家入さんがいいことつぶやいてます。
多様性を認める。
かつての僕がそうだった様な気もするが、絶対的相対主義みたいな人増えてる気がしてならん。「絶対的に正しいことなんて一つも無い」なんてことを、絶対的に信じてる人たち。相対主義である限り、間違うことも無いしね。そこに対する違和感みたいなものは、最近すごく感じるところ。
— 家入 (@hbkr) 2015, 11月 16
「多様性を認めるべきだ」という意見があるじゃないですか。
うん、それはその通り。ぼくも、多様性は大切だと思います。
で、そういうことを書くと「イケダハヤトは東京都民をdisってる!多様性を認めてない!」という批判が来るんですw
まぁたしかに、そうも見えますね。
しかしながら、第一に、ぼくはそういう「イケダハヤト」も含めて社会の多様性を捉えています。多少挑発的で面倒な人間も、包摂できる社会がいいんじゃないでしょうかね。具体的に誰かを傷つけているわけでもありませんし。
第二に、こちらの方が重要なんですが、ぼくは「未来を語ること」がしたいのですよ。「多様性を認める」という態度から先に進んで「こういう風に生きるべきだ」という指針を提示したいんです。
いつまでも東京で消耗しているのは、未来的とはいえません。ぼくらは人間です。進化しましょう。それは、あなたを否定しているわけではありません。むしろ、あなたの可能性を信じているから、こういう言葉遣いになるのです。
マイルドな相対主義者は、未来を描けない。
家入さんが「絶対的相対主義」というキーワードを出していますが、「多様性を認めます〜」みたいなマイルドな態度って、未来を描く力が欠如している感じがするんです。
そりゃ、多様性は認められるべきです。でも、あなたはどうするの?どういう未来を信じ、どういう未来を創ろうとしているの?と思ってしまうわけです。暑苦しいですが。
「多様性を認める」という態度が、内向きの自己肯定に終わってしまっている人が多すぎます。多様性を認めるという言葉を、自分への「言い訳」に使っているパターンですね。それだけ、弱った人が多いのでしょう。悪いことではありませんが、弱っているなぁ、と思います。
行動せよ。
一義的な正義を信じるのも楽だけど、それに対して相対的な立場をとるのも楽だろう、とか言って何か考えてる風なことを言うのも楽だから、これはもう勉強し続けてくか白痴になるかしか無い
— 家入 (@hbkr) 2015, 11月 16
結局のところ、行動していくしかないと思うんですよね。体を張って。「わたしはひとまずのところ、これを絶対だと考えるし、そうあるべきだと考える。だからこのように行動する」という具合に。
多様性を認めるのは「前提」です。人々を認めあいましょう。そこから一歩進んで、あらためて、自分の考えを「わたしはこう思う」と表明し、行動し、未来を創っていくべきなのです。
東京から高知県に移住したよ!
東京を捨てて高知に移住して、丸一年。今感じていることをまとめてみた
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