2009年11月18日

瞑想のやりすぎには注意

とにかく自信がない内向的な人には、瞑想が大きな武器となる。

どうしてもナンパがうまくいかない人は、瞑想もするべきだと思う。

よく自己啓発書にも、自信に満ちた自分をイメージしたり、願望が
実現しているところを鮮明に想像すると、うまくいくと書かれている。

ただし、挑戦してみて挫折した人は、かなりの数いるに違いない・・。


なぜなら、自分の脳を操作しようとするINPUT系の瞑想というのは、
けっこう難しい。自分のネガティブな部分を認識せずに、ただただ、
嫌なところは見ないで、その上から理想的な自分を上塗りするだけ。

それは、クソの上に金粉を塗りたくっているようなもので、もう簡単に、
ボロが出る。表面的な取り繕いにすぎない。それよりも、まず最初に
やるべきなのが、自分の中を浄化する、OUTPUT系の瞑想である。

これで心をクリーンにしてからでないと、結局、何も変わりやしない。





OUTPUT系の瞑想とは、ただ自分の中を見つめて、大掃除すること。

たんに受動的に見つめてるだけで、ポコポコと、普段抑圧してきた、
自分の感情や記憶が浮かび上がってくる。そして見れば消えていく。
(子供の頃のトラウマも、大人の自分がちゃんと見れば消えるもの)

ナンパのように、たいがい最初は何も起きないから、忍耐が必要だが、
私自身も、数ヵ月後に、いきなり凄まじい「ごめんなさい」という感情が、
浮かび上がってきて、一気に浄化されたことがあり、それからは前より、
深く瞑想に入っていけるようになった。そこで初めて、INPUT系に入った。


やはり最初は全然イメージできないので、まずは赤や青とか、いろんな色
を見てから目をつぶり、残像を利用してイメージを試みた。そうして形から、
写真へと複雑なものに挑戦していき、最後は写真がなくとも、山とか海とか、
いろんな場所にいる自分を想像したり、体感まで再現できるようになった。

なぜ、こんな地味な訓練を、部屋に引きこもって何年間もできたかというと、
想像力を自由に操るものこそ、世界を操ることになり、最強だと思い込んで、
はまりまくっていたからである。これだけで、全てうまくいくと信じ込んでいた。

その割には、実生活に役立つことはせず、ひたすらエンターテイメント系の
瞑想ばかりして遊んでおり、まだ社会に出る気は、さらさらなかったのだが・・。


今では、すっかりテレビや映画も見なくなっていた。なぜなら、目をつむれば、
瞑想に入れば、勝手に第三の目に映像が流れて、そっちの方が面白かった。

その映像というのが、自分で想像しているうちに勝手に展開を始めて、意外な
方向に進んだり、アッと驚く登場人物が出てきたり、自分一人にしかわからない
ギャグというか、コントというか、シュールきわまりなく、とても繊細で楽しいのだ。

しかも、自分の意向を介入できるので、インタラクティブ(双方向)の娯楽である。

まるで起きたまま夢を見ている感じで、たんなる妄想ではあるが、リアルな体感
も伴うわけだから、他人の手あかのついたTV番組などとは、比べものにならない。


これを娯楽系の瞑想といい、イメージ能力のある人なら、ずっと楽しんでいられる。

私もイメージ能力が錆ついて、何も浮かばなかった時には、絶対無理だったが、
リラックスできて、ちゃんとイメージできるようになったら、面白くてしょうがない。

やはり瞑想って素晴らしいわ!そう再確認し、さらに、のめりこんでいった。

ところが、瞑想は楽しいことだけではない。当然ながら、闇もあったのだ・・・。





まず体に異変があった。常に頭痛がして、体調が悪くなってしまった。

これは激しい呼吸法をやりすぎたのが原因だが、すんごい苦しんだ。

瞑想をこれからやる人がいたら、呼吸法には注意してほしい。いきなり、
激しい呼吸はしない方がいい。体が硬いまま、強引にやると、体を壊す。

私は、短い呼吸をしまくって体を過酸化状態にし、呼吸が止まるような、
つまり仮死状態になって、そこで綺麗なイメージを見るなんてことなども、
やってしまっていたし、そうとう体に悪かった。何カ月も頭痛に悩まされた。

いろんな本を読んで、その通りやっても、頭痛はひどくなる一方だった。


結局、呼吸法は全部やめてしまい、自然呼吸だけに戻したら治った。

本の通りにやっても、自分に合うかどうかはわからないので、ある特定の
手法を過信してはいけない。自分の感覚こそを、信じるべきだと思った。

また瞑想は一人よがりになりがちなので、浮かんできた想いに、あまり
とらわれてはいけない。いきなり、「私は織田信長の生まれ変わりだ!」
とマゲを結い、ホトトギスを殺しまくったりする可能性もないとはいえない。

客観性を失わないためにも、世間とのふれあい、ナンパが必要である。


何無派(ナンパ)は、外なる世界へと貫通し、瞑想は、内なる世界へと、

広がっていく。ナンパと瞑想は、自由へと駆け抜ける両輪ともいえよう。

だが、自由には必ずリスクが伴う。特に、ナンパより、瞑想の方が怖い。

私は瞑想のおかげで、今まで生きてきて一番苦しいめにあったのだ・・・。


(次回、瞑想の恐ろしさ)

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2009年11月14日

赤ちゃんから、やりなおす!

お金もいらない、何もなくとも出来るもの、それが瞑想である。

古くから、瞑想は、人を根本から救う、万能薬とも言われてきた。

私も瞑想によって、第二次ひきこもり期から救われた。というよりも、
途中からは、瞑想していたいから、自ら引きこもり続けたといえよう。

それだけ夢中になったし、一言で瞑想といっても、多種多様な方法
があり、ほとんどの本を参考にしながら、片っぱしから試していった。

それは、生まれて初めての内部への旅であり、感動の連続となった。

ただし、瞑想といえば、願望実現のためのイメージ操作が有名だが、
私はイメージが出来なかったので、ひたすら内面を見つめるだけの
受動的な瞑想に励んだ。それでも充分、爆発的な効果をもたらした。


コツとしては、まずは自分の肉体を感じることから始めて、それから、
思考を眺めるようにする。とにかく感じるという状態を覚えなければ、
何やっても、ただゴチャゴチャ自分で考えているだけになってしまう。

なので、まずは呼吸法や、「手が温かくなる」といった自律訓練など、
肉体に働きかけて変性意識に入る練習を、繰り返して慣らしていく。

これはナンパで、まずは結果より、声をかけて慣らしていくのと同じ!

声かけれなきゃ話が始まらないわけで、瞑想においても、心が静まり、
自分の内部を見つめられる状態にならないと、何も起こりやしない。


ナンパワールドに入るためには、初期において、せっせと声かけし、
土台を作っておかないと先がないように、インナーワールドに入り、
自己から解放されていくためには、「感じる」モードに慣れることだ。

といっても、そんなに難しいことではなく、ただ何もしなければいい。

瞑想のポーズも、なんだっていい。ただスーッと精神を受け身にし、
「今」を感じればいいだけで、やがてそれが心に革命を起こすのだ。





私の場合、最初の3カ月は、瞑想に関する本を読みながら、少しずつ、
試していった。ほとんど何も効果を感じなかったが、呼吸法やポーズを、
いろいろ試して遊んでいたので、なんとかモチベーションは続いていた。

それに、好きだった女の子からフラれてしまい絶望した時、一瞬にして、
悩みが消えたという成功体験もあったため、瞑想を信じていたのである。

ちなみに、「もうメールしない」と最終通告をしてきた彼女は、なんとまぁ、
またメールしてきて、やりとりは復活していた。相変わらず、気まぐれで、
何度も動揺させられたが、私は彼女への執着を、瞑想に利用しようとし、
落ち込んだり、嫌な気持ちになった時こそ、これ幸いにと瞑想していた。

そんな感じで、瞑想を続けていたある時、突然、大きな変化が起こった。


いきなり、大粒の涙が出てきて、内側からグワーッとエネルギーの塊が、
せり上がってきた。そして私は、ひたすら「ごめんなさい」と、謝り続けた。

これは、他の誰かに対してではなく、自分に対しての「ごめんなさい」で、
今まで充分に生きてこなかった、やりたいことを抑えまくってきた苦しみ、
それを訴える、本来の自分、いわば潜在意識に対しての懺悔であった。

好きなことを意識にジャマされてばかりで、潜在意識は、怒りまくってた。

瞑想というのは、人を素直にする。私は、しばらくの間、あやまり続けた。

この「ごめんなさい」の時期を超えると、すんげえスッキリし、浄化されて、
より深く、自分の内面に入れるようになった。いよいよ、次の段階がきた。

私は、今まで間違えた生き方をしてきたと、自らを恥じ入り、こうなったら、
生まれた時から、赤ちゃんからやり直したい、と強く思い、次に、そうした。


赤ちゃんというのは、言葉を使わない。全部、イメージや感覚だけで生き、
だからこそ、記憶力や直感力というのは、天才だ。私は、汚い大人となり、
すっかり、どうしようもない垢がこびりついた自分の脳を、清めたくなった。

考えてばかりで、自分にストップをかけるのではなく、素直に、ノビノビと、
みずみずしい脳を取り戻したくなり、赤ちゃんから、やりなおすことにした。

アホかと思われるかもしれないが、七田チャイルドアカデミーの幼児用の、
右脳トレーニングキットを取り寄せて、訓練を始めた。要は、自分に対して、
イメージ力に関しての英才教育を始めたのだ。来年、三十路になる男が!


私の脳は、すっかりサビついており、何かを想像しようとしても、ハッキリと、
浮かばなくなっていた。たとえば、リンゴを思い浮かべようとしても、ボーッ
と赤い感じだけしか浮かばず、イメージ力が、おじいさん並みだったのだ。

これじゃあいけないと、初歩の初歩、色を見てから目を閉じ、残像を利用し、
思い浮かべることから始め、色から形、そして写真と、どんどん複雑にして、
それでも、ちゃんと思い浮かべられるようにしていった。最後は、匂いだとか、
体感や音なども、記憶で取り出せるようにし、イメージを動かす訓練もした。

そうして、ただ受動的に瞑想するのではなく、自由に記憶やイメージを、
自分の頭の中で操作できるように訓練していき、カードの裏を透視したり、
予知してみたり、直感トレーニングなども、どんどん増やしていったのだ。

気づけば、朝から夜中までビッシリと、室内での瞑想トレーニングの日々・・。





これだけやれば、さすがに瞑想も深まり、イメージ能力も身についてきた。

かつては、リンゴを思い浮かべても、ボーッとした赤い色しか思い浮かばず、
まったくイメージ力がなかったのに、いまや、完全に写実的でリアルなリンゴ
を思い浮かべ、しかも巨大化したり、中に入って食べたり、自由自在になった。

こうなってくると面白くてしょうがない。私は天才への道を目指すことに決めた。

しかし、実は、この時点で、すでに引きこもって、二年もの月日が経過していた。


まずは、自分を清めるための受動的な瞑想をメインとして一年がたち、さらに、
二年目は、イメージ能力を活性化するための、積極的な瞑想をメインにした。

私の、「赤ちゃんからやりなおす」プロジェクトは調子よくて、つづく三年目こそは、
天才となるための訓練をメインに、頑張っていくつもりだった。しかし、転機がくる。

次第に瞑想が深まるにつれて、開けてはいけない心の扉を開いてしまったのだ。

瞑想をなめちゃいけない。心の奥底には、すえ恐ろしい、パンドラの箱があった。

私は半狂乱となり、この静かな生活から、最後は、脱出せざるをえなくなる・・・。

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2009年11月11日

答えはいらない!瞑想せよ!

第二次ひきこもり期で半年たった頃、悩みが一瞬で消えたことがあった。

それは、たんに精神的に追い込まれて、悩みと直面せざるをえなくなり、
勇気を出して見つめただけのことである。悩みは見つめただけで消えた。

こんな経験は初めてで、魔法のように思え、これが瞑想なんだ!と興奮し、
それから狂ったように、私は瞑想にのめりこんでいった。もうありとあらゆる、
瞑想や呼吸法の手法を調べて、試しまくった。その際、本も読んでいたが、
それはあくまで補助で、ひたすら瞑想を朝から晩まで実践する日々だった。


正直いって、私の人生は、この瞑想三昧の日々にこそ、最大に変わった。

第一次ひきこもり期の恋愛は、あたかも悟りの一瞥を短期間だけ見せて、
あとはその記憶にすがるような感じだったし、タダナンパに励むようになった、
あの鼻血が出るようなエキサイティング日々も、この時期の変化に比べて、
根本的ではない。すべての変化は、この瞑想の日々が基本になっている。

それだけ瞑想というのは究極的であり、これなくして、今の人生はなかった。





確かに、本だって役に立つ。新たな価値観と出会い、人生が変わるかもしれない。

しかし、新たなことを始めても、必ず壁にはぶつかる。すると今度は、その解決法
を探すために、ま〜た新しい本を読む。新たな情報を探す。それがあまりよくない。

そこに、新たなものなどいらない。今自分のいる状況と自分の内面を見つめれば、
答えは必ず出る。それが多くの者は、一番最初のつまずきで、新たなノウハウを
探す。ありがたいことに本にもネットにも情報は無数にあるし、どんどん新しそうに
見えるものが生まれてきているが、そこに答えを求めて彷徨うなら、ただの逃避だ。

なに、表面でチマチマやってんの、という話。海岸で、チャプチャプやってるだけで、
決して広大な大海原の深みにいこうとしない。本や情報だけを取り入れるというのは、
常に表面的なところで動いてるだけで、最後は必ずいきづまる。同じことの繰り返し。

行動しなきゃ意味ないと、目つむって行動するのも、結局は、堂々巡りになりがちだ。


そうじゃなくて、内面や状況というリアルにこそ、答えや宝物は隠されている。
ある程度、いろんな意見を読んだら、あとは内面、自分自身を見つめるべき。

しかし、自分の頭で考え、自分で行動してこなかった中古品人間は、これが、
なかなかできない。だって、答えがすぐほしい。不快からすぐにでも逃げたい。

だから、時間がかかるような、自分で問題を見つめるということができない。

少しは試みるが、すぐには何も変化がなく、時間の無駄だと思ってしまう・・。


もちろん、これは正反対である。自分の内面への回路が開いていない者は、
何をやってもたいしたことが起きない。欲求不満の日々と時折の喜びだけだ。

なので、迷ってる人に、すぐ答えを教えてあげるのは、ある意味、残酷である。

その迷ってる人は、自分の内面への回路を開くことができないではないか・・・。





私は、自分の内面に目を向けなかったことで、20代のほとんどを無駄にした。

ところが、瞑想によって内面の回路を開いたことで、30代は快進撃となった。

精神は、内側に開くことができれば、外側にも回路を開くことができるのだ!

どんなに良いノウハウがあっても、闇雲に行動しても、開いてなきゃ無意味。

ナンパが挫折した者は、いったん答えは脇にやって、まずは瞑想せよ!

posted by fmtbank at 14:45| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2009年11月06日

悩みが一瞬で消えたとき

人生には、まったく身動きとれなくなってしまう時がある。

第二次ひきこもり期の、最初の半年ぐらいがそうだった。

私は、すっかり絶望し、何もやる気がおきなくなっていた。

またも出会えた運命の人とも、結局、電話で口論してしまい、
うまくいくと思ってたのが一転し、もう会うこともなくなっていた。

つまるところ、ただ一人の女性に対して失恋しただけだが、
そこには、ちゃんと正面からぶつからなかった後悔とともに、
中学からの親友の裏切りも伴って、いっそう傷は深かった・・。


しかも、その彼女とは、完全に音信不通ならよかったのに、
彼女は、いちいち妙な間隔で、メールを送ってきたため、
忘れられずに、ズルズルと引きずり続けてしまったのだ。

私としては、ちゃんと区切りをつけようと思っていたのだが、やはり、
メールのやりとりができるのなら、また再会することになるのかと
期待するのだが、会おうとすると、ピタッと彼女からの返信はない。

そして、やっぱりダメかとガッカリしたら、しばらくすると、またまた、
彼女から何もなかったようにメールがくる。これには、実にまいった。


彼女は会う気はないのに、メールのやりとりだけはしたかったようで、
それに振り回される形でもって、私は、さんざんメールを送り続けた。

こうなったら、メールの面白さや深さで、彼女の心を打とうと思い直し、
とことん時間をかけて、メールを創作していたのだが、これはさながら、
第一次ひきこもり期の女の子に、手紙を書きまくっていた時のようだ。

ただし、違った点は、手紙から携帯メールに変わったことと、そして、
私は技巧派へと変わり、ハートからではなく、頭で考えまくっていた。

さらに相手の反応も、あまりに気まぐれで、まったく読めなかった・・・。


私は、目指していた放送作家の仕事が向いてないことにも気づいた。

知人がすでに放送作家の仕事をしていたので、話を聞くと、なんたる、
地味な下積みを行っているようでウンザリしたし、自分が放送作家に
なろうと思っていたのは、ただの無職やフリーターという身分じゃ嫌で、
何か目指しているんだと、カッコつけていたいだけなのだと判明した。

なぜなら、アイデアもほとんど浮かばないし、そもそも文章を書くのが、
好きじゃないと、わかってしまったのだ。部屋にこもって、放送作家に
なるための計画や練習をしていたのは束の間で、もうアッという間に、
自分の文才のなさに絶望し、気まぐれな彼女にメールばかりしていた。

ハッキリいって、私にとっての喜びは、それだけだった。なんとか元気を
出そうと本を読んだりしても、全然頭に入らない。もう何も変わりやしない。


映画やTVや何を観ても、かつて感じたような楽しさや興奮はなくなって、
ただ空しさを感じるだけだった。もうほとんどのものは観つくしていたので、
同じようなパターンをなぞってるだけにしか、見えなくなっていたのである。

そんな中で、時々くる、彼女からのメールだけが最大のエンターテイメント、
私の生きる望みだった。電話には出てくれないし、会うこともできなかったが、
メールだけは返信があり、その小さな繋がりさえあれば、未来に期待できる。

彼女との関係で、中学からの親友をなくし、もう一人いた親友は九州にいて、
誰とも話さない生活が続く中、彼女との文通は、最後のオアシスだったのだ。





そんなこんなで半年くらいたった時、彼女から、「メールしても無駄ですよ。」
みたいな通告が突然きて、返信が途絶えた。私は、ついに恐れていたことが、
起こってしまった!と顔面蒼白になり、焦りまくって、何通もメールを送り続けた。

もちろん、返信はこない。あまりに苦しくて、なんとか気を紛らわせようとして、
本を開いたり、お笑い番組を観たりしたが、何ひとつ慰めにはならなかった。

私は、あぐらをかいたまま、猫背に前かがみになり、ウーウーと苦しく唸った。

一切の逃避行動がとれず、全く逃げれない状態で、追い込まれていたのだ。


私は、物凄く恐れていた。口の中に苦い味が広がるような、やばい感じで、
嫌な汗をかいて、「ダメだ!」と、こらえていた。何を恐れていたのかというと、
自分の中にある暗い闇みたいなもので、それがグングン迫っていたのである。

生まれて初めての不思議な精神状態だった。自分の中に底なしの闇があって、
それがもう、あまりに怖い、拷問のような感覚をもたらし、しかも、逃げようにも、
読書だろうが、お笑いだろうが、何の効用ももたらすことはなく、ありとあらゆる、
気分転換、ごまかしは通用しなかったのだ。ただただ、辛いだけで生き地獄・・。

しかし、私の精神というか、その状況自体には、ある訴えがあった。何というか、
その自分の中の闇に飛びこめ、というか、さぁ闇の正体を見てみろ!といった、
あるのっぴきならない切迫感である。理性は断固としてNGを示しているのだが、
私のもっと深い部分こそが、その恐ろしい闇の中を見ろ!と、がなりたてていた。


こうなったら、もうしょうがない。自分の中の、底なしの闇に直面するしかない・・・。

私は、あぐらをかいたまま、猫背に前かがみになり、歯をくいしばった。この時は、
決意や覚悟をしたのではなく、完全に追い込まれて、もうそうせざるをえないから、
涙目で流れに身を任せただけで、とにかく怖くて、ただジャンプした感じだった。

そうして、自分の中の闇を見た瞬間、思い切って、意識的に飛び込んだ瞬間に、
信じられないことが起こった。さっきまで自分の中にあった闇が消えたのである!


まさに一瞬の出来事だった。私はポカーンと口を開けたまま、呆然としていた。

あれ程までに恐れていた、心の闇の中には、実際、なーんにもなかったのだ・・。

あたかも、ドラマなんかでよく使う、ハリボテのセットのようで、正面から見ると、
立派な家なのに、裏にまわると、丸出しのベニヤ板があるだけで、家自体など、
本当は存在しなかったというような、安普請のふぜいだった。あっけなかった。

なんだ、こりゃ?と、私は、キツネにつままれたような気持ちで、苦笑していた。

すっかり恐れも消えてしまい、悩みもなくなり、ノンキな気分で、くつろぐのみ。

夜だというのに、ホトトギスの鳴き声が聴こえたような気がした。風流ですなー。





自分の恐れというのは、ちゃんと正面から見つめた瞬間、消え去ってしまう。

いわゆる、これが瞑想というやつだった。本では、さんざん読んでいたけれど、
実践はしていなかった。何度か試してみたが、ただ目をつむって座るだけで、
よくわからなかったし、それこそ大いなる時間の無駄に思え、すぐやめていた。

おそらく、あなたも同じような印象をもつことだろう。しかし、瞑想には凄まじい、
はかりしれないパワーがある。ただし、そんな効用を求めてやると、皮肉にも、
瞑想から遠く離れていってしまうかもしれない。思考を超えることが瞑想だから。

思考力さえ鍛えれば、うまくいくと思っている者は、その先で、必ず混乱を生む。
ノウハウさえあれば、行動さえすればと努力するものも、苦しみの中にとどまる。

自分の内面が世界そのものであり、そこを見つめて理解しない限り、クリーンに
しない限り、幸せはない。すべては、自己の内面からの逃避行為になってしまう。

どんなに社会的に成功しようが、たいていの人は、最終的には瞑想にたどりつく。

しかし、瞑想自体は、通常は、あまりに地味であり、役立ちそうもない代物であり、
なにかキッカケがないと、三日坊主で終わるだけで、なかなか続かないものだろう。


私はラッキーなことに、人生で追いつめられて初めて、瞑想に目覚めてしまい、
その後、狂ったように瞑想にあけくれることとなった。それは美しい体験だった。

今まで手づかずにしていた、自分の内側が、どんどん変わっていったのである。

そのキッカケが、気まぐれな彼女のおかげだったわけで、とにかくスムーズには
いかずに、次々とショックなことが起こり、さんざんメールで焦らされたりした挙句、
音信不通になった、その一連の流れこそが、私に大いなる変革をもたらしてくれた。

男にとって、「運命の人」というのは、必ずしも、つきあうことになる相手ではなく、
自分自身を変えるキッカケとなってくれる人である。むしろ、そっちがメインだ。

うまくいったケースなんて、その場では楽しかったり嬉しかったりするけれども、
たいして記憶に残らない。私が、初めてつきあうことになった女の子のことを、
『どうでもいい子ちゃん』と呼んでしまっているように、結局、どうでもよくなる。

ハッキリいって、男の成長に必要なのは、手痛いショック、大失恋だと思う。

そこに、死と再生があり、通過儀礼としての、男を勇者たらしめる道となる。


では、私自身は第二次ひきこもり期を、どのように脱出したのだろう?

ちなみに前回のひきこもり期では、同じ相手を再び好きになることで、
そのエネルギーを人生全般に放射させて使い、見事に脱出できた。

しかし、同じ手は通用しない。今回は、あまりに意外な方法だった。


(つづく)
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2009年11月02日

新たな恋とダブルショック!

ちょうど10年前、1999年頃の話である。私は焦っていた。

これまで、まだまだ若いしと、いろんなことを先延ばしにして、
ダラダラ過ごしていたのが、いつの間にやら、世紀末である。

こうなったら、ノスタルダムスの大予言によって、地球が終わる
かもしれないので、やりたいことは全部やっておこうと決めた。

なんせ女関係も仕事関係も、全てが満たされていなかったのだ。

女関係は、かろうじて、『どうでもいい子ちゃん』と名付けたように、
まったく何の気兼ねもない、季節ごとに会う程度の遠距離の相手
がいたのだが、仕事関係は何一つうまくいかず、バイトをしていた。


なおバイトは、日払いの力仕事や倉庫内作業などを週二回ほど、
やってきただけで、社会人としての経験は、ほとんど積んでない。

ただし唯一、TV番組のロケの音声のバイトだけは、長く続いた。
よくTVでみる、ピンマイクつけたり、長いマイクを持つ係である。

子供の頃から、音声を録音するのは好きだったし、プロ仕様の
マイクを扱うのが楽しくてしょうがなかった。だが、番組制作とは、
バリバリの体育会系である。カメラマンに絶対服従のような感じ。

何度もこっぴどく怒られて嫌になったが、いつも、いろんな場所に
行けるのが楽しくて、なんとか続いていたようなもの。しかしながら、
次にカメラマンが何をしようとしているのかを読む訓練をしたため、
ナンパでも、相手の心を読もうとするクセがついて、役立ったかな。


結局、そのバイトはやめてしまったが、私はマスコミ関係に進もうと、
放送作家を目指すことにした。理由は、人前に出ずにすみ華やかで、
しかも、面白い人達が多そう、そんなイメージから決めたのである。

当時は、マスコミ関係の仕事が、一番面白そうだと思い込んでいた。

なんたって、映画にマンガにドラマにTVと、面白いものは、ほとんど、
マスコミから流れてきていたのだから、そう思うのもムリはないだろう。

そこで私は、恥ずかしながら、小さな文章を書くスクールというか、
カルチャーセンターに、毛が生えたような講座に通うことになった。


残念ながら、その講座自体こそ、意味がなかったが、おかげで、
新たに好きな人が現われた。私と同様、みんなと溶け込めずに、
ワイワイやってる話の輪からポツンと離れていた女の子である。

みんなの人気者になるような女性ではないが、地味ながらも、
彼女の神秘的な可愛さと、内面のユニークさに心を奪われた。

結局は、何年間も、振り回されることになってしまうのだが・・・。





文章講座には、すぐ行かなくなったが、彼女とは何回かデートし、
お互いの作品やアイデアを発表しあった。なんといったらいいか、
彼女は、独特の世界を持っており、本当に面白い!と感動して、
好きになってしまった。とても尊敬し、もはやお姫様扱いだった。

かつて恋に落ちた相手は、第一次ひきこもり期の時の女の子で、
これはただ見た目が可愛かっただけだし、その後、長くつきあった、
『どうでもいい子ちゃん』は、何も気を使わなくてラクだっただけだ。

今回のような、ルックスの可愛さと、内面の面白さとの両方により、
心惹かれたのは初めてで、まさに運命の人だ!と有頂天になった。

彼女も、私との出会いを心から喜び、これは、そのままスムーズに、
つきあうことになるだろう、と確信したのだが、私は大きなミスをした。

それは、その後、何度も何度も後悔するような、大きなミスだった・・。


彼女は、すでに彼氏がいたのだが、もう腐れ縁で、ハッキリいって、
好きでも何でもなくなっていたらしい。彼女の書いた作品にも全然、
興味を示さず、デート中にもグズグズしているので、彼女がキレて、
帰ろうとすると、道の真ん中で泣くそうだ。非常に弱気の男だった。

ハッキリいって、私は、その彼氏をなめていた。もはや敵じゃないし、
どうぞ自由にしてください。俺達は、こんなに気が合うんだからと、
彼女がその彼と北海道旅行にいく、という話にもOKしてしまった。

私と出会ったので、彼女は、旅行をキャンセルしようとしたのだが、
その彼が、もう代金は振り込んでしまったから違約金が必要だと、
それを払うならいいよ、という話になった。それは2万5千円という。

なんとまぁ、その時の、私の貯金額は、ちょうど2万5千円だった!


「わかった、それ全部払うから行くな」と、彼女に渡そうと思ったが、
でも生活費がどうのこうのと考えてしまい、また、どうせ腐れ縁の
彼氏と旅行いく位なんぞ平気だし、愛というのは、所有欲じゃなく、
全てを許すことだ、なんて観念が働いて、了承してしまったのだ。

彼女は、せっかくお金払ったし、じゃあ行ってくるね、おみやげも、
買って来る。と、名残惜しそうに、北海道へと、旅立っていった。

旅行中も、メールのやりとりをしていたのだが、彼女が帰ってきて、
ガクゼンとした。彼女はすっかり、その彼とラブラブに戻っていた!

よ、よ、よっぽど・・・、北海道旅行が、楽しかったのかな・・・。





アッという間に形勢逆転し、彼女と彼の間に割り込む隙間はなくなり、
途方にくれてしまった。私は、絶対に、旅行を止めるべきだったのだ。

そのために、ちょうど貯金額と同じ2万5千円が、キャンセル料だったり、
なんらかのサインがあったのに、私は動かなかった。頭で考えてしまって、
全てを注ぐ賭けをしなかった。所有欲は愛じゃない、なんていう、かつて、
本に書いてあった観念でごまかすのではなく、「ダメだ!」というべきだった。

私は、すっかり、かつてのような全てのエネルギーを賭けて、人を愛するなど、
出来なくなっていた。その割には、本で読んだキレイ事を口では述べていて、
心の奥底から湧き出てくる、本当に自分のしたいことは抑えていたのである。

「彼とは寄りが戻ってしまっても、これからも、友達でいいから会おうよ。」

私は、第一次ひきこもりを脱出した時のように、男と女の関係でなくとも、
愛というものは生まれるし、育てられるのだと、心清らかに、彼女の体にも、
指一本ふれないで、これまでのように作品を見せ合ったりしようとしたのだ。

ところが、追い討ちをかけるように、またまた、ショックなことが起こってしまう!


私の親友が、彼女とSEXしてしまったのだ。私はその親友に、彼女との相談まで
していたというのに、簡単に、やっちゃっていた。これで親友をなくすことになった。

私がその親友の携帯を借りて電話したことがあり、その親友が、そんなに面白い子
なら話してみたいと、酔っ払った時、リダイヤルしてしまい、そのまま会うことになり、
飲みに行って、ホテルに行ってしまったのだ。これを聞かされて、落ち込みまくった。

今思えば、その親友も寂しかったのだろう。類は友を呼ぶで、孤独な男だった。

しかし、悪いことをしたと、すまなそうにしていた親友は、なんとまた再会して、
やってしまった。さすがに三回目会った時は、「やっぱり彼氏に悪いから」と、
断られたそうだが、私は複雑な気持ちというか、混乱してしまった。なぜなら、
私との健全なデートはドタキャンしたのに、親友とのデートは応じていたのだ。

親友は、その彼女があまりにイイ体をしているから我慢できなかったと言い、
罪悪感も感じているようだったが、これで中学からの付き合いは終了した。
(そのおかげで私の親友は、高校の時の親友、一人だけになってしまった)

親友もなくし、好きだった彼女も嫌になり、なによりも、全てが中途半端で、
何も手に入れることがない自分自身が嫌になった。ただの偽善者だった。


そう、私も彼女とセックスしたかったわけだ。それを全く出さずに逃げていた。

ハートも全開できず、セックスにも正直になれない、中途半端な負け犬だ・・・。

なにが所有欲を越えた愛だよ!ただ臆病で、飛び込まなかっただけじゃん。

彼氏との北海道旅行も許したくなかったのに、偽ってOKしてしまっただけ。

その偽った心が、ノイローゼになる位のダメージでもって、攻撃にさらされた。

本音で生きない者は、最終的に、現実によって、追いつめられるのである。





この一連のダブルショック、そして放送作家の道も、実は、まったく好きでなく、
才能もないし、やる気もないことが自分でもわかり、私はすべてが嫌になった・・。

もう今後の人生、何をしたらいいのか、まったくわからなくなってしまった。

いっそノストラダムスの予言通り、99年の7月に、地球が滅びちまえ!

そうも思ったが、月日は淡々と過ぎ、8月になった。予言は外れた。


うだる夏の中、一切の希望もなく、もはや何をする気力もない。

こうして私の、つらくて孤独な、第二次ひきこもり期が始まった。


(『闇あれば光あり』へと、つづく)
posted by fmtbank at 23:07| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2009年10月27日

生まれて初めて女性とつきあう!

人間は恋に落ちると、新たなパワーが生まれ、人が変わったようになる。

第一次ひきこもり期を脱出した私は、しばらくは、ひたすら行動的だった。

まるでウツの反動から、思いっきり「躁」に針を振りきったかのような極端さ。

ほとんど部屋にこもって読書し、せいぜい近所に出かけるだけの生活から、
一転して、アメリカ、中国、インドなどの海外を旅してまわり、大学も中退して、
そんな資格もないのに、教授に頼み込んで、ゼミに3つも出席したのである。

さらに、友人が一人もいなかったので、これまでの二年間の恋の話なども、
誰にも言ってなかったのが、初めて、好きだった彼女と同じサークルの男に、
思う存分ぶちまけて、その彼が、大学にきてからの初めての友人となった。

しかも、その友人の紹介みたいな感じで、ひょっこり、新しい女性と知り合い、
生まれて初めて、女の子とつきあうことにもなったのだ。あまりにもあっけなく、
全ては流れるように、ほとんど努力なしで、事は進んでいき、とにかく驚いた。


といっても、私は、その新たに知り合った女の子のことを、そんなに好きでは、
なかった。その当時、二回も恋に落ちた彼女のことを愛していたし、どうしても、
その彼女と比べてしまうと、見劣りするというか、どこにでもいるタイプというか、
心が動かなかった。とりあえず、「女性」を知っておきたかったということだろう。

そういうわけで、最初だけは、何回もデートしたが、その後は、会いたい時に、
会うだけの関係となった。いつ別れてもいいというか、そもそも、「つきあおう」
とも言わなかったし、気にもとめてなかった。この子を『どうでもいい子ちゃん』
と呼ぼう。それでも、どうでもいい子ちゃんとは、5年も続くことになったのだが・・。

なぜ、そんなに長いつきあいになったかというと、まず彼女は頭が弱いのか、
何も文句を言わず、いつもマイペースでニコニコしていた。こちらを責めたり、
文句をいうこともなく、一度もケンカをしなかったし、本当に、楽だったのだ。

なるべく一人の時間を増やしたいこちらにとって、都合のいい相手であり、
寂しくなった時、だいたい月に1回会えればいいか、というペースで充分で、
しまいには、3ヶ月に1回、半年に1回、1年に1回と、少なくなっていった。

これは私が、実家に帰ってしまったことが原因だが、遠距離となっても、
『どうでもいい子ちゃん』は会いにきた。そして私はというと、会いにいく、
と約束しても、寸前でドタキャンしたり、面倒くさくなってしまっていた。

実をいうと、彼女に構ってるどころではなく、私は終わっていたのだ。





どんな革命が起ころうと、残念ながら、月日がたつと、人は堕落していく。

ハートが開き、パワーに満ちて行動的になっていた時期は、いつの間にか、
消えていき、一年もすれば、またすっかり自閉的な傾向に戻ってしまった。

とっくに3つのゼミも、全て出なくなり、実家に戻った後も、自分のやりたい、
夢みたいなものに対して、一切努力もせずに、ただ腐っていくのみだった。

「思考を超越しなければならない」という、かつて読み漁ったインド思想も、
どこかにいってしまっていた。結局、考えてばかりの思考人間に戻っていた。

ついに、以前の恋で起きた精神的跳躍ともいえる体験は、ただの記憶となり、
その時に読みふけった大量の本も、ただの表面的なデータとして何も生まず、
空しさと自己嫌悪におおわれたまま、何をやっても、うまくいかなくなっていた。

そうして、絶望につぐ絶望から、ついには、袋小路に追い込まれてしまった。


私は第一次ひきこもりを脱出してから5年後、再び、ひきこもることになる。

もはや本なんか、いくら読んでもダメだった。そんなことでは脱出できない。

この第二次ひきこもり期は、前回よりも、もっともっとヘビーだったのだ・・・。

posted by fmtbank at 17:29| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2009年10月22日

天の岩戸の物語

この二ヶ月間、ナンパから外れた地味な話を続けてきましたが、
それでもまだ脱落せずに、読み続けている方は素晴らしいです。

必ずや、これまでに聞いたことがないような、新しく、摩訶不思議な、
ナンパの世界へと、お連れいたします。ゆっくり進んでいきますので、
どうぞご期待ください。今までは、あくまでも前フリの前フリですから。

なお、これからのテーマは脱出です。いわゆる、OUT系のナンパ
となりますが、その前にちょっと小休止で、追記をつけ加えます。


前回までは、第一次引きこもり期を脱出するまでのプロセスを、
長々と書いてきました。よくありがちな話でしたが、これに似た、
古い日本神話のエピソードがありますので、最後に紹介します。

以下、かの有名な『古事記』より、「天の岩戸の物語」です。

それは、どんなストーリーかといいますと・・・。





(あらすじは省略して、天の岩戸に引きこもるところから)


ショックなことがあり、アマテラスは天の岩戸に引きこもってしまいます。

アマテラスは太陽の神ですから、太陽を失った国は、闇につつまれて、
どうしようもない状態に陥ります。そこで神々たちは相談して、なんとか、
アマテラスを岩戸から、ひきずり出し、再び、明りを取り戻そうとしました。

そうして、岩戸の前で、みんなで宴会をして、芸能の女神でありまする、
アマノウズメが踊ります。彼女は日本最古の踊り子であり、全裸になり、
陰部をあけっぴろげに見せる。その様に、見ていた神々は、もう大笑い!

その笑い声を聞きつけた、引きこもりのアマテラスが、何事だろうか?と、
岩戸から顔をのぞかせると、他の神が、その前に、鏡を差し出しました。

すると、アマテラスは「誰だ?」と興味を持って、もっと鏡を覗こうとして、
さらに岩戸を開けます。その瞬間、力持ちの神である、タジカラオウが、
アマテラスの手をとって、外にひきずり出し、見事、世界には光が戻る。

あー、めでたし!めでたし!





とまぁ、以上、有名な神話のエピソードがありますが、お気づきの通り、
これは引きこもりが、自分の殻を脱出するための、まさに象徴ですね。

手順として、まずは相当、魅力的な女性(アマノウズメ)が登場して、
自分の狭い殻の外へと、興味をかきたてられます。そうして初めて、
心の扉を開いて、外の世界を覗こうとしますが、結局、見てるのは、
鏡で、つまり、自分の姿です。人間、一番興味あるのは、自分の事。

そこで、さらに見つめようと、心の扉を開くと、もう自分ではコントロール
できない状況によって、タジカラオウという、つまり、他人の力によって、
心の扉が全開になり、何がなんだか、わからないまま、光に包まれる。

これこそが、私に起きたことであり、誰にでも起こることといえましょう。

要は、引きこもりが、外部の広大な世界へと、引っ張り出される瞬間!


単純にいえば、必要なのは、恋に落ちる程の女性と出会うことです。

それさえ満たせばもう、その興味から、心を開かずにはいられない。

そして、恐る恐る、近づいていくと、その途端、コントロール不能の、

あの一気に、心が全開となってしまう何か、大きな解放が起こる。


ナンパは、そのためにある。それ以外は、ただの前菜にすぎない。

あなたの中の、太陽が目覚める時は、もう来ている。脱出せよ!


(了)
posted by fmtbank at 14:23| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする