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社説

原節子さん 戦後を支えた銀幕の人

 原節子さんが亡くなった。銀幕からふと姿を消して五十三年、その素顔と心の内を完璧に隠し通した美学の人。戦後昭和を遠くから照らし続けた美しい人の面影は、永遠に、色あせることがない。

 広島県尾道市。「東京物語」の舞台になった海辺のまちの料理旅館で、撮影中、原節子さんが逗留(とうりゅう)したという部屋を見せてもらったことがある。

 「ここに原節子さんがいたんですよね」

 その家の主人は、あたかも本人の気配を感じているように、誇らしげにうなずいた。

 撮影から半世紀以上が過ぎてなお、不在の部屋に名残を感じる。昨今の「レジェンド(伝説)」には、いささか安売りの感がある。だが、女優「原節子」こそ、真の生ける伝説だった。

 小津安二郎監督の「紀子三部作」のうち、出世作といわれる一作目の「晩春」を見直した。

 妻に早く先立たれ、一人娘に身のまわりの世話を焼かせ続けた父親が、自らも再婚すると偽って、娘・紀子を嫁がせる−。日常の断面を切り取った動きの少ない画面から、静けさがにじみ出るような“小津調”の典型だ。

 花嫁姿の紀子が三つ指をついて父親に別れを告げるクライマックス。原さんの大きな瞳がみるみる潤む。白い歯がのぞく口元に、ぎこちない含羞の笑み。

 白黒スタンダードサイズの画面がそこだけ天然色に染まったような、日本の美、そのものだ。

 その存在感が群を抜いているだけに、あるじなき部屋の姿見に映る虚(うつ)ろな障子の桟に、不在の悲しみが際立った。

 タイトルに「昭和二十四年完成」とある。急速に米国色に染まりつつあったその時代、原さんの存在感が、日本の美、それも、ささやかな日常に潜む美を、しみじみ思い出させてくれたのだ。

 三部作のあと二作、「麦秋」と「東京物語」のラストでも、紀子の不在と再生の予感が語られる。

 人々は敗戦による喪失を埋めてあまりある日本の美に励まされ、戦後の昭和を生き抜いたのではなかったか。

 秘すれば花−。

 女優「原節子」はモノクロだけに色あせず、人々の心の銀幕で生き続けるに違いない。華やかな昭和の残像とともに。

 

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