ふたつめの方(批判)は、
人々の目のフィルターにもなるので、
変な人が寄り付いてこない
城壁的な役割をしてくれるんです。
どれだけ私の批判が増えても、
直視できる目を持った人は、
この世にごまんといる。
以前、須佐厳さんも同じ事をおっしゃっていたのを聞いたことがあります。
2chで批判的に書かれていたとしても、それを見て中途半端な人は離れていくし、大切な人は残ってくれると。
あのとき「ふ~ん。」となぜか聞き流した言葉でしたが、はるちゃんの今日のブログを見て思い出しました。
本当にその通りだなって思いました・・・
自分もつい最近職場の子に言ってたんだった。「分かってくれる人が分かってくれればいい。」って。それも同じような意味だったんだって気付きました。
誰にでも好かれたいと思って頑張ってたとき、笑顔を振り撒いてたとき・・・確かに嫌われなかったと思う。人気者にもなれてたと思います。
でもその代わり、上っ面の私しか見ていない、今思えばスカスカな人も同時に集まってきました。
正直、とても人気者になって戸惑ったけど、それでいいんだと思ってました。単純に嬉しかったから。
でも、嬉しい反面疲れてた・・・
好かれるということに疲弊していたのは、私が自分自身に疲れきっていたからですよね。
自分に蓋しまくってたし、感情なんてガン無視だったから疲れるのも当たり前ですよね。無理しっぱなしなんだもん。
そしたら、どんどん自分のフィルターが曇っていって、誰が私のことを本当に好きでいてくれて、誰がそうじゃないのか・・・私には見えなくなっていました。
私は今、ご自愛に夢中です。
人に嫌われたくないからと頑張っていた力を私に注いでいます。
つい最近までは「癒す」ということの方が強かったように思います。
これからが本番なのかもしれないです。人様から嫌われない私でいるよりも、私から嫌われない私であるように・・・
そうすれば私の審美眼も復活するだろうし、審美眼のある人が私の周りにいてくれるようになるんだ・・・
どんなに批判されても、噂を流されても。
そう考えると、本当に批判する人や噂する人はムカつくけど愛すべき存在かもしれない。
お願いもしてないのに、「ハイ、信用出来ないなら帰って~!!ハイ、それでも好きなら傍に行って~!!」って自動振り分けしてくれるんだもん( ´∀`)
昨日、友達からメールがきたからバレーボールを止めたことを伝えたら「(やめるの)はやっ!本当に面白いね!」って返信がありました。
あの、私の恐る恐るの振る舞いを「面白いね」の一言で返される・・・(笑)しかも、事情を説明したら友達は「私だったらブチ切れる」とのこと(ノ´∀`*)
やっぱり私は本質的に穏やかで優しいんだって・・・勝手に思ったりしました・・・なんて~