いじめ、差別、宗教のみならず右翼左翼、民主主義をざくざく切り込んでいく社会批判ノベル『悪の教科書』。
タイトル通り、「悪」いことが書かれているというのが触れ込みで、確かに過激な内容てんこもりだし鮮血シーンもあるバイオレンス作品かと思えば、政治思想をガンガン主張するため受けつけない受入れられないふざけんなって人も出そうな作品である。
中学生が手を出したら間違いなく精神と思想を塗りつぶされる類の奴だと思ってくれればいい。一歩間違えればプロパガンダになりかねない。
私は作品を現在の社会背景と絡めることは好きではないのだが……ただこういう作品に限っては必要な視点なんだろうなと思う。なにしろ現社会の裏側を暴く・暴こうとするエッセンスが強く、2015年の社会情勢はどうだろうか?と絶えず考えさせられてしまうからだ。とはいえ実際に "暴い" ているかはその限りではなく、盲信せず、各々で見極めたほうがいいのはもちろんである。そしてそれらを見極めるには一定以上のリテラシーを持っていなければならず、あるいはそのリテラシーを得ようとする力があるか否か試される作品だ。
劇中で高井沢亮馬が「疑問に思うことを調べるかどうかが家畜か否かの分水嶺」といったニュアンスの発言をしているが、これは本作『悪の教科書』自身もその対象になっているのは間違いない。
『悪の教科書』はオムニバス形式を採用しており、一つの章を選択するごとに主人公が変わっていく。一日一章やれば一週間以内に終わるくらいのボリュームで、頑張れば一日でクリアできると思う。
ちなみに第一章は物語のエンジンがかかるのが遅く、読むスピードにもよるが30分~1時間ほど「つまんない……やっぱフリゲってこんなもんだよな」って思ったくらいに面白くなるまでが遅い。
なので途中でやめずにラストまで駆け抜けて欲しい。
そこさえ抜ければ文体はクセが無く2章、3章とするすると読んでいけるはず。少なくとも第3章までは絶対にやってほしい。
(悪の教科書/さんだーぼると)
立ち絵は上のとおりで、テキストがワンページに表示されるノベル形式である。 絵は同人っぽい雰囲気を帯びるが読んでいるとなれるのでとくに問題は感じられない。
最後に。
本作をおすすめするかと聞かれれば「おすすめ」したい作品だ。それはこれが「社会批判」をしているからではなく「物語」として単純に楽しいからである。
いい線いってるなこれ……って思ったらライターはフロントウイング・AKABEiSOFT2等ですでに商業デビューしていてびっくり。『LOVELY×CATION』『LOVELY×CATION2』『ゆきこいめると』の有名作で企画・シナリオ等に関わっているのだそうだ。
「◯◯小説大賞に応募する発想はもう古いんだよ。実力があればどこからでも声がかかるんだからネットに公開しろ」
と言われ始めたのも納得してしまう。なろう・自前のweb小説で連載して人気が出れば――実力があれば――ファンは増え認知度は高まり書籍化も決まることもあればアニメ化もした例もある。逆に実力がなければどのレーベルに応募しようがオープンスペースで公開しようが声はかからないのはネットはもろに「市場」を相手にしているからだろうなとそんな思考がよぎる(脱線)
◆
ということでそんな『悪の教科書 Textbook Of Evil 』(2008年)をおすすめしてみる。フリーゲームだし手を出しやすいんじゃないだろうか。(blogでフリゲを扱っている三沢さんの感想聞いてみたいです。お時間あればぜひ)
DLはこちらからどうぞ。
―――――紹介文・終了―――――
ここからは『悪の教科書』の感想をさらっと語っていく。
未プレイ者は回れ右。
悪の教科書の感想
第一章をやって思うのは、私たちはいかに社会ルールの制約の元に思考をしているかということだろう。
ある問題を解決する場合「暴力」や「殺人」といった選択肢を無意識に避けながら社会的な行為に解決手段に留まりつつ最善手を模索しようとする。けれどすでにその環境が袋小路だった場合どんな手を打っても無意味になってしまうとしたらどうだろう? 後は逃げるか諦めるかだろう。
しかし『先生』とやらが指し示すものは、文字通り「悪」を促し、反社会的な行為でもって現状を打破することだ。第一章ではいじめを行っている者を殺害し主人公の悩みの原因を取り除き、第二章もまた幸せを妨害しようとする者を殺さんと"生徒"を唆す。
自分が死ぬよりは――
仲間が不幸な目に遭うよりは――
"アイツをぶっ殺そう"
これはそういう発想だ。そしてあながち間違っていない。
社会的に生きようとするのは、社会的に生きたほうが益があるからだ。それが受け取れないのであれば社会の枠組から外れてもうその生活に未練はないだろう。少なくとも「社会的生活を失ってでも欲しいものがあるならば反社会的な選択肢を選び取る事も厭わない」を知っておいたほうがいい―――そんなふうに先生こと『辻村誠次郎』は提示しているのではないか。
反社会的な選択肢を認識することは、自分がなぜ社会的に生きるかを問うことでもあり――つまり倫理とはなにかを考えることにも繋がる――家畜から抜け出す最初の一歩だと。
一章のいじめ報復殺人と二章のアルビノ差別のENDの差は彼彼女らに「仲間がいたか」だろう。真田優輝は友達も仲間もいなかったが為に、一人で悩み、一人で事をなさなければならなかった。頼るべき者がいないというのはもうそれだけで不幸な結末へ向かわせるんだろうな……って思わせる。
優輝のENDを「不幸」と見るかは悩みどころだが、宇佐美聖と比べてしまうとやは「Happyend」ではない。
すこし不思議なところがあるとすれば、優輝はなぜ「転校する」という逃げる選択を取らなかったのだろうか。いじめが深刻化するのは時間の問題だし、学校を替えれば彼の問題は解決するのは間違いないのに。
これ「親」と「先入観」の問題かなとも思える。彼は親との意思疎通がうまくいっておらず、「仲間」だとも「頼れるべき人間」とも思っていない節がある。転校となれば彼一人だけの問題ではなくなり金銭的・土地の意味合いで親に頼らざるをえなくなる。となれば「学校での問題を話さなければ」いけないのだが、それすら拒みたくなる親子環境だったのかな……。ぱっと見そこまでは酷い状況ではなさそうだったが、実際どうなのかわからない。
あとは「転校」という発想がそもそもなかったのかもしれない。親の都合で転校はあっても、いじめで転校するというのはもしかしたら彼にとってはコストが大きい選択なのかもしれない。それか「逃げる」という選択肢をネガティブなものだと思いすぎているか、あるいは彼は受験戦争に思い入れがありすぎるので「負け」ることをことさら嫌った状況が学校という閉鎖空間からの離脱を遠のかせたのだとしたら。
宇佐美の場合は、もう「あの学園」しか行ける場所はないと彼女自身思っているので「転校」という発想はないんだよね。「この学園で解決しなければならない」という発想もすでに制約がかかっている思考だ。
悪を知るとは、制約に縛られた思考を意識することと同義なのかもしれない。
◆
個人的には第三章が一番好きだ。
美樹が2度目の登校後、誠次郎に「お前言ったよな? 楽しい学校をつくるって」と問いかけ、返ってくる答えに疑いつつでも信じようとする。そして彼の元から去るシーンが脳裏を焼き付く。
その日は青く晴れ晴れとした天気。色が鮮やかに映る色彩設計で、黒髪がふわりとなびき、誠次郎の背を向けつつ頬に若干の赤みを差しながら去っていく美樹が可愛すぎる……!! この映像イメージが生まれて昂奮。
あと3章のみ最初から最後まで常に面白いのが満足度が高い。どこがどうと言語化できないくらいに文体が滲ませる物語雰囲気いいなあ……。
『先生』とやらはずっと謎の人物で、行く先々で生徒に悪を教えこむスタイルなのかなと思ったら、彼が『先生』になる過去と痛みが描かれる――妻と息子を社会によって失くす――というのは物語の密度がぐーっとあがるんだなって。
おそらくこれは「積層する時間」も関わっているのかもしれない。生徒達の話は長くても一ヶ月いかないかくらいだけれど、誠次郎の場合は10年以上の(描かれない部分があったとしても)厚みを備えた濃ゆい時間が"流れた"実感があるからだろう。
そういえば誠次郎が全てを失ったあとに崖から飛び降りた後―――後遺症を残しながら生還してしまったのだろうな…。これは4章の遥と同じで「死」が生命としての死ではなく「第一人生の死」として機能してしまった、とすれば彼が今まで社会的な教育をしていたことから一変して反社会的な教育に踏み出したのも頷ける。
――実感が人を壊し、実感こそが人を変えていく
フリゲーと侮っていたが面白かった。むしろ商業だとそもそも通らない作品なんじゃないかと気もする。あと「補修講義」という名のあとがきは完全なる蛇足で読んでしまったことを後悔orz
「悪」といえば、別路線の"悪"を貫き続ける『ギャングスタ・リパブリカ』もおもしろいですよ?
→ギャングスタ・リパブリカ 感想_悪は世界を変えていく (13975文字)
*1:どうやら公式HPは既に消滅しているらしく、とはいえ本作は無断配布を認めているため有志サイトがDLページの役割を担っているみたいだ