認知症になった母親を亡くなるまで3年にわたって撮り続けた写真集。
今年出版され注目されています。
作者は埼玉県在住の山崎弘義さん。
認知症を生きる母親のその日その日の表情と自宅の庭の移ろいを在宅介護を行いながら記録していきました。
「母がかつての母でなくなっていく様はやはり悲しくてやりきれない。
そしてシャッターを押した瞬間『この時はいつまで続くのか』と自問自答していた」。
介護って最終的には死っていう到達点に行っちゃうんですよね。
その時に何か残せるものはないかっていう事があって痕跡というかそれは…それを残したいっていう気持ちが大きく頭の中では占めていましたけども。
その一枚一枚が過ぎ去った時の確かな記憶を呼び起こします。
拒絶する事もなくカメラに収まってくれた母親と向き合った毎日。
そこにあった介護とは何なのか。
山崎さんの写真からひもといていきます。
こんばんは「ハートネットTV」です。
「リハビリ・介護を生きる」。
今日は昨日に続いて「母がいた場所」と題してお伝えしていきます。
今の冒頭の映像を一緒に見ながら「いい写真だね」って…。
柔らかくって。
老いてきてからの写真ってなかなか撮りたくても撮ってないもんなんですよ。
撮っときます。
(笑い声)ではお母様の写真を撮り続けてきたゲストをご紹介します。
写真家の山崎弘義さんです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
本当にあの写真一枚一枚にお母様の命を感じる事が私たちできますけれどもどういった思いからお母様撮影しようと思われたんでしょう?私にとっては写真を撮るっていう行為は自己表現の一つですのでふだんは介護というかそういう中で非常に時間に追われて生活している訳ですよね。
その中で自分の得意分野というかそういう撮影という行為を通してですね一旦自分の心の安定というものをはかれていたんじゃないかという気はすごくしております。
そして荒木さん今日は撮影に使っていたカメラを持ってきて頂きました。
このカメラがお母様を撮り続けた…。
大きいですね。
ふだん私たちが使うのより…。
今使ってる人非常に少なくなってしまったフィルムカメラの中判カメラといいまして…。
フィルムなんですね。
いつも何枚ぐらい撮ってたんですか?基本的には母を1枚ですね。
毎日1枚。
1回しか撮ってなかったって事ですか?一発勝負っていう…。
何枚も撮ると結局母の方へのストレスというかそういう事も発生してくるので。
本当ねすてきな表情をねお母様。
本当にいい表情です。
では山崎さんが認知症のお母様とどのように関わってこられたのかこちらをご覧下さい。
写真集の前書きに山崎さんはこう書いています。
「母の状態は時として穏やかな笑顔を見せたりあるいは問題行動を起こしたり。
いつしか私の名前も忘れがちになったがそんな母が見せた表情が写真の中にある」。
「母を撮影したあとに庭の一角を撮影。
死に向かう母と四季折々の表情を見せる植物たち。
母を介護するようになってから不思議と植物たちの息吹が気になるようになった」。
山崎さんの自宅。
母の介護をするようになって日々成長する草木の様が山崎さんの心を捉えました。
それはすごく命っていうかそういうものに対して何か鋭敏というか敏感になってるところからそういうふうになったんじゃないかという気がしてますけどね。
山崎さんは…一人息子でした。
初めて一眼レフを手にし写真の魅力に取りつかれます。
尊敬する写真家森山大道に師事し80年代から東京の路上スナップや都市近郊の風景にこだわって作品を発表してきました。
山崎さんの両親は見合い結婚。
父太三さんは大正6年生まれ。
戦後復員して上野動物園の飼育係となりチンパンジーなど類人猿飼育の名人と呼ばれました。
母いくさんは大正7年農家に生まれました。
裁縫の内職をしながら主婦として家庭を守りました。
踊りが大好きでユーモアがあり社交的な性格だったといいます。
1990年。
太三さんが突然倒れました。
重篤な脳梗塞。
一命は取り留めたものの寝たきりの状態となりました。
小柄だったいくさんは70キロ近くあった太三さんを亡くなるまでの6年間懸命に介護しました。
山崎さんもそんな母の姿を見ながら手伝いました。
(鈴の音)太三さんが亡くなって2年後。
79歳になった母いくさんに山崎さんはある時異変を感じました。
もうお正月になってるんで言葉の単純な言い違いだとは思うんですけどもちょっと何かすごく象徴的な出来事として記憶としては残ってるんですけど…。
そのころからいくさんは感情の起伏が激しくなり物忘れもひどくなりました。
病院に連れていくと診断は…次第に日常生活にも支障を来すようになり山崎さんは妻と話し合いいくさんと同居。
仕事をしながら在宅介護の道を選びました。
当時いくさんが使っていたノートです。
そこには進んでいく症状に自ら苦しんでいる姿が記されています。
「弘義君へ大変お世話さま。
黙ってこの家を出てゆきます。
黙ってこの家を出てゆきます。
探さないで下さい母より」。
ちょうど徘徊が始まりだした頃ですね。
だから文字の雰囲気からじかに伝わってくるところがあるんである種見てて居たたまれなさというかそういうものは感じるところはありますけども。
介護保険の認定を受け昼間はヘルパーさんに来てもらい夜と週末は妻と一緒にいくさんを見ました。
そして同居から2年が過ぎた頃。
「今までふんぎりがつかなかったが今日から母のポートレートを撮る事にした」。
母はいつもこたつの前のこの場所にいましてここに座ってるのが母の定位置っていうかそういう場所なんですけども。
…でここにですね発泡スチロールのボードを持ってきてこれが背中に…母がここに座ってるんでちょうど間に挟み込む感じなんですけどもあと横にもう一つ発泡スチロールのボードを用意して…。
(シャッター音)「朝6時に母を起こすと着替え朝食。
そして薬をのます。
薬は6錠程度。
入れ歯と歯茎の間に挟まってしまうと吐き出してしまう。
しっかりのみ込んだかを確認する」。
「薬をのませて一息ついたら撮影に取りかかる。
慣れた作業なので10分もあれば完了。
母は拒絶する事もなくおとなしくカメラに収まってくれる。
その際にいつも聞いていた事がある」。
「とにかく毎日聞き続ける事によりその記憶が母の中から消えない事を願った」。
山崎さんの妻純子さん。
夫を支えながら義理の母を介護しました。
純子さんはいくさんがカメラを向けられながらも弘義さんに何か答えているように感じました。
私も今日は撮られているっていうそういう何かすごく誇らしげじゃないんですけども何か一見うれしそうな感じを受けました。
そういう事をやってるなと思って多分すごく…写真集にはその日その日のいくさんと庭の写真に弘義さんの日記が添えられています。
「2001年10月18日。
布団の中母の独り言。
『お前は器量が悪いから一人で生きていくため裁縫の勉強をしろとすみさんが教えてくれた』」。
「朝母はこたつでテレビを見ている。
いい表情だと思いきや便を漏らしていた。
下ばきまでうんちが漏れている。
トイレで拭いたあと風邪をひかせないよう風呂に入れる。
便のついたももひきを洗う。
便が徐々に崩れて水に溶けていく。
午後7時に年越しそば。
母がなかなか寝つかない。
午前0時近くなると初詣の人の足音と楽しそうな話し声が聞こえてくる」。
毎日のお写真っておっしゃったので私たちが撮るように「はい撮ります。
パシャッ」っていう感じだと思ったら本格的な…。
何かね白い…。
ちゃんとね背景も。
お嫁さんから見ていても絆がやっぱりすごかった。
共同作業みたいだったっていう。
確かに撮る撮られるっていう関係を超えた何か2人の中での会話があったような気がしますけど。
白バックで撮るっていうのは母の一番いい表情を撮りたいという思いがあって撮り始めたところがあるんですけども。
本当私の家の中の母がいる定位置っていうのがあの場所だったので。
まさに「母がいた場所」っていうね。
毎日撮影をされる時にいくさんにおっしゃってた事があるんですね。
母の名前と誕生日ですね。
それから父の名前ですね。
すごく家族としては基本的な事じゃないですか。
だからそれだけは覚えていてほしいっていう思いがあって。
撮影の時も聞いてましたしちょっと時間ができると母にいろいろ質問をしてたんですが何か歌をそらんじてるというかそういうおうむ返しで言ってたんじゃないかって気は今思うと結構するんですけども。
でも間違えた事を教えてそれをこっちが言ったように答えてくれるとほっとしますもんね。
それはそうですね確かに。
いやしかしお母様よく撮影を受けて…嫌がりませんでした?拒否された事はないんですよ。
ないんですね。
ええ。
それはなぜかっていうと昔から誕生日とかお正月とか母それから父の事を撮影してたんですよね。
だからそういう事もありますし母が父を介護してた時もスナップ的な感じで結構な枚数は撮っていたのでその流れの中で今度自分が撮られてるというか。
そういう感じで認識してたんじゃないかという気はしておりますけども。
でも踊りを日舞をやられたりお父様とのツーショットなんかは本当に明るいにこやかなお母様の表情でしたけど息子さんから見たお母様ってどういうお母様でした?母は本当明朗快活というかすごく外交的でどんな人ともすぐ仲よくなってしまうというかそういう母だったんですけども。
父が亡くなる…6年間母が父を介護してたんですがその時亡くなりました。
その時の母の心情というのは私自身としてはちょっと思い至らなかったというかただその喪失感っていうのは私が感じてるものとは本当レベルが違うっていうところはあったと思います。
お父様の時とは違ってやっぱりお母様に対してこうやって毎日のお写真を残すというのはお父様の事があってお母様の病気があったからでしょうかね?それはありますね。
だからこの写真集っていうのは母が主題なんですけども私の中では父と母っていう2人のストーリーの一番最後というかそういう感じで感じてはいるんですけども。
撮影を始めて2年。
いくさんの症状は徐々に進んでいきます。
「午後介護保険の認定調査員が来訪。
母が私の名前を正確に言うと調査員が『分かるじゃん』と言う。
痴ほうは時間帯で症状が大きく変わる事を知っているのだろうか。
自立歩行ができなくなってから要介護5になったが一段階でも下がってしまうと介護サービスを受ける上で不便。
蛇口を閉められるときつい」。
次第にいくさんはかつての母ではなくなっていきます。
それでも山崎さんは毎朝同じように撮影を行いました。
シャッターを押した瞬間が明日も同じように訪れてくれるかどうか不安に思う事もありました。
だからひょっとすると…認識は撮ってる時に常に持ってましたけども。
「まだのどがゴロゴロしている。
午後9時半ころにトイレに連れていく。
しかしトイレに座らせてから右腕の様子がおかしい。
ぶらっと力が入らない感じ。
完全に動かない訳ではない。
言葉はしゃべる。
脳梗塞ではないようだ」。
そして3日後。
この日からいくさんはこたつの前の定位置に座れなくなりました。
「母を立たせようと後ろから腕を抱えた時に右腕が折れたようだ。
介助のしかたとしては正しいやり方のはずだが骨がもろくなっているのかもしれない。
このままでは寝たきりになってしまう」。
そのひとつき半後。
「夏の空気が体から力を奪っていく」。
その8日後。
「朝5時母は起きていた。
牛乳と一緒に薬をのます。
ヘルパーYさんに入れ歯を入れて食事をするよう申し送り。
出がけに母のおでこをなでる。
元気そうだ」。
「午後4時40分。
けいれん発作のためK病院に緊急入院」。
そして1か月後。
「10月10日午後1時。
おなかで検温したら40度3分。
死線をさまよっている。
同じ病室のおじいさんが息子の名前を叫んでいる」。
「昨夜から帰る訳にもいかず病院泊。
純子様がいると心強い。
あっという間に夜が明けていく。
13時50分。
急に体が波打つように3回しゃっくりしたあとに呼吸がなくなった。
若い看護師に話すと右往左往。
ドクターが来て心臓マッサージを施す。
程なく死亡を確認。
目の前で命が抜けていった。
急に終わった。
8年前父の臨終の際に母がベッドにひれ伏した姿を思い出す。
雨が降っている。
かなり強く」。
「DIARY母と庭の肖像」。
写真集の最後のページはいくさんが亡くなって2か月後の庭の写真で終わっています。
山崎さんが母いくさんと庭を写した期間は3年2か月。
1,149日に及びました。
かつては父が座りそして母がいた場所。
3,600枚の写真は母の生きた証しです。
本当に親を通して老いていくっていう事を本当に勉強させてもらいますね。
写真の中でいろんな表情もあるし自分が年を重ねていくといろんな事をもう一回先に自分が予習するかのように考えてしわを一個一個増やしていくのかなと思いました。
撮影してる時には気付かなかった事っていうのが残された写真の中から改めて見る事によって母の表情がすごく喜怒哀楽いろんな表情を見せてくれたっていう事ですね。
ある人が個性的な女優じゃないかって言ってくれたんですけども。
確かに荒木さんこうやって見てるとニコッとしてるような写真もあれば何て言うんですかね。
ちょっと斜に構えてこちらもドキッとするような鋭い視線を…。
少しにらんだぐらいの目線もありますしね。
言葉は私たち分からないですけれども当然何か物語りたいっていう心の中にあるようなそういう事を見て感じますね。
写真集の日記の中では淡々と山崎さんつづられているんですけどもお母様の介護の期間が長くなるにつれてつらさというのはどうでしょう?結局介護って1年後までなのか3年後かもっと長いのかって分かんないじゃないですか。
そういうものに自分自身が耐えられるかっていう思いと母には長く生きていってほしいっていう2つのせめぎ合いというかそういうところは介護していく中ですごく感じたところなんですけども。
今言った事は多分全ての介護なさってる方の共通の思いじゃないかって気がしてるんですけども。
何か楽しい事はついついお写真に撮ろうとするんですけどやっぱり親が老いていくっていうのをまざまざと現実を残すって事はちょっと勇気がある事でもあるんですよね。
その辺向き合うっていう事っていかがでした?カメラを通して。
実際には撮影してる時間って5分か10分じゃないですか。
…で残りの23時間50分の方がもっとつらい事がいっぱいある訳なんですよね私にとっては。
だから本当短い時間なんですけどもある種息抜きというかそういう時間であったって事は言えるとは思うんですけども。
写真を撮る事によって…。
そうですはい。
この写真集を出版した出版社に寄せられた声が読者の声もあるんですね。
ご紹介しますね50代の女性の方。
「実家の母の姿と重なり切なさで胸がいっぱいになってしまいます」。
40代の男性の方は「人の身近にある自然というものは案外浮世の喜怒哀楽に寄り添っているのかもしれないという不思議な思いにとらわれました」という。
その人それぞれの思いとこの写真集と重ね合わせるようにしてご覧になってるのかなと思いますよね。
自分ではできない事をね違った形でまた写真集を見ると親を思い出してみたり。
これからまた写真集をご覧になる方にはどのように見てもらいたいとお思いですか?私が母を介護してた6年間。
写真撮ってたのは3年2か月の期間なんですけども。
この写真集の中からですね何か一つでもいいのでヒントみたいなものを一か所でもあれば母にとっても私にとってもうれしい事ですしその事を願っていますけども。
こうやって写真撮ってみるのもいいですね。
撮りましょう撮りましょう。
やってみましょうか。
今日は写真家の山崎弘義さんをお招きしました。
どうもありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。
「きょうの健康」今回は京都よりお送りします
2015/11/26(木) 13:05〜13:35
NHKEテレ1大阪
ハートネットTV リハビリ・介護を生きる「母がいた場所〜写真家・山崎弘義〜」[字][再]
母親を長く介護し、看取った二人に二夜にわたって聞く「介護という豊かな経験の記憶」。2回目は写真家の山崎弘義さん。認知症の母親を3年間に撮り続けた写真集を出版。
詳細情報
番組内容
認知症の母親を3年間にわたって撮り続けた写真集「DIARY−母と庭の肖像」を出版した山崎弘義さん(59歳)。「今写真に残さなかったら、母の存在は忘れ去られてしまう」 撮影は2001年9月から亡くなる日まで続いた。「この瞬間はいつまで続くのか」毎朝同じ場所で一枚限り、母に話しかけながらシャッターを切った。そして同じ日の庭の一角の写真を添えた。「母がいた場所」「母が生きた日々」の意味を山崎さんに聞く。
出演者
【出演】写真家…山崎弘義,荒木由美子,【司会】山田賢治
ジャンル :
福祉 – 障害者
福祉 – 高齢者
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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