2009年10月19日

愛さえあれば、もうこっちのもの!

さて、ナンパとは関係ない、学生時代の恋愛話を、長々と
続けてきましたが、今回で、この退屈話も終了となります。

かなり長引かしましたが、ハッキリいって、単純な話でした。

ある一人の女の子に凄まじく惚れて、ひたすらガンガンに
押すことにより嫌われ、失恋します。そして一年間こもり、
読書しまくって、愛についての真理をインストールしました。

そして、あらためて、一年前の女の子に再び、恋に落ちる。


自分でも意外でしたが、爆発は勝手に起こったのです。

これは、まさしく、私へのギフトであり、卒業試験でした。

では、どうやって、この最終試験を解いたのでしょうか?

以下が、その答えです。





恋に落ちたとたん、心のわだかまりは消え去り、
傷つき、孤独だったハートは、一気に癒された。

胸のあたりのつかえがとれて、体の奥底から熱い、
気持ちよすぎる溶岩のようなエネルギーの流れが、
怒涛のごとく、とめどなく、あふれてきたのである。

私は喜んだ。天にも昇る気持ちになった。なんと、
もう二度と起こらないと思っていた、あの「愛」が、
生きている中で最大級の快感が、復活したのだ!

しかし、愛情に満ちたのはいいが、ここからどうするか?

去年のように、彼女に猛烈アタックをすればいいのか?

それとも、今回は、もっと冷静に、口説いていくのか?


先のことはわからないまま、まず私は、彼女に謝罪と
感謝の手紙を書き、心より詫びた。そして、呼び出し、
「また好きになったよ。」と、策もなく、素直に伝えた。

彼女はすでに、新しい彼ができ、同棲まで始めていて、
つきあえない、とかなんとか言ったが、もう関係なかった。

私は、彼女がどう思うとかいうよりも、再び、自分の中に
恋心という感情が生まれたことが、嬉しかったのである。

だからもう、彼女と会っているだけで、楽しくて嬉しくて、
どうしようもない状態。そして、その感情は彼女に移る。

彼女を眺めているだけで大喜びし、はしゃぐ姿を見て、
彼女も気を許して、「友達としてなら、遊んでもいいよ。」
となり、何回かデートをした。もう遊園地など、わざわざ、
お金がかかるところには行かなかった。ご近所ばかりだ。

すでにデートなんて、どこでもいいと、わかっていたのだ。

お互いが、安らげたり、楽しめるなら、他に何もいらない。


ただし、私は、彼女に指一本ふれなかった。去年の過ちを
繰り返すつもりもなく、自分自身のトラウマを解消するため、
彼女に部屋までついてきてもらい、和やかに会話しただけ。

「ほら、ね、もうムリヤリしようとしないだろ?」「本当だ!」

彼女に安心してもらい、とにかく、信頼を得たことによって、
私は、去年の過ちの傷が、完全に癒えていくのを実感した。

さらに、彼女が彼氏と同棲している部屋まで、わざわざ、
迎えにいって、挨拶までしたりした。これは挑戦だった。
もちろん、挑戦といっても、その彼氏と闘うのではない。

大好きな彼女の彼氏を見て、嫉妬や所有欲などが、
発動して苦しむかどうかを、確かめたかったのである。


正直いって、彼氏の顔は見たくなかった。それが原因で、
嫉妬に苦しみ、再び、愛情を殺してしまうかもしれない。

しかし、恋心は大事にしようとせずに、捨て身にならないと、
かえって愛情は死んでしまうらしい。そして、その通りだった。

不安だったが、私の中に燃えさかる恋心は、彼氏を見ても、
まったく何の影響も、もたらさなかった。よっしゃ、本物だ!

私は滅多なことでは動じない、深い愛の存在を実感した。

それならば、愛がある、今のうちに、やってしまおう!

いっただきま〜す!





私は、彼女を追い求めることはなかった。むしろ背を向け、
彼女以外の人生の他のことに、初めて取り組み始めた。

まず実家に帰り、両親に、授業に出てないことを告白して、
大学で学ぶことは何もない。辞めるけど、払うつもりだった、
残りの授業料の半分でもいいから、私に投資してほしい。
海外に行って、そこから肌で何かを勉強したいと伝えた。

そうして、アメリカ、中国、インドと、活動的に見てまわった。


さらに大学は中退したくせに、どうしても出たかったゼミに、
教授に頼み込んで出席した。本来、ゼミは、ある程度の
単位をとらなくちゃ出れないし、1つのゼミしか出れない。

そこを、教授達に頼みこんで、3つものゼミに出席した。
教授達は怒るどころか、その動機の強さに喜んだのだ。

私は、本の影響で、すっかり真理の探究者となっていた。

学生達には、好き勝手していたので、なんだこいつ?と、
ひんしゅくも買ったが、そんなことは、どうでもよかった。

なぜなら私の中には、激しい「愛」があったからである。


「愛」と呼ばれる、あのたまらないエネルギーは、内側から、
とどまることなく流れてきて、精神を、ひたすら充実させる。

私は、その愛情を、彼女だけに向けて一直線に流さず、
生活全般へ、四方八方に流したのだった。なぜならば、
あくまで彼女は、その愛情を引き出すキッカケ、触媒に
すぎないと、書物によって、すでにわかっていたのである。

恋をするとイキイキする人はいるが、ちょっとダメになると、
とたんに落ち込みまくるとしたら、その人は勘違いしてる。

好きになった相手の、一挙一動に影響を受けるため、
その感情の源が、外部にあると思い込んでいるのだ。


恋した時に、自分の中に沸き起こるあの感情というのは、
もともと自分の中にあったもので、それをたんに、一人の
好きになった人によって、引き出されただけで、本当は、
相手は、あまり関係ない。産婆さんみたいなものである。

ただの象徴、シンボルとして捉えれば、その沸き起こった、
恋心を他の物事にも、どんどん反映させて使えるのだ。

愛というエネルギーの二次、三次利用は可能である。

だから、愛さえあれば、片想いでも、かまやしない。

愛がある時は、素直になれるし、面白いように、
今まで出来なかったことにも、取り組めるだろう。

思考を介入させ、恐怖を生み出さなければ・・・。





そうして私は、発想を転換し、高らかに笑いながら、
人生を謳歌することへシフトして、今までおざなりに
していた物事(二年分)を、一気に片付けたのだった。

結局、上記の彼女とは、男と女の関係になることもなく、
いつの間にか疎遠になっていったが、すべてOKである。


え?好きな相手をGETすることこそが、勝ち組だって?

いいや、人を好きになれたこと自体が、勝ちなんだよ。

なんせ途方もないエネルギーが、与えられるのだから!


人を好きになることこそが、最高の自己啓発です。

ナンパで苦しむ人、ナンパが飽きてしまった人、

全ての悩める人に、この言葉をおくります。


以上。
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2009年10月16日

怖れる男には愛などない

部屋に引きこもり、読書三昧の日々をすごしてから一年後、
いいかげん、精神世界の本を読みまくるのも疲れてきた頃、
ついに孤独な生活から脱出するための、ギフトがありました。

ちょうど図書館に本を返しに行ったところ、一年前に失恋した、
彼女にバッタリ出くわしたのです。あまりに唐突で驚いたものの、
かえって構えずにすみ、短時間だけど、普通に世間話できました。

彼女は日に焼けて、前より魅力的に見えました。以前のことは、
気にしている素振りもなく、快活で、なんとも可愛らしい感じです。

私は別れた後も、とても懐かしくて、その日は機嫌よく寝ました。


そして、翌朝、目を覚ました時、あからさまな異変に気づきます。

一言でいえば、モノクロだった人生がハイビジョンになった感じ!

天井が輝き、窓を開けると、木々が鮮やかに見え、すべての
森羅万象が「私」でした。心がグニャーと溶けて、素晴らしい、
快楽と安堵を感じます。私は、「ただいま」と、つぶやきました。

そうです、私は再び、あの「愛」の状態に、はまりこんだのです。

すでに一年がたち、あきらめかけて、期待していない時に!





今回の恋に落ちた状態には、以前のような、脳がぶっとぶ激しさ、
気が狂ったような感覚はありませんでした。すでに二回目なので
慣れたせいもあるでしょうが、もっと穏やかで、澄み切っていました。

前回が「赤」だとしたら、今回は「青」の感情です。とはいっても、
スコーンと脳が開き、心も全開となり、全身が多幸感でいっぱい。

やった!夢が叶ったと喜びました。なにしろ、何度も思ったのが、
一年前の恋愛を最初から、やりなおしたいという後悔でしたし、
人の心理のことなど何もわからず暴走したことを反省してました。

ひどいことをしたという罪悪感にも苦しんだし、何よりも、せっかく、
生まれた「愛」の状態を、自らの手で殺したことが、悔やまれます。

私は一年前、それはそれは、手痛いミスをしでかしていたのです。


最初、恋に落ちた時点では、活き活きとした愛の状態だったのが、
嫉妬や所有欲が出てくるにつれ、それは不純なものと堕ちました。

まさか自分の彼女になるわけがない、と所有しようとしなかった時は、
愛は凄まじい量、内側から沸きあがっていたのに、それを失うことが
怖くなり、なんとかして維持させたい、連続性を持たせて、安全に
したい、などと考えたが最後、転げ落ちるように、愛は死んでいった。

つまり、思考の介入により、今この瞬間にある素晴らしい状態を、
たんなる記憶にして断片化し、「今ここ」に生きれなくなったのです。

思考が主役になった時点で、愛情は面白いように消えていきます。

愛してると思っても、それは、たんなる記憶です。断片化してるので、
必ず矛盾が生まれ、憎しみやストレスの連鎖となり、エゴを強化する。

その結果、何も見えなくなり、自分勝手な行動に出てしまうわけです。


もう初体験を失敗してからなんか、いかにして童貞を捨てるかという、
自分の都合しか考えなくなり、愛もへったくれもなくなり、その流れで、
全てが裏目となるような、虚しくて、ヒドイ結末が待ち受けていました。

どんなにプレゼント攻撃をしようが、ラブレター出そうが、ほめようが、
彼女は引いていきましたが、そりゃそうです。こちらのそういった行動、
その全てに、彼女を失うかもしれないという恐れがあったのですから。

こちらが何しようが、愛からの行動じゃないので、基本的には不快・・。

男側の恐怖が混じったアプローチというのは、どうにも心地よくない。
間接的に、相手に恐れという感情を差し出しているようなものだから。


彼女側に、それらを包容するような愛があるならば、その気があれば、
そういった脅えた男の心も包みこめるのでしょうが、ありませんでした。

いや、少しはあったのでしょうが、しつこくアプローチを続けるうちに、
彼女の中の愛情も、こちら側の恐怖によって消費されるというか、
奪われていったわけです。恐れている男は、与えることはできず、
意識的にも無意識的にも、相手から奪うことしかできません。

恐れている=エネルギー不足、愛を欲しがる、愛の欠如です。

恐れている人を相手にすると、最初はいいけど、次第に疲れて、
ウンザリしてきます。なんせエネルギーを奪われるわけですから!





例えば、この恐怖混じりのアプローチが、愛を殺すという感じは、
『噂のアゲメンに恋をした!』というジェシカアルバの映画の中で、
超モテモテの主役の男が、彼女を失いたくないと思ったとたんに、
猛烈アプローチをするシーンが示しています。急に、お寒くなる。

それまで順調だったのに、恐れたとたん、薄気味悪がられます。

この映画は、主役の男とSEXすると、運命の人と出会えるという
噂があがり、次から次へと女性が、その男とSEXしたがる内容で、
逆ナンパの参考になるかと思い、観ただけですが、超面白かった。

女向けの軟弱なラブコメかと思いきや、男のためのバカ映画です。
しかも、ただSEXするだけの空しさも描き、愛の大切さも描いてる。


私も、次の音声メルマガでは、愛がどんだけ大切で、しかも有効か、
描ききりたいと思っています。愛はテクニックを越え、吹き飛ばします。

そもそも、愛なくして、すべての行為は必ず、ひからびていくでしょう。

あぁ、地味な新興宗教のパンフレットみたいな内容になってきた・・・。

posted by fmtbank at 16:45| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2009年10月12日

第一次ひきこもり期の脱出方法


やはり、大失恋した時というのは、人間、やる気をなくします。

今回も、学生時代に好きだった彼女との、失恋話の続きです。





私は全てを失った気持ちになり絶望し、部屋に引きこもりました。

大学は、辞めるつもりだったので授業には全く出てなく、次の年に、
新たな大学を受けなおすために、仮面浪人していた受験勉強も、
彼女に恋してしまったため、全て投げ出してしまった状態でした。

そして、そんな全てを賭けていた彼女に対し、ムリヤリ押し倒して、
やろうとしたところ、鬼のような抵抗にあい、ショックで落ち込んで、
その罪悪感と後悔と、彼女の豹変ぶりに幻滅し、絶望しました・・。


もう絶対、彼女と仲良くなれないだろうし、そもそも、こんな怖い、
凶暴な女性を好きだったのかと、今までの想いも消えてしまった。

完全なる失恋です。恋心まで死んでしまい、もう手元には何も
残されていませんでした。彼女も、そして、将来への展望も・・・。

こうなったら、一切の気力もなく、引きこもる以外にありません。


他人と触れあう気が起きず、外出するのは一番近いコンビニと、
一番近い中華料理屋ぐらいで、食欲も激減し、やせ細りました。

何をするでもなく、ただ寝そべっているだけで、もはや廃人です。
とにかく、他人とコミュニケーションをとりたくなく、自閉しました。

ある時、中華料理屋のオヤジが珍しく話しかけてきた時なんか、
完全無視して、それから気まずくなり、行けなくなったほどです。


そうして、しばらく寝込んだ後、少しずつパワーを取り戻してきて、
今度は、救いを求めて、本に向かいました。ハートブレイクによる、
虚しさから救われるために、本を読んで、読んで、読みまくります。

主に、哲学書から心理学、宗教書まで、聞いたことのある本は、
片っ端から読んでいきました。そのため、私の行動範囲も、また、
近所の図書館まで広がり、さらに電車に乗って、大きな本屋へ、
足を運べるようになり、とことん、読書に耽る日々を過ごしました。

もはや、朝も夜も関係なく、無我夢中で読み続け、大興奮です。

というのも、悩んでいたことへの答えが、全部書いてあったから!





なぜ失恋してしまったんだろう?どうすれば、うまくいったのだろうか?

そもそも、あの恋に落ちた時の、脳みそが吹っ飛ぶような快感は何?

そして、その絶大な幸福感が、どうして、消えていってしまったのか?


冷静になるにつれ、それらの疑問が、常に脳裏に浮かびましたが、
そういったもの全てに、いにしえの書物たちが答えてくれたのです。

それは、インド思想でした。西洋の哲学は、あまりに理屈っぽくて、
途中で挫折しましたが、インドは違います。直接的な口語も多く、
非常にわかりやすかった。特に、ハートをわしづかみにされたのが、
「思考を超越すること」こそが、メインとなっていたところでしょうか。

西洋は、思考にこだわりすぎていて、結局、考えて、考えぬいても、
彼女とうまくいかなった私にはピンとこなかった。むしろ考えまくり、
普段から人間関係に対して、疲れまくっていたわけで、そうなると、
思考なんぞは、人間を幸せにしないという論理の方に惹かれます。

なんせ、クリシュナムリティなどは、思考自体がポジティブだろうが、
時間の領域にあるため制限されており、その裏には、悲しみがあり、
思考そのものが、結局は「恐怖そのもの」などと繰り返し主張します。

プラス思考になろう、だとか、勇気を出して行動しようとかもいわない。

ひたすら思考を取り上げて否定していくんですよ。これまで知らない、
聞いたこともない論理で、それはそれは夢中になりました。インドには、
マハリシだとか、他にも大勢の覚者がいて、それぞれが微妙に違って、
キャラがあり、時には、否定しあってて、面白くてたまらんかったですね。


それで気づけばアッという間、失恋してから、すでに一年たっていました。

その前は、受験勉強で一年間、宅浪していましたし、恋をして、ちょっと
外に出たかと思えば失恋し、再び、部屋にこもる生活に戻った感じです。

しかし今回は、無意味な受験勉強、ただの機械的な暗記ではなくて、
本当に知りたいことを、ひたすら追い求めるための一年間でしたから、
まったく違うものでした。これまでの古い価値観が死に、失恋で空っぽ
になったスペースに、新しい価値観がドッと押し寄せた、有意義なもの。

むしろ、これまで身につけてきた汚れを落として、目覚めるための過程。

新たなものが入るためには、古きものは壊されなくてはいけないのです。

そして、痛々しい失恋こそが、その再構築のキッカケとなり、もう最高!

確かに、灰色の青春でしたが、今では、心底よかったと思っています。





こうして、ショックな事というのは、新たに生まれ変わる機会となります。

もし彼女とうまくいってたら、こんなに躍起になって、胡散臭そうな書物を
読みまくることなどなかったでしょう。フワフワと生きてるだけで、何ひとつ、
変わらなかったと思います。というか、遅かれ早かれ、必ず破綻したに
違いないし、精神的な破壊は、早ければ早いほど、よかったと思います。

そもそも、あんな対人恐怖症の状態で、その先、うまくいくわけがないです。

あの苦しみを継続させる位なら、一度、徹底して、ぶっ壊した方がいい。
そして、ちゃんと社会に機能する、新たな自分を構築しなおしたかった。

そのために、失恋のショックと、読書のリハビリ生活が必要だったのです。


壊れて空になったからこそ、私は再起することができました。本当ならば、
少しずつ解放していく方がいいのでしょうが、私の場合、ずいぶん荒療治
だったような気がします。だからこそ、立ち上がるまでに一年を要しました。

そうです、私は、ようやく、対人恐怖症から立ち直ったのです。

そのキッカケは、ただ本を読みまくることだけではありません。

ちゃんとした大きなキッカケが、感動的なギフトがありました。

それは、まさかの、思ってもみなかった、大恋愛でした。


私は引きこもって一年後、再び恋に落ちたのです。

それも、一年前に失恋した、同じ相手に・・・。

posted by fmtbank at 16:59| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2009年10月08日

女性恐怖症になってしまった

ずいぶん間があいてしまいましたが、またまた更新再開します。

気づいたら、ここ1ヶ月以上も、遠い過去の話だけで引っ張り、
全然、『純愛ナンパ』の本編に入っていませんでした。自分でも、
書いてるうちに飽きてしまい、助走の段階でへばった感じですね。

本当は、ほんの数回で終わらせるつもりだったのに、思い入れが
強かったのでしょう。いつの間にか、入り込んでしまっていました。

現在は、毎日のように新たな気づきがあるため、もう過去の話は、
そんなに気持ち入れて書く気になれません。ですから、ごく簡単に、
続きの概略を述べたいと思います。私の20才の頃の恋愛話です。

まずは、これまでのあらすじから、その末路まで一気に述べます。





一年間、受験勉強のために宅浪し、他人と話してなかったので、
私は、せっかく大学に入っても、対人恐怖症となり、最低でした。

そして授業には出ず、「入った大学が悪い!」と、責任転嫁して、
部屋で仮面浪人していました。しかし受験勉強に役立つために
通っていた、サークルのマドンナにほれてしまい、恋に落ちます。

絶対ダメだと思ってデートに誘うとOKをもらい、何回かデートでき、
あまりの嬉しさと、これまでに抑圧していた愛情が爆発して、狂気
じみた多幸感に包まれ、それは、まるで悟りの一瞥のようでした。

長い間ずっと孤独でいたからこその、あまりに反動的な激情・・・。

現実感がないほどの幸せに貫かれ、涙をボロボロ流す毎日・・・。


もう受験勉強なんて投げうって、全てのパワーを彼女に注ぎます。

夏休みで会えない時は、情熱的なラブレターを書きまくり、彼女の
心も揺さぶられたようで、ついに、高級ホテルのスウィートにまで
ついてきて、ファーストキス、最後は、初体験までいくところでした。

ところが、これが緊張しすぎて大失敗し、彼女は帰ってしまい、
私は、あまりのショックから、そのまま傷心旅行に出かけました。

男というのは、女で自信を失くした時は、なんとか他の分野で、
自信を取り戻そうとします。それが、無謀な無銭旅行でした。

そういうの元から出来るアウトドアな人なら、なんてことなくても、
私は、極度のインドア人間です。普段なら、絶対できませんが、
初体験失敗のショックで自暴自棄になってたからこその話です。

そうして、人生初めての野宿やヒッチハイク、店への食物要求、
道行く人への小銭要求と、これまでにしようとも思わなかった、
図々しいことをやり遂げたことにより、私は自信を取り戻します。


そこで、初体験失敗した彼女を、再度、デートに誘いました。

ダメもとだったのですが、快くOKをもらい、今度こそ初体験を
成功させる!と心に固く誓い、鼻息荒く、デートに向かいます。

今度は動物園に行き、無銭旅行の話をして盛り上がった後で、
ラブホテルに誘いましたが、彼女は断ります。それでも押して、
粘ったのですが、結局、ダメでした。後味悪く、終了となります・・。





この後から、彼女はデートに応じてくれなくなり、私は焦りました。

とにかく押せばいいんだと思い、バラの花束などプレゼントを贈り、
以前、評判がよかったラブレターも、また出しました。ところがもう、
押せば押すほど、以前とは違う、そっけない態度をとられてしまう。

どうしたらいいんだろう?と分からないまま、とにかく、押すだけです。

最後は、彼女が帰って来る最寄駅で、待ち伏せまでして、なんとか、
理由をつけて、一人暮らしを始めた、彼女の部屋に上がりこみます。

上がってしまえば、こっちのもの!とばかりに、彼女の体にふれて、
押し倒そうとしたのですが、これがもう、最悪の結果となりました。

すさまじい抵抗にあい、私は、女性恐怖症になったのです・・・。


マジギレした彼女は、鬼のような形相で抵抗し、これまでずっと、
ニコニコして可愛らしかった子とは別人と化しました。凄い怖え!

「イヤよイヤよも好きのうち」なんて言葉は吹っ飛び、足払いだとか、
爪を立てて首をしめてきたりなど、本気モードの抵抗です。私自身、
心底ビビリ、これまた、どうしたらいいのかわからず、ただ粘るだけ・・。

結局、彼女は抵抗するのではなく、いきなり大の字に横たわって、
「好きにしろ!」とばかりに、鋭い目で、こちらを睨みつけています。

ま、まさか、こんなムードのない状況で、出来るわけがない・・・。

ずっとパニクってた私も、やっと冷静になり、判断がつきました。


これで終わりだ!とりかえしのつかないことをしてしまった・・・。


あとは、そのまま後じさりして、負け犬は、去るのみでした。

彼女に対する美化、幻想も、すべて砕け散ってしまいました。

そして、もう二度と恋愛などしないと、部屋に引きこもります。

これが、「第一次ひきこもり期」のキッカケです。南無〜・・・。

posted by fmtbank at 18:39| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2009年09月28日

食欲と性欲について

あなたは、ちゃんと空腹の状態で、ナンパしていますか?

ナンパ行く前に、腹が減っては戦ができぬとばかりに、何かしら
食べてから、元気いっぱいに行動できている方は、別としまして、
もし、なぜかモチベーションが上がらないという方がいましたら、
ナンパの前やナンパ中に食事してませんか?しかもガッツリと。

ハッキリいって、ナンパするには満腹ではなく、少しハングリー
の方がいいと思います。食事をすると、必ず体はゆるみます。
消化活動が始まって、副交感神経優位となり、ボーッとする。

血液が胃と腸にとられるので、頭も働かなくなり、体の動きも、
鈍くなり、声かけなくてもいいか、と面倒くさくなるケースが多い。

ただし、食事した直後は、血糖値が急激に上がるため、パワー
にあふれて元気になるんですが、それは1時間もすれば下がり、
かえってグッタリする。砂糖やアルコールなども同じで、短期勝負
には向いていますが、長期的には、効率が悪くなってしまいます。


やはり、ナンパは、ウォーキング以上に激しいスポーツですし、
頭脳も結構使いますので、心身ともに、聡明な状態が好ましい。

なので、腹ペコでナンパする方がいいでしょう。もしナンパした子と
喫茶店や飲み屋などに入るにしても、腹いっぱいだと嬉しくない。

ナンパで相手を見つけるまで、絶対に一人で飲食しないと決めて、
何か甘い物を飲みたいから、食べたいから、というモチベーションを
利用するのも一つの手です。食欲をもとにナンパするわけですね。

他にも、一声かけたら10円で、50人声かけたら500円GET!
(もちろん、一声のレートを100円にして、10人で千円でもいい)
なんていう風に、声かけ数で使えるお金を決めていくのも楽しい。

腹へっている状態なので、思った以上に、頑張れるでしょう。

空腹という状態は、自分に、ご褒美を与えやすいんです。

最近、モチベーションが落ちている方は、どうか参考に。





では、食欲と性欲について、もう一歩踏み込んで考察します。

どこかのサイトで、「男の性欲を抑えるには満腹感が一番」と、
書いてありました。男というのは、空腹だとムラムラくるけれど、
満腹だと性欲が抑えられるとのこと。これは、本当でしょうか?

むしろ反対に、ご飯を食べたら、血液が下腹部に集まるため、
同時にムラムラしてくるケースが多いのでは?そうはいっても、
私自身、一番性欲が高まっていたのは、一番貧乏な時です。

一日一食の生活で、死んでやろう!と、ナンパに強烈な覚悟で
挑んでいた時は、もう、すぐに相手を抱きしめて、すぐやりましたが、
その後、食欲が満たされてきたら、性欲も下降していったのです。

そういう意味では、「空腹だと性欲が高まる」、これは事実でしょう。

しかし、もう一つ、違った側面で、食欲と性欲の相関は語れます。


まず食欲というのは、個体を維持していくための本能です。つまり、
「自分が生きるために」食べるという行為ですね。ところが、性欲は、
自分というよりも、DNAというか、人間という種を継続させる本能です。

食欲が、「今日、自分が生きるため」でしかないのに、性欲になると、
自分が死んでも、その種を残していくための本能で、全然違います。

よく子供を助けるために、親が自分の身を犠牲にしますが、これこそ、
愛と呼ばれているものであり、自分の種を残していく本能ともいえます。

だから、性欲というのは、ある意味、自分の種が未来に残せるのなら、
自分の身は、どうなってもいい、死んでもいい、ということになるでしょう。

だから、男女関係を見ても、「この女のためなら死んでもいい」という、
恋愛感情が沸き起こることもあり、男は女を命がけで守ったりします。

実は、そういった英雄的行為も、たんなる種を残す本能でありますが、
なぜか私達は、とても感動する。自分を犠牲にした行為というものに、
憧れまで抱くこともあります。そして、特に、女性はそうかもしれません。


つまり、自分を命がけで守ってくれる男に、女は惚れるという説です。

確かに、そんなドラマや映画みたいなシーンは、滅多にないけれども、
日常生活の瞬間瞬間に、そういったものを感じさせてくれる男ですね。

それは、どういうことかというと、自分を守らないで、堂々としている男。

または、普段はダメ男でも、いざとなったら強烈な意志を発揮する男。

「私のために、ポーンと命を投げ出してしまうような、危うい男なの・・。」

そんなんが、最終的に、心をわし掴みにするんじゃないのでしょうか?


となると、イジイジして、自分が傷つかないように、自分を守ってる男は、
まったくもってダメだということになります。気持ち悪い、の一言で終わり。

ただ図々しくて、「お前が好きだ」の一点張りの男でも、堂々としていると、
うまくいってたりします。男に感じるセクシーさというのは、本当は簡単で、
自分の種を残すために、役に立ってくれるかどうか、それだけなのでは?

そして、男側からいえば、自分の命を捨ててもいい、それに値する女。

そんな相手を見つけようではないか!じゃなきゃ、つまらんわい!

posted by fmtbank at 13:49| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2009年09月25日

人生は宝探しゲーム

ここ最近、ずいぶん昔の無銭旅行の話を続けてましたが、
そこから派生して、人生そのものを語りたいと思います。

今までのナンパ体験談からも導かれた、いわゆる総括。

ま〜た説教臭くなっちゃわないように、サラッといきます。





まず人生とは、夢をかなえるためにある、だとか、幸せに
なるために我々は生きている、なんて言説をよく聞きます。

さらに、スピリチャル系では、前世で残した課題をクリアして、
魂の修行をするために生まれてきた、なんて説も主流です。

でも、それだと少し重いというか、真面目すぎる気がします。
もっと自分に起きた出来事を、突き放したほうが楽でしょう。


私が感じるのは、もっと人生は軽くて、暇つぶしに近いような、
TVゲームのような、エンターテイメントにすぎないということで、
一言でいえば、『宝探しゲーム』そのものではないでしょうか?

隠されているものを発見して喜び、その過程をハラハラと、
ただ楽しむ。それも、けっこう遠回りが許される遊びです。

いろいろ、うろついて遊んでたら、本筋とは関係ないところで、
あるアイテムが手に入ったり、今まで打開できなかった壁を、
ある発見から突破できたり、ロールプレイングゲームですね。


しかも、RPG以上にシンプルで、ただ宝を見つけるだけの、
本当に純粋に、「発見して、感動した」で終わりのゲームで、
別に「成長」がどうしただとかも、あんま関係ない気がします。

それのどこが面白い?と思うかもしれませんが、もう最高!

何が面白いって、何たって、宝の隠し場所が素晴らしい。

ちゃんと感動できるように、緻密に考えられているんです。





宝探しといっても、当然、人それぞれの宝は違うでしょう。

一言でお金だ、モノだ、女だ、名誉だ、安心だといっても、
さらに細かい諸条件があり、自分の個性を反映しますし、
そもそも、自分が何を求めているのか不明の時もあります。

なので単純に、自分が手にして、発見して嬉しいもの、
また、何か問題を解決する糸口になるものなど、要は、
自分にとって役立ち、気持ち良い経験を「宝」とします。

でも宝は、宝というだけあって、いとも簡単に見つからず、
人間が見つけにくい所に、巧妙に隠されているのです。

そして、その隠し場所には、3つのポイントがあります。

以下、いわれてみればその通りの3つのポイントです。


1、怖いところ

もう単純な話です。怖いところは人間、行きたくないし、
怖いものは見たくもない。宝は、見つかりにくいところに
あるわけで、やはり、その人の恐れてる所に隠してある。

そこで勇気を出して覗きこめば、宝が見つかる。そして、
怖いというのは、その宝を隠すための、ただのフェイクに
すぎなかったと、見事、化けの皮もはがれ、消えてしまう。

その恐怖が消える自体が、宝でもあるし、そこで得た、
自由感でもって、さらに怖いところへと突入もできます。

ただし、自分が恐れていることに気がつかない場合も多く、
たんに面倒くさいだとか、無意味だとか、コンプレックスで、
現実を見ないようにしていることもあるので、要注意です。


2、当たり前のところ

これも見逃しがちな場所なので、宝はよく隠されてます。
全然うまくいかないと悩んでいたら、結局、答えは一番、
簡単で素朴なことだったりして、大変驚いてしまいます。

なんせ、多くの答えは、一番身近で素朴なところにある!
(ナンパの声かけなんて、その最たるものですが)

例えば、私は、あるレアなCDを手に入れたくて、アマゾン
などのネットでも手に入らず、中古屋もウンザリするほど、
まわったのになかったのですが、なんと、あきらめた頃に、
一番近所の小さなCDショップで発見したことがあります。

そこにあるわけないと、最初からチェックしなかったんです。

これはあたかも、悟りを開いた人が、自我というのは幻!
と気づいて、目覚める話に似ています。一番身近である
自分というものが幻想だとわかった日には、感動しますよ。

また、当たり前と思い、ぞんざいに扱ってたものを失って、
初めて宝だったと気づかせる、そんな仕掛けもありますね。


3、今だ!という限定されたところ

宝というのは、常に、一定の場所に存在するのではなく、
まさに、その瞬間に手に入れないと、もうアッという間に、
かき消えてしまうという、期間限定のものも多いですね。

チャンスは一瞬、というやつです。その時は、あきらかに、
宝への扉は開いているのですが、それは大抵、まさか!
という意外な瞬間や場所で現れるので、すぐ動けない。

考えてしまうと、そこで終わり、扉は閉じてしまう。つまり、
直感的に飛び込むことを求められる場合があり、これが
出来なかったことで、一生を棒に振ることさえあるでしょう。

しかし、見事、飛び込めた暁には、リターンは絶大です。

だからこそ、リスクを乗り越え、興奮するんじゃないか!





以上、3つのポイントを押さえれば、宝探しゲームは、
素晴らしくスリリングで、感動深いものになるでしょう。

ちなみに一応、三つには分けましたが、これらは全て、
密接につながっています。「怖いところ」に突入するため、
「当たり前のところ」を本気で探して、武器を集めます。

また、「怖いところ」を突破して、視界が広がったからこそ、
「当たり前のところ」を、新たな視点で見れるようにもなる。

そして、「今だ!」というチャンスには、心の準備がなかろうが、
飛び込めば、後から勝手に、準備が整っていくことが多い。
これは本当に不思議で、すべてが用意されていたりします。

しかし反対に、着々と準備を整えていたからこそ、扉が開き、
その開いたことを察知できたというケースもあり、両方必要で、
全ては、逆のことが支えあって、ゲームを構成しているわけです。


なお、「好きなところ」を探すというのは、ほっといてもそうするので、
省略しました。人間以外の動物でも、快感を感じることを求めて、
ただ自動的に生きています。それはとても自然なことで問題ない。

ただし人間には記憶というものがあるため、間違った解釈をしたり、
ガセネタの情報で縛られたりして、自分の本音を抑圧しがちです。

いわば、雑多な情報で作りあげられた「自我」に縛られています。

それがいけないのではなく、だからこそ、宝探しゲームは面白い!





どんな分野だろうが、真剣に深めていけば、宝探しゲームとなります。

ホームレスが、自動販売機の小銭を求めてさまようのも、宝探しで、
当然ながら、ナンパで声をかけてさまようのも、宝探しゲームです。

しかし、他人と関わらずに、小銭を探すゲームは、すぐ飽きますが、
ナンパという男女関係をもとにしたゲームは、実に、奥が深いもの。

次々といろんなキャラが現われ、会話して溶け合い、ボスキャラが
登場したかと思うと、世界観も一変する、究極の悟りゲームです。


しかも基本操作は、たんにクリックするかどうかで、必死で頑張る!
というような努力ではなく、真理に気づくか気づかないかのゲーム。

その過程で、「怖いもの」に直面する勇気や、「当たり前のもの」に、
あらためて気づく洞察力、そして、「今だ!」という瞬間に飛べる、
瞬発力と、そのための準備を重ね続ける、忍耐力が鍛えられます。

世の中に、これほど面白くて実利的なゲームはあるのでしょうか?

他に、もっと面白いゲームがあるのなら、おせーて、おせーて。

posted by fmtbank at 16:24| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2009年09月20日

求めよ、さらば与えられん!

無銭旅行の四日目、私はふたたび広島に舞い戻った。

そして熊本のときのように、自動販売機の下を探したが、
なかなか小銭が見つからない。どうやら先を越されている。

たぶん熊本よりも、広島にはホームレスがいたのだと思う。
たいていの自販機の下は、すでに、まっさらの状態だった。

そこで、今晩の食事どうしようか?と少し焦ったが、やがて、
とてつもない小銭の宝庫を見つけた。それは原爆ドームだ。


原爆ドームの前の噴水に、すさまじい量の小銭が落ちていた。

私は息をのんだ。誰にも手をつけられていない、貯蔵庫である。

これはまさに、私のために用意されていたと思い込み、これだけ
あれば、ホテルにも泊まれる!と、大喜びして、ジャブジャブと、
噴水の底をさらおうとしたが、ふとバチが当たると思いとどまり、
さすがにマナーに反すると、その場にあぐらをかいて座り込んだ。

うーむ・・・、いざとなったら、これらの小銭に助けてもらうとしても、
せっかくの無銭旅行だし、なにか新たなことにも挑戦してみたい。

どうせ明日は帰るだけだから、実質的には、今夜が最終日である。

思えば、これまでほとんど人とは関わらないで、旅をしてきたので、
最後位は、他人に働きかけてみたくなった。熊本でヒッチハイク
できたのも、向こうから声をかけてくれたわけだし、今度こそは、
ちゃんと自分から声をかけて、助けてもらおう。断られてもいい。


そこで私は、食べ物屋に出向いていって、何か食べ物をくれと、
直々に頼み込むことにした。今までの人生で、そんな大それた、
恥ずかしい事などしたこともなかったが、乞食同然の数日を経て、
開き直っていたこともあり、なんとか勇気を出して、挑戦してみた。

まずは、近くにあった肉屋に入り、「食べ物をください」と言った。

おそらく断られるどころか、凄い嫌な目で見られ、追い払われる、
そう覚悟していたのだが、なんとまぁ、あっさりと、「あー、いいよ。」
と主人は、タダでコロッケをくれた。しかも10個以上も、大量に!

ちょうど店じまいの時間だったから、売れ残りをくれたのだろうが、
私はビックリ仰天してしまった。まさか、こんなにも簡単にいくとは・・・。

とにかく腹減ってたので、コロッケをパクつき、ウォータークーラー
のある施設でガブ飲みしつつ、すぐに全てをたいらげてしまった。





いやはや、満足である。ちゃんと自分でお店に頼み込むという、
挑戦をはたした充実感と、肉体的な満腹感とに、幸せに包まれ、
これで、旅のフィニッシュをかざれたと、やりきった気持ちである。

ここはいっちょ、最後に乾杯したい気持ちになった。しかしながら、
酒屋に行って、ビールください、とは頼みづらい。先程の肉屋も、
無銭旅行中で腹がペコペコなんです、と言ったからこそ成功した。

酒屋では、同じようなノリは使えないだろう。そこで私は、さらに、
見知らぬ歩いている人から、お金をもらおうと思った。要するに、
「無一文なんです。100円ください。」と、真正面から頼むのだ。

先程の肉屋も、期待してなかったのに、いきなり一軒目で成功し、
今回の試みだって、もしかしたら、意外に簡単にいくかもしれない。


そんな甘い予測を立てて、サラリーマンの人に声をかけたのだが、
急いでいるからと断られ、ダメだった。さすがに、見通しが甘かった、
と反省しつつ、今度は、お金持ちそうなおばさんにいくが、ダメ・・・。

その時は、完全に乞食を見るような目で見られ、かなり落ち込む。

確かに、いきなり話しかけて、小銭を求めるなんて、乞食だが・・・。

心は折れかかっていたが、あと一人だけは声かけようと、歩き回り、
なかなか声かけれないまま、よし!次に来た人に絶対に声かける!
そう決意し、私は準備していた。そして、ある曲がり角にきたとき、

いきなり現われた可愛い子に、私は驚いて、声をかけてしまった・・。


ハッキリいって、野宿を重ねて、かなり汚い格好だったし、若い女の子
なんかに声かけるつもりはなかった。気持ち悪がられたら、ショックが
大きいし、サラリーマンや年配の人の方が、くれると思っていたのだ。

でも、そのつもりはなかったのに、一瞬、頭が真っ白になったせいか、
「すいません、100円くれませんか?」と、私は、頼み込んでいた。

すると、その子はニコッと笑って、すぐに100円玉を手渡してくれ、
「がんばってください。」と言い残し、去って行った。なんてことだ!

絶対に、くれるわけないと、思い込んでいたタイプの人がくれた!

現実とは、そういうものである。ムリだと思い込んでるだけなんだ。





そうして私は、缶ビールをプシュッと開け、夜空に乾杯しながら、
四日間にわたる無銭旅行を、無事終えた。まさに美酒だった。

当時は、ナンパなんて大それたことは考えもしなかったが、
今から思えば、この時の声かけこそが、タダナンパの原点。

そして、人間は開き直りさえすれば、凄いパワーが出てきて、
何でも出来るということを知った、初めての体験でもあった。


もう充分だった。私は、ほんの数日で、すっかり成長していた。

これで、あの初体験を失敗した彼女に、再度アプローチする
自信も持てた。戻ったら、また誘って、必ず童貞を捨てるぞ!

私は、そのまま一番人通りが多いところで、大の字になって、
寝そべりながら、全身にみなぎる自信とともに、眠りに入る。

まさか、その直後、女性恐怖症になるとも知らずに・・・。

posted by fmtbank at 11:15| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする