2015-11-27 朝日新聞における「言論の自由」の軽重

旧日本軍の慰安婦問題についての著書「帝国の慰安婦を巡り、韓国検察に名誉毀損(きそん)で在宅起訴された朴裕河(パクユハ)・世宗大教授が朝日新聞の取材に応じた。
そして第37面です。
3段ぶち抜き顔写真付きであります
韓国の朴裕河(パクユハ)・世宗大教授が出版した旧日本軍の慰安婦問題についての著書「帝国の慰安婦」(韓国版)を巡り、ソウル東部地方検察庁が18日、朴教授を元慰安婦に対する名誉毀損(きそん)の罪で在宅起訴した。検察や韓国社会の反応をどう受け止めているのか。朴教授の考えを聞いた。
――検察からどのような調査を受けたのですか。
昨年12月から今年2月にかけ、検察や警察の取り調べを計5回受けた。告訴した元慰安婦らが指摘した53カ所の記述について説明を求められた。最初の2回の後、担当官が上司に「嫌疑なし」と報告した話を直接聞いたが、更に捜査を受けた。現場の意向が尊重されず、何らかの圧力がかかったのかと思った。
今年4月、検事が「前後の文脈はわかるが、法的には問題があるから起訴する」と通告した。抗議すると「では調停にしよう」と言われた。原告から、仮処分の判決を受けて新たに出した削除版の絶版や日本版の修正などを求められたため、応じることはできず、調停は成立しなかった。
検事は「おばあさんは売春婦だったということなのか!」と質問してきた。元慰安婦を(傷つけるような)テーマにした漫画のコピーを机にたたきつけ、「これを知らないのか」と怒鳴ったりもした。
――なぜそのような行動を取ったのでしょうか。
彼らの考え方の根底には、売春に対する差別意識や「売春婦は傷ついた人ではない」という意識がある。私は、元慰安婦を傷つけるために著書を書いたわけではない。
――検察の主張をどう受け止めますか。
検察は、虚偽の事実で元慰安婦の人格や名誉を大きく侵害し、学問の自由を逸脱していると主張している。学者としての解釈の問題に踏み込んでいる。しかし、私はすべて史料に基づいて解釈した。誰かを特定しているわけでもなく、慰安婦の過酷な状況をむしろ強調したつもりだ。「売春婦には苦痛などない」とする考え方がこうした事態を招いていると思う。
検察の主張通りなら、全ての学者はすでにある考え方を踏襲しなければならず、政府を代弁しなければいけないことになる。しかも出版後、韓国政府も20年前は私と近い理解をしていたことを知った。もちろん、私は日本の立場を代弁しているわけでもない。
――韓国内で著書に反発する声も出ています。
元慰安婦を支持する団体や男性学者には「守るべき対象は純潔でなければならない」という意識がある。元慰安婦は民族の象徴でもあり、そのイメージを変えてはいけないという考えを無意識に持っている。
私は著書のなかで、元慰安婦を「売春婦」と呼ぶ人々を批判したつもりだ。「自発的売春婦だった」と主張する一部の日本人の話を指摘し、否定した。「管理売春」「公娼(こうしょう)」という言葉は使ったが、そのような指摘をしている学者は他にもいる。私の著書を読んで、元慰安婦らを「売春婦だ」と批判する人はいないはずだ。
「元慰安婦と日本軍が同志的な関係にあった」と書いたのは、当時の全体的な枠組みを説明しただけだ。元慰安婦のなかには、似たような貧しい環境で育った日本軍兵士と良好な関係になった人もいた。すべて証言集に出てくることだ。
「例外ばかりを書いて物語を作った」と批判する人がいるが、私は異なる史料と異なる解釈で過酷な状況を強調したつもりだ。読み方が偏っていると言わざるを得ない。
――反発の声が出る背景は何でしょうか。
歴史をどう描くか、歴史にどう向き合うのかという問題。こうした根本的な問題に向き合うべき時代になった。韓国では戦後から冷戦が終わるまでの約50年間、反共が最重要な考え方で、日本について考えてこなかった。その間、戦後日本の姿は、韓国の人々に伝わっていなかった。
――今後、どのような執筆活動をしていきますか。
これから二つのことをやりたい。以前からの宿題だった、著書を拒否して批判する人々の考え方の検証。第2に終戦直後、朝鮮半島から日本に引き揚げた人々の問題を扱いたい。日本人と朝鮮人の関係を問い直す機会になるからだ。
戦争を経験していない人々が、観念的に歴史を解釈し、自己存在の証明に使う傾向がある。そうした傾向から抜け出し、真の当事者主義で歴史を見る必要がある。
大学には起訴された場合に職務解除の学則があるのだが、これからどうなるのかはわからない。不名誉であることは事実だ。一方で、徐々に私の考えを理解してくれる人々が増えているのをせめてもの幸いと考えている。(ソウル=牧野愛博)
更に、小森陽一氏や上野千鶴子氏らが「言論の自由」を「権力が抑制してはならない」と抗議声明を発したという記事も3段で紹介(しかもデジタル版では抗議声明の全文も)
旧日本軍の慰安婦についての著書「帝国の慰安婦」(韓国版)を出版した朴裕河・世宗大教授を名誉毀損(きそん)の罪で韓国の検察が在宅起訴したことに対し、日米の学者や作家、ジャーナリストら54人が26日、「言論・出版の自由や学問・芸術の自由が侵されつつあるのを憂慮」するとの抗議声明を発表した。
小森陽一・東京大教授や作家の中沢けい・法政大教授、若宮啓文・元朝日新聞主筆らが東京都内で記者会見して発表した。慰安婦問題をめぐる官房長官談話を1993年に発表した河野洋平・元衆院議長や、95年に戦後50年の首相談話を発表した村山富市・元首相も賛同人に名を連ねている。
声明では「検察庁という公権力が特定の歴史観をもとに学問や言論の自由を封圧する挙に出た」「何を事実として認定し、いかに歴史を解釈するかは学問の自由の問題。言論には言論で対抗すべきで、公権力が踏み込むべきでない」などと起訴を批判。「日韓が慰安婦問題解決の糸口を見出(いだ)そうとしているとき、起訴が両国民の感情を不必要に刺激しあい、問題の打開を阻害することも危ぶまれる」と危惧を示した。「韓国の健全な世論が動き出すこと」を期待し、「民主主義の常識と良識に恥じない裁判所の判断」を求めている。
賛同人の上野千鶴子・東京大名誉教授は会見で「書物が法廷で裁かれることに違和感を持つ。活発に議論することが言論の自由の基本。権力が抑制してはならない」と語った。
同じく賛同人として署名した木宮正史・東京大教授(朝鮮半島地域研究)は「韓国政府が検定制だった歴史教科書を国定に戻すことを含め、歴史解釈を国家権力が独占しようとする動きと言わざるを得ない。産経新聞記者の起訴に伴う出国禁止措置や、統合進歩党の解散決定の動きも含め『韓国は民主主義国家なのか』と国際的に批判される口実を与えることになりかねない」と懸念を示した。
一方、司法の問題に詳しいジャーナリストの江川紹子さんはツイッターで「慰安婦問題となると、韓国では学問の自由、出版の自由は認められないのだろうか」と書き込んだ。取材に対し「研究者が歴史に向き合って書いた学問の成果を刑事罰で対応するのは異常な事態だ」と語った。(編集委員・北野隆一)
◇
26日に発表された、「朴裕河氏の起訴に対する抗議声明」の全文は以下の通り。声明は韓国語でも発表された。
『帝国の慰安婦』の著者である朴裕河氏をソウル東部検察庁が「名誉毀損罪」で起訴したことに、私たちは強い驚きと深い憂慮の念を禁じえません。昨年11月に日本でも刊行された『帝国の慰安婦』には、「従軍慰安婦問題」について一面的な見方を排し、その多様性を示すことで事態の複雑さと背景の奥行きをとらえ、真の解決の可能性を探ろうという強いメッセージが込められていたと判断するからです。
検察庁の起訴文は同書の韓国語版について「虚偽の事実」を記していると断じ、その具体例を列挙していますが、それは朴氏の意図を虚心に理解しようとせず、予断と誤解に基づいて下された判断だと考えざるを得ません。何よりも、この本によって元慰安婦の方々の名誉が傷ついたとは思えず、むしろ慰安婦の方々の哀(かな)しみの深さと複雑さが、韓国民のみならず日本の読者にも伝わったと感じています。
そもそも「慰安婦問題」は、日本と韓国の両国民が、過去の歴史をふり返り、旧帝国日本の責任がどこまで追及されるべきかについての共通理解に達することによって、はじめて解決が見いだせるはずです。その点、朴裕河氏は「帝国主義による女性蔑視」と「植民地支配がもたらした差別」の両面を掘り下げ、これまでの論議に深みを与えました。
慰安婦が戦地において日本軍兵士と感情をともにすることがあったことや、募集に介在した朝鮮人を含む業者らの責任なども同書が指摘したことに、韓国だけでなく日本国内からも異論があるのは事実です。しかし、同書は植民地支配によってそうした状況をつくり出した帝国日本の根源的な責任を鋭く突いており、慰安婦問題に背を向けようとする日本の一部論調に与(くみ)するものでは全くありません。また、さまざまな異論も含めて慰安婦問題への関心と議論を喚起した意味でも、同書は大きな意義をもちました。
起訴文が朴氏の「誤り」の根拠として「河野談話」を引き合いに出していることにも、強い疑問を感じざるを得ません。同書は河野談話を厳密に読み込み、これを高く評価しつつ、談話に基づいた問題解決を訴えているからに他なりません。
同書の日本版はこの秋、日本で「アジア太平洋賞」の特別賞と、「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞」を相次いで受賞しました。それはまさに「慰安婦問題」をめぐる議論の深化に、新たな一歩を踏み出したことが高く評価されたからです。
昨年来、この本が韓国で名誉毀損(きそん)の民事裁判にさらされていることに私たちは憂慮の目を向けてきましたが、今回さらに大きな衝撃を受けたのは、検察庁という公権力が特定の歴史観をもとに学問や言論の自由を封圧する挙に出たからです。何を事実として認定し、いかに歴史を解釈するかは学問の自由にかかわる問題です。特定の個人を誹謗(ひぼう)したり、暴力を扇動したりするようなものは別として、言論に対しては言論で対抗すべきであり、学問の場に公権力が踏み込むべきでないのは、近代民主主義の基本原理ではないでしょうか。なぜなら学問や言論の活発な展開こそ、健全な世論の形成に大事な材料を提供し、社会に滋養を与えるものだからです。
韓国は、政治行動だけでなく学問や言論が力によって厳しく統制された独裁の時代をくぐり抜け、自力で民主化を成し遂げ、定着させた稀有(けう)の国です。私たちはそうした韓国社会の力に深い敬意を抱いてきました。しかし、いま、韓国の憲法が明記している「言論・出版の自由」や「学問・芸術の自由」が侵されつつあるのを憂慮せざるをえません。また、日韓両国がようやく慰安婦問題をめぐる解決の糸口を見出(みいだ)そうとしているとき、この起訴が両国民の感情を不必要に刺激しあい、問題の打開を阻害する要因となることも危ぶまれます。
今回の起訴をきっかけにして、韓国の健全な世論がふたたび動き出すことを、強く期待したいと思います。日本の民主主義もいま多くの問題にさらされていますが、日韓の市民社会が共鳴し合うことによって、お互いの民主主義、そして自由な議論を尊重する空気を永久に持続させることを願ってやみません。
今回の起訴に対しては、民主主義の常識と良識に恥じない裁判所の判断を強く求めるとともに、両国の言論空間における議論の活発化を切に望むものです。
2015年11月26日
賛同人一同
(なお同書に関する批判的な見解については、3月11日付『誰かの妄想・はてな版』「「帝国の慰安婦」を評価して見せている連中はこういう内容にも同意してるんですよね。」http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20150311/1426093867がありますが、今回は同署の内容には立ち入りません。)
一方で同じ第37面で、しかも同様に「言論の自由」に対する「権力の抑制」ながら、朴氏の記事の下、1段扱いなのがこちら。
歴史問題をテーマにしたシンポジウムに参加するため訪日を予定していた中国人12人について、日本政府が入国査証(ビザ)を発給しなかったことが26日、わかった。外務省は理由を明らかにしておらず、主催者側は「自由な議論を封じるもので、理解できない」と話している。
シンポは「戦争法の廃止を求め 侵略と植民地支配の歴史を直視し アジアに平和をつくる集い」(アジアと日本の連帯実行委員会主催)。27〜29日、東京都内の3会場で開かれ、日本側の研究者らの報告や講演を受けて、韓国と中国の戦争被害者らが発言する予定だった。
主催者によると、中国からの招待者は、旧日本軍の731部隊による細菌戦の被害者遺族ら12人。26日に来日し、12月1日に帰国予定だった。身元保証人の一瀬敬一郎弁護士が国会議員の秘書を通じて外務省に連絡を取ったところ、25日夕に発給されないことがわかったという。一瀬弁護士は「遺族らはこれまで何度も来日しており、ビザの発給を拒否されたことはなかった。極めて残念だ」と話す。シンポは予定通り実施するという。
更に同じく第37面ながら左端でひっそりとした扱いとなっているのがこちら。
慰安婦報道に携わった元朝日新聞記者で北星学園大(札幌市)の非常勤講師、植村隆氏(57)が26日に同大で会見し、来年春にソウルのカトリック大の客員教授に就任することを明らかにした。植村氏は「北星が一緒に闘ってくれたおかげ。心からお礼を言いたい」と述べた。植村氏をめぐっては昨年、朝日新聞記者だった頃に執筆した慰安婦関連の記事について抗議が北星学園大に殺到。退職を要求し、応じなければ学生に危害を加えるとする脅迫文も届いていた。カトリック大での任務は3月からの1年間。朝日新聞ソウル特派員の経験を生かし、日本語を学ぶ学生らに日韓交流の歴史について教えるという。
こちらは右派論客並びにネット右翼らによるものですが、脅迫行為を伴っている以上、明らかな言論弾圧と言えます。その不当性については以下記事を
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慰安婦問題で右派からリンチ受けた元朝日・植村記者が産経の阿比留記者に反撃! 産経側の失態を次々と暴露(9月25日付リテラ)
http://lite-ra.com/2015/09/post-1528.html
「韓国人慰安婦を強制連行」と書いたのは朝日でなく産経新聞だった! 植村記者に論破され阿比留記者が赤っ恥(9月27日付リテラ)
ともあれ、他国における「言論の自由への抑制」を大きく取り上げる一方、自国における「言論の自由への抑制」を(しかも他でもない朝日自身が当事者となっている事案まで)小さく扱うというのは、去年の朝日バッシングに起因した萎縮の表れではないかと疑念を抱かざるを得ません。他国をどうこう言っている場合かと思わせる位に日本社会の底が抜けている事を示す事案だからであります。