イエス・キリストはおよそ2000年前に生まれ、30歳前後で磔刑に処せられた。その生涯は聖書(福音書)に記されているが、早くも18世紀の啓蒙主義の時代になると、聖書の記述すべてを真実(神の言葉)とするのではなく、歴史学の手法で批判的に検討すべきだという主張が現われる。
しかしこれは、きわめて困難な試みでもあった。イエスについて膨大な文献が書かれたのは紀元313年にローマ帝国のコンスタンティヌス帝がキリスト教を公認してからで、それ以前の文書の多くは散逸し、作者や年代の特定も難しかったからだ。こうしたことから、「イエスはローマ帝国にキリスト教を布教するためにつくりだされた架空の存在」との説を唱える歴史家まで現われた。
エルサレムの旅でイエスの史跡を訪れたので、ここではイギリスの歴史家イアン・ウィルソンの『真実のイエス 伝説の謎に迫る』(紀伊国屋書店)を参考に、イエスの謎をざっとまとめてみよう。
イエスは本当に馬小屋で生まれたのか?
よく知られているように、イエスはベツレヘムの宿屋の馬小屋で生まれたとされている。しかしこれには別伝もあって、ナザレからベツレヘムへの道中にマリアが産気づいたため、近くの洞窟で出産したのだという。
ベツレヘムはエルサレムの南10キロほどのところにあるが、パレスチナ自治区内にあるため、ダマスカス門のバスターミナルからアラブバスを使う。パレスチナ自治区にはイスラエル側の交通機関は入れないが(逆も同じ)、アラブバスはパレスチナ人が運営しているので、直接ベツレヘムまで行くことができるのだ。
世界遺産にも登録されているベツレヘムは一大観光地だと思っていたが、バスに乗っているのはほとんどが地元のひとたちで、観光客は私のほかにドイツ人のカップルと中国人の女の子3人組だけだった。
バスは最初、整然と区画された住宅地を抜けていくが、これはユダヤ人の入植地で、ごみごみとした(活気にあふれた、ともいう)街に入るとパレスチナ側だ。
ベツレヘムを訪れたコンスタンティヌス帝の母ヘレナ(聖ヘレナ)は、イエスの誕生について馬小屋ではなく洞窟説を採り、当地の伝承に基づいて生誕地を定め、紀元325年に降誕(聖誕)教会を建てたとされている。教会のなかには洞窟へと降りる狭い入口があり、祭壇の下の床にイエス誕生の印が嵌め込まれている。
私は信者ではないので、混みあっているようなら遠慮しようと思ったのだが、意外に早く入れて写真も撮れた。クリスマスの時期には観光客で大変な混雑になるというが、ふだんはそれほどでもないようだ。――ちなみに、12月25日はもともとは古代ローマの冬の祭日で、それがイエスの聖誕祭に転用されたのだ。
降誕教会がなんとなくさびれた感じがするのは、ここでほんとうにイエスが生まれたかどうかわからないからだ。生誕の地としてよく知られた馬小屋ではなく洞窟が選ばれたのは、聖ヘレナがイエスの史跡を訪ねたときには300年以上前の宿屋や馬小屋はあとかたもなかったからだろう。
それ以上に困るのは、そもそもイエスがベツレヘムで生まれたという証拠がないことだ。
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