550万をアベノミクスで4600万にしましたが2015年8月の大暴落で11万まで減らして退場しました
①すこしずつ僕がお金を減らしていった過程を話していきたいと思います
以前の書き方が悪かったのですが8月の大暴落でいきなり4600万から11万までダイブしたわけではないんです
頂点は2014年春ごろで一気に減らしたのは追加緩和前の2014年10月の暴落です
②当時、2ちゃんねるにも書きましたが追加緩和前は
アメリカの緩和政策が終了するということで大きく下げましたそこで大被弾をしてしまい3000万台から1000万台へ
大きく資産を減らしてしまったのですここが大きな転換点になったと思います
③損失の確定でポルシェのボクスター1台買えてすごく悲しかったのを覚えています
あのときは右往左往した挙句、高値で先物買って底値で損切りドテン売り、戻ってきたところで損切り
見事な往復ビンタを喰らいました挙句の果てには追加緩和にまったく乗れませんでした
④その後は右往左往しながらとにかく下げてもおまるが買い上げてくれるはずということで
買い一辺倒で取引を続けたところ、2000万台に回復しました途中では2月のレンジブレイクをしっかり取りました17,900→18,950などです
その後は大きく張っては細かく利確そして、大きく張っては大きく損切り
⑥6月末のギリシャショックで20,870→19,110までさがったときは
初動はSでとれたのですがしょぼいリバに惑わされてしまい右往左往した挙句、1000万を割り込んでしまいました
このあたりからいよいよ退場かもしれないと感じてはじめました
2ちゃんに様子をうpしたりして調子に乗ってましたが心の中は大パニック状態でガタガタ震えていました
しかも知り合いに頭下げてせがまれお金を40万円貸したところ一銭も戻ってこないという不運にも見舞われました
⑧8月にはなんとか切り返して900万台、1000万まであと少しの
ところまで戻ってきましたがそこは終局へ向かう扉でした
20650→17110へ堕ちていく過程でFXのドル円で50万、NZドルで50万先物で証拠金調整で損切り、再度Lポジへ(その度にポジは小さく)
⑨ザラ場が終わった後は一応リバが入り含み益になったのですが
何度も入りなおしをしていくうちにお金はどんどんなくなりいつのまにか11万になって僕の相場との戦いは終わりました
完敗です、逃走兵となりました
⑩その後はまさしく敗戦処理
専業だー、といって借りた部屋も解約水道、電気、ネットも当然のことハロワへ行き応募を見る日々、本当に落ち込んだ
あそこの空気は非常に重く、辛かったただし相談員の方と話をしていてあることを言われました
⑪「株で大損されて大変だと思います。
でもそういった無職の期間が長ければ長いほど
正直この言葉にはとても救われた
確かに履歴書に謎の年月があればやはり変な勘ぐりをするのは当然
現実戻れるやん、やったと開きなおった
⑫その後はいくつかの企業に電話してもらうもその時点で面接までいけず弾かれた
ですがひょんなことから昔の知り合いから俺の働いてるところは募集してるからもしよかったら紹介すると言われ飛びつきました
もちろん2年半の空白については色々聞かれたそこは素直に語り、内定を貰った
ハロワからの紹介ではないにもかかわらず履歴書の添削サービスを紹介してくれて
⑭最後に退場した私から皆さんに伝えること10;10;1、買って驕るな10;2、負けてへこむな10;3、感情を捨てろ10;4、チャンスは待て10;5、損を取り戻す取引はやめろ10;6、諦めるな、生き残れ10;7、常に最善のトレードを!10;10;頑張ってください10;上の7つすべては私が出来なかったことです— 岐阜暴威 (@gihuboi99) 2015, 11月 21