ダースレイダー対談③「日本語ラップの過去・現在・未来」

September 12, 2015

ヒップホップ界をリードするラッパー ダースレイダーさんの対談、
第3回目は「コンプレックス」についてお聞きします。

第1回はこちら、
「シェイクスピアが元祖ラッパーだ」なんていう人もいるくらいで。

第2回はこちら、
ある意味「ぶっ壊しちまえ!」みたいなね(笑)。

DSC_0072_R

留守電に自分のラップを吹き込んで、練習したりね。

平野:ところで、ラップもヒップホップも黒人のものでしょ?
日本人であることにコンプレックスってあります?

ダース:あぁ。

平野:普通に考えれば、日本人がラップをやるのって、
背後に強烈なコンプレックスがあるんじゃないかと想像しますよね。
だって黒人じゃないんだもん。

ダース:はい。

平野:「オレ、できれば黒人になりたい! 黒人に生まれたかった!」
って思っているだろうし、その裏返しとして
日本人としての強烈なアイデンティティを探す苦しみのようなものもあるかもしれないし。
それってアートにも通じる問題だと思うんですよ。

ダース:ぼくの場合、なんでラップやってみようと思ったかっていうと…。

平野:うん。

ダース:中学時代にフツーにビートルズを聴いて、
ツェッペリンやディープパープルを聴くようないわゆるロック少年で。
ロックを聴いていく中で、
どうやらこの人たちはブルースっていう黒人の音楽を
自分たちなりに翻訳してやっているらしいぞって。

平野:ストーンズが聴いてたような、黒人音楽を聴きはじめた?

ダース:そうなんです。

平野:マディ・ウォーターズとか。

ダース:あとはウッドストックの映像を見たらスライ・ストーンとかが出てきて、
この人たちがやってるのはファンクミュージックって言うらしいとか、スティービー・ワンダーとか。
ま、要するにひたすらリスナーだったわけです。

平野:ロック少年が通る道ですね。

ダース:ロックバンドをやりたかったけど、
ボーカルは相当モテるヤツで、顔もよくて歌も歌えるヤツじゃないとダメだし、
花形であるギタリストはとうぜんギターが弾けないといけない。

平野:いずれもハードルが高いと。

ダース:いちおうギターは買ってみたけど、弾けない。
だからって、やっぱり歌を歌います!って宣言するのも勇気がいるし。

平野:そうですね(笑)

ダース:それでミュージシャンにはなれそうにないなって、
中学、高校時代は諦めてたんです。

平野:うんうん。

ダース:それが受験生の頃ですね。

DSC_0043_R

平野:でも転機が訪れた?

ダース:東大を受けようと思っていたんですが、現役で受かるつもりはなくて。

平野:どうして?

ダース:高校3年生までサッカーをしていたってことが大きかったけど、
もうひとつ「大学生は浪人生にはなれないけど、浪人生は大学生になれる。
だからとりあえず浪人生になるのも悪くない」って思ったこともあって。

平野:おもしろいね。

ダース:それで駿台予備校っていう東大向けの予備校に通っていたら、
そこの自習室でラップしている人がいて。

平野:え?

ダース:迷惑な話なんですけどね。

平野:ラップを聴いてる人じゃなくて、ラップをしている人!?

ダース:ラジカセで曲をかけながら、ずっとラップをやっているんです。

平野:(笑)

ダース:その人は三浪くらいしていて、もはや諦めてる(笑)。
どっちかっていうと邪魔しに来てるわけです。

平野:(爆笑)

ダース:それで「なんだあれは?」と思って。
それまでぼくは黒人音楽も昔のファンクだったりソウルだったりは聴いていましたけど、
いわゆるヒップホップ的なものっていうのはイメージで毛嫌いしていて。

平野:なるほど。

ダース:黒人が怖い格好してやっているのは趣味じゃないって、
かなりシャットアウトしていたんです。

平野:うん。

ダース:「しょうもない人だな」と思ってたけど、
その人がやってるラップはわりとよかったんです。
しかも、これだったらぼくもできるんじゃないかと。

平野:自分には無理だと諦めていた音楽ができそうだと?

ダース:そう思ってしまって。
でも当時はラップの練習をするにも録音機材とか
何ももっていなかったんで、苦労しましたね。

平野:そうでしょう。

ダース:ただ、家には留守番電話があったんですよ。

平野:はい。

ダース:外から家に電話をかけて、留守電に自分のラップを吹き込んで、練習したりね。

平野:いい話だな。

ダース:たまに父親とか出ちゃって。

平野:(爆笑)

DSC_0028_R

ダース:そういう感じなので、
ぼくの場合は、黒人へのコンプレックスからスタートしたって感じでもないんです。

平野:なるほど。

ダース:コンプレックスがあるとしたら、
むしろピアノを習ったこともなければ、歌も歌えないという方が大きかったですね。
むしろラップでそこから解放された。
「これ、好き勝手やっちゃってるじゃん」みたいな自由さに出会えたんです。

平野:わかる。

ダース:「黒人カッコイイ!」とか、
そういったところがスタート地点ではなかったけれど、
じっさいにラップをはじめてみると、周りにアメリカに憧れる人が多いし、
とうぜん本場だから意識するようにはなりました。

平野:うん。

ダース:アフリカ・バンバータっていう
70年代末からラップをはじめた人がいるんですけど、
その人にもし「お前らがやってるのは全然違う。ラップじゃない」って言われたら…。

平野:まがいものだって?。

ダース:もしもそう言われたらどうするんだ? っていう議論はするんです。

平野:どうします?

ダース:ライムスターっていうラップグループの宇多丸さんが言ってたんですけど、
「それはたしかに最初につくったのは俺たちじゃない。
T型フォードを最初につくったのはアメリカだ。でもトヨタの車の方が絶対に性能がいい。
パスタはイタリアのものだ。でもそこにタラコを乗せたタラスパは日本のもの。
インドのカレーにトンカツの乗っけるのも日本のオリジナリティだ。
インド人には思いつかないだろう。でもカツカレーはとっても美味しいんだぞ!
こういうことをちゃんと言えるかどうか。
それが日本のヒップホップ発展に関わっている人に必要なんじゃないか」って。

平野:いいこと言うなあ。

DSC_0038_R

ダース:ぼくなんかがよく言うのは、
「たしかに英語のラップはあの人たち上手いよ。
でも日本語でやったら俺らの方が上手いから、
だから日本語でやりたかったら俺たちに教わらないとダメなんだぜ!」

平野:(笑)

ダース:そのくらいのことを言えるくらい、
日本人もちゃんとラップができるようになったとぼくは思っているんです。

平野:うん。

ダース:負け犬根性とか僻み根性で
「ちくちょう!やっぱりニューヨークはいいな!」とか
「LAに行きたいんだ!」って気持ちは絶対になくならないですけどね。
だからこそ、そこから自分たちだけのオリジナリティを
どれだけ獲得できるかっていう戦いでもあるんです。

平野:なるほど。



次回は「日本語ラップの葛藤」についてお聞きします。
お楽しみに!

DSC_0060_R

ダースレイダー

日本人のヒップホップ・ミュージシャン/トラックメイカー。
1977年フランス、パリ生れ。
少年期はロンドンで過ごす。東京大学文学部中退。
音楽に傾倒しつつも何も出来ずにいたところをラップと出会い、
独自のFUNK/SOULミュージックとしての、
HIPHOPを追求することになる。
Da.Me.Records主催。
“ファンク入道”や“RAYMOND GREEN”名義でも活動。
98年、MICADELICのメンバーとして活動開始。
2004年の『THE GARAGEFUNK THEORY』を皮切りに、
コンスタントに作品を発表。
『月刊ラップ』編集長を務め、著書も発刊。
音楽愛にあふれたMCにも定評があり、
TV番組ほかさまざまなメディアでマルチに活躍。
2014年に漢a.k.a.GAMIが率いる鎖GROUPに加入、
レーベルBLACKSWANの代表に就任した。