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<五輪棄民 88年ソウル大会の闇>(下) 収容者にトラウマ

兄弟福祉院にトラックで運ばれて来た孤児たち。「保護」とは名ばかりで、暴行が日常的に行われていた=兄弟福祉院事件・真相究明対策委員会提供

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兄弟福祉院に6年間、監禁された朴順伊さん。「今でも恐怖心が消えない」と話した=韓国・完州で(中村清撮影)

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 東京に次ぎ、アジアで二回目の夏季五輪開催が翌年に迫っていた一九八七年一月、釜山の「兄弟福祉院」へ捜査に乗り込んだ検察官がいた。現在はソウルで弁護士業を営む金龍元(キムヨンウォン)(60)。当時、釜山地方検察庁の蔚山(ウルサン)支部にいた金は管内で、福祉院の収容者が牧場の造成に動員されている事実を知り、内偵捜査を進めていた。

 「収容者は福祉院で番号票の付いた制服を着せられ、刑務所のようだった。韓国にこんな違法な施設が存在するのかと驚いた」

 捜査員が院長室の大型金庫をこじ開けたところ、額面三十億ウォン(約三億円)近い預金証書や日本の紙幣五百万円以上、米ドル札が収められていたという。

 三十一歳の若手検事だった金は、業務上横領や監禁などの疑いで院長を逮捕したが、直後から捜査への圧力や妨害が始まった。

 全斗煥(チョンドファン)政権の国策だった「社会浄化政策」を担った施設責任者の逮捕は衝撃的だった。釜山市長は逮捕翌日、金に電話で「院長を拘束してはだめだ」と訴えた。金によると、法相から検事総長を通じて蔚山支部に「早く釈放しろ」との指示が何度も下りてきた。

 金は施設内で死亡した収容者五百十三人の死因も捜査しようとしたが、釜山地検から止められた。結局、院長は政府の補助金横領などの罪で起訴され、一審で懲役十年、罰金六億八千万ウォン(約六千八百万円)を言い渡された。

 しかし二審の大邱(テグ)高裁では懲役四年となり、結局、八九年七月の最高裁判決で懲役二年六月の実刑判決が確定。罰金刑は消えていた。刑期を終えた院長は、釜山で障害者施設の運営やサウナなどの経営に復帰。韓国メディアによると、最近は八十歳を超える高齢で認知症の症状もあるというが、静かな老後を送っているとされる。

 一方、被害者はトラウマ(心的外傷)に苦しみ続けている。九歳から六年間、福祉院で監禁生活を強いられた朴順伊(パクスンイ)(44)は脱走して二十九年になるが、今も周囲への警戒心と恐怖心が消えず、自宅アパートでは玄関のドアが見える居間にベッドを置き、テレビをつけたままで寝ている。

 「以前の一戸建てでは防犯用に犬を二匹飼っていたが、誰かが入ってきて娘たちを連れて行くんじゃないかと不安で、二年前にアパートに引っ越した」と話す。

 被害者の韓鍾善(ハンジョンソン)(40)が二〇一二年、国会前でデモに立ち、翌年に体験談を出版したことで、事件に二十数年ぶりに光があたった。支援団体が設立され、昨年七月には野党議員が事件の真相究明に向けた特別法案を国会に提出した。

 しかし、与党の腰は重く、その後の法案審議は止まったままだ。韓国政府も昨年二月に対策会議を開いて以降、実態調査や被害補償に動く気配はない。

 市民団体「兄弟福祉院事件・真相究明対策委員会」共同代表の全圭燦(チョンギュチャン)(53)は「当時の国家権力が起こした野蛮な事件であることを政府・与党は認めたがらないが、真実究明と責任者の処罰、被害者への補償の責任を国自ら果たすべきだ」と訴えている。

 =敬称略

 (この連載は、中村清が担当しました)

 

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