NEXT 未来のために「私の“子どもたち”へ 宮城まり子88歳のメッセージ」 2015.11.26


障害者の生活を支援する施設ねむの木学園の園長です。
毎日絵を描いたり歌を歌ったり。
半世紀にわたって障害のある子どもたちと一緒に暮らしてきました。
昭和30年代歌手として女優として絶大な人気のあった宮城さん。
41歳の時築いた財産のほとんどを投じてねむの木学園を作りました。
障害のある子どもの親代わりとなって育ててきました。
ほら急いで急いで急いで!何してんの?早く早く!早く行かないと逃げるぞ〜!よし!う〜んタッタッタ…。
・「小さな手のひらにひとつ」子どもたちが大人になるまでずっと見守り続けてきた宮城さん。
今年88歳。
今自らの老いに直面しています。
自分にもしもの事があった時子どもたちはどうなってしまうのか。
子どもたちに何を残す事ができるのか。
限られた時間を懸命に生きる宮城まり子さんを見つめます。
ねむの木学園は静岡県掛川市にあります。
(一同)おはようございます。
9月1日。
2学期の始業式です。
(一同)おはようございます。
新学期はいつも宮城さんの言葉から始まります。
(拍手)宮城さんは4年前から車椅子が必要な生活になりました。
体調を崩す事も多くなりましたが節目の行事には必ず参加しています。
ねむの木学園には現在74人が暮らしています。
家庭に事情があり親元で暮らす事ができなくなった子どもたちです。
その多くはここで大人になりました。
宮城さんは今も子どもたちと呼んでいます。
そして子どもたちは宮城さんをお母さんと呼んでいます。
ねむの木学園が創立以来一貫して行ってきた事。
それは絵や音楽を通して感受性を育む教育です。
体が動かなくても感じる心があればいい。
宮城さんは子どもたちにペンや画材を惜しみなく与えてきました。
8年前学園内に子どもたちの作品を展示する美術館を作りました。
数万点に及ぶ作品の中から宮城さん自ら絵を選びタイトルを付けて展示しています。
花が大好きな女性の作品です。
一つ一つ夢中になって描いていると思いのほか月日がたってしまいました。
宮城さんはこんなタイトルを付けました。
空想の世界を描く事が大好きだという男性の作品です。
森で出会った妖精と子どもたちが遊んでいます。
宮城さんは子どもたちの可能性をとことん信じ深い愛情を注いできました。
宮城さんが今成長を楽しみにしている女の子がいます。
知的障害と体の障害があります。
数年前家庭のやむをえない事情でねむの木学園にやって来ました。
当初は近づく人にかみつき抱き締めようとすると怖がりました。
宮城さんはしばらくの間女の子と自分の部屋で暮らしました。
ごはんを食べる時も寝る時もずっとそばに寄り添いました。
12345678…。
宮城さんは女の子の気が済むまでかみつかせました。
宮城さんがバランスを崩してベッドから落ちました。
年齢とともに子どもと遊ぶ事が体力的にきつくなってきました。
周囲から引退を勧められる事も増えています。
しかし後継者は見つかっていません。
まだ辞める訳にはいかないと考えています。
・「俺ら貧しい靴みがき」昭和30年宮城さんが歌って大ヒットした「ガード下の靴みがき」。
一躍国民的スターとなりました。
貧しい靴みがきの少年を題材にして自分の名前が売れていく。
その事に後ろめたさを感じていました。
5年後宮城さんに転機が訪れます。
役作りのために訪れた病院で脳性まひの子どもと出会いました。
面倒を見てくれる親がなく学校にも通わせてもらえない現実に衝撃を受けました。
日本で初めて障害がある子どもたちのために作られた養護施設でした。
設立当初からねむの木学園で暮らしているとしみつさんです。
宮城さんに大きな影響を受けた一人です。
子どもの頃のとしみつさん。
脳性まひの後遺症で右の手足に障害がありました。
勉強も後れがちで周囲に心を開かない少年でした。
そのとしみつさんが変わるきっかけとなったのは宮城さんが買ってきた色とりどりのペンでした。
この日を境に絵を描く事に夢中になっていきました。
その後国内や海外の賞を受賞し個人の画集も出版されました。
としみつさんの作品にはある特色があります。
小さい子どもと大人の女性がいつも一緒にいます。
子どもは幼い頃のとしみつさん。
女性は宮城さんです。
としみつさんはいつも宮城さんがそばにいると感じて暮らしています。
この日茶室の掃除をしていたとしみつさん。
床の間に飾った花を何度も確認していました。
宮城さんが穏やかなひとときを過ごせるようにと飾った花。
ここで宮城さんに守られていると感じながらとしみつさんは成長してきました。
毎年恒例の運動会の練習です。
運動会は宮城さんが最も力を入れている行事です。
ねむの木学園の運動会が始まったのは36年前。
子どもたちが一生懸命に頑張る姿を見てもらいたいと毎年全国からたくさんの人を招いてきました。
体調を崩した4年前からは開催できるかどうか迷う事もありました。
しかし子どもたちのためにと執念で続けています。
夜7時宮城さんは調理室へ向かいました。
毎年運動会に来てくれた人に振る舞っている手作りの弁当を用意するためです。
メインのおかずは牛肉の煮物。
36年間変わらないメニューです。
家庭の味を振る舞いたいと毎年宮城さんが味付けをしてきました。
一晩で600人分。
来てくれるのは自分にもしもの事があった時子どもたちを助けてくれる支援者です。
手を抜く事はできません。
全国からねむの木学園の教育方針や子どもたちの絵に関心のある人たちが駆けつけました。
ありがとうございました。
(拍手)
(場内アナウンス)「選手入場」。
最初の競技は車椅子レース。
ところがいきなりハプニング。
宮城さんは客席に飛び入り参加を求めます。
実はこれあらかじめ準備していた宮城さんの演出です。
参加者は車椅子を体験しながら子どもたちと一緒にゴールを目指します。
客席に宮城さんの手作りの弁当が配られました。
器はねむの木学園の庭で取れた竹。
赤飯と牛肉の煮物。
年に一度運動会の日のごちそうです。
子どもたちが頑張っている姿を見てもらい一緒に楽しんでほしい。
今年も宮城さんの精いっぱいの思いを伝える事ができました。
頑張れ〜!頑張れ〜!ねむの木学園の来年のカレンダーが出来上がりました。
毎年宮城さんが選んだ子どもたちの絵で作っています。
としみつさんが一人で立ち上がる姿。
これまではいつも宮城さんと自分を一緒に描いてきました。
今年の絵に宮城さんの姿はありません。
宮城さんが付けたタイトル…宮城さんがずっとそばに寄り添っている女の子。
最近うれしい事がありました。
1年生になったお祝いに宮城さんがプレゼントしたランドセルをいつも持ち歩くようになりました。
今ほかの子どもたちと一緒に絵や音楽を学び始めています。
ねむの木学園の美術館に女の子の描いた絵が飾ってあります。
全ての子どもたちの力を信じる。
88歳になった宮城まり子さんは伝えています。

(スコット・トレーシー)
これまでの「サンダーバード」は…
2015/11/26(木) 00:10〜00:40
NHK総合1・神戸
NEXT 未来のために「私の“子どもたち”へ 宮城まり子88歳のメッセージ」[字]

「ねむの木学園」の創設者、女優・宮城まり子。88歳となり、体力に不安を抱えている。「最期の一日まで全力を尽くしたい」と言う。懸命に生きる宮城さんの日々を見つめる

詳細情報
番組内容
静岡県掛川市にある肢体不自由児のための養護施設「ねむの木学園」の創設者、女優・宮城まり子さん。47年前、私財を投じてねむの木学園を作った。今も学園の全てを取り仕切っているが88歳となり、4年前からは車いすが必要な生活となっている。それでも宮城まり子さんは「最期の一日まで全力を尽くしたい」と語り、子どもたちのために身をささげる毎日だ。半世紀にわたって宮城さんが伝えてきたもの、残してきたものを見つめる
出演者
【出演】宮城まり子,【語り】柴田祐規子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
福祉 – 障害者

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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