もうずいぶん前から、ナンパについて語ることのダサさ、特に理屈を
語る者はナンパを楽しんでない、という矛盾に直面していた。だって、
そんな理屈なんぞ後付けでしかないし、時間の無駄。利口ぶっても、
体系立てても、方便にすぎず、それは本当は何も役に立ちやしない。
理屈を携えてナンパを始めようとしても、路上に出れば、見事なほど
覆される。そんな上品な体裁はいらない。ダメでカッコ悪くて下品で、
どうしようもなくていい。めっちゃくちゃ下手にやる。皆、そこから始め
た。大事なのは、この現状肯定と、あとは変化し続けるストーリーだ。
つまり、理屈よりもストーリーが大事であり、文章では限界を感じた。
★
では、あと私は何をすればいいのだろう?それは明らかに音声表現
である。自分の特色を一言でいえば、「極限まで押しの強いナンパ」と
「極限まで引きの強いナンパ」の両極を体験したこと、そしてその過程
を録音したことだった。そういう人は、たぶん他にいないし出てこない。
押しのナンパは、すぐわかると思う。声かけて数分でやっちゃう系で、
若者がクラブとかでよくやってるし、大勢いるだろう。元ひきこもりが
ナンパを始めたため、最初は本当に苦労した。不自然で下手だった。
しかし、内気だからこそ、その反動からか極限まで押しが強くなった。
ところで引きのナンパはわかりづらい。やる人が少ないし、まだまだ
未開発だった。そこで、どうせやるなら日本一、引いてみようと思い、
徹底的に、頭おかしい程に引いてみた。ナンパスタイルを正反対にし
極限まで引ききった。これで『覚醒プログラム』と『脱出プログラム』、
相反する陰と陽で補完しあえる。(試しに、ツイッター風に更新した。)
2012年02月06日
理屈ほど退屈なものはない(ツイッター風)
posted by fmtbank at 15:08| カテゴリ無し
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2012年02月01日
はじめて訪れる方へのガイド(用語解説)
はじめまして!当ブログの管理人である、フミトバンクと申します。(自己紹介はこちら)
初めて訪れる方にとって、この「タダでナンパする!」というブログは、どうも小難しくて、
とっつきにくいと思います。しかし、断言します。ある程度、読むだけでナンパ観が変わる。
このブログを読んだだけでナンパ出来るようになった人も、たくさんいます。本音をいうと、
とことん革命を意識し、こもっているエネルギーがハンパないから当然だと思っています。
なお、このブログのテーマを一言でいえば、「ひきこもりとナンパ」です。数年ひきこもり、
そこからナンパに目覚めていった男が、内向的な人のために、内省的に書いてきました。
つまり、遊び人のナンパというよりも、地味で、本来ナンパしないような人に向けています。
ただし、初期と今では、内容が全然違ってきており、大きく分けて、三つの段階があります。
1、ナンパ覚醒期(元ひきこもりが、全てを賭けてナンパに挑み、普通にナンパできるまで)
2、ナンパ脱出期(運命の一人と結ばれるために、同じ場所で声をかけ続けた逆ナンパ期)
3、密教的修行期(目の前の世界自体を仮想現実とし、悟りを徹底的に茶化すナンパ末期)
(1の「覚醒期」と2の「脱出期」は、実録音声の教材として販売しております。⇒ SHOPにて)
この三つの段階に共通するのが、「ひきこもり」です。まず最初は元ひきこもりがナンパする、
今では、よくある話ですね。この頃は今まで抑圧していた反動で、やたら外出し、遠征します。
心身共に、外へ!外へ!向かっていく、自分の殻から飛び出していく躍動感に満ちてました。
この第一段階が、ナンパが新鮮な「ファーストインパクト」の時代です。続いて、次第に自分
の内向的な部分が再び出てきてしまう「セカンドインパクト」の時代に転じます。運命の一人
を見つけるために、軽い相手をGETするのは止めて、禁欲的なナンパに身を投じる事になる。
すると今度は、うってかわって方向性が反転し、内へ!内へ!向かっていくことになりました。
なぜなら、運命の一人を見つけて、結ばれるという事は、自我を消滅させることだったのです。
最終的に私は、日本で最もナンパな街のごく狭い一区画という、同じ場所で延々ナンパします。
まるで、その小さな牢獄に閉じ込められた者のように、さらにはテクニックをどんどん捨てて、
あえて不利な状況に自分を追い込み、涙目になりながら、人生最悪のドロ沼にはまっていく。
私は、その狭い区画に、ひきこもったのです。そして、最高のイイ女が1人いればいいという、
ロマンチシズムの思想の中にも、ひきこもり、気が遠くなる程に粘り続けました。そして最後、
息絶える寸前の瞬間、全てが逆転します。セカイは目の前でケタケタと笑い、真理が現れる。
それは努力はいらず、探す必要も無く、全ては自動的に与えられまくる、という発見でした・・。
そうして三段階目の「サードインパクト」の時代に入ります。これは悟りの世界。ナンパ末期。
もはや多くの女をGETしよう、だとか、運命の一人と結ばれよう、だとかのナンパも卒業です。
結局、どんなに成功しようが永続的な満足はありません。ならば、悟っちゃおう、と思い立つ。
悟りというのは「差とり」であり、自分と他の差がとれる意味ですが、そうなったらもう最高で、
世界の全てが自分になり、目に映るもの全てが自分、または自分などなくて、全てが世界!
実は、人間は個別で存在していない。個体は幻想。というよりも、今生きている世界自体が、
実際には存在していなくて、全ては仮想現実という真理に立った、第三のナンパであります。
これは一見、難しそうに思えますが、実は簡単。子供時代に戻ったように、自由に遊ぶだけ。
なんせ人生そのものが、たんなる仮想空間の究極ゲームであり、壮大な「ごっこ」ですから。
しかし、仮想現実が前提だなんて、普通のナンパしか知らない方は、この独特な世界観に、
ついていけず、勝手に造語も作ってますから、ややこしいだけで、読みづらいと思います。
ですので、出来るだけ理解されやすいように、用語解説をのせておきます。どうぞ参考に。
★
<第三のナンパの用語解説>
・ニュータイプ: 以前はナンパするようなタイプではない内気な人で、ナンパに目覚めた者。
・第三のナンパ: エヴァンゲリオンと修験道をモデルにした、究極のひきこもりナンパ世界。
・何無派(ナンパ): 世間のナンパや、ネット上のスト的世界ではなく、純日本風なナンパ。
・何無派道場: ネット上にあるナンパの道場で、道長の名はフミトバンク(当ブログ管理人)。
・行(ぎょう): ナンパ修行のこと、もはや「ナンパ」という文字は、便宜上に使うだけである。
・何無派十牛図: 禅の十牛図に、ナンパの成長を表わした十段階。下に行く程、難しくなる。
・出家(しゅっけ): ナンパ修行のために外出すること。ナンパワールドに侵入するともいう。
・ナンパワールド: 修行するために入る仮想空間のこと。主に、魔地(まち)や未地(みち)。
・魔地(まち): 街のこと。怠惰や逃避の誘惑が多く、魔が差すため、魔の地と呼ばれる。
・未地(みち): 道のこと。ストリート。誰が現れ、何が起こるかわからない、未知なる道。
・ナンヴァ(何無場): 自分の肉体のこと。まるでエヴァに乗り込むようにして、肉体を操る。
・ナンヴァ行(ぎょう): 自分の肉体の中で、心静かに落ちつき、瞑想すること。座禅、立禅。
・ナンヴァ歩き: 肉体であるナンヴァを、まるでペットのように散歩させて、メスへと近づける。
・ヴァッキ(場起): 散歩中のナンヴァがメスを見て興奮したり、何かの拍子に勃起すること。
・地蔵(じぞう): 声かけれずにナンヴァがフリーズしてしまうこと。石の地蔵のように固まる。
・シンクロ率: ナンヴァをどれ位、自分の意思で操れるかの同調率。低くなると地蔵になる。
・マトリックス: ナンヴァの思考にとりつき、ネガティブな幻想を見せて、エネルギーを奪う。
・マトリックスの奴隷: 自分はブサイク、オヤジ、貧乏、口下手など、思い込まされ動けない。
・3つのセンター: ナンヴァには、思考センター、感情センター、本能センターの3つがある。
・思考センター: 頭の部分にあり、想像力の源だが、マトリックスに狙われ、我を失いがち。
・感情センター: 胸の部分にあり、感受性の中心だが、傷つきやすいため、閉ざしやすい。
・本能センター: 下腹部にあり、行動力の源だというのに、他の二つにパワーを奪われがち。
・解放行(回峰行): マトリックスに囚われた女性達を解放し、自他共に、自然体に戻すこと。
(ナンパ修行者は、自己と相手の3つのセンターを解放し、正常化させるエコロジストである。)
・コトヴァ(言場): 口から発する言葉でもって、女性とのシンクロ率を上げ、状況を変える。
・コトヴァ行(ぎょう): 修行で使う台詞を、一人で音読して口慣らしすること。読経ともいう。
・サンヴァ(参場): ナンヴァ歩きのこと。まるで参拝するかの如く、女性に声をかけていく。
・アンビリカルケーブル: へその緒の意味。女性があなたを誘惑する際に伸ばすゴムひも。
・シヴァ(死場): 無視したり冷たい反応で、あなたの余計な自意識を壊してくれる女性たち。
・対シンクロ率: 女性との接続率。高いほど、深いコミュニケーションができて、気持ちいい。
・使徒(しと): あなたを自由にするために現れる女性で、何らかのメッセージを携えている。
・セカイ: あなたが自由になるよう、適した使徒を送り込んできたり、助けてくれるシステム。
(つまり、善なるシステムが「セカイ」であり、悪なるシステムが「マトリックス」というバランス)
<今回のガイダンスは、適時更新します>
初めて訪れる方にとって、この「タダでナンパする!」というブログは、どうも小難しくて、
とっつきにくいと思います。しかし、断言します。ある程度、読むだけでナンパ観が変わる。
このブログを読んだだけでナンパ出来るようになった人も、たくさんいます。本音をいうと、
とことん革命を意識し、こもっているエネルギーがハンパないから当然だと思っています。
なお、このブログのテーマを一言でいえば、「ひきこもりとナンパ」です。数年ひきこもり、
そこからナンパに目覚めていった男が、内向的な人のために、内省的に書いてきました。
つまり、遊び人のナンパというよりも、地味で、本来ナンパしないような人に向けています。
ただし、初期と今では、内容が全然違ってきており、大きく分けて、三つの段階があります。
1、ナンパ覚醒期(元ひきこもりが、全てを賭けてナンパに挑み、普通にナンパできるまで)
2、ナンパ脱出期(運命の一人と結ばれるために、同じ場所で声をかけ続けた逆ナンパ期)
3、密教的修行期(目の前の世界自体を仮想現実とし、悟りを徹底的に茶化すナンパ末期)
(1の「覚醒期」と2の「脱出期」は、実録音声の教材として販売しております。⇒ SHOPにて)
この三つの段階に共通するのが、「ひきこもり」です。まず最初は元ひきこもりがナンパする、
今では、よくある話ですね。この頃は今まで抑圧していた反動で、やたら外出し、遠征します。
心身共に、外へ!外へ!向かっていく、自分の殻から飛び出していく躍動感に満ちてました。
この第一段階が、ナンパが新鮮な「ファーストインパクト」の時代です。続いて、次第に自分
の内向的な部分が再び出てきてしまう「セカンドインパクト」の時代に転じます。運命の一人
を見つけるために、軽い相手をGETするのは止めて、禁欲的なナンパに身を投じる事になる。
すると今度は、うってかわって方向性が反転し、内へ!内へ!向かっていくことになりました。
なぜなら、運命の一人を見つけて、結ばれるという事は、自我を消滅させることだったのです。
最終的に私は、日本で最もナンパな街のごく狭い一区画という、同じ場所で延々ナンパします。
まるで、その小さな牢獄に閉じ込められた者のように、さらにはテクニックをどんどん捨てて、
あえて不利な状況に自分を追い込み、涙目になりながら、人生最悪のドロ沼にはまっていく。
私は、その狭い区画に、ひきこもったのです。そして、最高のイイ女が1人いればいいという、
ロマンチシズムの思想の中にも、ひきこもり、気が遠くなる程に粘り続けました。そして最後、
息絶える寸前の瞬間、全てが逆転します。セカイは目の前でケタケタと笑い、真理が現れる。
それは努力はいらず、探す必要も無く、全ては自動的に与えられまくる、という発見でした・・。
そうして三段階目の「サードインパクト」の時代に入ります。これは悟りの世界。ナンパ末期。
もはや多くの女をGETしよう、だとか、運命の一人と結ばれよう、だとかのナンパも卒業です。
結局、どんなに成功しようが永続的な満足はありません。ならば、悟っちゃおう、と思い立つ。
悟りというのは「差とり」であり、自分と他の差がとれる意味ですが、そうなったらもう最高で、
世界の全てが自分になり、目に映るもの全てが自分、または自分などなくて、全てが世界!
実は、人間は個別で存在していない。個体は幻想。というよりも、今生きている世界自体が、
実際には存在していなくて、全ては仮想現実という真理に立った、第三のナンパであります。
これは一見、難しそうに思えますが、実は簡単。子供時代に戻ったように、自由に遊ぶだけ。
なんせ人生そのものが、たんなる仮想空間の究極ゲームであり、壮大な「ごっこ」ですから。
しかし、仮想現実が前提だなんて、普通のナンパしか知らない方は、この独特な世界観に、
ついていけず、勝手に造語も作ってますから、ややこしいだけで、読みづらいと思います。
ですので、出来るだけ理解されやすいように、用語解説をのせておきます。どうぞ参考に。
★
<第三のナンパの用語解説>
・ニュータイプ: 以前はナンパするようなタイプではない内気な人で、ナンパに目覚めた者。
・第三のナンパ: エヴァンゲリオンと修験道をモデルにした、究極のひきこもりナンパ世界。
・何無派(ナンパ): 世間のナンパや、ネット上のスト的世界ではなく、純日本風なナンパ。
・何無派道場: ネット上にあるナンパの道場で、道長の名はフミトバンク(当ブログ管理人)。
・行(ぎょう): ナンパ修行のこと、もはや「ナンパ」という文字は、便宜上に使うだけである。
・何無派十牛図: 禅の十牛図に、ナンパの成長を表わした十段階。下に行く程、難しくなる。
・出家(しゅっけ): ナンパ修行のために外出すること。ナンパワールドに侵入するともいう。
・ナンパワールド: 修行するために入る仮想空間のこと。主に、魔地(まち)や未地(みち)。
・魔地(まち): 街のこと。怠惰や逃避の誘惑が多く、魔が差すため、魔の地と呼ばれる。
・未地(みち): 道のこと。ストリート。誰が現れ、何が起こるかわからない、未知なる道。
・ナンヴァ(何無場): 自分の肉体のこと。まるでエヴァに乗り込むようにして、肉体を操る。
・ナンヴァ行(ぎょう): 自分の肉体の中で、心静かに落ちつき、瞑想すること。座禅、立禅。
・ナンヴァ歩き: 肉体であるナンヴァを、まるでペットのように散歩させて、メスへと近づける。
・ヴァッキ(場起): 散歩中のナンヴァがメスを見て興奮したり、何かの拍子に勃起すること。
・地蔵(じぞう): 声かけれずにナンヴァがフリーズしてしまうこと。石の地蔵のように固まる。
・シンクロ率: ナンヴァをどれ位、自分の意思で操れるかの同調率。低くなると地蔵になる。
・マトリックス: ナンヴァの思考にとりつき、ネガティブな幻想を見せて、エネルギーを奪う。
・マトリックスの奴隷: 自分はブサイク、オヤジ、貧乏、口下手など、思い込まされ動けない。
・3つのセンター: ナンヴァには、思考センター、感情センター、本能センターの3つがある。
・思考センター: 頭の部分にあり、想像力の源だが、マトリックスに狙われ、我を失いがち。
・感情センター: 胸の部分にあり、感受性の中心だが、傷つきやすいため、閉ざしやすい。
・本能センター: 下腹部にあり、行動力の源だというのに、他の二つにパワーを奪われがち。
・解放行(回峰行): マトリックスに囚われた女性達を解放し、自他共に、自然体に戻すこと。
(ナンパ修行者は、自己と相手の3つのセンターを解放し、正常化させるエコロジストである。)
・コトヴァ(言場): 口から発する言葉でもって、女性とのシンクロ率を上げ、状況を変える。
・コトヴァ行(ぎょう): 修行で使う台詞を、一人で音読して口慣らしすること。読経ともいう。
・サンヴァ(参場): ナンヴァ歩きのこと。まるで参拝するかの如く、女性に声をかけていく。
・アンビリカルケーブル: へその緒の意味。女性があなたを誘惑する際に伸ばすゴムひも。
・シヴァ(死場): 無視したり冷たい反応で、あなたの余計な自意識を壊してくれる女性たち。
・対シンクロ率: 女性との接続率。高いほど、深いコミュニケーションができて、気持ちいい。
・使徒(しと): あなたを自由にするために現れる女性で、何らかのメッセージを携えている。
・セカイ: あなたが自由になるよう、適した使徒を送り込んできたり、助けてくれるシステム。
(つまり、善なるシステムが「セカイ」であり、悪なるシステムが「マトリックス」というバランス)
<今回のガイダンスは、適時更新します>
posted by fmtbank at 17:32| カテゴリ無し
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2012年01月30日
声かけが平気になるATフィールド
声をかける時に、全然平気な時と、妙に傷つきやすくて、おっかない時がありませんか?
なぜ、いつも平気になれないのか?地蔵気味になってしまう人は、常に声かけれるよう、
自由になるのを目標としたりします。ところが、相手の冷たい反応に傷ついてしまうので、
なかなか難しい。そこで自分のナンヴァを守るための基本的なポイントをお伝えします。
まずは、バカらしくとも、実際に物質的な盾を使って、女性の反応から我が身を守る方法。
例えば、腕組みしながら声かけると、心臓を守っているからか、安心でき、意外に平気です。
ただし腕組みしながら声かけるなんて不自然ですから、カバンを使います。出来ることなら、
カバンを盾のようにして両手で持ち、声かけた女性との間に挟み込んで、隠れるようにして
話せば、怖さはずっと薄まります。でもそんな事したら、もっと不自然になってしまうでしょう。
ですので妥協案として、普通にカバンは方手で持ちますが、声をかける時に女性側に向け、
常にカバンのある方に、女性がいるようにします。そうすると、多少なりともカバンを挟んで、
しかも手がピンと伸びて少し緊張していますから、相手と壁というか、心的距離ができます。
緊張すると状況が見えなくなるように、緊張状態は相手の情報を遮断します。だからこそ、
全身を緊張させず、相手側に面した腕の部分だけを少し緊張させて、シンクロ率を低める。
さらにカバンとそれを持つ伸びた手の直線上に、シールドを想像すれば、なお相手からの
言葉に影響されなくなります。これを「ATフィールド」と呼びます。我が身を守るバリアです。
ただ相手との間に壁があると想像するだけで、本当に効果があります。安心感が生まれる。
なんだよ、結局は想像するだけかよ、と思うかもしれませんが、この世で最も大切なのは、
想像力です。でも何もないところから想像するのは難しいので、具体的に体を動かしたり、
実際にあるものを利用して、想像にリアルさを出します。すると脳は、本気でそう思い込む。
今の例では、カバンとその重みで緊張して固く伸びた腕という実感を利用して、体の側面に、
バリアを想像しました。何もないところでバリアを想像するより、体の実感があると容易です。
とにかく想像で大事なのは実感です。実感の伴わない想像は空想となり、力を持ちません。
★
それでは、想像上の「ATフィールド」に、ちゃんと実感をもてるような実例をみていきましょう。
例えば、道ゆく女性に、ただ挨拶していく訓練がありますが、ほんの一言挨拶して、そのまま
通り過ぎるというのに、傷ついてしまいます。怖くてしかたがない。ところが、声を前に飛ばし、
意識を前に向ければ全く平気になる。これはATフィールドを前に向けて放射しているんです。
ATフィールドは、ただ壁を作るだけでなく、その壁を前に向けてグン!と押し出すことも出来、
その際、相手からの情報は、こちらに来ません。どんなに冷たい反応をとられようが来ない。
仕組みは簡単です。意識が自分から外側(→)に向かっているため、アウトプットになります。
ところが、相手の反応を気にする場合、内側(←)に意識が向かい、相手の情報を呼び込み、
自分の中に入れてしまう。好反応だけならいいですが、冷たい嫌な反応も、取り入れてしまう。
これは呼吸と同じで、相手からの情報を吸ってるのか?吐いてるのか?との違いだけです。
つまり、挨拶の訓練というのは、吸うのではなく、吐き出すだけの訓練です。これは、いわば、
ATフィールドを外側に向かって放射する練習なんです。相手がどんな反応をしようが、もう、
一瞬で前に吹き飛ばす。ほんの一瞬ですし、意識が外に向いていれば、無傷でいられます。
そんな時に、平気じゃんか!と実感が伴い、ATフィールドが作用している事がわかるのです。
一方、声をかけて道を尋ねる「道聞き」の訓練は、挨拶の訓練と正反対になります。こちらは、
相手から情報を引き出すので、いわゆる呼吸でいうと、吸い込む練習です。しっかり相手と、
つながって、特定の場所への行き方という情報をもらいます。矢印も内側(←)になりますね。
この時、ATフィールドは相手を跳ね飛ばすようにはならず、お互いのフィールドは同調して、
情報のやりとりが出来るようになっています。ただし意識の接続(シンクロ率)は10%ほどで、
たんに事務的な情報の交換をしているにすぎませんが、基本の第一歩の訓練なので充分。
ここから慣らしていくことで、次第にもっと深い情報のやりとりが出来るようになるわけです。
ただし、「道聞き」だけの訓練で慣らしていった人の弱点は、ATフィールドを外側に向かって、
放射する訓練をしていないため、意識が内向き(←)になりやすく、無視されただけで凹んで、
たとえその後、連絡先やGETで結果が出たとしても、また地蔵に戻りやすい傾向があります。
それも当然で、自分を守るためのATフィールドが形成されず、相手から影響を受けやすい。
しかし必ず、怒りが湧いてきたり、めちゃくちゃに声かけてやろう!と開き直ったりと、後から、
相手の反応はどうでもいい、という思いが湧き上がってきます。何無派十牛図でいう「戦士」
の段階ですが、大抵この時に、ATフィールドは外側へ向かい、しっかり形成されるでしょう。
もともと、挨拶の訓練は、それを一番初めに、最も簡単な形でやってしまって、最初から、
ATフィールドを形成してしまうという狙いがありました。また1からナンパを再開するならば、
道聞きと挨拶、両方やると、鬼に金棒でしょう。なお、ATフィールドの話、まだまだ続きます。
なぜ、いつも平気になれないのか?地蔵気味になってしまう人は、常に声かけれるよう、
自由になるのを目標としたりします。ところが、相手の冷たい反応に傷ついてしまうので、
なかなか難しい。そこで自分のナンヴァを守るための基本的なポイントをお伝えします。
まずは、バカらしくとも、実際に物質的な盾を使って、女性の反応から我が身を守る方法。
例えば、腕組みしながら声かけると、心臓を守っているからか、安心でき、意外に平気です。
ただし腕組みしながら声かけるなんて不自然ですから、カバンを使います。出来ることなら、
カバンを盾のようにして両手で持ち、声かけた女性との間に挟み込んで、隠れるようにして
話せば、怖さはずっと薄まります。でもそんな事したら、もっと不自然になってしまうでしょう。
ですので妥協案として、普通にカバンは方手で持ちますが、声をかける時に女性側に向け、
常にカバンのある方に、女性がいるようにします。そうすると、多少なりともカバンを挟んで、
しかも手がピンと伸びて少し緊張していますから、相手と壁というか、心的距離ができます。
緊張すると状況が見えなくなるように、緊張状態は相手の情報を遮断します。だからこそ、
全身を緊張させず、相手側に面した腕の部分だけを少し緊張させて、シンクロ率を低める。
さらにカバンとそれを持つ伸びた手の直線上に、シールドを想像すれば、なお相手からの
言葉に影響されなくなります。これを「ATフィールド」と呼びます。我が身を守るバリアです。
ただ相手との間に壁があると想像するだけで、本当に効果があります。安心感が生まれる。
なんだよ、結局は想像するだけかよ、と思うかもしれませんが、この世で最も大切なのは、
想像力です。でも何もないところから想像するのは難しいので、具体的に体を動かしたり、
実際にあるものを利用して、想像にリアルさを出します。すると脳は、本気でそう思い込む。
今の例では、カバンとその重みで緊張して固く伸びた腕という実感を利用して、体の側面に、
バリアを想像しました。何もないところでバリアを想像するより、体の実感があると容易です。
とにかく想像で大事なのは実感です。実感の伴わない想像は空想となり、力を持ちません。
★
それでは、想像上の「ATフィールド」に、ちゃんと実感をもてるような実例をみていきましょう。
例えば、道ゆく女性に、ただ挨拶していく訓練がありますが、ほんの一言挨拶して、そのまま
通り過ぎるというのに、傷ついてしまいます。怖くてしかたがない。ところが、声を前に飛ばし、
意識を前に向ければ全く平気になる。これはATフィールドを前に向けて放射しているんです。
ATフィールドは、ただ壁を作るだけでなく、その壁を前に向けてグン!と押し出すことも出来、
その際、相手からの情報は、こちらに来ません。どんなに冷たい反応をとられようが来ない。
仕組みは簡単です。意識が自分から外側(→)に向かっているため、アウトプットになります。
ところが、相手の反応を気にする場合、内側(←)に意識が向かい、相手の情報を呼び込み、
自分の中に入れてしまう。好反応だけならいいですが、冷たい嫌な反応も、取り入れてしまう。
これは呼吸と同じで、相手からの情報を吸ってるのか?吐いてるのか?との違いだけです。
つまり、挨拶の訓練というのは、吸うのではなく、吐き出すだけの訓練です。これは、いわば、
ATフィールドを外側に向かって放射する練習なんです。相手がどんな反応をしようが、もう、
一瞬で前に吹き飛ばす。ほんの一瞬ですし、意識が外に向いていれば、無傷でいられます。
そんな時に、平気じゃんか!と実感が伴い、ATフィールドが作用している事がわかるのです。
一方、声をかけて道を尋ねる「道聞き」の訓練は、挨拶の訓練と正反対になります。こちらは、
相手から情報を引き出すので、いわゆる呼吸でいうと、吸い込む練習です。しっかり相手と、
つながって、特定の場所への行き方という情報をもらいます。矢印も内側(←)になりますね。
この時、ATフィールドは相手を跳ね飛ばすようにはならず、お互いのフィールドは同調して、
情報のやりとりが出来るようになっています。ただし意識の接続(シンクロ率)は10%ほどで、
たんに事務的な情報の交換をしているにすぎませんが、基本の第一歩の訓練なので充分。
ここから慣らしていくことで、次第にもっと深い情報のやりとりが出来るようになるわけです。
ただし、「道聞き」だけの訓練で慣らしていった人の弱点は、ATフィールドを外側に向かって、
放射する訓練をしていないため、意識が内向き(←)になりやすく、無視されただけで凹んで、
たとえその後、連絡先やGETで結果が出たとしても、また地蔵に戻りやすい傾向があります。
それも当然で、自分を守るためのATフィールドが形成されず、相手から影響を受けやすい。
しかし必ず、怒りが湧いてきたり、めちゃくちゃに声かけてやろう!と開き直ったりと、後から、
相手の反応はどうでもいい、という思いが湧き上がってきます。何無派十牛図でいう「戦士」
の段階ですが、大抵この時に、ATフィールドは外側へ向かい、しっかり形成されるでしょう。
もともと、挨拶の訓練は、それを一番初めに、最も簡単な形でやってしまって、最初から、
ATフィールドを形成してしまうという狙いがありました。また1からナンパを再開するならば、
道聞きと挨拶、両方やると、鬼に金棒でしょう。なお、ATフィールドの話、まだまだ続きます。
posted by fmtbank at 13:46| カテゴリ無し
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2012年01月15日
すべて相手にお任せしたら、死ぬ程ラク!
前回お伝えした、最もラクな「ゴムひも声かけ法」は、ちゃんとうまく出来た人は、ほとんど
いなかったかもしれません。それでも、なんとなくラクにする方向性は伝わったでしょうか?
引きこもりがナンパするためには、ジワジワと慣らしてから、逃げ道を失くし、自ら追い込む。
そんな短期集中の火事場の馬鹿力を発揮させるだけが、ナンパに覚醒する道ではなくて、
もっと他のルートがあるのでは?と、私は思い始めました。やはり基本、引きこもりですから、
ナンパに慣れて熱意が冷めてからは、人と関わる事自体が、面倒になってしまったのです。
だからといって、外出ゼロは嫌です。そこでウンザリする程、いろいろと試行してみました。
そして、とにかくナンパをラクにしたい。それにこだわり続けて数年後、完全に気づきました。
すべてを受け身にすればいいんだ、と。自分から、いろいろやらなくてもいい。むしろ邪魔!
★
実は、自分から意識して何かする事によって、自らダメにしていたんだと、わかったんです。
不安だから、今のままじゃダメだ、足りないと思うからこそ、頑張ろうとします。行動します。
これは本当に疲れる。一時的に、パワーは出るけど無理してるから反動で、すぐつぶれる。
例えば大勢に声かけれたのに、日がたつとアッという間に地蔵に戻ったり、幾つか連絡先を
聞いたのに再会できなかったら、とたんにヘソを曲げて、モチベーションが下がったりします。
そういう人達の話を聞くと、言葉は悪いけど、鼻クソみたいな少量の実践で、自分をダメだと
決めつけていますが、どこか勘違いしています。声かけて相手にされないと、愚痴るなんて、
ビラ配りが「ビラをもらってくんないよ〜!」と騒ぐようなものです。涼しい顔をしてればいい。
また、連絡先を聞いても、次につながらないのなんて、飲食店のオーナーが、「お客さんが、
なんでまた来てくれないんだよー!」と、全員の客に対して、いちいち嘆くようなものでしょう。
口に合う、合わないあるし、店の雰囲気の好みもある。万人受けする大衆店なのか、少数の
趣味人が集うような敷居の高い店か?でも違いますが、それでも必ずリピーターは現れます。
どの店でも、リピーターを増やすために知恵をしぼり、パワーを注いでいますが、たいがい、
お客さんは、また来てくれません。全員なんて、もちろん無理です。たまたま入ってくれて、
「おいしかったから、また来るよー。」と言ってくれても、それが実現されないのは、ごく普通・・。
これは、ただの社交辞令の場合もありますが、本当においしかったと感じても、日が変わり、
記憶が薄れると、わざわざ足を運ぶのが面倒くさくなります。よっぽどの特別な何かがないと
行きません。近所にあるような、ありふれた味を、いちいち電車を乗り継いで行きませんよね。
それと同様に、ナンパでの再会も、相手が「いい店見つけたー!」と感激しないと実現しない。
・・と思いきや、なんとなく、また行ってみようかと思ったり、「今日は中華、今日はソバな気分」
と、食べ物も体調によって欲しがるのが変わるように、相手の欲求によっても、左右されます。
時間がたってから急にメールが来たりもするし、逆に相手の気が変わり、ドタキャンもされる。
また相手が空腹なら、何でもおいしく感じてしまうため、すぐに飛びついてくる。失恋したてで、
とにかく誰かと繋がりたいと思っていたり、逆に、男はもういいと、引いた気分になったりする。
そんな感じで、リピーターとなる相手は、こちらのテクニック以前に、自分のリズムがあります。
だから、あんまり、というか、まったく気にする必要はなく、ただ快適な店づくりをするだけです。
来てくれないんだったら別に構やしない。こっちはこっちで楽しくやってる。縁がない人は不要。
この、縁がある人とは再会する。会えないって事は、縁がないだけという達観は、本当にラク!
★
何人声かけても成功しない自分はダメ男だ、いくら連絡先を聞いても再会できないからダメ、
なんて発想は不毛です。声かけは「参拝」ですから、多ければ多い程、心は澄んでいきます。
そして、なぜか全然再会できない人は、いい加減、あきらめてしまうのも、一つの手でしょう。
連絡先聞いたからって、再会できる、できない、だとかは忘れて、期待を捨ててしまいます。
ジタバタするのをやめてしまう。女性というのは、自分の前に使わされてくる「使徒」ですから、
何らかのメッセージを携えたエンジェルにすぎません。こちらは、それを受け止めるだけです。
無駄な出会いなど全くなくて、今、必要な相手だけが目の前に現れる。必要じゃない相手なら、
これまた勝手に、目の前から消えてくれます。再会の約束をしても、向こうからドタキャンする。
この世界観は、すんごいラク!だって、お任せしてしまえばいいんですよ。ナンパが苦しいの
ならば、降参してください。もはや自分から、変に「行動」しようとしない。だって疲れるでしょ?
厳密にいうと、「行動」と「行(ぎょう)」は違います。「行動」は自分から行って、動くことですが、
「行(ぎょう)」は、ただ行って、勝手に動きが生まれるのを観察する事です。自らの動きなど、
不要です。自らは何もしなくていい、ただ行くだけ。だって、行けば、物事は勝手に起きます。
街に行けば、「使徒」は送られてきます。向こうから来る。探す必要もない。そして何らかの
誘惑をしかけてくる。可愛さなのか、色っぽさなのか、あえてスキをつくるのか、各自が違う
トーンの誘惑を無意識に仕掛けてくるので、それに乗るか?乗らないか?決めるだけです。
相手に気づいた時点で、微妙な引力を感じますから、肉体であるナンヴァは近づこうとして、
相手に意識が集中します。その時、やる事は、近づくことを許せばいいだけです。そうして、
勝手に体が引き寄せられますから、そこで何が起こるか、様子を見てればいいという調子。
前回は、この受動的な声かけを、ゴムヒモを使ったイメージでお伝えしました。傍から見ると、
男が積極的に、女に声かけてるようですが、見えないところでは、実は、女が男を引っ張って、
声かけさせているのです。女がその見た目で先に誘惑し、男がそれに踊らされているだけ・・。
しかも会話自体も、実は、女の方から、こちらの台詞を引っ張り出しています。一見、トークが
スラスラと出てきて、男が女を口説いているように見えますが、女が男の中にあるコトヴァを
どんどん引っ張り出している。その証拠に、相手によって、トークの調子が変わりますよね?
やはり調子がいい時というのは、無心になっています。無心になると、精神の奥深い所から、
コトヴァが引っ張り出されるので気持ちいいし、もうその時点で、シンクロ率は上がっている。
なんでこんなアドリブが出てきたんだろ、と自分で驚いたことないですか?自分で意識して
話そうとしても、とてもじゃないが思いつかなかった発想や、これまで使っていた同じ台詞が
新しいアレンジで口から放たれることが、ナンパでは起こります。一人では無理だったのに、
相手がいたからこそ出てきたコトヴァ。つまり、相手があなたから、引っ張り出したのですね。
このように言葉も相手が引き出してくれるから、お任せしてしまえばいい。我々がやるのは、
初動の台詞を発するだけです。最初はゼロだから、どうしてもエンジンをかける時のように、
会話をスタートするための台詞を発しなくてはいけません。しかし、いったん会話が流れて
しまえば、その流れ自体が、次々と言葉を勝手に引き出していく。動き出したら、手放しです。
ただし、引き出されるんですから、あくまでも自分の中にある言葉がMIXされて出てくるので、
自分の中にない言葉は出てきません。だからこそ、準備としての「読経」を勧めてきました。
★
ナンパで使う台詞を音読することを「読経」といいます。これは「どきょう」と読み、文字通り、
ナンパの台詞を口慣らししておくことで、平気になり、「度胸」がつく、という意味もあります。
「読経」が身につくと、間違いなく「度胸」がつくんですよ。平然とスラスラと言葉が出てくる。
実際やったことのある人はわかると思いますが、ちょっと音読しただけで、もうすぐにでも、
声かけて話せるような気持ちになったでしょう?ならなかった人は、もっと時間をかければ、
平気になります。何も考えなくても、口が勝手に動くまでやれば、他に何の心配があります?
トークに不安がある人は、とにかく音読です。日本語だから、ただ黙読するだけですぐ使える
と思ってたら大間違いです。ちゃんと発声して、口に慣らしておかないと、なかなか出ません。
また広辞苑を音読して、日本語の勉強を根本からやろうとしている方もいましたが、正直、
ナンパに関しては無意味です。そういう広すぎる範囲では、まず実践向きではありません。
「経」というのは「今日」という意味もあり、今日修行にいって使うかもしれない、モロ直接的な
台詞だからこそ有効で、長い目で見てというスタンスだと、役立ってるのかどうかも分からず、
アホらしくて続きません。(私も無意味な音読をたくさんし、恐ろしい程の時間を無駄にした。)
さらに最後に、もう一度強調しておきます。ナンパの台詞自体は、せいぜい初動の部分のみ、
意識して使うだけで、後は相手に任せます。相手の反応によって、こちらの中からコトヴァが
引き出されていく感覚です。全部相手が先導してくれます。こちらが頭で組み立てていようが、
現実のトークは違った風になるため、頭で考えている事自体が、邪魔になってしまうのです。
よく言葉が出てこない、という人は多いですが、それは音読不足、もしくは自分から心を閉じ、
引き出されないようにガードしています。相手から影響を受けないようにしている。じゃなくて、
相手から影響を受けることが、言葉を引き出されることなのですから、抵抗なんぞ無用です。
お任せモードで、次は自分の中から、どんな言葉や感情が引き出されるのか、ワクワクして、
高見の見物をしてればいいんです。それが受け身スタンスのナンパで、疲れない極意です。
しかしながら、この相手任せ、状況任せにするというのが、おっかなくて、一番難しいわけで、
これを実践するためにも、守りが必要になります。そこで次回は「ATフィールド」の説明です。
いなかったかもしれません。それでも、なんとなくラクにする方向性は伝わったでしょうか?
引きこもりがナンパするためには、ジワジワと慣らしてから、逃げ道を失くし、自ら追い込む。
そんな短期集中の火事場の馬鹿力を発揮させるだけが、ナンパに覚醒する道ではなくて、
もっと他のルートがあるのでは?と、私は思い始めました。やはり基本、引きこもりですから、
ナンパに慣れて熱意が冷めてからは、人と関わる事自体が、面倒になってしまったのです。
だからといって、外出ゼロは嫌です。そこでウンザリする程、いろいろと試行してみました。
そして、とにかくナンパをラクにしたい。それにこだわり続けて数年後、完全に気づきました。
すべてを受け身にすればいいんだ、と。自分から、いろいろやらなくてもいい。むしろ邪魔!
★
実は、自分から意識して何かする事によって、自らダメにしていたんだと、わかったんです。
不安だから、今のままじゃダメだ、足りないと思うからこそ、頑張ろうとします。行動します。
これは本当に疲れる。一時的に、パワーは出るけど無理してるから反動で、すぐつぶれる。
例えば大勢に声かけれたのに、日がたつとアッという間に地蔵に戻ったり、幾つか連絡先を
聞いたのに再会できなかったら、とたんにヘソを曲げて、モチベーションが下がったりします。
そういう人達の話を聞くと、言葉は悪いけど、鼻クソみたいな少量の実践で、自分をダメだと
決めつけていますが、どこか勘違いしています。声かけて相手にされないと、愚痴るなんて、
ビラ配りが「ビラをもらってくんないよ〜!」と騒ぐようなものです。涼しい顔をしてればいい。
また、連絡先を聞いても、次につながらないのなんて、飲食店のオーナーが、「お客さんが、
なんでまた来てくれないんだよー!」と、全員の客に対して、いちいち嘆くようなものでしょう。
口に合う、合わないあるし、店の雰囲気の好みもある。万人受けする大衆店なのか、少数の
趣味人が集うような敷居の高い店か?でも違いますが、それでも必ずリピーターは現れます。
どの店でも、リピーターを増やすために知恵をしぼり、パワーを注いでいますが、たいがい、
お客さんは、また来てくれません。全員なんて、もちろん無理です。たまたま入ってくれて、
「おいしかったから、また来るよー。」と言ってくれても、それが実現されないのは、ごく普通・・。
これは、ただの社交辞令の場合もありますが、本当においしかったと感じても、日が変わり、
記憶が薄れると、わざわざ足を運ぶのが面倒くさくなります。よっぽどの特別な何かがないと
行きません。近所にあるような、ありふれた味を、いちいち電車を乗り継いで行きませんよね。
それと同様に、ナンパでの再会も、相手が「いい店見つけたー!」と感激しないと実現しない。
・・と思いきや、なんとなく、また行ってみようかと思ったり、「今日は中華、今日はソバな気分」
と、食べ物も体調によって欲しがるのが変わるように、相手の欲求によっても、左右されます。
時間がたってから急にメールが来たりもするし、逆に相手の気が変わり、ドタキャンもされる。
また相手が空腹なら、何でもおいしく感じてしまうため、すぐに飛びついてくる。失恋したてで、
とにかく誰かと繋がりたいと思っていたり、逆に、男はもういいと、引いた気分になったりする。
そんな感じで、リピーターとなる相手は、こちらのテクニック以前に、自分のリズムがあります。
だから、あんまり、というか、まったく気にする必要はなく、ただ快適な店づくりをするだけです。
来てくれないんだったら別に構やしない。こっちはこっちで楽しくやってる。縁がない人は不要。
この、縁がある人とは再会する。会えないって事は、縁がないだけという達観は、本当にラク!
★
何人声かけても成功しない自分はダメ男だ、いくら連絡先を聞いても再会できないからダメ、
なんて発想は不毛です。声かけは「参拝」ですから、多ければ多い程、心は澄んでいきます。
そして、なぜか全然再会できない人は、いい加減、あきらめてしまうのも、一つの手でしょう。
連絡先聞いたからって、再会できる、できない、だとかは忘れて、期待を捨ててしまいます。
ジタバタするのをやめてしまう。女性というのは、自分の前に使わされてくる「使徒」ですから、
何らかのメッセージを携えたエンジェルにすぎません。こちらは、それを受け止めるだけです。
無駄な出会いなど全くなくて、今、必要な相手だけが目の前に現れる。必要じゃない相手なら、
これまた勝手に、目の前から消えてくれます。再会の約束をしても、向こうからドタキャンする。
この世界観は、すんごいラク!だって、お任せしてしまえばいいんですよ。ナンパが苦しいの
ならば、降参してください。もはや自分から、変に「行動」しようとしない。だって疲れるでしょ?
厳密にいうと、「行動」と「行(ぎょう)」は違います。「行動」は自分から行って、動くことですが、
「行(ぎょう)」は、ただ行って、勝手に動きが生まれるのを観察する事です。自らの動きなど、
不要です。自らは何もしなくていい、ただ行くだけ。だって、行けば、物事は勝手に起きます。
街に行けば、「使徒」は送られてきます。向こうから来る。探す必要もない。そして何らかの
誘惑をしかけてくる。可愛さなのか、色っぽさなのか、あえてスキをつくるのか、各自が違う
トーンの誘惑を無意識に仕掛けてくるので、それに乗るか?乗らないか?決めるだけです。
相手に気づいた時点で、微妙な引力を感じますから、肉体であるナンヴァは近づこうとして、
相手に意識が集中します。その時、やる事は、近づくことを許せばいいだけです。そうして、
勝手に体が引き寄せられますから、そこで何が起こるか、様子を見てればいいという調子。
前回は、この受動的な声かけを、ゴムヒモを使ったイメージでお伝えしました。傍から見ると、
男が積極的に、女に声かけてるようですが、見えないところでは、実は、女が男を引っ張って、
声かけさせているのです。女がその見た目で先に誘惑し、男がそれに踊らされているだけ・・。
しかも会話自体も、実は、女の方から、こちらの台詞を引っ張り出しています。一見、トークが
スラスラと出てきて、男が女を口説いているように見えますが、女が男の中にあるコトヴァを
どんどん引っ張り出している。その証拠に、相手によって、トークの調子が変わりますよね?
やはり調子がいい時というのは、無心になっています。無心になると、精神の奥深い所から、
コトヴァが引っ張り出されるので気持ちいいし、もうその時点で、シンクロ率は上がっている。
なんでこんなアドリブが出てきたんだろ、と自分で驚いたことないですか?自分で意識して
話そうとしても、とてもじゃないが思いつかなかった発想や、これまで使っていた同じ台詞が
新しいアレンジで口から放たれることが、ナンパでは起こります。一人では無理だったのに、
相手がいたからこそ出てきたコトヴァ。つまり、相手があなたから、引っ張り出したのですね。
このように言葉も相手が引き出してくれるから、お任せしてしまえばいい。我々がやるのは、
初動の台詞を発するだけです。最初はゼロだから、どうしてもエンジンをかける時のように、
会話をスタートするための台詞を発しなくてはいけません。しかし、いったん会話が流れて
しまえば、その流れ自体が、次々と言葉を勝手に引き出していく。動き出したら、手放しです。
ただし、引き出されるんですから、あくまでも自分の中にある言葉がMIXされて出てくるので、
自分の中にない言葉は出てきません。だからこそ、準備としての「読経」を勧めてきました。
★
ナンパで使う台詞を音読することを「読経」といいます。これは「どきょう」と読み、文字通り、
ナンパの台詞を口慣らししておくことで、平気になり、「度胸」がつく、という意味もあります。
「読経」が身につくと、間違いなく「度胸」がつくんですよ。平然とスラスラと言葉が出てくる。
実際やったことのある人はわかると思いますが、ちょっと音読しただけで、もうすぐにでも、
声かけて話せるような気持ちになったでしょう?ならなかった人は、もっと時間をかければ、
平気になります。何も考えなくても、口が勝手に動くまでやれば、他に何の心配があります?
トークに不安がある人は、とにかく音読です。日本語だから、ただ黙読するだけですぐ使える
と思ってたら大間違いです。ちゃんと発声して、口に慣らしておかないと、なかなか出ません。
また広辞苑を音読して、日本語の勉強を根本からやろうとしている方もいましたが、正直、
ナンパに関しては無意味です。そういう広すぎる範囲では、まず実践向きではありません。
「経」というのは「今日」という意味もあり、今日修行にいって使うかもしれない、モロ直接的な
台詞だからこそ有効で、長い目で見てというスタンスだと、役立ってるのかどうかも分からず、
アホらしくて続きません。(私も無意味な音読をたくさんし、恐ろしい程の時間を無駄にした。)
さらに最後に、もう一度強調しておきます。ナンパの台詞自体は、せいぜい初動の部分のみ、
意識して使うだけで、後は相手に任せます。相手の反応によって、こちらの中からコトヴァが
引き出されていく感覚です。全部相手が先導してくれます。こちらが頭で組み立てていようが、
現実のトークは違った風になるため、頭で考えている事自体が、邪魔になってしまうのです。
よく言葉が出てこない、という人は多いですが、それは音読不足、もしくは自分から心を閉じ、
引き出されないようにガードしています。相手から影響を受けないようにしている。じゃなくて、
相手から影響を受けることが、言葉を引き出されることなのですから、抵抗なんぞ無用です。
お任せモードで、次は自分の中から、どんな言葉や感情が引き出されるのか、ワクワクして、
高見の見物をしてればいいんです。それが受け身スタンスのナンパで、疲れない極意です。
しかしながら、この相手任せ、状況任せにするというのが、おっかなくて、一番難しいわけで、
これを実践するためにも、守りが必要になります。そこで次回は「ATフィールド」の説明です。
posted by fmtbank at 16:09| カテゴリ無し
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2012年01月01日
最もラクチンなゴムひも声かけ方法
新年あけましておめでとうございます、フミトバンクです。ついに辰年!最強の年となります。
これまで発表を抑えてきた、私が一番やりたかった「マークシックス計画」を、表面化させて、
あなたを、めくるめく真のナンヴァの世界へと招待したいと思います。これまでの内容なんぞ、
あくまで導入部分です。ついてこれない人が多いと思って、遠慮していたんですが、もうOK!
去年はウサギ年でしたから、『不思議の国のアリス』や、映画『マトリックス』に出てきたように、
主人公を誘導する、白ウサギの気分でした。『マトリックス』のネオも、「白ウサギを追え!」と、
メッセージをもらい、明日仕事が早いからと迷ったけれど、結局、外に出かけ、冒険が始まる。
あなたも、よくぞこのブログを読むのを止めずに、ここまでついてこられました。そして中には、
「覚醒プログラム」だけでなく、「脱出プログラム(序と破)」まで、到達された方もいるでしょう。
そんなあなたは、今年、ネオのように、あの赤いカプセルを飲んで、目覚めることになります。
覚悟はいいですか?ナンパワールドのさらに奥地へと入りこむことは、狂気スレスレですよ。
本当に大丈夫ですか?常識人だけでなく、普通のナンパ師達にも、多分ヴァカにされますよ。
それでも構やしない、毎日が面白くなればいい、頭が狂ってもいい、という方は、歓迎します。
恒例の巫女による舞いにて、あなたをウェルカム。どうぞ、道場の奥の間へとお進みください。
この舞いは、去年と同じようですが、意味は、<使徒来襲(マークシックスの胎動)>となり、
少々違います。例えば、天井にて覚醒している姿こそが月面でのマークシックスの胎動で、
また、顔を隠したり、同一人物がクローンのように増えている様子が使徒を表わしています。
街に修行にいくと、次から次へと使徒が送られてきますが、皆、個性がバラバラのように見え、
その実、同じような根源から送られてくる、似たような存在です。ただし目的は、ただ一つだけ!
あなたを目覚めさせ、面白がらせ、喜ばすために送られてくる媒体だという事、それにつきる。
女に声をかける事は「参拝」を意味し、感謝、願かけをするというのは、その労をねぎらう意味
もあります。あくまで太陽の化身、アマテラス女神を礼拝するように美化するのも、自分自身、
気持ちよくなるためで、自分を低くして相手を立てる、という意味などでは、決してありません。
頼んでもないのに、太陽は我々を照らし続けて、生命を生かし続けてくれています。同様に、
女達も、頼んでもないのに、勝手に目の前に可愛い姿で現れ、こちらの中に眠る感情などを
引き出してくれます。いい感情、悪い感情、全てが自己認識の学びになるし、ありがたいです。
そこであなたに、どうしても認識を転換してほしいのが、女を自分から探しに行く必要などなく、
勝手に向こうからバンバン目の前に現れ、それに対応すればいい、というスタンスであります。
修行に出かけるなんてのは、ただ外に出て、ウォーキングするだけでよく、後はもうすべてを、
女性達が勝手にやってくれます。その時、必要な事を、自分でも気づいてなかった事などをも
全てカバーして、女性達がやってくれる。かゆい所に手が届く程の世話ぶりで、本当に楽です。
以前、私は「ナンパは新しいお母さん探し」だとか冗談めいて書きましたが、まさにその通りで、
お母さんのように全部世話してくれるため、その感謝をこめて、女を「参拝」するわけですね。
この参拝の具体的な手法というのは、人それぞれですが、ここで一つのモデルを紹介します。
以下、「ナンパなんて面倒くさい!だからこそ、最もラクチンなゴムひも声かけ法」の手順です。
★
まず修行者は、自分の肉体である「ナンヴァ」に乗り込み、犬を散歩させるがごとく外出して、
街を歩きます。これを別名「サンヴァ」と呼び、女性への参拝を意味する日常的な儀式です。
そして歩いていると、突然、使徒が来襲します。頼んでもないのに、可愛い子が勝手に現れ、
あなたは気づきます。そこで普通のナンパだったら、「よし!」と、自分を奮い立たせて、自ら、
声をかけますが、これは非常に緊張させる行為です。ナンヴァを力づくで動かして大変です。
これは男である自分が、使徒である女をどうにかしなくちゃいけない、という勘違いが原因で、
本来は、目の前に現れた彼女が、先に誘惑したんです。意識的にではなく、その肉体として、
オスを取り込み、妊娠するための本能的、無意識的な誘惑です。女が先に強く誘惑してくる。
それに対して応えるか?応えないか?それを決めるのが男側の判断です。「よし、のった!」
という時には、あなたは声をかけます。ただし、そこでただ声をかけても、自ら行くのと同じで、
これまた緊張する中、「誘惑にのってあげるか」というポーズが加わっただけで変わりません。
そこで一見、ヴァカげたように思えるかもしれませんが、以下の順番にイメージしてください。
まず、使徒が現れた瞬間に、その彼女の下腹部(本能センター)から、一本のゴムひもが、
こちらの本能センターに向かってシュルシュルと伸びて、下腹部と下腹部とをつなぎます。
「おっ!」と思った瞬間ですから、わずか1秒位でつながります。そして、そのままゴムひも
ですから、グーッと向こうに引っ張られる感覚を自ら感じます。自ら想像して、作るわけです。
そうして、その引力を感じながら、わざと3秒耐えます。耐えると、その引力は溜めがきいて
強まるので、ナンヴァは使徒に向かって近づきたくなる。それを見計らったように、3秒後に、
ナンヴァの力を抜いて、「行ってよし」と、許可を与えます。すると、グンと勝手に体は近づく。
見えないゴムひもが、あなたの体を引っ張るんです。その慣性を利用して、声をかけるだけ。
もし、タイプでなかったり、男連れだったり等の理由で「やめとこう」と思ったら、そのゴムひも
を3秒以内にカットします。カットの仕方は、まばたきや、体の向きを瞬時に変えるなどして、
自分でカットしたという印になれば何でもいい。このゴムは、あくまで想像上のものですから。
ちなみに、このゴムひもは、「アンビリカルケーブル」といい、へその緒という意味と、エヴァ
に電力を供給するケーブルを、そう呼んでいたため借用しましたが、まぁこれは余談です。
とにかく、想像力は必要ですが、やる事は簡単です。現れた女性の下腹部から、こちらの
下腹部へとゴムひもで結びます。そして3秒で、声をかけて「参拝」してあげるかを決めて、
OKの場合、体の力を抜いて、相手のゴムひもの引力に身を任せます。NOの場合は終了。
たんに、これだけの想像上の工夫が、なぜ声かけをラクにするのか、わかったでしょうか?
一言でいえば、すべて受け身だからですが、身体的な機能性も利用して、よく出来てます。
<解説>
では、その背景を解説します。まず声をかけるには、こちらから女を探しに行くという誤解、
これを捨てて、勝手に目の前に現れると認識を変えます。物色なんか不要で、お任せです。
そして、こちらから積極的に誘惑しなくちゃいけない、という面倒臭さは、まず相手が誘惑し、
それに受動的に乗るかどうか?の判断に置き替えて、「可愛い」と思わせられる事自体を、
誘惑されたとします。さらに、その誘惑を、ゴムひもを用いて可視化し、体感化までします。
このゴムひもは、決して、こちらから向こうに放ったわけではありません。絶対に、相手側
から、こちらに向かって伸びます。これがキモです。なぜならば、可愛い子を見た瞬間に、
あなたの意識は、相手側に行ってます。要するに、心を奪われて、ボーッとした状態です。
その状態は、あなたの意識が自分の肉体になくて、相手側に奪われているため、そこから
何をしようが、相手主体になってしまうのです。自分が隙だらけで、非常に弱い状態にある。
そこで、まずは自分の意識を、相手側から取り戻すために、ゴムひもを相手から、こちらへ
引っ張ってくる。それだけで、見とれていたのが、我にかえります。しかも、自分の下腹部へ
ゴムひもをつなげるわけですから、自ずと頭ではなく、丹田に意識が落ちて、安定します。
さらに声をかける時も、下腹部に繋がったゴムひもが、グンと引っ張るのですから、自ずと、
丹田から相手に向かうことになります。これは武道でいう、最も安定した、近寄り方ですね。
しかも、声をかけると決めた時も、自ら「よし!」と行く場合は、体に力が入り緊張しますが、
誘惑にのってあげようと決めて、ゴムひもの引力に身を任せる場合は、逆に、弛緩します。
弛緩したまま、相手に近寄ることになるのです。発想も、身体的態勢も、すべて真逆です。
極端な話、ゴムひもに引っ張られていく時は、背もたれにもたれたリクライニングのように、
休んだまま自動的に運ばれていくことになります。ラクですよー。半分眠りながら出来る!
★
以上が、「最もラクチンなゴムひも声かけ方法」ですが、以前より、発表したいと思っては、
ボツにしてきました。なぜなら、ナンヴァとのシンクロ率が低いと、出来ない可能性が高い。
ゴムひもで引っ張られる感覚など、普通の人、地蔵気味の人に体感できるのだろうか?と、
躊躇していました。だって、私だけ使えても意味ないですからね。ちなみに私のナンヴァは、
歩くと、ところどころからゴムひもがヒュンヒュン伸びてきて、面白い程に、引っ張られます。
もう想像上など越えてしまっていて、あまりに魅力的な相手だと、思いっきり引っ張られて、
すっ転びそうになるんです。体が本当にそうなる。また、何も考えていない時に、ちっとも、
いいと思わないような相手の前に引っ張られて、その相手が悩みの答えをくれたりもする。
その際、私は一切の努力はしていません。すべて任せて、ただ現象を許しているだけです。
「選択」という積極的意図でもなく、事が起こるのを許してるだけ、という受動的許容ですね。
しかし強調したいのは、私はこの声かけで、ナンパ出来るようになったわけではありません。
最初はナンパワールドに慣れるために、ジワジワと小さな事をやって、ある程度なじんだら、
次は逆境に追い込み、全てを賭けるように、前へ前へと飛び出しました。そんな経緯でした。
そして、ナンパが出来るようになり飽きて、非常に面倒臭くなり、自動的に出来ないかなと、
考えた結果、最終的にやっていたのが、この声かけ法です。だって自分の意志や欲望は、
ほとんどありません。面倒くさいと思いつつ、使徒からのコーリングに応え、参拝しただけ・・。
でも、そうやって、どうやって手抜こうか?ばかり考えていたら、不思議な事が起こり始め、
私が第三のナンパと呼ぶジャンルが出来あがりました。それが努力を否定するセカイ系!
ここ最近、修験道の修行をモデルにして、「瞑想」「読経」「参拝」、そして「行きまくること!」
なんてハッパをかけていましたが、その内実、どんな修行をするかというと、どれだけ楽に、
ナンパできるかという修行です。セカイ系のナンパ修行者に多い、引きこもりの発想ですね。
どれだけ自分のやるべき事を減らして、他人に任せられるか?ここがポイントでしょうか。
だって、この世で一番難しいのが、何もしないことですから!それを一見、積極的に動く、
ナンパというジャンルで修行しながら、ノリで悟っちゃおうぜ、というのが何無派道場です。
もはや社会情勢とは関係なく、毎日がお祭りです。ええじゃないか日本!今年もよろしく!
これまで発表を抑えてきた、私が一番やりたかった「マークシックス計画」を、表面化させて、
あなたを、めくるめく真のナンヴァの世界へと招待したいと思います。これまでの内容なんぞ、
あくまで導入部分です。ついてこれない人が多いと思って、遠慮していたんですが、もうOK!
去年はウサギ年でしたから、『不思議の国のアリス』や、映画『マトリックス』に出てきたように、
主人公を誘導する、白ウサギの気分でした。『マトリックス』のネオも、「白ウサギを追え!」と、
メッセージをもらい、明日仕事が早いからと迷ったけれど、結局、外に出かけ、冒険が始まる。
あなたも、よくぞこのブログを読むのを止めずに、ここまでついてこられました。そして中には、
「覚醒プログラム」だけでなく、「脱出プログラム(序と破)」まで、到達された方もいるでしょう。
そんなあなたは、今年、ネオのように、あの赤いカプセルを飲んで、目覚めることになります。
覚悟はいいですか?ナンパワールドのさらに奥地へと入りこむことは、狂気スレスレですよ。
本当に大丈夫ですか?常識人だけでなく、普通のナンパ師達にも、多分ヴァカにされますよ。
それでも構やしない、毎日が面白くなればいい、頭が狂ってもいい、という方は、歓迎します。
恒例の巫女による舞いにて、あなたをウェルカム。どうぞ、道場の奥の間へとお進みください。
この舞いは、去年と同じようですが、意味は、<使徒来襲(マークシックスの胎動)>となり、
少々違います。例えば、天井にて覚醒している姿こそが月面でのマークシックスの胎動で、
また、顔を隠したり、同一人物がクローンのように増えている様子が使徒を表わしています。
街に修行にいくと、次から次へと使徒が送られてきますが、皆、個性がバラバラのように見え、
その実、同じような根源から送られてくる、似たような存在です。ただし目的は、ただ一つだけ!
あなたを目覚めさせ、面白がらせ、喜ばすために送られてくる媒体だという事、それにつきる。
女に声をかける事は「参拝」を意味し、感謝、願かけをするというのは、その労をねぎらう意味
もあります。あくまで太陽の化身、アマテラス女神を礼拝するように美化するのも、自分自身、
気持ちよくなるためで、自分を低くして相手を立てる、という意味などでは、決してありません。
頼んでもないのに、太陽は我々を照らし続けて、生命を生かし続けてくれています。同様に、
女達も、頼んでもないのに、勝手に目の前に可愛い姿で現れ、こちらの中に眠る感情などを
引き出してくれます。いい感情、悪い感情、全てが自己認識の学びになるし、ありがたいです。
そこであなたに、どうしても認識を転換してほしいのが、女を自分から探しに行く必要などなく、
勝手に向こうからバンバン目の前に現れ、それに対応すればいい、というスタンスであります。
修行に出かけるなんてのは、ただ外に出て、ウォーキングするだけでよく、後はもうすべてを、
女性達が勝手にやってくれます。その時、必要な事を、自分でも気づいてなかった事などをも
全てカバーして、女性達がやってくれる。かゆい所に手が届く程の世話ぶりで、本当に楽です。
以前、私は「ナンパは新しいお母さん探し」だとか冗談めいて書きましたが、まさにその通りで、
お母さんのように全部世話してくれるため、その感謝をこめて、女を「参拝」するわけですね。
この参拝の具体的な手法というのは、人それぞれですが、ここで一つのモデルを紹介します。
以下、「ナンパなんて面倒くさい!だからこそ、最もラクチンなゴムひも声かけ法」の手順です。
★
まず修行者は、自分の肉体である「ナンヴァ」に乗り込み、犬を散歩させるがごとく外出して、
街を歩きます。これを別名「サンヴァ」と呼び、女性への参拝を意味する日常的な儀式です。
そして歩いていると、突然、使徒が来襲します。頼んでもないのに、可愛い子が勝手に現れ、
あなたは気づきます。そこで普通のナンパだったら、「よし!」と、自分を奮い立たせて、自ら、
声をかけますが、これは非常に緊張させる行為です。ナンヴァを力づくで動かして大変です。
これは男である自分が、使徒である女をどうにかしなくちゃいけない、という勘違いが原因で、
本来は、目の前に現れた彼女が、先に誘惑したんです。意識的にではなく、その肉体として、
オスを取り込み、妊娠するための本能的、無意識的な誘惑です。女が先に強く誘惑してくる。
それに対して応えるか?応えないか?それを決めるのが男側の判断です。「よし、のった!」
という時には、あなたは声をかけます。ただし、そこでただ声をかけても、自ら行くのと同じで、
これまた緊張する中、「誘惑にのってあげるか」というポーズが加わっただけで変わりません。
そこで一見、ヴァカげたように思えるかもしれませんが、以下の順番にイメージしてください。
まず、使徒が現れた瞬間に、その彼女の下腹部(本能センター)から、一本のゴムひもが、
こちらの本能センターに向かってシュルシュルと伸びて、下腹部と下腹部とをつなぎます。
「おっ!」と思った瞬間ですから、わずか1秒位でつながります。そして、そのままゴムひも
ですから、グーッと向こうに引っ張られる感覚を自ら感じます。自ら想像して、作るわけです。
そうして、その引力を感じながら、わざと3秒耐えます。耐えると、その引力は溜めがきいて
強まるので、ナンヴァは使徒に向かって近づきたくなる。それを見計らったように、3秒後に、
ナンヴァの力を抜いて、「行ってよし」と、許可を与えます。すると、グンと勝手に体は近づく。
見えないゴムひもが、あなたの体を引っ張るんです。その慣性を利用して、声をかけるだけ。
もし、タイプでなかったり、男連れだったり等の理由で「やめとこう」と思ったら、そのゴムひも
を3秒以内にカットします。カットの仕方は、まばたきや、体の向きを瞬時に変えるなどして、
自分でカットしたという印になれば何でもいい。このゴムは、あくまで想像上のものですから。
ちなみに、このゴムひもは、「アンビリカルケーブル」といい、へその緒という意味と、エヴァ
に電力を供給するケーブルを、そう呼んでいたため借用しましたが、まぁこれは余談です。
とにかく、想像力は必要ですが、やる事は簡単です。現れた女性の下腹部から、こちらの
下腹部へとゴムひもで結びます。そして3秒で、声をかけて「参拝」してあげるかを決めて、
OKの場合、体の力を抜いて、相手のゴムひもの引力に身を任せます。NOの場合は終了。
たんに、これだけの想像上の工夫が、なぜ声かけをラクにするのか、わかったでしょうか?
一言でいえば、すべて受け身だからですが、身体的な機能性も利用して、よく出来てます。
<解説>
では、その背景を解説します。まず声をかけるには、こちらから女を探しに行くという誤解、
これを捨てて、勝手に目の前に現れると認識を変えます。物色なんか不要で、お任せです。
そして、こちらから積極的に誘惑しなくちゃいけない、という面倒臭さは、まず相手が誘惑し、
それに受動的に乗るかどうか?の判断に置き替えて、「可愛い」と思わせられる事自体を、
誘惑されたとします。さらに、その誘惑を、ゴムひもを用いて可視化し、体感化までします。
このゴムひもは、決して、こちらから向こうに放ったわけではありません。絶対に、相手側
から、こちらに向かって伸びます。これがキモです。なぜならば、可愛い子を見た瞬間に、
あなたの意識は、相手側に行ってます。要するに、心を奪われて、ボーッとした状態です。
その状態は、あなたの意識が自分の肉体になくて、相手側に奪われているため、そこから
何をしようが、相手主体になってしまうのです。自分が隙だらけで、非常に弱い状態にある。
そこで、まずは自分の意識を、相手側から取り戻すために、ゴムひもを相手から、こちらへ
引っ張ってくる。それだけで、見とれていたのが、我にかえります。しかも、自分の下腹部へ
ゴムひもをつなげるわけですから、自ずと頭ではなく、丹田に意識が落ちて、安定します。
さらに声をかける時も、下腹部に繋がったゴムひもが、グンと引っ張るのですから、自ずと、
丹田から相手に向かうことになります。これは武道でいう、最も安定した、近寄り方ですね。
しかも、声をかけると決めた時も、自ら「よし!」と行く場合は、体に力が入り緊張しますが、
誘惑にのってあげようと決めて、ゴムひもの引力に身を任せる場合は、逆に、弛緩します。
弛緩したまま、相手に近寄ることになるのです。発想も、身体的態勢も、すべて真逆です。
極端な話、ゴムひもに引っ張られていく時は、背もたれにもたれたリクライニングのように、
休んだまま自動的に運ばれていくことになります。ラクですよー。半分眠りながら出来る!
★
以上が、「最もラクチンなゴムひも声かけ方法」ですが、以前より、発表したいと思っては、
ボツにしてきました。なぜなら、ナンヴァとのシンクロ率が低いと、出来ない可能性が高い。
ゴムひもで引っ張られる感覚など、普通の人、地蔵気味の人に体感できるのだろうか?と、
躊躇していました。だって、私だけ使えても意味ないですからね。ちなみに私のナンヴァは、
歩くと、ところどころからゴムひもがヒュンヒュン伸びてきて、面白い程に、引っ張られます。
もう想像上など越えてしまっていて、あまりに魅力的な相手だと、思いっきり引っ張られて、
すっ転びそうになるんです。体が本当にそうなる。また、何も考えていない時に、ちっとも、
いいと思わないような相手の前に引っ張られて、その相手が悩みの答えをくれたりもする。
その際、私は一切の努力はしていません。すべて任せて、ただ現象を許しているだけです。
「選択」という積極的意図でもなく、事が起こるのを許してるだけ、という受動的許容ですね。
しかし強調したいのは、私はこの声かけで、ナンパ出来るようになったわけではありません。
最初はナンパワールドに慣れるために、ジワジワと小さな事をやって、ある程度なじんだら、
次は逆境に追い込み、全てを賭けるように、前へ前へと飛び出しました。そんな経緯でした。
そして、ナンパが出来るようになり飽きて、非常に面倒臭くなり、自動的に出来ないかなと、
考えた結果、最終的にやっていたのが、この声かけ法です。だって自分の意志や欲望は、
ほとんどありません。面倒くさいと思いつつ、使徒からのコーリングに応え、参拝しただけ・・。
でも、そうやって、どうやって手抜こうか?ばかり考えていたら、不思議な事が起こり始め、
私が第三のナンパと呼ぶジャンルが出来あがりました。それが努力を否定するセカイ系!
ここ最近、修験道の修行をモデルにして、「瞑想」「読経」「参拝」、そして「行きまくること!」
なんてハッパをかけていましたが、その内実、どんな修行をするかというと、どれだけ楽に、
ナンパできるかという修行です。セカイ系のナンパ修行者に多い、引きこもりの発想ですね。
どれだけ自分のやるべき事を減らして、他人に任せられるか?ここがポイントでしょうか。
だって、この世で一番難しいのが、何もしないことですから!それを一見、積極的に動く、
ナンパというジャンルで修行しながら、ノリで悟っちゃおうぜ、というのが何無派道場です。
もはや社会情勢とは関係なく、毎日がお祭りです。ええじゃないか日本!今年もよろしく!
posted by fmtbank at 08:40| カテゴリ無し
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2011年12月29日
ニュートンが発見したナンパの法則
私は一時期、ずっと逆ナンパの研究をしていました。今までのナンパ生活で、最も苦しい戦い
でしたが、ある時、ハッと気づきました。もともとナンパ自体が、逆ナンパみたいなものだ!と。
実際のところ、「俺はナンパしてるぜ!」と思ってたら、たんに女に逆ナンパされていたんです。
女がその体の丸みやライン、見た目だけでなくフェロモンも使い、まず最初に、男に働きかけて
誘惑してきます。体の上に、衣服を着て、さらにその衣服を見せることで、誘おうともしてくる。
しかも、この最初の誘惑は、ピンポイントで誰かを狙うというのではなく、男全般に対して、もう、
網をかけるようにバーッとまとめて誘惑してこようとする。そして誘惑すると同時に拒否もする。
高い服を着て、「私はお高いのよ」と近寄りがたいATフィールドを発揮する者もいれば、ただ、
男に声をかけさせて、その数を誇り、私にはパワーがあると実感していたい者もいる。しかし、
そこまで意識的にやる者は少なく、たいていは無意識に、なんとはなしに男を誘惑しています。
それが子を産むメスとしての肉体の特性で、いかに意識は「ナンパはウザイ!」と考えようが、
そんなの一時的で不安定な理性の戯言でしかなく、ドッシリとして安定した無意識は男を誘う。
ですから何度もいうように、誘っているのは女の方からで、それに応えるかどうかの問題です。
そして行者の度量は、女からの誘惑に、どれだけ応えられるかの、心の広さにかかってます。
例えば、普通に歩いてて、ふと見かけた子を可愛いと思います。または、足がエロいとか感じ、
ムラムラします。この可愛いだとか、ムラムラした感じ等は、自分で考えたと思いがちですが、
とんでもない!女から、体感として引っ張り出されたんです。すべては、女の所業であります。
その見かけた彼女がいなかったら、あなたはそんな感覚を抱かなかった。もう明らかに、彼女
が無意識的に、あなたに働きかけ、あなたの中から、そういう要素を引っ張り出しただけです。
女というものは、そうやって陰から誘惑する。だから、それに応えて、男が声をかけたとしても、
一見、男が積極的に声をかけてナンパしてるように見えますが、その実、逆で、ただ女からの
誘惑にのってあげただけの話です。見えない部分では、女が誘惑してるんです。それが真理。
もちろん、誘惑する力が強い人も、弱い人もいます。あまりに美しくて、こちらが我を忘れる人、
はたまた、地味な服を着て、自分に自信がなく、女の誘惑の力を隠し、抑え込んでる人もいる。
こちらが我を忘れる程に美しい女というのは、「心を奪われる」という言葉通り、あなたの心を、
完全に彼女が、無意識に掴んで自分の所に引っ張ってます。そこで、そのパワーを恐れます。
瞬間的に、思考センターを停止させられ、誘惑されているのですから、無防備で、近寄っても、
そのパワーで何されるかわからず、怖くなり我に返ってしまう。だからこそ自分を守ろうとして、
ぎこちなくなったり、そもそも我を失うのは理性にとって怖いですから、なんとか踏みとどまる。
美しく魅力的な女が、なぜか怖くて、思わず目をそらしてしまうのは、そういう背景があります。
こちらに希求するパワーが大きい程、我を失うため、おっかない。逆に、魅力ない人は平気・・。
★
そういうわけで私は、ナンパなんて存在しない事がわかりました。すべては逆ナンパで、女が、
男を誘惑する。いかに男が、「俺は積極的に、女に行ってる!」などと得意になっていようとも、
しょせんは、女に転がされてるんです。お釈迦様の手の平にいる孫悟空みたいなもんですよ。
性に関して、全ては女発信で、男は受け身でしかない。女からの誘惑(コーリング)に応じて、
声をかけてあげるのか、拒否して無視するかどうかの選択肢のみ、与えられているだけです。
これを知った時は、あたかも木からリンゴが落ちるのを見たニュートンが、万有引力を発見し、
バンザイしたのと同じような感動がありました。一見、リンゴが落ちてるように見えて、地球が
引っ張っている。男と女も同じ!男が声かけているように見えて、女が引っ張っていたのです。
これも妊娠、出産するためで、女が歳をとるほどに、男を引きつけなくなるのも、納得できます。
だって、もう妊娠しないんだから、引きつけたって意味がなく、自然は、意味ない事はしません。
これは、人間的に、という意味ではなく、「性的」に引きつけなくなる。しかし、女にとって、その
性的な引力を失くすのは、若い頃、モテていた人ほど、悲しいのもので、だから若づくりという、
フェイクな引力を頑張るわけですが、男は、それにもノッてあげたり、または不自然さを感じる。
また、若い女の方がいいという、生物学的本能とは別に、女に母性を求める男は、自分が子供
の時に、母親の年齢だったような相手にも引かれます。産まれる事自体が、母との一体感から
バラバラに分離するわけですから、相当トラウマで、再び母なる存在と一体化したいんですよ。
ただし、熟女好きといっても、その相手が子を産む能力、パワーをまだ宿しているのでしたら、
そんな深い意味もなく、単純に引かれているだけかもしれず、いちいち深読みは不要でしょう。
こちらが引かれる女の年齢層も偏ったり、人生の経過と共に変わったりと、人それぞれです。
男の引力を感じるセンサーも、結構、いい加減なもので、遠くに歩いているお年寄りを、つい、
派手な服を着てたら、「おっ!イイ女!」と勘違いする事もあります。まぁ近づいてくるうちに、
我にかえり、リセットされますが、この「我にかえる」というのが、女からの引力を消すコツです。
いくら可愛い子を見かけても、瞬時に「どうせムリだし」とか、逆に「あんなギャル系、嫌いだし」
だとか理性を働かせて、素通りする事が、相手からの誘惑を断ち切った事になる。これこそが、
普通の男性がやっている事です。できるだけ魅力的な女を見ずに、理性で打ち消しています。
確かに瞬間的に引きつけられたのに、その本音を、「頭悪そうで嫌な女だ」と理性で断ち切る。
そういった事を繰り返していくうちに、女からの引力にドンドン鈍感になっていき、何も感じず、
それで安心できるかと思いきや、性的な事以外でも、自分の本音に気づけなくなり、すると、
理由はわからないのに気持ちが塞がったり、ある日、突然、破壊的な行動に出たりもします。
たいていは権力を得ようとしたり、それが出来ないと気難しい人になったり、我を強めようとし、
奮闘する人生になるわけです。シンプルに我を失い、譲ることの出来る柔らかさを、女に対し、
逃げて歪んだことで、学ぶことが出来なかった。それゆえ他の代用品に求めるしかなくなる。
性的な抑圧というのは、非常にパワーが大きいので、だからこそ素直になるために、男達は、
ナンパ修行に励みます。特に昨今は、中年が純粋さを取り戻すための「行」にも使われます。
だからこそ「行って、行って、行きまくれ!」など、けしかけてきましたが、本来の修行は簡単。
それは、女からの誘いに、どれだけノッてあげれるかどうか?その受け身的な一点のみです。
(次回は、この究極的に、受け身な声のかけ方を、もっと具体的に説明しましょう。)
でしたが、ある時、ハッと気づきました。もともとナンパ自体が、逆ナンパみたいなものだ!と。
実際のところ、「俺はナンパしてるぜ!」と思ってたら、たんに女に逆ナンパされていたんです。
女がその体の丸みやライン、見た目だけでなくフェロモンも使い、まず最初に、男に働きかけて
誘惑してきます。体の上に、衣服を着て、さらにその衣服を見せることで、誘おうともしてくる。
しかも、この最初の誘惑は、ピンポイントで誰かを狙うというのではなく、男全般に対して、もう、
網をかけるようにバーッとまとめて誘惑してこようとする。そして誘惑すると同時に拒否もする。
高い服を着て、「私はお高いのよ」と近寄りがたいATフィールドを発揮する者もいれば、ただ、
男に声をかけさせて、その数を誇り、私にはパワーがあると実感していたい者もいる。しかし、
そこまで意識的にやる者は少なく、たいていは無意識に、なんとはなしに男を誘惑しています。
それが子を産むメスとしての肉体の特性で、いかに意識は「ナンパはウザイ!」と考えようが、
そんなの一時的で不安定な理性の戯言でしかなく、ドッシリとして安定した無意識は男を誘う。
ですから何度もいうように、誘っているのは女の方からで、それに応えるかどうかの問題です。
そして行者の度量は、女からの誘惑に、どれだけ応えられるかの、心の広さにかかってます。
例えば、普通に歩いてて、ふと見かけた子を可愛いと思います。または、足がエロいとか感じ、
ムラムラします。この可愛いだとか、ムラムラした感じ等は、自分で考えたと思いがちですが、
とんでもない!女から、体感として引っ張り出されたんです。すべては、女の所業であります。
その見かけた彼女がいなかったら、あなたはそんな感覚を抱かなかった。もう明らかに、彼女
が無意識的に、あなたに働きかけ、あなたの中から、そういう要素を引っ張り出しただけです。
女というものは、そうやって陰から誘惑する。だから、それに応えて、男が声をかけたとしても、
一見、男が積極的に声をかけてナンパしてるように見えますが、その実、逆で、ただ女からの
誘惑にのってあげただけの話です。見えない部分では、女が誘惑してるんです。それが真理。
もちろん、誘惑する力が強い人も、弱い人もいます。あまりに美しくて、こちらが我を忘れる人、
はたまた、地味な服を着て、自分に自信がなく、女の誘惑の力を隠し、抑え込んでる人もいる。
こちらが我を忘れる程に美しい女というのは、「心を奪われる」という言葉通り、あなたの心を、
完全に彼女が、無意識に掴んで自分の所に引っ張ってます。そこで、そのパワーを恐れます。
瞬間的に、思考センターを停止させられ、誘惑されているのですから、無防備で、近寄っても、
そのパワーで何されるかわからず、怖くなり我に返ってしまう。だからこそ自分を守ろうとして、
ぎこちなくなったり、そもそも我を失うのは理性にとって怖いですから、なんとか踏みとどまる。
美しく魅力的な女が、なぜか怖くて、思わず目をそらしてしまうのは、そういう背景があります。
こちらに希求するパワーが大きい程、我を失うため、おっかない。逆に、魅力ない人は平気・・。
★
そういうわけで私は、ナンパなんて存在しない事がわかりました。すべては逆ナンパで、女が、
男を誘惑する。いかに男が、「俺は積極的に、女に行ってる!」などと得意になっていようとも、
しょせんは、女に転がされてるんです。お釈迦様の手の平にいる孫悟空みたいなもんですよ。
性に関して、全ては女発信で、男は受け身でしかない。女からの誘惑(コーリング)に応じて、
声をかけてあげるのか、拒否して無視するかどうかの選択肢のみ、与えられているだけです。
これを知った時は、あたかも木からリンゴが落ちるのを見たニュートンが、万有引力を発見し、
バンザイしたのと同じような感動がありました。一見、リンゴが落ちてるように見えて、地球が
引っ張っている。男と女も同じ!男が声かけているように見えて、女が引っ張っていたのです。
これも妊娠、出産するためで、女が歳をとるほどに、男を引きつけなくなるのも、納得できます。
だって、もう妊娠しないんだから、引きつけたって意味がなく、自然は、意味ない事はしません。
これは、人間的に、という意味ではなく、「性的」に引きつけなくなる。しかし、女にとって、その
性的な引力を失くすのは、若い頃、モテていた人ほど、悲しいのもので、だから若づくりという、
フェイクな引力を頑張るわけですが、男は、それにもノッてあげたり、または不自然さを感じる。
また、若い女の方がいいという、生物学的本能とは別に、女に母性を求める男は、自分が子供
の時に、母親の年齢だったような相手にも引かれます。産まれる事自体が、母との一体感から
バラバラに分離するわけですから、相当トラウマで、再び母なる存在と一体化したいんですよ。
ただし、熟女好きといっても、その相手が子を産む能力、パワーをまだ宿しているのでしたら、
そんな深い意味もなく、単純に引かれているだけかもしれず、いちいち深読みは不要でしょう。
こちらが引かれる女の年齢層も偏ったり、人生の経過と共に変わったりと、人それぞれです。
男の引力を感じるセンサーも、結構、いい加減なもので、遠くに歩いているお年寄りを、つい、
派手な服を着てたら、「おっ!イイ女!」と勘違いする事もあります。まぁ近づいてくるうちに、
我にかえり、リセットされますが、この「我にかえる」というのが、女からの引力を消すコツです。
いくら可愛い子を見かけても、瞬時に「どうせムリだし」とか、逆に「あんなギャル系、嫌いだし」
だとか理性を働かせて、素通りする事が、相手からの誘惑を断ち切った事になる。これこそが、
普通の男性がやっている事です。できるだけ魅力的な女を見ずに、理性で打ち消しています。
確かに瞬間的に引きつけられたのに、その本音を、「頭悪そうで嫌な女だ」と理性で断ち切る。
そういった事を繰り返していくうちに、女からの引力にドンドン鈍感になっていき、何も感じず、
それで安心できるかと思いきや、性的な事以外でも、自分の本音に気づけなくなり、すると、
理由はわからないのに気持ちが塞がったり、ある日、突然、破壊的な行動に出たりもします。
たいていは権力を得ようとしたり、それが出来ないと気難しい人になったり、我を強めようとし、
奮闘する人生になるわけです。シンプルに我を失い、譲ることの出来る柔らかさを、女に対し、
逃げて歪んだことで、学ぶことが出来なかった。それゆえ他の代用品に求めるしかなくなる。
性的な抑圧というのは、非常にパワーが大きいので、だからこそ素直になるために、男達は、
ナンパ修行に励みます。特に昨今は、中年が純粋さを取り戻すための「行」にも使われます。
だからこそ「行って、行って、行きまくれ!」など、けしかけてきましたが、本来の修行は簡単。
それは、女からの誘いに、どれだけノッてあげれるかどうか?その受け身的な一点のみです。
(次回は、この究極的に、受け身な声のかけ方を、もっと具体的に説明しましょう。)
posted by fmtbank at 12:05| カテゴリ無し
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2011年12月25日
ナンパで悟りを開くとき
メリークリスマス!いよいよ今年もあと一週間です。ついに修行もクライマックスを迎えます。
ちなみに、クリスマスというのは、もともと、イエスの誕生を祝う日で、このイエスという行者は、
40日間、荒野にて断食をした後に覚醒し、人々のための活動を始めたという来歴だそうです。
おそらく厳しい修行で、死と再生を経験したのでしょう。たいてい映画『マトリックス』のネオも、
いったん死んでから生き返り、救世主として覚醒したし、この死と再生は、お約束といえます。
全力を出し切り、精神的に死んだとき、人は今まで経験した事のない、美しい瞬間に入り込み、
そこで神を見て、信仰を持つようになったり、人が変わったように生まれ変わります。例えば、
以下の映画『ホーリースモーク』のラストシーンでも、行者は、力尽きた時に、女神を見ます。
再生して30秒位に、ボロボロになったオヤジが荒野で倒れますが、実は彼は、全米屈指の
心理カウンセラーで、カルト宗教にはまった若い女を脱洗脳するために、二人きりで3日間、
部屋にこもっているうちに、女にヴァカ(場化)されて、完全に好きになり、性愛に狂ってしまう。
そうして最後、荒野に逃げた女を、女装したまま追いかけて、ついに、ぶっ倒れるわけですが、
その無様な状態で、沈みゆく太陽に、彼女を女神の姿で重ね合わせ、神々しい気持ちになる。
これは行者の理想的な「死」ともいえるでしょう。なぜなら、ほとんどの男が、そこまで狂えず、
中途半端にウジウジしているだけで、力尽きるまでナンパした事のある勇者など、ごくわずか。
みっともないマネなんか出来ない。でも、カッコ悪ければカッコ悪いほど、カッコいいんですよ。
結局、女には敵いっこないんだから、思いっきり無様に負ければいい。そこから全てが始まる。
ナンパに励む行者は、余力を残すべきではありません。もし、あなたが欲求不満だとしたら、
実は結果じゃないんです。結果のせいにしてるだけで、ただ、パワーが余っているだけです。
全てのパワーを使い果たしたら、そこには神々しいまでの満足しか残らない。不満足なのは、
何かが足りないからじゃない。実は逆に、余っているだけで、もう出し惜しみにも程があります。
だから行者は、行って、行って、行って、行きまくるんです。するとイッて、イッて、イキまくれる。
そして女性が、不思議にも光り輝いてきます。女の中に、神秘的で強烈な何かを見るのです。
それはもう、合掌して祈るしかないような、まさしく「参拝」であります。感謝と感動と激情の嵐!
★
日本人は昔から、自然を信仰してきました。中でも、太陽を最も信仰し、「アマテラス」と呼び、
伊勢神宮で祀ったり、国旗も太陽にしてきたのです。そしてナンパ修行者は、女全ての中に、
この太陽の女神である「アマテラス」を見ます。生命を生み出す源である、まぶしい存在です。
日本の神話では、この「アマテラス」が、ある時、ショックな事があり、天の岩戸にひきこもって
しまい、太陽が隠れて、皆が困ります。そこで神々は岩戸の前で宴会をして盛り上がり、最後、
アマノウズメという芸能の女神がストリップを踊り、その丸見えの姿を見た神々はもう大爆笑!
その笑い声を聞いて「何事か?」と岩戸から顔を出した「アマテラス」を、外に引っ張り出して、
ようやく世界に太陽が戻ったという話でした。実はこれが、ナンパでのメタファーになってます。
つまり、外から無理やり開けようとしてもムリな岩戸も、こちらが楽しそうにしてると、相手から
開いて顔を出しますから、そこで引き出してあげればいい。本来、女の中には、太陽神がいて、
思いっきり、こちらを照らしてくれます。それが最初は、ただ隠れてしまっているだけなんです。
そんなわけで、声かけというのは、相手の中の太陽神に対し、「参拝」していくことになります。
それでは最後に「参拝」のテーマ曲を紹介します。すでに「瞑想」「読経」の曲は発表しており、
今回の「参拝」の曲でラストです。これは太陽を参拝するイメージで、女性の存在を賛美して、
修行に励むことを示唆したもので、それぞれの持つ本来の輝きが解放される様を歌ってます。
映像は、次第に太陽をズームアウトしていきますが、まるで雲の形が女性器を表わしていて、
性的でもあり、出産という生命の源をも、太陽に重ね合わせた、素晴らしい「参拝」の曲です。
これは3年前に、「ナンパ神話」のテーマ曲として発表していましたが、今回のヴァージョンを
最終稿とし、今ここにナンパ修行者の美しき生き様、死に様をも含めて、讃えたいと思います。
どうか、あれこれ考えて恐れずに、素直に、思いきり生きて、英雄のような死を迎えてください。
ちなみに、クリスマスというのは、もともと、イエスの誕生を祝う日で、このイエスという行者は、
40日間、荒野にて断食をした後に覚醒し、人々のための活動を始めたという来歴だそうです。
おそらく厳しい修行で、死と再生を経験したのでしょう。たいてい映画『マトリックス』のネオも、
いったん死んでから生き返り、救世主として覚醒したし、この死と再生は、お約束といえます。
全力を出し切り、精神的に死んだとき、人は今まで経験した事のない、美しい瞬間に入り込み、
そこで神を見て、信仰を持つようになったり、人が変わったように生まれ変わります。例えば、
以下の映画『ホーリースモーク』のラストシーンでも、行者は、力尽きた時に、女神を見ます。
再生して30秒位に、ボロボロになったオヤジが荒野で倒れますが、実は彼は、全米屈指の
心理カウンセラーで、カルト宗教にはまった若い女を脱洗脳するために、二人きりで3日間、
部屋にこもっているうちに、女にヴァカ(場化)されて、完全に好きになり、性愛に狂ってしまう。
そうして最後、荒野に逃げた女を、女装したまま追いかけて、ついに、ぶっ倒れるわけですが、
その無様な状態で、沈みゆく太陽に、彼女を女神の姿で重ね合わせ、神々しい気持ちになる。
これは行者の理想的な「死」ともいえるでしょう。なぜなら、ほとんどの男が、そこまで狂えず、
中途半端にウジウジしているだけで、力尽きるまでナンパした事のある勇者など、ごくわずか。
みっともないマネなんか出来ない。でも、カッコ悪ければカッコ悪いほど、カッコいいんですよ。
結局、女には敵いっこないんだから、思いっきり無様に負ければいい。そこから全てが始まる。
ナンパに励む行者は、余力を残すべきではありません。もし、あなたが欲求不満だとしたら、
実は結果じゃないんです。結果のせいにしてるだけで、ただ、パワーが余っているだけです。
全てのパワーを使い果たしたら、そこには神々しいまでの満足しか残らない。不満足なのは、
何かが足りないからじゃない。実は逆に、余っているだけで、もう出し惜しみにも程があります。
だから行者は、行って、行って、行って、行きまくるんです。するとイッて、イッて、イキまくれる。
そして女性が、不思議にも光り輝いてきます。女の中に、神秘的で強烈な何かを見るのです。
それはもう、合掌して祈るしかないような、まさしく「参拝」であります。感謝と感動と激情の嵐!
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日本人は昔から、自然を信仰してきました。中でも、太陽を最も信仰し、「アマテラス」と呼び、
伊勢神宮で祀ったり、国旗も太陽にしてきたのです。そしてナンパ修行者は、女全ての中に、
この太陽の女神である「アマテラス」を見ます。生命を生み出す源である、まぶしい存在です。
日本の神話では、この「アマテラス」が、ある時、ショックな事があり、天の岩戸にひきこもって
しまい、太陽が隠れて、皆が困ります。そこで神々は岩戸の前で宴会をして盛り上がり、最後、
アマノウズメという芸能の女神がストリップを踊り、その丸見えの姿を見た神々はもう大爆笑!
その笑い声を聞いて「何事か?」と岩戸から顔を出した「アマテラス」を、外に引っ張り出して、
ようやく世界に太陽が戻ったという話でした。実はこれが、ナンパでのメタファーになってます。
つまり、外から無理やり開けようとしてもムリな岩戸も、こちらが楽しそうにしてると、相手から
開いて顔を出しますから、そこで引き出してあげればいい。本来、女の中には、太陽神がいて、
思いっきり、こちらを照らしてくれます。それが最初は、ただ隠れてしまっているだけなんです。
そんなわけで、声かけというのは、相手の中の太陽神に対し、「参拝」していくことになります。
それでは最後に「参拝」のテーマ曲を紹介します。すでに「瞑想」「読経」の曲は発表しており、
今回の「参拝」の曲でラストです。これは太陽を参拝するイメージで、女性の存在を賛美して、
修行に励むことを示唆したもので、それぞれの持つ本来の輝きが解放される様を歌ってます。
映像は、次第に太陽をズームアウトしていきますが、まるで雲の形が女性器を表わしていて、
性的でもあり、出産という生命の源をも、太陽に重ね合わせた、素晴らしい「参拝」の曲です。
これは3年前に、「ナンパ神話」のテーマ曲として発表していましたが、今回のヴァージョンを
最終稿とし、今ここにナンパ修行者の美しき生き様、死に様をも含めて、讃えたいと思います。
どうか、あれこれ考えて恐れずに、素直に、思いきり生きて、英雄のような死を迎えてください。
posted by fmtbank at 14:59| カテゴリ無し
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