菅野彰
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宮城に行くと、私は海鞘(以下ホヤで統一)を食べる。
ホヤが大好きなのだが、それは宮城のホヤに、私の場合は限る。
何故なら昔々大昔、仙台で初めてホヤを食べたときに、
「なんて美味しい酒のアテなんだ!」
と感激したのに、当時住んでいた関東圏に帰って居酒屋で頼んだら、びっくりするぐらい別物の味がしたからだ。
以来私は、宮城に行ったときだけホヤを食べるようになった。
仙台駅に着いた瞬間、
「ホヤ、ホヤは何処?」
と、囀る。
しかし、この関東圏でホヤの味が激しく違ったのは太古の昔の話だ。今は流通もかなり発達していて水揚げされたホヤが冷蔵でその日のうちに都内に届いたりするだろうから、ちゃんとしたホヤなら何処で食べてもある程度美味しいのかもしれない。
私が未だに宮城以外でホヤを食べないのは、ただのおばあちゃんの記憶と習慣のようなものである。
去年仙台に行ったときも、駅中のお鮨屋さんでホヤをいただいた。
そのとき、カウンターで隣に座ってらっしゃった素敵な老婦人に、
「ホヤは貝じゃないのよ」
と、教えられた。
貝じゃない? まるで貝にしか見えないけれど、貝じゃない。
ではなんなのだろう。
調べると、脊索動物門尾索動物亜門ホヤ綱に属する海産動物と書いてある。なんなんだそれは。
結局答えはよくわからないままなのだが、確かに貝ではないらしい。
ホヤはホヤだ。
何者なのかもわからないだけのことはあって、全く正体不明の未知の物体が、ある日クール便で届いた。
「これは……!」
発泡スチロールを開けて、海水に浸かっているホヤを眺めて怯む。
パイナップルのようといえば聞こえはいいが、なんだろうこの、火星から来たみたいな外見。
「誰がどうしてこれを最初に食べてみようと思ったの?」
ゴツゴツした殻というか皮の部分を恐る恐る突いて、かつての誰かに思わず尋ねる。
「なんか……無理だ久しぶりに無理な感じだ、これ捌くの」
私は発泡スチロールの蓋を閉じて、見なかったことにして心をしばし閉ざした。
「だがしかし、私は身をもって知っている。ホヤほど新鮮さが命の食材があるだろうか。いやあるまい」
捌く準備をしなくてはと、冊子を読む。
「『爆発注意! でも一度さばくとカンタン。自分なりの食べ方でホヤを楽しもう』……なんだろうこれ、ちょっと放牧しないでよ。自分なりでいいのはアナと雪の女王だけでしょう!?」
爆発注意と書きながら、放り出すのはやめてください。
しかし自分なりに模索しなければ、ホヤの新鮮みがどんどん落ちて行くと危惧した私は、クララ一人でも立つわみたいな感じでYouTubeの動画を見まくった。
YouTubeには、親切な方々が大抵のものの捌き方をアップしてくださっている。
ホヤは体内に海水を大量に含んでいるので、あまり思い切り包丁を入れると台所が海水まみれになるということだった。
「なんとなく……わかった。六つもあるが、ホヤ。しかし新鮮さが命なので、今日全部食べよう」
ここに来て私は、ホヤをどうやって食べるか何も考えていなかったことに気づいた。
ホヤは大抵、店では刺身か酢で食べる。
「だが多分そんな量ではない。そして」
そして。
今回は一つ、大きな不安があった。
いつもの友人に、
「次はホヤだよ」
と、告げたら、
「え……私一度も食べたことがない」
と、大変困惑した顔をしたのだ。
そのとき彼女は前号の告知欄に載っていたホヤの写真を見て、とても不安そうな顔をしていた。
そうだね。ホヤの見た目って、とても人を不安にさせるよね。私だって、触らずに発泡スチロールの蓋を閉じたよ。
「友人のために、何か秋らしい副菜を考えよう」
でも私はホヤが好きなので、食べたら友人も気に入ってくれないだろうかと思いながら、YouTubeだけではなく文章で書かれたホヤの捌き方のサイトも読む。
「ホヤが駄目な人は、一口食べて駄目だったら九割がもうどうやっても食べられないということです。嫌いだという人に、美味しいから食べてと勧めるような無粋な真似はよしましょう」
そのサイトにはそんな注意書きがしてあって、私の不安は高まった。
「副菜、もう一つ用意だけしておこう」
とりあえずの副菜は、私が子どもの頃から母がよく作る、「シイタケのホイル焼き」にしようと決める。秋だからキノコだ。
シイタケの方の準備をしているうちに友人が到着する時間になって、気が重かったが私はホヤと向き合うことにした。
「うわ……」
ごめん。なんかごめん。でもなんかおまえ、グロいな……。
ホヤには口とお尻がある。まず口から取れと何を見ても書いてあるが、
「どっちが口でどっちが尻なのかはっきりしろよ……」
と、問い詰めたくなるくらいその二つは似ている。
マイナスとプラスで見分けろというのでなんとか見分けて、私はエイヤ!と包丁を入れた。
海水を出して、二つに割る。
「ねえ誰!? これ最初に食べてみようと思った人!!」
思わず台所で叫び出したくなる内容物である。
なんとか指を突っ込んで身を取り出し、内臓を取る。
「確かに……一度捌くとカンタン。なんか悔しい」
一つはとにかく、刺身にして冷蔵庫に入れた。
二つ目は、ワカメと合わせてポン酢を掛ける。
「さて、あと四つあるわけだが」
私はこの四つを、なるべく貝に近づけたいと考えた。
何故なら友人は貝がとても好きで、私は昔ホヤを貝だと思い込んでいた。
「だったらおまえは貝になるポテンシャルを持っているということだ。貝に擬態しろ!」
ありのままの私駄目なのと言いたげなホヤを、駄目だと説得しながら、火を通そうと決めた。
二つは麺つゆにつけて、フライパンで焼くことにした。
もう二つは皮付きのまま割って、日本酒で蒸す。
だいたいできあがる頃に、友人が到着した。
「……こんばんは。未知との遭遇に来たよ」
かつてないほど、友人のテンションは低い。
「無理はしないでね。無理だったら別のもの作るから!」
最初に私は、友人に言い置いた。
「ねえ、ホヤって、何? 貝?」
考えてもわからなかったのだろうことを、彼女は私に尋ねた。
「貝ではない」
「貝じゃないの?」
「でも大丈夫安心して、あなたの大好きな貝とは同じ海で暮らしている。続きは冊子を読んで、お待ちください」
友人に「東北食べる通信」を渡して、私はホヤに擬態を命じながら焼いて、蒸した。
「ねえ! もうここに、『ホヤが苦手な人にこそオススメの簡単レシピ』って書いてあるけど、苦手な人がいる前提で語られてるけど!!」
冊子を読んで、友人の不安は爆発した。
「駄目だったら違うもの作るから! お待たせしました。ホヤのお刺身、ホヤ酢、ホヤの酒蒸し、焼きホヤ、そしてシイタケのホイル焼きです」
テーブルに、できあがった料理を並べる。
特に酒蒸しが、皮がついているので友人を怯ませた。
「四種類もある……低いハードルはどれ? 忍者のように、低い木から跳ぶわ。どれが一番低い?」
「焼きホヤが一番低いと思います。酒蒸し、ホヤ酢、ホヤの刺身の順番で高くなっていきます」
「いただきます……」
友人が恐る恐る焼きホヤを皿に取っている間に、私は「純米 磐城壽」を開けた。鈴木酒造の、以前も紹介させていただいた大好きなお酒だ。
気安く、呑みやすく、海の幸とよく合い、なおかつしっかり味がある。
大好きな酒を呑みつつ、私はじっと友人を見た。
友人は一生懸命、一つ一つホヤを食べながら、何も言わない。
「無理はしなくていいんだからね?」
もう一度言って私は、自分もホヤを口に入れた。大好きなホヤの刺身だ。
「うん、新鮮、美味しい! でも思ったより磯の香りがしないかも……真水で洗いすぎてしまったかな」
「え? そう? 磯の香りしない……?」
訝しげに私を見ながら友人が、ホヤ酢を食べる。
「ん、本当だ。確かにここのハードルすごく高い! 酒蒸しとホヤ酢の間に、すごく高いハードルがある! お刺身はどんなかな!? ハローハローこんにちは、ようこそ会津においでませホヤ」
「だから無理は……!」
それでも友人は頑張って、一通り食べた。
連載の最初からほぼ毎回登場してもらっている友人の、今更ながらの解説なのだが、友人はおもしろいくらい感情が全部顔に出てしまう。
なので私は、
「美味しい?」
とは決して尋ねなかった。
ただ友人に、
「副菜も食べなよ。シイタケ」
そう勧めると友人はそれを一くち口に入れて初めて、
「美味しい!!」
と、声を上げた。
「今、初めて今日美味しいって言ったね」
「え? 違うんだよ、ホヤもね」
「全部顔に出るから、無理はしなくていいんだ。ホヤは苦手な人もたくさんいれば、大好きな人もたくさんいる。みんな違ってみんないい、そういう食べ物なんだよ」
私はホヤで、日本酒がとても進むが、友人の頑張りは見ていて申し訳ないほどであった。
「でも全部食べるよ!」
「茄子と豚肉のおろしポン酢がけ作るから、ちょっと待ってて」
闘おうとする友人を制して、私はもう一品分用意していた食材で一皿作った。
「ほら、茄子と豚肉だよ。食べて」
無理はもういいんだと友人の前にそれを置くと、友人はそれを口に入れて、泣いた。
「美味しいよう。茄子美味しいよう。豚肉美味しいよう。これね、知ってる味。知ってる味なんだよ食べたことある味なんだよう」
ううっ、と泣きながら友人は茄子と豚肉を食べた。
私は美味しいホヤと、その友人の姿を肴に、酒を呑んだ。
「ねえ、次は何?」
友人は初めて、届く食材を恐れるようになった。
「大丈夫だ次は小松菜とマッシュルームだ。野菜とキノコだよ。安心して!」
「良かった……」
肩を落として、必要以上に憔悴させてしまった友人を見送る。
私はホヤで、もう少し日本酒を呑んだ。
以前気仙沼でホヤを食べた担当鈴木が言うには、私が少し磯が薄いと思ったこのホヤが、まさに宮城の海辺で食べた味だそうだ。
「ものすごく……日本酒に合う。とても美味しい。悲しむなホヤ、おまえのことは大嫌いな人もいれば大好きな私もいるのだ」
食べちゃうけどね。
この連載始まって以来初めて友人を打ちのめしたホヤだったが、私は会津でこんな新鮮なホヤが食べられたことにひたすら驚いている。
最後になってしまったが、これは宮城県石巻市渥美貴幸さんが養殖したホヤだ。
渥美さんの仕事と流通の発達に、一人で乾杯する。
これからは宮城以外の場所でも、ホヤを食べようと私は決めた。
【次回は、秋の冷やおろし、日本酒祭り。思う存分呑みます!】
●今回のレシピ
シイタケのホイル焼き
材料
シイタケ 六個
豚肉 50グラム
バター 10グラム
レモン 四分の一
酒 大さじ二杯
醤油 大さじ二杯
作り方
シイタケの石づきを取ります。丸ごとでも、半分でも、それはお好みで。
アルミホイルに、シイタケと豚肉を適当に並べます。
レモンの輪切りを、適当に乗せます。
バターを乗せて、酒と醤油を回しかけて、アルミホイルで全体を完全に包みます。
そのまま中火に掛けた焼き網の上に乗せて、しばらくするとアルミホイルの隙間から湯気が噴き出してきます。
火傷しないように気をつけながらアルミホイルを開けて様子を見て、火が通ったと思ったらできあがり。
レモンを軽く搾って、召し上がれ。
ちなみに私は今回ホヤに気を囚われて、若干焦がしました。
●今回のお酒
磐城壽 純米酒
福島県浪江市から震災後、山形県長井市に長井蔵として酒造を継続する鈴木酒造店の定番酒。一度火入れしたあと、年間3〜5℃の理想的な貯蔵条件の雪室で熟成させた後出荷され、食中酒として冷、常温、熱燗とどんな飲み方でも楽しいお酒です。
問合せ先:
山形県長井市四ツ谷1-2-21
TEL:0238-88-2224
HP:http://www.iw-kotobuki.co.jp/
東北食べる通信
http://taberu.me/
東北の生産者にクローズアップし、特集記事とともに、彼らが収穫した季節の食がセットで届く。農山漁村と都市をつないで食の常識を変えていく新しい試みである。