ナンパって、基本的に、かなり面倒くさいですよね?
私も努力が大嫌いだし、どうにかしてラクにやろうと、
試行錯誤してきました。そこで出た結論のひとつに、
「あまり声をかけない方がいい」というのもあります。
今まで、量稽古が大事だって、何度も繰り返してきたのに、
また矛盾したこといいやがってと、思うかもしれませんが、
だって、たくさん声かけると、疲れるじゃないですか!
なんというか、粗雑になり、芸(?)が荒れるんですよ。
特に、ようやく、声はかけられるようになってからの、
無駄打ちというのは、空しくなって、挫折の元です。
実は、数じゃないんですね。大事なのは「流れ」!
まぁ、うまくいくだろうと楽観的でいれば、つまり、
運命の流れを信頼し、心をオープンにしてれば、
不思議と、どんなにサボろうが、うまくいきます。
ただし、流れに乗るためには、「あ、いこう。」と
思った瞬間に、前に飛び出し、全身で乗る。
ちょっと片足だけとかダメなんです。サーフィン
のように両足を乗せて、バランスをとっていく。
そして、波に乗ってしまえば、勝手に成功する。
たんにバランスをとっていくだけですが、この時、
リラックスしていないと、コントロールできません。
だから、リラックスこそが第一条件でしょう。
★
だいたいナンパって、声かけ始めてすぐ成功するか、
逆に、疲れて、あきらめた頃に、うまくいきませんか?
実は、この疲れたときっていうのは、体に力が入らず、
ある意味、とてつもなく、リラックスしているんですね。
努力を続けて、もうパワーがなくなったときに成功し、
「やったぜ!努力が報われた!」と思ってしまいますが、
あんたのその努力がジャマしてたんだ、というのが真相。
願望というのは、追えば、逃げます。
努力すればするほど、叶わなくなる。
力つきて、努力できなくなったから、うまくいったんです。
最初から、ゆったりやってれば、もっと早く成功している。
だから何も考えずにボーッとしてるのが一番で、
努力なんかしちゃいけません。自然体でいい。
声かけたくなかったら、かけなくていい。
イヤなことは、一個もしなくていい。
おいおい!ついこの間まで、死の覚悟とか、
なんか物々しいこと書いてたじゃないか?
そう思われるかもしれませんが、あれも努力ではなく、
まったく逆のものです。むしろ、ただのあきらめです。
生きることって心配も多いし、面倒くさいから、
もう、うまくいかなくてもいいので、死んじゃえ!
と思い切って手放すことで、ラクチンになります。
とにかく、自分から努力なんかしたくない。
全部、運命に任しちゃう。委ねちゃう。
面倒くさくて、不快なことは一切せず、
もうー、気持ちいいことしかしない!
★
正直、ナンパを通して、努力は無意味どころか、
マイナスの害しかないと、わかってきました。
自分に、ある行為を強制すると、必ず反動がくるし、
他人に対しても、無意識に強制しようとし嫌われます。
努力というのは、自分に対してのレイプです。
ムリヤリ行動させるなんて、ひどい話ですよ・・・。
もし、どうしても、自分をコントロールすべき局面なら、
自分で自分をノセて、つまり、自分で自分を口説き、
その気にさせ、気持ちよくさせなければいけません。
要するに、自分で、自分を、ナンパするしかない。
もっと詳しくいえば、理性という自分の中の「男」が、
潜在意識という「女」に声をかけて、少しずつ口説く。
そして、世界で一番口説くのが難しくて、なおかつ、
世界で一番イイ女は、自分の中の潜在意識です!
だって、ちゃんと口説き落とせて、理性と潜在意識が
結合(SEX)できたならば、何でも手に入りますよ。
努力も一切いりません。ただ想うだけでいい。
結局、今回気づいたのは、このことでした。
ナンパは、外の世界にはなかった。
自分の頭の中に、あったんですね。
2007年12月14日
自分で自分をナンパする!
posted by fmtbank at 15:20| カテゴリ無し
|
2007年12月13日
私を、へこまして!もっと!もっとよ!
いやー、やっぱり、ナンパ人生って最高ですね!
最近、なんともいえぬ幸福感が続いています。
とかいってますが、ついその前日はドン底気分でした。
タチが悪そうな女の集団ばかりに声かけて、いかにして、
イニシアチブをとるか実験してたのですが、全然ダメで、
しまいには、チアリーディングの集団に「俺を応援しろ」と、
本気で直訴していたら、担任の先生に突き飛ばされて、
ムシャクシャし、その後、他のギャルとも、あわやケンカに!
ただやる気が出ないので、応援してほしかっただけなのに・・。
でも、こういう時って、面白いように、誰にも相手にされない。
えらい凹んでしまって、もう終わりだ、引退の時がきた、
と弱気で家に帰り、カップラーメンなどの体に悪いもの、
ジャンクフードをたらふく食って、涙目で眠りました。
しかし、夜中の3時頃に目が覚めて、突然のことです!
インスピレーションがドドッと、滝のように流れ落ちてきて、
とりつかれたようにメモしまくりました。もうイタコ状態です。
来ました、来ました、来ましたよ!
久しぶりに、来ましたよ!
それは、凹んだときに必ずくる、
例の、「再構築」でした。
★
人間って不思議なんです。傷ついたり、ひどく凹むと、
必ず(100%!)それを補修するために、心や記憶
を再編集して、新しいパターンを形成するんですね。
今まで見落としていたアイデア等も浮かんだりして、
心がガラリと変わり、すさまじい自信にあふれます。
これがまさに、いったん死んで生まれ変わるという、
新鮮でパワフルな感覚です。ただし、ちょっと傷つく
程度なら、今の状況を維持するだけで、意味がなく、
大きく凹まないと、再構築は行われないようです。
私も去年の春に、強烈に凹むことがあり、その後、
一週間近く、時間意識が飛ぶような日々を過ごし、
すっかり性格が変わってしまいました。この頃から、
ただGETするだけのナンパが、あまりに貧相に思え、
卒業してしまったのです。(決して否定はしませんが)
この当時の凹みっぷりは、おそらく十年に一度、
あるかないかの大きなものでしたが、それからも、
たまに凹んでは、「もうナンパ引退だ」と宣言し、
ヤケ食いした後、フテ寝するパターンをしました。
そして面白いように、一日寝て、朝目覚めると、
必ずインスピレーションが沸いて、助かります。
なぜか、その通りにやると、昨日まであった障害が、
ウソのようになくなっていて、最高の気分でした!
ところが次第に、凹むこともなくなってきます・・。
ナンパに慣れすぎてしまい、心が鈍化し、
なんだか完全に、行き詰っていたのです。
つい先日、「ナンパはつまらない」とブログに
書いてしまったように、袋小路にはまりこみ、
成長は止まりました。弱気になっていました。
そこで再び、「死の覚悟」が必要だと思い出し、
あえて危険に飛び込むことを意識し始めました。
とにかく、どうやって自分を凹まそうか、苦し紛れに、
新しいことに挑戦してましたが、凹むことができれば、
何だっていいんです。ただのキッカケにすぎません。
★
まぁ、そうして今回、久しぶりに凹むことができ、
ここに無事、生まれ変わることができました。祝!
といっても、久々に「再構築」の感覚をおぼえたため、
本当に大丈夫かな?と、半信半疑だったのですが、
路上に出れば、ちゃんと現実が教えてくれました。
もう出会う人、出会う人、全員が超ポジ子さん!
やはり最終的には、こちらの気持ち次第です。
誤解を恐れず、単純にいうと、言葉を使わずに、
「立ち止まれ。」と思うだけで、相手は立ち止まり、
「好きだ。」と思うだけで、相手の反応が良くなる。
そんな感覚ですね。わかる人には、わかるのでは?
結局、人間は、圧倒的な自信を持つ人には、
かないません。なぜか言うことをきいてしまう。
そして、そういう感覚は、凹んで再編成を繰り返す、
つまり、「精神的な死と再生」を繰り返すことでしか、
手に入れることができないのではないでしょうか?
なんせ修羅場をくぐった人って、強いですよね?
でも、そんな大げさなことをしなくとも、ナンパという、
日常的なふれあいから、充分、成長できるでしょう。
要するに、人間、凹んだもの勝ちなんです。
現在、凹みがちな人は、もっと凹んでください。
恥をかいてください。バカにされてください。
自信がない時は、もっと自信を失くしてやろうと、
あえてダメだろう、無理と思うことに飛び込みます。
すると不思議なことに、逆に、自信が生まれる!
これは物理作用と同じで、何でも行き過ぎると、
バランスをとろうとして、反作用の力が働くため、
現状維持、つまり元に戻そうとするんですね。
振り子を右に振ると、振った分だけ、逆の左に
振れます。ならば落ち込んでいる時には、もっと
自分を落ち込ませようと、マイナスへ行動する。
すると、振り子が動き、結局はプラスに振れる。
自分の願望をイメージして、プラス思考で叶えるのが、
『引き寄せの法則』だとしたら、(現在、流行ってます)
あえてマイナスに賭けるのが、『振り子の法則』です。
とにかく傷つきやすい、内気でシャイで脆い方や、
飽きてしまい、モチベーションが上がらない方は、
なかなかプラスのイメージが出来ないと思うので、
この『振り子の法則』を使うのも、お勧めです。
ナンパに「死の覚悟」をする意味とは、
結局、『振り子の法則』だったんですね。
★
というわけで、以上をもちまして、
「死」についてのテーマは終了。
もう、こんな辛気臭い話はしません。
バランスをとるために、これからは、
もう少し、くだけていきまーす(ぷぅ〜。)
最近、なんともいえぬ幸福感が続いています。
とかいってますが、ついその前日はドン底気分でした。
タチが悪そうな女の集団ばかりに声かけて、いかにして、
イニシアチブをとるか実験してたのですが、全然ダメで、
しまいには、チアリーディングの集団に「俺を応援しろ」と、
本気で直訴していたら、担任の先生に突き飛ばされて、
ムシャクシャし、その後、他のギャルとも、あわやケンカに!
ただやる気が出ないので、応援してほしかっただけなのに・・。
でも、こういう時って、面白いように、誰にも相手にされない。
えらい凹んでしまって、もう終わりだ、引退の時がきた、
と弱気で家に帰り、カップラーメンなどの体に悪いもの、
ジャンクフードをたらふく食って、涙目で眠りました。
しかし、夜中の3時頃に目が覚めて、突然のことです!
インスピレーションがドドッと、滝のように流れ落ちてきて、
とりつかれたようにメモしまくりました。もうイタコ状態です。
来ました、来ました、来ましたよ!
久しぶりに、来ましたよ!
それは、凹んだときに必ずくる、
例の、「再構築」でした。
★
人間って不思議なんです。傷ついたり、ひどく凹むと、
必ず(100%!)それを補修するために、心や記憶
を再編集して、新しいパターンを形成するんですね。
今まで見落としていたアイデア等も浮かんだりして、
心がガラリと変わり、すさまじい自信にあふれます。
これがまさに、いったん死んで生まれ変わるという、
新鮮でパワフルな感覚です。ただし、ちょっと傷つく
程度なら、今の状況を維持するだけで、意味がなく、
大きく凹まないと、再構築は行われないようです。
私も去年の春に、強烈に凹むことがあり、その後、
一週間近く、時間意識が飛ぶような日々を過ごし、
すっかり性格が変わってしまいました。この頃から、
ただGETするだけのナンパが、あまりに貧相に思え、
卒業してしまったのです。(決して否定はしませんが)
この当時の凹みっぷりは、おそらく十年に一度、
あるかないかの大きなものでしたが、それからも、
たまに凹んでは、「もうナンパ引退だ」と宣言し、
ヤケ食いした後、フテ寝するパターンをしました。
そして面白いように、一日寝て、朝目覚めると、
必ずインスピレーションが沸いて、助かります。
なぜか、その通りにやると、昨日まであった障害が、
ウソのようになくなっていて、最高の気分でした!
ところが次第に、凹むこともなくなってきます・・。
ナンパに慣れすぎてしまい、心が鈍化し、
なんだか完全に、行き詰っていたのです。
つい先日、「ナンパはつまらない」とブログに
書いてしまったように、袋小路にはまりこみ、
成長は止まりました。弱気になっていました。
そこで再び、「死の覚悟」が必要だと思い出し、
あえて危険に飛び込むことを意識し始めました。
とにかく、どうやって自分を凹まそうか、苦し紛れに、
新しいことに挑戦してましたが、凹むことができれば、
何だっていいんです。ただのキッカケにすぎません。
★
まぁ、そうして今回、久しぶりに凹むことができ、
ここに無事、生まれ変わることができました。祝!
といっても、久々に「再構築」の感覚をおぼえたため、
本当に大丈夫かな?と、半信半疑だったのですが、
路上に出れば、ちゃんと現実が教えてくれました。
もう出会う人、出会う人、全員が超ポジ子さん!
やはり最終的には、こちらの気持ち次第です。
誤解を恐れず、単純にいうと、言葉を使わずに、
「立ち止まれ。」と思うだけで、相手は立ち止まり、
「好きだ。」と思うだけで、相手の反応が良くなる。
そんな感覚ですね。わかる人には、わかるのでは?
結局、人間は、圧倒的な自信を持つ人には、
かないません。なぜか言うことをきいてしまう。
そして、そういう感覚は、凹んで再編成を繰り返す、
つまり、「精神的な死と再生」を繰り返すことでしか、
手に入れることができないのではないでしょうか?
なんせ修羅場をくぐった人って、強いですよね?
でも、そんな大げさなことをしなくとも、ナンパという、
日常的なふれあいから、充分、成長できるでしょう。
要するに、人間、凹んだもの勝ちなんです。
現在、凹みがちな人は、もっと凹んでください。
恥をかいてください。バカにされてください。
自信がない時は、もっと自信を失くしてやろうと、
あえてダメだろう、無理と思うことに飛び込みます。
すると不思議なことに、逆に、自信が生まれる!
これは物理作用と同じで、何でも行き過ぎると、
バランスをとろうとして、反作用の力が働くため、
現状維持、つまり元に戻そうとするんですね。
振り子を右に振ると、振った分だけ、逆の左に
振れます。ならば落ち込んでいる時には、もっと
自分を落ち込ませようと、マイナスへ行動する。
すると、振り子が動き、結局はプラスに振れる。
自分の願望をイメージして、プラス思考で叶えるのが、
『引き寄せの法則』だとしたら、(現在、流行ってます)
あえてマイナスに賭けるのが、『振り子の法則』です。
とにかく傷つきやすい、内気でシャイで脆い方や、
飽きてしまい、モチベーションが上がらない方は、
なかなかプラスのイメージが出来ないと思うので、
この『振り子の法則』を使うのも、お勧めです。
ナンパに「死の覚悟」をする意味とは、
結局、『振り子の法則』だったんですね。
★
というわけで、以上をもちまして、
「死」についてのテーマは終了。
もう、こんな辛気臭い話はしません。
バランスをとるために、これからは、
もう少し、くだけていきまーす(ぷぅ〜。)
2007年12月11日
ナンパの「心・技・体」
最近、『死を覚悟したナンパ』をテーマにお送りしましたが、
勘違いもあったようなので、今回補足の説明をいたします。
『死ぬつもりでナンパする!』
まず、普通の人は、そんな覚悟の状態になれません。
だから、ほとんどの方は共感できなかったと思うんです。
やはり、人それぞれ、気持ちの高め方は違いますので、
どうか死の覚悟なんて忘れて、楽にナンパしてください。
また、自分自身のおかれた、個々の状況によっても、
その都度、やるべきことは変わってくるでしょう。
以下、ナンパの成長段階を、簡略化したものです。
★
ナンパを身につけていく過程は、三段階あります。
「心・技・体」という言葉がありますが、その逆順に、
「体⇒技⇒心」の順番で、進んでいくのが普通です。
やはり一番、ナンパが身につくのは、
まず「体」から入っていくことでしょう。
それは、どういうことかというと、
●1:自分の出来る、小さなことだけ淡々とこなす
もうこれにつきます。手順なんて決まってますから、
ラジオ体操のように、順番に動かしていくだけで、
情熱なんかいらないし、リラックスした作業です。
この際、自分の気持ちや思考は、「無理だ・・。」
なんて、マイナスに働きやすいので、使いません。
ただひたすら体を動かして、慣らしてしまいます。
そして声かけられるようになり、短い会話をこなし、
「意外と、こんな自分でも受け入れてくれるんだ!」
と、現実の出来事が、あなたの観念を変えるのです。
そうして「体」の次は、「技」に進みます。
●2:イメージ、インスピレーションの段階
ナンパに慣れ、リラックスできるようになって初めて、
思考を使っていきます。当然、凹むこともありますが、
出会いが増えてくるため、プラス思考になってきます。
今度は、どの台詞を試そうか?場所を変えようか?
など、自分でもインスピレーションが浮かび、楽しい。
初期の頃は、とてもじゃないけど、自分が成功した
光景なんてイメージできなかったのが、もう大丈夫!
イメージトレーニングも楽々、可能になってきます。
ただし、そのまま願望が叶っていったとしても、
自分の思考というものは限界があり、最後は、
必ず堂々巡りになり、飽きて、煮詰まります。
そうして最後は、「技」、つまりテクニックではなく、
気持ちこそが大事と、「心」に行き着くわけです。
●3:死の覚悟をする
「死の覚悟」というのは、危険なことに挑戦すること!
怖いけれど、女性に対して勝負に出ます。要するに、
どんどん求めていく。玉砕しちゃうかもしれないけれど、
あえて気持ちをぶつけ、そのスリルを楽しむわけです。
最後は、テクニックだとか台詞とか、どうでもよく、
「気持ち」だけです。ただ本気にさえなれれば、
全てが吹っ飛ぶし、なぜかうまくいってしまいます。
ただし、いつも本気でいられるわけではありません。
ナンパに慣れてしまうと、スリルがなくなってしまい、
いつのまにか惰性にからめとられてしまうんですね。
そこで今度は、危険に飛び込むという意志さえも、
手放してしまい、全てを運命の流れに委ねれば、
とてもラクになります。うまくいくだろうと信じこんで、
受け身になる。これがある意味、ゴールといえます。
何も考えなくなるナンパ、いわゆる「何無派」です。
★
そういうわけで、先日メルマガでお伝えした、
「一日一食一SEX」というのは、仮想的に、
自分を追い込む、ひとつのアイディアでした。
完全に、断食してナンパしたこともありますし、
ただ面白がって、やってただけです。ある程度、
ナンパを続けて、飽きてしまった人というものは、
それぞれ、自分の気持ちを高めようとします。
ぜひ、日常生活をドラマチックにするために、
自分自身で演出し、面白がってください。
以上、補足でした。
勘違いもあったようなので、今回補足の説明をいたします。
『死ぬつもりでナンパする!』
まず、普通の人は、そんな覚悟の状態になれません。
だから、ほとんどの方は共感できなかったと思うんです。
やはり、人それぞれ、気持ちの高め方は違いますので、
どうか死の覚悟なんて忘れて、楽にナンパしてください。
また、自分自身のおかれた、個々の状況によっても、
その都度、やるべきことは変わってくるでしょう。
以下、ナンパの成長段階を、簡略化したものです。
★
ナンパを身につけていく過程は、三段階あります。
「心・技・体」という言葉がありますが、その逆順に、
「体⇒技⇒心」の順番で、進んでいくのが普通です。
やはり一番、ナンパが身につくのは、
まず「体」から入っていくことでしょう。
それは、どういうことかというと、
●1:自分の出来る、小さなことだけ淡々とこなす
もうこれにつきます。手順なんて決まってますから、
ラジオ体操のように、順番に動かしていくだけで、
情熱なんかいらないし、リラックスした作業です。
この際、自分の気持ちや思考は、「無理だ・・。」
なんて、マイナスに働きやすいので、使いません。
ただひたすら体を動かして、慣らしてしまいます。
そして声かけられるようになり、短い会話をこなし、
「意外と、こんな自分でも受け入れてくれるんだ!」
と、現実の出来事が、あなたの観念を変えるのです。
そうして「体」の次は、「技」に進みます。
●2:イメージ、インスピレーションの段階
ナンパに慣れ、リラックスできるようになって初めて、
思考を使っていきます。当然、凹むこともありますが、
出会いが増えてくるため、プラス思考になってきます。
今度は、どの台詞を試そうか?場所を変えようか?
など、自分でもインスピレーションが浮かび、楽しい。
初期の頃は、とてもじゃないけど、自分が成功した
光景なんてイメージできなかったのが、もう大丈夫!
イメージトレーニングも楽々、可能になってきます。
ただし、そのまま願望が叶っていったとしても、
自分の思考というものは限界があり、最後は、
必ず堂々巡りになり、飽きて、煮詰まります。
そうして最後は、「技」、つまりテクニックではなく、
気持ちこそが大事と、「心」に行き着くわけです。
●3:死の覚悟をする
「死の覚悟」というのは、危険なことに挑戦すること!
怖いけれど、女性に対して勝負に出ます。要するに、
どんどん求めていく。玉砕しちゃうかもしれないけれど、
あえて気持ちをぶつけ、そのスリルを楽しむわけです。
最後は、テクニックだとか台詞とか、どうでもよく、
「気持ち」だけです。ただ本気にさえなれれば、
全てが吹っ飛ぶし、なぜかうまくいってしまいます。
ただし、いつも本気でいられるわけではありません。
ナンパに慣れてしまうと、スリルがなくなってしまい、
いつのまにか惰性にからめとられてしまうんですね。
そこで今度は、危険に飛び込むという意志さえも、
手放してしまい、全てを運命の流れに委ねれば、
とてもラクになります。うまくいくだろうと信じこんで、
受け身になる。これがある意味、ゴールといえます。
何も考えなくなるナンパ、いわゆる「何無派」です。
★
そういうわけで、先日メルマガでお伝えした、
「一日一食一SEX」というのは、仮想的に、
自分を追い込む、ひとつのアイディアでした。
完全に、断食してナンパしたこともありますし、
ただ面白がって、やってただけです。ある程度、
ナンパを続けて、飽きてしまった人というものは、
それぞれ、自分の気持ちを高めようとします。
ぜひ、日常生活をドラマチックにするために、
自分自身で演出し、面白がってください。
以上、補足でした。
posted by fmtbank at 14:43| カテゴリ無し
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2007年12月03日
ナンパ道は死ぬことなり
勇気とは、他人は関係ない。自分の中だけの問題。
つまり、自分が変わるのを恐れないのが勇気だ。
そして、変わることは、過去に対して死ぬこと。
しょっちゅう死んでいる人間こそが、まさに生きている。
死にたがらないというのは、生きていないのと同じ。
何度も、自分から勇気を持って変わってきた人は、
そのときそのときで、いくつも自分を捨てている。
そうやって自分を何度も捨てているから、最後に
本当に全部なくなっても(要するに、肉体の死)、
別に「何もいまさら驚くことはねえや」って思える。
つまり、ただの慣れ。
<養老孟司『バカの壁』より>
★
さすが養老先生は、いいこと言ってます。これはベストセラー
『バカの壁』からの一説を、勝手に、少し編集したものです。
とにかく彼は、何十年もの間、死体を切り刻んできたわけで、
「死」に関しても、何らかの悟りがあったのかもしれませんね。
結局、生きることは体を使うことだと、よく生徒にも言っていて、
「こんな私の、つまらない授業なんぞ受けてないで、外に出ろ。
そして女を口説け。」と、授業中に本気で言っていたそうです。
つまり、自分が変わるのを恐れないのが勇気だ。
そして、変わることは、過去に対して死ぬこと。
しょっちゅう死んでいる人間こそが、まさに生きている。
死にたがらないというのは、生きていないのと同じ。
何度も、自分から勇気を持って変わってきた人は、
そのときそのときで、いくつも自分を捨てている。
そうやって自分を何度も捨てているから、最後に
本当に全部なくなっても(要するに、肉体の死)、
別に「何もいまさら驚くことはねえや」って思える。
つまり、ただの慣れ。
<養老孟司『バカの壁』より>
★
さすが養老先生は、いいこと言ってます。これはベストセラー
『バカの壁』からの一説を、勝手に、少し編集したものです。
とにかく彼は、何十年もの間、死体を切り刻んできたわけで、
「死」に関しても、何らかの悟りがあったのかもしれませんね。
結局、生きることは体を使うことだと、よく生徒にも言っていて、
「こんな私の、つまらない授業なんぞ受けてないで、外に出ろ。
そして女を口説け。」と、授業中に本気で言っていたそうです。
2007年12月02日
プラス思考なんてクソくらえ!
前回は、声をかけることを、鉄道自殺に例えた文章を載せ、
おい!そこまでのことかよと、あきれた方もいたと思います。
声をかける抵抗感というのは、案外、薄れていきますから。
しかし、このたとえは、今思えば、よくできています。
高所からの飛び降り自殺では何か違うし、首吊りも違う。
やっぱり、前を歩いている女性に声をかける時の覚悟は、
列車がホームに入ってくる時に、身を投げる感じですね。
まぁ何とも、暗い話ばかりですいませんが、仕方なかったんです。
ナンパ初期の頃は、本当に、「死」にとりつかれていましたから。
こう書くと、深刻のような感じもしますが、覚悟すればするほど、
スカッとして、屈託ない状態になり、心が軽くなっていきました。
そして、「え!いいの?いいんですか?」と、こちらがまだ準備
できていない時に、驚く程うまくいってしまい、どんどん世界が
変わっていきました。ただし、目標をもって頑張ってはいません。
プラス思考で、引き寄せの法則を使った感じではなく、
全ては、諦めというか、たんに死を覚悟した結果です。
★
実は、「死」を使えば、ナンパはうまくいくだろうと感じていました。
以前、引きこもりを脱出し、社会復帰するために、電話営業の
仕事をしたことがあり、そこで「死」を使って成功したからです。
とにかく、他人と話すのが苦手で、バイトの面接も全て落とされ、
最後には、「なんで落ちたんですか?」と電話で問い合わせると、
「そんなので連絡してきた人は、今までいませんでしたよ!」などと
怒られ、「コミュニケーションの問題です。」とハッキリ言われました。
住宅販売所のお手伝いのバイトから、ランチ急募のカレー屋まで、
確か10ヶ所近く落ちた後、開き直って、生まれて初めて受けた、
正社員の面接で採用されたのが、自己啓発教材の会社でした。
余談ですが、なぜこんなダメな私が採用されたのかと後で聞いたら、
面接で言った、「僕は超能力が使えます!」の一言が効いたそうです。
なんてユニークな会社なんだろう!他は、多分それで落ちていたのに・・。
しかし、その会社は、プラス思考になるための教材を販売していて、
社内でも、ネガティブなことを一切、言ってはいけない決まりでした。
マイナス思考の自分が、果たして大丈夫なのか?売れるのか?
不安で不安でしょうがなく、これっぽっちもプラス思考できません。
見知らぬ人達に電話するのも怖くて、すぐ辞めたかったのですが、
もし、ここもダメなら、自分は終わりだと思い、覚悟したわけです。
結局、プラス思考なんか無視して、ただ完全に死ぬことにしました。
ダメ人間なら、ダメ人間のままでいいじゃねぇか!
やれることだけやって、徹底的に死んでやる!
全然カッコよくはありません。半泣きでの覚悟です。
(だって、それ以外に、選択肢がなかったのだから!)
まずデスクの前に、「今、死ぬ」と標語を張って、
1回電話かける度に、「今、死ね!」と叫んでは、
ひたすら死にまくって、電話をかけ続けました。
他の人は、デスクの前に「目標1千万円」とか張って、
普通に営業マンぽく、明確な目標を掲げているのに、
私だけ、「今、死ぬ」です。売り上げなんか考えている
余裕はありません。もう電話かけるだけで命賭けです。
なんせ、何の成功体験もない、ついこの間まで、
引きこもりだったコンプレックスまみれの30男が、
経営者や銀行の頭取とかに、自己啓発教材の
営業電話をかけるわけですから、ビビリますよ。
しかし失笑されまくりながらも、なぜか売れていき、
結局、最後は、当時あまり出なかった新人賞を、
もらうことにまでなったのです。本当に驚きました!
期待もなく、最終日に、いきなりそうなったのです。
まぁ、ほんの小さな所での自慢話にすぎませんし、
この会社の当時の営業スタイルも間違っていたと、
今では分かりますが、それら細かいことは置いて、
とにかく、いいたかったことは、
「覚悟」は、プラス思考より強力である。
そういうことです。
明確な目標に対してのプラス思考には、
大きな弱点があるんです。それは「疑い」!
★
何かを成功させようと思うと、必ず、それに対しての
障害が生まれてきます。それをクリアしていくわけで、
その中で、いろいろと心も揺れ動きやすいんですね。
だから、もしあなたが、ポジティブな目的を掲げても、
ダメかなー、と不安になるなら、捨ててしまえばいい。
もうそんなもの、最初から、あきらめてしまえばいい。
なるようになれ!と手放してしまうと、逆に安定します。
「死」というものは、ネガティブの中でも最大のものです。
「死」を前提にしてしまえば、他のネガティブな悩みは、
全てが些細なものになってしまいます。ですので手段
として、マイナス思考の方は、さらにマイナス思考を
抑圧せずに伸ばしてしまい、「死」を覚悟すればいい。
すると、心は統一するため、すごい力を発揮する。
「死の覚悟」を決めている人には、かないません。
必ず逆転作用が起きて、なぜかうまくいくでしょう。
そして私は、上記の経験を、
ナンパでも適用しただけです。
もちろん、まず自分の出来る小さなことだけを、
丁寧に、かつ素早く、パッパとこなしていって、
無理せずに、積み上げていくことも大事です。
そうして基本的なことが習慣になってきて初めて、
今度は、いろいろアイディアを試したりしながら、
プラス思考でもって、個性を発揮していきます。
しかし、それだけでは必ず行き詰まってしまう。
自分自身の小さな限界を超えることは、難しい。
そこで最後は、未知への跳躍、死へのジャンプが、
必要になってきます。これにコツなんかありません。
ある意味、ただの自殺ですから、覚悟するだけです。
結果は悪ければ、悪いほど面白いとばかりに、
なにも期待せず、開き直って全身をぶつける。
ダメならダメなままで、全てやりきって、
スカッと、死んでしまえばいい。
すると、180度、世界が反転してしまう。
あの驚きと歓喜を、ぜひ体験してほしい。
★
(2008年:追記)
しかしながら、「覚悟」を用いて逆境に飛び込むアプローチは、
短期間しかもちません。なぜなら、どんなことでも日常化して、
当たり前のことになってしまうからです。人間はすぐ適応する。
そこで、こうした「開き直り」の後にこそ必要なアプローチは、
運命や流れに任せることです。つまり、受け身で生きること。
私は、常に「覚悟」が大事だと、ずっと思い込んでしまい、
その後、ジタバタして無駄にエネルギーを使いすぎました。
過去それでうまくいったからって、通用しなくなってしまった。
ところが、全てを運命にお任せしたとたん、好転したのです。
いわば、最初だけは、男性的なエネルギーを使って始動させ、
軌道に乗ったら、女性的なエネルギーで育てる感じですね。
おい!そこまでのことかよと、あきれた方もいたと思います。
声をかける抵抗感というのは、案外、薄れていきますから。
しかし、このたとえは、今思えば、よくできています。
高所からの飛び降り自殺では何か違うし、首吊りも違う。
やっぱり、前を歩いている女性に声をかける時の覚悟は、
列車がホームに入ってくる時に、身を投げる感じですね。
まぁ何とも、暗い話ばかりですいませんが、仕方なかったんです。
ナンパ初期の頃は、本当に、「死」にとりつかれていましたから。
こう書くと、深刻のような感じもしますが、覚悟すればするほど、
スカッとして、屈託ない状態になり、心が軽くなっていきました。
そして、「え!いいの?いいんですか?」と、こちらがまだ準備
できていない時に、驚く程うまくいってしまい、どんどん世界が
変わっていきました。ただし、目標をもって頑張ってはいません。
プラス思考で、引き寄せの法則を使った感じではなく、
全ては、諦めというか、たんに死を覚悟した結果です。
★
実は、「死」を使えば、ナンパはうまくいくだろうと感じていました。
以前、引きこもりを脱出し、社会復帰するために、電話営業の
仕事をしたことがあり、そこで「死」を使って成功したからです。
とにかく、他人と話すのが苦手で、バイトの面接も全て落とされ、
最後には、「なんで落ちたんですか?」と電話で問い合わせると、
「そんなので連絡してきた人は、今までいませんでしたよ!」などと
怒られ、「コミュニケーションの問題です。」とハッキリ言われました。
住宅販売所のお手伝いのバイトから、ランチ急募のカレー屋まで、
確か10ヶ所近く落ちた後、開き直って、生まれて初めて受けた、
正社員の面接で採用されたのが、自己啓発教材の会社でした。
余談ですが、なぜこんなダメな私が採用されたのかと後で聞いたら、
面接で言った、「僕は超能力が使えます!」の一言が効いたそうです。
なんてユニークな会社なんだろう!他は、多分それで落ちていたのに・・。
しかし、その会社は、プラス思考になるための教材を販売していて、
社内でも、ネガティブなことを一切、言ってはいけない決まりでした。
マイナス思考の自分が、果たして大丈夫なのか?売れるのか?
不安で不安でしょうがなく、これっぽっちもプラス思考できません。
見知らぬ人達に電話するのも怖くて、すぐ辞めたかったのですが、
もし、ここもダメなら、自分は終わりだと思い、覚悟したわけです。
結局、プラス思考なんか無視して、ただ完全に死ぬことにしました。
ダメ人間なら、ダメ人間のままでいいじゃねぇか!
やれることだけやって、徹底的に死んでやる!
全然カッコよくはありません。半泣きでの覚悟です。
(だって、それ以外に、選択肢がなかったのだから!)
まずデスクの前に、「今、死ぬ」と標語を張って、
1回電話かける度に、「今、死ね!」と叫んでは、
ひたすら死にまくって、電話をかけ続けました。
他の人は、デスクの前に「目標1千万円」とか張って、
普通に営業マンぽく、明確な目標を掲げているのに、
私だけ、「今、死ぬ」です。売り上げなんか考えている
余裕はありません。もう電話かけるだけで命賭けです。
なんせ、何の成功体験もない、ついこの間まで、
引きこもりだったコンプレックスまみれの30男が、
経営者や銀行の頭取とかに、自己啓発教材の
営業電話をかけるわけですから、ビビリますよ。
しかし失笑されまくりながらも、なぜか売れていき、
結局、最後は、当時あまり出なかった新人賞を、
もらうことにまでなったのです。本当に驚きました!
期待もなく、最終日に、いきなりそうなったのです。
まぁ、ほんの小さな所での自慢話にすぎませんし、
この会社の当時の営業スタイルも間違っていたと、
今では分かりますが、それら細かいことは置いて、
とにかく、いいたかったことは、
「覚悟」は、プラス思考より強力である。
そういうことです。
明確な目標に対してのプラス思考には、
大きな弱点があるんです。それは「疑い」!
★
何かを成功させようと思うと、必ず、それに対しての
障害が生まれてきます。それをクリアしていくわけで、
その中で、いろいろと心も揺れ動きやすいんですね。
だから、もしあなたが、ポジティブな目的を掲げても、
ダメかなー、と不安になるなら、捨ててしまえばいい。
もうそんなもの、最初から、あきらめてしまえばいい。
なるようになれ!と手放してしまうと、逆に安定します。
「死」というものは、ネガティブの中でも最大のものです。
「死」を前提にしてしまえば、他のネガティブな悩みは、
全てが些細なものになってしまいます。ですので手段
として、マイナス思考の方は、さらにマイナス思考を
抑圧せずに伸ばしてしまい、「死」を覚悟すればいい。
すると、心は統一するため、すごい力を発揮する。
「死の覚悟」を決めている人には、かないません。
必ず逆転作用が起きて、なぜかうまくいくでしょう。
そして私は、上記の経験を、
ナンパでも適用しただけです。
もちろん、まず自分の出来る小さなことだけを、
丁寧に、かつ素早く、パッパとこなしていって、
無理せずに、積み上げていくことも大事です。
そうして基本的なことが習慣になってきて初めて、
今度は、いろいろアイディアを試したりしながら、
プラス思考でもって、個性を発揮していきます。
しかし、それだけでは必ず行き詰まってしまう。
自分自身の小さな限界を超えることは、難しい。
そこで最後は、未知への跳躍、死へのジャンプが、
必要になってきます。これにコツなんかありません。
ある意味、ただの自殺ですから、覚悟するだけです。
結果は悪ければ、悪いほど面白いとばかりに、
なにも期待せず、開き直って全身をぶつける。
ダメならダメなままで、全てやりきって、
スカッと、死んでしまえばいい。
すると、180度、世界が反転してしまう。
あの驚きと歓喜を、ぜひ体験してほしい。
★
(2008年:追記)
しかしながら、「覚悟」を用いて逆境に飛び込むアプローチは、
短期間しかもちません。なぜなら、どんなことでも日常化して、
当たり前のことになってしまうからです。人間はすぐ適応する。
そこで、こうした「開き直り」の後にこそ必要なアプローチは、
運命や流れに任せることです。つまり、受け身で生きること。
私は、常に「覚悟」が大事だと、ずっと思い込んでしまい、
その後、ジタバタして無駄にエネルギーを使いすぎました。
過去それでうまくいったからって、通用しなくなってしまった。
ところが、全てを運命にお任せしたとたん、好転したのです。
いわば、最初だけは、男性的なエネルギーを使って始動させ、
軌道に乗ったら、女性的なエネルギーで育てる感じですね。
2007年11月30日
100の決意よりも、1つの覚悟!
来年より、タダナンパの新シリーズを始めます。
そこで今年いっぱいは、これまでのナンパを総括し、
説明が足りなかった部分を、補っていく予定です。
現在は、過去の記事を順次、読みかえしており、
ブログに関わらず、過去の個人的なノートさえも
全部読んでおります。(これが、けっこうな量!)
その過去ノートの中で、非常に、せっぱつまった文を
発見しました。まだ私が地蔵だった、初期の頃です。
以下、自分に向けた、「覚悟」の文章となります。
まだ地蔵の方も、これを読んで自殺してください。
★
声をかけるは、一時の恥。
声をかけぬは、一生の恥。
ついに私は、死を覚悟した。
ナンパで死ぬことにしたのだ。
まるで声をかける行為は、鉄道自殺のようだ。
声をかける前は、鉄道自殺の光景が目に浮かぶ。
飛び散る肉片、おびただしい血、レールがこすれる音。
列車が、肉体を車輪に引っかけたまま、不自然に止まる。
そして、周囲の人達の叫び、ざわめき、阿鼻叫喚の絵図。
なんとまぁ、生理的にゾッとする、嫌な、嫌な、光景・・・。
その全てが予感されうる状況で、私は汚らしく、
ジットリと汗ばんで硬直し、立ちつくしている。
ホームの端で、走り来る電車に飛び込むことを、躊躇している。
緊張が高まる中、警音を鳴らし、列車の走る音が近づいてくる。
そしてついに、息がつまりそうな極限の、視界がせばまれる地点で、
覚悟を決め、自殺を断行する。絶望の中、宙へと身体を放り投げる。
自分で背中をドン!と押すのだ!思いきって!
その瞬間、地平がひっくりかえって、空が見える。
意外にも、死ねなかった。目の前の幻想が消え、
静寂の中、ただ生きている実感だけに包まれる。
本気で、犬死にするつもりだったのに・・・。
★
カッと視界が、未来が見開かれるには、
それだけの無残な死への覚悟が必要だ。
たかが、声をかけるだけのことに何だ?
と、人は笑うだろう。理解できないだろう。
他人からみれば、どうでもいいところに、悩みはあるものだ。
ほんっとに、ささいなことだが、当人にとっては、ズッシリと、
毒まみれの岩を腹にのせたまま、寝込んでいるようなもの。
見知らぬ女の人に、声がかけられない。どう頑張っても、
どうしても身動きとれず、足もすくむ。脳がスカスカになる。
かきむしられるような疎外感。消えたい。感覚自体が消えてしまえばいい。
なんで存在するのかと、つらくてピイピイ泣きたい。目をつぶって、ピイピイと・・。
この苦しみを解体するのは、おそらく覚悟か、麻酔しかない。
眠ったり、酒で酔ったり、夢中にさせる何かにしがみつくなど、
とにかく意識を鈍くさせて、なんとかやりすごすのが麻酔である。
しかし覚悟は、麻酔とは対極に位置する。酩酊感はない。
覚悟とは、決意して行動さえすれば、物事良くなるだろと、
ただ希望的にやるようなものではない。そんな余裕もない。
期待(気体)はない。完全なる真空なのだ。
気体など存在する隙間など、まったくない。
覚悟には、何かゾッとするような、
どこか悲惨な、においがつきまとう。
まさに、鉄道自殺の瞬間なのである。
★
声をかけるには、死ぬしかない。
あきらめて、手放して、死のうと決めた。
たいした人生じゃなかったじゃないか。
ただ慰めのガラクタを、溜め込んだだけだ。
しがみついていたものは、すでに色あせてる。
もはや人生は終わった。死ぬ時が来たのだ。
怖い!怖い!怖い!怖い!怖い!
逃げれば逃げるほど、恐怖は増す。
隠れれば隠れるほど、何も見えなくなる。
しかし、直面さえすれば、全ての迷妄は消える。
そして実際に、死に飛び込めば、
死なないことに気づくだろう。
さぁ、ホームから飛び出せ!
むごたらしく、死ね!
そこで今年いっぱいは、これまでのナンパを総括し、
説明が足りなかった部分を、補っていく予定です。
現在は、過去の記事を順次、読みかえしており、
ブログに関わらず、過去の個人的なノートさえも
全部読んでおります。(これが、けっこうな量!)
その過去ノートの中で、非常に、せっぱつまった文を
発見しました。まだ私が地蔵だった、初期の頃です。
以下、自分に向けた、「覚悟」の文章となります。
まだ地蔵の方も、これを読んで自殺してください。
★
声をかけるは、一時の恥。
声をかけぬは、一生の恥。
ついに私は、死を覚悟した。
ナンパで死ぬことにしたのだ。
まるで声をかける行為は、鉄道自殺のようだ。
声をかける前は、鉄道自殺の光景が目に浮かぶ。
飛び散る肉片、おびただしい血、レールがこすれる音。
列車が、肉体を車輪に引っかけたまま、不自然に止まる。
そして、周囲の人達の叫び、ざわめき、阿鼻叫喚の絵図。
なんとまぁ、生理的にゾッとする、嫌な、嫌な、光景・・・。
その全てが予感されうる状況で、私は汚らしく、
ジットリと汗ばんで硬直し、立ちつくしている。
ホームの端で、走り来る電車に飛び込むことを、躊躇している。
緊張が高まる中、警音を鳴らし、列車の走る音が近づいてくる。
そしてついに、息がつまりそうな極限の、視界がせばまれる地点で、
覚悟を決め、自殺を断行する。絶望の中、宙へと身体を放り投げる。
自分で背中をドン!と押すのだ!思いきって!
その瞬間、地平がひっくりかえって、空が見える。
意外にも、死ねなかった。目の前の幻想が消え、
静寂の中、ただ生きている実感だけに包まれる。
本気で、犬死にするつもりだったのに・・・。
★
カッと視界が、未来が見開かれるには、
それだけの無残な死への覚悟が必要だ。
たかが、声をかけるだけのことに何だ?
と、人は笑うだろう。理解できないだろう。
他人からみれば、どうでもいいところに、悩みはあるものだ。
ほんっとに、ささいなことだが、当人にとっては、ズッシリと、
毒まみれの岩を腹にのせたまま、寝込んでいるようなもの。
見知らぬ女の人に、声がかけられない。どう頑張っても、
どうしても身動きとれず、足もすくむ。脳がスカスカになる。
かきむしられるような疎外感。消えたい。感覚自体が消えてしまえばいい。
なんで存在するのかと、つらくてピイピイ泣きたい。目をつぶって、ピイピイと・・。
この苦しみを解体するのは、おそらく覚悟か、麻酔しかない。
眠ったり、酒で酔ったり、夢中にさせる何かにしがみつくなど、
とにかく意識を鈍くさせて、なんとかやりすごすのが麻酔である。
しかし覚悟は、麻酔とは対極に位置する。酩酊感はない。
覚悟とは、決意して行動さえすれば、物事良くなるだろと、
ただ希望的にやるようなものではない。そんな余裕もない。
期待(気体)はない。完全なる真空なのだ。
気体など存在する隙間など、まったくない。
覚悟には、何かゾッとするような、
どこか悲惨な、においがつきまとう。
まさに、鉄道自殺の瞬間なのである。
★
声をかけるには、死ぬしかない。
あきらめて、手放して、死のうと決めた。
たいした人生じゃなかったじゃないか。
ただ慰めのガラクタを、溜め込んだだけだ。
しがみついていたものは、すでに色あせてる。
もはや人生は終わった。死ぬ時が来たのだ。
怖い!怖い!怖い!怖い!怖い!
逃げれば逃げるほど、恐怖は増す。
隠れれば隠れるほど、何も見えなくなる。
しかし、直面さえすれば、全ての迷妄は消える。
そして実際に、死に飛び込めば、
死なないことに気づくだろう。
さぁ、ホームから飛び出せ!
むごたらしく、死ね!
2007年11月24日
日本近代史におけるナンパの位置
「恥の文化、ニッポン」の記事を削除したかわりに、
もっと高尚な記事を更新したいと思いたちました。
わが国ニッポンについて、おふとんに寝そべって、
その歴史を、古い本を参考に考察してみたところ、
スゴイ国だということがわかり、驚いています。
政治や歴史にまったく興味がなかったので、
すでに常識なのかもしれませんが、以下、
日本の、ここ50年の歴史概略となります。
ナンパを見直すキッカケとなれば幸いです。
★
日本はその昔、太平洋戦争で負け、
無条件降伏して、全てを失いました。
しかし、焼け野原になったその五年後、
日本政府は、ある目標を設定します。
それは「繊維生産で世界一」になることです。
そして、1950年代に十年間かけて、見事、
繊維生産で世界一になることができました。
次に、さらに自信をつけた日本は、その当時、
不可能としか思えない目標を設定しました。
それが、「鉄鋼生産で世界一」になることでした。
ところが驚くべきことに、1960年代に、これまた
十年間かけて達成してしまいます。やるねぇー!
ここまで来たら、もうイケイケですわ。次の目標は、
「自動車生産で世界一」になることです。今回は
少々手こずって、11年間かかってしまいましたが、
1970年代を通して、またもや見事に達成です。
そして最後!これはまだ我々にも記憶があります、
「エレトロニクスとコンピュータの分野での世界一」
です。1980年代は日本の大躍進の時代でして、
これも十年間かけて、なんとか達成したわけです。
こうして振り返ると、この日本て国は凄いパワー。
歴史上、こんなにイケイケだった国は、他にない!
その昔、日露戦争では、アジア諸国の中で初めて、
西洋の強国に勝ったり、それでバカに勢いづいて、
勝てっこない戦争にまで突っ込んでしまいボロ負け。
しかし全てを失ってから、資源も全くない国なのに、
約十年おきに、繊維生産に、鉄鋼生産、続いて、
自動車生産、エレトロニクス分野と世界一になり、
なんなんだろう?この結果を出すパワーというのは?
なお上記の歴史は、アメリカのモティベーター、
ジグジグラーが聴衆に、目標設定の大事さを
伝えるために出した例なので、正確な史実とは、
少しズレるかもしれないことを、お断りいたします。
★
まぁ何にしろ、日本は、いったん決めると極端ですね。
江戸時代なんて鎖国して、ひきこもり国家だったのに、
その後、強烈に外向的な国に変わってしまいました。
しかし、もちろん、次の疑問が浮かび上がってきます。
では、世界No1を達成し続けた後は、どうなったのか?
つまり、90年代は?そして21世紀に入ってからは?
そう、ご承知の通り、90年代はバブルが弾け、一気に
テンションが下がり、「失われた10年」と呼ばれました。
その後、21世紀に入ってからも、なんだか混乱気味・・。
しかし、ここは単純に、90年代をこれまでの価値観が
通用しなくなった、「破壊の十年」とするならば、続いて、
21世紀(2001年〜2010年)までを「創造の十年」
と呼びたい。今現在、新たな価値観が生まれています。
90年代に破壊されたのは、やはり共同体でしょう。
みんなと共通の価値観というものが大幅に壊れて、
それぞれがバラバラの「個人」になってしまいました。
確かに、もう皆で力を合わせ、同じ目標に向かって、
何も考えずに、ただ突っ走ることはないでしょう。
しかし21世紀は、バラバラになってしまった個人が、
それぞれの世界観を、創りあげていく時代だと思う。
ちょうど2001年に、安価なブロードバンドが始まり、
いまやネットが当たり前、個人が勝手に、自分の
意見を述べられるようになりました。こうして私の
駄文をあなたが読んでるなど、考えられなかった。
また2001年には、アメリカで911テロがありました。
あの事件によって、いかにマスコミや政府が情報を
操作しているのかが分かり、信用を失くしました。
すでにマスコミは、以前と比べ、弱体化しています。
これから淘汰されていく、日本のテレビ局なんかは、
視聴者のクレームにビクビクして、どうしようもない。
要するに、見ている我々の方が力を持ってしまった。
では、個人のパワーがどんどん増す今、
一体、どうすればいいのでしょうか?
それは、決して、個性を伸ばすことではないと思います。
個性なんか意識したとたん、嘘くさくなり、疲れます。
ほっといても、自然にたち上がってくるのが個性です。
だから個性なんてものは捨てて、なによりも大切なのは、
共感する能力だと思います。それぞれが違う人間であり、
画一化せず、好き勝手に、生きるようになってきています。
当然、ノウハウだけで自動的に対処しきれず、毎回毎回、
頭を空にして、目の前の相手と向き合わなくてはいけない。
つまり、そういった共感能力こそが、今の多様な時代を
幸せに生きていくための、スキルではないのでしょうか?
いろんな人と共感さえできれば、様々な情報も入ってきて、
恋愛や仕事に関わらず、自分の世界も広がっていきます。
そして、多種多様な人と共感する力を、最も育むのが、
もちろん、あなたのやっている、ナンパです!
ビバ!21世紀!
もっと高尚な記事を更新したいと思いたちました。
わが国ニッポンについて、おふとんに寝そべって、
その歴史を、古い本を参考に考察してみたところ、
スゴイ国だということがわかり、驚いています。
政治や歴史にまったく興味がなかったので、
すでに常識なのかもしれませんが、以下、
日本の、ここ50年の歴史概略となります。
ナンパを見直すキッカケとなれば幸いです。
★
日本はその昔、太平洋戦争で負け、
無条件降伏して、全てを失いました。
しかし、焼け野原になったその五年後、
日本政府は、ある目標を設定します。
それは「繊維生産で世界一」になることです。
そして、1950年代に十年間かけて、見事、
繊維生産で世界一になることができました。
次に、さらに自信をつけた日本は、その当時、
不可能としか思えない目標を設定しました。
それが、「鉄鋼生産で世界一」になることでした。
ところが驚くべきことに、1960年代に、これまた
十年間かけて達成してしまいます。やるねぇー!
ここまで来たら、もうイケイケですわ。次の目標は、
「自動車生産で世界一」になることです。今回は
少々手こずって、11年間かかってしまいましたが、
1970年代を通して、またもや見事に達成です。
そして最後!これはまだ我々にも記憶があります、
「エレトロニクスとコンピュータの分野での世界一」
です。1980年代は日本の大躍進の時代でして、
これも十年間かけて、なんとか達成したわけです。
こうして振り返ると、この日本て国は凄いパワー。
歴史上、こんなにイケイケだった国は、他にない!
その昔、日露戦争では、アジア諸国の中で初めて、
西洋の強国に勝ったり、それでバカに勢いづいて、
勝てっこない戦争にまで突っ込んでしまいボロ負け。
しかし全てを失ってから、資源も全くない国なのに、
約十年おきに、繊維生産に、鉄鋼生産、続いて、
自動車生産、エレトロニクス分野と世界一になり、
なんなんだろう?この結果を出すパワーというのは?
なお上記の歴史は、アメリカのモティベーター、
ジグジグラーが聴衆に、目標設定の大事さを
伝えるために出した例なので、正確な史実とは、
少しズレるかもしれないことを、お断りいたします。
★
まぁ何にしろ、日本は、いったん決めると極端ですね。
江戸時代なんて鎖国して、ひきこもり国家だったのに、
その後、強烈に外向的な国に変わってしまいました。
しかし、もちろん、次の疑問が浮かび上がってきます。
では、世界No1を達成し続けた後は、どうなったのか?
つまり、90年代は?そして21世紀に入ってからは?
そう、ご承知の通り、90年代はバブルが弾け、一気に
テンションが下がり、「失われた10年」と呼ばれました。
その後、21世紀に入ってからも、なんだか混乱気味・・。
しかし、ここは単純に、90年代をこれまでの価値観が
通用しなくなった、「破壊の十年」とするならば、続いて、
21世紀(2001年〜2010年)までを「創造の十年」
と呼びたい。今現在、新たな価値観が生まれています。
90年代に破壊されたのは、やはり共同体でしょう。
みんなと共通の価値観というものが大幅に壊れて、
それぞれがバラバラの「個人」になってしまいました。
確かに、もう皆で力を合わせ、同じ目標に向かって、
何も考えずに、ただ突っ走ることはないでしょう。
しかし21世紀は、バラバラになってしまった個人が、
それぞれの世界観を、創りあげていく時代だと思う。
ちょうど2001年に、安価なブロードバンドが始まり、
いまやネットが当たり前、個人が勝手に、自分の
意見を述べられるようになりました。こうして私の
駄文をあなたが読んでるなど、考えられなかった。
また2001年には、アメリカで911テロがありました。
あの事件によって、いかにマスコミや政府が情報を
操作しているのかが分かり、信用を失くしました。
すでにマスコミは、以前と比べ、弱体化しています。
これから淘汰されていく、日本のテレビ局なんかは、
視聴者のクレームにビクビクして、どうしようもない。
要するに、見ている我々の方が力を持ってしまった。
では、個人のパワーがどんどん増す今、
一体、どうすればいいのでしょうか?
それは、決して、個性を伸ばすことではないと思います。
個性なんか意識したとたん、嘘くさくなり、疲れます。
ほっといても、自然にたち上がってくるのが個性です。
だから個性なんてものは捨てて、なによりも大切なのは、
共感する能力だと思います。それぞれが違う人間であり、
画一化せず、好き勝手に、生きるようになってきています。
当然、ノウハウだけで自動的に対処しきれず、毎回毎回、
頭を空にして、目の前の相手と向き合わなくてはいけない。
つまり、そういった共感能力こそが、今の多様な時代を
幸せに生きていくための、スキルではないのでしょうか?
いろんな人と共感さえできれば、様々な情報も入ってきて、
恋愛や仕事に関わらず、自分の世界も広がっていきます。
そして、多種多様な人と共感する力を、最も育むのが、
もちろん、あなたのやっている、ナンパです!
ビバ!21世紀!