いよいよ、このブログで一番伝えたかった、本編に入ります。
それが、今回初公開の、『第三次ひきこもり期』についてです。
実は、ナンパを始めてから数年後に、私は再び、ピンチに陥り、
ひきこもることになります。これからが、そのドラマの開始です。
これまでの第一次ひきこもり期、第二次ひきこもり期の話は、
あくまで、わかりやすくするための前フリにすぎませんでした。
ナンパを始めてからの、第三次ひきこもり期こそがメインです。
それにしても、いったい、何があったというのでしょうか?
★
そんなわけで、今まで頑なに口を閉ざしてきたことを、
これからは、少しずつ、じっくりと語っていきます。
ふぅ・・、まずは、どこから始めたらいいのやら・・・。
2009年12月09日
『第三次ひきこもり期』のスタート!
posted by fmtbank at 18:01| カテゴリ無し
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2009年12月06日
瞑想よりも、まずはアクション
この五か月間、ナンパのことなど、どこかにやってしまい、
長々と、ひきこもってばかりいた時期のことを書いてきた。
これは独りで自分と向き合う、大切さを伝える意図もあった。
私個人の意見としては、ひきこもりは、そんなに悪くなくて、
役立つ利点もあると思っている。もちろん、部屋から一歩も、
出られずにノイローゼになって苦しんでいる人もいるだろう。
それは、やりすぎで、あまりに陰に偏っているが、結局は、
「陰と陽」のバランスで、誰とも会わずに1人でいたい時は、
誰しもある。そして、外に出て、激しく交流したい時もある。
どっちも必要だし、両方あると、生活が豊かになると思う。
そこで、瞑想とナンパという、二つの相反する手段こそを、
お伝えしたかった。お金もあまりかからないのに、両者とも、
人生を一変させる、凄まじいパワーを秘めているのだから!
また資本主義が変わっていく今の時代に、とても合っている。
★
これまで瞑想はマニアックかなと思って、ほとんどブログで
ふれてこなかったが、やはり今の日本男児に必要だと思う。
様々な思いこみや洗脳から、自分を解き放つには、どうしても、
ナンパだけでは無理かもしれない。ナンパが凄いうまいのに、
なんでこんなに人間性がヤバイんだという人もいる。たんなる、
自分の欲だけに縛られて、それ以外のことが見えなくなってる。
ナンパをやればやる程、他人との共感能力が高まっていって、
他人の痛みなどに敏感になり、優しくなっていかないのならば、
ナンパを続ける意味はないだろう。行動力がつくだけだったら、
結局は、機械のような繰り返しの中で、精神は麻痺していく。
長い目で見ると、ナンパのおかげで不幸になってしまう・・・。
(罰が当たるという意味ではなく、単純に、欲求不満になる)
そうならないためにも、ナンパと同時に、瞑想で内面を見つめて、
無駄な自信やプライドも消していかなくてはならない。自信など、
行動のジャマになるだけだ。自信なんて、なければない程いい。
どうしてもナンパがうまくいかない初心者の方は、自信がないから、
成功しないと思いがちだけど、自信がないのに行動するからこそ、
カッコいいし、生きてるし、開きなおりで、すがすがしいし、最高!
そう思って、恐怖に突入してると、思考レベルを超えちゃうわけだ。
自信がある、って良いことに思えるけど、「ある」のなら、失くすとき
が必ずくるわけで、そんなもの、はなから持たなければ最強だよ。
「陰と陽」の相対的な影響を受けないようにするのが、極意である。
そこを基盤として、自分を見つめるだけでなく、脳をいじれるのが、
瞑想であり、奥深くて、マンガチックな程に、サイキックで面白い!
★
ただし、瞑想自体に、ナンパを始めるパワーはない。どうしても、
おっかなくて声かけれない人が、頭の中でイメージトレーニング
を繰り返して慣れようとしても、時間の無駄だ。すごい遠回り・・・。
私自身も、瞑想でもってナンパが始めれたわけではなく、むしろ、
サボる口実にも使ってしまった。ちょっと瞑想するかと、そのまま、
眠くなって寝てしまったり、怠慢に拍車をかけてしまったのである。
なので、ナンパ初心者の人に、あえて瞑想は勧めてこなかった。
怠慢を脱するためには、瞑想をいくらやっても、逃避するだけだ。
そんなことよりも、まずは行動。どんなにヘタだろうが体を動かし、
実際に声をかけることで、またたく間に精神も変化する。すると、
今度は瞑想中にインスピレーションが沸いてきたり、傷ついても、
そんなにたいしたことないと気づいたり、ナンパを補佐してくれる。
つまり、瞑想は、行動あってこそのもので、あくまでナンパが先だ。
その順番を間違えず、瞑想を使ってほしい。必ず役に立つだろう。
以上、補足である。
長々と、ひきこもってばかりいた時期のことを書いてきた。
これは独りで自分と向き合う、大切さを伝える意図もあった。
私個人の意見としては、ひきこもりは、そんなに悪くなくて、
役立つ利点もあると思っている。もちろん、部屋から一歩も、
出られずにノイローゼになって苦しんでいる人もいるだろう。
それは、やりすぎで、あまりに陰に偏っているが、結局は、
「陰と陽」のバランスで、誰とも会わずに1人でいたい時は、
誰しもある。そして、外に出て、激しく交流したい時もある。
どっちも必要だし、両方あると、生活が豊かになると思う。
そこで、瞑想とナンパという、二つの相反する手段こそを、
お伝えしたかった。お金もあまりかからないのに、両者とも、
人生を一変させる、凄まじいパワーを秘めているのだから!
また資本主義が変わっていく今の時代に、とても合っている。
★
これまで瞑想はマニアックかなと思って、ほとんどブログで
ふれてこなかったが、やはり今の日本男児に必要だと思う。
様々な思いこみや洗脳から、自分を解き放つには、どうしても、
ナンパだけでは無理かもしれない。ナンパが凄いうまいのに、
なんでこんなに人間性がヤバイんだという人もいる。たんなる、
自分の欲だけに縛られて、それ以外のことが見えなくなってる。
ナンパをやればやる程、他人との共感能力が高まっていって、
他人の痛みなどに敏感になり、優しくなっていかないのならば、
ナンパを続ける意味はないだろう。行動力がつくだけだったら、
結局は、機械のような繰り返しの中で、精神は麻痺していく。
長い目で見ると、ナンパのおかげで不幸になってしまう・・・。
(罰が当たるという意味ではなく、単純に、欲求不満になる)
そうならないためにも、ナンパと同時に、瞑想で内面を見つめて、
無駄な自信やプライドも消していかなくてはならない。自信など、
行動のジャマになるだけだ。自信なんて、なければない程いい。
どうしてもナンパがうまくいかない初心者の方は、自信がないから、
成功しないと思いがちだけど、自信がないのに行動するからこそ、
カッコいいし、生きてるし、開きなおりで、すがすがしいし、最高!
そう思って、恐怖に突入してると、思考レベルを超えちゃうわけだ。
自信がある、って良いことに思えるけど、「ある」のなら、失くすとき
が必ずくるわけで、そんなもの、はなから持たなければ最強だよ。
「陰と陽」の相対的な影響を受けないようにするのが、極意である。
そこを基盤として、自分を見つめるだけでなく、脳をいじれるのが、
瞑想であり、奥深くて、マンガチックな程に、サイキックで面白い!
★
ただし、瞑想自体に、ナンパを始めるパワーはない。どうしても、
おっかなくて声かけれない人が、頭の中でイメージトレーニング
を繰り返して慣れようとしても、時間の無駄だ。すごい遠回り・・・。
私自身も、瞑想でもってナンパが始めれたわけではなく、むしろ、
サボる口実にも使ってしまった。ちょっと瞑想するかと、そのまま、
眠くなって寝てしまったり、怠慢に拍車をかけてしまったのである。
なので、ナンパ初心者の人に、あえて瞑想は勧めてこなかった。
怠慢を脱するためには、瞑想をいくらやっても、逃避するだけだ。
そんなことよりも、まずは行動。どんなにヘタだろうが体を動かし、
実際に声をかけることで、またたく間に精神も変化する。すると、
今度は瞑想中にインスピレーションが沸いてきたり、傷ついても、
そんなにたいしたことないと気づいたり、ナンパを補佐してくれる。
つまり、瞑想は、行動あってこそのもので、あくまでナンパが先だ。
その順番を間違えず、瞑想を使ってほしい。必ず役に立つだろう。
以上、補足である。
posted by fmtbank at 00:20| カテゴリ無し
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2009年12月04日
ナンパのための「接客」研修
どうしても、ナンパがうまくいかない人にお勧めなのが「接客」です。
ナンパを始めてうまくいかなかった人は、まずいろんな本を読む。
ネットで情報を探してみる。すると、それだけで出来る人もいます。
でも、たいていは、矛盾する情報でかえって混乱したり、ノウハウ
を探すことが、行動の先延ばしや、ただの逃避となってしまいがち。
そこで、まずは行動して、それから瞑想するのがお勧めです。必ず、
勇気を出して突入すれば、瞑想で心もクリアにでき、迷いが消える。
ただし、瞑想してもうまくいかない人は、接客をやるしかないですね。
週二日でもいいので、タダ働きでもいいので、やるべきです。やはり、
普通の世間話や、ちょっとしたやりとりも出来ないと、ナンパは辛い。
特に、精神病、神経症あがりの人は、まずは接客をした方がいい。
ナンパは声かけこそが一番大変ですが、だからといって、ガンガンに
声かけても、その後、普通のやりとりさえおぼつかないと、終わりです。
結局は楽しくないし、挫折してしまう。それは、とても、もったいない・・。
そこで、ある程度、人慣れするのに役立つのが接客です。たとえば、
ある高校教師が、あまりにも生徒が話を聞かないので、夏休みだけ、
デパートで販売の仕事を、コミュニケーション研修としてやりました。
すると、どうでしょう!その後の二学期からは、生徒達が、ちゃんと、
授業も聞くし、慕われるようにまでなったそうです。それまでいかに、
コミュニケーションに意識がいってなかったと気づいたわけですね。
そんな感じで、接客バイトをやるだけでも、ナンパは変わるでしょう。
しかし、ならば接客の仕事をしている男は、みなナンパできるのか?
という問題が出てきますが、もちろん、NOです。やはり勝手は違う。
それでも、いったん声かけの壁を乗り越えたら、SEや工場勤務より、
有利でしょう。一応、人慣れはしています。ちなみに接客の仕事で、
お客さんを相手にするのは、実はすぐ慣れるものでして、もっと大変
なのが、職場の人間関係です。いろいろ言われたり、面倒ですから・・。
私自身も、ずっと一緒にいるわけではない、お客さんを相手にする
のは好きでしたが、それよりも、職場にいる人達との意思の疎通が、
どうもスッキリしなくて疲れました。だからこそ、お客さんへの意識を
さらに強めて、あまり周囲の人を相手にしないようにしていましたね。
どの職場にも、嫌な人はいるものです。ナンパと違って逃げれなく、
なんとか流してガマンしないといけない。そういう時は、できるだけ、
仕事に集中して、頑張るといいです。自分から没入するしかない。
そうすると、店長やオーナーだとかには気に入られ、一石二鳥!
(たいてい嫌な人は、中間管理職みたいな位置にいる人です。)
★
というわけで、接客のバイトを勧めましたが、どんなにうまくいこうが、
接客は単純で、残念ながら深いコミュニケーションまでにはならず、
決まった符号のやりとりにすぎません。あくまで、軽いものでしょう。
私は深いコミュニケーションがしたくてたまらず、憧れまで抱いて、
「ロストイントランスレーション」を観た時に、これだ!と思いました。
特に、寂しくなり、地元の友人に電話するシーンが共感できます。
友達が上の空でしか話を聞いてくれず、かえって孤独感が強まり、
涙まで出てくる、といったシーンでしたが、とてもよかった。やはり、
本当に深い心の通じ合いというのは、ごくごく稀です。だからこそ、
そういうピタッとつながれた瞬間というのは、とても感動的なんです。
接客の仕事で、そこまでいけたらいいけど、なかなか難しいもので、
どうしても、そういう深い関係にはナンパが適しています。もちろん、
ほとんどの相手は、そんなに気が合わないのが現実です。それでも、
お互いの共通点をすり合わせて、なんとか楽しんでいけるものです。
ところが、ずっとナンパを続けていくと、中には、信じられないくらい、
気が合う人もいる。お互いが、奇跡だと感激し、見つめあいながら、
なんともいえない、いい雰囲気になる。それはたまらない一瞬です。
なので、連絡先が聞けても再会できないと落ち込まず、さっさと忘れ、
続けましょう。確かに、自分の技術を磨いて、相手に合わせることも
大事ですが、その一方、ほとんどの相手は、どうでもいい人なんです。
単純に、気が合わないんですよ。あえて、また会う必要はありません。
そう考えて無駄にGETしようとしないのが、ラクなOUT系のナンパです。
ナンパを始めてうまくいかなかった人は、まずいろんな本を読む。
ネットで情報を探してみる。すると、それだけで出来る人もいます。
でも、たいていは、矛盾する情報でかえって混乱したり、ノウハウ
を探すことが、行動の先延ばしや、ただの逃避となってしまいがち。
そこで、まずは行動して、それから瞑想するのがお勧めです。必ず、
勇気を出して突入すれば、瞑想で心もクリアにでき、迷いが消える。
ただし、瞑想してもうまくいかない人は、接客をやるしかないですね。
週二日でもいいので、タダ働きでもいいので、やるべきです。やはり、
普通の世間話や、ちょっとしたやりとりも出来ないと、ナンパは辛い。
特に、精神病、神経症あがりの人は、まずは接客をした方がいい。
ナンパは声かけこそが一番大変ですが、だからといって、ガンガンに
声かけても、その後、普通のやりとりさえおぼつかないと、終わりです。
結局は楽しくないし、挫折してしまう。それは、とても、もったいない・・。
そこで、ある程度、人慣れするのに役立つのが接客です。たとえば、
ある高校教師が、あまりにも生徒が話を聞かないので、夏休みだけ、
デパートで販売の仕事を、コミュニケーション研修としてやりました。
すると、どうでしょう!その後の二学期からは、生徒達が、ちゃんと、
授業も聞くし、慕われるようにまでなったそうです。それまでいかに、
コミュニケーションに意識がいってなかったと気づいたわけですね。
そんな感じで、接客バイトをやるだけでも、ナンパは変わるでしょう。
しかし、ならば接客の仕事をしている男は、みなナンパできるのか?
という問題が出てきますが、もちろん、NOです。やはり勝手は違う。
それでも、いったん声かけの壁を乗り越えたら、SEや工場勤務より、
有利でしょう。一応、人慣れはしています。ちなみに接客の仕事で、
お客さんを相手にするのは、実はすぐ慣れるものでして、もっと大変
なのが、職場の人間関係です。いろいろ言われたり、面倒ですから・・。
私自身も、ずっと一緒にいるわけではない、お客さんを相手にする
のは好きでしたが、それよりも、職場にいる人達との意思の疎通が、
どうもスッキリしなくて疲れました。だからこそ、お客さんへの意識を
さらに強めて、あまり周囲の人を相手にしないようにしていましたね。
どの職場にも、嫌な人はいるものです。ナンパと違って逃げれなく、
なんとか流してガマンしないといけない。そういう時は、できるだけ、
仕事に集中して、頑張るといいです。自分から没入するしかない。
そうすると、店長やオーナーだとかには気に入られ、一石二鳥!
(たいてい嫌な人は、中間管理職みたいな位置にいる人です。)
★
というわけで、接客のバイトを勧めましたが、どんなにうまくいこうが、
接客は単純で、残念ながら深いコミュニケーションまでにはならず、
決まった符号のやりとりにすぎません。あくまで、軽いものでしょう。
私は深いコミュニケーションがしたくてたまらず、憧れまで抱いて、
「ロストイントランスレーション」を観た時に、これだ!と思いました。
特に、寂しくなり、地元の友人に電話するシーンが共感できます。
友達が上の空でしか話を聞いてくれず、かえって孤独感が強まり、
涙まで出てくる、といったシーンでしたが、とてもよかった。やはり、
本当に深い心の通じ合いというのは、ごくごく稀です。だからこそ、
そういうピタッとつながれた瞬間というのは、とても感動的なんです。
接客の仕事で、そこまでいけたらいいけど、なかなか難しいもので、
どうしても、そういう深い関係にはナンパが適しています。もちろん、
ほとんどの相手は、そんなに気が合わないのが現実です。それでも、
お互いの共通点をすり合わせて、なんとか楽しんでいけるものです。
ところが、ずっとナンパを続けていくと、中には、信じられないくらい、
気が合う人もいる。お互いが、奇跡だと感激し、見つめあいながら、
なんともいえない、いい雰囲気になる。それはたまらない一瞬です。
なので、連絡先が聞けても再会できないと落ち込まず、さっさと忘れ、
続けましょう。確かに、自分の技術を磨いて、相手に合わせることも
大事ですが、その一方、ほとんどの相手は、どうでもいい人なんです。
単純に、気が合わないんですよ。あえて、また会う必要はありません。
そう考えて無駄にGETしようとしないのが、ラクなOUT系のナンパです。
posted by fmtbank at 12:15| カテゴリ無し
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2009年12月03日
これからの男はナンパと瞑想!
ふぅ〜、ようやく過去の話が終わりましたね。実に、長かった。
ずっとナンパ以前の話を続けてきましたが、これは私にとって、
みそぎでした。どうしても本題に入る前に伝えておきたかったし、
このブログを完結させるための、最後の通過儀礼だったのです。
おそらく、多くの読者を逃がしてしまったでしょう。なんたって、
ナンパと関係ない過去話を、5か月も引っ張ったのですから!
とにかく、「純愛ナンパ」というものを理解してもらうために、
本編へ入る前フリとして、過去の背景が必要だったんです。
といっても、伝えたかったのは、単純に、内面のことでした。
第一次ひきこもり期の時は、恋に落ちることの猛烈なパワーを、
強調しました。意中の人をGETする以前に、誰かに惚れること、
それそのものが凄まじいエネルギーを与えてくれるという真実!
そうなると、ナンパのやりすぎで、誰にも惚れなくなるというのは、
非常に残念なことであり、最悪といってもいい。私もこれには悩み、
さんざん間違えた方向に進みましたが、今ではどうすればいいか、
ハッキリ答えが出ています。これは、おいおいお伝えしていきます。
続いて、第二次ひきこもり期の話では、瞑想の効果というものを、
強調しました。完全に行き詰った状態でも、内面に目を向けると、
一瞬で解決されたりします。ただし、基本的に瞑想というものは、
根気がいる。ナンパと一緒です。身につくまで少々時間かかる。
でも、すぐに身についてしまうものなんて、つまらないじゃない。
何でもすぐ手に入る、インスタントな時代なんだから、むしろ、
逆のことをしてバランスとらないと、自分を見失ってしまいます。
一見、面倒で繊細なことを丁寧に続けることで、心は安定する。
こういう時代だからこそ男は、ナンパと瞑想で自立すべきです。
★
実は、ナンパと瞑想は、同じようなもので、自由への両輪です。
出会いがないなー、と嘆いて、あきらめていた生活も、ナンパを
意識すると、こんなにも出会いは天文学的に広がっていた!と、
感激します。ナンパを続ければ続けるほど、意識が転換します。
外側の世界が、こんなにもチャンスに満ちていたと驚く。つまり、
しっかりと現実を見てなかったんですね。なので気づかなかった。
瞑想も同じです。自分の内面に、信じられないくらいの宝物が、
満ち満ちていたことに、あなたは気づきます。まるでナンパを
始める前には、出会いがないと思い込んでいたように、内面に、
何も目新しいものはなく、わかってると思い込んでいただけです。
それが、少しずつ見つめ始め、意識が変わると、驚くことがおこる。
小さな例では、昔なくした、どこを探しても見つからなかったCD
の場所が、パッと画像で思い浮かび、いきなり見つかったりする。
外側を探すのではなく、内面を探すと、一瞬で見つかるわけです。
また内面を見つめていくと、感情のかたまりを見つけたりもする。
自分が抑えていて見ないようにしていた感情で、ネガティブな
ものだけでなく、ポジティブなものまである。それを発見すると、
その感情の塊が一気に溶けて、感情の嵐に投げ込まれます。
すべて解放された後には、信じられない位、スッキリしていて、
身も心も軽くなってる。浄化というやつです。他にも、自分から、
過去や未来の記憶の中に入っていき、いろいろと遊べたりする。
自分の中には、宇宙全体の情報が入っていて、それらと戯れて、
妄想や真実の海の中でただ漂っているだけで、時間を忘れます。
実は映画なんかより、自分の中に良質なコンテンツはあるのです。
また一方で、自分のやりたいことをイメージしていくうちに、日常で、
勝手に必要なものが引き寄せられて、うまくいったりもします。でも、
即効性は感じられないので、焦らずに継続しなくてはいけませんね。
★
そんな感じで、ナンパして、毎日少しずつでも瞑想を続けます。
すると次第に、人生はバーチャルなのではないかという感覚が、
強くなってきますが、これはあまりにも自分が思いこみに支配され、
それに気づいたとたん、見える現実も変わるからで、また様々な
バラバラに見えるような事象も、つながっていることに気づきます。
なんか今生きているこの世界が、壮大な織物のような気がしてくる。
あらかじめ創られた、フィクションじみたストーリーの中で、たんに
役割を生きている感じになりますが、面白いことに、またその逆で、
だからこそ、生きているリアルというものが、より強く感じられてきて、
生活自体が躍動感に満ちてくる。夢は全て叶う!と、解放されてくる。
しかし、瞑想については、言葉を超えたものなので、こうして書いても、
すべて空しい気がします。実際、自分でやらなければ、わかりません。
どんなに瞑想についての文章を読んでも、一ミリも伝わらないでしょう。
そんなわけで、ここいらで終わりますが、瞑想はいい!という話でした。
ずっとナンパ以前の話を続けてきましたが、これは私にとって、
みそぎでした。どうしても本題に入る前に伝えておきたかったし、
このブログを完結させるための、最後の通過儀礼だったのです。
おそらく、多くの読者を逃がしてしまったでしょう。なんたって、
ナンパと関係ない過去話を、5か月も引っ張ったのですから!
とにかく、「純愛ナンパ」というものを理解してもらうために、
本編へ入る前フリとして、過去の背景が必要だったんです。
といっても、伝えたかったのは、単純に、内面のことでした。
第一次ひきこもり期の時は、恋に落ちることの猛烈なパワーを、
強調しました。意中の人をGETする以前に、誰かに惚れること、
それそのものが凄まじいエネルギーを与えてくれるという真実!
そうなると、ナンパのやりすぎで、誰にも惚れなくなるというのは、
非常に残念なことであり、最悪といってもいい。私もこれには悩み、
さんざん間違えた方向に進みましたが、今ではどうすればいいか、
ハッキリ答えが出ています。これは、おいおいお伝えしていきます。
続いて、第二次ひきこもり期の話では、瞑想の効果というものを、
強調しました。完全に行き詰った状態でも、内面に目を向けると、
一瞬で解決されたりします。ただし、基本的に瞑想というものは、
根気がいる。ナンパと一緒です。身につくまで少々時間かかる。
でも、すぐに身についてしまうものなんて、つまらないじゃない。
何でもすぐ手に入る、インスタントな時代なんだから、むしろ、
逆のことをしてバランスとらないと、自分を見失ってしまいます。
一見、面倒で繊細なことを丁寧に続けることで、心は安定する。
こういう時代だからこそ男は、ナンパと瞑想で自立すべきです。
★
実は、ナンパと瞑想は、同じようなもので、自由への両輪です。
出会いがないなー、と嘆いて、あきらめていた生活も、ナンパを
意識すると、こんなにも出会いは天文学的に広がっていた!と、
感激します。ナンパを続ければ続けるほど、意識が転換します。
外側の世界が、こんなにもチャンスに満ちていたと驚く。つまり、
しっかりと現実を見てなかったんですね。なので気づかなかった。
瞑想も同じです。自分の内面に、信じられないくらいの宝物が、
満ち満ちていたことに、あなたは気づきます。まるでナンパを
始める前には、出会いがないと思い込んでいたように、内面に、
何も目新しいものはなく、わかってると思い込んでいただけです。
それが、少しずつ見つめ始め、意識が変わると、驚くことがおこる。
小さな例では、昔なくした、どこを探しても見つからなかったCD
の場所が、パッと画像で思い浮かび、いきなり見つかったりする。
外側を探すのではなく、内面を探すと、一瞬で見つかるわけです。
また内面を見つめていくと、感情のかたまりを見つけたりもする。
自分が抑えていて見ないようにしていた感情で、ネガティブな
ものだけでなく、ポジティブなものまである。それを発見すると、
その感情の塊が一気に溶けて、感情の嵐に投げ込まれます。
すべて解放された後には、信じられない位、スッキリしていて、
身も心も軽くなってる。浄化というやつです。他にも、自分から、
過去や未来の記憶の中に入っていき、いろいろと遊べたりする。
自分の中には、宇宙全体の情報が入っていて、それらと戯れて、
妄想や真実の海の中でただ漂っているだけで、時間を忘れます。
実は映画なんかより、自分の中に良質なコンテンツはあるのです。
また一方で、自分のやりたいことをイメージしていくうちに、日常で、
勝手に必要なものが引き寄せられて、うまくいったりもします。でも、
即効性は感じられないので、焦らずに継続しなくてはいけませんね。
★
そんな感じで、ナンパして、毎日少しずつでも瞑想を続けます。
すると次第に、人生はバーチャルなのではないかという感覚が、
強くなってきますが、これはあまりにも自分が思いこみに支配され、
それに気づいたとたん、見える現実も変わるからで、また様々な
バラバラに見えるような事象も、つながっていることに気づきます。
なんか今生きているこの世界が、壮大な織物のような気がしてくる。
あらかじめ創られた、フィクションじみたストーリーの中で、たんに
役割を生きている感じになりますが、面白いことに、またその逆で、
だからこそ、生きているリアルというものが、より強く感じられてきて、
生活自体が躍動感に満ちてくる。夢は全て叶う!と、解放されてくる。
しかし、瞑想については、言葉を超えたものなので、こうして書いても、
すべて空しい気がします。実際、自分でやらなければ、わかりません。
どんなに瞑想についての文章を読んでも、一ミリも伝わらないでしょう。
そんなわけで、ここいらで終わりますが、瞑想はいい!という話でした。
posted by fmtbank at 18:38| カテゴリ無し
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2009年11月29日
まったく結果が出なかった一年間
長いひきこもり生活の後、私はようやく社会に出た。そして後悔ばかりだった20代の、
失われた10年のリベンジをしようと思った。まず最初は自立するために、仕事面だ。
社会復帰一年目は、徹底して、仕事面でのコミュニケーション、要するに、常識的な、
社交辞令から入るやりとりをマスターしようとした。当初考えていた程、接客というのは、
難しくなかった。たんなる決まった台詞のやりとりである。しかし、私は苦手意識があり、
それでも相当の覚悟と勉強量でのぞんだため、結果的に、何やっても成績優秀だった。
これは私が凄いということではなく、ほとんどの人は何も考えず、適当に働いてるだけで、
中途半端だった。だって、何も考えなくても、ある程度できちゃうのだから、本気になる
理由がない。そんなの疲れるだけじゃん、となってしまう。だから人間は、ナンパだとか、
単純な接客でも、苦手意識がある人ほど、本気にならざるをえないのでブレイクする。
私が内気な人に対して、ナンパを勧めたのも、実は女性が苦手な人ほど、本気になれ、
結果が出せると確信しているからで、それに気づかないのは人生もったいない。ただし、
逃げちゃいけない。逃げたら、ゼロ以下である。中途半端では、普通の人以下になる。
だから女性に苦手意識がある人は、極論すると、手に入るものがゼロか100かだろう。
そして、それを分けるのが、「逃げない」ということで、これは努力うんぬんというよりも、
覚悟、本気度、つまり、「意識」の問題である。どんなに頑張っても、意識が逃げてたら、
それは悲しいほど、何も起こらないかもしれない。どんなノウハウがあろうが、逆効果だ。
私自身も、それは、痛いほど、身にしみている。
実は、このタダナンパ活動を始める前に、
忘れ去りたい、空白の一年があった・・・。
★
社会復帰一年目に、私は仕事面のコンプレックスをクリアした。かつてバーガー屋で
バイトして、すぐクビになった経験からか、接客は苦手と思い込んでいたが、ちゃんと、
本気で取り組んだら、わけはない、簡単だった。今後、どんな仕事でも出来ると思った。
ならばと、社会復帰二年目は、異性問題に取り組むことにした。やはり仕事の次は、
女性に関して、リベンジをしたかったのだ。ところが、これが、思ったよりも難しかった。
なんとかナンパをしようとして街に出るのだが、ほとんど声をかけられない。すぐに、
本屋に入って、自己啓発本を読んでしまう。これは、自己啓発プログラムの仕事を
してる時に、勉強のために読みだしたのがキッカケで、いつの間にやら、営業の本、
マーケティングの本まで、その手のビジネス書を読む習慣がついてしまっていた・・。
以前は、面白いサブカルチャー系の本しか読まなかったのに、すっかりノウハウ本
の中毒になっていて、これには困った。なんせ、すさまじい時間が無駄になるのだ。
そんな読書よりも、まずは行動なのに、全然ダメ。路上キャンペーンとかやっていて、
実際には出来るハズなのに、たまに調子いい時に、少し声かけるだけしかやらない。
これには、まいった。というか、イライラしてしょうがなかった。私は次第に、不機嫌で、
周囲の人とトラブルを起こすような、ダメな感じになっていった。バイトでもイライラし、
なんとか我慢して、家に帰ってから絶叫したりして、ウサをはらす感じになったのだ。
頼みにしていた瞑想やイメージも、行動しない限り、まったく役に立たなくなった・・・。
本音で生きないで、ごまかし続けていると、もう瞑想もへったくれもない。なんたって、
ナンパしたいし、自分に出来るはずだとも感じているのに、なぜか、なぜか、しない!
ハッキリと分かっているのに行動しない人間は、自己破壊的になる。自分で自分が、
許せなくなるため、他人のアラにも苛立つようになり、怒りを他の対象にも投影する。
もう最悪である。なんせ、そんな感じのまま、一年間も棒にふってしまったのだから・・。
★
女性問題をクリアするための一年間は、時々声かけるだけで、何の結果も出さずに、
アッという間に過ぎ去ってしまった。一度たりとも、連絡先を聞き出すこともなかった。
ナンパのノウハウ本は全部持っていたし、自己啓発本も読んだし、瞑想もしたのに!
それでも結果は出ず、そもそも声かけ数が少なすぎていたし、常にイライラしていた。
しかし、人生は必ずや、精神が閉鎖的になると、そこから脱出させてくれる。
今回は、多分に、いきすぎた手荒な方法ではあったのだが・・・。
(その時の詳細はこちら ⇒ 『ナンパで一番苦かった思い出』)
その末路は、私が酔っ払いにからまれて、ボコボコにされて寝込むという形をとった。
見知らぬ女性に、トイレの場所を教えてあげたら、いきなり、いかつい男があらわれて、
思わずケンカに応じてしまったという話だ。私は負けた。ボロボロの、めった打ちだった。
病院に行くお金もなく、最低の気分で痛い体をさすりながら、ずっと寝込んでいたが、
そん時の悔しさから、絶対ナンパしてやる!とフトンの中で決意して、トラブルなども、
いつ何か起こるかわからないから、ピンピンしてる時に、早くやることやっておこう!と、
時間の大切さも、よくわかった。またこの時に、「恋はデジャブ」という映画とも出会った。
「恋はデジャブ」から、一日一日を大切に生きるというインスピレーションも与えられて、
さらに、同じ主人公のビル・マーレイが出ていたからという理由で、新たな映画も見た。
それが、「ロストイントランスレーション」であり、このブログの一番最初へとつながる。
★
ダメだった翌年に、私はメルマガによって、自分のナンパ体験を発表しだした。
ナンパは仕事と違って、誰からも強制されない。逃げようと思えば、いくらでも、
逃げれる。しかも人間の思考というのは、ラクな道ばかり選び、自分をだます。
そんな自分の思考に左右されてたら、逃げてばかりで、時間は過ぎ去っていく。
一年間なんて、チョコチョコ声かけただけで、アッという間だった。悔しかった。
これは人の目を意識してやるしかないと思い、私はメルマガを発行したのだ。
誰が読んでいるか分からないが、第三者に報告するという形で、自分自身に、
緊張感を与えた。ひどく自意識過剰なので、最初なんか、メルマガに100人も
登録した人がいると、いったん削除して、読者をゼロにした。そして、あらたに、
読者数が1人になったところで、配信を開始したくらいだった。ほんと臆病者・・。
メルマガ読者が100人ていうのは、100人の前でスピーチしているかのような、
そんなイメージがあってビビっていたわけだが、アホらしい自意識過剰ぶりだ。
いまやナンパのおかげで、そんな卑小なものからは解放された。ちなみに、
このブログは、あなた1人に向かって書いている。つまり読者は1人を想定!
それはともかく、メルマガで自分の体験を発表し出してから、意識が変わり、
ようやくいい結果が出た。やはり義務的にでも、声をかけるようになったのが、
状況を打破したのだろう。当時は、声かけ数こそが全てだと思い込んでいた。
まったく何の結果も生まなかった一年間をなかったことにして、初心に戻り、
声かけ数も1人から始めて、一日で100人近く、果敢に声かけるようになり、
何度か挫折しながらも、ダメほどいいと開き直り、ナンパを続け結果を出した。
ただし、結果が出たといっても、ビギナーズラックだったのだが、その幸運は、
あきらかに「意識」が呼び込んだと断言できる。意識さえクリアにしておけば、
人は逃げない。すると必要な情報や人、結果、すべてを引き寄せるのだろう。
さらに私は、ただメルマガで発表するには飽き足らず、仕事にしてしまおうと、
ナンパの教材を発売することにした。とはいっても、全然達人でもないくせに、
売れるわけないので、徹底して「本気」になることにした。本当に死を覚悟した。
これは電話営業の時に、「今死ぬ」という覚悟をして、逃げ道を断ったことで、
奇跡的な快進撃を起こしたことからきている。再び、あの革命状態に入ろうと、
徹底的に自分を追いつめた。バイトをやめて収入を断ち、震えあがりながらも、
とことん所持金をゼロにしようとした。ナンパ教材が売れなければ餓死である。
そして、ナンパで結果を出さなければ、教材なんて作れない。逃げ道はゼロだ。
正直、これでうまくいかないわけがない。恐れはあったが、だからこそ、うまくいく。
うまくいかなければ、死んでやるよと、ふてぶてしいほどの開き直りが生まれた。
瞑想したって、ナンパはできない。まずは行動だ。すると、すべてが変わっていく。
★
こうして私は、ようやく本格的に、ナンパの世界に足を踏み入れたのであった。
それからのことは、全く後悔してないし、今もまた、新たな革命のはざまにいる。
(了)
失われた10年のリベンジをしようと思った。まず最初は自立するために、仕事面だ。
社会復帰一年目は、徹底して、仕事面でのコミュニケーション、要するに、常識的な、
社交辞令から入るやりとりをマスターしようとした。当初考えていた程、接客というのは、
難しくなかった。たんなる決まった台詞のやりとりである。しかし、私は苦手意識があり、
それでも相当の覚悟と勉強量でのぞんだため、結果的に、何やっても成績優秀だった。
これは私が凄いということではなく、ほとんどの人は何も考えず、適当に働いてるだけで、
中途半端だった。だって、何も考えなくても、ある程度できちゃうのだから、本気になる
理由がない。そんなの疲れるだけじゃん、となってしまう。だから人間は、ナンパだとか、
単純な接客でも、苦手意識がある人ほど、本気にならざるをえないのでブレイクする。
私が内気な人に対して、ナンパを勧めたのも、実は女性が苦手な人ほど、本気になれ、
結果が出せると確信しているからで、それに気づかないのは人生もったいない。ただし、
逃げちゃいけない。逃げたら、ゼロ以下である。中途半端では、普通の人以下になる。
だから女性に苦手意識がある人は、極論すると、手に入るものがゼロか100かだろう。
そして、それを分けるのが、「逃げない」ということで、これは努力うんぬんというよりも、
覚悟、本気度、つまり、「意識」の問題である。どんなに頑張っても、意識が逃げてたら、
それは悲しいほど、何も起こらないかもしれない。どんなノウハウがあろうが、逆効果だ。
私自身も、それは、痛いほど、身にしみている。
実は、このタダナンパ活動を始める前に、
忘れ去りたい、空白の一年があった・・・。
★
社会復帰一年目に、私は仕事面のコンプレックスをクリアした。かつてバーガー屋で
バイトして、すぐクビになった経験からか、接客は苦手と思い込んでいたが、ちゃんと、
本気で取り組んだら、わけはない、簡単だった。今後、どんな仕事でも出来ると思った。
ならばと、社会復帰二年目は、異性問題に取り組むことにした。やはり仕事の次は、
女性に関して、リベンジをしたかったのだ。ところが、これが、思ったよりも難しかった。
なんとかナンパをしようとして街に出るのだが、ほとんど声をかけられない。すぐに、
本屋に入って、自己啓発本を読んでしまう。これは、自己啓発プログラムの仕事を
してる時に、勉強のために読みだしたのがキッカケで、いつの間にやら、営業の本、
マーケティングの本まで、その手のビジネス書を読む習慣がついてしまっていた・・。
以前は、面白いサブカルチャー系の本しか読まなかったのに、すっかりノウハウ本
の中毒になっていて、これには困った。なんせ、すさまじい時間が無駄になるのだ。
そんな読書よりも、まずは行動なのに、全然ダメ。路上キャンペーンとかやっていて、
実際には出来るハズなのに、たまに調子いい時に、少し声かけるだけしかやらない。
これには、まいった。というか、イライラしてしょうがなかった。私は次第に、不機嫌で、
周囲の人とトラブルを起こすような、ダメな感じになっていった。バイトでもイライラし、
なんとか我慢して、家に帰ってから絶叫したりして、ウサをはらす感じになったのだ。
頼みにしていた瞑想やイメージも、行動しない限り、まったく役に立たなくなった・・・。
本音で生きないで、ごまかし続けていると、もう瞑想もへったくれもない。なんたって、
ナンパしたいし、自分に出来るはずだとも感じているのに、なぜか、なぜか、しない!
ハッキリと分かっているのに行動しない人間は、自己破壊的になる。自分で自分が、
許せなくなるため、他人のアラにも苛立つようになり、怒りを他の対象にも投影する。
もう最悪である。なんせ、そんな感じのまま、一年間も棒にふってしまったのだから・・。
★
女性問題をクリアするための一年間は、時々声かけるだけで、何の結果も出さずに、
アッという間に過ぎ去ってしまった。一度たりとも、連絡先を聞き出すこともなかった。
ナンパのノウハウ本は全部持っていたし、自己啓発本も読んだし、瞑想もしたのに!
それでも結果は出ず、そもそも声かけ数が少なすぎていたし、常にイライラしていた。
しかし、人生は必ずや、精神が閉鎖的になると、そこから脱出させてくれる。
今回は、多分に、いきすぎた手荒な方法ではあったのだが・・・。
(その時の詳細はこちら ⇒ 『ナンパで一番苦かった思い出』)
その末路は、私が酔っ払いにからまれて、ボコボコにされて寝込むという形をとった。
見知らぬ女性に、トイレの場所を教えてあげたら、いきなり、いかつい男があらわれて、
思わずケンカに応じてしまったという話だ。私は負けた。ボロボロの、めった打ちだった。
病院に行くお金もなく、最低の気分で痛い体をさすりながら、ずっと寝込んでいたが、
そん時の悔しさから、絶対ナンパしてやる!とフトンの中で決意して、トラブルなども、
いつ何か起こるかわからないから、ピンピンしてる時に、早くやることやっておこう!と、
時間の大切さも、よくわかった。またこの時に、「恋はデジャブ」という映画とも出会った。
「恋はデジャブ」から、一日一日を大切に生きるというインスピレーションも与えられて、
さらに、同じ主人公のビル・マーレイが出ていたからという理由で、新たな映画も見た。
それが、「ロストイントランスレーション」であり、このブログの一番最初へとつながる。
★
ダメだった翌年に、私はメルマガによって、自分のナンパ体験を発表しだした。
ナンパは仕事と違って、誰からも強制されない。逃げようと思えば、いくらでも、
逃げれる。しかも人間の思考というのは、ラクな道ばかり選び、自分をだます。
そんな自分の思考に左右されてたら、逃げてばかりで、時間は過ぎ去っていく。
一年間なんて、チョコチョコ声かけただけで、アッという間だった。悔しかった。
これは人の目を意識してやるしかないと思い、私はメルマガを発行したのだ。
誰が読んでいるか分からないが、第三者に報告するという形で、自分自身に、
緊張感を与えた。ひどく自意識過剰なので、最初なんか、メルマガに100人も
登録した人がいると、いったん削除して、読者をゼロにした。そして、あらたに、
読者数が1人になったところで、配信を開始したくらいだった。ほんと臆病者・・。
メルマガ読者が100人ていうのは、100人の前でスピーチしているかのような、
そんなイメージがあってビビっていたわけだが、アホらしい自意識過剰ぶりだ。
いまやナンパのおかげで、そんな卑小なものからは解放された。ちなみに、
このブログは、あなた1人に向かって書いている。つまり読者は1人を想定!
それはともかく、メルマガで自分の体験を発表し出してから、意識が変わり、
ようやくいい結果が出た。やはり義務的にでも、声をかけるようになったのが、
状況を打破したのだろう。当時は、声かけ数こそが全てだと思い込んでいた。
まったく何の結果も生まなかった一年間をなかったことにして、初心に戻り、
声かけ数も1人から始めて、一日で100人近く、果敢に声かけるようになり、
何度か挫折しながらも、ダメほどいいと開き直り、ナンパを続け結果を出した。
ただし、結果が出たといっても、ビギナーズラックだったのだが、その幸運は、
あきらかに「意識」が呼び込んだと断言できる。意識さえクリアにしておけば、
人は逃げない。すると必要な情報や人、結果、すべてを引き寄せるのだろう。
さらに私は、ただメルマガで発表するには飽き足らず、仕事にしてしまおうと、
ナンパの教材を発売することにした。とはいっても、全然達人でもないくせに、
売れるわけないので、徹底して「本気」になることにした。本当に死を覚悟した。
これは電話営業の時に、「今死ぬ」という覚悟をして、逃げ道を断ったことで、
奇跡的な快進撃を起こしたことからきている。再び、あの革命状態に入ろうと、
徹底的に自分を追いつめた。バイトをやめて収入を断ち、震えあがりながらも、
とことん所持金をゼロにしようとした。ナンパ教材が売れなければ餓死である。
そして、ナンパで結果を出さなければ、教材なんて作れない。逃げ道はゼロだ。
正直、これでうまくいかないわけがない。恐れはあったが、だからこそ、うまくいく。
うまくいかなければ、死んでやるよと、ふてぶてしいほどの開き直りが生まれた。
瞑想したって、ナンパはできない。まずは行動だ。すると、すべてが変わっていく。
★
こうして私は、ようやく本格的に、ナンパの世界に足を踏み入れたのであった。
それからのことは、全く後悔してないし、今もまた、新たな革命のはざまにいる。
(了)
posted by fmtbank at 08:51| カテゴリ無し
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2009年11月27日
ナンパの世界へ飛びこむまでの助走
瞑想は、人を解放する。精神をおどろくほど、浄化する。
私は、二年にわたる瞑想によって、自分の内面を見つめ、
さまざまな思考や感情に直面していった。そして最後には、
今まで出会った人への感謝の気持ちで、いっぱいになった。
さらに気づいたのが、意識の上では、軽くみていた女性が、
実は、大きな存在であり、お世話になった恩人だったことで、
それなのに自分はヒドイことをしたという、激しい後悔だった。
もういてもたってもいられず、その女性に会いに四国まで行き、
涙ながらに懺悔したのだが、そこで、一区切りがついたようだ。
二年半にわたる、ひきこもり生活に、ようやく終わりの時がきた。
★
実は、まだ惰性で、この瞑想三昧の生活を続けようとしたのだが、
ちょうど父が仕事を引退して、いつも家にいるようになったために、
私に対しての非難が強くなった。とにかく、「家を出ていけ!」という。
それもそうで、30になる息子が、家で目をつぶったまま何もしてない。
本当は瞑想していたのだが、それも伝わらず、ただノイローゼになり、
人生終わってるように見られていた。20代の頃は、まだ父の圧力は
弱かったのだが、私が30になった途端、父は厳しく言うようになった。
私が右脳記憶の練習でカードを並べていても、わざとそれを踏んだり、
ジャマするようになり、もう実家にいても意味がないと、私も観念した。
自分としても、やはり30歳になったので、そろそろ自立しようと思い、
アパートを借りるためにバイトを始めようとした。ところが、これがまぁ、
バイトの面接、すべて落ちた。何から何まで落ちた。そこで最終的に、
苦し紛れに受けた電話営業の仕事が、奇跡的に採用され、就職した。
ところが、これが朝から晩まで、電話で人と話して、100万円もする、
自己啓発プログラムを売る業務という、ヘビー極まりないものだった。
(あとから分かったが、ブラック企業のため、誰でも採用されたのだ。)
ひきこもり生活から、いきなりトップレベルのコミュニケーション生活に、
放り込まれたわけだから、もう涙目・・・。本来は、誰でも出来るような、
軽作業のバイトから慣らしていきたかったのに、人生、そうはいかない。
人生というのは、あたかもシナリオが決まっているのかのようだ。ヘタに、
他の楽なバイトが受かっていたら、こんな激しい仕事するわけなかった。
それが、この仕事をやめたら後がない!という逃げ道を断つ結果ともなり、
生まれて初めて、命賭けで挑むことをして、私の人生観は引っくり返った。
面白いように結果が出た。死ぬ覚悟で行動すると、つまらない自我が消え、
奇跡が起こるのだ。つまり、自分が消えると、世界全体が味方してくれる!
思考で作りあげた自信なんかいらない。キーワードは、「今死ぬ!」だ。
(その時の成功談がこちら ⇒ 『プラス思考なんてクソくらえ!』)
★
その電話営業を三か月で辞めてから、次に挑戦したのが、インターネットの
路上キャンペーンだった。ちょうどブロードバンドが始まった頃で、街中に、
たくさんいたのを覚えているだろうか。私も、あれをやった。凄い楽しかった。
最初は、電話営業から、今度は対面なので、緊張して全然ダメだったのだが、
アッという間にコツをつかんだ。なにしろ、自己啓発のプログラムを売る時は、
相手の人生そのものの話を聞かなくちゃいけないし、死ぬ程、大変だったが、
インターネットの無料キャンペーンなんて、同じ台詞、やりとりだけで充分だ。
基本のマニュアルでは、「2カ月無料がどうたらこうたら」という入り方だったが、
私は自分なりの研究を重ね、「インターネット遅くない?」という質問だけをした。
そして「遅いんだよー。」という反応をした人とだけ話し、成績はダントツだった。
頭も全然使わなくていいので、単純に、人と面と向かって話す訓練になったし、
まずは体で慣れることや、相手を選ぶことは、後でナンパにも応用したものだ。
でも、これだけじゃ成長できないと、今度は、電気量販店でバイトをした。それも、
お客さんがあまり来ない、へんぴな場所を選んだ。なぜなら、ゆっくりお客さんと、
世間話をしたかったからである。要するに、面と向かって対面で、普通にやりとり
できるように慣れたかった。しかも、パソコンなんて持ってなかったのに、パソコン
すごい詳しいです!とホラを吹いて、雇われてから、こっそりと必死で勉強もした。
とにかく、この量販店でのバイトは、本当に、コミュニケーションの練習になった。
どうすれば喜ぶか?いつも考えていて、わざと高くてダメな商品を勧めてから、
「そういえば・・、」と、わざとらしく思い出したフリをして、一番お得な商品を見せ、
「これ、いいじゃない!」と、お客さんの顔が輝くのを見て喜んだり、面白かった。
それでも、すごい気疲れしてヘトヘトになるので、バイトは土日しかしなかったが。
★
こうして私は、まずは電話営業で、声だけのコミュニケーションに慣れ、続いて、
路上キャンペーンで、いつも定型の台詞だけではあるが、対面のやりとりに慣れ、
最後は小さな量販店で、普通にお客さんと、世間話できるようになったのである。
私は、たった一年間で、仕事としてのコミュニケーションに、大いに自信がついた。
これも結局は、瞑想のおかげだ。瞑想したからこそ、全力で行動するということが、
できるようになり、特に、電話営業での成功体験が、すべてをポジティブに変えた。
(それまでは頭が優位で、どんなに頑張ろうとしても、頭が抑止し、できなかった。)
もう大丈夫だ!瞑想さえあれば、すべてうまくいくぞ!
そう確信した私は、次に、女性問題に取りかかった。
つまり、おなじみの、楽しいナンパである。
でも、これがなー・・・、全然ダメだった・・・。
(やっぱり、まだ続く)
私は、二年にわたる瞑想によって、自分の内面を見つめ、
さまざまな思考や感情に直面していった。そして最後には、
今まで出会った人への感謝の気持ちで、いっぱいになった。
さらに気づいたのが、意識の上では、軽くみていた女性が、
実は、大きな存在であり、お世話になった恩人だったことで、
それなのに自分はヒドイことをしたという、激しい後悔だった。
もういてもたってもいられず、その女性に会いに四国まで行き、
涙ながらに懺悔したのだが、そこで、一区切りがついたようだ。
二年半にわたる、ひきこもり生活に、ようやく終わりの時がきた。
★
実は、まだ惰性で、この瞑想三昧の生活を続けようとしたのだが、
ちょうど父が仕事を引退して、いつも家にいるようになったために、
私に対しての非難が強くなった。とにかく、「家を出ていけ!」という。
それもそうで、30になる息子が、家で目をつぶったまま何もしてない。
本当は瞑想していたのだが、それも伝わらず、ただノイローゼになり、
人生終わってるように見られていた。20代の頃は、まだ父の圧力は
弱かったのだが、私が30になった途端、父は厳しく言うようになった。
私が右脳記憶の練習でカードを並べていても、わざとそれを踏んだり、
ジャマするようになり、もう実家にいても意味がないと、私も観念した。
自分としても、やはり30歳になったので、そろそろ自立しようと思い、
アパートを借りるためにバイトを始めようとした。ところが、これがまぁ、
バイトの面接、すべて落ちた。何から何まで落ちた。そこで最終的に、
苦し紛れに受けた電話営業の仕事が、奇跡的に採用され、就職した。
ところが、これが朝から晩まで、電話で人と話して、100万円もする、
自己啓発プログラムを売る業務という、ヘビー極まりないものだった。
(あとから分かったが、ブラック企業のため、誰でも採用されたのだ。)
ひきこもり生活から、いきなりトップレベルのコミュニケーション生活に、
放り込まれたわけだから、もう涙目・・・。本来は、誰でも出来るような、
軽作業のバイトから慣らしていきたかったのに、人生、そうはいかない。
人生というのは、あたかもシナリオが決まっているのかのようだ。ヘタに、
他の楽なバイトが受かっていたら、こんな激しい仕事するわけなかった。
それが、この仕事をやめたら後がない!という逃げ道を断つ結果ともなり、
生まれて初めて、命賭けで挑むことをして、私の人生観は引っくり返った。
面白いように結果が出た。死ぬ覚悟で行動すると、つまらない自我が消え、
奇跡が起こるのだ。つまり、自分が消えると、世界全体が味方してくれる!
思考で作りあげた自信なんかいらない。キーワードは、「今死ぬ!」だ。
(その時の成功談がこちら ⇒ 『プラス思考なんてクソくらえ!』)
★
その電話営業を三か月で辞めてから、次に挑戦したのが、インターネットの
路上キャンペーンだった。ちょうどブロードバンドが始まった頃で、街中に、
たくさんいたのを覚えているだろうか。私も、あれをやった。凄い楽しかった。
最初は、電話営業から、今度は対面なので、緊張して全然ダメだったのだが、
アッという間にコツをつかんだ。なにしろ、自己啓発のプログラムを売る時は、
相手の人生そのものの話を聞かなくちゃいけないし、死ぬ程、大変だったが、
インターネットの無料キャンペーンなんて、同じ台詞、やりとりだけで充分だ。
基本のマニュアルでは、「2カ月無料がどうたらこうたら」という入り方だったが、
私は自分なりの研究を重ね、「インターネット遅くない?」という質問だけをした。
そして「遅いんだよー。」という反応をした人とだけ話し、成績はダントツだった。
頭も全然使わなくていいので、単純に、人と面と向かって話す訓練になったし、
まずは体で慣れることや、相手を選ぶことは、後でナンパにも応用したものだ。
でも、これだけじゃ成長できないと、今度は、電気量販店でバイトをした。それも、
お客さんがあまり来ない、へんぴな場所を選んだ。なぜなら、ゆっくりお客さんと、
世間話をしたかったからである。要するに、面と向かって対面で、普通にやりとり
できるように慣れたかった。しかも、パソコンなんて持ってなかったのに、パソコン
すごい詳しいです!とホラを吹いて、雇われてから、こっそりと必死で勉強もした。
とにかく、この量販店でのバイトは、本当に、コミュニケーションの練習になった。
どうすれば喜ぶか?いつも考えていて、わざと高くてダメな商品を勧めてから、
「そういえば・・、」と、わざとらしく思い出したフリをして、一番お得な商品を見せ、
「これ、いいじゃない!」と、お客さんの顔が輝くのを見て喜んだり、面白かった。
それでも、すごい気疲れしてヘトヘトになるので、バイトは土日しかしなかったが。
★
こうして私は、まずは電話営業で、声だけのコミュニケーションに慣れ、続いて、
路上キャンペーンで、いつも定型の台詞だけではあるが、対面のやりとりに慣れ、
最後は小さな量販店で、普通にお客さんと、世間話できるようになったのである。
私は、たった一年間で、仕事としてのコミュニケーションに、大いに自信がついた。
これも結局は、瞑想のおかげだ。瞑想したからこそ、全力で行動するということが、
できるようになり、特に、電話営業での成功体験が、すべてをポジティブに変えた。
(それまでは頭が優位で、どんなに頑張ろうとしても、頭が抑止し、できなかった。)
もう大丈夫だ!瞑想さえあれば、すべてうまくいくぞ!
そう確信した私は、次に、女性問題に取りかかった。
つまり、おなじみの、楽しいナンパである。
でも、これがなー・・・、全然ダメだった・・・。
(やっぱり、まだ続く)
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2009年11月22日
第二次ひきこもり期を脱出する
私は十年ほど前、ほとんど部屋にひきこもって、瞑想ばかりしていた。
幸いにも、ブロードバンドが始まる前で、インターネットもなかったし、
TVや映画にも飽きていたので、ひたすら自己を見つめるだけだった。
すると、今まで知らなかった自分の感情が、ジワジワと浮かびあがって、
こんなこと考えてたんだと気づきが増え、ある時、一気に自分の奥底に
隠れていた強烈な感情が現れた。それは、自分に対する非難だった。
本当にやりたいことを抑えて、抑えて、抑えまくって、悲鳴をあげている、
潜在意識、ストレスで怒り狂っている内側の自分である。私は、ひたすら、
自分に対して、謝りまくった。そしてこの「ごめんなさい」の時期を越えると、
妙にスッキリし、精神が浄化された気がして、私はさらに瞑想にはまった。
そこで、イメージ訓練に励んだり、いろんな呼吸法を試したりしてるうちに、
激しい呼吸法のやりすぎで、体を壊してしまった。常に頭痛が続いてたが、
呼吸法をやめたら、なんとか治った。やはり、激しくやりすぎてはいけない。
そんなこんなで、失敗もありながら、瞑想を続けていくと、最初の変動、
「ごめんなさい」の頃から、また一年後に、それは大きな変化があった。
今度は、内側から、すごい勢いで感謝の気持ちが沸いてきた。いわゆる、
「ありがとう」の時期だった。生まれて初めて、親孝行しようと強く思ったり、
自分は一人ではなく、ありとあらゆる人に助けられてきたと心底わかった。
そんなことは、さんざん言われてきたが、本で読むのと、自分の内側から、
強烈な勢いで噴出してくる感情を、体感するのとは、まったく違うものだ。
私は、ひどく涙もろくなってしまい、部屋にこもって、感動しまくっていた。
そして、これは二年半に及ぶ、第二次ひきこもり期が終わる兆しだった。
ちなみに、ひきこもるキッカケの一つとなった、例の気まぐれな彼女とは、
いまだにメールのやりとりは続いていた。なんていったって、私の唯一の、
他人との深いコミュニケーションで、裏切られながらも、依存していたのだ。
瞑想が進むにつれて、彼女とうまくいくのではないかと、期待するのだが、
何度も、何度も、その期待は裏切られた。おびただしい量のメールをして、
なんとか再会できたのは、二年半で2回こっきりである。しかも、会ってから、
「本当に楽しかった」とかメールが来るのに、結局、何度もドタキャンされた。
1回目に再会できた時は、かなり期待していただけに、相当落ち込んだが、
その一年後、2回目に会った時は、またかー、という感じで落ち着いていた。
というよりも、瞑想が習慣になってたからか、「なんか人が変わったね」と、
彼女の方が驚いて、彼女の方から、「またすぐに会おう」と誘ってきたのだ。
(といっても、彼女とは肉体関係もなく、ただのメル友にすぎなかったが)
それもまた、彼女の気まぐれでドタキャンになったのだが、今回に限っては、
またすぐ会うことになるだろうと確信していた。なぜなら、瞑想しまくっており、
彼女の喜ぶイメージだとか、いろいろと働きかけていて、まだ余裕があった。
それでも、何でこんなに、この彼女には振り回され続けてるんだろう?など、
迷いながらも瞑想を続けていたところ、とんでもないものに気づいてしまった。
★
ある日、さんざん振り回されてきた彼女について瞑想していた時のことである。
ふと気づくと、その奥の奥に、地下水の鉱脈のように、ある記憶が流れていた。
今まで気づいていなかった、厚い厚い岩盤に埋もれていたかのような潮流だ。
私は、突然そこにぶち当たってしまった。まるで厚い岩盤をぶち破って温泉が
噴き出してくるかのように、地下の奥底から、すごい勢いで映像が流れてきた。
それは、5年間つきあいがあった、『どうでもいい子ちゃん』に関する記憶である。
私は、その『どうでもいい子ちゃん』に対して、一度もプレゼントをあげなかったし、
おごりもせず、何ひとつしてあげなかった。ただ寂しくなった時、当日に電話して、
すぐ会うだけで、恋人同士ともいえない、ただの淡泊な関係にすぎなかったのだ。
しかし、それは間違いだったと、潜在意識の記憶の流れがハッキリと示していた。
私は、その『どうでもいい子ちゃん』に癒されまくっていて、まさに愛の塊のような、
素晴らしい女性だったのに、とりたててルックスよくないしとか、素直になれずに、
まったく向きあおうとしなかった。むしろ、そうやって自分を守っていただけだった。
本当は、オープンに、のびのびと、最高の気持ちでつきあうことも出来たのに・・・。
実は、そうしたかったけど、奥底で女性を恐れていて、出来なかっただけだった。
それに気づいた時、雷に打たれたような衝撃を感じ、恐ろしい程の後悔が襲った。
私は、もがき苦しんだ。まるで大勢殺したことを思い出して苦しむ元兵隊のように、
のたうちまわった。取り返しがつかないことに対しての後悔は、もう救いようがない。
その時の苦しみを、どう表現したらいいかわからない。人生で最大の苦しみである。
私は、もがいた。はてしない地獄の感覚で、そこから逃げ出すことはできなかった。
あたかも、映画「時計じかけのオレンジ」に出てきた、虐殺などの残酷な映像を
ずっと流され、見たくないのに、目を閉じれないシーンのように、目はそらせない。
なぜなら、目を閉じても、その記憶や映像が、走馬灯のように凄いスピードで、
ザーッと流されていくのだ。本当に、『どうでもいい子ちゃん』には悪いことした。
彼女には、何もしてあげないどころか、デートの約束も、何度もドタキャンした。
寂しくなって、たまに電話した時、「また来週、遊ぼう」と言いつつ、結局のところ、
会うことはなかった。気づいたら彼女とは、年に1回会うだけになっていたわけで、
これはまさに、私がメールだけしていて振り回されてきた彼女と同じことをしていた。
要するに、私は『どうでもいい子ちゃん』にしたことと、まったく同じことをされていた。
メールだけの彼女と、『どうでもいい子ちゃん』は、完全に、表裏一体だったのだ。
私は、それに気づいた時、腰を抜かすほどの衝撃を受けた。よく言われるように、
自分のしたことは、自分に返ってくるわけで、すべてはつながっていたのである・・。
さらに、『どうでもいい子ちゃん』は、私がメールばかりして振り回されてきた彼女を
好きだったように、私のことを愛していたと気づいた。好きだったからこそ、そんなに
強く主張せず、受け身的に、また再会できる日を楽しみにしてくれていたのである。
私は、ハッキリと、『どうでもいい子ちゃん』は、全然、どうでもいい子ではなかった!
と気づいた。私を救ってくれた、かけがえのない、まさに最高の天使だとわかった。
しかし、気づいた時は、もう遅い。彼女は、もうじき結婚することになっていたのだ。
彼女とは2年半も、会っていなかったし、すぐさま電話すると、対応は冷たかった。
「もうじき結婚する人がいるから、男性と二人きりでは会えない。」とのことである。
違う!そういうのではない!これまでの感謝の気持ちを述べたいだけと言っても、
彼女は、それは出来ないと言う。特に、夜に会うのは、絶対にダメだと言われた。
まさか彼女から、ここまで断られるとは思ってもいなかったので、ひどく動揺したが、
なんとか説得して、彼女が仕事中のランチタイムに、少しだけなら会うこととなった。
★
そうして私は、三年ぶりに遠出をし、鈍行列車で四国へと向かった。
『どうでもいい子ちゃん』改め、『どうでもよくない子ちゃん』と再会し、
彼女のランチタイムという短い時間だけ、食堂で、一緒に過ごした。
私はそこで、彼女の手を握り、ただ涙を流した。何も話せなかった。
久しぶりに再会したというのに、二人は、ほとんど黙っていたのだ。
この生涯、女性の前なんぞで、涙を流したのは二回だけである。
まず一回目が20歳の時、ファーストキスの涙であり、二回目が、
この30歳を目前に控えた、なんとも複雑な感情の涙であった。
しかしながら、彼女は、以前と比べて、冷たい態度だったし、
結局、彼女に、こちらの想いを、伝えることは出来なかった。
実は、学びが終わったら、別れとなる関係というのは多い。
私が、今まで間違っていたと気づいた時点で、終了なのだ。
すぐに別れが訪れ、私は初めて、彼女に食事をおごった。
あっさりとサヨナラした後も、仕事場に戻っていく彼女を見送り、
一度も振り返らない彼女の背中を見ながら、立ちつくしていた。
そして、再び鈍行列車で長時間かけて、自分の部屋に戻った。
三年ぶりの遠出を終えた私の精神には、どこか変化があった。
なんだか、ずっとこもっていた自分の部屋が、辛気臭く思えた。
そろそろ、外へと、社会へと、出ていく時がきたのかもしれない。
スリルに満ちた冒険に向かって、旅立ちの時が迫っていたのだ。
(次回が、最終回!)
幸いにも、ブロードバンドが始まる前で、インターネットもなかったし、
TVや映画にも飽きていたので、ひたすら自己を見つめるだけだった。
すると、今まで知らなかった自分の感情が、ジワジワと浮かびあがって、
こんなこと考えてたんだと気づきが増え、ある時、一気に自分の奥底に
隠れていた強烈な感情が現れた。それは、自分に対する非難だった。
本当にやりたいことを抑えて、抑えて、抑えまくって、悲鳴をあげている、
潜在意識、ストレスで怒り狂っている内側の自分である。私は、ひたすら、
自分に対して、謝りまくった。そしてこの「ごめんなさい」の時期を越えると、
妙にスッキリし、精神が浄化された気がして、私はさらに瞑想にはまった。
そこで、イメージ訓練に励んだり、いろんな呼吸法を試したりしてるうちに、
激しい呼吸法のやりすぎで、体を壊してしまった。常に頭痛が続いてたが、
呼吸法をやめたら、なんとか治った。やはり、激しくやりすぎてはいけない。
そんなこんなで、失敗もありながら、瞑想を続けていくと、最初の変動、
「ごめんなさい」の頃から、また一年後に、それは大きな変化があった。
今度は、内側から、すごい勢いで感謝の気持ちが沸いてきた。いわゆる、
「ありがとう」の時期だった。生まれて初めて、親孝行しようと強く思ったり、
自分は一人ではなく、ありとあらゆる人に助けられてきたと心底わかった。
そんなことは、さんざん言われてきたが、本で読むのと、自分の内側から、
強烈な勢いで噴出してくる感情を、体感するのとは、まったく違うものだ。
私は、ひどく涙もろくなってしまい、部屋にこもって、感動しまくっていた。
そして、これは二年半に及ぶ、第二次ひきこもり期が終わる兆しだった。
ちなみに、ひきこもるキッカケの一つとなった、例の気まぐれな彼女とは、
いまだにメールのやりとりは続いていた。なんていったって、私の唯一の、
他人との深いコミュニケーションで、裏切られながらも、依存していたのだ。
瞑想が進むにつれて、彼女とうまくいくのではないかと、期待するのだが、
何度も、何度も、その期待は裏切られた。おびただしい量のメールをして、
なんとか再会できたのは、二年半で2回こっきりである。しかも、会ってから、
「本当に楽しかった」とかメールが来るのに、結局、何度もドタキャンされた。
1回目に再会できた時は、かなり期待していただけに、相当落ち込んだが、
その一年後、2回目に会った時は、またかー、という感じで落ち着いていた。
というよりも、瞑想が習慣になってたからか、「なんか人が変わったね」と、
彼女の方が驚いて、彼女の方から、「またすぐに会おう」と誘ってきたのだ。
(といっても、彼女とは肉体関係もなく、ただのメル友にすぎなかったが)
それもまた、彼女の気まぐれでドタキャンになったのだが、今回に限っては、
またすぐ会うことになるだろうと確信していた。なぜなら、瞑想しまくっており、
彼女の喜ぶイメージだとか、いろいろと働きかけていて、まだ余裕があった。
それでも、何でこんなに、この彼女には振り回され続けてるんだろう?など、
迷いながらも瞑想を続けていたところ、とんでもないものに気づいてしまった。
★
ある日、さんざん振り回されてきた彼女について瞑想していた時のことである。
ふと気づくと、その奥の奥に、地下水の鉱脈のように、ある記憶が流れていた。
今まで気づいていなかった、厚い厚い岩盤に埋もれていたかのような潮流だ。
私は、突然そこにぶち当たってしまった。まるで厚い岩盤をぶち破って温泉が
噴き出してくるかのように、地下の奥底から、すごい勢いで映像が流れてきた。
それは、5年間つきあいがあった、『どうでもいい子ちゃん』に関する記憶である。
私は、その『どうでもいい子ちゃん』に対して、一度もプレゼントをあげなかったし、
おごりもせず、何ひとつしてあげなかった。ただ寂しくなった時、当日に電話して、
すぐ会うだけで、恋人同士ともいえない、ただの淡泊な関係にすぎなかったのだ。
しかし、それは間違いだったと、潜在意識の記憶の流れがハッキリと示していた。
私は、その『どうでもいい子ちゃん』に癒されまくっていて、まさに愛の塊のような、
素晴らしい女性だったのに、とりたててルックスよくないしとか、素直になれずに、
まったく向きあおうとしなかった。むしろ、そうやって自分を守っていただけだった。
本当は、オープンに、のびのびと、最高の気持ちでつきあうことも出来たのに・・・。
実は、そうしたかったけど、奥底で女性を恐れていて、出来なかっただけだった。
それに気づいた時、雷に打たれたような衝撃を感じ、恐ろしい程の後悔が襲った。
私は、もがき苦しんだ。まるで大勢殺したことを思い出して苦しむ元兵隊のように、
のたうちまわった。取り返しがつかないことに対しての後悔は、もう救いようがない。
その時の苦しみを、どう表現したらいいかわからない。人生で最大の苦しみである。
私は、もがいた。はてしない地獄の感覚で、そこから逃げ出すことはできなかった。
あたかも、映画「時計じかけのオレンジ」に出てきた、虐殺などの残酷な映像を
ずっと流され、見たくないのに、目を閉じれないシーンのように、目はそらせない。
なぜなら、目を閉じても、その記憶や映像が、走馬灯のように凄いスピードで、
ザーッと流されていくのだ。本当に、『どうでもいい子ちゃん』には悪いことした。
彼女には、何もしてあげないどころか、デートの約束も、何度もドタキャンした。
寂しくなって、たまに電話した時、「また来週、遊ぼう」と言いつつ、結局のところ、
会うことはなかった。気づいたら彼女とは、年に1回会うだけになっていたわけで、
これはまさに、私がメールだけしていて振り回されてきた彼女と同じことをしていた。
要するに、私は『どうでもいい子ちゃん』にしたことと、まったく同じことをされていた。
メールだけの彼女と、『どうでもいい子ちゃん』は、完全に、表裏一体だったのだ。
私は、それに気づいた時、腰を抜かすほどの衝撃を受けた。よく言われるように、
自分のしたことは、自分に返ってくるわけで、すべてはつながっていたのである・・。
さらに、『どうでもいい子ちゃん』は、私がメールばかりして振り回されてきた彼女を
好きだったように、私のことを愛していたと気づいた。好きだったからこそ、そんなに
強く主張せず、受け身的に、また再会できる日を楽しみにしてくれていたのである。
私は、ハッキリと、『どうでもいい子ちゃん』は、全然、どうでもいい子ではなかった!
と気づいた。私を救ってくれた、かけがえのない、まさに最高の天使だとわかった。
しかし、気づいた時は、もう遅い。彼女は、もうじき結婚することになっていたのだ。
彼女とは2年半も、会っていなかったし、すぐさま電話すると、対応は冷たかった。
「もうじき結婚する人がいるから、男性と二人きりでは会えない。」とのことである。
違う!そういうのではない!これまでの感謝の気持ちを述べたいだけと言っても、
彼女は、それは出来ないと言う。特に、夜に会うのは、絶対にダメだと言われた。
まさか彼女から、ここまで断られるとは思ってもいなかったので、ひどく動揺したが、
なんとか説得して、彼女が仕事中のランチタイムに、少しだけなら会うこととなった。
★
そうして私は、三年ぶりに遠出をし、鈍行列車で四国へと向かった。
『どうでもいい子ちゃん』改め、『どうでもよくない子ちゃん』と再会し、
彼女のランチタイムという短い時間だけ、食堂で、一緒に過ごした。
私はそこで、彼女の手を握り、ただ涙を流した。何も話せなかった。
久しぶりに再会したというのに、二人は、ほとんど黙っていたのだ。
この生涯、女性の前なんぞで、涙を流したのは二回だけである。
まず一回目が20歳の時、ファーストキスの涙であり、二回目が、
この30歳を目前に控えた、なんとも複雑な感情の涙であった。
しかしながら、彼女は、以前と比べて、冷たい態度だったし、
結局、彼女に、こちらの想いを、伝えることは出来なかった。
実は、学びが終わったら、別れとなる関係というのは多い。
私が、今まで間違っていたと気づいた時点で、終了なのだ。
すぐに別れが訪れ、私は初めて、彼女に食事をおごった。
あっさりとサヨナラした後も、仕事場に戻っていく彼女を見送り、
一度も振り返らない彼女の背中を見ながら、立ちつくしていた。
そして、再び鈍行列車で長時間かけて、自分の部屋に戻った。
三年ぶりの遠出を終えた私の精神には、どこか変化があった。
なんだか、ずっとこもっていた自分の部屋が、辛気臭く思えた。
そろそろ、外へと、社会へと、出ていく時がきたのかもしれない。
スリルに満ちた冒険に向かって、旅立ちの時が迫っていたのだ。
(次回が、最終回!)
posted by fmtbank at 14:43| カテゴリ無し
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