余録:小津安二郎監督の「東京物語」で原節子さん演じる…
毎日新聞 2015年11月27日 02時30分
小津安二郎(おづ・やすじろう)監督の「東京物語」で原節子(はら・せつこ)さん演じる紀子(のりこ)は、戦死した夫の母親にもう再婚をと勧められる。「いいんです。私は勝手にこうしてますの」。でも年をとると独りでは寂しいと気遣う義母に紀子はほほ笑んで答える。「いいんですの。私、年をとらないことに決めてますもの」▲今も世界のどこかで映画作りを志す若い才能がこの場面、あの笑みに心を奪われているかもしれない。3年前、「東京物語」は世界の映画監督の投票で最優秀映画に選ばれた。そのなかでも紀子が美しく輝いた場面である▲「監督には今度が一番厳しくやられてますの。一言『すみません』という短いカットなのに10回撮り直しをされて」は当時のインタビューだ。1950年代の日本映画の黄金時代に女優としての絶頂期を迎えた原さんは、巨匠(きょしょう)の最高傑作を映画史に残る演技で彩った▲その原さんが今年9月に肺炎のため95歳で亡くなっていたという。日本映画の衰退が始まった60年代前半に映画出演から身を引き、小津監督の葬儀を最後に人前に姿を現さなくなって半世紀以上になる。私人として穏やかな死を迎えようという決意は固かったようだ▲「原さんは美しいまま永遠に生きている人です」。山田洋次(やまだ・ようじ)監督の追悼談話は大方のファンを代弁していよう。日本映画が最も輝いた時代、その時を止めて永遠に色あせぬ作品と演技を後世に残した原さんの静かな後半生だった。紀子のせりふそのままの選択である▲小津監督作品の最後の出演作「小早川(こはやがわ)家の秋」は原さんのせりふで終わる。「私? 私はこれでいいの。このままよ。このままが一番いいと思うの」