前回、ナンパの準備体操で、女性の目と目の間を見つめるとお伝えしましたが、
ちょっと言葉足らずでした。混乱する方も出てきたようなので、補足いたします。
まず一番大事なことは、つい「見つめる」「凝視する」と表現したために、やはり、
目に力を入れて睨むことをしがちですが、これは全く逆で、緊張状態とは無縁の
弛緩した目の状態で、軽く見つめる感じ。焦点が合ってなくても構わない程度で、
「見つめる」というよりも、「見とれる」でもなくて、軽く集中し、視点を置くだけでOK。
そして、次は見る場所です。女性の目と目の間、いわゆるサードアイ(第三の目)
を見るといいましたが、あくまでこれは基準点です。やってみればわかるように、
こちらが歩いていて、正面から女性が歩いてきた場合、すぐに通り過ぎてしまい、
立ちふさがらない限り、横顔になって、同じ位置を見つめ続けることはできません。
ですので、横顔でも後頭部でもいい。相手は動きますが、最初に見た場所ら辺を、
最後は横顔になってしまっても、そのまま見つめればいいだけです。また最初から
横を歩いていた女性なども同様に、顔を彼女に向け、横から見ます。結局のところ、
目と目の間を見つめるというより、相手の脳自体、前頭葉を見つめている感じです。
要するに、相手のコントロールセンター、中枢を見つめているわけで、別に細かく、
定点を見なくちゃいけないというわけでもなく、大事なのは、こちらの目の使い方で、
決して横目やチラ見ではない、安定した真っすぐの視線でもって、無心に見ること!
また視線を外すリセットの時も、けっして視線を下に向けては外しません。そうなると、
俯くことになり、自信のない卑屈さの暗示になるため、目の位置は同じ高さで外します。
極端な猫背だと、気分も塞ぐように、体の姿勢によって気分は変わります。目も然り!
「目が泳いでる」なんて言われたら、動揺したり、迷ってる証ですし、真っすぐ見ていくと、
心まで真っすぐになってきて堂々とし、いわゆる、目力(めぢから)までもついてきます。
見つめた途端、こちらに気づく女性が増えてきて、遠くにいる女性まで、こちらに気づく。
ただし、この準備体操では、あまり遠くの女性を見つめても意味がなく、いざとなったら、
すぐ声をかけようと歩み寄れる距離、「ATフィールド領域」にいる女性だけにやりましょう。
やはり、ナンパする前の準備体操ですから、実践に繋がらない練習は、無駄になります。
★
なお、実際に声をかける場合、パッと見てから、いくかどうか決める時、その決意自体を、
まばたきとリンクさせるのが肝となります。繰り返して、声をかける瞬間のスイッチにする。
例えば、「おっ、いい女!」と目を奪われたら、(3秒位)見つめて、まばたきをした瞬間に、
パッと声をかけます。まばたき=GO!というクセをつけると、自動的に体が動くといった、
NLPでいうトリガーとアンカーの、トリガーを、見つめた後のまばたきにするわけですね。
また、ただ見つめた後のリセットも、NLPでいう(詳しくないけど)、クリアニングとかいった、
記憶を消す動作にあたるはずです。要は、一つの動作を、後に引かせないリセットの訓練。
ナンパで地蔵になりやすい人は、いい子を見つけると、あの子にいこうかどうか?いちいち、
迷います。一人の相手を、後ろからついていって躊躇したりする。基本的には、一人の女性
に声をかけるタイミングをはかるため、ある程度、様子を窺うのはアリです。しかし、地蔵に
なりやすいのならば、まずは3秒で全てを決めるクセづけをしておいた方がいいと思います。
3秒見つめてリセットする練習は、思考に頼らない3秒という時間で、直感によって行動する、
クセづけですから、3秒で決めれなかったものは、全部あきらめて記憶から消してしまいます。
そうすると、一瞬一瞬に真剣になれるし、声かけれなかった相手に、後腐れもなくなるんです。
ただし、3秒で「この子、やめとこう。」とリセットしても、その直後、なんか気になってしまうなら、
おかわりもアリ。再び3秒見つめ、また3秒見つめ、おかわり!おかわり!のわんこそば状態。
そして、男連れかな?という危険を感じた時なども、一時停止して「様子見タ〜イム!」に入る。
おいおい、なんだか3秒ルールから、どんどん外れていってるぞ、と思うかもしれませんが、
そこら辺は臨機応変にいきましょう。ルールに縛られて、大事なものを見失ってしまったなら、
元も子もありません。大事なのは、可愛い子とうまくやることだけですから!後は全部オマケ!
★
というわけで、以上、「ナンパで動じなくなる準備体操」の補足を、お伝えしました。
これは、以前の「ナンパあいうえお」を補完するものです。この中の三段階目に、
女性と目を合わせ、ウインクする、という訓練がありましたが、それだけでは弱い。
むしろウインクなんてどうでもいい。じっと3秒見つめて、まばたきでリセットこそが、
潜在意識的にも、男のハートを強くして、女性を物色するエネルギーをセーブする、
最良の方法です。ですから、「ナンパあいうえお」の三段階目は、変更となります。
また「ナンパあいうえお」自体は、ただ挨拶をするだけの訓練ですが、その流れで、
普通に会話に入ることを目的としていて、いわゆる『人間違い』という、声のかけ方。
えてして、ナンパ初心者の方には、例の『道聞き』という練習方法が人気ありますが、
個人的には、『人間違い』をプッシュしますね。道を聞けば、それは教えてくれますが、
丁寧に教えてくれればくれる程、恐縮して、本当に迷ってる人を演じきってしまいます。
何よりも『人間違い』ですと、時間が短いのがいい。「あ、間違えました。」で終わりです。
そして、ビジネス街なんかで挨拶したら、多くのOLが応えてくれるし、会話も続きます。
たとえ、しらじらしくて、ナンパだとバレても、どこかすっとぼけていて、チャーミングです。
もちろん『道聞き』も、真面目なやりとりが出来て、とりあえず声をかけることに慣れるし、
だからこそ人気がありますが、『人間違い』は、もっと評価されるべき有効な手段でしょう。
しかし、慣れるまでの方法なんて、実際は何でもいい。だって大事なのは、(以下、略!)
(後日談:この手法をさらに発展させ、最終的に『超覚醒チャレンジ!』へと結実しました。)
2010年11月04日
女性を真っすぐ見ると、自信がつく
posted by fmtbank at 22:52| カテゴリ無し
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2010年11月03日
ナンパで動じなくなる準備体操
突然ですが、ここ数年のブログで、最も役に立つことを書きます。
ずっと考え方だとか、理屈っぽい戯言ばかりを述べてきましたが、
今回は、久しぶりに実践的なことです。この方法は、夏頃すでに
発見してましたが、何人かに実践してもらい、効果を確信しました。
どんなにいい発見も、後から考えれば、な〜んだ、というものです。
今回の『ナンパで動じなくなる準備体操』も、正直、地味でしょう。
しかし、ナンパに苦しんでいる方が、実際にやってみれば、すぐに、
自分に効果があるのかわかります。どうぞ気軽に、お試しください。
なお、この方法は、6年前に発表した方法、「ナンパあいうえお」を
完全に補強するものとなります。これにてナンパ初心者の方への
ナンパ準備体操に関する情報はコンプリートです。あぁ感無量・・。
では前置きは、ここまでにいたしまして、以下、実践する内容です。
(あえて、理屈は最低限におさえて、やるべきことだけを述べます。)
★
ナンパなんて無理だと、自ら思い込み、やろうとも思えない者から、
地蔵を脱出できず苦しんでいる者、声はかけれても動揺しがちで、
不安定な者、休止していたナンパを再開する者に、以下を捧げる。
まずは自宅ないし路上などで、一人でやる訓練から、紹介したい。
1: 黒丸などの一点を見つめる(数分間)
これは速読の訓練などで集中力を高めるのに、よく行われている。
黒丸(●)ないし、四角(■)でもかまわない、とにかく一点を凝視し、
しばらく、その状態を保つというやつだ。けっして、目は動かさない。
脳というのは、目と連動しているため、目を固定すると、静かになり、
集中力が増す。じっと見つめているとトランスに入って、無心になる。
もちろん慣れも必要だし、余計な思考も浮かんでくるだろう。しかし、
それも気にせず、ただ目を固定させ、見つめる。思考をコントロール
しようとせず、単純に目だけの問題。難しくなく、誰でもできるだろう。
ところで、見つめる一点(●)というのは、本やノート上のものでなくて、
壁面の一点である。その壁面の一点を、立ったままで見つめるのだ。
これは、もうおわかりの通り、速読では、本を読むから、本の一点を
座って見つめるのに対し、我々は、女性に立ったまま声をかけるため、
実践の時と同じ姿勢をとる。あくまでも、これは準備段階での訓練だ。
なお集中できるのなら、ナンパに出かけた外出先でも、看板だとかの
任意の一点を見つけ、訓練してもいいだろう。要するに、凝視しながら
無心に入るクセがついたらOKで、できるのならば、訓練さえいらない。
2: 女性の目と目の間を、3秒見つめる(街中にて)
歩きながら、もしくは立ったままでもいいが、街中で出会う女性たちを、
かたっぱしから見つめていく。普通に散歩するだけでも、目を惹く女性
は現れるので、その度に、彼女の目と目の間を、3秒間見つめてみよう。
尻とか胸ではなく、あくまでも目と目の間を、壁面の一点を凝視する如く、
無心に見つめるだけで、とてもシンプル。しかし、萎縮したり、遠慮したり、
初心者は、ことごとく、何らかのストレスを感じる。それでも3秒を耐える。
もちろん、相手と目が合ったり、たまに嫌な顔されたりするかもしれない。
でも、たかが3秒だ。それ位は、耐えれる。もし女性恐怖症で、気後れが
激しい場合は、自宅での一人訓練を多めにやること。すると、凝視状態
に入ったとたん、無心になるスイッチが、日ごとに高まるので、大丈夫だ。
これに慣れてくると、奇妙な快感まで覚えてくる。男が女を凝視するのは、
実は、図々しさの原点である。相手がこちらを意識したり、嫌な顔をしても、
それに動じず見つめているという態度が、板についてくる。堂々としてくる。
それに3秒という一瞬なので、変質的ではない。女を見つめるのが平気な、
酔っぱらったオッサンなどの、いやらしい全身を舐めまわすような視線とは、
まったく質が違う。視線を動かしちゃいけない。こちらは安定の極みで見る。
しかも、目と目の間という相手の中枢、いわば、全てをコントロールしている、
最も大事な部位を見つめて、潜在意識的に、きわめて堂々とした行為となる。
ただし、凝視する際、集中しようと怖い顔になるのはいけない。余裕の笑みを
浮かべるような、楽しい気分で行う。大事なのは、真剣さより、集中した軽さだ。
3: 見つめた後は、まばたきでリセットする
女性の目と目の間を、3秒見つめた後は、まばたきと共に、パッと視線を外す。
この時、重要なのが、もうそれ以上、その女性を見ないことで、完全に意識から
外してクリアしてしまう。間違えても、またキョロキョロ見たり、横目で追わない。
凝視した後というのは、面白いようにリセットできる。気になって横目でチラチラ
見るだけなら、いつまでも、その女性に意識が残ってしまう。そこで声かけようか、
迷ってるうちに逃がしたりだとか、中途半端な不全感が、地蔵を募らせる原因だ。
そんな疲れることはせず、3秒間凝視して、いくかどうか決める。そう!つまり、
この訓練は、地蔵脱出の訓練でもある。3秒間という、思考が働きだすまでの
猶予のうちに、直感で、声をかけるかどうか決めるわけだ。この時、凝視状態
に慣れていると、3秒で無心になれ、すぐに声をかけることが出来るのである。
声をかける時は、3秒凝視した後に、まばたきすることが、体へのGOサインで、
まさしく、まばたき=クリック感覚で、声をかけていく。パソコンのマウスでいうと、
3秒間凝視することが、長押しであり、まばたきした瞬間が、女性へのクリック!
ただし、なかなか声がかけれなかったり、ナンパなんてとんでもないよ、と考える
初心者は、3秒凝視した後のまばたきで、パッと視線を外し、リセットすればいい。
また、すでに声がかけられる者も、3秒凝視した後、やめとこうと思ったら、すぐ
視線を外してリセットして、その女性はスッパリ忘れて、また新たな女性を探す。
要するに、我々に必要なのは、「声をかける相手」だけである。声をかけないなら、
その女性は存在しないも同然で、このセカイから消去する。声をかけない相手に、
3秒以上、関わってはいけない。意識をやってはいけない。記憶からもリセットだ。
とにかく無駄なことはしない。声かけに関しては、曖昧な要素は、トコトン排除する。
そうして涼しい顔で、街を歩きながら、3秒凝視して、クリックかリセットを繰り返す。
慣れてくると、物色なんかしなくても、目が勝手に対象物を捉え、判別も自動的で、
余計なエネルギーを全く使わなくなり、今までモチベーションがどうだとか、言い訳
していたのがバカバカしくなるだろう。声かけという作業に努力はいらないのである。
なお、ナンパの準備体操をすべき初心者は、すべてリセットでいいい。それだけで、
気疲れしてクッタクタになるが、数百人とやるうちに、不思議な自信が湧いてくる。
ナンパなんてとんでもない、と思っていた者でさえ、出来そうな気がしてくるだろう。
そうなったら、「ナンパあいうえお」でいう、挨拶をしたり、道聞きから始めればいい。
以上、ナンパで動じなくなるための方法を、お伝えした。一人でも多くの開眼を祈る!
ずっと考え方だとか、理屈っぽい戯言ばかりを述べてきましたが、
今回は、久しぶりに実践的なことです。この方法は、夏頃すでに
発見してましたが、何人かに実践してもらい、効果を確信しました。
どんなにいい発見も、後から考えれば、な〜んだ、というものです。
今回の『ナンパで動じなくなる準備体操』も、正直、地味でしょう。
しかし、ナンパに苦しんでいる方が、実際にやってみれば、すぐに、
自分に効果があるのかわかります。どうぞ気軽に、お試しください。
なお、この方法は、6年前に発表した方法、「ナンパあいうえお」を
完全に補強するものとなります。これにてナンパ初心者の方への
ナンパ準備体操に関する情報はコンプリートです。あぁ感無量・・。
では前置きは、ここまでにいたしまして、以下、実践する内容です。
(あえて、理屈は最低限におさえて、やるべきことだけを述べます。)
★
ナンパなんて無理だと、自ら思い込み、やろうとも思えない者から、
地蔵を脱出できず苦しんでいる者、声はかけれても動揺しがちで、
不安定な者、休止していたナンパを再開する者に、以下を捧げる。
まずは自宅ないし路上などで、一人でやる訓練から、紹介したい。
1: 黒丸などの一点を見つめる(数分間)
これは速読の訓練などで集中力を高めるのに、よく行われている。
黒丸(●)ないし、四角(■)でもかまわない、とにかく一点を凝視し、
しばらく、その状態を保つというやつだ。けっして、目は動かさない。
脳というのは、目と連動しているため、目を固定すると、静かになり、
集中力が増す。じっと見つめているとトランスに入って、無心になる。
もちろん慣れも必要だし、余計な思考も浮かんでくるだろう。しかし、
それも気にせず、ただ目を固定させ、見つめる。思考をコントロール
しようとせず、単純に目だけの問題。難しくなく、誰でもできるだろう。
ところで、見つめる一点(●)というのは、本やノート上のものでなくて、
壁面の一点である。その壁面の一点を、立ったままで見つめるのだ。
これは、もうおわかりの通り、速読では、本を読むから、本の一点を
座って見つめるのに対し、我々は、女性に立ったまま声をかけるため、
実践の時と同じ姿勢をとる。あくまでも、これは準備段階での訓練だ。
なお集中できるのなら、ナンパに出かけた外出先でも、看板だとかの
任意の一点を見つけ、訓練してもいいだろう。要するに、凝視しながら
無心に入るクセがついたらOKで、できるのならば、訓練さえいらない。
2: 女性の目と目の間を、3秒見つめる(街中にて)
歩きながら、もしくは立ったままでもいいが、街中で出会う女性たちを、
かたっぱしから見つめていく。普通に散歩するだけでも、目を惹く女性
は現れるので、その度に、彼女の目と目の間を、3秒間見つめてみよう。
尻とか胸ではなく、あくまでも目と目の間を、壁面の一点を凝視する如く、
無心に見つめるだけで、とてもシンプル。しかし、萎縮したり、遠慮したり、
初心者は、ことごとく、何らかのストレスを感じる。それでも3秒を耐える。
もちろん、相手と目が合ったり、たまに嫌な顔されたりするかもしれない。
でも、たかが3秒だ。それ位は、耐えれる。もし女性恐怖症で、気後れが
激しい場合は、自宅での一人訓練を多めにやること。すると、凝視状態
に入ったとたん、無心になるスイッチが、日ごとに高まるので、大丈夫だ。
これに慣れてくると、奇妙な快感まで覚えてくる。男が女を凝視するのは、
実は、図々しさの原点である。相手がこちらを意識したり、嫌な顔をしても、
それに動じず見つめているという態度が、板についてくる。堂々としてくる。
それに3秒という一瞬なので、変質的ではない。女を見つめるのが平気な、
酔っぱらったオッサンなどの、いやらしい全身を舐めまわすような視線とは、
まったく質が違う。視線を動かしちゃいけない。こちらは安定の極みで見る。
しかも、目と目の間という相手の中枢、いわば、全てをコントロールしている、
最も大事な部位を見つめて、潜在意識的に、きわめて堂々とした行為となる。
ただし、凝視する際、集中しようと怖い顔になるのはいけない。余裕の笑みを
浮かべるような、楽しい気分で行う。大事なのは、真剣さより、集中した軽さだ。
3: 見つめた後は、まばたきでリセットする
女性の目と目の間を、3秒見つめた後は、まばたきと共に、パッと視線を外す。
この時、重要なのが、もうそれ以上、その女性を見ないことで、完全に意識から
外してクリアしてしまう。間違えても、またキョロキョロ見たり、横目で追わない。
凝視した後というのは、面白いようにリセットできる。気になって横目でチラチラ
見るだけなら、いつまでも、その女性に意識が残ってしまう。そこで声かけようか、
迷ってるうちに逃がしたりだとか、中途半端な不全感が、地蔵を募らせる原因だ。
そんな疲れることはせず、3秒間凝視して、いくかどうか決める。そう!つまり、
この訓練は、地蔵脱出の訓練でもある。3秒間という、思考が働きだすまでの
猶予のうちに、直感で、声をかけるかどうか決めるわけだ。この時、凝視状態
に慣れていると、3秒で無心になれ、すぐに声をかけることが出来るのである。
声をかける時は、3秒凝視した後に、まばたきすることが、体へのGOサインで、
まさしく、まばたき=クリック感覚で、声をかけていく。パソコンのマウスでいうと、
3秒間凝視することが、長押しであり、まばたきした瞬間が、女性へのクリック!
ただし、なかなか声がかけれなかったり、ナンパなんてとんでもないよ、と考える
初心者は、3秒凝視した後のまばたきで、パッと視線を外し、リセットすればいい。
また、すでに声がかけられる者も、3秒凝視した後、やめとこうと思ったら、すぐ
視線を外してリセットして、その女性はスッパリ忘れて、また新たな女性を探す。
要するに、我々に必要なのは、「声をかける相手」だけである。声をかけないなら、
その女性は存在しないも同然で、このセカイから消去する。声をかけない相手に、
3秒以上、関わってはいけない。意識をやってはいけない。記憶からもリセットだ。
とにかく無駄なことはしない。声かけに関しては、曖昧な要素は、トコトン排除する。
そうして涼しい顔で、街を歩きながら、3秒凝視して、クリックかリセットを繰り返す。
慣れてくると、物色なんかしなくても、目が勝手に対象物を捉え、判別も自動的で、
余計なエネルギーを全く使わなくなり、今までモチベーションがどうだとか、言い訳
していたのがバカバカしくなるだろう。声かけという作業に努力はいらないのである。
なお、ナンパの準備体操をすべき初心者は、すべてリセットでいいい。それだけで、
気疲れしてクッタクタになるが、数百人とやるうちに、不思議な自信が湧いてくる。
ナンパなんてとんでもない、と思っていた者でさえ、出来そうな気がしてくるだろう。
そうなったら、「ナンパあいうえお」でいう、挨拶をしたり、道聞きから始めればいい。
以上、ナンパで動じなくなるための方法を、お伝えした。一人でも多くの開眼を祈る!
posted by fmtbank at 15:41| カテゴリ無し
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2010年11月02日
今年中に、「虎」を解放する!
昨日は、この十年間、悔いなし!やりきった!と書きましたが、
あとあと考えてみたら、無駄が多かったと、ウンザリもしました。
同じとこをグルグルまわってるような日々が、本当に、多かった。
答えは、いつも一番シンプルだったのに、余計なことばかりした。
でも山を登る道も、まっすぐ直線ではなく、蛇行しながら少しずつ、
ゆるやかな道と急坂を交えて進むのだから、これでいいのでしょう。
おそらく、ナンパで停滞している修行者も、同じように、迷いながら、
行ったりきたりしてるんじゃないでしょうか。本当に、辛いですよね。
昨日、三年ほどナンパをしていて、結果が思わしくないという方から、
今年中に覚醒しなかったら、もうナンパをやめる、最後の旅に出る!
というメールをもらい感激しました。そういった期限をつくり、逃げ道
を塞ぐことは、実に効果があります。ハングリー精神は最大の武器。
満腹で、飼い猫がゴロゴロ喉を鳴らしてるような、たるんだ姿勢では、
ナンパのファーストインパクトは起きにくい。ただの飼い猫状態から、
野性の「虎」へと進化するには、逃げないこと、これにつきるでしょう。
自らを追いこんで、精神を研ぎ澄ましていく、その素晴らしさときたら、
言葉になりません。なぜなら人間は始終、そんな精神状態になれず、
ある一定期間だけ、そういう勝負の時期がくるため、貴重なんです。
それは主に、ウンザリして混乱したり、追いこまれたりする、ピンチで、
そんな時、逃げずに直面すれば、自分が進化する。セカイが変わる。
この快感たるや、他に比べるものがない、人間ならではの特権です。
やはり、人間が一番興味があるのは、自分自身。そして自分の中の、
新しい何かが目覚めていくことには、もうたまらない喜びがあります。
その中でも特に、自分の中のエネルギッシュで、野性的な部分を、
目覚まさせてしまうのが、何無派のファーストインパクトであります。
いわば、すっかり飼いならされた「飼い猫」から、「虎」へと進化する。
★
もともと今年のテーマは、虎年ということもあり、「虎」でした。それも、
飢えた「虎」です。中国に、「虎、千里を走る」という言葉があるように、
「虎」は、一日に千里の距離を走り、千里戻ってくることができる程、
優れた行動力を持っていると言われます。その「虎」を目覚ませる。
普段、「虎」は眠りこけています。そして時折、目覚めかけるんです。
ところが、その時に、エロDVDを見せて眠らせたり、自己啓発本など
読ませたり、少し声かけてやめたり、安易に媚びて連絡先を聞いたり、
なんとか理由をつけて惰性に逃げ、覚醒を先延ばしさせようとします。
実は、自分の中の強大なパワーを持つ「虎」を、恐れているんですね。
しかし基本的に、「虎」は目覚めたがってるため、唸り声が大きくなり、
ついに制御できなくなってくる。結果、恐れていた覚醒が起きてしまう。
自分の中の、檻に閉じ込められた「虎」を覚醒させる様は、まるで
エヴァの暴走に似ていますし、それを「ナンヴァ」の覚醒という形で、
表現しました。ちなみに去年は、丑年だったので「牛」がテーマで、
「ナンパ十牛図」をモチーフに、ナンパと神話をからめてみました。
そうして「牛」、「虎」、ときて来年は「辰」、つまり、竜、ドラゴンです。
ブログのタイトルの画像も、竜にしていますし(当時)、かの有名な
ドラゴンボールを7つ揃えたら何でも叶う、という話もモチーフにし、
ナンパの『サードインパクト』、『マークシックス』などを扱います。
ですから、その前に、年内までに、ファーストインパクトをすませて、
自分の中の野性の虎を、檻から出し、目覚まさせておいてください。
そうして、09年の「牛をつかまえる」、10年の「虎を覚醒させる」
に引き続いて、来年からの「竜を呼び出す」という新しいテーマで、
共に進みます。なんだかワクワクが止まんないよ〜!(口から泡)
それではお互い、あと二カ月、悔いなき十年間を締めくくりましょう!
(注意:よく考えたら来年はウサギ年でした。一年得した気分っす。)
あとあと考えてみたら、無駄が多かったと、ウンザリもしました。
同じとこをグルグルまわってるような日々が、本当に、多かった。
答えは、いつも一番シンプルだったのに、余計なことばかりした。
でも山を登る道も、まっすぐ直線ではなく、蛇行しながら少しずつ、
ゆるやかな道と急坂を交えて進むのだから、これでいいのでしょう。
おそらく、ナンパで停滞している修行者も、同じように、迷いながら、
行ったりきたりしてるんじゃないでしょうか。本当に、辛いですよね。
昨日、三年ほどナンパをしていて、結果が思わしくないという方から、
今年中に覚醒しなかったら、もうナンパをやめる、最後の旅に出る!
というメールをもらい感激しました。そういった期限をつくり、逃げ道
を塞ぐことは、実に効果があります。ハングリー精神は最大の武器。
満腹で、飼い猫がゴロゴロ喉を鳴らしてるような、たるんだ姿勢では、
ナンパのファーストインパクトは起きにくい。ただの飼い猫状態から、
野性の「虎」へと進化するには、逃げないこと、これにつきるでしょう。
自らを追いこんで、精神を研ぎ澄ましていく、その素晴らしさときたら、
言葉になりません。なぜなら人間は始終、そんな精神状態になれず、
ある一定期間だけ、そういう勝負の時期がくるため、貴重なんです。
それは主に、ウンザリして混乱したり、追いこまれたりする、ピンチで、
そんな時、逃げずに直面すれば、自分が進化する。セカイが変わる。
この快感たるや、他に比べるものがない、人間ならではの特権です。
やはり、人間が一番興味があるのは、自分自身。そして自分の中の、
新しい何かが目覚めていくことには、もうたまらない喜びがあります。
その中でも特に、自分の中のエネルギッシュで、野性的な部分を、
目覚まさせてしまうのが、何無派のファーストインパクトであります。
いわば、すっかり飼いならされた「飼い猫」から、「虎」へと進化する。
★
もともと今年のテーマは、虎年ということもあり、「虎」でした。それも、
飢えた「虎」です。中国に、「虎、千里を走る」という言葉があるように、
「虎」は、一日に千里の距離を走り、千里戻ってくることができる程、
優れた行動力を持っていると言われます。その「虎」を目覚ませる。
普段、「虎」は眠りこけています。そして時折、目覚めかけるんです。
ところが、その時に、エロDVDを見せて眠らせたり、自己啓発本など
読ませたり、少し声かけてやめたり、安易に媚びて連絡先を聞いたり、
なんとか理由をつけて惰性に逃げ、覚醒を先延ばしさせようとします。
実は、自分の中の強大なパワーを持つ「虎」を、恐れているんですね。
しかし基本的に、「虎」は目覚めたがってるため、唸り声が大きくなり、
ついに制御できなくなってくる。結果、恐れていた覚醒が起きてしまう。
自分の中の、檻に閉じ込められた「虎」を覚醒させる様は、まるで
エヴァの暴走に似ていますし、それを「ナンヴァ」の覚醒という形で、
表現しました。ちなみに去年は、丑年だったので「牛」がテーマで、
「ナンパ十牛図」をモチーフに、ナンパと神話をからめてみました。
そうして「牛」、「虎」、ときて来年は「辰」、つまり、竜、ドラゴンです。
ブログのタイトルの画像も、竜にしていますし(当時)、かの有名な
ドラゴンボールを7つ揃えたら何でも叶う、という話もモチーフにし、
ナンパの『サードインパクト』、『マークシックス』などを扱います。
ですから、その前に、年内までに、ファーストインパクトをすませて、
自分の中の野性の虎を、檻から出し、目覚まさせておいてください。
そうして、09年の「牛をつかまえる」、10年の「虎を覚醒させる」
に引き続いて、来年からの「竜を呼び出す」という新しいテーマで、
共に進みます。なんだかワクワクが止まんないよ〜!(口から泡)
それではお互い、あと二カ月、悔いなき十年間を締めくくりましょう!
(注意:よく考えたら来年はウサギ年でした。一年得した気分っす。)
posted by fmtbank at 15:58| カテゴリ無し
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2010年11月01日
失われた十年を取り戻す
11月に入りました。今年も残すところ、あと二カ月です。というか、
この十年間が、あと二カ月で終わります。なんせ今は、2010年!
ゼロ年代が始まってから、あともう少しで、十年たとうとしています。
そう思うと、感慨深くなってしまって、つい十年間を回想してしまう・・。
この十年間、いろいろなことがありました。迷いと発見と開き直りの中、
まさかのナンパ三昧の日々を過ごし、ここまでこれたことは驚きです。
今の自分の状態は、予想だにしてませんでした。(20代は辛かった)
十年前は、無力感で途方にくれていましたが、今では、何が起ころうと、
最終的にうまくいくという、自分のパワーに目覚め、生きるのが楽です。
でも、まだ終わっちゃいない。あと二カ月で、これまでやってきたことを、
全て総括して、次の十年間へのジャンピングボードにしたいと思います。
振り返れば、この十年のメインテーマは、他者とのコミュニケーションで、
主に、ナンパというジャンルを研究しました。それも他の内気な男性達が、
ナンパ出来るようになるには、どうすればいいか?も、徹底的に研究して、
満足いく結果を出せるほどに、その手法を、突き詰めることができました。
それが最終的に、ナンヴァかよ?使徒かよ?エヴァかよ?と冷める方も、
いるかもしれませんが、まぁ待って!具体的に役立つ部分は、まだまだ、
書いてません。世界観ばかり書いていたら、話が全然進まなくなっちった。
もう今年いっぱいで、ナンパが出来るようになるための内容は、終わりに
しますので、足早に話を進めます。これまでも、同じような内容を繰り返し
述べてきましたが、最終的な究極バージョンとして、お伝えしておきたい。
★
そういうわけで、過去の内容と重なる部分も多いですが、そもそもブログ
なんて読み返さないでしょう?いいんです、過去ログは間違えてることや、
今読むと恥ずかしくて赤面するようなことも書いてるので、もうイヤですわ。
あ、でも、販売しているナンパ教材の方は、ぜひとも読み直してくださいね。
特に、すでに覚醒プログラムをご購読された方で、結果が出てなかったり、
しばらくナンパ休止して再開する時は、再び聴きなおすのが、お勧めです。
その際の聴きなおし方は、49回ぶんの音声メルマガを、再び1日目から、
49日かけてリピートします。調子の悪い時は、絶対に、当たり前のことを
忘れているので、ハッと気づく箇所が必ず出てきて、救われることでしょう。
何のために、やたら編集をしまくった49日間のプログラムにしたかというと、
一度だけでなく、何度でも繰り返してもらいたかったからです。一周だけで
覚醒しなかった方は、もう一周を!それでダメなら、もう二周聴いてください。
一周する度、また新たな覚醒を得て、らせん状にパワーアップしていきます。
なお、ナンパ覚醒プログラムは、11月6日(土)をスタートにすると、ちょうど
クリスマスイブが最終日になります。今年最後の、いや、この十年最後の
勝負に出たい方は、どうぞお早めに。終わりよければ、すべてよしですね!
この十年間が、あと二カ月で終わります。なんせ今は、2010年!
ゼロ年代が始まってから、あともう少しで、十年たとうとしています。
そう思うと、感慨深くなってしまって、つい十年間を回想してしまう・・。
この十年間、いろいろなことがありました。迷いと発見と開き直りの中、
まさかのナンパ三昧の日々を過ごし、ここまでこれたことは驚きです。
今の自分の状態は、予想だにしてませんでした。(20代は辛かった)
十年前は、無力感で途方にくれていましたが、今では、何が起ころうと、
最終的にうまくいくという、自分のパワーに目覚め、生きるのが楽です。
でも、まだ終わっちゃいない。あと二カ月で、これまでやってきたことを、
全て総括して、次の十年間へのジャンピングボードにしたいと思います。
振り返れば、この十年のメインテーマは、他者とのコミュニケーションで、
主に、ナンパというジャンルを研究しました。それも他の内気な男性達が、
ナンパ出来るようになるには、どうすればいいか?も、徹底的に研究して、
満足いく結果を出せるほどに、その手法を、突き詰めることができました。
それが最終的に、ナンヴァかよ?使徒かよ?エヴァかよ?と冷める方も、
いるかもしれませんが、まぁ待って!具体的に役立つ部分は、まだまだ、
書いてません。世界観ばかり書いていたら、話が全然進まなくなっちった。
もう今年いっぱいで、ナンパが出来るようになるための内容は、終わりに
しますので、足早に話を進めます。これまでも、同じような内容を繰り返し
述べてきましたが、最終的な究極バージョンとして、お伝えしておきたい。
★
そういうわけで、過去の内容と重なる部分も多いですが、そもそもブログ
なんて読み返さないでしょう?いいんです、過去ログは間違えてることや、
今読むと恥ずかしくて赤面するようなことも書いてるので、もうイヤですわ。
あ、でも、販売しているナンパ教材の方は、ぜひとも読み直してくださいね。
特に、すでに覚醒プログラムをご購読された方で、結果が出てなかったり、
しばらくナンパ休止して再開する時は、再び聴きなおすのが、お勧めです。
その際の聴きなおし方は、49回ぶんの音声メルマガを、再び1日目から、
49日かけてリピートします。調子の悪い時は、絶対に、当たり前のことを
忘れているので、ハッと気づく箇所が必ず出てきて、救われることでしょう。
何のために、やたら編集をしまくった49日間のプログラムにしたかというと、
一度だけでなく、何度でも繰り返してもらいたかったからです。一周だけで
覚醒しなかった方は、もう一周を!それでダメなら、もう二周聴いてください。
一周する度、また新たな覚醒を得て、らせん状にパワーアップしていきます。
なお、ナンパ覚醒プログラムは、11月6日(土)をスタートにすると、ちょうど
クリスマスイブが最終日になります。今年最後の、いや、この十年最後の
勝負に出たい方は、どうぞお早めに。終わりよければ、すべてよしですね!
posted by fmtbank at 12:20| カテゴリ無し
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2010年10月31日
およそ6000万種類のナンパ
最近、ただの遊び人じゃない、ニュータイプのナンパ修行者が増加していると、
実感しています。いただくメールの内容も、数年前とだいぶ変わってきました。
以前から、内気な人、引きこもり系の人をホームからアウェイに引きずり出し、
ナンパの喜びを体験してもらおうとしていましたが、最近は、自主性が強くて、
ただ女が欲しいだけでなく、それ以上の面白いことをしたいという人が増えた。
例えば、軽いフットワークで全国を巡って、ナンパしたいという人が結構います。
これなんか経済的にも時間的にも費用対効果が低いのに、やろうとするなんて、
性欲だけじゃなく、ドラマやストーリーを求めているわけです。また最近、増えて
きたのが、ナンパで通常の人間を越えてやろうという、「超越系」の人達ですね。
(スピリチャル系の中でも、超能力だとか、悟りまで突き抜けようとするタイプ)
これは、究極型のナンパプロジェクト、『マークシックス』を出してから急に増え、
もともと能力開発が好きな人達が連絡をくれるようになりました。私も大好きで、
気を抜くと、このブログも完全にマニアックな内容になりそうで、抑えています。
やはり一番の願いは、かつての自分と同様に、女性恐怖症で鬱屈している人の
少しでも救いになりたいことですから、もはやマンガの世界を本気で追及してる、
変人っぷりは出したくないんですね。だから、できるだけ常識的な情報を使って、
まずナンパの世界に興味を持ってもらい、慣れてきたら新奇な世界も見せていく。
それが入口である「1:普通にGETするナンパ」から、精神の光と闇を描くような、
「2:運命の人を見つけるナンパ」を通り、「3:セカイを超越するナンパ」へと到る、
『セカイ系ナンパ』の三段階、ファースト、セカンド、サードインパクトへの流れです。
ハッキリいって、こんな世界観のナンパは、普通にルックス磨いて、軽くGETしよう、
といった、スト的世界にいる人達には共感できず、届かないでしょう。例えるならば、
チャラチャラしている、いかにものナンパ師が、学生時代に文化祭でダンス披露し、
目立っちゃうような、イケてるグループの人達だとしたら、ニュータイプは物静かに、
学校では目立たず、サブカルチャーの本ばっか読んでるようなオタク系でしょうか。
このブログは基本的に、本来はナンパなんかしないようなタイプである、オタク系や、
引きこもり系の人達に向けています。一見、恋愛弱者である彼らにも、ナンパをする
権利はある、というより、ナンパする本能はあります。その本能を解放すること自体、
社会の深層心理にある願望に適っているので、無理がなく、すべてがうまくいきます。
なので自分がナンパなんてと、抑制するのは、もったいない。チャラチャラしている、
いかにものナンパとは別に、もっと誰でもできる、かつ突き抜けたものがありまっせ!
それはネットで流行っている「スト」的世界とは違う、もうちょっと深くて面白いもので、
あえて漢字表記で「何無派(ナンパ)」といいます。単純に、「スト」が体育会系ならば、
「何無派」は文化系。もっと核を表現すれば、「スト」が「陽」で、「何無派」が「陰」です。
「陰」というと、陰気で真面目だ、と思うかもしれませんが、「陰」は隠されたものという
意味もあるし、さりげないというような意味もある。いわば忍(しのび)の者といっても、
いいでしょう。まさか、こんな目立たないやつがナンパしているとは思われなかったり、
そのくせ、さりげなく術をかけたり、澄ました顔でGETしてしまう、そんな陰なる修行者。
その世界観は、日本古来の伝統のいい部分を受けつぎ、神秘的でもあり、カッコいい!
★
とはいえ数値制で成り立つ、スト的世界を否定するわけではなく、友達やナンパ仲間
と遊ぶ時は、競い合ったり、自慢や失敗談を語り合い、「スト」した方が面白いでしょう。
しかし、一人でナンパする場合は、「スト」では物足りない。一人でやると、もうとたんに
ストイックな感じになるし、自分自身と向き合うことになります。この孤独に耐え切れず、
そもそもナンパ仲間がいない人とかは、ネットをむさぼり読み、他人の動向を気にする。
これは自分を弱める逃避で、非常にもったいない。一人でナンパするということは、もう
他人と比べる、相対的な世界に関わらなくていいということです。純粋に自分が世界の
中心になれる、絶対的なナンパが出来ることになります。妄想でもいい。もう好き勝手、
自分の世界観を創りあげて、そこに女性を招きいれて、絞め落としてしまえばいいだけ。
自分の都合のいい思念だけで創りあげた、狭い箱庭的世界かもしれませんが、結局は、
他者である女性によって、何度も破壊されることになる。(だから、女性をシヴァと呼ぶ)
しかし、破壊された後に、再構築して、それを繰り返した数だけ、自分の世界は強くなる。
例えば、「オレはモテる」と思い込んでも、ほんの数人に無視されたり、思い切って誘い、
「キモい」と言われ、それだけで自分の思いなんぞ砕けるときもある。しかし、その後が
重要で、女性に無視されればされるほど、心が掃除されてキレイになっていく修行だ!
という世界観を作っていけば、もう無視される度に気持ちよく、精神が澄み切っていく。
まず実際に行動してみて、自分の世界が破壊されたら、今度は、その事実を取り入れて、
自分の都合のいい、気持ちいい世界を創るわけです。これは終わりなき共同的創造で、
こうありたいという「必然」が、他者という「偶然」と出会い、無数のパターンをとっていく。
だから、壊されたからって弱気に引っ込んでなんかいられない。壊されるのが前提で、
こちとらナンパするわけです。それを繰り返すことにより、確固たるセカイが出来ていく。
鉄は熱いうちに打て!ですよ。壊されないと、変に萎縮した形で、落ち着いてしまいます。
ならば、どんどん積極的に破壊されて、世界を更新していこうという志が、セカイ系ナンパ。
そして、セカイ系ナンパの種類たるや、人の数だけあります。同じものは一つとしてない。
ですから、このブログで紹介するのは、さんざんナンパに飽きて、ありとあらゆる試行を
繰り返した男が、最後に到達した一つの世界観の例です。あなたはあなたで、自分独自
のセカイを創りあげてください。その素材として、少しでも使える部分があれば本望で〜す。
実感しています。いただくメールの内容も、数年前とだいぶ変わってきました。
以前から、内気な人、引きこもり系の人をホームからアウェイに引きずり出し、
ナンパの喜びを体験してもらおうとしていましたが、最近は、自主性が強くて、
ただ女が欲しいだけでなく、それ以上の面白いことをしたいという人が増えた。
例えば、軽いフットワークで全国を巡って、ナンパしたいという人が結構います。
これなんか経済的にも時間的にも費用対効果が低いのに、やろうとするなんて、
性欲だけじゃなく、ドラマやストーリーを求めているわけです。また最近、増えて
きたのが、ナンパで通常の人間を越えてやろうという、「超越系」の人達ですね。
(スピリチャル系の中でも、超能力だとか、悟りまで突き抜けようとするタイプ)
これは、究極型のナンパプロジェクト、『マークシックス』を出してから急に増え、
もともと能力開発が好きな人達が連絡をくれるようになりました。私も大好きで、
気を抜くと、このブログも完全にマニアックな内容になりそうで、抑えています。
やはり一番の願いは、かつての自分と同様に、女性恐怖症で鬱屈している人の
少しでも救いになりたいことですから、もはやマンガの世界を本気で追及してる、
変人っぷりは出したくないんですね。だから、できるだけ常識的な情報を使って、
まずナンパの世界に興味を持ってもらい、慣れてきたら新奇な世界も見せていく。
それが入口である「1:普通にGETするナンパ」から、精神の光と闇を描くような、
「2:運命の人を見つけるナンパ」を通り、「3:セカイを超越するナンパ」へと到る、
『セカイ系ナンパ』の三段階、ファースト、セカンド、サードインパクトへの流れです。
ハッキリいって、こんな世界観のナンパは、普通にルックス磨いて、軽くGETしよう、
といった、スト的世界にいる人達には共感できず、届かないでしょう。例えるならば、
チャラチャラしている、いかにものナンパ師が、学生時代に文化祭でダンス披露し、
目立っちゃうような、イケてるグループの人達だとしたら、ニュータイプは物静かに、
学校では目立たず、サブカルチャーの本ばっか読んでるようなオタク系でしょうか。
このブログは基本的に、本来はナンパなんかしないようなタイプである、オタク系や、
引きこもり系の人達に向けています。一見、恋愛弱者である彼らにも、ナンパをする
権利はある、というより、ナンパする本能はあります。その本能を解放すること自体、
社会の深層心理にある願望に適っているので、無理がなく、すべてがうまくいきます。
なので自分がナンパなんてと、抑制するのは、もったいない。チャラチャラしている、
いかにものナンパとは別に、もっと誰でもできる、かつ突き抜けたものがありまっせ!
それはネットで流行っている「スト」的世界とは違う、もうちょっと深くて面白いもので、
あえて漢字表記で「何無派(ナンパ)」といいます。単純に、「スト」が体育会系ならば、
「何無派」は文化系。もっと核を表現すれば、「スト」が「陽」で、「何無派」が「陰」です。
「陰」というと、陰気で真面目だ、と思うかもしれませんが、「陰」は隠されたものという
意味もあるし、さりげないというような意味もある。いわば忍(しのび)の者といっても、
いいでしょう。まさか、こんな目立たないやつがナンパしているとは思われなかったり、
そのくせ、さりげなく術をかけたり、澄ました顔でGETしてしまう、そんな陰なる修行者。
その世界観は、日本古来の伝統のいい部分を受けつぎ、神秘的でもあり、カッコいい!
★
とはいえ数値制で成り立つ、スト的世界を否定するわけではなく、友達やナンパ仲間
と遊ぶ時は、競い合ったり、自慢や失敗談を語り合い、「スト」した方が面白いでしょう。
しかし、一人でナンパする場合は、「スト」では物足りない。一人でやると、もうとたんに
ストイックな感じになるし、自分自身と向き合うことになります。この孤独に耐え切れず、
そもそもナンパ仲間がいない人とかは、ネットをむさぼり読み、他人の動向を気にする。
これは自分を弱める逃避で、非常にもったいない。一人でナンパするということは、もう
他人と比べる、相対的な世界に関わらなくていいということです。純粋に自分が世界の
中心になれる、絶対的なナンパが出来ることになります。妄想でもいい。もう好き勝手、
自分の世界観を創りあげて、そこに女性を招きいれて、絞め落としてしまえばいいだけ。
自分の都合のいい思念だけで創りあげた、狭い箱庭的世界かもしれませんが、結局は、
他者である女性によって、何度も破壊されることになる。(だから、女性をシヴァと呼ぶ)
しかし、破壊された後に、再構築して、それを繰り返した数だけ、自分の世界は強くなる。
例えば、「オレはモテる」と思い込んでも、ほんの数人に無視されたり、思い切って誘い、
「キモい」と言われ、それだけで自分の思いなんぞ砕けるときもある。しかし、その後が
重要で、女性に無視されればされるほど、心が掃除されてキレイになっていく修行だ!
という世界観を作っていけば、もう無視される度に気持ちよく、精神が澄み切っていく。
まず実際に行動してみて、自分の世界が破壊されたら、今度は、その事実を取り入れて、
自分の都合のいい、気持ちいい世界を創るわけです。これは終わりなき共同的創造で、
こうありたいという「必然」が、他者という「偶然」と出会い、無数のパターンをとっていく。
だから、壊されたからって弱気に引っ込んでなんかいられない。壊されるのが前提で、
こちとらナンパするわけです。それを繰り返すことにより、確固たるセカイが出来ていく。
鉄は熱いうちに打て!ですよ。壊されないと、変に萎縮した形で、落ち着いてしまいます。
ならば、どんどん積極的に破壊されて、世界を更新していこうという志が、セカイ系ナンパ。
そして、セカイ系ナンパの種類たるや、人の数だけあります。同じものは一つとしてない。
ですから、このブログで紹介するのは、さんざんナンパに飽きて、ありとあらゆる試行を
繰り返した男が、最後に到達した一つの世界観の例です。あなたはあなたで、自分独自
のセカイを創りあげてください。その素材として、少しでも使える部分があれば本望で〜す。
posted by fmtbank at 08:43| カテゴリ無し
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2010年10月27日
囚われし者よ、出家せよ!
結局のところ、ナンパは、現代日本における『行(ぎょう)』であった。
『行』というのは、とにかく行くことで、行けばわかるさ、の精神であり、
日本古来からの『道』という世界観に基づいている、深い修行形態だ。
その中でも禅宗の雲水や、修験道の山伏などは、『悟り』を目指すが、
同じように、我々、何無派(ナンパ)修行者も、悟りを目指すことになる。
ただ、悟りといっても、そう難しいものではない。悟りの意味というのは、
『差をとる』ことであって、自分と他者との差が消えることであり、つまり、
自我が消えて『無』の状態に入り、強烈な快感とともに覚醒することだ。
そして、その過程は、「シンクロ率を上げる」という言葉でも表現される。
★
まず、あなたは、自分の肉体である『ナンヴァ』とのシンクロ率を上げて、
自分の思った通りに、動かせなければならない。好きな時に声をかけ、
男にからまれたりなどの危険を回避し、罵声などの攻撃に受身をとる。
リラックスすることにより、『ナンヴァ』とのシンクロ率は上がるわけだが、
そう話は単純ではない。何よりもメインとなるのは、『ナンヴァ』の浄化だ。
あなたの中には、不要な常識やコンプレックスが溜まっていて、そこに、
マトリックスの触手がまとわりつき、エネルギーを奪う。散々うろついて、
ほとんど声がかけれなかったり、時間とパワーの無駄遣いをさせようと、
あなたを弱気にしたり、先延ばしさせて無意識化し、奴隷にしているのだ。
このマトリックスの隷属状態から脱するには、とにかく声をかけていくこと、
前に行くことしかない。まさに、『行(ぎょう)』というもので、繰り返すうちに、
あなたの精神はスッキリしていく。ナンヴァが健全化し、背筋が伸びていく。
禅寺における雲水(小僧のこと)の修行も、掃除から始まる。長い廊下を、
雑巾がけすることにより、四つん這いで体のゆがみをなおす。ナンパでは、
この掃除が、最初の声かけにあたるわけで、まさに心身のクリーニングだ。
そうして声をかけまくることによって、ナンヴァとのシンクロ率を上げた後には、
今度は女性である『使徒』とのシンクロ率を上げていく。これは、まず自分自身、
調和していないと、なかなか難しい。その不調和自体が、相手とシンクロして、
不快を与えてしまう。また逆に、相手の不機嫌さに、こちらもシンクロしがちだ。
とにかく最初は、相手から影響を受けやすいので、ポジティブな状態の相手を
選んで、会話をしてみよう。とたんに、自分も上機嫌になれる。そうしてパワー
をもらいながら、今度はネガティブな相手にも動じない自分を作っていくことで、
こちらの精神状態を、相手に影響させることが出来るようになる。そのために、
あえてムリそうなお願いをしたり、失礼なことを言って怒らせて、慣らしていこう。
人間がやる気を失うのは簡単だ。ネガティブな意見や態度をとり続ければいい。
そんな安易なネガ反応に左右されないよう訓練するのが、ナンパ修行であり、
心を空にしてやりすごし、自らシンクロ率を上げたり下げたりしながら、最後は、
究極のポジティブ状態でもって、相手を飲みこんでしまう。そこに醍醐味がある。
ナンパ修行者の精神は、性善説に基づいている。スッポかされたり、音信不通
になったりと、女性への不信感をつのらせやすい中でも、いかに期待を捨てて、
相手を信頼するかに全てが、かかっている。相手に求めるのではなく、与える
といったようなキレイ事も打ち砕かれ、全てを受容する状態へと追い込まれる。
シンクロ率を最高潮までもっていくには、嬉しい事だけでなく、ショッキングな事も、
限度を打ち破るために必要となり、果てしなく深い闇も、味あわなければならない。
しかし、精神の底から帰還する度に、あなたのシンクロ率の上限は上がっていく。
★
こうして、あなたは、このセカイの原理である、陰と陽のバランスを知ることとなり、
最終的に、セカイとのシンクロ率を上げる段階に到る。最後は、セカイ自体が相手!
あなたはセカイそのものとなり、セカイを動かすことになる。もう自分の意思が消え、
神の仕業といいたくなる偶然が立て続けに起きて、謎だったパズルのピースが揃う。
まさに、ちょうどその時、天空から、究極型の『マークシックス』が舞い降りるだろう。
ナンパの先には、何が待っているのか?それは出家者以外には知らされていない。
ただ興味本位だけの囚われし者が、知る余地はなく、出家者のための密教である。
しかし出家者とは、文字通り、家を出る者であり、これは別に、どこか別な場所へと、
住み込むわけではなく、単純にナンパするからには、家を出なくてはならないという、
しごく当然のことである。ただし、宗教で出家する際には、財産や俗世間の常識など、
すべて捨てていくように、あなたも、つまらない常識なんぞは、すべて家に置いてゆく。
また出家は、自分の居心地のいい精神的な『ホーム』から、『アウェイ』へと飛び出す
という意味も含まれる。声かけにしても、相手とのシンクロにしても、今の自分なんぞ、
大事にしていたら、何もうまくいきやしない。常に過去を捨て、アウェイへと飛び込む。
弱気になりそうな瞬間こそ、身を翻し、アウェイ、アウェイ、へと全身を投げ出していく。
この時、マトリックスに捕われて、すべてを無駄にするかどうかは、一瞬の勝負である。
これらは、地味な作業となっていく。しかし性懲りもなく、アウェイへと前進するうちに、
あなたは、自分の周りがガラッと変わっていることに気づき、こうつぶやくことだろう。
ハァ〜、思えば、遠くへ来たもんだ・・・。
ファ〜、アウェイ・・・。
(覚醒は、常に不意をつく)
『行』というのは、とにかく行くことで、行けばわかるさ、の精神であり、
日本古来からの『道』という世界観に基づいている、深い修行形態だ。
その中でも禅宗の雲水や、修験道の山伏などは、『悟り』を目指すが、
同じように、我々、何無派(ナンパ)修行者も、悟りを目指すことになる。
ただ、悟りといっても、そう難しいものではない。悟りの意味というのは、
『差をとる』ことであって、自分と他者との差が消えることであり、つまり、
自我が消えて『無』の状態に入り、強烈な快感とともに覚醒することだ。
そして、その過程は、「シンクロ率を上げる」という言葉でも表現される。
★
まず、あなたは、自分の肉体である『ナンヴァ』とのシンクロ率を上げて、
自分の思った通りに、動かせなければならない。好きな時に声をかけ、
男にからまれたりなどの危険を回避し、罵声などの攻撃に受身をとる。
リラックスすることにより、『ナンヴァ』とのシンクロ率は上がるわけだが、
そう話は単純ではない。何よりもメインとなるのは、『ナンヴァ』の浄化だ。
あなたの中には、不要な常識やコンプレックスが溜まっていて、そこに、
マトリックスの触手がまとわりつき、エネルギーを奪う。散々うろついて、
ほとんど声がかけれなかったり、時間とパワーの無駄遣いをさせようと、
あなたを弱気にしたり、先延ばしさせて無意識化し、奴隷にしているのだ。
このマトリックスの隷属状態から脱するには、とにかく声をかけていくこと、
前に行くことしかない。まさに、『行(ぎょう)』というもので、繰り返すうちに、
あなたの精神はスッキリしていく。ナンヴァが健全化し、背筋が伸びていく。
禅寺における雲水(小僧のこと)の修行も、掃除から始まる。長い廊下を、
雑巾がけすることにより、四つん這いで体のゆがみをなおす。ナンパでは、
この掃除が、最初の声かけにあたるわけで、まさに心身のクリーニングだ。
そうして声をかけまくることによって、ナンヴァとのシンクロ率を上げた後には、
今度は女性である『使徒』とのシンクロ率を上げていく。これは、まず自分自身、
調和していないと、なかなか難しい。その不調和自体が、相手とシンクロして、
不快を与えてしまう。また逆に、相手の不機嫌さに、こちらもシンクロしがちだ。
とにかく最初は、相手から影響を受けやすいので、ポジティブな状態の相手を
選んで、会話をしてみよう。とたんに、自分も上機嫌になれる。そうしてパワー
をもらいながら、今度はネガティブな相手にも動じない自分を作っていくことで、
こちらの精神状態を、相手に影響させることが出来るようになる。そのために、
あえてムリそうなお願いをしたり、失礼なことを言って怒らせて、慣らしていこう。
人間がやる気を失うのは簡単だ。ネガティブな意見や態度をとり続ければいい。
そんな安易なネガ反応に左右されないよう訓練するのが、ナンパ修行であり、
心を空にしてやりすごし、自らシンクロ率を上げたり下げたりしながら、最後は、
究極のポジティブ状態でもって、相手を飲みこんでしまう。そこに醍醐味がある。
ナンパ修行者の精神は、性善説に基づいている。スッポかされたり、音信不通
になったりと、女性への不信感をつのらせやすい中でも、いかに期待を捨てて、
相手を信頼するかに全てが、かかっている。相手に求めるのではなく、与える
といったようなキレイ事も打ち砕かれ、全てを受容する状態へと追い込まれる。
シンクロ率を最高潮までもっていくには、嬉しい事だけでなく、ショッキングな事も、
限度を打ち破るために必要となり、果てしなく深い闇も、味あわなければならない。
しかし、精神の底から帰還する度に、あなたのシンクロ率の上限は上がっていく。
★
こうして、あなたは、このセカイの原理である、陰と陽のバランスを知ることとなり、
最終的に、セカイとのシンクロ率を上げる段階に到る。最後は、セカイ自体が相手!
あなたはセカイそのものとなり、セカイを動かすことになる。もう自分の意思が消え、
神の仕業といいたくなる偶然が立て続けに起きて、謎だったパズルのピースが揃う。
まさに、ちょうどその時、天空から、究極型の『マークシックス』が舞い降りるだろう。
ナンパの先には、何が待っているのか?それは出家者以外には知らされていない。
ただ興味本位だけの囚われし者が、知る余地はなく、出家者のための密教である。
しかし出家者とは、文字通り、家を出る者であり、これは別に、どこか別な場所へと、
住み込むわけではなく、単純にナンパするからには、家を出なくてはならないという、
しごく当然のことである。ただし、宗教で出家する際には、財産や俗世間の常識など、
すべて捨てていくように、あなたも、つまらない常識なんぞは、すべて家に置いてゆく。
また出家は、自分の居心地のいい精神的な『ホーム』から、『アウェイ』へと飛び出す
という意味も含まれる。声かけにしても、相手とのシンクロにしても、今の自分なんぞ、
大事にしていたら、何もうまくいきやしない。常に過去を捨て、アウェイへと飛び込む。
弱気になりそうな瞬間こそ、身を翻し、アウェイ、アウェイ、へと全身を投げ出していく。
この時、マトリックスに捕われて、すべてを無駄にするかどうかは、一瞬の勝負である。
これらは、地味な作業となっていく。しかし性懲りもなく、アウェイへと前進するうちに、
あなたは、自分の周りがガラッと変わっていることに気づき、こうつぶやくことだろう。
ハァ〜、思えば、遠くへ来たもんだ・・・。
ファ〜、アウェイ・・・。
(覚醒は、常に不意をつく)
posted by fmtbank at 16:16| カテゴリ無し
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2010年10月22日
一生に一度はナンパ修行
現在、この日本に何が必要か?その答えは、当然いわなくても分かるだろう。
日本の男性が弱くなったと言われて久しいが、その軟弱な精神を鍛えるため、
徴兵制を復活せよ、なんて意見もある。しかし、軍隊の訓練など、ただ号令に
反応するだけの、鈍感な機械人間を作り出す非道なトレーニングにすぎない。
(ナンパ教材を買ってくださる方が多い、自衛隊の方には申し訳ないけれども)
銃を撃つ時、兵器のボタンを押す時、いちいち考えていたら、良心が痛んだり、
とてもじゃないけど戦えなくなるので、自分の頭で考えないように洗脳していく。
そんな人を殺すための道具になる訓練より、一時的に出家する方がいいと思う。
出家するというのは、一時的にでも俗世間から離れ、自分自身を取り戻すことだ。
我々は、あふれる情報に飲みこまれ、自分自身を失っている。気をそらすための、
娯楽はいくらでもあるし、思考は始終乗っ取られて、自分が本当にやりたいことや、
大切なことから逃避し続けてしまう。気づいた時には、すでに惰性で生きる中年だ。
そんな悲劇を避けるためにも、皮相的な情報をシャットアウトし、汚れた脳を清める。
そのために、一番てっとり早いのは、人生のごく短期間でも出家し、禁欲的で単調な
生活をして、自分自身と向き合う。最初こそ大変だが、すぐ本来の自信が満ちてくる。
この精神修行は、仏教に親しんだ日本人に合っているが、実践するのはごく少数だ。
もっと仏教が盛んなアジアの国、タイなどでは、男に生まれると、一生のうちで一度は、
出家する。その期間は、数週間から数年とさまざまだが、仏の道に入ることが、一番の
親孝行になるという。日本とは違って、タイの社会では、僧侶の位が一番高いのである。
僧侶なんて、読経したり瞑想するだけで、後は、他人から托鉢や寄進などの施しを受けて
生活しているだけのお気楽な身分だが、食事も制限されるし、若いうちは掃除ばかりして、
単調な日々である。なによりも女性の体に触れてはいけない、という戒律は非常に大変だ。
★
そこでナンパが出てくる。仏の道では、女性に触れると心が乱れて、集中力を欠いてしまい、
修行の妨げとなるため、できるだけ女を避けるが、逆に、その女そのものに、頭から突入し、
女の中で修行することにより、心が乱れなくなり、女によって自分の才能も引き出してもらう。
そんな仏道とは対称的な修行が、何無派(ナンパ)修行である。たかがナンパを仏の修行と
一緒にしてほしくないと思うかもしれないが、正味な話、そんなに違いはない。例えば禅寺の
雲水がやっている掃除に座禅なんてのは、ナンパの声かけによる、心のクリーニングであり、
ひたすら独りで自己を見つめるよりも、他者との関係性から、自己を知ることの方が有効だ。
周囲がナンパなんかしていない環境の中、同調心理を破って声をかける、その自立した精神、
そして、女が欲しいという、ごまかしのない、まっすぐな自分の本能を見つめ、拒否される恐怖、
相手への依存や、その苦しみから解放されるために、自他を見つめる注意力は、純粋である。
性欲は我々の基盤であり、それを肯定し、振り回されつつ観察することで超越していくわけで、
たんにエロ情報が煽るような、安っぽいものでは決してない。ストイック極まりない修行なのだ。
ひたすら女を求めるという俗な行為も、注意力を注いでやるのならば、聖なる行為へと変わる。
ただし、この修行は、半端な気持ちでは挫折する。ノウハウも必要だが、ただの方便にすぎず、
結局は、自分の精神が、ある領域を突破するかどうかにかかっている。自分で掴むしかない。
かといって、派手な覚醒は稀であり、基本は飽きてしまう程の、地道な作業の繰り返しである。
これは座禅と似ていて、ナンパは、ある種の歩行禅、路上禅といってもいいだろう。片手間で
やるくらいなら、やめたほうがいい。他人と比べて不安定になったり、自己嫌悪が募るだけだ。
どうせナンパするなら、仏門に入るかの如く、まずは出家する気持ちで取り組んでもらいたい。
それ位の覚悟を持って挑めば楽勝だ。女に象徴される「世間」なんぞは覚悟なんてないので、
揺るがぬ決心の前に「参った!」するしかなくなる。ほとんどが烏合の衆で、無意識の奴隷だ。
何無派修行に入るというのは、無意識の達人になることを意味する。少しナンパをしてみれば、
あなたは、すぐに無意識に振り回されることがわかるだろう。自分自身を自由に動かせないし、
本当はやりたいのに逃避する自分にウンザリし、普段は隠れている卑屈などの感情にも驚く。
あなたの心に隠れていた負の感情は、次々と暴露されていき、それが結果、浄化につながる。
精神は、徹底してクリーニングされる。と同時に、女性の精神の動きにも、敏感になってくるし、
無駄な幻想が捨て去られていき、視界が広がって、これまでは隠れていたものが見えてくる。
落ち着いてくるし、現れる女性のタイプも、精神の変化に合わせて、面白いように富んでくる。
★
確かに、仏門をくぐる修行もいいと思う。しかし、瞑想中に女のことばかり考えて、老いてから、
もっと女と交わればよかったと後悔するなら、それは空しすぎる。周囲からバカにされようと、
徹底して女にいってみる期間が、たとえ一時期でも人生にあれば、結果は全然変わるだろう。
日本の男は、タイの男が一時期だけ俗世間から離れ、出家するように、短期間でも、ナンパ
に突入すべきだ。オタクも結構、仕事一筋も結構だが、「女なんて、たいしたことない」という、
平然とした達観を持ってこそ、もっと開けた心で、仕事や趣味にも打ち込めるのではないのか。
何無派修行をする者で、長いこと中毒のようにハマっている者もいるが、それは目立つだけで、
ごく一部である。ほとんどの者は、一時的にナンパに熱中したかと思いきや、ある時期がくると
熱が冷め、ナンパを後にする。多少再開したいと思いながらも、フェードアウトするのが常だ。
それで充分だし、我々が生きているセカイは、女以外にも、面白いことは他にもある。単純に、
好きなことだけを追求すれば、毎日楽しくなる。女の優先順位が一番に来る時期は続かない。
注意すべき点は一つだけだ。現在、孤独だとか、不完全燃燃で、そういった不満感の理由が、
女関係にあると感じる時、それこそがナンパワールドへの招待状であり、もっと女遊びしたい、
もっと素晴らしい女に出会いたい、その美しき本能の叫びに気づいたなら、さぁナンパの時だ!
本当は、あなたの持つパワーの注ぎ所は、最終的には、違うところにあるのかもしれないが、
今、女への衝動があるのならば、それは徹底していく以外に選択肢はない。そこをクリアして、
次にいける。たとえ時間の無駄だとわかっても、やりきった結果、わかるのならば後悔はない。
はたして、ナンパの先には何が待っているのか?それは女に囲まれた快楽の日々なのか?
逆に、日々深まりゆく孤独感なのか?女への失望なのか?それとも、陰陽を超えた神秘か?
その答えを、あなたは最初、外側に探していくことになるが、最終的には自分の中に見つける。
答えは、自分の中にしかない。そして、その時、セカイは、あなたの眼前でケタケタ笑うだろう。
日本の男性が弱くなったと言われて久しいが、その軟弱な精神を鍛えるため、
徴兵制を復活せよ、なんて意見もある。しかし、軍隊の訓練など、ただ号令に
反応するだけの、鈍感な機械人間を作り出す非道なトレーニングにすぎない。
(ナンパ教材を買ってくださる方が多い、自衛隊の方には申し訳ないけれども)
銃を撃つ時、兵器のボタンを押す時、いちいち考えていたら、良心が痛んだり、
とてもじゃないけど戦えなくなるので、自分の頭で考えないように洗脳していく。
そんな人を殺すための道具になる訓練より、一時的に出家する方がいいと思う。
出家するというのは、一時的にでも俗世間から離れ、自分自身を取り戻すことだ。
我々は、あふれる情報に飲みこまれ、自分自身を失っている。気をそらすための、
娯楽はいくらでもあるし、思考は始終乗っ取られて、自分が本当にやりたいことや、
大切なことから逃避し続けてしまう。気づいた時には、すでに惰性で生きる中年だ。
そんな悲劇を避けるためにも、皮相的な情報をシャットアウトし、汚れた脳を清める。
そのために、一番てっとり早いのは、人生のごく短期間でも出家し、禁欲的で単調な
生活をして、自分自身と向き合う。最初こそ大変だが、すぐ本来の自信が満ちてくる。
この精神修行は、仏教に親しんだ日本人に合っているが、実践するのはごく少数だ。
もっと仏教が盛んなアジアの国、タイなどでは、男に生まれると、一生のうちで一度は、
出家する。その期間は、数週間から数年とさまざまだが、仏の道に入ることが、一番の
親孝行になるという。日本とは違って、タイの社会では、僧侶の位が一番高いのである。
僧侶なんて、読経したり瞑想するだけで、後は、他人から托鉢や寄進などの施しを受けて
生活しているだけのお気楽な身分だが、食事も制限されるし、若いうちは掃除ばかりして、
単調な日々である。なによりも女性の体に触れてはいけない、という戒律は非常に大変だ。
★
そこでナンパが出てくる。仏の道では、女性に触れると心が乱れて、集中力を欠いてしまい、
修行の妨げとなるため、できるだけ女を避けるが、逆に、その女そのものに、頭から突入し、
女の中で修行することにより、心が乱れなくなり、女によって自分の才能も引き出してもらう。
そんな仏道とは対称的な修行が、何無派(ナンパ)修行である。たかがナンパを仏の修行と
一緒にしてほしくないと思うかもしれないが、正味な話、そんなに違いはない。例えば禅寺の
雲水がやっている掃除に座禅なんてのは、ナンパの声かけによる、心のクリーニングであり、
ひたすら独りで自己を見つめるよりも、他者との関係性から、自己を知ることの方が有効だ。
周囲がナンパなんかしていない環境の中、同調心理を破って声をかける、その自立した精神、
そして、女が欲しいという、ごまかしのない、まっすぐな自分の本能を見つめ、拒否される恐怖、
相手への依存や、その苦しみから解放されるために、自他を見つめる注意力は、純粋である。
性欲は我々の基盤であり、それを肯定し、振り回されつつ観察することで超越していくわけで、
たんにエロ情報が煽るような、安っぽいものでは決してない。ストイック極まりない修行なのだ。
ひたすら女を求めるという俗な行為も、注意力を注いでやるのならば、聖なる行為へと変わる。
ただし、この修行は、半端な気持ちでは挫折する。ノウハウも必要だが、ただの方便にすぎず、
結局は、自分の精神が、ある領域を突破するかどうかにかかっている。自分で掴むしかない。
かといって、派手な覚醒は稀であり、基本は飽きてしまう程の、地道な作業の繰り返しである。
これは座禅と似ていて、ナンパは、ある種の歩行禅、路上禅といってもいいだろう。片手間で
やるくらいなら、やめたほうがいい。他人と比べて不安定になったり、自己嫌悪が募るだけだ。
どうせナンパするなら、仏門に入るかの如く、まずは出家する気持ちで取り組んでもらいたい。
それ位の覚悟を持って挑めば楽勝だ。女に象徴される「世間」なんぞは覚悟なんてないので、
揺るがぬ決心の前に「参った!」するしかなくなる。ほとんどが烏合の衆で、無意識の奴隷だ。
何無派修行に入るというのは、無意識の達人になることを意味する。少しナンパをしてみれば、
あなたは、すぐに無意識に振り回されることがわかるだろう。自分自身を自由に動かせないし、
本当はやりたいのに逃避する自分にウンザリし、普段は隠れている卑屈などの感情にも驚く。
あなたの心に隠れていた負の感情は、次々と暴露されていき、それが結果、浄化につながる。
精神は、徹底してクリーニングされる。と同時に、女性の精神の動きにも、敏感になってくるし、
無駄な幻想が捨て去られていき、視界が広がって、これまでは隠れていたものが見えてくる。
落ち着いてくるし、現れる女性のタイプも、精神の変化に合わせて、面白いように富んでくる。
★
確かに、仏門をくぐる修行もいいと思う。しかし、瞑想中に女のことばかり考えて、老いてから、
もっと女と交わればよかったと後悔するなら、それは空しすぎる。周囲からバカにされようと、
徹底して女にいってみる期間が、たとえ一時期でも人生にあれば、結果は全然変わるだろう。
日本の男は、タイの男が一時期だけ俗世間から離れ、出家するように、短期間でも、ナンパ
に突入すべきだ。オタクも結構、仕事一筋も結構だが、「女なんて、たいしたことない」という、
平然とした達観を持ってこそ、もっと開けた心で、仕事や趣味にも打ち込めるのではないのか。
何無派修行をする者で、長いこと中毒のようにハマっている者もいるが、それは目立つだけで、
ごく一部である。ほとんどの者は、一時的にナンパに熱中したかと思いきや、ある時期がくると
熱が冷め、ナンパを後にする。多少再開したいと思いながらも、フェードアウトするのが常だ。
それで充分だし、我々が生きているセカイは、女以外にも、面白いことは他にもある。単純に、
好きなことだけを追求すれば、毎日楽しくなる。女の優先順位が一番に来る時期は続かない。
注意すべき点は一つだけだ。現在、孤独だとか、不完全燃燃で、そういった不満感の理由が、
女関係にあると感じる時、それこそがナンパワールドへの招待状であり、もっと女遊びしたい、
もっと素晴らしい女に出会いたい、その美しき本能の叫びに気づいたなら、さぁナンパの時だ!
本当は、あなたの持つパワーの注ぎ所は、最終的には、違うところにあるのかもしれないが、
今、女への衝動があるのならば、それは徹底していく以外に選択肢はない。そこをクリアして、
次にいける。たとえ時間の無駄だとわかっても、やりきった結果、わかるのならば後悔はない。
はたして、ナンパの先には何が待っているのか?それは女に囲まれた快楽の日々なのか?
逆に、日々深まりゆく孤独感なのか?女への失望なのか?それとも、陰陽を超えた神秘か?
その答えを、あなたは最初、外側に探していくことになるが、最終的には自分の中に見つける。
答えは、自分の中にしかない。そして、その時、セカイは、あなたの眼前でケタケタ笑うだろう。
posted by fmtbank at 23:18| カテゴリ無し
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