com/affairs/news/150427/afr1504270024-n1.html
② 木走正水(きばしりまさみず)「真実を指摘され自国の大学教授を逆ギレして起訴する韓国」(『BLOGOS』2015年11月19日 20:16)
11月19日付けNHKニュース記事「韓国 従軍慰安婦の書籍執筆の教授を在宅起訴」(11月19日 15時21分)が紹介されてから,以下の文章が記述されていた。
この論者の視座は「日本人・民族」の立ち位置から,それも従軍慰安婦問題を積極的に認めたくない考えをもっていて,このことに終始した論調を披露している。要は,基調がひたすら扇動的である。それも,いかにも自分の気に入った意見が韓国側にあったと,大喜びしているような調子の文章である。ともかく,全文を引用しておく。
--いわゆる従軍慰安婦の問題をめぐり,「20万人の少女が日本軍に強制連行されたという韓国内の一般的な認識は実態と異なる」と指摘した書籍を執筆した韓国の大学教授を,ソウルの検察が名誉毀損の罪で在宅起訴しました。教授は「名誉を毀損する意図はなく,不当な起訴だ」としています(なお以下では〔 〕内補足は引用者)。
この書籍は一昨年,韓国で〔韓国語の原著,2013年〕出版された『帝国の慰安婦』(日本語訳,朝日新聞出版,2014年)で,執筆したセジョン〔世宗〕大学〔校,日本文学科教授〕のパク・ユハ〔朴 裕河〕教授は,このなかで,朝鮮人慰安婦の被害を生んだのは日本の植民地支配に原因がある,と強調しています。
出所)画像は,http://www.asyura2.com/14/senkyo172/msg/413.html
そのうえで,女性たちが慰安婦になった経緯はさまざまで,多くの場合,朝鮮人の中間業者が女性を慰安所に連れていったとして,「20万人の少女が日本軍に強制連行された」という韓国内での一般的な認識は実態と異なると指摘しました。
これに対し,元慰安婦の女性たち9人は,「虚偽の内容を広めて歴史認識を歪曲し,名誉が毀損された」として,去〔2014〕年6月にパク教授を告訴していました。
そして,ソウル東部地方検察庁は2015年11月19日までに,「秩序の維持などのためには言論の自由や学問の自由は制限される」としたうえで,書籍の内容に関して「元慰安婦たちの名誉を侵害し,学問の自由を逸脱した」という判断を示し,パク〔朴〕教授を在宅起訴しました。
一方,パク教授は「客観的事実にもとづいて執筆したもので,名誉を毀損する意図はない。本の内容に対する間違った理解でなされた告訴を,検察はきちんと検証もせずに起訴しており,不当だ」と述べ,争っていく姿勢を示しました。
註記)http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151119/k10010312371000.html
うむ,ついにソウルの検察がセジョン大学の朴 裕河(パク・ユハ)教授を「名誉毀損」の罪で在宅起訴しました。
「20万人の少女が日本軍に強制連行されたという韓国内の一般的な認識は実態と異なる」と指摘した書籍『帝国の慰安婦』を,「秩序の維持などのためには言論の自由や学問の自由は制限される」としたうえで,書籍の内容に関して「元慰安婦たちの名誉を侵害し,学問の自由を逸脱した」として起訴したものです。
いや,呆れました。「秩序の維持などのためには言論の自由や学問の自由は制限される」って,「20万人の少女が日本軍に強制連行されたという韓国内の一般的な認識は実態と異なる」という学術的研究のもとで下した学者の冷静な指摘のどこが,「秩序の維持」がされなくなるというのか,そもそも「秩序の維持」ってなんの「秩序」なのか。
補注)ここで「実態と異なる」という「従軍慰安婦問題」に関するこの理解についてはすでに,各種各様の歴史認識が学問的にも提示されている。それでいて〔その学問方面における研究蓄積とは別個に〕,あたかもこの問題がすぐに否定されたかのように喜ぶ調子で,この執筆者は書いている。
けれども,この執筆者は,あの大東亜戦争史にかかわって旧大日本帝国侵略史があれこれ発生させていた歴史の問題を,あまりにも皮相的にしか捕捉していない。その程度の理解力しかもちあわせていないようである。
日本(国側)自身の問題としても,太平洋戦争末期たとえば,沖縄県の離島で起きた「日本軍将兵による島民自決強要事件」に対して,これがなかったといって島民を提訴した旧日本軍人の当事者がいたくらいだから,この程度の,こんどは隣国における戦争関連の問題史となれば,これをとりあげ論じるほうでの立場=観方は,なんとでも自由にいえ,それこそいいたい放題である。( ↓ 画面 クリックで 拡大・可)
また,朴 裕河の著作にうち『帝国の慰安婦』(上では右側画像,2014年11月)が,朝日新聞系列の出版社から刊行されていた事実も興味深い。『朝日新聞』について従軍慰安婦の「誤報問題」が出てきたとして,猛烈な非難・攻撃がそれも,裏舞台では安倍晋三を先頭指揮官にしたかのような攻勢がなされていた。
ところが,読売新聞も産経新聞も含めて他紙も,軒並みに同じ誤報をおこなっていた。すなわち,他紙も同時にそれぞれなりに,同種・同質の誤報を放っていたのである。だが,そのなかでただ朝日新聞だけが集中的に叩かれたのは,安倍晋三政権側の意図された企みがあり,これに付和雷同する読売新聞などの「活発な商業的戦闘行為」に原因するところが大きかった。
日本側における従軍慰安婦問題,それもとくに2014年夏以降における世論の動向は,異常事態を感じさせるものであった。それはあたかも,精神に異常を来たしたかのような人間精神と社会の様相さえみせていた。それほど頭に血が上るような問題が,旧大日本帝国陸海軍に付属していた従軍慰安婦問題という「歴史の事実」の存在である。
旧日本軍が従軍慰安婦関係の施設を置いていた事実,そこには朝鮮人慰安婦が大勢,強制的に動員されていた事実は,いま生きている世代の祖父たち以上の世代であれば,そして戦争に駆り出された男子であれば日常的な風景として接してきたものである。
しかし,そう簡単には認めたくはない厳然たる「戦史のなかの事実」であったからこそ,いまとなっては終始一貫,徹頭徹尾しらぬふりをしている絶対的な必要性があった。安倍晋三みたく「戦争をしらない世代」にしてみれば,従軍慰安婦の歴史問題を否定するのは,お茶の子さいさいである。なぜかといえば「ボクがしらない戦争に関する歴史問題」だから,それはなかったことにしかなりえないという寸法になっている。
要は,従軍慰安婦問題はいっさい認めたくないという日本・日本人・日本民族側の底流に隠されている気分〔否,露骨な感情〕は,読売新聞社や産経新聞社の報道姿勢,朝日新聞を闇雲に非難・攻撃する,それも前者群における「新聞社の営業利害」も絡んだものとして,この国とこの民(けっして全員ではないものの)の劣情を正直に反映させていた。
〔引用本文のほうに戻る→〕 だいたい,この本のどこが「元慰安婦たちの名誉を侵害し,学問の自由を逸脱した」とされるのか。朴 裕河(パク・ユハ)教授の「帝国の慰安婦」ですが,当ブログも日本語版ですが読みました。読後,この人の筆致がとても学者らしくて好きになりました。
補注)ここで「元慰安婦たちの名誉」という表現は2面的である。慰安婦という存在は不名誉そのものであるが,事後における彼女らの存在にあっては,逆方向において名誉が問題になりうる。敗戦以前のときは問題になりえなかった名誉の問題は,その以後は問題になりえたという理屈があえて設定されている。
それゆえ「この本のどこが『元慰安婦たちの名誉を侵害し,学問の自由を逸脱した』とされるのか』という発想じたい,歴史観としては現在的に制約を受けている。すなわち,この発言者自身が気づいていない問題=陥穽がある。それはいわば,この種の発言に固有であり,回避することができないところの,「日本人側における倨傲・慢心」でありながらも,決定的に「欠落・忘却されてきた歴史意識」の介在である。
〔引用本文のほうに戻る→〕 元慰安婦たちや関係者の証言を学者らしくたいへん丹念に拾い,日本軍関係者が朝鮮半島で韓国人の少女を誘拐・強制連行して性奴隷にした,といった韓国に広まっている通俗的な慰安婦像を完全に否定していきます。
多くは朝鮮人の民間業者が詐欺的な手法を用いて慰安婦を集めていた実態や,一定の賃金が支払われていたことなど,韓国の挺身協などが触れたがらない都合の悪い発言も誠実に記しています。
補注)ここには「多くは朝鮮人の民間業者が詐欺的な手法を用いて慰安婦を集めていた実態」があれば,従軍慰安婦問題の歴史的な含意を最小化できるといいたげな意見・解釈がうかがえる。
大日本帝国に協力した朝鮮人はたしかに大勢いた。と同時に,たとえば,敗戦後直後において日本人は米軍(GHQ)が日本の政治・社会・言論・思想を検閲する「手先」になっていた。
その数はこう説明されている。「日本人検閲者は1947年のピーク時には8100名,アメリカ人軍族や将兵を含めると総数8700名が検閲作業に従事していたことになる」。
註記)纓坂英子「占領下の日本の心理」 『駿河台大学論叢』第43号,2011年,179頁。
その朝鮮人慰安婦の問題側における前段のごとき「関連の事実史」があれば,アメリカの敗戦後日本占領史の問題性(叙上のごとき)がただちに軽減できる理由がみつけられるのではない。問題の歴史的な本質をどこにみいだし,それをどのように評価するかは,まさしく歴史学がその検討・吟味に当たり,比較考量しつつ,評定すべき課題である。
だが,歴史学の基本的な初歩(イロハ・ABC)をほとんどわきまえない程度である「ちまたのにわか知識人」が,したり顔で「歴史に審判を下す」ような口つきになれるというのは,実にたよりない風景に映る。
〔引用本文のほうに戻る→〕 20万人以上という数字にも懐疑的です。きわめて冷静な筆致で好感がもてます。朴教授は同書で慰安婦問題について,帝国主義下での女性の人権侵害を指摘する一方,慰安婦の女性らは日本軍と実は「同志的関係」にもあったと記述しています。
補注)この同志的な関係については有名な学問的解釈がある。ストックホルム症候群(Stockholm syndrome)という精神医学用語で説明される現象である。誘拐事件や監禁事件などの犯罪被害者自信が,犯人と長時間過ごすうちいつの間にか,犯人に対して過度の同情や好意等を抱く心理的現象を意味する。
実際,日本人同士の話であるが,従軍慰安婦になった日本人女性をことを,この女性の世話になった生き残りたちの「戦友」会では,一生をかけて彼女をかばいつづけたという実題もある。
しかし,この事例は,日本人同士における男女の間柄ということで成立しえていた「戦友的な関係性」を意味しており,朝鮮人慰安婦などの問題次元からは,いったん明確に切り離しておく性質のものでもある。
〔引用本文のほうに戻る→〕 当ブログとしてはこの書籍の内容のすべてに同意するわけではありませんが,このような事実に誠実に向き合っている内容の慰安婦本を韓国人である教授が多くの批判や圧力に屈することなく出版したことを,その学者としての知的誠実さに深く敬意を表すものであります。
補注)「この書籍の内容のすべてに同意するわけではありません」という点も,はっきりさせないことにはまずいと思われる。だが,そこは完全にすり抜けての説明であり,詳細はなお不詳である。
さて実際に,朴 裕河の前著『和解のために-教科書・慰安婦・靖国・独島-』(平凡社,2006年)を読んだことのある本ブログ筆者としては,前段に紹介していた文章は,自分の意見を強調するためのつまみ食い的な感想を述べるだけで,単にいいとこどりだけをすべてに優先させている内容だと受けとるほかない。こうもいっていた。
この裁判,パク〔朴 裕河〕教授は「客観的事実にもとづいて執筆したもので,名誉を毀損する意図はない。本の内容に対する間違った理解でなされた告訴を,検察はきちんと検証もせずに起訴しており,不当だ」と述べ,意気軒高,最後まで争っていく姿勢を示しています。朴 裕河は文学研究者であり(日本に留学し,慶応義塾大学文学部卒→早稲田大学大学院で日本近代文学専攻,博士号取得),歴史研究者ではない。みずからも日本文学「史」の研究者とは紹介していない。
歴史を専門に研究する学者でなければ,従軍慰安婦問題を論じていけないという基本条件は,どこにもない。しかし,文学の研究者として解釈する従軍慰安婦問題が,その基本的視点においてみせてしまっている「脇の甘さ」を,朴 裕河は披露している。
裁判のなりゆきを注目していきましょう。真実を指摘され自国の大学教授を逆ギレして起訴する韓国なのであります。笑止。笑止〔千万〕とかなんとか,いかにも勝ち誇ったかのようにいうまえに,朴 裕河『帝国の慰安婦-植民地支配と記憶の闘い-』(朝日新聞出版,2013年)の内容をよく昧読しなおす余地が,前段でに紹介した文章の書き手にはある。
註記)ここまで本文からの引用はすべて,http://blogos.com/article/145600/
いずれにせよ,その書き手は「自分の考え」に牽強付会する方向でもって,それも都合よく読みこんだすえに,この朴 裕河『帝国の慰安婦-植民地支配と記憶の闘い-』は,とてもうれしく歓迎できるという論調を横溢させていた。
だが,おかしい。--朴 裕河のこの本をよく読んでみないといけない。朴は,従軍慰安婦の問題点は基本から認めている。認めていないわけでは,けっしてない。
だから,その問題内において設定されている「主・従的な各意味間における関連性」,いいかえれば,その歴史のなかに実在する各論点に関する意味解釈の重みづけ:秩序づけ」をとりちがえてはいけない。意図的に過ぎる解釈,それも一方的な固定観念に執着したい,自分好みの解釈しか出てこないようでは,単なる意見に留まり,まっとうな妥当性は認められない。
朴 裕河のように歴史の問題を文学的に(文学史ではない)解釈すると,そのように論旨を構成する方途もありうる。かといって,その論旨でもって従軍慰安婦問題を論じつくせるのではない,という限界をもよく認識しておく必要がある。
朴 裕河『帝国の慰安婦-植民地支配と記憶の闘い-』の末尾「参考文献」を,あらためてのぞいてみて,非常に驚いた。吉見義明の関連する著作・資料集が網羅されていない。朴が挙げている「吉見義明関係の文献」は論稿4点だけであり,単著はいっさい出していない。まさかと思うほかない先行研究の枚挙ぶり(その不足・不備・欠落・不在)である。
吉見義明が公刊してきた他著(単著)には,目を通してないのか? ここではつぎの3編著のみかかげておくが,これら文献は文学(史)的な研究書ではなく,あくまで歴史学固有の見地から蓄積されてきた従軍慰安婦関係の論著である。吉見義明の学問展開をどのように解釈する立場であるせよ,無視できない業績・文献である。
☆-1 吉見義明『従軍慰安婦』岩波書店,1995年。
☆-2 吉見義明編集・解説『従軍慰安婦資料集』大月書店,1992年。
☆-3 吉見義明編著『日本軍慰安婦 共同研究』大月書店,1995年。
朴 裕河の学歴・職歴に即して判断するに,この吉見義明らの関連業績をしらないわけがないと思う。したがって,それにしても不可解であるといわざるをえない。
その「参考文献」は,多くの範疇に項目を分類して,いちいち関連文献を一覧している。だが「日本語の単行本・論文など」(巻末,3-10頁)には,いずれにせよ『吉見義明(編著)の単著』は
ごくふつうに,研究者間の常識でいえば,参考文献に一覧されていない書物は読んでいないと解釈されても,いっさい反論できないはずである。
出所)右側画像は,吉見義明・林 博史,金 富子編・原著,西野瑠美子編,日本軍「慰安婦」問題 web サイト制作委員会編『「慰安婦」・強制・性奴隷: あなたの疑問に答えます』 (Fight for Justice ブックレット) ,御茶の水書房,2014年10月発行。
朴 裕河の著作がいかに文学論的に有意義な中身・内容を,従軍慰安婦問題に関して論究しているかといった問題とはまた別個に,大学の教員がみずから制作した著作のなかでこのように,先行研究を一覧する箇所において重大なその欠落があるようでは,それも1冊や2冊ではなく,該当するある研究者のほぼ全著(もちろん単行本のこと)を列挙していないという事実は,ただただ驚くほかない。
③ 日本は窮屈ではなく自由に溢れているのか?-箱田哲也「〈社説余滴〉韓国覆う窮屈さと不自由さ」(『朝日新聞』2015年11月27日朝刊16面「オピニオン」)を読んで-
つぎに,本日『朝日新聞』オピニオン欄に朝日新聞の国際社説担当・箱田哲也が,こういう文章を書いている。
数年前,ソウル在任中に,こんなことがあった。知人に頼まれた大学の講義で,ある学生が遠慮がちに質問してきた。「独島(竹島)問題をどう思いますか?」 私は「この問題を考えるたび,自分は韓国人でなくて良かったと思う」と切り出し,こう続けた。
「日本の学者には,あれは韓国の島だと堂々と主張する人もいるが,韓国の学者が日本のものだというと大変なことになる。そんな韓国の絶対的な『正しさ』の押しつけはどうも苦手です」。
講義後,この学生が真剣な面持ちで近づいてきた。領有権問題に言及せよ,というクレームかと身構えていたら,意外な言葉が返ってきた。「独島は韓国領土です。でもそれとは別に,異論を絶対に認めないこの社会は本当に息が詰まりそうです」。目に涙がにじんでいた。
そんな昔話を思い出したのは,韓国検察当局が「帝国の慰安婦」を著した大学教授,朴 裕河(パク・ユハ)さんを名誉毀損罪で在宅起訴したからだ。元慰安婦は日本軍と「同志的関係だった」などとした著書の表現について,検察は「客観的事実に反した虚偽を記し」「学問の自由を逸脱した」と判断した。
ものの見方や考え方については,多くの主張をぶつけあえばいい。だが検察が学問の領域に踏みこみ,事実かどうかを判断したり,自由を制限したりするのはまったく別の重大な問題をはらむ。
最近の韓国の自由は,明らかに脅かされている。産経新聞記者の起訴,歴史教科書の国定化,少数政党の解散。いずれにも共通するのは公権力の行使である。
韓国の「正しさ」を前にした窮屈さを感じているのは,あの涙目の大学生だけではあるまい。少なからぬ人びとが,違和感を覚えつつも,日本寄り,北朝鮮寄り,といったレッテルを貼られるのを恐れ,沈黙している。
政治権力の自由への介入は日本でも深刻だが,東京ではきのう,学者や言論人らが連名で,朴さんの起訴に抗議する声明を出した。賛同者には村山富市元首相や河野洋平元官房長官ら,慰安婦問題に心を痛めてきた関係者も名を連ねている。
だが本当に危機感を募らせねばならないのは韓国の人びとだ。抗議の声はまだ大きいとはいえない。自由を守るということ。韓国の友人たちは,いま一度考え,行動してほしい。(はこだてつや 国際社説担当)
--この文章を読みながら「なにかが変だ」と強く感じる。それでは,韓国とは同じ具合ではないけれども,日本では,言論の「自由を守るということ」に関して,それほど感心できる水準にあるのか,韓国をはるかに超えているといえるほどにあるのか,という疑問が生じてくるからである。
昨年(2014年)夏から世論は(それも安倍晋三首相みずから率先して煽っての)異常なまでの興奮ぶりをみせていた,朝日新聞「従軍慰安婦誤報問題」に対する,「それみろ,この従軍慰安問題などなかった」とまでいわんばかりの,しかも読売新聞社・産経新聞社も言論機関として,安倍晋三自民党応援団風に旗振り役を果たしていた日本社会の構図は,言論の自由など全然ないかのような,この国の実態:限界をあからさまに露出させていた。
出所)http://www.at-douga.com/?p=10811
その間,NHKの会長になっていた籾井勝人が「政府が右というものを左というわけにはいかない」,この種の「忖度は組織には普遍的に存在していると」も,正直に告白していたが,この日本国では安倍晋三に逆らう人間はとくに,大手・主流の言論界ではほとんど登場しにくくなっている。
韓国と日本をいっしょにして,同じ言論機関に関する期待度でもって判断するのが,はたして適切な姿勢だといえるかどうか議論の余地がある。たしかに日本は韓国よりも言論の自由度は高い。
だが,その比較で日本がとくに秀でているとか,なかでもすばらしい状況にあるとかいえるかといえば,これは完全に否である。いまのNHKは言論機関で比べれば,「ロシアRTR(エルテーエル)のプーチン宣伝用番組と同じような政権の代弁者になり」つつある。この事実を否定する者はいない。
韓国の置かれた言論界の状況を笑止千万だとまっこうから笑えるほど,日本の言論界がすばらしく自由度を謳歌できているかといえば,これもまた否である。NHKの経営委員に就いていた安倍晋三の盟友,百田尚樹はこういう発言をしていた。これは権力者の走狗が吐いた文句である。
百田は「沖縄は戦後,予算漬けだ。地元紙の牙城でゆがんだ世論をどう正すか」と問われて,こう答えていた。--沖縄県の地元紙2社,『沖縄タイムズ』と『琉球新報』は,潰さないといけない。あってはいけないことだが,沖縄のどこかの島が中国にとられれば目を覚ますはずだ。また,彼はこうも喝破していたという。「マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連に働きかけてほしい」。「悪影響を与えている番組を発表し,そのスポンサーを列挙すればいい」。この点は,朝日新聞や毎日新聞や東京新聞を標的にして発言したものである。
以上のやりとりがあった〈なんとか会〉(自民党の勉強不足の和若手議員らを集めた集会)における発言のなかには,「(沖縄は)左翼勢力に完全に乗っとられている。沖縄の世論のゆがみ方を正しい方向にももっていく」というものも飛びでていたそうである。
いまの自民党は保守は保守でも「最極右の国粋・反動の政治家たち」で乗っとられている。つまり,現状における日本国は彼らによって完全に「どんづまりの右寄り路線」に落ちこんでいる。
しかも,いまの自民党政権は,2014年12月衆議院選挙では4割の得票率で6割〔以上〕もの議席を与えられただけであった。これは,選挙区制度の欠陥(1票の格差についてその衆院選は3度目の「違憲状態」だとする最高裁が判断が出ている;2015年11月25日)もあっての結果である。投票率の低さ〔52.66%〕から観ても,なお問題ありの要因を提供していた。
百田尚樹の話題に戻る。『沖縄タイムズ』と『琉球新報』が邪魔だから潰してしまえといった話が,報道の自由に対する重大な侵害行為だということで大問題になっていた。これはあまりにも当然の指摘である。
日本の言論界のいまでは,そのように乱暴な発言も平然と放てる『言論の自由』が保証されている。だからといって,隣国の言論の不自由さを笑って済ませられるのか?
結局「五十歩・百歩」というほかない。もちろん「韓国=五十歩と日本=百歩」である程度の違いは認められるが……。ここでの話題について気をつけなければいけないのは,「極端な相対化」⇒「相手国を故意に無化的に見下す態度と自国側の根拠なき〈勝利感情〉」は無用・不要であり,ただ有害無益でしかないことである。
韓国に特有である常時緊迫した政治事情,北朝鮮(北韓)とのきびしい対立関係がもたらす国内事情,→南北は休戦状態にあるだけであり,いつ戦争になってもおかしくない北からの挑発はなんどもあった国の事情に対するに,
日本というこの国に潜在する政治事情に触れれば,在日米軍基地に自国を占領された状態を深刻に受けとめられる意識がほとんどない。その惨状のなかで,ただ一県〔オキナワ〕だけが,いまもなおあらためて,敗戦後がそのまま継続されている事実に対して怒っている。
隣国における言論の自由に関する「水準」を考察するに当たっては,比較政治学的な視点を当てて冷静に,均衡のとれた分析・考察をする努力が要求される。
従軍慰安婦問題についても,ちまたに流行してきた「2ちゃんねる」的に「ただ素朴で極端に無知な嫌韓論」の圏内から一歩も外に出られない閉塞論,その自慰的な排外論に終始している。これでは,生産的な議論はとうてい無理である。
④ 安倍ちゃんの笑える要求-「慰安婦像撤去,妥結の条件 首相,日韓会談で伝える 大使館前設置」(『朝日新聞』2015年11月19日朝刊)
安倍晋三首相が韓国の朴 槿恵(パク・クネ)大統領と今〔11〕月2日におこなった日韓首脳会談で,慰安婦問題を早期に妥結する条件として,ソウルの日本大使館前(現在建て替え工事中)に設置された慰安婦の被害を象徴する「少女像」の撤去を直接求めていたことが分かった。日本政府関係者が明らかにした。
少女像は,元慰安婦を支援する韓国の民間団体が2011年に設置した。日本政府はこれまでも,韓国政府に撤去を要請している。
出所)この画像は新たに制作され,韓国南部・慶尚南道巨済市に設置された旧日本軍の慰安婦を象徴する「平和の少女像」(立ち像)の除幕式での画像である(聯合ニュース 2014/01/17 17:47),http://osakacocorosan.seesaa.net/article/385607042.html
より。
11月2日にソウルであった首脳会談で,首相と大統領は慰安婦問題の早期妥結をめざすことで一致。これまで続けていた外交当局の局長級協議などを加速することで合意した。
日本政府関係者によると,首相は首脳会談の前半に行われた少人数会合の場で少女像の撤去を求めた。首相は,慰安婦問題は1965年の日韓請求権協定により,請求権に関する問題は解決済みとする従来の立場を強調。そのうえで,早期妥結には「慰安婦像の撤去が最低の条件だ」と伝えたという。
日本政府内では,韓国側が少女像の撤去に応じれば,2007年に解散した「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)のフォローアップ事業を拡充することを検討。首相本人が手紙を通じて元慰安婦たちにメッセージを送ることも選択肢としている。
少女像については11月11日にソウルであった外交当局の局長級協議でもとりあげられた。韓国外交省報道官は翌12日の記者会見で,少女像は「民間が自発的に設置した」と説明。「日本側が撤去を主張するのは本末転倒だ」とも述べ,まずは慰安婦問題の解決策を示すべきだとの見方を示した。
--この「本末転倒」だと韓国側が斬り返してきた「慰安婦少女像撤去」の要求に対する反応については,『天木直人のメールマガジン』2015年11月23日第960号がこう批評している。
これは,一国を代表する立場にある政治家が,つまり首相である安倍晋三がそのように従軍慰安婦の少女像の撤去を,政府間の正式な交渉において直接要求したという話題である。☆ 慰安婦被害者の声を無視することは
安倍首相でさえもできない ☆
慰安婦像を撤去するのが先決だと,安倍首相みずからが朴大統領に伝えたということをスクープした朝日新聞であるからこそ,このような記事が書けるのだ。きょう11月23日の朝日新聞が書いた。
韓国元慰安婦の支援団体である「韓国挺身隊問題対策協議会」の尹 美香代表が来日し,都内で記者会見をしたという。『(慰安婦像を)撤去すべきかどうかは被害者が考えることであると』。
出所)画像は,http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=142807
たとえ,この支援団体が政治的思惑で動いてるとしても,被害者に1人でも撤去に反対する者がいるかぎり,朴大統領はその声を無視できない。朴大統領が民主主義国家の大統領であるというのなら。
ましてや,被害を与えた日本の安倍首相が,そんなことを朴大統領にいえるはずがない。ところが安倍首相がみずから率先してそういったというのだ。馬鹿じゃないのか。これほど傲慢な首相はいない。これほど民主主義を否定する首相はいない。
補注)日本国内においては実際のところ,安倍晋三が「そんなこと」をおこなっている別の事実がいくらでもある。
ただ,マスコミは朝日新聞・毎日新聞・東京新聞までもが,そのへんの事実を報道できなくなっているけれども,表面的には「そんなこと」がないようにとりつくろっているだけである。
いまの日本国は,敗戦後においてみるに,民主主義が一番非常に息苦しい時代に入っている。それもこれもみな,安倍晋三のおかげである。
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〔天木の本文に戻る→〕 安倍政権の下で慰安婦問題は解決されることはないだろう。日韓関係が昔に戻ることは,少なくとも安倍首相が首相であるかぎり,ありえない。つまらない提灯記事をメディアはこれ以上書くべきではない。
註記)http://movement.main.jp/modules/d3forum/index.php?post_id=3271
出所)http://foomii.com/00001/2015112310420329951
天木直人が末尾で「つまらない提灯記事をメディアはこれ以上書くべきではない」といったのは,そうではなく,こういう記事は漏らすことなく拾え伝えろという意味に解釈しておくが,ともかくこういっていた。繰りかえす。
馬鹿じゃないのか。これほど傲慢な首相はいない。これほど〔相手国の事情に口をはさみ〕民主主義を否定する首相はいない。
しかし,日本国内では2012年12月26日以降からすでに,この「馬鹿で傲慢,民主主義を否定する」首相が,いったいなにをやってきたか。この首相のために,日本の国民・市民・住民・庶民の側で,この国じたいの民主主義がどこまで破壊されてきているかこの実情・実態について,まさかわれわれがその記憶を喪失しているわけではあるまい。
アベノミクス? 浜 矩子(同志社大学教授)は最近,『さらばアホノミクス-危機の真相-』(毎日新聞出版,2015年11月発売)を公刊していた。内政・外交の両政治面における安倍晋三の政治行動は,まさにアベデタラメミクスというほかない。この点は天木直人の前段にも指摘されたとおりである。
つぎの ⑤ に引用する記事は,1週間ほど前の『日本経済新聞』記事である。ここまでの記述を踏まえて読んでもらうことにし,本ブログ筆者の批評は,わずかしか付けくわえないことにする。
⑤「戦わずに勝つ」朴氏の戦略,慰安婦問題,日本との攻防ヤマ場 首脳会談の笑顔『「妥結』呼ぶか」(『日本経済新聞』2015年11月21日朝刊2面「総合1:真相 深層」)
安倍晋三首相と韓国の朴 槿恵(パク・クネ)大統領が就任以来,初めて2人で向き合った〔11月〕2日の日韓首脳会談。笑顔を絶やさず安倍首相を迎え入れる朴氏の姿が目を引いた。歴史認識をめぐり約2年9カ月繰り広げられた「朴氏の兵法」と安倍流外交の攻防はクライマックスに向かう。
1)2005年の教訓
朴氏には教訓がある。2005年11月,韓国・釜山でのアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議での日韓首脳会談だ。当時の小泉純一郎首相と盧 武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は小泉氏の靖国神社参拝などをめぐり激しく感情をぶつけあい,会談は30分足らずで打ち切られた。対立が決定的となり「首脳会談に失敗なし」の例外として語り草になっている。
「戦わずして勝つ」。朴氏は孫子の兵法こそが外交の力だと自著に記す。2013年2月の大統領就任後,安倍政権の歴史認識を米国や中国の力も利用して外圧でただそうとした。にもかかわらず,中国が日本との修復に動き,米国からは逆に日韓和解への努力を迫られる。訪韓した日本の要人を通じた訴えも首相官邸に響かないまま,安倍首相をソウルに迎えた。
〔11月〕1日訪韓した安倍首相の宿泊ホテルに,花器に豪華に生けられたピンク色のバラが届いた。朴大統領名のカードが添えられていた。会談で朴氏は旧日本軍による従軍慰安婦問題へのみずからの思いを粛々と伝え,最後に「緊密に首脳会談をしあえるような雰囲気づくりを心がけましょう」と告げた。
15日,トルコでの20カ国・地域(G20)首脳会議で再会した。安倍首相は昼食会で隣に座った朴氏に「日本国内の雰囲気もだいぶ良くなってきています」と声をかけた。首脳会談での言葉を覚えていたのだろう。朴氏は「そのような話が聞けてうれしい」と応じた。
韓国側は安倍首相のサプライズに期待する。2006年に最初の政権に就くなり,小泉前政権で関係が傷ついた中韓を最初の外遊先に選んだ。今〔2015〕年6月の国交正常化50年記念式典への出席は土壇場で決めた。韓国内を悲観論が覆っていた今回の首脳会談も終わってみれば「一歩前進」と評価をえた。
朴氏自身,決裂した「釜山会談」から間もない2006年3月に当時の安倍官房長官らと日本で会談し,「歴史問題さえ除けば,経済,外交,韓日交流など各分野での考えを一致させられた」という。
両首脳が合意した早期の「妥結」には「利害関係で対立している者が折れあって話をまとめる」(大辞林)との意味がある。「両首脳は国内を説得しなければならない。問題は韓国側だ」と青瓦台(大統領府)に近い専門家は話す。
ソウル中心部の日本大使館前には慰安婦を象徴する少女像が置かれている。日本は外交関係に関するウィーン条約違反だと撤去を求めている。さらに,交渉妥結後に問題を蒸しかえさないと韓国政府が保証する措置でも朴氏の指導力が欠かせない。
外交だけに専念できる余裕はない。〔11月〕6日,朴氏は赤いジャケット姿で青瓦台の会議に現れた。安倍首相や与野党代表との会談には緑色で臨んだ。
赤色は経済活性化のイメージだ。輸出低迷や雇用難を克服するため,技術革新を妨げる規制改革を関係閣僚に指示した。
韓国政界は年明けから春に向けて総選挙一色に染まる。与党内でも「親朴派」と「非朴派」の主導権争いが激しさを増す。朴氏にとって決断のハードルは高くなる。首脳会談後も韓国政府が年内の決着を求める背景だ。
信頼を寄せる李 丙琪(イ・ビョンギ)青瓦台秘書室長を,今後の対日交渉や世論対策のキーマンに据えるとみられる。朴氏の外交・安保政策のブレーンを務め,2013~14年に駐日大使を務めた知日派。安倍首相が8月に発表した戦後70年談話に,韓国政府が抑制した反応を示した背後にも李氏の意向があったとされる。
青瓦台関係者は「大統領が決断すればそれが最終決定だ。反対論は抑えられる」と朴氏の覚悟を説き,安倍首相の決断を促す。原理原則を重んじる朴氏のもとで「日本側に変化がなければ交渉に見切りをつけ『日本が悪い』と世界中に広める」とのシナリオも韓国政権内から漏れてくる。日韓の未来がかかる大一番だ。
--最後に一言だけ。安倍晋三君,大丈夫? 慰安婦の少女像が除去されれば,慰安婦問題問題が全面解決するとでもいえるのか? 以前,アメリカ議会ではすなおに従軍慰安婦問題の所在を謝罪していたけれども,当事国に対するそれにについてはすなおになれないで,いつも「イヤイヤをしてきた」のではないか。
どだい,もともと君は,従軍慰安婦問題を認めたくない立場・思想の政治家である。そのような2面相の顔つきをいつまでもしたまま無理をしていたら,身体にも精神にもこたえるのではないか。
最初の話題に戻る。朴 裕河が文学的研究をくわえた従軍慰安婦問題に対する見解は,はたして,以上に言及してきた問題の解決に寄与・貢献しうる内実が,いかほど・どのようにありうるのかという問題意識がもたれていいのである。
日本側のネトウヨ的な「言論・原始人たち」を喜ばしうるのが,《彼女の著作》だと勘違いする自由も,むろんこちら側にはある。この点は本ブログ筆者も第3者ながら,間違いなく保証したい。だが,問題の核心はそこにはない。
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