午後から集会所にて足湯を行います!時間のある方是非集会所のほうで足湯を行うので…。
仮設住宅に響く若者の声。
孫ほどの世代の学生と話に花を咲かせます。
住民が楽しみにしている時間です。
震災当初がれき撤去などに汗を流したボランティア。
2011年3月からの1年間で岩手宮城福島を訪れた人はおよそ100万人。
しかしこの1年で7万人に減りました。
町が復興に向かっていく一方で実は必要なボランティアは多岐にわたり人手が足りなくなっています。
再開した漁業・農業の手伝い仮設暮らしが長引く住民のケア。
子供たちの学習支援。
こうした活動に今学生のボランティアが期待されています。
友達を誘いネットワークで大きなパワーに…。
活動を後輩に引き継ぐ事で継続的な支援が可能に。
高齢化が進む地域では世代をつなぐ役割も期待されています。
「復興サポート」。
今回は宮城県仙台市にある東北学院大学が舞台です。
ボランティアに参加した事がある人ない人。
そして東京とインターネットをつないで東北に行った事がない学生も議論に加わりました。
女優で大学生の川島海荷さんもボランティア初参加。
更には仮設住宅に学生が住み込む「いるだけ支援」も紹介。
今日は無理なく継続的にできるボランティアの在り方をとことん語り合います。
(拍手)皆さんこんにちは。
(一同)こんにちは。
本日司会を務めさせて頂きます東北学院大学災害ボランティアステーション学生代表の本間一輝と申します。
震災から4年半以上たった今として学生としてどうやって被災地に関わっていくかというところをちょっと話し合っていきたいなと思っております。
本間一輝さんが所属する東北学院大学…全国の大学102校と連携し学生を被災地に送っています。
今年9月の関東・東北豪雨では災害直後の連休で80人近い学生が農地の復旧を手伝いました。
しかし悩みは東日本大震災の被災地へ継続的にボランティアを送り込めない事です。
宮城県沿岸部で仮設住宅や港での支援を続けていますが人手が足りなくなっています。
ボランティアステーションに登録している学生は800人。
しかし参加するのは40人前後に限られています。
ボランティアが少なくなる中参加している人の実感を聞いてみました。
活動をし始めて1年半過ぎになるんですけどとにかく…ボランティアの人数が減っちゃうと質がボランティアの質が低くなっちゃって…。
活動していく中で…というのもこれから考えられるんじゃないかなと思ってます。
会場にはボランティアに一度は参加したもののその後足が遠のいてしまった人もいます。
その理由が…やはり大きな被災になればなるほど被災地の人の気持ちがよく分かんなかったりしていて例えばちょっとしたひと言が相手にとっては嫌な言葉になってしまったりするのかなって。
なんか言葉…僕はなんかその時に……というのは今思うところですかね。
今日は東京の学生も話し合いに参加して頂きますので…。
よろしくお願いします!
(一同)お願いします!
(拍手)聞きたい事は今学生がどうして求められているのか。
…という事と少しこちら側の方では復興が進んできているのではないか。
そんなにボランティアって要らないんじゃないかっていう思いも少しある事にはあります。
やっぱり行くのも時間とかかかってしまいますし行きたいのはあるんですけど…震災から4年8か月がたった今被災地以外に住む学生はボランティアについてどう思っているのでしょうか。
首都圏の大学生およそ180人に聞いたアンケートでは「東北のボランティアに参加した事があるか」という問いに6割以上が「ない」と答えました。
しかし「ない」と答えた人の中でも…きっかけがあればボランティアに参加してみたいという声が多くありました。
そこで今からボランティアに参加するにはどうしたらいいか。
東京の大学生が初めてボランティアに参加しました。
大河ドラマ「花燃ゆ」に出演していた女優の川島海荷さん。
私はあなたを憎みます。
明治大学に在籍する現役の大学生です。
学生がボランティアに参加するには大きく2つの方法があります。
一つは学校のボランティアセンターなどの組織に所属する。
もう一つは現地の社会福祉協議会やNPOが募集しているボランティアに直接参加する方法です。
今回はインターネットを見て直接申し込みます。
例えば「ボランティアインフォ」というホームページには社会福祉協議会やNPOなどからさまざまな支援を求める声が寄せられます。
耕作放棄地の農作業。
被災したペットのお世話。
子供たちの学習支援など学生に向けた募集も多く見られました。
出発前に加入しておくといいのが…1年間有効で300円ほどから入れます。
作業中くぎを踏んだり屋外の作業で熱中症になったりまた支援する相手にけがをさせたり家を破損したりする時にも補償されます。
朝8時前日に気仙沼に入りいよいよボランティア初参加の日を迎えました。
おはようございます。
川島さん動きやすい格好に着替えてボランティアモード。
活動する時は…けがの予防はもちろん寒暖の差に対応するためです。
(一同)おはようございます。
首都圏の大学生3人も一緒に活動します。
活動する前にオリエンテーションしますので…。
ボランティアを受け入れている…津波で流された写真の洗浄を行い持ち主を探す活動などを行ってきました。
ここではボランティアに初めて参加する人がいるとまずある場所へと案内します。
避難場所だったにもかかわらず津波に襲われ50人以上が亡くなりました。
若い世代が震災を忘れずに伝え続けてほしいといいます。
午前10時活動開始。
まずは海岸清掃です。
海岸には気仙沼にいまだ200人以上いる行方不明者の手がかりがあるかもしれません。
全て手作業です。
慎重に注意深く片づけます。
小さな手がかりも見逃せない作業。
人手も時間もかかります。
震災から時間がたつ中でこまやか支援も必要になっています。
午後は仮設住宅で掃除の手伝い。
ここでは100世帯の住民の半数以上が60歳以上です。
おお頭いい!そういう事か。
こっちやって…。
こっちから。
うん。
半分ずつ。
届きます?実は住民にとって何よりの楽しみは掃除のあとのお茶会です。
学生はふだんなかなか会う事ができない孫のよう。
ちょっとした身の上話をするだけでも気持ちが楽になるといいます。
この日の最後復興商店街に立ち寄りお土産を買う事に。
地元の特産物を扱うお店。
買ったのは気仙沼の魚介類が入ったクラムチャウダーにぶりのアヒージョ。
全て三陸の海の幸です。
すごい!いつの間に…。
お土産をきっかけに学校の友達や家族と東北の事を話題にしてほしいと店の人は言います。
(一同)ありがとうございました。
結構自分の中で「ボランティア」というキーワードに対して結構ハードルを高く設定しすぎていたところが多分あったんだと思います。
でもこうやって一つ一つ様子をこう見てみると……というふうに今思いましたね。
ここからは専門家に議論に加わってもらいます。
復興サポーターは関西で長らく学生ボランティアに携わってきた赤澤清孝さんです。
僕自身は今から20年ほど前に阪神・淡路大震災というのがありました。
当時僕は二十歳で成人式の次の次の日だったかな。
その時がボランティア活動とのいろんな出会いかなと思ってます。
兵庫・伊丹市出身の赤澤さんは阪神・淡路大震災を経験。
立命館大学の生協を手伝いボランティアの参加を呼びかけました。
東日本大震災では全国の1,000人を超える大学生を岩手沿岸部に送り込むプロジェクトのリーダーを務めました。
阪神・淡路大震災がひとつきっかけになって大学生のボランティアというのたくさん参加したんですけれどもやっぱり時間がたっていくとなかなか参加する人が少なくなってきたりしたというのが実際あったんですね。
今大体全国に大学と短大合わせて1,125ほどあるんですけれども今大学の中にボランティアセンターというのが置かれてるところは161なんですね。
いやぁ…自分的にはもう少しというかもっと多いと思ってたんですが意外と少ないんですね。
意外と少ないと思いますか。
あんまり大学が「しよう」と呼びかけたりだとか推進しようってそこまでしなくていいんじゃないかというような事なんかもあって活動をだんだんだんだん縮小していったり終了していったりする大学なんかもあります。
赤澤さんはボランティアを集める時チラシにちょっとした工夫を加える事で効果的になるといいます。
いわゆるフローチャートみたいになってて「人と話すのが好きですか?」と「イエス」とか「ノー」とかあって選んでいくと「こういうタイプのボランティアが向いてんじゃないですか」っていうようなこういうのあるとついやっちゃうじゃないですか。
これもある大学の例ですけれどももう直接人が通ってるところにボランティアセンターを出してしまうという。
知っている人がいたら「ちょっとお前座れ」って言ってそこでいろいろ話聞いてもらうとかね。
自分は行くか行かないか別としてよ。
その誘われたらさ誘われたらうれしくない?うれしいです。
うれしかった?うれしかった。
うれしいでしょう?Twitterで流れてくるより直接誘われた方がうれしいでしょう。
そうですね。
パッとしか見ないんでTwitterだと。
東京会場の3人はどうですか?何かを通してじゃなくて直接…というふうに思いました。
ここからは学生だからこそできる被災地とボランティアの新しい関係について考えていきます。
もう一人の復興サポーター…学生とともに「いるだけ支援」という取り組みを始めました。
復興庁の事業にも採択されています。
「いるだけ支援」っていうのは仮設住宅に学生が住んじゃうんですよね。
じゃあ何かをしなければならないという事で活動してるんではなくてまさにそこから授業に出かけていってアルバイトに行って「今日はサークルの合宿だから1泊2日で出かけてきます」なんていう事もありなんですよね。
福島市郊外にある仮設住宅。
震災と原発事故の影響で全町避難を余儀なくされた浪江町の住民250人余りが暮らしています。
この仮設住宅の空き部屋に2人の大学生が暮らし始めました。
(取材者)おはようございます。
布団1枚敷いたら終わっちゃう。
(佐藤)そうですね。
地元出身でこれまで熱心にボランティア活動を続けてきました。
おはようございます!
(取材者)おはようございます。
隣の部屋に住む…進学で福島に来た事がきっかけでボランティアに興味を持ちました。
2人はここから大学へ通います。
どっかさ行ってたんですか?いわき。
いわき?今日?「いるだけ支援」は仮設住宅に住み込む事で見えてくる住民のこまやかなニーズに応えようというものです。
暮らし始めてすぐ話をするようになった人がいました。
金井さんは夫と2人暮らし。
以前から心臓に持病があった一重さん。
震災後にはがんを患い薬が手放せません。
最近では仮設住宅から出かける事も少なくなりました。
この仮設住宅でも災害公営住宅などに引っ越す人が増えこのところ空き部屋が目立つようになりました。
(佐藤)多分B−9−5の横山さん?
(春子)あ〜もう10月だから。
(佐藤)10月の前半に引っ越されるそうだったので。
(春子)ほとんどいなくなっちゃうんだよ。
だんだんさみしくなっちゃうよな。
住む事で見えてきた住民たちの寂しさや不安。
「何ができるんだろう」。
佐藤さんは悩みました。
ただいまです。
この日高橋さんはあるものを買ってきました。
(高橋)みんなでやれたら楽しいのじゃないかと。
花札やるか?花札やる?一重さんが花札が好きだと聞き元気を出してもらいたいと考えました。
花札やろうぜ花札!集会所に集まれ〜。
はいよ!おっ!いやいや参った!同じ時を過ごす事で分かってきた住民一人一人の思い。
「いるだけ支援」を始めて3か月。
大学生の存在は欠かせないものになっていました。
2人が出かけている日金井さん夫婦は落ち着きがありません。
(春子)白い車見えないもんほら。
(取材者)あそこに止まってるはずなんですか?
(春子)うん。
あそこに止まってるのよ。
俊一君と…。
9月下旬。
高橋さんと佐藤さんの3か月間の「いるだけ支援」が終わりました。
住民たちに次に暮らす2人を紹介します。
いてぇ〜!この取り組みは後輩たちが引き継ぎ今後も続けられる予定です。
やっぱり学生がね住み込むという最大のメリットはやっぱり友達をまた呼び込めるんですよね。
「今日何月何日どこそこに行きます。
みんな集まって下さい」という事ではなくそこに航ちゃんがいる俊ちゃんがいる。
じゃああそこのアパートに遊びに行こうというのと全く一緒で。
私たちは土日とか休日にしか行かないんですけども……って改めて思って。
そういうフレーズもあると思うんですよね。
浪江町の仮設住宅を見てまずまだこういう状況が今もあるんだなという事にすごい実感をしてやっぱりふだん住んでいる時は思い出せない事だなと思いました。
話し合いに「いるだけ支援」の学生たちも加わりました。
初めの苦労とそして「いるだけ支援」をしていく中での手応えという部分をお聞きしたいと思います。
最初の苦労としては「いるだけ支援」という名称なんですけどある住民の方から「『いるだけ支援』という名前なのに全くいねえじゃねえか」というお話を実際受けた事はありました。
もちろん学生なので大学の授業とかというのもあって。
まずはその仮設住宅から大学に通うという生活リズムを作るのがものすごく大変でした。
もちろんずっとその仮設住宅にいれるわけでもないですしそこで過ごす時間の使い方とかそういうのをつかむのはなかなか難しいのかなと思います。
最初挨拶するにも結構ノックして名前確認してもう丁寧に丁寧に失礼のないようにって感じだったんですけど最近はほんとにもう「こんにちは」から「こんちは」になってそっから「ちわ〜」になって。
「入るよ」っつって入れるようになってきてだんだんだんだんその距離っていうか心の距離も縮まってきたのかなというのと。
やっぱり学生のメリットというのもあるのかなというふうに思ってます。
3か月たってほんとに人間関係が自然と出来上がったというふうに思いますけれども実を言うとやっぱりそこの中に葛藤があるんですよね。
お前ら何しに来たんだというような事だってあります。
でもこれは地域の姿というのはいろんな人が住んでますから。
そういうプロセスをねやっぱり知るという意味では…学生はそこにお住まいになってる人たちにとってみれば年齢から見ると孫なんですよね。
僕も住んじゃってもね何の意味もないんですよね。
やっぱりそのコミュニティーというのは子供からお年寄りまでというところで…学生たちが世代をつなぐ役割を担っている例は他にもあります。
「おみぎっこ禊のあとの清め酒」の「お」。
やった〜!1回休み!岩手・大町。
大学生が開いたカルタ大会です。
カルタに書かれているのは大町の吉里吉里地区に伝わる方言や風習。
「てんでんこ」とは津波が来たらてんでばらばらに逃げろ自分の命は自分で守れという意味です。
カルタを作ったのは関東にある明治学院大学のボランティアです。
明治学院大学は2011年の夏から震災の影響で勉強のおくれが出てしまった中学生への学習支援を始めました。
生徒たちから慕われ活動は後輩へと引き継がれています。
カルタを作ったきっかけそれは地域の方言をまとめた辞典が津波で流され住民から復刻してほしいと相談を受けた事でした。
方言について聞き取り調査をするうちに吉里吉里の人たちの思いに触れます。
それは…そこで楽しみながら学べるカルタを作りました。
吉里吉里カルタは小学校の教材としても使われる事になりました。
(一同)よろしくお願いします。
お願いします。
地元の人を学校に招き子供たちに吉里吉里の方言を伝えます。
カルタを通して学生が地域を結んでいます。
ここからは学生ができる支援とは何か話し合っていきます。
3つお題を出しました。
どこから考えてもらってもいいんですけども。
赤澤さんは意識してほしい3つの事を提案しました。
3つのアイデアを組み合わせ実現できそうな企画にしていきます。
それで結構参加したりしてるんですけどもその活動を生かして…一方被害の大きい沿岸部出身の学生から「needs」についての意見が出ました。
更に多くの学生に参加してもらうためPRする言葉を考えます。
「プロジェクト東北リターンズ」。
「リターン」というのはどういう?「若い世代だからできる事」。
アイデアは尽きませんでした。
では東京ではどのような意見が出てるでしょうか?こちらの意見では「『自分事』にする!」というのを一つのテーマとしていろいろ意見を出し合いました。
自分たちが何がしたいかというところなんですけど「小さい子供たちと遊ぶ!」だとか「年配の方々と孫体験をする」という意見が出ました。
自分たちにできる事はという時に「東京の方の大学のサークルの合宿先を東北地方というふうに提案する」という意見も出ました。
(拍手)では最後に赤澤さんと鈴木さんからひと言ずつ感想を頂きます。
若い力で頑張っていこうとする時のやっぱり動機というのは実を言うと顔見知りとかお友達とか仲の良い人という事だと思うんですよね。
一人で何かをやれというのはとっても難しい事なので実を言うと何かをやろうって言った時には……という形で考えていけばいいんじゃないかなというふうに。
「ボランティア」という看板を背負う必要って全然ないと思うんですよね。
突き詰めて考えていけば知らなかった人たちとの出会いみたいなものをどれだけ増やしていけるかという事がこれがボランティアの参加という事にもつながるしコミュニティーづくりって事につながっていくのかなというふうに思ってます。
何かやっぱそういう…価値があるっていうのたくさんあると思うのであんまり身構えないでね参加してみたらいいかなと思いますよね。
(拍手)ワークショップから10日余り。
宮城・七ヶ浜で地元の漁師が祭りを開きました。
七ヶ浜名物ぼっけ。
カジカの一種です。
ぼっけをみそと大根で煮込み町の人に振る舞います。
この祭りに東北学院大学から12人のボランティアが参加しました。
…というような思いも出てくるわけでしょう。
初めて参加した2年生もいました。
ずっと被災地が気になっていましたがこれまでアルバイトに追われていました。
今回は友達に誘われ背中を押されたといいます。
ここに来るまで「自分に何ができるか分からない」と不安でしたが…。
役割はとにかく子供たちと楽しむ事。
これくらいだったら多分…僕にもできたのでほんとにいろんな方々もできると思います。
ボランティアとして接するんじゃなくてなんて言うんですかねお隣さんみたいな。
家のお隣さんと接するような感じで話せたらいいなと思ってます。
若い力で東北が笑顔になりますように。
(一同)イェーイ!宮城県の東北学院大学の多賀城キャンパスにお邪魔しています。
ここで「公開復興サポート明日へin多賀城」が開かれています。
震災で大きな被害を受けた地域でNHKのおなじみの番組を公開収録する事で皆さんに笑顔と元気を届けようという試みです。
今回はこちらの会場でテレビラジオ8つの番組の公開収録そしてイベントなどが行われました。
みんな合わせて…!Eテレの…会場のみんながストレッチマンと歌ったり踊ったり楽しみました。
ストレッチのおかげで体がなんかクネクネこんなに軟らかくなってきたばい。
(拍手)怪人役のゲストはこの方。
更に会場を盛り上げました。
(2人)キャイ〜ン!このイチゴちゃんは食べるとムーンウオークができるようになるベリーよ。
心配せんでよかばい。
あたしはムーンウオークはこのとおり。
BS1の本格派自転車情報番組…元オリンピック代表の宮澤崇史さんを迎えもっと楽しくそして速く走る秘けつをお教えします。
すみませんでした!そしてイベントで開かれた…私畠山と総合テレビ「ニュースシブ5時」の松尾寺門キャスターが参加された方々から地元の自慢をたっぷり教えてもらいました。
まず最初においしいもの。
「これだけは松尾寺門に食べてほしい」というものあったら是非見せて下さい。
これは?「蒸しホヤ」。
最高のおつまみです。
蒸すとどうなるんですか?くん製みたいな…。
くん製の軟らかい感じ。
味は何か付けたりするんですか?そのまま。
(寺門)そのままで。
ほんとにおいしいです。
あと「塩から」というホヤもあります。
私たち地元はですねお正月のお雑煮がホヤのだしがないとちょっと食べれない。
ホヤのだしでとるんですか?ごめんなさい。
石巻?あっそうですか。
そうなんです。
「ナポリトンカツ」というのが…。
「ナポリトンカツ」。
ナポリタンとトンカツではない?そうです。
ナポリタンの上にトンカツ。
何でナポリタンとトンカツ一緒にしちゃうんですか?ナポリタンの上にのってるトンカツにソースをかけて食べるとそれがすごくおいしくて…。
これは知らなかった。
他にいかがですか?春は新緑そして冬の光のページェントという事でやはりあれを見ると心が癒やされるというのが…。
それはいつ見られるんですか?12月ですよね。
上旬から始まりますね。
大みそかぐらいまでですね。
トークセッションに引き続き行われた「ニュースシブ5時」の収録。
人気コーナー顔ヨガエクササイズの出張講座で皆さんリラックス。
唇を口の中に巻き込んで頂いてプッとはじくように外側に出します。
そうです!この「公開復興サポート明日へin多賀城」で収録されました番組は全国に向けて放送されます。
詳しくはホームページをご覧になって下さい。
では被災した地域で暮らす方々の今の思いです。
大船渡市越喜来で寝具と衣料の販売をしています。
震災以降仮設で頑張ってきましたが今年7月本設でたち上げる事ができここに商店街が形成されました。
ここは大船渡の越喜来にあるがれきで造った大津波資料館「潮目」です。
「潮目」という名前は「みんなが集まって交流が広がればいいな」と思って付けました。
ここは三陸鉄道の三陸駅です。
ここでは駅のホームで柿のれんをつるしています。
震災の影響でできない時期もありましたが三鉄の復活とともに再開いたしました。
柿のれんはここ三陸のふるさとの原風景です。
2015/11/24(火) 02:15〜03:05
NHK総合1・神戸
明日へ−支えあおう− 復興サポート「今こそ 若い力でボランティア!」[字][再]
被災地でボランティアとして期待される学生たち。しかし参加方法が分からなかったり、「今さら」と二の足を踏む人も多い。無理なく継続的に出来る方法を議論する。
詳細情報
番組内容
減り続ける被災地へのボランティア。いま期待されているのが学生たち。マンパワーだけでなく、活動を後輩に引き継ぐことで“継続的な支援”につなげたり、若い世代が少ない地域にとっては世代間をつなぐ重要なパイプになることも。しかし参加方法が分からず二の足を踏む学生も多い。今回は大学生で女優の川島海荷さんがボランティア体験。また東北学院大学に学生が集まり、無理なく継続的にできるボランティアのあり方を議論する。
出演者
【出演】川島海荷,【キャスター】畠山智之,【語り】高橋さとみ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
情報/ワイドショー – その他
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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