2015.11.26

私たちは、
自分のためだけに
生きていけるのか

子供を持つか、持たないか。
社会が発達したおかげで選択肢は増えたけれど、生き物としての本能にはどう向き合えばいいんでしょうか?

チェコ好き おひとりりさまのゲームの規則 おひとりさま 子ども ©David K

外食産業も娯楽産業も、インターネットもSNSも発達した現在では、ときに風当たりの強い場面に身を晒すことも皆無ではないとはいえ、我々おひとりさまの女性にとって徐々に快適な社会になりつつあるのではないかと思います。1人でも楽しめることはたくさんあるし、それこそこのSOLOのような媒体が、1人で生きることを応援して後押ししてくれます。

「女はやっぱり結婚しないと」「子供がいないと」などと宣う小物は放っておいて、みなさんにはぜひこのまま肩で風切る勢いで現代社会を生き抜いていってほしいです。だけど、そんな我々の前に立ちはだかるのは、旧社会の価値観を引きずった小物ではなく、自分のなかに眠る生物的な本能というか、生き物としての限界なのかなあということを、私は最近考え出した次第です。

たった1人で生きるのは、モチベーションが維持できない?

チェコ好き おひとりりさまのゲームの規則 『うさぎとマツコの往復書簡』 『うさぎとマツコの往復書簡』(毎日新聞社)
中村うさぎ、マツコ・デラックス(著)

考え出したきっかけは、先日ちらりと読み返していた『うさぎとマツコの往復書簡』。中村うさぎとマツコ・デラックスが、「サンデー毎日」上でやり取りしていた往復書簡を収めた本です。ゲイの男性と結婚した中村うさぎ(実質シングル女)と、マツコ(ゲイ)は互いに、「ホモとシングル女って似ている」と、自分たちの境遇を重ね合わせながら話を進めていきます。

 どういったところが似ているのかというと、まずはどちらも世間から理解されづらい存在であること。徐々に多様性が認められるような社会になってきているとはいえ、ホモもシングル女もまだまだ王道の生き方をしている人たちに比べれば、数が足りない。しかし、楽天的に考えていいのであれば、このあたりは時間がそのうち解決する話でしょうから、たいした問題じゃありません。

 それよりも大変そうだなあと思ったのは、ゲイもシングル女も、子供を持つことが難しいので、自分のためだけに生きなくてはいけないということです。厳密にいうと、男性同士・女性同士のカップルであっても養子などの制度を使って子供を持つことはできるし、子供を立派に育てているおひとりさまの女性もいます。だけどそういった機会についに恵まれず、配偶者や子供といった「自分以上に大切なだれか」に巡り会えなかった人生というのは、いったいどう生きていくのがいいのでしょう。
若いときは自分のためだけに人生を謳歌することはそれほど難しくはありません。しかしいろいろな場所で耳にすることですが、年齢を重ねてくると、自分のためだけに生きていくことは、徐々にモチベーションが維持できなくなってくるらしい。こちらの本では、年齢を重ねたことによってうさぎさんやマツコさんが痛感した「自分のためだけに生きていくことへの罪悪感」の話や、漫画家の桜沢エリカさんが結婚・出産した理由を「自分のためだけに生きてるのが嫌になった」と語った話などが登場するんですが、おひとりさまの女性にとってはこのあたり、無視できない話題なのではないでしょうか。

後世に遺伝子を伝えるという、生き物としての本能

これは生き物の性質として理解できることで、天を突き刺すような高層ビルを建てても、そこで百万ドルの夜景を目にしながらシャンパンなどを片手にうっとりしてみせても、我々の祖先というのは槍を抱えてウホウホいいながらマンモスを追いかけてたという事実は変わらないわけです。それが良いか悪いかは置いておいて、とりあえず生き物の本能として、自分の遺伝子を後世につなぐことがプログラムされている。だから、自分の遺伝子を後世につなぐことが難しくなってきたときに、罪悪感や息苦しさに苛まれるという話は、私はなんだか納得してしまいます。

 となると、やっぱり後々のことを考えて、たった1人で生きる人生なんてのはほどほどのところで諦めたほうがいいんでしょうか。これはかなり難しい問題なのでこのコラム1回で結論は出せませんが、この話を聞いて「あ、キツそう」と思って方向転換する人がいても、私はとてもじゃないですが彼女(彼)を責められません。

 ただまあ、現代は原始時代とはちがうので、考えれば何かいい方法はあるはずだ、と私は思っています。「1人の男と1人の女」じゃない夫婦や家族を作ったっていいし、血の繋がらない子供を育てたっていい。もっと間接的な方法で、自分の遺伝子は伝えられなくても、自分の思想を後世に伝えていくという考え方もあります。しかしいずれにしろ、ほどほどのところに年齢が差し掛かったら、自分そのものではなく自分の後ろに控えている人たちに視線を向けていく必要があるのかな、ということはけっこう確実にいえそうです。

 というわけで、こういうときは集合知。みなさんからのアイディアを募集しています。私たちは自分のためだけに生きていけるのか、生きていけないのだとしたらどのような方法で自分の思想を後世に遺すのか。お時間のあるときに、じっくり考えていただけたら嬉しいです。

Text/ チェコ好き