社説:原節子さん 「戦後」を映したスター
毎日新聞 2015年11月27日 東京朝刊
原節子さんが亡くなった。95歳だった。昭和の日本映画界の黄金期を代表する女優であり、その存在感は、たとえていえば、「スター」より「スタア」と、古き良き時代流の表記が似合いそうだ。
突然の映画界引退から半世紀余、原さんは公的な場に姿を見せず、沈黙を守り通した。現役時代を知る人はもはや少ない。訃報が広く悼まれるのは、原さんが残した演技や出演作品が、今なおみずみずしい生命を保ち、世代を超えて私たちに訴えかけてくるからに違いない。
出演101本という原さんの女優人生は戦前に始まるが、特に広く共感を得たのは、敗戦後の1940年代後半から50年代、日本の大きな変転期の諸作品ではないか。
強く、またしなやかに時代の圧迫にあらがうような演技は、貧しさの中、前途を思いあぐねていた人たちを励ましただろう。今もである。
たとえば、戦中の過酷な思想弾圧に夫らを失い、泥まみれの孤立の中にも信念を貫く「わが青春に悔なし」(46年)。貧困ゆえ囲い者にされるほどの苦難の中で、野性的な気力を失わず、純粋な愛を希求する「白痴」(51年)。いずれも黒沢明の監督作品だが、そのヒロインのまなざしは、あらゆる「うそ」を射抜くような厳しさで迫る。
また原さんが教師役で、学生らと自転車で風を切る「青い山脈」(49年、今井正監督)にみなぎる解放感も、新時代の到来を実感させた。
原さんの評価をさらに決定づけたのは、小津安二郎監督の諸作品だ。とりわけ、代表作とされるのは戦後社会の普遍的テーマを取り上げた53年の「東京物語」である。
原さんが演じたヒロイン紀子は、夫を戦争で失いながら自活し、尾道から久しぶりに上京した義父母に孝養を尽くそうとする。実の子らは善意ながら、自分たちの多忙な仕事や生活が中心で、どこか素っ気ない。
背景は、敗戦、朝鮮戦争特需、独立を経て経済復興から成長へ向かおうとしていた時代。人口の都市流入などで家族のかたちが変容し、新しい価値観が生まれ、絆も弱まる。
その中で義父母を気遣い、けなげに世話をする紀子だが、礼を言う義父に「私ずるいんです」と語る。日々の生活で、亡夫のことを思い出さない日もあるというのだ。
義父は、早く忘れて新しい人生を送ってほしいと促す……。
原さんは、しがらみの中で当時の女性が新しい一歩を踏み出す葛藤も演じ、家族変容の時代の側面を描いた。これもまた時代を超えて通じるテーマである。
原さんはこれからも映像を通し、メッセージを送り続けるだろう。