歴史秘話ヒストリア「天才か?ドラ息子か?〜尾形光琳 風神雷神図に挑む〜」 2015.11.25


ここはおよそ300年前江戸時代の京都です。
こちらのお寺に大変有名な絵があるという事なんですが…。
こちらでしょうか?ありました!日本美術史を代表する傑作「風神雷神図風」です。
金色の風の両端で向かい合う風神と雷神。
今にも動きだしそうなダイナミックな感じがします。
あれ?誰かいますね。
あの〜すみませんここで何してるんです?いやなわしはこの絵をそっくりに写してやろうと思ってな。
えっ?そっくり写す?それってもしかして絵のぱくり?ぱくり?何を言うんや!わしはやないつかこれを超える絵を描くんや。
そのためやないか!失礼な。
江戸時代初めの絵師俵屋宗達の代表作です。
この絵そっくりのコピーを描いた絵師がいます。
その名は尾形光琳。
実はこの人絵師になるつもりなんてさらさらありませんでした。
光琳は裕福な家のドラ息子。
遊びが高じて財産を食い潰します。
女好きで生涯に7人も愛人がいたという光琳は女性とのもめ事も日常茶飯事。
そんな光琳がなぜ絵を描く事に?絵師となった光琳が全力で取り組んだ事。
それは宗達の「風神雷神図」を超える傑作を描く事でした。
しかし…。
これではあかん。
どんなに工夫しても宗達の絵を超える事ができません。
自分の絵に足りないものは何か?光琳が見つけた答えとは?今年は光琳に代表される琳派が誕生して400年。
「風神雷神図」に魅せられそれを超えようと挑み続けたちょっと風変わりな男の物語です。
尾形光琳が生まれたのは太平の世となった江戸時代の初め。
京の都では商人が巨万の富を築いていました。
光琳の実家は雁金屋という皇室御用達の呉服商人。
着物は全て一点もの。
今のお金でなんと800万円にもなる高級品です。
おきさき様一人の注文だけで半年で1億円以上の売り上げがありました。
光琳は京でも指折りの裕福な家の息子だったのです。
さてその光琳は…。
いました。
通称・市之丞。
30近くになっても独身で気ままな生活を送っています。
なんやな。
あのな…。
ちょっとあんたこの女誰やの?誰って…誰やの?誰?いや…。
光琳は女性関係にはとてもだらしなかったようで何人も愛人がいました。
市之丞はん何とか言うて。
あっはい。
ただいま!お店から呼ばれた。
忙しいわあ。
逃げんといておくれやす!まあ仲良うね。
何で?市之丞はん!愛人から奉行所に訴えられ子供の養育費として家一軒銀20枚を支払った事もありました。
尾形家の人間として光琳も家業に励まないといけない立場なのですが…。
若だんさんどうぞ。
お入りやす。
忙しいよってまた。
一向に働こうとしない光琳は父の頭痛の種でした。
ところが気楽だった人生が一転します。
30歳の時に父が他界したのです。
お父はん。
なあこれからどないなるんやろ?どないて兄さんがしっかりせんとどうするんですか!堪忍…。
よいよいよいやさ。
こっち。
茶の湯や能楽などさまざまな趣味にお金を湯水のように使います。
あ〜うまい!方々に借金を作りあげく弟の権平にまでお金を借りる始末。
(光琳)すまんなあ。
おおきに。
父の死後雁金屋の商売は急速に傾き光琳は親から相続した家屋敷も手放してしまいます。
それでも一向に働こうとしない光琳。
見かねた弟の権平が訪ねてきました。
借りてる金やったらもうちょっと待ってくれへんかな。
待つんは待つけどどないして返さはるつもりなんや?弟は思いも寄らない仕事を光琳に勧めます。
なあ絵師はどうどす?昔から絵うまいんやから。
絵師?絵師…。
金を借りている手前光琳はしぶしぶ弟の助言に従う事に…。
よ〜しやるでぇ!光琳この時30半ば。
若い頃に絵を習った事はありますがそんなに簡単に絵師になれるのでしょうか?元絵の上に紙を置きなぞりながらデッサンのように線を重ねていった様子が分かります。
そうやこれも作っとかんと。
光琳。
自分のサインも練習しました。
こうして光琳は絵師としてのスタートを切ったのです。
とはいえ絵師になったからといってすぐに仕事が舞い込んでくるわけではありません。
当時団扇は庶民でも手の届く工芸品で草花を描いたものが一般的でした。
心の声普通の団扇ではつまらんなあ…。
そうやちっちゃい頃にきれいな扇を見たなぁ。
光琳がふと思い出したのは子供の頃の実家。
兄様こないな所で何するん?し〜っ!これ家の宝やで。
えほんま?きれいやろ…。
京でも指折りの裕福な家だった…中でも光琳の心を捉えたのは江戸時代初期の絵師俵屋宗達の作品。
優雅できらびやかな宗達の絵に幼い光琳はすっかり魅了されてしまったのです。
あんな団扇やったら欲しいかもしれん。
これや!うん。
団扇を金一色に塗ってきれいな花を描いた上に墨でサッと一筆。
見事な橋が架かりました。
こうした発想には俵屋宗達の影響が大きいと考えられています。
ですからそういうものが身近にあって…その時は多分そんなに深く思って接してなかったかもしれませんけど…華麗なデザインを施した光琳の団扇は都で大人気となります。
やがて評判は貴族たちの耳にも届き…ところで今度はひとつ風を描いてみてはいかが?
(光琳)へえ風ですか…。
それは寺に納める風の依頼でした。
心の声何ぞ斬新な絵が描けへんかいな?光琳が足を運んだと言われる京都・上賀茂の大田神社。
平安時代から知られる花の名所で春の終わり頃には一面にカキツバタが咲き乱れます。
心の声カキツバタか…。
しかしただカキツバタの風景を描いても面白くありません。
そんな時光琳にヒントを与えたと言われる本があります。
光琳の実家雁金屋が着物用に作った図案帳です。
さまざまな花が着物の柄としてデザインされています。
これやってみようかな。
ええかも。
尾形光琳作…光琳はカキツバタを写実的というよりはまるで着物の柄のように極めてシンプルに描いています。
満開や五分咲きつぼみなどさまざまな状態の花が描かれ単調になりがちな絵に変化を与えています。
周りの木々や橋などの背景は一切ありません。
光琳はカキツバタ以外を全て金色で塗り潰しました。
「燕子花図風」は二条家を大いに満足させました。
光琳は一躍新進気鋭の絵師としてその名を知られる事となったのです。
ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
さっそうと画壇に登場した尾形光琳。
その裏には意外な人たちの支えがありました。
京都市上京区にある妙顯寺。
江戸時代には貴族や絵師商人などが出入りする文化人のサロンのような寺でした。
光琳はその妙顯寺から活動資金を借り入れています。
さて絵師として名声を得た光琳でしたが一つの絵との出会いが運命を変えます。
京都御所の向かいにある老舗和菓子店。
この店に尾形光琳ゆかりの御菓子が伝わっていると聞いて特別に再現してもらいました。
(浅田)こちらは「色木の実」と申しまして虎屋に尾形光琳が注文した御菓子の一つでございます。
茶色白黄色の三色の生地で色づいた木の葉を表しております。
江戸時代にはこのような蒸籠に御菓子を入れてお届けしておりました。
光琳がこの御菓子を贈った相手は中村内蔵助という光琳のパトロンです。
光琳より10歳年下の内蔵助は光琳の絵にほれ込み支援を約束しました。
お好きなように描かはったらよろしいやないですか?ほんまに先生の絵は何でもおもろいんやから…。
内蔵助は光琳の絵を高額で買い取るだけでなく公私にわたり光琳の美的センスを頼りにしました。
ある時内蔵助は光琳にこんな相談を持ちかけました。
今度商売仲間の奥様方が集まる会が開かれる。
皆さん競って着飾るに違いない。
うちの妻を一番目立たせるには何を着せたらよいだろうかというのです。
光琳はある秘策を授けました。
数日後。
とあるお寺に続々と集まった裕福な商人の奥様たち。
皆さん赤や金など色とりどりに着飾っています。
(一同)ご機嫌よろしゅう。
そこへ中村内蔵助の妻が現れました。
その姿に居合わせた人々はどぎもを抜かれます。
上には絹の黒羽二重その下に白い着物を重ねつま先から頭までなんとモノトーンのいでたちだったのです。
皆様ご機嫌よろしゅう。
(一同)ご機嫌よろしゅう。
華やかな着物があふれる中ひときわ目立った白黒の衣装。
さすが光琳の指南した装いだと人々は褒めそやしたと伝えられています。
そのうわさはたちまち都じゅうに。
あのお人…。
あれがうわさの光琳ですよ。
今や誰もが知っている絵師となった光琳。
そんな光琳を訪ねてきたのが弟の権平・尾形乾山です。
何を浮かれてんねや?浮かれてへんで。
事実な今や「光琳様」いうたら当代一の絵師やからな。
すっかり有頂天になった光琳を心配した乾山は兄の目を覚まさせようとこんな事を言いだします。
私の家の近くになすごい絵がありますのや。
うん。
いっぺん見てみいな。
弟に教えられた絵はお寺に納められていました。
そこで初めて目にしたのは…。
何なんや?この絵は…。
俵屋宗達の傑作です。
向かい合うように風の左右に描かれた雷神と風神。
絵の真ん中にはただ空間が広がるだけの大胆な構図です。
その時の彼の驚きこれはもちろん大変大きかったと思いますね。
心の声この絵に比べたらわしなんてまだまだや…。
以来光琳は「風神雷神図」を見に何度も通いました。
子供の頃その美しさに魅了された宗達の絵。
しかし絵師となった今宗達は巨大な壁として光琳の前に立ち塞がったのです。
心の声これよりすごい絵を描いたる!光琳は画業にのめり込んでいきました。
しかしどうしても宗達に迫るような絵が描けません。
心の声今のままではあかん。
そんな中思いがけない転機が訪れます。
パトロンの中村内蔵助が京の都を離れるというのです。
実はお上のお役目で江戸へ行く事になりましてん。
江戸?そないな遠くへ?そのお役目誰ぞに代わってもらえやしまへんの?こればっかりは…。
そや!先生も江戸へ行かはりませんか?わてが?そら殺生や。
ハハハ…。
光琳47歳の江戸デビューです。
江戸に行けば何か絵を描くヒントがあるかも知れない。
そう考えたのです。
江戸って広いなあ…。
光琳が江戸で出会ったのはそれまで京では見た事がなかった美術の数々。
その代表格が雪舟の水墨画です。
優雅な絵とは対照的に力強い線で精神性を感じさせる雪舟の水墨画。
光琳は何枚も模写しました。
とはいえ遊び好きの光琳の事息抜きの時間も必要です。
旦那うん?どうだい?遊んでいる最中でも絵の事は忘れられないようです。
ねえまだ?あかん動いたら。
人物を写生のように生き生きと描いた浮世絵や美人画は当時京の都にはないものでした。
光琳は新しい美を次々と吸収していきます。
そして5年にわたった江戸暮らしを終えて光琳は京に戻ります。
江戸で得たさまざまな経験をもとにいよいよ宗達の絵に挑戦する事になるのです。
再び京へ戻ってきた光琳は残りの人生を絵に懸けようと決心していました。
憧れの絵師俵屋宗達に迫るため光琳がとった行動。
それは「風神雷神図」のコピーでした。
52歳で京に戻った光琳は自宅を自ら設計して建てました。
図面をもとに復元した光琳の屋敷です。
屋敷からは創作に没頭しようという光琳の強い決意がうかがえます。
建物の1階部分は広い客間や茶室など絵の依頼主や友人をもてなすための空間です。
ここからは光琳しか入れません。
上ると広々とした「絵どころ」。
アトリエです。
大工が引いた図面ではこの部屋はもともと1階にありました。
しかし光琳はこの部屋だけを2階に移して日の光を取り入れ他の部屋からは一切近づけないようにして創作に没頭したのです。
屋敷の完成から間もなく風の注文が舞い込みます。
題材はこれに決めていました。
光琳は「風神雷神図」をそっくり写す事で宗達の描き方や発想を解明しようとしました。
光琳が宗達の絵をコピーして描き上げたものです。
2006年に行われた調査で…最近の研究では…宗達が描いた「風神雷神図」の構図。
大きさや輪郭の線をそっくり写した光琳。
今度はそこにオリジナリティーを加え光琳ならではの「風神雷神図」を生み出します。
光琳は宗達の絵にはほとんど使われなかった赤絵の具を使って雷神の口に血が滴るような迫力を出しています。
雲も今にも風や雷を呼びそうに黒々とリアルに描きました。
しかし完成した自分の「風神雷神図」を見た光琳は…。
あかん。
これではあかん。
光琳の風神雷神は恐ろしい神々の迫力はありますが宗達の絵の魅力である伸び伸びとした明るい感じは失われています。
心の声この差は何なんや?わしには何が足りひんのや?これまで自分が描いてきた絵は何だったのか。
絵師としての自分の人生は何だったのか。
光琳は打ちのめされました。
すっかり自信を失った光琳はこのころ遺言を書いています。
「わしの仕事なんて大した事ない。
この先どうなるかも分からん。
わしが死んだら屋敷は妻の多代に残す」。
彼は遺書の中で…彼なりの責任感みたいなものがうかがえる。
思い悩む光琳の心を更に揺さぶる事件が起こります。
光琳最大の理解者だった内蔵助を失ったショックは大きいものでした。
兄さん…。
権平…中村様がなあ。
回想お好きなように描かはったらよろしいやないですか。
ほんまに先生の絵は何でもおもろいんやから…。
心の声こんな男が描いた絵を中村様は褒めてくれはった。
ええ所も悪い所もひっくるめて受け入れてくれはった。
中村様だけやない。
考えてみたら妻やおやじ弟にも世話をかけっ放しやった。
わしはなんて駄目な男なんや…。
そうや…。
そや…この心持ちを写すんや。
よし!光琳は筆をとりました。
(光琳)きれいな絵やなくてもええ。
わしが今まで生きてきた人生そのまんま絵に込めればええんや。
でけた。
夜に咲く梅をイメージしたと言われる紅白一対の梅の花。
鋭い枝の形など江戸で会得した水墨画の手法が発揮されています。
しかし「紅白梅図」の主役であるはずの梅は左右に追いやられ真ん中には大きな黒い川が描かれています。
全てをのみ込んでしまうような深く暗い夜の川。
紅白の梅とは対照的にまるで人生の陰の部分を思わせるような真っ黒な波の連続。
この川こそ絵の主役なのです。
江戸時代を代表する絵画として宗達の「風神雷神図」に勝るとも劣らない尾形光琳の最高傑作の誕生です。
この絵の完成から間もなく光琳は59歳で世を去りました。
今宵の「歴史秘話ヒストリア」。
最後は憧れの作品に向かって挑戦し続けた尾形光琳。
そんなお話でお別れです。
絵師の名は酒井抱一。
光琳の「風神雷神図」をコピーした抱一は光琳の熱烈なファンとして作品を収集し世の中に紹介。
埋もれていた光琳が再評価されるきっかけとなりました。
俵屋宗達から尾形光琳そして酒井抱一へ。
時代を超えたオマージュによって受け継がれていった華やかで優美な画風はやがて「琳派」と呼ばれるようになりました。
琳派誕生から400年の今年は京都を中心にさまざまなアートイベントが行われています。
京都国立博物館では琳派作品の展覧会が開かれました。
そこでは宗達・光琳・抱一の「風神雷神図」が一堂に会しました。
直接の師弟関係はなくても自分の愛した絵を独学で学びそれを超えようと新たな美を生み出していく。
それが琳派の精神なのです。
こうした絵師たちの志は現代の若者にも受け継がれています。
こちらは京都の美術大学の学生たちが「風神雷神図」や「紅白梅図」など好きな作品をさまざまな形で現代風にアレンジした作品。
高校生を対象にした工芸甲子園も開催されました。
全国140以上の高校が参加したこの大会で琳派をテーマにした作品も評価を競いました。
はちゃめちゃな人生を送りながらも憧れの作品に向かって挑戦し続け新たな美の世界を生み出した尾形光琳。
その姿は今も多くの若者に夢と勇気を与え続けているのです。
2015/11/25(水) 16:05〜16:50
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「天才か?ドラ息子か?〜尾形光琳 風神雷神図に挑む〜」[解][字][再]

日本美術の傑作「風神雷神図屏風」をそっくりコピーした絵師・尾形光琳。裕福な家のドラ息子で遊び人だった光琳が名作をコピーしたワケとは?天才絵師のハチャメチャ人生。

詳細情報
番組内容
今年は「琳派誕生400年」。琳派の名前の由来となった絵師・尾形光琳の人生は波乱万丈。もともと裕福な家のどら息子で遊び人だった光琳は、ある日ひょんなことから絵師となる。光琳が取り組んだのは俵屋宗達の傑作「風神雷神図屏風」をコピーすることだった。そこには光琳の秘めたる野望があった。ハチャメチャな光琳の人生を追いながら、数々の名作を紹介。日本美術に詳しくない人でも楽しめる軽妙な人間ドラマ。
出演者
【出演】西村和彦,【キャスター】渡邊あゆみ

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