ナンパを続けるには?地蔵にならないで、声をかけていくには、どうすればいいのだろうか?
それを、ずっと何年間も追い求めているうちに、結論としては、こりゃ宗教だなと思いました。
よく宗教勧誘の人達が、「手相の勉強」だとかの名目で声をかけているのを見て、よくやるよ、
あんなに地味で一見どうしようもない人が、平気でバンバン声かけて、悪びれずに、凄いな!
と感心したものです。一方で、地蔵になっているお洒落なナンパ師を見て、納得もいきました。
もう信念が全然違う。人は信じてるもの一つで、まったく行動が変わります。そこでナンパも、
ナンパ宗教だったら、何も考えずに、皆、声かけれるんじゃないか?と思い立ったわけです。
おそらく、これを読んでる人の中には、洗脳してくれてもいいから、ナンパが平気になりたい。
そう思った事がある人もいるでしょう。と同時に「宗教」という言葉を聞いただけで、もうダメで、
アレルギーを起こす人もいます。宗教はダサい。騙されて、同じ考えで凝り固まってキモい。
私も実は、宗教に対して反発を持っていて、以前は、わざと宗教勧誘に引っ掛かって話して、
論破しようとしたり、つまんない事をしてたものです。しかし、彼らの迷いのない「信仰心」は、
参考になりました。教えなんてどうでもよく、信じる力、「信仰」というものは非常に使えます。
そこで、なんとか、この「信仰」を取り入れて、ナンパに再び、生命を吹き込もうと試みました。
そして最終的に、声をかける事は、「参拝」する事であり、女性陣を「女神」として見たのです。
すると、ナンパがアホみたいに楽になり、大きな大きな、満足感が得られるようになりました。
★
ハッキリいって、間違いなく、ナンパに対するマインドを変えるために、宗教は最も使えます。
宗教なんていっても、一人の強大な神がいて、人間に裁きを与えるという「一神教」ではなく、
昔から日本は、自然そのものを神として崇めたて、祈り、感謝してきた「自然信仰」の国です。
大木とか岩に、しめ縄が巻かれていたりしますが、日本は、自然の数だけ神様がいるという、
多種多様な神を認める風土です。自然が豊かで四季もあり、その感受性は素晴らしく、他の、
砂漠の民であるイスラム教や、キリスト教が生まれた地のように厳しい土地ではありません。
だからこそ、大らかで、厳しい戒律なんかない、自然を敬う精神性が発達しており、あなたも、
海を見たり、日の出を見たり、山の絶景などを見て、感動したことあるでしょう。結局、その時、
感動した心が大切で、何かお教えがどうだとか、死んだ後の世界だとか、どうでもいいんです。
それと同様に、ナンパでも、女を見て感動する、つまり心動かされる、ムラムラしたり、何かを
感じること自体が、素晴らしい体験で、自然に対し感動するのと、なんら変わりはありません。
だって、女自体が出産という、新たな生命を生み出す、自然そのもので、まさに様々な生物
を生み出す大地と変わりなく、だからこそ、生命の源である「地球(ちきゅう)」と、女の抱える
「子宮(しきゅう)」とは、同じような音の言葉となったし、自然信仰の中で、女は尊ばれました。
たいがい自然信仰の国は、昔から、女を上にした国家が形成されてきており、日本も元々は、
女上位の風土です。それが武力の時代や、頭で作りだした概念が暴走してから、男の国に
なり果てて、それが行き詰り、ようやく今また、女の時代に戻りつつあります。女の方が強い。
だからこそ、時代の流れに逆らわず、そして実際は、女の方が強いという生物学的事実にも
逆らわず、我々は、単純に、女を崇めたてまつればいい。勝とうとする必要などない。全て、
まいった!しちゃえばいい。どんなに勝とうとしても負けるんだから、最初から降参してしまう。
よく女は甘やかすと、すぐつけ上がる、だとか、男と女のバトルだとか、女を攻略だとか、もう、
そんなのどうでもいいじゃない。表面上ではネガしたりしても、精神的には最初から降参して、
相手に任せて、委ねてしまえば、ストレスは果てしなく少なくなります。特に、ナンパではそう!
いろいろ頭で考えても、ことごとく打ち砕かれます。あんなに盛り上がったのに、再会できずに、
ドタキャンされたり、じらされた挙句、何も出来なかったり、逆に突き放したら、好かれたりする。
だからといって、じゃあ突き放せばいいんだなと、違う相手にやったら、大失敗したりもします。
相手は自然なんだから、策を練っても、その通りにはいきません。頭や過去のデータで予想
しても、天気予報でさえ外しまくってるんですから、変わりやすい山の天気とまで言われてる
女の気持ちなど、わかりっこないですし、ただ、その変化に無心で対応するしかないでしょう。
そうして、女性を自然の一部として見れば、完全に信仰の対象になります。特に、知り合って、
間もない時は、こちらも相手を美化しやすく、まさに女神様扱いし、神秘化すればいいだけで、
すると相手は、あなたの目に映る自分の姿を見て、その反応が嬉しくてしょうがなくなります。
★
ナンパを楽しくする究極のコツは、女性を美化することです。ナンパを続けてると、だんだん、
女性に対する幻想が壊れて、どうでもいい存在になってしまいがちなんですが、そうなると、
ナンパを続ける意味がなくなります。そこで再び、今度は自分から、逆に、美化していきます。
結局、快感は脳が感じるわけですから、自ら、女性を美化どころか、神化して、感動を深める。
よくイイ女に対して、特別と思った時点で口説けない、失敗すると言われてますが、だったら、
すぐ平常心になれるかといったら、そうやすやすと出来ません。そこで逆の発想です。別に、
イイ女でもない、普通の女も特別に思い、女全体を神化して、すべてを特別視するわけです。
そうなると、それぞれに声をかけていく、ただの行為が立派な儀式となり、「参拝」となります。
ただし「参拝」といっても、年に一度、初詣に行くようなノンキなものではありません。初詣は、
みーんな行きますが、ナンパは皆がやるかといったらそうでもなく、選ばれし男、いうならば、
使徒からお呼びがきた者だけがやります。ナンパに興味を持った時点で、お呼びがきてます。
実際にナンパに興味をもち、自分でもやってみよう等と、思うこと自体が、男でも少数派でして、
すでに大自然からのお呼ばれ、使徒からの「CALLING(コーリング)」が、かかっているのです。
そんな選抜されたあなたは、一人の何無派修行者として出家し、街へと「参拝」に出かけます。
この「参拝」は、初詣のようにノンキなものではなく、宗教家たちが行う、決死の行(ぎょう)で、
命を落とすかもしれない危険に満ちています。例えば、比叡山で行われる、最も大変な行の、
千日回峰行に近いとまでいえるでしょう。これは深夜に、真っ暗な山中を駆け巡る決死の行!
一歩、足を踏み外したら死ぬかもしれない険しい道を、凄まじいスピードで走っていく。たとえ、
体がボロボロになっても、前進し続けます。何があろうと、行って、行って、行きまくるのです。
なお行者は、ただ山中を走るのではなく、所々にある祠(ほこら)、といっても、それはただの
岩だったり、木だったり、とってつけた簡易な建造物だったりするのですが、それらの祠にて、
いちいち立ち止まり、経文を唱え、礼拝していきます。つまり、「参拝」自体が目的なんです。
行者が山中を駆け巡り、約300カ所の祠を参拝してまわるため、「回峰行」と呼ばれており、
これは何無派師が街中を駆け巡り、約300人に声をかけて「参拝」していくのと同じですね。
まぁ人数はどうでもいいんですが、とにかく参拝する相手が祠から、生きた女性に変わって、
駆け巡る場所が、山中から街中に変わっただけで、やっている事は行者とまったく同じです。
だから、選ばれし者としての誇りを持ってほしい。あなたは神々しいまでの、気高き修行者!
★
日本は、国土の7割が山となる山岳国家で、昔から大自然の豊かな山々を信仰していて、
「霊峰」などと呼んできています。富士山が有名ですが、実は、他にも、いろいろあります。
関西の吉野山から熊野や、出羽三山など、行者達は山に籠り、激しい修行をしてきました。
山という大自然のパワーに満ちた場に自分を置き、無心に修行することで超越した霊力を、
得ようとしたわけです。これが修験道(しゅげんどう)といって、山岳信仰の宗教であります。
古くからある民間信仰なので、神道や仏教の中にも取り入れられていますが、基本的には、
神社や寺などの整備された場よりも、活き活きとした大自然の真っただ中にこそ、神は宿り、
山の中で修行をしますから、これらの行者を、ホラ貝で有名な「山伏(やまぶし)」と呼びます。
一方、山で修行する「山伏(やまぶし)」に対し、街で修行する行者を、「何無派師(なんぱし)」
と呼び、彼らは、女性こそが大自然であり、その女性達の中に神を見て、参拝していくのです。
やはり精神修行は、自然に囲まれた所が適しています。街を見るにつけ、とってつけたような
緑がちょこっと植えられているだけで、自然なんか全然見当たらず、コンクリートジャングルに
一見思えますが、とんでもない!よく見ると、女性という大自然そのものの存在が大勢います。
何無派師は、その中に飛び込んで修行していく。普通の男は、その女性の流れに飛び込もう
なんて、考えた事もない人がほとんどです。自然の力を恐れ、我を失うことを極端に怖がって、
見て見ぬフリをしています。しかし、あなたは堂々と参拝していく修行者であり、選ばれし者!
ところが残念ながら、女性は、本質的には大自然なんですが、すでにマトリックスにやられ、
不自然な状態になっています。その証拠に、あなたが声をかけても、不自然な対応をします。
本来、太陽のような存在である女神も、人の目を気にしたり、日々のストレスで萎縮していて、
元気がありません。自らの天真爛漫さを抑圧して、こちらを無視したり、意地悪を言うのです。
また相手は脅えるかもしれません。その場合は、大自然の中で出くわした小動物に対して、
少しずつ警戒を解いて近づいていくように、距離を縮めていきます。しかし多くは仮面を被り、
表面的な会話ですませようとしたり、こちらと交流しないようにしたり、不自然に振舞います。
そこで行者は、コトヴァという経文を使い、相手を思考センターから感情センターへと落として、
最後は本能センターへと導きます。すっかり「街」という魔の地で、鎖に繋がれてしまっていた
女神を解放するわけです。これは人工的な汚染された状態を、自然に戻すエコな活動です。
本来は、優しくて共感能力が高く、柔らかく対応する素直な存在のはずの女性が、ことごとく、
どうでもいい事を気にしたり、生活に疲れ果てていたり、愛される事を拒否して、不自然となり、
マトリックスに汚染されています。それを救い、解放していくのが、何無派師の「解放行」です。
もちろん、そのためには、まず自分が解放されなくてはいけません。そして、それも問題なく、
覚醒が始まります。あなたを解放するために「使徒」が送られてくるのです。街中にいる女性、
全員がマトリックスに汚染され、弱まっているわけではなく、やはり女性は、男よりも解放的で、
特に修行の初期は、その自然のパワーに翻弄されます。そうして破壊されつつ、覚醒していく。
つまり、互いに影響を与えあいながら、男と女は解放されて、より自然に戻っていくわけです。
★
この精神的なエコロジー運動こそが、今最も急務であり、何無派師不足に悩む女性を救う、
最大の手だてとなります。あなたは、どれだけ女が余っていて、とことん愛されたい、そして、
愛したいという、無意識的な叫びを女性陣が発しているか、次第に、気づいていく事でしょう。
あくまでも、それは無意識レベルから発せられています。表面上は、つまんない拒否だとか、
強気のフリをしますが、それらは全部恐れです。素直になると、どれだけ楽になるかを見せて、
あなたが身をもって、コトヴァでもって、自分の存在で教えて、一気に解放してあげてください。
ただし、全員は無理です。我々、男に出来ることは、とりあえず女を見かけたら行くことだけで、
「参拝」というのは、相手の中に女神を見つつ、合掌するだけのものです。相手が無視したり、
どんなヒドイ事を言おうが、本質的には、中身は素直で美しい存在、そこに対して礼讃します。
そして時には、奥にまで入れてもらえる。神社でも、奥の内裏まで入れる者は少数だけです。
相手に認められた時、つまり思考センターを解除できた時には、あなたは招き入れられます。
その時は、「ありがたき幸せ」と承って、中へと参ればいいのです。でも基本は期待しません。
ただただ、行くだけ。行って、行って、行きまくるだけ。理屈も何もいらない。それが行者です。
恥ずかしさや遠慮も不要。なぜなら陰と陽の統合こそが、人類の発展を作り出してきた源で、
そこに突き進む事こそが、大いなる自然賛歌であり、エコロジー運動の要となるのですから。
だからこそ、何無派師の素晴らしさを、自然信仰の穢れなき純粋さを、心の底から讃えたい。
そなたよ!全てを捧げる者には、誰も勝てない。全てが味方となる「参拝」にこそ身を投じよ!
2011年12月23日
ナンパの究極形はこれだ!(参拝による解放行)
posted by fmtbank at 16:58| カテゴリ無し
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2011年12月22日
ナンパがあまりに美しくなる至高の視点
初対面の女性に声をかける、ナンパって何なんだろうか?その答えは簡単だった。
世間ではナンパは軽薄と思われ、迷惑行為や犯罪スレスレの行為とまで思われる
こともある。正直、イメージは悪い。試しに周囲の人に、ナンパしてると言ってみよう。
おそらく、良識派と呼ばれる人に限って、こんな言葉が返ってくる。
いい歳して、女のケツを追いかけて、何してんの?まだそんな事してんのかよ?
え?ナンパが趣味?カッコ悪い、恥ずかしい、他にやることないんだね、ETC・・・。
じゃあ、どこで出会うんだよ?と聞くと、合コンだとか、お見合いパーティーだとか、
人の紹介だとか、習い事だとか言ってくるかもしれない。要するに、人のつながりや、
すでに出来上がってるシステムの中に入って、異性と仲良くなれよ、とのことである。
また女遊びしまくっている人からは、ナンパなんて効率悪いよ、やるだけなら風俗、
水商売だと勧められ、メール必勝法とともに、出会い系も勧められるかもしれない。
いずれにせよ、誰かが作ったシステムに、お金を投じて、参加する事を勧められる。
そんな中で、我が身一つで路上に出て、声をかけていくナンパ師は、システムからは
自由だが、それと同時に、苦しむ自由、逃げる自由も、たっぷり与えられているのだ。
実際にやってみると、思ったよりも大変だと思い知らされる。何よりも最大の障害は、
どういうわけだか、続けることが出来ない、という現実。死ぬほど辛いわけでもない。
中には、激しい自己嫌悪にからめとられ、死ぬほど辛くなる人もいるだろうが、大抵、
少しは結果が出たりして良さもわかるが、急に面倒になったり、パッとしないままに、
いくつか連絡先を手にしたまま、ふたたび地蔵に舞い戻ったり、足が遠のいてしまう。
やはり時間の無駄というか、そこまでしてナンパをする必要性を感じなくなるのだろう。
ナンパをする正当性というものが、世間でも確立されていないし、個人的にも弱いのだ。
数年前から「婚活」という言葉が生まれ、男も「婚活」を看板にナンパ出来るようになり、
「嫁さん探しだよ。」「頑張れ!」などと、少しは正当化できるようになった。しかしながら、
「婚活」だけでは弱い。「婚活」だけだと、お行儀がよすぎて、パワーの解放と繋がらない。
なぜなら結婚自体も、ただのシステムにすぎない。人間が思考で作った、絵空事である。
それよりも、もっとリアルな事がある。それが、女は妊娠し、出産する生き物という事実!
新しい生命は、我々、男からではなく、女から生まれてくる。それを忘れてはいけない。
★
何無派道場では、以前はよく、『生まれる』という映画(ドラマではなく、ドキュメントの方)と、
『玄牝』という映画を、修行者に見せていた。これは男目線で作った出産モノと、女目線で
撮った出産ドキュメンタリーだった。今は上映が終わったので、DVDになったら見てほしい。
男というのは、「出産」に関する映像や本など、見たくない人が多い。なぜか怖いというか、
気持ち悪いというか、そんなの見たら、EDになるかもしれないと、思っている人までいる。
しかし、出産という、絶大なる真理から目をそらして、曖昧にしている者は、あまりに弱く、
根源的な力を持つことはないだろう。そもそもの始まりからして、我々は女から生まれた。
今、あなたの周囲にいる人達全員が、女から出現してきたのだ。これは驚くべきことである。
男なんて、ちょっとつついた程度でしかない。人工授精さえある今、結局、生命の源は女で、
その女によって、人類はこれまで生命を繋いできたと、ハッキリわかる。上記の映画二つは、
その出産を正面から取り上げたドキュメントで、観た時には、女の強さに、圧倒されるだろう。
特に、女が撮った「玄牝」は、今でも自然分娩を推奨している医院のドキュメントで、そこは、
妊婦さんにガンガンに運動させる。毎日何時間も歩かせるし、オノで、まき割りまでさせて、
体力作りをする。腹の大きな妊婦が、まき割りする姿の美しさはハンパなく、激しく感動する。
DVDになるのは当分先なので、とりあえずは、以下の映画の予告編で、そのさわりだけでも、
ご覧いただこう。自然分娩を決意した妊婦達の修行の場として、古びた日本家屋が出てくる。
それは、あたかも、ナンパを極めようと決意した男達が修行している、何無派道場に似ていた。
ところで、なぜ急に「出産」なんて事を持ち出したかというと、理性が作りだした人工的な物を
とりあえず排除して、原点を見つめてほしかったからである。社会的にナンパがしづらいとか、
「婚活」がどうだとか考える前に、まずは生物としての基本を見てしまえば、話は早いからだ。
それは、男と女に分かれた生物として、これまでにずーっと繁栄してきた人類の歴史であり、
基本は男と女がいて、女が男を誘惑して、結合し、妊娠して子を産む。ずーっとその繰り返し。
間違えてほしくないのは、男ではなく、女が先に誘惑する点である。女が一生懸命、メイクや
お洒落だとか美容に気をつかうのは、男を誘惑するという、その本能に基づいている。中には、
「男なんかどうでもよく、同性の目を気にしている。自分が納得できればいい。」なんて言うが、
そんな戯言は、理性が作りだした言い訳や、たんなる派生したエゴにすぎず、本質じゃない。
本質は、女は男を誘惑し、それで妊娠、出産して生命を繋いできたという、れっきとした事実。
その前では、全てはただの戯言。そしてこの真理の前で、我々は、まず最初の勘違いを正す。
ナンパに後ろめたさを感じるのは間違っていた、すぐ体を求めるのも、間違ってはいない、と。
男が女に惹かれるのは当然で、声をかけるのは、恥ずべきことじゃないということ!なんせ、
我々人類が繁栄した源である。たとえちょっと挨拶しようが、会話を楽しもうが、連絡先だけ
聞いて終わろうが、その所作すべてに、妊娠、出産というファクターが、関わってきている。
というよりも、それを念頭におけば、すべては神々しく、出会う女すべてが、我が妻に思える。
もし、あなたがある女に近づくことを批判してくるような者がいたら、ハッキリ言ってあげよう。
「君が今そこに存在する事自体、僕が今、あの子に声をかけている事と深く繋がっている。」
「もし、僕が女に近づく行為を否定するなら、君は自分の存在基盤を否定することになる。」
「男と女の統合、出産によって、人類は増えていったんだ。僕は今、源の真っただ中にいる。」
なーんてことを言うと、相手はポカーンとするだろう。だったら、そもそも相手にしなくていい。
★
とにかく伝えたかった事は、あまりに文化が成熟し、情報過多になり、娯楽も増えた現代で、
生命の基盤は何か?と洗い出すと、結局、男と女の結合が浮かび上がってくることだった。
いかなる生命にとっても、まずは身の安全を守ること、次に、食べて生命を維持すること、
そして、類としての生命を維持するために交尾し、生命をコピーすることの3つが基盤だ。
むしろ、その他の事は、時間つぶしの余暇にすぎない。現代は、食べ物も豊富に手に入り、
部屋にこもっていても生活できるし、身の安全も守られている。そんな中で、性に関しても、
情報が多すぎるために麻痺しているだけで、原初の自然なパワーは封じ込められている。
そこで何無派師は、そんな浮ついた薄っぺらい虚偽に満足せず、原点に返り、その基盤の
男と女の惹きあい、統合に向けて、全身でもって飛び込む、真の男である。人工的ではない
大自然、生命の源となる行為に入るわけで、その様は、まさに修行者としかいいようがない。
その際、忘れるべきではないのが、女は妊娠、出産であるという真理。それは、避妊すると
いった具体的マナーに留まらず、その神秘さ、その不可思議さ、その有難さに対して、心底、
礼讃するという事である。我々が生きているのは全て、女のおかげ。女は、自然の賜物だ!
だから外に出て、声かけるのは、ある意味、生命の本能に基づく、人類賛歌であり、これを、
「参拝」と呼ぶ。よくストリップで大股開きした時に、昔の人は柏手を打って、「ありがたや」と
合掌していたが、我々が生まれてきた場所に対して、聖なる性を感じるのが「参拝」なのだ。
「参拝」とは、決して神社にお参りに行く事ではない。神社に神はいない。人が勝手に作った。
そんな社交辞令的な、形だけの参拝ではなく、道行く女性に、惹かれること、声をかけること、
願かけすること、感謝すること、これこそが、まさしく「参拝」であり、神々しい行為ともいえる。
それを知れば、ナンパは、たちまち崇高なる行為と化し、生命の源である女が、女神となる。
何無派師は、「瞑想」「読経」「参拝」という修行を通じて、最も女を尊ぶ、男の中の男なのだ。
世間ではナンパは軽薄と思われ、迷惑行為や犯罪スレスレの行為とまで思われる
こともある。正直、イメージは悪い。試しに周囲の人に、ナンパしてると言ってみよう。
おそらく、良識派と呼ばれる人に限って、こんな言葉が返ってくる。
いい歳して、女のケツを追いかけて、何してんの?まだそんな事してんのかよ?
え?ナンパが趣味?カッコ悪い、恥ずかしい、他にやることないんだね、ETC・・・。
じゃあ、どこで出会うんだよ?と聞くと、合コンだとか、お見合いパーティーだとか、
人の紹介だとか、習い事だとか言ってくるかもしれない。要するに、人のつながりや、
すでに出来上がってるシステムの中に入って、異性と仲良くなれよ、とのことである。
また女遊びしまくっている人からは、ナンパなんて効率悪いよ、やるだけなら風俗、
水商売だと勧められ、メール必勝法とともに、出会い系も勧められるかもしれない。
いずれにせよ、誰かが作ったシステムに、お金を投じて、参加する事を勧められる。
そんな中で、我が身一つで路上に出て、声をかけていくナンパ師は、システムからは
自由だが、それと同時に、苦しむ自由、逃げる自由も、たっぷり与えられているのだ。
実際にやってみると、思ったよりも大変だと思い知らされる。何よりも最大の障害は、
どういうわけだか、続けることが出来ない、という現実。死ぬほど辛いわけでもない。
中には、激しい自己嫌悪にからめとられ、死ぬほど辛くなる人もいるだろうが、大抵、
少しは結果が出たりして良さもわかるが、急に面倒になったり、パッとしないままに、
いくつか連絡先を手にしたまま、ふたたび地蔵に舞い戻ったり、足が遠のいてしまう。
やはり時間の無駄というか、そこまでしてナンパをする必要性を感じなくなるのだろう。
ナンパをする正当性というものが、世間でも確立されていないし、個人的にも弱いのだ。
数年前から「婚活」という言葉が生まれ、男も「婚活」を看板にナンパ出来るようになり、
「嫁さん探しだよ。」「頑張れ!」などと、少しは正当化できるようになった。しかしながら、
「婚活」だけでは弱い。「婚活」だけだと、お行儀がよすぎて、パワーの解放と繋がらない。
なぜなら結婚自体も、ただのシステムにすぎない。人間が思考で作った、絵空事である。
それよりも、もっとリアルな事がある。それが、女は妊娠し、出産する生き物という事実!
新しい生命は、我々、男からではなく、女から生まれてくる。それを忘れてはいけない。
★
何無派道場では、以前はよく、『生まれる』という映画(ドラマではなく、ドキュメントの方)と、
『玄牝』という映画を、修行者に見せていた。これは男目線で作った出産モノと、女目線で
撮った出産ドキュメンタリーだった。今は上映が終わったので、DVDになったら見てほしい。
男というのは、「出産」に関する映像や本など、見たくない人が多い。なぜか怖いというか、
気持ち悪いというか、そんなの見たら、EDになるかもしれないと、思っている人までいる。
しかし、出産という、絶大なる真理から目をそらして、曖昧にしている者は、あまりに弱く、
根源的な力を持つことはないだろう。そもそもの始まりからして、我々は女から生まれた。
今、あなたの周囲にいる人達全員が、女から出現してきたのだ。これは驚くべきことである。
男なんて、ちょっとつついた程度でしかない。人工授精さえある今、結局、生命の源は女で、
その女によって、人類はこれまで生命を繋いできたと、ハッキリわかる。上記の映画二つは、
その出産を正面から取り上げたドキュメントで、観た時には、女の強さに、圧倒されるだろう。
特に、女が撮った「玄牝」は、今でも自然分娩を推奨している医院のドキュメントで、そこは、
妊婦さんにガンガンに運動させる。毎日何時間も歩かせるし、オノで、まき割りまでさせて、
体力作りをする。腹の大きな妊婦が、まき割りする姿の美しさはハンパなく、激しく感動する。
DVDになるのは当分先なので、とりあえずは、以下の映画の予告編で、そのさわりだけでも、
ご覧いただこう。自然分娩を決意した妊婦達の修行の場として、古びた日本家屋が出てくる。
それは、あたかも、ナンパを極めようと決意した男達が修行している、何無派道場に似ていた。
ところで、なぜ急に「出産」なんて事を持ち出したかというと、理性が作りだした人工的な物を
とりあえず排除して、原点を見つめてほしかったからである。社会的にナンパがしづらいとか、
「婚活」がどうだとか考える前に、まずは生物としての基本を見てしまえば、話は早いからだ。
それは、男と女に分かれた生物として、これまでにずーっと繁栄してきた人類の歴史であり、
基本は男と女がいて、女が男を誘惑して、結合し、妊娠して子を産む。ずーっとその繰り返し。
間違えてほしくないのは、男ではなく、女が先に誘惑する点である。女が一生懸命、メイクや
お洒落だとか美容に気をつかうのは、男を誘惑するという、その本能に基づいている。中には、
「男なんかどうでもよく、同性の目を気にしている。自分が納得できればいい。」なんて言うが、
そんな戯言は、理性が作りだした言い訳や、たんなる派生したエゴにすぎず、本質じゃない。
本質は、女は男を誘惑し、それで妊娠、出産して生命を繋いできたという、れっきとした事実。
その前では、全てはただの戯言。そしてこの真理の前で、我々は、まず最初の勘違いを正す。
ナンパに後ろめたさを感じるのは間違っていた、すぐ体を求めるのも、間違ってはいない、と。
男が女に惹かれるのは当然で、声をかけるのは、恥ずべきことじゃないということ!なんせ、
我々人類が繁栄した源である。たとえちょっと挨拶しようが、会話を楽しもうが、連絡先だけ
聞いて終わろうが、その所作すべてに、妊娠、出産というファクターが、関わってきている。
というよりも、それを念頭におけば、すべては神々しく、出会う女すべてが、我が妻に思える。
もし、あなたがある女に近づくことを批判してくるような者がいたら、ハッキリ言ってあげよう。
「君が今そこに存在する事自体、僕が今、あの子に声をかけている事と深く繋がっている。」
「もし、僕が女に近づく行為を否定するなら、君は自分の存在基盤を否定することになる。」
「男と女の統合、出産によって、人類は増えていったんだ。僕は今、源の真っただ中にいる。」
なーんてことを言うと、相手はポカーンとするだろう。だったら、そもそも相手にしなくていい。
★
とにかく伝えたかった事は、あまりに文化が成熟し、情報過多になり、娯楽も増えた現代で、
生命の基盤は何か?と洗い出すと、結局、男と女の結合が浮かび上がってくることだった。
いかなる生命にとっても、まずは身の安全を守ること、次に、食べて生命を維持すること、
そして、類としての生命を維持するために交尾し、生命をコピーすることの3つが基盤だ。
むしろ、その他の事は、時間つぶしの余暇にすぎない。現代は、食べ物も豊富に手に入り、
部屋にこもっていても生活できるし、身の安全も守られている。そんな中で、性に関しても、
情報が多すぎるために麻痺しているだけで、原初の自然なパワーは封じ込められている。
そこで何無派師は、そんな浮ついた薄っぺらい虚偽に満足せず、原点に返り、その基盤の
男と女の惹きあい、統合に向けて、全身でもって飛び込む、真の男である。人工的ではない
大自然、生命の源となる行為に入るわけで、その様は、まさに修行者としかいいようがない。
その際、忘れるべきではないのが、女は妊娠、出産であるという真理。それは、避妊すると
いった具体的マナーに留まらず、その神秘さ、その不可思議さ、その有難さに対して、心底、
礼讃するという事である。我々が生きているのは全て、女のおかげ。女は、自然の賜物だ!
だから外に出て、声かけるのは、ある意味、生命の本能に基づく、人類賛歌であり、これを、
「参拝」と呼ぶ。よくストリップで大股開きした時に、昔の人は柏手を打って、「ありがたや」と
合掌していたが、我々が生まれてきた場所に対して、聖なる性を感じるのが「参拝」なのだ。
「参拝」とは、決して神社にお参りに行く事ではない。神社に神はいない。人が勝手に作った。
そんな社交辞令的な、形だけの参拝ではなく、道行く女性に、惹かれること、声をかけること、
願かけすること、感謝すること、これこそが、まさしく「参拝」であり、神々しい行為ともいえる。
それを知れば、ナンパは、たちまち崇高なる行為と化し、生命の源である女が、女神となる。
何無派師は、「瞑想」「読経」「参拝」という修行を通じて、最も女を尊ぶ、男の中の男なのだ。
posted by fmtbank at 09:54| カテゴリ無し
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2011年12月18日
神聖なナンパ修行の道場を公開
何無派道場へようこそ!本日は、説法ではなく、実際の道場にあなたを招待しよう。
まず下を見てほしい。この部屋が道場だ。澄んだ空気と美しい木々に囲まれた自然
の中にある。ここで修行者は、日々精進し、自らのパワーを高めてから、街へと出る。
とはいえ、この部屋での修行はきわめてシンプルで、瞑想と読経の二つのみである。
それも10分程度で構わない。ちょうど修行に合わせた音曲も流れるようにしている。
瞑想をテーマにした曲と、読経をテーマにした曲の二曲で、約10分の修行が出来る。
雰囲気を出したいなら、下の画像の右端をクリックして、画像を拡大させてみるといい。
(後日談:あ〜残念!動画は削除されてしまった。替わりに曲だけはリンクしておいた。)
1曲目の「Need You (Right Now)」が5分弱で、これが瞑想の曲だ。曲名が意味する、
「あなたが必要(今すぐに!)」、そして短い歌詞の中での、のびやかな使徒の呼び声、
「I Take You Higher And Higer!」が、より高い境地へ、あなたを連れていくと誘惑する。
続いての2曲目が、「読経」のための「Violet Theme」という曲だ。このバイオレットとは、
すみれ色、濃紫色の意味で、僧侶の中で一番地位が高いとされている最も高貴な色。
ナンパ修行は、陰と陽の統合を目指す、この世で最も高貴な行であり、まさにピッタリ。
こうして10分でもいいから、瞑想と、ナンパで使う台詞を声に出して読む「読経」をして、
何無派師は、外へと、魔の地である「まち」へと出かけていく。まさに僧侶と同様な修行で、
そのイメージが少しでも、つかめたらと思う。なお、街に出て声をかける行を「参拝」という。
何無派師とは、「瞑想」「読経」「参拝」の三つの修行に、ひたむきに打ち込む行者なのだ。
まず下を見てほしい。この部屋が道場だ。澄んだ空気と美しい木々に囲まれた自然
の中にある。ここで修行者は、日々精進し、自らのパワーを高めてから、街へと出る。
とはいえ、この部屋での修行はきわめてシンプルで、瞑想と読経の二つのみである。
それも10分程度で構わない。ちょうど修行に合わせた音曲も流れるようにしている。
瞑想をテーマにした曲と、読経をテーマにした曲の二曲で、約10分の修行が出来る。
雰囲気を出したいなら、下の画像の右端をクリックして、画像を拡大させてみるといい。
(後日談:あ〜残念!動画は削除されてしまった。替わりに曲だけはリンクしておいた。)
1曲目の「Need You (Right Now)」が5分弱で、これが瞑想の曲だ。曲名が意味する、
「あなたが必要(今すぐに!)」、そして短い歌詞の中での、のびやかな使徒の呼び声、
「I Take You Higher And Higer!」が、より高い境地へ、あなたを連れていくと誘惑する。
続いての2曲目が、「読経」のための「Violet Theme」という曲だ。このバイオレットとは、
すみれ色、濃紫色の意味で、僧侶の中で一番地位が高いとされている最も高貴な色。
ナンパ修行は、陰と陽の統合を目指す、この世で最も高貴な行であり、まさにピッタリ。
こうして10分でもいいから、瞑想と、ナンパで使う台詞を声に出して読む「読経」をして、
何無派師は、外へと、魔の地である「まち」へと出かけていく。まさに僧侶と同様な修行で、
そのイメージが少しでも、つかめたらと思う。なお、街に出て声をかける行を「参拝」という。
何無派師とは、「瞑想」「読経」「参拝」の三つの修行に、ひたむきに打ち込む行者なのだ。
posted by fmtbank at 08:25| カテゴリ無し
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2011年12月17日
ナンパトークが平気になる最強の方法
このブログでは、いかにして心の底からナンパを楽しめるか?というテーマで、しばらく
進めていっています。残念ながら、本当の楽しさを知らない方々が多く、心が痛みます。
その最大の原因が、自分の考えと思っているものが、実は、他者の思考が侵入して、
あなたのフリをしていることでした。まずナンパなんてカッコ悪いという、世間の常識や、
自分なんて相手にされない、という恐ろしい洗脳などが、勝手に脳内で再生されている。
しかし、もっと恐ろしいのは、世間の常識や狭い自己評価ではなく、すでに存在している、
「ナンパ師」と呼ばれる人達からの情報です。彼らのブログなどからは、確かに役に立つ
情報は得られますが、やっかいな事に、害になる情報も一緒に入ってきてしまうんです。
やたら結果が出てる人のを読み、自分と比べて落ち込んでは、焦って、さらにうまくいかず、
はたまた、自分には合わない刹那的すぎる世界観をムリして取り入れたり、女に対しての
スタンスが狩猟的すぎて、これじゃあ大部分の普通の男には合わないよ、というのが多い。
やはり、ナンパなんてするのは、極端な人ばかりです。たまに街中でホストっぽい格好の
集団がいますが、あなたはその中に仲間として入っていけますか?それが出来るならば、
いかにもなナンパを実践できます。でも通常は、格好悪く感じてムリ。例えると、そんな感じ。
だから、思い切って極端な人達のマネをしようとして頑張っても、どこか違和感が出てきて、
その世界観も、あなたを幸せにしない。自分を「ショボ腕だから」なんて卑下することになる。
★
そこで私が勧めるのが、セカイ系のナンパで、これは自分が王様になることです。もちろん、
その王国は、社会的には何の価値もないかもしれませんが、自分で創り出した、自分独自、
自分の気に入った価値観で出来あがっている、精神的な王国です。あなたが完全な主役!
そこにライバルはいません。比較基準を他者におかない。このセカイには自分しかいなくて、
後の男達は、ただのエキストラ程度のものです。そして出会う女性は「使徒」というヒロイン。
そのヒロインによって、あなたのセカイは輝き、時には壊され、再生しては、強く繁栄していく。
この他者の価値観の汚染から逃れ、自分独自のセカイを生きることを、ヴァカになると呼び、
この「ヴァカ」は、自分のいるセカイを自分の場と化すという意味で「場化」とも表記されます。
以前、『バカになる修行が日本を救う』という記事でも書きましたが、やはり利口だと、ナンパ
は楽しめない。思いっきりヴァカになる事でこそ、自由を謳歌できる。それに、たんなるヴァカ
ではなく、自分のセカイ、自分の得意な状況を、その場に作れることが「場化」の力なんです。
せめてナンパワールドに入る時くらい、ヴァカになりましょう。いっておきますが、自分独自の
セカイを作るというのは、徹底して自分勝手になっていいんですよ。例えば、イケメンの人は、
「イケメンこそ最高だ!ブサイクがナンパすんなよ。トークなんていらねぇ。」と吠えてもよくて、
自分がイケメンなんだから、その価値を最上としたセカイを作ればいい。誰にも文句はない。
ただし、イケメンが有利だなんてセカイは、世間の価値観と合っているため、面白くないです。
だから、あなたは、無職こそが最高!だとか、走るのが好きなら、ジャージでナンパいいね!
だったり、俺の繰り出す台詞は風流だ、必ず季語が入ってるナンパ!常に女と話すときは、
相手のハダカを想像しながらトークしている、ヌーディストナンパとか、もう何でもアリですよ。
それが世間とズレすぎていると、使徒が送られてきてダメ出し、訂正が入りますが、あんまり、
女性の意見を取り入れすぎるのもよくない。だって相手も自分のフィールドに取り込もうとし、
「場化(ヴァカ)」してくるわけですから、それに染まらず、新しいセカイを見せてあげればいい。
とにかく、自分にとって最も都合のいいセカイを作ってください。例えばチビなら、それがもう、
どれだけ素晴らしいかを、ありとあらゆる言葉を使って創りあげていく。これは理論武装では
ありません。たんに守るため、相手を説得するためというより、自分を盛り上げるためです。
そして、自分のセカイを創りあげるには、都合のいい他者の言葉を用い、自分のアイデアや、
実際に行動していくうちに見えてきた気づきなど、使えるものは全部使う!その際の材料は、
想像力と「コトヴァ」です。この「コトヴァ」こそが、何無派師の最大の武器ともいえるでしょう。
★
「コトヴァ」を使って、相手の思考から感情、そして本能へと落としていくという基本は前々回と、
前回の『真打ち登場!落語家になりました』にて書きました。女性を落とす語学が「落語」です。
そして、この特殊な語学を用いる者を「落語家」と表記してきました。これはあくまでも、あの
芸人の落語家と同じで面白いから、そうしてましたが、ここでハッキリと区別しておきましょう。
女を落とす語学を使える者は、芸人の落語家と区別し、「落語者」とします。この「落語者」は、
「落伍者」の意味とかかっていて、大勢の人が歩むような人生に遅れを取ったり、悪い方向に
行って落ちぶれてしまったりしている人のことです。そこから逆転する意味を強くこめました。
「落伍者」は、辞書を調べると、さらに、クラス・世間などからの落ちこぼれ、劣等生、負け犬、
脱落者、非成功者、(社会の)はみ出し者、弱者、非エリート、異端者、アウトサイダーなどと、
もうゴチソウのような素晴らしい意味群が書いてあります。そんな世間ではダメとされている、
どうしようもない状態であろうと、それを「コトヴァ」の力で引っくり返すのが、「落語者」ですね。
だからこそ、ドン底ひきこもりヴァカの私も、堂々たる「落語者」ですし、仕事がつまんなくて、
この先、出世もないだろうという人も、アフターファイブは自分が王様の「落語者」になったり、
たとえ仕事が成功していても、仕事人間で異性が全然ダメな人も、「落語者」たりえるでしょう。
とにかく、何かが欠けていたり、もっと死ぬほど面白い事したいという渇望がある人は、落語
を学ぶべきですし、本当に無職でどうしようもないと思い込んでいる人は、落語で逆転して、
高笑いしてほしいと思っています。いかに我々は騙されてきたか!この野郎!ナメんなよ!
おっと、感情がこもってしまいましたが、それでは具体的に「コトヴァ」について述べましょう。
まず今回、「落語者」を、芸人の落語家と区別したかったのは、落語家のあんな喋り方では、
ナンパに役立たないからです。彼らのコトヴァは古臭くて使えません。古典芸能とかいって、
あぐらをかいていますが、女を落とすトークこそが、大昔からある古典芸能で、しかも新しい。
落語好きな人、ごめんなさい。ちゃんと聴けば、口説きに使える部分もあるかもしれませんが、
そこまで落語に注目できませんし、それよりも、ナンパに参考になる分野は、別にありました。
それが、「お経」です。えっ!落語でさえ古臭くて使えない、とかいってんのに、もっと古臭い、
より辛気臭い「お経」なんか、全然ダメじゃんかよ!と思うかもしれませんが、それも当然で、
何も「お経」をそのままコピーしようなんてことではなく、あのスタイルを参考にするだけです。
だって、本当に素晴らしい!私が初めて「お経」が凄いと思ったのは、ある寺の中で、坊主の
集団が一斉に読経していた所に出くわした時でした。あの、お経特有の平坦な感じの音声が、
グワングワンと鳴り響き、しかも坊さん達は無心に読経しているため、聴いてるこちらも、もう、
完全なる無心に導かれてしまいます。その作用は圧倒的でした。純粋な音としての影響力・・。
そして、これがナンパにおける「コトヴァ」の基本の一つ目です。言葉とは「音波」であるという、
忘れがちな事実。言葉は最初、あなたの口から発せられた時は、まだ言葉になっておらず、
ただの音波です。それを相手がキャッチして、言葉に変換してるだけで、それは後からの話。
要するに、あなたの言葉というのは、あなたの体を楽器とした音色でしかない。そっちの方が、
メインであり、意味としての言葉は後付けです。その基本をわかっていると、台詞の内容より、
音波としての声の使い方が大事だと意識し、そこから、音波の出し方を工夫し始める。どれが
一番気持ちいいのか?相手に届きやすいのか?大きければいいってものでもないのかな?
人それぞれで肉体が違う、つまり楽器が違いますから、それぞれでチューニングをしますが、
やはりリラックスした肉体の方がいい声が出ます。だからこそ瞑想でリラックスする練習です。
先に、瞑想の「ナンヴァ」行をお伝えしたのは、そのためでもあり、「コトヴァ」行の準備でした。
それでは次に、「コトヴァ」の内容について説明します。私はナンパ修行をしている人に対し、
もし声かけて反応が悪かったり、トークが続かないなら、絶対に台詞の音読を勧めています。
この音読をしていないとしたら、他のどんな質問にも答えるつもりはありません。無駄だから。
何無派師にとって、「落語者」にとって、この音読は一人でできる最大の仕事です。これほど、
声をかけるのが平気になり、言葉が自然に出てきて、心の平安をもたらすものはありません。
いってみれば、坊さんは、お経を読むのが仕事です。音読しない「落語者」は、お経を読まず、
怠けている坊さんと一緒でしょう。たとえ1分でも発声練習せずに、よく街に出れるものだと、
逆に感心してしまいます。結局、読経する生きた坊さんではなく、何も喋べらない地蔵となり、
誰かがお供え物してくれるかなと、ジッとしているのでしょうか?待ってても誰も来ないのに・・。
もしナンパで絶対に結果を出したいなら、絶対に音読はやるべきです。坊主のお経のように、
毎日の日課のごとく、台詞を声に出して読みます。注意としては、「思考センターから入り・・、」
だとかのナンパノウハウを音読するのではなく、直接、相手に対して言う台詞だけを読むこと。
要するに、今日、今から使うかもしれない言葉だけを音読する。だから「経文(きょうぶん)」は、
「今日の分」「今日の文」なんです。坊さんが読む「経文」ていうのは、かつてお釈迦様がいて、
何した、あーした、とか過去の話を、有難く、長々と述べているだけです。もう意味もわからん。
そうではなくて何無派師が読む「経文」は、それとは間逆で、今日まさに使うであろう、最新の
「今日文(きょうぶん)」です。今を生きる者として、女性を解放し、ひいては子を産ませ、未来
へと希望を紡ぐかのごとく、今日を生ききる、今を行ききるための、言霊なんです。当然ながら、
その内容は、すぐ使えるものでなくてはいけません。では、内容はどうすればいいのでしょう?
★
坊さんに限らず、年輩の方などが、朝晩と読経しているのは、心の平安のためであります。
供養のためだとか、感謝だとか、いろいろな意味合いがありますが、根本は、心の平穏です。
なぜ、ただの言葉を発声しているだけなのに、そんな気持ちのいい状態が訪れるかというと、
その「経文」が有難いものだと思っているからでしょう。雑誌の「ブブカ」を音読してもダメです。
同様に、何無派師も、有難い「経文」=「今日文」が手元にないと、読経しても意味がなくて、
その「経文」をどうするか?が重要になってきます。まず道聞き程度でしたら、自分ですぐに
作れます。「すいません、ドンキホーテはどこですか?(答えたら)ありがとうございます。」
もうこの程度でいいんですよ。でもね、こんな簡単な文でも、最低二回は音読することです。
逆にいうと、二回音読すれば十分です。暗記しようとしなくていいです。途中で嫌になります。
それよりも、修行に出る前には、毎回音読していれば、自然に使えるものは覚えていきます。
そして、実際に現場で使っていくうちに、その「経文」も変わっていき、更新されていくのです。
例えば、「すいません、ドンキホーテはどこですか?」という言葉も、実際やっていくうちに、
「知りません。」とか結構言われて、ならばと、最初からドンキホーテの黄色い袋を持った人
に声かけるようになり、まずは袋を見てから、「あっ、この近くにドンキホーテあるんですか?
どこですか?」なんて言葉が加わります。そしたら増えた文も含め、2パターンを音読する。
さらに慣れてくると、黄色い袋を持った人に対し、「もしかして、あなた、ドンキホーテに行った
でしょう?♪ドンドンドン、ドンキー、ドンキーホーテー、って口ずさんでましたよ。」とか言って、
歌ってないわ!というようなNOの場合は、「(NO)こわー!自分で気づいてないんだねー。」
「でも、一度位は、頭の中で口ずさんだ事あるでしょう?」と、会話に引きずりこもうとします。
無視されたら、自分がドンキホーテのテーマ曲を歌いながら立ち去る。なんて事も決めて、
手順ではなく、実際に使う台詞そのものを音読するのです。音読しているうちに、アイディア
が浮かんだら、それも足したり、実際に試して気づいた事は、削除していったりと、どんどん
更新していくわけです。そうして「経文」は、まるで生き物のように、勝手に増殖していきます。
あまりに多くなったら、全部音読するのは時間がかかって仕方ないので、今日はこの経文、
明日はデートなので、本能センターを刺激する経文とか、その日の気分によって変えます。
ただし最初は、経文を自分で1から作るのは大変だと思います。最初は人のナンパトーク、
落語の流れを参考にするといいでしょう。私は、そのために『音声プログラム』を作りました。
実録音声と、文章に起こしたメルマガ形式なので、台詞でピンときたものは、いともお手軽に
ピックアップし、ワードやメモ帳といった文章作成ソフトに移せるのです。コピー&ペーストで
移して、実際に試行していくうちに削除したり、カット&ペーストで順番を並べかえていきます。
そうしていくうちに、だんだん自分の色が見えてきます。太った人なら、自然とデブネタなど、
自分のセカイを面白く、楽しく、そしてエロく、形成させていくような台詞で彩られていきます。
「経文」というのは、過去に経てきた文という意味であり、過去の極意を洗い出した珠玉の文
ですから、今日使うための「今日文」も、結局は、あなたの過去の試行錯誤の結晶でもある、
現時点での集大成です。今日までに残ってきた言葉の数々ですから、同じく「経文」ですね。
★
どうか素晴らしい経文を、自分で編み上げて、それを音読することで、口慣らしだけではなく、
これだけの言葉があるのだからと、中にはそれで成功した記憶も脳裏をよぎりつつ、こんなに
パターンがあるのだからと、相手の反応も平気だと、体でもって、心の平穏を感じてください。
あなたの口から発する音波は、あなたの体全体を震わせ、無心になればなる程、自分自身、
どんどんヴァカになっていってる様子もわかります。読経により、たちまち「場化」されていく。
普段の自分とはモードが変わって、心身ともに、ナンパワールドへと入る準備が整います。
そうしたら、後は、家を出るだけです。安全地帯のホームを出て、アウェイへと飛び出す。
たとえ1分であろうと、瞑想と読経をすまして、ナンパに出かける者は、現代の修行僧なり。
マトリックスから自由になるべく、街を駆け抜けていく出家者、いわゆる『何無派師』です。
今年も残すところ、あと二週間になります。いざ、勇気ある出家者に、最上級の幸あれ!
進めていっています。残念ながら、本当の楽しさを知らない方々が多く、心が痛みます。
その最大の原因が、自分の考えと思っているものが、実は、他者の思考が侵入して、
あなたのフリをしていることでした。まずナンパなんてカッコ悪いという、世間の常識や、
自分なんて相手にされない、という恐ろしい洗脳などが、勝手に脳内で再生されている。
しかし、もっと恐ろしいのは、世間の常識や狭い自己評価ではなく、すでに存在している、
「ナンパ師」と呼ばれる人達からの情報です。彼らのブログなどからは、確かに役に立つ
情報は得られますが、やっかいな事に、害になる情報も一緒に入ってきてしまうんです。
やたら結果が出てる人のを読み、自分と比べて落ち込んでは、焦って、さらにうまくいかず、
はたまた、自分には合わない刹那的すぎる世界観をムリして取り入れたり、女に対しての
スタンスが狩猟的すぎて、これじゃあ大部分の普通の男には合わないよ、というのが多い。
やはり、ナンパなんてするのは、極端な人ばかりです。たまに街中でホストっぽい格好の
集団がいますが、あなたはその中に仲間として入っていけますか?それが出来るならば、
いかにもなナンパを実践できます。でも通常は、格好悪く感じてムリ。例えると、そんな感じ。
だから、思い切って極端な人達のマネをしようとして頑張っても、どこか違和感が出てきて、
その世界観も、あなたを幸せにしない。自分を「ショボ腕だから」なんて卑下することになる。
★
そこで私が勧めるのが、セカイ系のナンパで、これは自分が王様になることです。もちろん、
その王国は、社会的には何の価値もないかもしれませんが、自分で創り出した、自分独自、
自分の気に入った価値観で出来あがっている、精神的な王国です。あなたが完全な主役!
そこにライバルはいません。比較基準を他者におかない。このセカイには自分しかいなくて、
後の男達は、ただのエキストラ程度のものです。そして出会う女性は「使徒」というヒロイン。
そのヒロインによって、あなたのセカイは輝き、時には壊され、再生しては、強く繁栄していく。
この他者の価値観の汚染から逃れ、自分独自のセカイを生きることを、ヴァカになると呼び、
この「ヴァカ」は、自分のいるセカイを自分の場と化すという意味で「場化」とも表記されます。
以前、『バカになる修行が日本を救う』という記事でも書きましたが、やはり利口だと、ナンパ
は楽しめない。思いっきりヴァカになる事でこそ、自由を謳歌できる。それに、たんなるヴァカ
ではなく、自分のセカイ、自分の得意な状況を、その場に作れることが「場化」の力なんです。
せめてナンパワールドに入る時くらい、ヴァカになりましょう。いっておきますが、自分独自の
セカイを作るというのは、徹底して自分勝手になっていいんですよ。例えば、イケメンの人は、
「イケメンこそ最高だ!ブサイクがナンパすんなよ。トークなんていらねぇ。」と吠えてもよくて、
自分がイケメンなんだから、その価値を最上としたセカイを作ればいい。誰にも文句はない。
ただし、イケメンが有利だなんてセカイは、世間の価値観と合っているため、面白くないです。
だから、あなたは、無職こそが最高!だとか、走るのが好きなら、ジャージでナンパいいね!
だったり、俺の繰り出す台詞は風流だ、必ず季語が入ってるナンパ!常に女と話すときは、
相手のハダカを想像しながらトークしている、ヌーディストナンパとか、もう何でもアリですよ。
それが世間とズレすぎていると、使徒が送られてきてダメ出し、訂正が入りますが、あんまり、
女性の意見を取り入れすぎるのもよくない。だって相手も自分のフィールドに取り込もうとし、
「場化(ヴァカ)」してくるわけですから、それに染まらず、新しいセカイを見せてあげればいい。
とにかく、自分にとって最も都合のいいセカイを作ってください。例えばチビなら、それがもう、
どれだけ素晴らしいかを、ありとあらゆる言葉を使って創りあげていく。これは理論武装では
ありません。たんに守るため、相手を説得するためというより、自分を盛り上げるためです。
そして、自分のセカイを創りあげるには、都合のいい他者の言葉を用い、自分のアイデアや、
実際に行動していくうちに見えてきた気づきなど、使えるものは全部使う!その際の材料は、
想像力と「コトヴァ」です。この「コトヴァ」こそが、何無派師の最大の武器ともいえるでしょう。
★
「コトヴァ」を使って、相手の思考から感情、そして本能へと落としていくという基本は前々回と、
前回の『真打ち登場!落語家になりました』にて書きました。女性を落とす語学が「落語」です。
そして、この特殊な語学を用いる者を「落語家」と表記してきました。これはあくまでも、あの
芸人の落語家と同じで面白いから、そうしてましたが、ここでハッキリと区別しておきましょう。
女を落とす語学を使える者は、芸人の落語家と区別し、「落語者」とします。この「落語者」は、
「落伍者」の意味とかかっていて、大勢の人が歩むような人生に遅れを取ったり、悪い方向に
行って落ちぶれてしまったりしている人のことです。そこから逆転する意味を強くこめました。
「落伍者」は、辞書を調べると、さらに、クラス・世間などからの落ちこぼれ、劣等生、負け犬、
脱落者、非成功者、(社会の)はみ出し者、弱者、非エリート、異端者、アウトサイダーなどと、
もうゴチソウのような素晴らしい意味群が書いてあります。そんな世間ではダメとされている、
どうしようもない状態であろうと、それを「コトヴァ」の力で引っくり返すのが、「落語者」ですね。
だからこそ、ドン底ひきこもりヴァカの私も、堂々たる「落語者」ですし、仕事がつまんなくて、
この先、出世もないだろうという人も、アフターファイブは自分が王様の「落語者」になったり、
たとえ仕事が成功していても、仕事人間で異性が全然ダメな人も、「落語者」たりえるでしょう。
とにかく、何かが欠けていたり、もっと死ぬほど面白い事したいという渇望がある人は、落語
を学ぶべきですし、本当に無職でどうしようもないと思い込んでいる人は、落語で逆転して、
高笑いしてほしいと思っています。いかに我々は騙されてきたか!この野郎!ナメんなよ!
おっと、感情がこもってしまいましたが、それでは具体的に「コトヴァ」について述べましょう。
まず今回、「落語者」を、芸人の落語家と区別したかったのは、落語家のあんな喋り方では、
ナンパに役立たないからです。彼らのコトヴァは古臭くて使えません。古典芸能とかいって、
あぐらをかいていますが、女を落とすトークこそが、大昔からある古典芸能で、しかも新しい。
落語好きな人、ごめんなさい。ちゃんと聴けば、口説きに使える部分もあるかもしれませんが、
そこまで落語に注目できませんし、それよりも、ナンパに参考になる分野は、別にありました。
それが、「お経」です。えっ!落語でさえ古臭くて使えない、とかいってんのに、もっと古臭い、
より辛気臭い「お経」なんか、全然ダメじゃんかよ!と思うかもしれませんが、それも当然で、
何も「お経」をそのままコピーしようなんてことではなく、あのスタイルを参考にするだけです。
だって、本当に素晴らしい!私が初めて「お経」が凄いと思ったのは、ある寺の中で、坊主の
集団が一斉に読経していた所に出くわした時でした。あの、お経特有の平坦な感じの音声が、
グワングワンと鳴り響き、しかも坊さん達は無心に読経しているため、聴いてるこちらも、もう、
完全なる無心に導かれてしまいます。その作用は圧倒的でした。純粋な音としての影響力・・。
そして、これがナンパにおける「コトヴァ」の基本の一つ目です。言葉とは「音波」であるという、
忘れがちな事実。言葉は最初、あなたの口から発せられた時は、まだ言葉になっておらず、
ただの音波です。それを相手がキャッチして、言葉に変換してるだけで、それは後からの話。
要するに、あなたの言葉というのは、あなたの体を楽器とした音色でしかない。そっちの方が、
メインであり、意味としての言葉は後付けです。その基本をわかっていると、台詞の内容より、
音波としての声の使い方が大事だと意識し、そこから、音波の出し方を工夫し始める。どれが
一番気持ちいいのか?相手に届きやすいのか?大きければいいってものでもないのかな?
人それぞれで肉体が違う、つまり楽器が違いますから、それぞれでチューニングをしますが、
やはりリラックスした肉体の方がいい声が出ます。だからこそ瞑想でリラックスする練習です。
先に、瞑想の「ナンヴァ」行をお伝えしたのは、そのためでもあり、「コトヴァ」行の準備でした。
それでは次に、「コトヴァ」の内容について説明します。私はナンパ修行をしている人に対し、
もし声かけて反応が悪かったり、トークが続かないなら、絶対に台詞の音読を勧めています。
この音読をしていないとしたら、他のどんな質問にも答えるつもりはありません。無駄だから。
何無派師にとって、「落語者」にとって、この音読は一人でできる最大の仕事です。これほど、
声をかけるのが平気になり、言葉が自然に出てきて、心の平安をもたらすものはありません。
いってみれば、坊さんは、お経を読むのが仕事です。音読しない「落語者」は、お経を読まず、
怠けている坊さんと一緒でしょう。たとえ1分でも発声練習せずに、よく街に出れるものだと、
逆に感心してしまいます。結局、読経する生きた坊さんではなく、何も喋べらない地蔵となり、
誰かがお供え物してくれるかなと、ジッとしているのでしょうか?待ってても誰も来ないのに・・。
もしナンパで絶対に結果を出したいなら、絶対に音読はやるべきです。坊主のお経のように、
毎日の日課のごとく、台詞を声に出して読みます。注意としては、「思考センターから入り・・、」
だとかのナンパノウハウを音読するのではなく、直接、相手に対して言う台詞だけを読むこと。
要するに、今日、今から使うかもしれない言葉だけを音読する。だから「経文(きょうぶん)」は、
「今日の分」「今日の文」なんです。坊さんが読む「経文」ていうのは、かつてお釈迦様がいて、
何した、あーした、とか過去の話を、有難く、長々と述べているだけです。もう意味もわからん。
そうではなくて何無派師が読む「経文」は、それとは間逆で、今日まさに使うであろう、最新の
「今日文(きょうぶん)」です。今を生きる者として、女性を解放し、ひいては子を産ませ、未来
へと希望を紡ぐかのごとく、今日を生ききる、今を行ききるための、言霊なんです。当然ながら、
その内容は、すぐ使えるものでなくてはいけません。では、内容はどうすればいいのでしょう?
★
坊さんに限らず、年輩の方などが、朝晩と読経しているのは、心の平安のためであります。
供養のためだとか、感謝だとか、いろいろな意味合いがありますが、根本は、心の平穏です。
なぜ、ただの言葉を発声しているだけなのに、そんな気持ちのいい状態が訪れるかというと、
その「経文」が有難いものだと思っているからでしょう。雑誌の「ブブカ」を音読してもダメです。
同様に、何無派師も、有難い「経文」=「今日文」が手元にないと、読経しても意味がなくて、
その「経文」をどうするか?が重要になってきます。まず道聞き程度でしたら、自分ですぐに
作れます。「すいません、ドンキホーテはどこですか?(答えたら)ありがとうございます。」
もうこの程度でいいんですよ。でもね、こんな簡単な文でも、最低二回は音読することです。
逆にいうと、二回音読すれば十分です。暗記しようとしなくていいです。途中で嫌になります。
それよりも、修行に出る前には、毎回音読していれば、自然に使えるものは覚えていきます。
そして、実際に現場で使っていくうちに、その「経文」も変わっていき、更新されていくのです。
例えば、「すいません、ドンキホーテはどこですか?」という言葉も、実際やっていくうちに、
「知りません。」とか結構言われて、ならばと、最初からドンキホーテの黄色い袋を持った人
に声かけるようになり、まずは袋を見てから、「あっ、この近くにドンキホーテあるんですか?
どこですか?」なんて言葉が加わります。そしたら増えた文も含め、2パターンを音読する。
さらに慣れてくると、黄色い袋を持った人に対し、「もしかして、あなた、ドンキホーテに行った
でしょう?♪ドンドンドン、ドンキー、ドンキーホーテー、って口ずさんでましたよ。」とか言って、
歌ってないわ!というようなNOの場合は、「(NO)こわー!自分で気づいてないんだねー。」
「でも、一度位は、頭の中で口ずさんだ事あるでしょう?」と、会話に引きずりこもうとします。
無視されたら、自分がドンキホーテのテーマ曲を歌いながら立ち去る。なんて事も決めて、
手順ではなく、実際に使う台詞そのものを音読するのです。音読しているうちに、アイディア
が浮かんだら、それも足したり、実際に試して気づいた事は、削除していったりと、どんどん
更新していくわけです。そうして「経文」は、まるで生き物のように、勝手に増殖していきます。
あまりに多くなったら、全部音読するのは時間がかかって仕方ないので、今日はこの経文、
明日はデートなので、本能センターを刺激する経文とか、その日の気分によって変えます。
ただし最初は、経文を自分で1から作るのは大変だと思います。最初は人のナンパトーク、
落語の流れを参考にするといいでしょう。私は、そのために『音声プログラム』を作りました。
実録音声と、文章に起こしたメルマガ形式なので、台詞でピンときたものは、いともお手軽に
ピックアップし、ワードやメモ帳といった文章作成ソフトに移せるのです。コピー&ペーストで
移して、実際に試行していくうちに削除したり、カット&ペーストで順番を並べかえていきます。
そうしていくうちに、だんだん自分の色が見えてきます。太った人なら、自然とデブネタなど、
自分のセカイを面白く、楽しく、そしてエロく、形成させていくような台詞で彩られていきます。
「経文」というのは、過去に経てきた文という意味であり、過去の極意を洗い出した珠玉の文
ですから、今日使うための「今日文」も、結局は、あなたの過去の試行錯誤の結晶でもある、
現時点での集大成です。今日までに残ってきた言葉の数々ですから、同じく「経文」ですね。
★
どうか素晴らしい経文を、自分で編み上げて、それを音読することで、口慣らしだけではなく、
これだけの言葉があるのだからと、中にはそれで成功した記憶も脳裏をよぎりつつ、こんなに
パターンがあるのだからと、相手の反応も平気だと、体でもって、心の平穏を感じてください。
あなたの口から発する音波は、あなたの体全体を震わせ、無心になればなる程、自分自身、
どんどんヴァカになっていってる様子もわかります。読経により、たちまち「場化」されていく。
普段の自分とはモードが変わって、心身ともに、ナンパワールドへと入る準備が整います。
そうしたら、後は、家を出るだけです。安全地帯のホームを出て、アウェイへと飛び出す。
たとえ1分であろうと、瞑想と読経をすまして、ナンパに出かける者は、現代の修行僧なり。
マトリックスから自由になるべく、街を駆け抜けていく出家者、いわゆる『何無派師』です。
今年も残すところ、あと二週間になります。いざ、勇気ある出家者に、最上級の幸あれ!
posted by fmtbank at 13:49| カテゴリ無し
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2011年12月16日
真打ち登場!落語家になりました
どうも、フミトバンクです。私は今でも、日本語の音読をしています。
口下手をなおすために、ナンパを始めて、ずっと続けてきたんです。
数多くの台詞を仕入れ、考案して、毎日のように、音読してきました。
★
ハッキリいって私は、ナンパにおいては、台詞マニアでした。ずっと、
台詞にこだわるな、ごく普通の日常会話でいい、と主張してましたが、
これは台詞にこだわりすぎると、知らぬ間に自閉してしまうからです。
特に、笑わせるために台詞を凝っていたら、思考ばかりが働いて、実は、
相手とコミュニケーションとれません。いかに相手が笑おうが、好反応
を見せようが、なぜか結果が出ていない、という現実を突きつけられる。
初対面ていうのは、条件反射的に、半分、社交辞令のようになりますし、
それを自分でウケてると勘違いしたり、実際にウケても、その後で、ごく
簡単に、相手に見切られてしまうケースは、ナンパで非常に多いんです。
答えは簡単で、笑いの台詞というものが、その人にとって、ありのままで
いけないという、自分をそのまんま見せれない、という逃げになっている。
となると、思考センターで自己完結してて、その下の胸の感情センターが、
開いていません。だから相手が感情センターのオープンな人なら、すぐに、
物足りなく感じる。思考センターのレベルでの会話なんぞは浅いからです。
要は、こちらの器の小ささを見切られてしまいます。イイ女は特にそうです。
笑いは、最初のアプローチでは、思考センターに働きかけて、警戒を解き、
素晴らしい効果をもたらしますが、今度は、ハートの感情センターに下りて、
相手を揺さぶった方が、ナンパでの結果は出ます。私も実は、最終的には、
ネガを駆使し、口ゲンカで相手を思いっきり泣かして、仲良くなっていました。
ちょっと失礼な事いって、お茶を濁すだけがネガじゃありません。頭にきたら、
テクニック関係なく、全力で怒ってしまう。すると、狙わずして相手の心を打ち、
逆に、うまくいってしまったりする。感情センターでの交流は、本音ですから、
いかに普段の女性が、表面的に仲良くしてるだけか、というのが分かります。
学校や会社など、仲間はずれにならないよう、人の目を気にして、脆弱に
生きているだけですから、そういう人に、「ウザイ」や「キモイ」とか言われて、
真に受けてる場合じゃありません。そういう表面的な思考レベルの会話は、
まずは同様に表面的に合わせてから、全て流しちゃえばいい。問題ない。
それよりも、普段、体験できずに飢えている、感情センターの解放に導く。
ですから、何無派師は、社会的な常識を取っ払ってしまい、そりゃ最初は、
思考センターから入りますが、そのまま本音にするために感情センターへ、
そしてさらに下に降りて、本能センターを目覚めさせて、性的に興奮させる。
この頭脳からハート、そして性の中枢へと、エネルギーを落としていくのが、
何無派師のトークであり、エネルギーの中心を上から下へ落としていくため、
これを『落語』といいます。女を落とすという意味でもあり、立派な語学です。
何無派師は、思考からハート、本能へと女を落としていく『落語家』なんです。
★
これからは、英語よりも『落語』が大事です。男と女が統合するための語学。
今でも「英語くらい喋れないと」と勉強している方は多いかもしれませんが、
そんなに至急な用がないなら、もっと日本語を勉強しようと、私はいいたい。
日本語は、子供の頃から触れているため、マスターしていると思いがちで、
いまさら勉強しようなんて思わない人が多い。しかし、本当に喋れますか?
試しに、ストリートに出て、道行く女性達に話しかけてきてくださいよ。どう?
声かけて、あらゆる反応に対処でき、長話になっても、本音で話し込めたり、
または逆に、ほのめかしトークで、相手を性的に興奮させたり出来ますか?
たいていの人は、本音トークどころか、話題も見つからなくなって、そもそも、
声かけの時点で固くなり、警戒する相手に対し、言葉が続かず終わります。
もし、あなたがそうなるとしたら、日本語が話せてない。まだまだ、なんです。
本当に使うんだかわからない、しかも表面的で白々しいだけの英語などを
勉強するくらいだったら、相手を思考レベルから感情レベル、そして本能の
性中枢まで落とす、『落語』を勉強した方が、よっぽど役に立つと思います。
この『落語』を学ぶ者こそが、ナンパ修行者であり、すでに分かっていると
思い込んでいた日本語を謙虚に学ぶ、真の学生といってもいい存在です。
では、この『落語』を、どうやって学ぶのかというと、それが前述した訓練で、
台詞の音読です。ただナンパで使う台詞を、声に出して読み上げればいい。
コツは、暗記しようと頑張らないことで、記憶しようとすると、とたんに疲れて、
長く続かなくなります。なので、ただ音読する。それも同じ台詞を何度も読む。
特に、アプローチ部分のトークは、定形化しやすいので、出発前に音読です。
これがどれだけ自分のトークにパワーを与えるか、知らない人は驚くほど多い。
音読さえしないで街に出て、「結果出ないっすねー」とグチるなんて、受験英語
しか勉強しなかった人が、外国に行って、「全然喋れない」と悩むのと同じです。
準備体操なしで、練習を全くしないで、本番にのそむアスリートといってもいい。
ナンパをナメてんの?日本語ナメてるでしょ?と、言われてもしょうがないです。
とはいえ、いくらノウハウ本読んでもダメですよ。実用的な言葉を音読すること。
声を出すだけで、体が開いて、意識は外側を向くし、毎日音読していると、ふと、
ナンパ中に、無意識的に台詞が飛び出します。さらに蓄積されていくと、今まで
音読してきた台詞が結合し、似たような状況において、アドリブが飛び出します。
私のトークも、『ナンパ覚醒プログラム』の初期から中期にかけては、ボロボロ
だったのが、次第に流れてきて、『ナンパ脱出プログラム』では、自分で驚く程、
アドリブが出てくるようになりました。聴いてると、お笑い芸人でもいけるかも?
なんて思ったりしましたが、残念ながら、私は大喜利も全く出来ず、才能なし。
要するに、お笑いトークというよりも、たんにナンパ限定の、『落語』なんです。
それは、たくさん音読して、それが積み重なったがゆえの話でしかありません。
★
つまり結論は、最初に述べた事と逆転しますが、ナンパでは、台詞というのは、
実は、非常に重要です。台詞を工夫しただけで、結果は、ガラリと変わります。
これまで、なぜ、その台詞の持つ力をを主張してこなかったというと、やっぱり、
初心者の方が、台詞にこだわりすぎてしまい、思考に逃げる事を避けるためと、
もう一つは、このブログ上にて、全然、ナンパの台詞を公開してないからでした。
ナンパトーク、いわゆる『落語』においては、二つのアプローチがあります。まず、
陰なるアプローチは、何でもない日常会話で働きかけます。結局、特別な台詞
なんぞ、不要ということです。サラりと、素でいってしまえば、成功してしまいます。
そして一方で、陽なるアプローチは、新鮮な台詞、珍しい台詞を多用する。要は、
面白トークというやつですね。しかし、この手のトークは、他に口説いてくる男達と、
差別化するためのものですから、あまり大っぴらに公開したら無意味になります。
だいぶ前ですが、以前、私は何かの拍子に、「マイナスイオン出てますよ。」とか、
声かけたところ、その女性に「あれ?今日、その台詞3回目ですよ。」等と言われ、
すごく恥ずかしくなったことがありました。すぐに、某ナンパ塾の方が使っていたと
思い出して、同じ台詞ってのは、なんか恥ずかしいなと、つくづく落ち込みました。
それからですね、このブログには、ナンパで使える台詞は、ほとんど出てません。
やはり、変わった台詞というのは、皆が使わないから効果あるのだし、販売する
のならば、大っぴらに公開することは、ご購読者にも失礼という事で、やめました。
その結果、理屈だらけのブログになりましたが、それでも、しっかり大切な事は言い、
ラクになってもらいたいという思いは、日増しに強まっています。だから断言します。
ナンパで最も重要なのは、『ナンヴァ』という自分の肉体に続いて、『コトヴァ』です。
ナンパ修行者は『コトヴァ』という呪術を用い、相手を解放する『落語家』なんです。
これまで散々、自分の体を操作する、基盤の『ナンヴァ』について述べてきました。
そろそろ次の段階に入ります。次は、修行者の要となる、『コトヴァ』についてです。
口下手をなおすために、ナンパを始めて、ずっと続けてきたんです。
数多くの台詞を仕入れ、考案して、毎日のように、音読してきました。
★
ハッキリいって私は、ナンパにおいては、台詞マニアでした。ずっと、
台詞にこだわるな、ごく普通の日常会話でいい、と主張してましたが、
これは台詞にこだわりすぎると、知らぬ間に自閉してしまうからです。
特に、笑わせるために台詞を凝っていたら、思考ばかりが働いて、実は、
相手とコミュニケーションとれません。いかに相手が笑おうが、好反応
を見せようが、なぜか結果が出ていない、という現実を突きつけられる。
初対面ていうのは、条件反射的に、半分、社交辞令のようになりますし、
それを自分でウケてると勘違いしたり、実際にウケても、その後で、ごく
簡単に、相手に見切られてしまうケースは、ナンパで非常に多いんです。
答えは簡単で、笑いの台詞というものが、その人にとって、ありのままで
いけないという、自分をそのまんま見せれない、という逃げになっている。
となると、思考センターで自己完結してて、その下の胸の感情センターが、
開いていません。だから相手が感情センターのオープンな人なら、すぐに、
物足りなく感じる。思考センターのレベルでの会話なんぞは浅いからです。
要は、こちらの器の小ささを見切られてしまいます。イイ女は特にそうです。
笑いは、最初のアプローチでは、思考センターに働きかけて、警戒を解き、
素晴らしい効果をもたらしますが、今度は、ハートの感情センターに下りて、
相手を揺さぶった方が、ナンパでの結果は出ます。私も実は、最終的には、
ネガを駆使し、口ゲンカで相手を思いっきり泣かして、仲良くなっていました。
ちょっと失礼な事いって、お茶を濁すだけがネガじゃありません。頭にきたら、
テクニック関係なく、全力で怒ってしまう。すると、狙わずして相手の心を打ち、
逆に、うまくいってしまったりする。感情センターでの交流は、本音ですから、
いかに普段の女性が、表面的に仲良くしてるだけか、というのが分かります。
学校や会社など、仲間はずれにならないよう、人の目を気にして、脆弱に
生きているだけですから、そういう人に、「ウザイ」や「キモイ」とか言われて、
真に受けてる場合じゃありません。そういう表面的な思考レベルの会話は、
まずは同様に表面的に合わせてから、全て流しちゃえばいい。問題ない。
それよりも、普段、体験できずに飢えている、感情センターの解放に導く。
ですから、何無派師は、社会的な常識を取っ払ってしまい、そりゃ最初は、
思考センターから入りますが、そのまま本音にするために感情センターへ、
そしてさらに下に降りて、本能センターを目覚めさせて、性的に興奮させる。
この頭脳からハート、そして性の中枢へと、エネルギーを落としていくのが、
何無派師のトークであり、エネルギーの中心を上から下へ落としていくため、
これを『落語』といいます。女を落とすという意味でもあり、立派な語学です。
何無派師は、思考からハート、本能へと女を落としていく『落語家』なんです。
★
これからは、英語よりも『落語』が大事です。男と女が統合するための語学。
今でも「英語くらい喋れないと」と勉強している方は多いかもしれませんが、
そんなに至急な用がないなら、もっと日本語を勉強しようと、私はいいたい。
日本語は、子供の頃から触れているため、マスターしていると思いがちで、
いまさら勉強しようなんて思わない人が多い。しかし、本当に喋れますか?
試しに、ストリートに出て、道行く女性達に話しかけてきてくださいよ。どう?
声かけて、あらゆる反応に対処でき、長話になっても、本音で話し込めたり、
または逆に、ほのめかしトークで、相手を性的に興奮させたり出来ますか?
たいていの人は、本音トークどころか、話題も見つからなくなって、そもそも、
声かけの時点で固くなり、警戒する相手に対し、言葉が続かず終わります。
もし、あなたがそうなるとしたら、日本語が話せてない。まだまだ、なんです。
本当に使うんだかわからない、しかも表面的で白々しいだけの英語などを
勉強するくらいだったら、相手を思考レベルから感情レベル、そして本能の
性中枢まで落とす、『落語』を勉強した方が、よっぽど役に立つと思います。
この『落語』を学ぶ者こそが、ナンパ修行者であり、すでに分かっていると
思い込んでいた日本語を謙虚に学ぶ、真の学生といってもいい存在です。
では、この『落語』を、どうやって学ぶのかというと、それが前述した訓練で、
台詞の音読です。ただナンパで使う台詞を、声に出して読み上げればいい。
コツは、暗記しようと頑張らないことで、記憶しようとすると、とたんに疲れて、
長く続かなくなります。なので、ただ音読する。それも同じ台詞を何度も読む。
特に、アプローチ部分のトークは、定形化しやすいので、出発前に音読です。
これがどれだけ自分のトークにパワーを与えるか、知らない人は驚くほど多い。
音読さえしないで街に出て、「結果出ないっすねー」とグチるなんて、受験英語
しか勉強しなかった人が、外国に行って、「全然喋れない」と悩むのと同じです。
準備体操なしで、練習を全くしないで、本番にのそむアスリートといってもいい。
ナンパをナメてんの?日本語ナメてるでしょ?と、言われてもしょうがないです。
とはいえ、いくらノウハウ本読んでもダメですよ。実用的な言葉を音読すること。
声を出すだけで、体が開いて、意識は外側を向くし、毎日音読していると、ふと、
ナンパ中に、無意識的に台詞が飛び出します。さらに蓄積されていくと、今まで
音読してきた台詞が結合し、似たような状況において、アドリブが飛び出します。
私のトークも、『ナンパ覚醒プログラム』の初期から中期にかけては、ボロボロ
だったのが、次第に流れてきて、『ナンパ脱出プログラム』では、自分で驚く程、
アドリブが出てくるようになりました。聴いてると、お笑い芸人でもいけるかも?
なんて思ったりしましたが、残念ながら、私は大喜利も全く出来ず、才能なし。
要するに、お笑いトークというよりも、たんにナンパ限定の、『落語』なんです。
それは、たくさん音読して、それが積み重なったがゆえの話でしかありません。
★
つまり結論は、最初に述べた事と逆転しますが、ナンパでは、台詞というのは、
実は、非常に重要です。台詞を工夫しただけで、結果は、ガラリと変わります。
これまで、なぜ、その台詞の持つ力をを主張してこなかったというと、やっぱり、
初心者の方が、台詞にこだわりすぎてしまい、思考に逃げる事を避けるためと、
もう一つは、このブログ上にて、全然、ナンパの台詞を公開してないからでした。
ナンパトーク、いわゆる『落語』においては、二つのアプローチがあります。まず、
陰なるアプローチは、何でもない日常会話で働きかけます。結局、特別な台詞
なんぞ、不要ということです。サラりと、素でいってしまえば、成功してしまいます。
そして一方で、陽なるアプローチは、新鮮な台詞、珍しい台詞を多用する。要は、
面白トークというやつですね。しかし、この手のトークは、他に口説いてくる男達と、
差別化するためのものですから、あまり大っぴらに公開したら無意味になります。
だいぶ前ですが、以前、私は何かの拍子に、「マイナスイオン出てますよ。」とか、
声かけたところ、その女性に「あれ?今日、その台詞3回目ですよ。」等と言われ、
すごく恥ずかしくなったことがありました。すぐに、某ナンパ塾の方が使っていたと
思い出して、同じ台詞ってのは、なんか恥ずかしいなと、つくづく落ち込みました。
それからですね、このブログには、ナンパで使える台詞は、ほとんど出てません。
やはり、変わった台詞というのは、皆が使わないから効果あるのだし、販売する
のならば、大っぴらに公開することは、ご購読者にも失礼という事で、やめました。
その結果、理屈だらけのブログになりましたが、それでも、しっかり大切な事は言い、
ラクになってもらいたいという思いは、日増しに強まっています。だから断言します。
ナンパで最も重要なのは、『ナンヴァ』という自分の肉体に続いて、『コトヴァ』です。
ナンパ修行者は『コトヴァ』という呪術を用い、相手を解放する『落語家』なんです。
これまで散々、自分の体を操作する、基盤の『ナンヴァ』について述べてきました。
そろそろ次の段階に入ります。次は、修行者の要となる、『コトヴァ』についてです。
posted by fmtbank at 12:30| カテゴリ無し
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2011年12月15日
まぶしいぜ、男と女のヴァカしあい!
ナンパ修行において一番難しいのが、続けることです。多くの人が途中で挫折します。
なんといっても、思い通りにならない欲求不満がはなはだしく、そんな自分に、そして、
女性達に嫌気がさしてしまいます。実をいうと、これはマトリックスの仕業なんですね。
まずナンパを始めるにあたり、世間では、大っぴらに路上などのオープンスペースで、
女性を求めるのが、あまりよろしくないとされていますから、世間の常識という制限から
飛びださなくてはいけません。それは周囲の視線という形でも、実感できると思います。
そして、もう一つは自己評価の低さですね。自分なんか相手にされるのだろうかという、
引っ込み思案のマイナスな思考。そういった世間の目や、自分に対する評価によって、
ナンパにブレーキをかけられますが、こういった不自然な抑制がマトリックスの仕業で、
考えてみれば、男と女が惹きあうのはごく自然で、何のためらいもいらないというのに!
それなのに、抑制するバグを植え付けられて、すっかり管理されてしまっているのです。
あたかも牧場で飼われている家畜のように、学校や会社等で隣の席にいるメスとだけ、
お前は交尾しとけばいいんだと、非常に制限された中での慰みだけを与えられている。
しかし、そんな中でも、自分の頭で再生される他人の声(止める思考のこと)を無視し、
ナンパワールドに足を踏み入れる勇者は後をたちません。と同時に、挫折する敗者も、
後をたたないわけですが、なぜそんな事になるのでしょうか?もちろんマトリックスです。
★
いかに最初は、ナンパなんてムリだという常識ある世界から飛びだしても、マトリックスは、
あの手この手を使って、あなたのパワーを奪い、ナンパを辛いものだと思わせようとする。
よくあるケースは、声かけれるようになっても、声かけ数が少ないしと悩んで、声かけ数が
多い人でも、連絡先聞けない俺はダメだと焦り、連絡先聞ける人は再会できないと苦しみ、
ゲットできるようになった人は、安っぽい女ばかりで、イイ女にいけないと卑屈になっている。
そして、それぞれが出来ない人にとっては、声かけれるだけいいじゃないかよ、連絡先を
聞けるだけいいじゃない、再会出来るんだったら問題ナシだ、ゲットできるなら最高じゃん、
という風に、うらやましくも思えてしまいます。でも、うらやましそうでいて、当人は不幸です。
一体、これは何なんだ?と思いました。こんな事なら、最高にイイ女をゲットしようが、まだ、
もっとイイ女がいるはずだとなり、もっとゲットだ!と、ずーっと永遠に欲求不満が続きます。
そんな修行は、まっぴらごめんですよ。どの段階で挫折しようが、自分も次の段階に昇り、
新たな結果が出ていたら満足だったのに、でもムリだったわ、という心残りでくたばります。
私は絶対に、こんな人の喜びを奪うシステムなんか、ぶち壊したろう、と心底思いました。
そこでナンパ革命だと一人で息まいて、地下に潜ったわけです。長い長い消耗戦でした・・。
なぜこの戦いが難しいかというと、マトリックスは人の思考にとりつくため、私が求めていた、
新しいナンパを創り出すという考え自体にもとりつかれ、非常に遠回りさせられたからです。
またこれは、最高のイイ女をナンパする!という考えにもとりつかれ、散々、振り回されて、
とんでもない方向に引っ張られた事もありました。とにかく、考えすぎるとロクな事にならず、
実際は、答えは目の前にあるのに気づかず、目隠しされてしまい、時間を浪費させられる。
ただ行けばいいんですよ。最短距離で行けばいい。段階もいらない。最初は、それが一番!
ナンパで成功体験のある人は、わかりますよね?成功した時、あまりにあっけなく感じて、
今までの苦労は何だったんだ!と思った事ありませんか?人は、一夜にして覚醒します。
それなのに、うまくいかなくて苦しんでるというのは、遠回りさせられてるんです。自分の
思考によって。そして、何度もいうように、それは自分の思考じゃない、他者の言葉です。
マトリックスの触手が、あなたの後頭部に伸び、いつの間にか接続しています。そして、
植え付けたバグを再生させたり、あなたが無力だという夢を見せられる。たとえば、よく、
声かけて失敗した後、横にいたカップルがこっち見て笑ってやがる!などと傷ついても、
その時、冷静になって、そのカップルを見ると、全然気づいてもなかったりするわけです。
人間ていうのは、現実を見ていない。というか、見れません。記憶を再生しているだけで、
だからこそ、歪んだ記憶を外部に投射しているうちに、思考に閉じ込められてしまいます。
普段は気づきませんが、ナンパに出ると、それが顕著です。その証拠に、あなたは苦しむ。
★
そんなわけで、この何無派道場では、まずは、なんとかして、この無駄な思考の連鎖から、
自由になるすべとして、瞑想を勧めています。自分の肉体であるナンヴァの中にひたって、
ボーッとするだけ。すると、自分の思考が、実は自分の思考じゃないと、実感できてきます。
いかに多くのバグが混入されているかが分かり、自由になっていくわけですが、ポイントは、
ナンパで落ち込む事があった時こそ、瞑想が深まる点で、自分の間違いが、よく見えます。
落ち込むって事は、グーンと内向する事ですから、要するに、内側を見ろという反応です。
だからこそ、凹むことは宝であり、うまくいってもいかなくても、面白くてしょうがない遊戯で、
失敗なんて一つもない。日々、学びがあるだけです。とはいえ、この瞑想というのは地味で、
やる気が出ないかもしれませんが、ここで初めて明かします。実は、瞑想を続けると、いとも
簡単に女性と結合できるようになります。(あーあ、書いてしまった。まぁ最後だからいいか)
この瞑想という、何もしないでただ感じるという地味な修行は、実は『超ゲットタイプ』となる、
最大の近道でした。私はそれを、出来る限り隠していました。なぜなら、これでガンガンに、
ゲットできるぜ!なんて思いながらやると、まったくもって瞑想にならないから!だからこそ、
矛盾するようですが、無欲でやってほしい。すると逆に、真のナンヴァとしての覚醒がある。
今はまだ、どんな事態になるのか、性的な要素は述べませんが、相手の本能センターに、
強烈な働きかけが出来るようになります。しかし、それ以前に、先程述べたように、自分の
思考を見つめる事ができて整理されますし、単純に、ナンヴァにエネルギーが充填されて、
スッキリできます。そして次第に、思考が消えて、まるで鏡のように透明な意識になります。
そうなると邪魔する思考がありませんから、インスピレーションという形で、新鮮な考えが、
浮かんでくる事が増えてきて、この気づきによって、自分のセカイを創っていけるわけです。
そして当然、この瞑想は、実際に女性に声をかけ、交流する中でも、非常に役立ってきます。
なぜなら思考を弱める、思考の影響力から自由になる練習ですから、自分が自由に行動し、
ノビノビとしていられるだけでなく、声をかけた相手に対しても、同様に働きかける事ができて、
相手の思考センターをも弱めやすくなる。自分に対して出来る事は、相手にも簡単にできる。
相手の思考センターを弱めたいなら、まずは自分が先に弱めるんです。そして誘導していく。
人間には、大まかに捉えると、3つのセンターがあります。頭にある「思考センター」と、胸に
ある「感情センター」、そして下腹部にある「本能センター」です。ナンパの標準的な流れは、
まず「思考」に働きかけ心を開かせ、「感情」を揺さぶり感動させ、最後に「本能」を刺激する。
もちろん、順番が違うことも多いですが、たいていは、「思考」の頭から、「感情」の胸、そして、
「本能」の下腹部へと、中心を落としていきます。上から下へと、相手の意識レベルを落として、
かつ昔からある、「女を落とす」という言葉から連想されるように、この相手を落としていく誘導、
一連のトーク自体をひとつの語学として「落語」と呼び、何無派師は、この「落語」を学びます。
そして、当然ながら「落語」では、相手の思考センターを弱めるところから始めます。ところが、
自分自身が、思考センターがガンガンに作用していると、相手も同様に、落ちてくれません・・。
だからこそ、まずは自分が思考センターを弱めていくことを率先して始めます。それが、要は、
「ヴァカ」というやつで、出来る限り、思考を作用させないよう、理屈に通らない矛盾を言ったり、
ギャグを放ったり、笑わせたりと、相手がまともに対処するのを、ヴァカらしくしてしまえばいい。
ヴァカは、本当に強いですよ。思考センターの強張りを解いて、心を開かせます。ヴァカ最高!
★
しかし、ヴァカというのは、たんにバカらしい事を言うという意味だけではありません。理性を
無視して、ヴァカ素直に行動するだとか、自分の気持ちに、直感で、素直に従うことでもあり、
要するに、マトリックスから自由になって行動し、まさしく、自分独自のセカイを生きる事です。
そんなヴァカは魅力的ですから、そうして相手は引きこまれる。その様を、相手をヴァカす、
といいますが、これは自分の「場と化す」の意味です。自分のフィールドに持ち込むことで、
さっきまで、よそよそしかった相手の場を、自分の場(フィールド)に同化させるわけですね。
または、いったん相手のフィールドに乗ったフリをして、最終的に、こちらの場にしてしまう。
よく「男と女は化かしあい」なんていいますが、それぞれの場(フィールド)を感化させあい、
主導権を握りあってる様子です。ヴァカなフリをして求めてみたり、軽く引いてみたりなど、
まさに自分の場(フィールド)に引きずりこもうと、ヴァカしあいをしている。これが交流です。
相手をこちらの得意パターンに持ち込み、あれよあれよと持っていくのが「ヴァカ」すことで、
逆に相手に、こちらがしてやられた場合は、「ヴァカ」にされた事になり、この際の強者とは、
自分のもつ場(フィールド)のエネルギーの大きさによって決まります。より自由で、柔軟で、
どちらが「ヴァカぢから」があるかどうか?つまり「ヴァカ」とは、自分の場と化す、能力です。
そして、何無派道場では、この「ヴァカ」の能力をひたすら磨くことになります。前回述べた、
自分のセカイに引きずり込むという事が「場化」であり、そのためにやるべき事は何なのか?
まずは瞑想という、自分の肉体で無心になって、思考レベルを落とす、「ナンヴァ」修行です。
そして、もう一つが、相手の意識レベルを下へと落としていくための語学、「落語」であります。
これが「コトヴァ」です。瞑想の「ナンヴァ」に続き、次は、言霊修行の「コトヴァ」に入ります。
なんといっても、思い通りにならない欲求不満がはなはだしく、そんな自分に、そして、
女性達に嫌気がさしてしまいます。実をいうと、これはマトリックスの仕業なんですね。
まずナンパを始めるにあたり、世間では、大っぴらに路上などのオープンスペースで、
女性を求めるのが、あまりよろしくないとされていますから、世間の常識という制限から
飛びださなくてはいけません。それは周囲の視線という形でも、実感できると思います。
そして、もう一つは自己評価の低さですね。自分なんか相手にされるのだろうかという、
引っ込み思案のマイナスな思考。そういった世間の目や、自分に対する評価によって、
ナンパにブレーキをかけられますが、こういった不自然な抑制がマトリックスの仕業で、
考えてみれば、男と女が惹きあうのはごく自然で、何のためらいもいらないというのに!
それなのに、抑制するバグを植え付けられて、すっかり管理されてしまっているのです。
あたかも牧場で飼われている家畜のように、学校や会社等で隣の席にいるメスとだけ、
お前は交尾しとけばいいんだと、非常に制限された中での慰みだけを与えられている。
しかし、そんな中でも、自分の頭で再生される他人の声(止める思考のこと)を無視し、
ナンパワールドに足を踏み入れる勇者は後をたちません。と同時に、挫折する敗者も、
後をたたないわけですが、なぜそんな事になるのでしょうか?もちろんマトリックスです。
★
いかに最初は、ナンパなんてムリだという常識ある世界から飛びだしても、マトリックスは、
あの手この手を使って、あなたのパワーを奪い、ナンパを辛いものだと思わせようとする。
よくあるケースは、声かけれるようになっても、声かけ数が少ないしと悩んで、声かけ数が
多い人でも、連絡先聞けない俺はダメだと焦り、連絡先聞ける人は再会できないと苦しみ、
ゲットできるようになった人は、安っぽい女ばかりで、イイ女にいけないと卑屈になっている。
そして、それぞれが出来ない人にとっては、声かけれるだけいいじゃないかよ、連絡先を
聞けるだけいいじゃない、再会出来るんだったら問題ナシだ、ゲットできるなら最高じゃん、
という風に、うらやましくも思えてしまいます。でも、うらやましそうでいて、当人は不幸です。
一体、これは何なんだ?と思いました。こんな事なら、最高にイイ女をゲットしようが、まだ、
もっとイイ女がいるはずだとなり、もっとゲットだ!と、ずーっと永遠に欲求不満が続きます。
そんな修行は、まっぴらごめんですよ。どの段階で挫折しようが、自分も次の段階に昇り、
新たな結果が出ていたら満足だったのに、でもムリだったわ、という心残りでくたばります。
私は絶対に、こんな人の喜びを奪うシステムなんか、ぶち壊したろう、と心底思いました。
そこでナンパ革命だと一人で息まいて、地下に潜ったわけです。長い長い消耗戦でした・・。
なぜこの戦いが難しいかというと、マトリックスは人の思考にとりつくため、私が求めていた、
新しいナンパを創り出すという考え自体にもとりつかれ、非常に遠回りさせられたからです。
またこれは、最高のイイ女をナンパする!という考えにもとりつかれ、散々、振り回されて、
とんでもない方向に引っ張られた事もありました。とにかく、考えすぎるとロクな事にならず、
実際は、答えは目の前にあるのに気づかず、目隠しされてしまい、時間を浪費させられる。
ただ行けばいいんですよ。最短距離で行けばいい。段階もいらない。最初は、それが一番!
ナンパで成功体験のある人は、わかりますよね?成功した時、あまりにあっけなく感じて、
今までの苦労は何だったんだ!と思った事ありませんか?人は、一夜にして覚醒します。
それなのに、うまくいかなくて苦しんでるというのは、遠回りさせられてるんです。自分の
思考によって。そして、何度もいうように、それは自分の思考じゃない、他者の言葉です。
マトリックスの触手が、あなたの後頭部に伸び、いつの間にか接続しています。そして、
植え付けたバグを再生させたり、あなたが無力だという夢を見せられる。たとえば、よく、
声かけて失敗した後、横にいたカップルがこっち見て笑ってやがる!などと傷ついても、
その時、冷静になって、そのカップルを見ると、全然気づいてもなかったりするわけです。
人間ていうのは、現実を見ていない。というか、見れません。記憶を再生しているだけで、
だからこそ、歪んだ記憶を外部に投射しているうちに、思考に閉じ込められてしまいます。
普段は気づきませんが、ナンパに出ると、それが顕著です。その証拠に、あなたは苦しむ。
★
そんなわけで、この何無派道場では、まずは、なんとかして、この無駄な思考の連鎖から、
自由になるすべとして、瞑想を勧めています。自分の肉体であるナンヴァの中にひたって、
ボーッとするだけ。すると、自分の思考が、実は自分の思考じゃないと、実感できてきます。
いかに多くのバグが混入されているかが分かり、自由になっていくわけですが、ポイントは、
ナンパで落ち込む事があった時こそ、瞑想が深まる点で、自分の間違いが、よく見えます。
落ち込むって事は、グーンと内向する事ですから、要するに、内側を見ろという反応です。
だからこそ、凹むことは宝であり、うまくいってもいかなくても、面白くてしょうがない遊戯で、
失敗なんて一つもない。日々、学びがあるだけです。とはいえ、この瞑想というのは地味で、
やる気が出ないかもしれませんが、ここで初めて明かします。実は、瞑想を続けると、いとも
簡単に女性と結合できるようになります。(あーあ、書いてしまった。まぁ最後だからいいか)
この瞑想という、何もしないでただ感じるという地味な修行は、実は『超ゲットタイプ』となる、
最大の近道でした。私はそれを、出来る限り隠していました。なぜなら、これでガンガンに、
ゲットできるぜ!なんて思いながらやると、まったくもって瞑想にならないから!だからこそ、
矛盾するようですが、無欲でやってほしい。すると逆に、真のナンヴァとしての覚醒がある。
今はまだ、どんな事態になるのか、性的な要素は述べませんが、相手の本能センターに、
強烈な働きかけが出来るようになります。しかし、それ以前に、先程述べたように、自分の
思考を見つめる事ができて整理されますし、単純に、ナンヴァにエネルギーが充填されて、
スッキリできます。そして次第に、思考が消えて、まるで鏡のように透明な意識になります。
そうなると邪魔する思考がありませんから、インスピレーションという形で、新鮮な考えが、
浮かんでくる事が増えてきて、この気づきによって、自分のセカイを創っていけるわけです。
そして当然、この瞑想は、実際に女性に声をかけ、交流する中でも、非常に役立ってきます。
なぜなら思考を弱める、思考の影響力から自由になる練習ですから、自分が自由に行動し、
ノビノビとしていられるだけでなく、声をかけた相手に対しても、同様に働きかける事ができて、
相手の思考センターをも弱めやすくなる。自分に対して出来る事は、相手にも簡単にできる。
相手の思考センターを弱めたいなら、まずは自分が先に弱めるんです。そして誘導していく。
人間には、大まかに捉えると、3つのセンターがあります。頭にある「思考センター」と、胸に
ある「感情センター」、そして下腹部にある「本能センター」です。ナンパの標準的な流れは、
まず「思考」に働きかけ心を開かせ、「感情」を揺さぶり感動させ、最後に「本能」を刺激する。
もちろん、順番が違うことも多いですが、たいていは、「思考」の頭から、「感情」の胸、そして、
「本能」の下腹部へと、中心を落としていきます。上から下へと、相手の意識レベルを落として、
かつ昔からある、「女を落とす」という言葉から連想されるように、この相手を落としていく誘導、
一連のトーク自体をひとつの語学として「落語」と呼び、何無派師は、この「落語」を学びます。
そして、当然ながら「落語」では、相手の思考センターを弱めるところから始めます。ところが、
自分自身が、思考センターがガンガンに作用していると、相手も同様に、落ちてくれません・・。
だからこそ、まずは自分が思考センターを弱めていくことを率先して始めます。それが、要は、
「ヴァカ」というやつで、出来る限り、思考を作用させないよう、理屈に通らない矛盾を言ったり、
ギャグを放ったり、笑わせたりと、相手がまともに対処するのを、ヴァカらしくしてしまえばいい。
ヴァカは、本当に強いですよ。思考センターの強張りを解いて、心を開かせます。ヴァカ最高!
★
しかし、ヴァカというのは、たんにバカらしい事を言うという意味だけではありません。理性を
無視して、ヴァカ素直に行動するだとか、自分の気持ちに、直感で、素直に従うことでもあり、
要するに、マトリックスから自由になって行動し、まさしく、自分独自のセカイを生きる事です。
そんなヴァカは魅力的ですから、そうして相手は引きこまれる。その様を、相手をヴァカす、
といいますが、これは自分の「場と化す」の意味です。自分のフィールドに持ち込むことで、
さっきまで、よそよそしかった相手の場を、自分の場(フィールド)に同化させるわけですね。
または、いったん相手のフィールドに乗ったフリをして、最終的に、こちらの場にしてしまう。
よく「男と女は化かしあい」なんていいますが、それぞれの場(フィールド)を感化させあい、
主導権を握りあってる様子です。ヴァカなフリをして求めてみたり、軽く引いてみたりなど、
まさに自分の場(フィールド)に引きずりこもうと、ヴァカしあいをしている。これが交流です。
相手をこちらの得意パターンに持ち込み、あれよあれよと持っていくのが「ヴァカ」すことで、
逆に相手に、こちらがしてやられた場合は、「ヴァカ」にされた事になり、この際の強者とは、
自分のもつ場(フィールド)のエネルギーの大きさによって決まります。より自由で、柔軟で、
どちらが「ヴァカぢから」があるかどうか?つまり「ヴァカ」とは、自分の場と化す、能力です。
そして、何無派道場では、この「ヴァカ」の能力をひたすら磨くことになります。前回述べた、
自分のセカイに引きずり込むという事が「場化」であり、そのためにやるべき事は何なのか?
まずは瞑想という、自分の肉体で無心になって、思考レベルを落とす、「ナンヴァ」修行です。
そして、もう一つが、相手の意識レベルを下へと落としていくための語学、「落語」であります。
これが「コトヴァ」です。瞑想の「ナンヴァ」に続き、次は、言霊修行の「コトヴァ」に入ります。
posted by fmtbank at 16:18| カテゴリ無し
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2011年12月14日
セカイ系のナンパのすすめ(使徒来襲!)
何無派(ナンパ)道場へ、ようこそおいでくださりました!道場長のフミトバンクです。
私も名目上は「ナンパ引退」としていましたが、その影で、マトリックスから身をかわし、
いかにして人を目覚めさせるか?実験を繰り返していました。そして三年前に表した、
ナンパに対する結論、ナンパ十牛図を越える世界観が構築できたので、発表します。
これまでも「何無派道場」については表現しようとしてきたのですが、どうもしっくりこず、
断片的で終わっていました。文章よりもCGを用いて、多元的に伝えたいと思い始めて、
中途半端にになっていたのです。しかし、気づいたら、もう2011年も終わりを迎えて、
これじゃいけないと、なかば強引でもいいので、すべてを総括しておこうと思いました。
来年2012年は、ひたすらナンパの実録音声の発表に心血を注ぐつもりで、文章は、
そろそろいいかなと卒業気分です。やはり自分の事を冷静に分析すると、最高の強み
は音声メルマガだったと分かりました。ああいう形でのクオリティは、群を抜いています。
ナンパの台詞に対して、頭おかしい程のマニアですし、感情の揺れ動きなどの機微も、
声の調子でほぼ分かるほど、長けています。何よりもコトヴァの編集が得意ですから、
ある意味、日本一だと分かっていました。(なんていう、狭いニッチな分野での自慢!)
それなのに、寡作にも程がある・・・。一つの作品に、どんだけ時間かかるねん、という
話ですよ。本来は、ガンガン毎週のように発表するつもりだったのが、全然ダメでした。
でも、もう決めました。来年こそは、ナンパの貴重な音源すべてを、発表し尽くします!
★
そのためにも、今年いっぱいは、これまでに伝えていなかったことを、ちゃんと書いて、
スッキリしたいと思いました。もうこれで、ナンパに関して、長々と説明するのは最後に
なります。ナンパ十牛図完成からの三年間を経て到達した、本当の最終結論ですね。
最後なので、ちゃんと体系だてて説明したいので、最初は重複する部分もありますが、
どうかご勘弁を!といっても、このブログで表現できるのは、一つのセカイ観だけです。
おいおい、ナンパするのに「セカイ観」なんて必要ないよ、テクニックを教えろと思う方、
多いと思いますが、ナンパワールドに深入りしてみれば分かります。そんな甘かない。
頭でテクニックばかり意識していても、なかなか使えないし、たとえ成功できたとしても、
それを繰り返しているうちに、すぐに、つまんなくなるでしょう。実は、満足度の高さは、
テクニックより、その人の持つ「セカイ観」に大きく左右されます。これこそが全てです。
よく「彼は自分のセカイを持っている」といいますが、あれですね。ただし、それだけでは、
ごく一部の人しか理解できない趣味に没頭しているだけの、閉じた人になってしまいます。
そんな閉鎖系のセカイではなく、初対面の女性とわかちあえて、その場で相手によって、
自分のセカイを柔軟に形を変え、表現を変えて、うまく引きずりこむ事のできる開放系の
セカイの事です。相手は、あなたのセカイ観に触れると、その魅力に夢中になってしまう。
なぜなら、あなたは世間の常識に縛られた、マトリックスの奴隷ではなく、自由になった、
稀少的な存在であり、女性にとっても、普段の不自然で窮屈な自分から解放してくれて、
思いっきり自然体に戻して、快感を与えてくれる、いわゆる「救世主ネオ」だからなんです。
昔からある、女性の王子様願望というやつ、地位だとかお金だとか、そういう物質的な
時代はもう終わりをつげ、精神的な豊かさをもたらしてくれる王子様が求められており、
むしろ王子様というより、救世主です。そして彼は、精神的に豊かで、自分の心の中に
王国を持っており、その統治者、つまり王様です。だから王国に招待してあげればいい。
つまり、精神的な王者である事が、自分独自のセカイを持っているということになります。
ですので、この道場では、ナンパにおいて、自分独自のセカイを構築するための方法を
お教えします。方法というのは、一つの形ですから、そのままマネすると、コピー人間に
なり果てますから、そんなに細かい指示は出しませんし、あくまで参考にする程度です。
ただし最初は、自分のセカイを創っていく上で、何が最適なのか見当もつかないですし、
いろいろと他者の持つパターンをマネして取り入れていってください。しばらくマネすると、
自分にとって不要なものは勝手に排除され、自動的に、取捨選択が行われていきます。
完全にオリジナルなセカイというのはなく、いろんな外的情報を素材として構築していき、
気がついたら、自分のセカイが出来あがっているという寸法で、これは自分1人だけで、
創るものではなく、ナンパで出会う女性達と共に時間をかけて創出する共同作業です。
例えば、笑わせるために考えた台詞でも、実際に言ってみてハズそうが、そのまんま、
その子と話しているうちに、アドリブが出てきて、今までしたこともない、面白い流れが
生まれて、今後もそのトークを使うようになったりする。つまり、引き出されたのですね。
自分の魅力というのは、自分で認識して準備する以上に、相手によって引き出される。
というよりもナンパ自体が、自分の未知の部分を、どんどん女性達によって引き出され、
新たな自分を発見していく旅だといえます。この「発見」というのがすごい大事なんです!
★
自分のセカイを構築するにあたり、最高の素材は「発見」です。あらかじめ自分にあった、
自分本来のものを発見するわけですから、その素材は安定してて、ムリがないんですね。
だから最初っから、自分本来の素材でセカイを創ればいいんですが、残念ながら、全然、
自分では見えないし、自分の潜在的な才能なんかも、サッパリわかりません。だからこそ、
面白いわけだし、隠れていたものを引き出してくれる、女性という存在が必要になってくる。
ただし引き出されるのは、自分の魅力的な部分だけではなく、卑屈さや傲慢さなどの、もう、
自分では見たくないよ、というマイナスな面も、どんどん白日のもとに引っ張り出されます。
もう嫌になっちゃう程、恥ずかしい目に、いっぱいあいます。先程は、自分の王国を統治する
王様になり、そこに女性を招くと、比喩しましたが、「俺はすごい」なんて自慢げにしていると、
その女性に「王様はハダカだー!」と失笑され、完全にハダカの王様の自分に気づくことも。
その時、ショックで、いったんあなたのセカイは破壊されます。立ち直れない程の大激震・・。
しかし、この破壊される事こそが素晴らしいんです!破壊された後、しばらく動けませんが、
また起き上がり、あなたは再び、自分のセカイを構築し始めます。破壊の際に残っていた、
まだ使える所は使い、あいた空間には、また新たな素材を用いて、新しいセカイを創ります。
実は、この破壊と再生を繰り返すことによって、あなたのセカイはより安定して強固になり、
より魅力的に、より柔軟になっていきます。修羅場をくぐった人が強くなるように、はたまた、
芸術家が何度も作品を失敗しては、自分の腕を磨いていくように、セカイも豊かになります。
あなたは自分のセカイを破壊と創造の繰り返しによって、構築していく。映画『インセプション』
でも、夢のセカイを構築する者のことを「アーキテクチャー」と呼んでいましたが、それと同様、
ナンパにおいても、あなたはこの現実世界と仮想現実の中間をデザインする、創造者です。
そして、一番難しいのが「破壊」です。どうしても自分には甘くなり、しょぼいセカイであろうと、
すでに慣れ親しんでるからという理由で、現状維持しようとしてしまう。そこで女という他者が
現れ、見事に破壊してくれるわけです。そして破壊された後、あらためて復活すると、今度は、
今まで出会うことができなかった、最高に可愛い女が現れ、思いっきり喜びを与えてくれる。
これは、あなたのセカイがヴァージョンアップした、その印として感じられるし、束の間の癒し
でしかない場合もありますが、その時はまた、あなたは、さらに新たな地平を目指すのです。
つまり、女性というものは、たんに快感を与えてくれるだけではなく、あなたの不要なものを
破壊したり、気づかせてくれたり、より素晴らしいセカイを共に創り上げるための協力者で、
だからこそ、うやうやしく、そして恐れもこめて、「使徒」と呼びます。まさしく「使徒来襲」です。
「使徒」はメッセージを携えてくる者の意味でありますが、「天使」と「悪魔」という両義でも
あります。とにかく未知なる存在で、どんな理由で送られてくるのか分からないから面白い。
そもそも、あなたはマトリックスにつけこまれていますから、どうでもいい価値にしがみつき、
真実を観察できなくなっています。そのマトリックスの鎖を破壊し、自由にしてくれる存在が、
「使徒」といっていいかもしれません。あなたを調整し、破壊し、助長し、目覚めさせる味方!
これから修行に出るにつけ、あなたには、その場に適した「使徒」が送られて、時には喜び、
時にはドン底に落ち込みつつ、自らのセカイを拡張していくことでしょう。それは、この世で、
最高のぜいたくであり、この交流こそが、流転するセカイの真理、陰と陽のつむぎあいです。
それでは明日は、この使徒との交流、バトルをどうすればいいか?の基本に入りましょう。
それは非常に簡単で、一言で表されます。要するに、「ヴァカ」というやつです。ヴァカ〜!
私も名目上は「ナンパ引退」としていましたが、その影で、マトリックスから身をかわし、
いかにして人を目覚めさせるか?実験を繰り返していました。そして三年前に表した、
ナンパに対する結論、ナンパ十牛図を越える世界観が構築できたので、発表します。
これまでも「何無派道場」については表現しようとしてきたのですが、どうもしっくりこず、
断片的で終わっていました。文章よりもCGを用いて、多元的に伝えたいと思い始めて、
中途半端にになっていたのです。しかし、気づいたら、もう2011年も終わりを迎えて、
これじゃいけないと、なかば強引でもいいので、すべてを総括しておこうと思いました。
来年2012年は、ひたすらナンパの実録音声の発表に心血を注ぐつもりで、文章は、
そろそろいいかなと卒業気分です。やはり自分の事を冷静に分析すると、最高の強み
は音声メルマガだったと分かりました。ああいう形でのクオリティは、群を抜いています。
ナンパの台詞に対して、頭おかしい程のマニアですし、感情の揺れ動きなどの機微も、
声の調子でほぼ分かるほど、長けています。何よりもコトヴァの編集が得意ですから、
ある意味、日本一だと分かっていました。(なんていう、狭いニッチな分野での自慢!)
それなのに、寡作にも程がある・・・。一つの作品に、どんだけ時間かかるねん、という
話ですよ。本来は、ガンガン毎週のように発表するつもりだったのが、全然ダメでした。
でも、もう決めました。来年こそは、ナンパの貴重な音源すべてを、発表し尽くします!
★
そのためにも、今年いっぱいは、これまでに伝えていなかったことを、ちゃんと書いて、
スッキリしたいと思いました。もうこれで、ナンパに関して、長々と説明するのは最後に
なります。ナンパ十牛図完成からの三年間を経て到達した、本当の最終結論ですね。
最後なので、ちゃんと体系だてて説明したいので、最初は重複する部分もありますが、
どうかご勘弁を!といっても、このブログで表現できるのは、一つのセカイ観だけです。
おいおい、ナンパするのに「セカイ観」なんて必要ないよ、テクニックを教えろと思う方、
多いと思いますが、ナンパワールドに深入りしてみれば分かります。そんな甘かない。
頭でテクニックばかり意識していても、なかなか使えないし、たとえ成功できたとしても、
それを繰り返しているうちに、すぐに、つまんなくなるでしょう。実は、満足度の高さは、
テクニックより、その人の持つ「セカイ観」に大きく左右されます。これこそが全てです。
よく「彼は自分のセカイを持っている」といいますが、あれですね。ただし、それだけでは、
ごく一部の人しか理解できない趣味に没頭しているだけの、閉じた人になってしまいます。
そんな閉鎖系のセカイではなく、初対面の女性とわかちあえて、その場で相手によって、
自分のセカイを柔軟に形を変え、表現を変えて、うまく引きずりこむ事のできる開放系の
セカイの事です。相手は、あなたのセカイ観に触れると、その魅力に夢中になってしまう。
なぜなら、あなたは世間の常識に縛られた、マトリックスの奴隷ではなく、自由になった、
稀少的な存在であり、女性にとっても、普段の不自然で窮屈な自分から解放してくれて、
思いっきり自然体に戻して、快感を与えてくれる、いわゆる「救世主ネオ」だからなんです。
昔からある、女性の王子様願望というやつ、地位だとかお金だとか、そういう物質的な
時代はもう終わりをつげ、精神的な豊かさをもたらしてくれる王子様が求められており、
むしろ王子様というより、救世主です。そして彼は、精神的に豊かで、自分の心の中に
王国を持っており、その統治者、つまり王様です。だから王国に招待してあげればいい。
つまり、精神的な王者である事が、自分独自のセカイを持っているということになります。
ですので、この道場では、ナンパにおいて、自分独自のセカイを構築するための方法を
お教えします。方法というのは、一つの形ですから、そのままマネすると、コピー人間に
なり果てますから、そんなに細かい指示は出しませんし、あくまで参考にする程度です。
ただし最初は、自分のセカイを創っていく上で、何が最適なのか見当もつかないですし、
いろいろと他者の持つパターンをマネして取り入れていってください。しばらくマネすると、
自分にとって不要なものは勝手に排除され、自動的に、取捨選択が行われていきます。
完全にオリジナルなセカイというのはなく、いろんな外的情報を素材として構築していき、
気がついたら、自分のセカイが出来あがっているという寸法で、これは自分1人だけで、
創るものではなく、ナンパで出会う女性達と共に時間をかけて創出する共同作業です。
例えば、笑わせるために考えた台詞でも、実際に言ってみてハズそうが、そのまんま、
その子と話しているうちに、アドリブが出てきて、今までしたこともない、面白い流れが
生まれて、今後もそのトークを使うようになったりする。つまり、引き出されたのですね。
自分の魅力というのは、自分で認識して準備する以上に、相手によって引き出される。
というよりもナンパ自体が、自分の未知の部分を、どんどん女性達によって引き出され、
新たな自分を発見していく旅だといえます。この「発見」というのがすごい大事なんです!
★
自分のセカイを構築するにあたり、最高の素材は「発見」です。あらかじめ自分にあった、
自分本来のものを発見するわけですから、その素材は安定してて、ムリがないんですね。
だから最初っから、自分本来の素材でセカイを創ればいいんですが、残念ながら、全然、
自分では見えないし、自分の潜在的な才能なんかも、サッパリわかりません。だからこそ、
面白いわけだし、隠れていたものを引き出してくれる、女性という存在が必要になってくる。
ただし引き出されるのは、自分の魅力的な部分だけではなく、卑屈さや傲慢さなどの、もう、
自分では見たくないよ、というマイナスな面も、どんどん白日のもとに引っ張り出されます。
もう嫌になっちゃう程、恥ずかしい目に、いっぱいあいます。先程は、自分の王国を統治する
王様になり、そこに女性を招くと、比喩しましたが、「俺はすごい」なんて自慢げにしていると、
その女性に「王様はハダカだー!」と失笑され、完全にハダカの王様の自分に気づくことも。
その時、ショックで、いったんあなたのセカイは破壊されます。立ち直れない程の大激震・・。
しかし、この破壊される事こそが素晴らしいんです!破壊された後、しばらく動けませんが、
また起き上がり、あなたは再び、自分のセカイを構築し始めます。破壊の際に残っていた、
まだ使える所は使い、あいた空間には、また新たな素材を用いて、新しいセカイを創ります。
実は、この破壊と再生を繰り返すことによって、あなたのセカイはより安定して強固になり、
より魅力的に、より柔軟になっていきます。修羅場をくぐった人が強くなるように、はたまた、
芸術家が何度も作品を失敗しては、自分の腕を磨いていくように、セカイも豊かになります。
あなたは自分のセカイを破壊と創造の繰り返しによって、構築していく。映画『インセプション』
でも、夢のセカイを構築する者のことを「アーキテクチャー」と呼んでいましたが、それと同様、
ナンパにおいても、あなたはこの現実世界と仮想現実の中間をデザインする、創造者です。
そして、一番難しいのが「破壊」です。どうしても自分には甘くなり、しょぼいセカイであろうと、
すでに慣れ親しんでるからという理由で、現状維持しようとしてしまう。そこで女という他者が
現れ、見事に破壊してくれるわけです。そして破壊された後、あらためて復活すると、今度は、
今まで出会うことができなかった、最高に可愛い女が現れ、思いっきり喜びを与えてくれる。
これは、あなたのセカイがヴァージョンアップした、その印として感じられるし、束の間の癒し
でしかない場合もありますが、その時はまた、あなたは、さらに新たな地平を目指すのです。
つまり、女性というものは、たんに快感を与えてくれるだけではなく、あなたの不要なものを
破壊したり、気づかせてくれたり、より素晴らしいセカイを共に創り上げるための協力者で、
だからこそ、うやうやしく、そして恐れもこめて、「使徒」と呼びます。まさしく「使徒来襲」です。
「使徒」はメッセージを携えてくる者の意味でありますが、「天使」と「悪魔」という両義でも
あります。とにかく未知なる存在で、どんな理由で送られてくるのか分からないから面白い。
そもそも、あなたはマトリックスにつけこまれていますから、どうでもいい価値にしがみつき、
真実を観察できなくなっています。そのマトリックスの鎖を破壊し、自由にしてくれる存在が、
「使徒」といっていいかもしれません。あなたを調整し、破壊し、助長し、目覚めさせる味方!
これから修行に出るにつけ、あなたには、その場に適した「使徒」が送られて、時には喜び、
時にはドン底に落ち込みつつ、自らのセカイを拡張していくことでしょう。それは、この世で、
最高のぜいたくであり、この交流こそが、流転するセカイの真理、陰と陽のつむぎあいです。
それでは明日は、この使徒との交流、バトルをどうすればいいか?の基本に入りましょう。
それは非常に簡単で、一言で表されます。要するに、「ヴァカ」というやつです。ヴァカ〜!
posted by fmtbank at 13:58| カテゴリ無し
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