スプラトゥーンが発売されて早いもので半年が経とうとしている。絶え間なく更新され続け、ブキ、ギア、ステージの数も増え、ゲームモードも追加され、何度かの大規模なアップデートも経て、ようやくスプラトゥーンは完成形に至ったと見て良いだろう。スプラトゥーンの総括的なレビューを書くための機は熟したと言って良いだろう。時は来た。でも今更ながらに自分が昔、それも発売される前っていうか去年のE3で発表された直後に書いた記事を読み直したら我ながら良い事書いてるのね。ほぼ当たってんじゃんこの記事。もう書く事ないんじゃないのって程に。
でもまあいいや。やっぱ発売前だからおっかなびっくりで書いてたとこあるし、探り探りで書いてたとこもある。何より驚いたのは、ある程度面白いことは発売直後から予想がついていたにも関わらず、そのハードルを見事に飛び越えてしまう面白さをスプラトゥーンが持っていたということだ。おかげで今年は仕事が忙しくて碌にゲームが出来なかったにも関わらずスプラトゥーンのプレイ時間だけは300時間を余裕で超える始末である。まだまだ全然飽きていないので、当分プレイは続けるだろう。
ここまでスプラトゥーンにハマったのはゲーム自体が良く出来ているという事以上に自分がいままでゲームをやり続けながら考えてきたことと大きくリンクする部分が多かったからである。今迄考えて来たゲームに対する問題意識に向き合い、ある部分は解決し、更に先のステージへと誘うゲームだったからである。という訳でスプラトゥーンというゲームの総括的な記事を書き始めたい。まずはスプラトゥーンの大先輩とでも言うべきこのゲームに触れることから始めよう。
スーパーマリオ64が暴露してしまった3Dゲームにおけるカメラ問題
スーパーマリオ64 [WiiUで遊べるNINTENDO64ソフト][オンラインコード]
- 出版社/メーカー: 任天堂
- 発売日: 2015/04/09
- メディア: Software Download
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スーパーマリオ64(以下マリオ64)は間違いなくゲームの歴史に残る大傑作であると同時に、大問題作であるとも僕は考えている。マリオ64によって提起された問題、それは3Dに限らないあらゆるゲームにおける「カメラの存在」についてである。
このゲームでは冒頭でゲーム画面を撮影している「カメラマン」が己の存在をプレイヤーキャラクターであるマリオ、そしてゲームをプレイしている我々に申告するという非常にメタな演出が仕込まれている。
なぜこのような仕掛けが施されているのか。このゲームのディレクターを務めている宮本茂という人はあまりメタな仕掛けを好き好むタイプでは無い。にもかかわらず何故このような仕掛けがあるかと言えば、3Dゲームにとってカメラとは、「意識すべき」存在だからである。
3D空間で3人称視点のゲームが一般化した今となっては至って普通のことであるが、2Dのゲームが主流であった時代にゲーム中のカメラを操作する必要性などゲームをプレイする我々は全く考慮する必要が無かった。今になって思えば横スクロールの2Dゲームとは、ドット絵の暖かみとか言う以前にカメラとプレイヤーの操作が完全に一致していたとしても全く不自由、というよりもカメラを操作しているという意識すら感じさせないという非常に洗練された操作体系を備えた優れたゲームジャンルだったのだ。
そのようなカメラとキャラクターの蜜月時代の終わりを告げるところからマリオ64というゲームは始まる。そして、それはただただ右へ右へと移動し、あまりに明確な目標への「到達」を身上としたマリオというゲームの本質が揺らいだ時でもあった。
1996年6月21日、ニンテンドウ64とともに発売されたこのタイトルから、任天堂と3Dゲームの苦闘の歴史は幕を開けることになる。スプラトゥーンが発売される19年前の出来事である。
カメラ問題を解決したゲームジャンル
ゲームが3Dになることで、プレイヤーにはカメラを操作するという一種の「重荷」が加わることになった。この問題によって、ふるい落されたユーザーの数というのは少なくはない。特に日本国内においてその傾向は顕著だった。2Dの時は300万本超、場合によっては500万、600万という圧倒的なセールスを誇って来たマリオというゲームが3Dになると300万本の壁を超えることは未だに出来ていないという事実が、3Dによってもたらされたユーザーへのハードルの高さを物語っている。そして、3Dになることでマリオはその根本的なゲームの在り方に揺らぎが生じ、その軌道を修正するような形でシリーズを重ねることになるのだが、それはまた後ほど述べるとしよう。ここで語りたいのはゲームの3D化によってもたらされたカメラ問題に対して、完璧に近い解答を提示しているあるゲームジャンルのことだ。そのジャンルとは何か。
FPSである。
FPS、ファーストパーソンシューティングというゲームジャンルは、プレイヤーの視点とカメラを一致させること、主観視点によってゲームを進行させることによって、3Dゲームにおけるカメラ問題にほぼ完璧に近い解答を提示したゲームジャンルである。そして、離れた距離の的にも即時に着弾し、攻撃を加えることが出来る銃という武器を基本とすることによって、カメラ問題と同時に生じる、距離感の把握の困難さという問題に対してもかなり有効な解答を提示することに成功した。
近年、海外のゲームシーンが活況を呈する一方で、日本は低迷しているみたいな意見を目にするのはそう珍しいことではないし、個人的にはそのことに対して言いたい事は山ほどあるし、実際自分のブログでも散々言って来たわけだが、根本的な原因を1つ挙げろと言われれば、ゲームの3D化によって国内と海外、特に欧米シーンで生じた明暗ということを挙げたい。日本のゲームシーンはマリオ64のカメラ問題に代表されるような大きな壁にぶつかり、海外のゲームシーンは3D空間との相性が非常に良いFPSというゲームジャンルを中心に据えることで大きく飛躍することが可能になったという訳である。
では日本のゲームシーンにとって3D化とはそこまで呪いに満ちた存在だったのだろうか。実はそうでも無いのである。むしろゲームの3D化は日本のゲーム業界にとっても非常に大きな恩恵をもたらした。次の項ではそのことについて語っていこう。
日本における「ゲームの3D化」がもたらしたもの
日本においてゲームが3Dになり始めたのは何時頃だろうか?それは90年代前半から中頃にかけて起こった。SFC後期に発売された『スターフォックス』(93年)や『ワイルドトラックス』(94年)などポリゴンによって描画された3D空間のゲームが登場し始め、ゲームセンターでは『バーチャレーシング』(92年)から、デイトナUSA(93年)、リッジレーサー(93年)が登場した時期である。
それまでもSFCと同時に発売されたF-ZERO(90年)のような擬似的に3D空間を表現したゲームはあったものの、後にでたそれらのゲームは実際の3D空間がゲーム中にあった。そのインパクトは非常に大きく、特にゲームセンターの景色を明らかに変えつつあった、そんな3D黎明時代にあって、最もインパクトをユーザーに与えたタイトルと言えば、おそらくは『バーチャファイター』(93年)だろう。
格闘ゲームの金字塔【バーチャファイター】プレイ(アーケード版) 3D - YouTube
『バーチャファイター』に代表される3D格闘ゲーム、『デイトナUSA』や『リッジレーサー』によって切り開かれて行くことになる3Dレースゲームは国内市場においても大ヒットし、市場は活況を呈する事になる。これらゲームジャンルはマリオ64がぶつかる「カメラ問題」とも無縁だった。基本的に一対一で戦う格闘ゲームはカメラを真横に配置し、対戦する二人をフレーム内に収まるようにカメラワークすれば問題は無かったし、レースゲームは、プレイヤーキャラクター(ここではプレイヤーが操作する車のこと)の進行方向は基本的に前なので、急な方向転換や複雑なアクションが生じず、実はFPSに並んでカメラ問題を解消したジャンルでもある。
そんな2つのゲームジャンルに対して3D化がもたらした恩恵とはなにか。
それはキャラクターの「動き」である。
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