10月7日に内閣改造がおこなわれたことにあわせ、安倍晋三首相は「アベノミクスの第2ステージ」と称して「新・3本の矢」を発表しました。その概要は、以下のとおりです。
- 第1の矢 希望を生み出す強い経済(名目GDP600兆円の達成)
- 第2の矢 夢をつむぐ子育て支援(希望出生率1.8の実現)
- 第3の矢 安心につながる社会保障(介護離職ゼロの実現)
すでに、市民や野党からだけでなく主流派のエコノミストからさえも強い批判の声が上がっています。
その主なものは「政策を実現するための手段についてなにも言及しておらず、目標だけが独り歩きしている(「矢」ではなく「的」である)」「GDP600兆円というが、すでに政府が発表している政策目標を言いかえただけであり、なんら新味はない」というものです。当然、株式市場もこれらを「材料」視せず、日経平均に大きな動きはありませんでした。
ここでは形式的な批判を繰り返すことはしません。その中身の空虚さについて考えてみたいと思います。
空虚な「アベノミクス」の成果
安倍首相は9月24日におこなわれた総裁記者会見でこう述べています。
アベノミクスによって、雇用は100万人以上増えた。2年連続で給料も上がり、この春は、17年ぶりの高い伸びとなった。中小・小規模事業者の倒産件数も、大きく減少した。
もはや「デフレではない」という状態まで来ました。デフレ脱却は、もう目の前です。
安倍首相はこれらを踏まえて「次の3年間、私は、未来を見据えた、新たな国づくりを力強く進めていきたい」と宣言しました。
しかし第1に、「雇用が100万人増えた」と言っても、その中身は非正規雇用です。2012年4~6月期に1775万人だった非正規雇用は2015年同期に178万人増え1953万人になりました。その一方で、正規雇用は3370万人から3314万人になり、56万人も減っています。しかも、非正規雇用の賃金水準は正規雇用の6割程度にすぎません(厚労省「2014年賃金構造基本統計調査」)。
さらに、これまでも安倍政権は非正規雇用を拡大するためにさまざまな措置をとっていますし(そのもっとも大きな事例は労働者派遣法の改定)、「新・3本の矢」ではいま以上に非正規雇用を拡大する動きをみせています。政府が民間企業に投資を促すと称して設置した「官民対話」にもこうした思惑が貫かれています。10月13日、安倍首相は「投資を拡大するうえで制度的な壁があれば、聖域を設けずこの場で決める」と強調し、その一例として正社員の解雇を「厳しく制限している」とされる解雇規制を挙げています。
第2に、安倍首相は「2年連続で給料も上がり、この春は、17年ぶりの高い伸びとなった」と豪語していますが、それも見かけだけのものにすぎません。この「豪語」の根拠になっている厚労省の「春闘まとめ」の対象は、資本金10億円以上で従業員1000人以上の大企業のうち労働組合のある企業のみにすぎません。実際には、実質賃金は2013年5月から24か月連続で下落してきました。直近の7、8月はわずかに上昇したが、原因は物価上昇の鈍化です。
正規雇用に比べ待遇や労働条件で大きく見劣りする非正規雇用の増大を「成果」と呼ぶのは勝手ですが、これらのことが庶民生活にとってプラスであるわけがないのです。
空虚な目標――「GDP600兆円」
第3に、「戦後最大の経済」「戦後最大の国民生活の豊かさ」を実現するとして目標に掲げた「GDP600兆円」も画に描いた餅にすぎません。
財界代表ですらこれらの目標に疑問を呈しています。経済同友会の小林喜光代表幹事はこう述べています。
アベノミクス・フェーズ2の第一の矢と言われる、(GDPを名目で)600兆円という数字は、とんでもない、はっきりいってあり得ない数値だと思う。政治的メッセージとしか思えないが、それ(目標)に向かって、一つ一つ精緻に、政府に任せないで、われわれも個々に議論していくことが大切だと思う。3+α(%)の名目GDP成長率(が前提)なので、とてもコミットできるような数字ではない。アメリカでさえ、そんなに簡単に行くかはわからないような数字だ。
また、日本商工会議所の三村明夫会頭も「現実的にはちょっと無理だ」としています。そもそも「2020年ごろまでにGDP600兆円」を実現するには、年3%の名目成長を5年以上にわたって続ける必要がありますが、これは過去20年間で1度も実現したことない目標なのです。
しかも大企業にフレンドリーな政策をおこなったからといって庶民生活が改善するわけでもありません。2014年度の大企業決算はまたも過去最高の営業利益をはじき出しました。しかし、この年の実質GDP成長率はマイナス1.0%でした。これは、大企業の利益と経済全体の「利益」が大きくかい離していることを示します。
「新・3本の矢」は、これまでの成果をみても、新しいとされる政策目標をみても、そのためにとられる政策手段をみても、いずれの側面においても実体がなく空虚であると言わざるをえません。