それでは、ブログを仕切り直します。まず「何無派道場」といって、ナンパを
精神修行の一つとして日本風に表現していましたが、これは続行しますね。
ただし、強調しなくてはいけないのは、やたら頑張る、苦行ではありません。
楽しくなくちゃナンパじゃない。感動しなけりゃ修行じゃない。どちらかというと、
修行というより、「遊行(ゆぎょう)」ですよ。そこを強調しないと、頑張りすぎて、
路上に吐きながらでも、辛いまま声かけている猛者まで、いらっしゃいました。
私が日本で一番苦しい宗教的修行の「千日回峰行」などを出したり、僧侶の
禁欲的な生活をイメージさせてしまった事が、その原因になったのでは?と、
今では反省してます。自分の趣味に走り過ぎて、小難しくしたらアカンですよ。
せっかくナンパに興味を持って、しかも、こんな変人のブログにお越しいただ
いたのなら、少しでも心が軽くなり、心が明るくなるような内容を書かないと、
失礼にあたります。そういう意味で、ここは道場(どうじょう)では、ありません。
正確には、道場(ミチヴァ)であり、「道」と「場」です。「道」というのは、もちろん、
物質的には、路上ナンパでいうストリートの「道」でもありますが、この道では、
誰と会うかわからないし、何が起こるかわからない、まさに「未知」であります。
しかし、その「未知」を、ほとんどの大人は恐れます。コントロール出来ない
ことをやたら恐れるように、マトリックスから騙されています。そうすることで、
あなたを、あなた自身から逸らし、くだらない概念や他者の方法に隷属させて、
本来もっているはずのパワーを封じるのです。そこから自由になるのが修行!
そして、この修行って、ほっとくと絶対に、苦しみの領域を通ります。不安の波、
凹むこと、無力感、疑問などが、じゃんじゃん列をなして来ます。でも、これが、
面白いんですよ(ヒソヒソ声で)。これらを全部味方にしちゃえばいい。別にね、
心理学なんか学ばなくていいですよ。こちらの「遊び心」だけで、充分いける。
一時期、心理テクニックの勉強に朝から晩まで、ハマっていた事があります。
しかし、そういうのやってる人達は、あんま楽しそうじゃないし、ヘタに知って、
他人を分類したり、批判めいて見る、色眼鏡になりがちです。(私のことです)
なんか心理学の専門家になれば、ナンパが凄くうまくなるんじゃないか?とか、
思ってたんですが、今は断言できます。逆だよ。専門家になったら、ナンパは、
終わるよ。喜びが消え去るよ。人を心理学なんてもので、批判めいて切るよ。
それに気づいてから、出来るだけ心理学から遠ざかって、私は救われました。
★
たとえ専門家が、正しくて効率的なナンパをしようとも、楽しさは別にあります。
最もナンパを楽しむのは、「素人」ですよ。それも「素人」であれば、あるほど、
その喜びは増大します。「素人」って、(しろうと)と読みますが、その文字通り、
「素人」は「知ろうと」するんですよ。だって知らないんだもの!一生懸命になる。
その「知ろうと」する姿勢が、相手の心を打つ。何も邪魔する知識がないから、
透明にダイレクトに伸び伸びと、相手と繋がれます。そして、この先は、どんな
展開になるんだろ?と、その未知なる道をワクワクして、ただ歩んでいけます。
それをナンパ慣れしちゃうと、同じパターンを繰り返し、それに埋没しがちで、
自分も他人も、そのままの姿で「知ろうと」しなくなる。過去のデータを、脳が、
再生して処理するだけで、シンクロ率の低いコミュニケーションで終わります。
ナンパは慣れたら終わり。感受性が鈍くなる。だからこそ、素人にたちかえる。
何も知らない、何もやったことない、だからこそ、知ろうとするのが「素人」で、
ピュアな好奇心をもった、健全なる眼差し。ビクビクするのが当たり前だけど、
それでもソロリソロリと、ゆっくり未知の方へと歩んでゆく、愛すべき勇者です。
なお話は戻りますが、当ブログのテーマは「何無派道場」で、この「道場」は、
「未知」なる「道」を歩む勇者の心が、「満ち」るための場という意味になります。
「未知」というのは、何が起こるかわからないから空白なんですが、だからこそ、
新しいもので「満ち」ます。そんな「未知」へと飛び出していく勇者が、少しでも、
やる気や元気に「満ち」る場(フィールド)、いわゆる、『満ち場』を理想としたい。
そんな「何無派道場」を、今後とも、よろしくどうぞ!といっても、私も無理せずに、
マンネリだろうがマイペースで書くことにするし、少しだけナンパに疲れた時にでも、
気軽に、お立ち寄りください。ちょっと、お茶を一杯出す程度のつもりで、続けます。
2012年02月14日
何も知らない人こそが最強!
posted by fmtbank at 17:01| カテゴリ無し
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2012年02月13日
ブログ辞めるの、辞めました。
この一週間、いろいろと考えた結果、私は大きな間違いに、気付きました。
それは、このブログが、ここまで長く続いたのはなぜか?という検証からで、
いったい誰のために、こんなに書いていたか、ハッキリ思い出したからです。
それは、私の自己表現でもあり、教材を買ってもらうために書いてきたのは、
当然として、なによりも、すでに教材を購入してくれた方に向けて、書いてた。
よく考えたら、ブログを更新するのは、大抵、質問や報告をいただいた後に、
その返答をしてから、それに関係する内容をアップしていたのです。だから、
必然的に、ナンパにつまづいている方、初心者向けの内容ばかりになった。
これって、要するに、アフターフォローですよ。記事の過半数は、応援です。
だから内容がないといえば、ない。同じことの繰り返し。言葉を変えてるだけ。
私は、それがマンネリだと感じ、時々、イヤになってました。すごく斬新な事、
したい性格ですから(中二病的な)、珍奇な方に、気持ちがいってたんです。
ところが気づくと、いつも初心者の方へ優しく書こうというスタンスに戻って、
そんな自分の生真面目さに、退屈さを感じていた。ラクになってもらいたい、
先生的なセルフイメージと、全てを破壊したいトリックスター的な心の相反。
そして、新しいナンパを創造したという、トリックスター的な心こそが、自分の
本心だと思いこみ、いかにも先生的な、初心者向けの文章を延々書きまくる
自分を囚われし者、マトリックスにやられて、無難なことを書いてるだけだと、
思ってしまいました。ところが、これが、まったくの正反対だったのです・・・。
むしろ斬新なことをしようとしている、他とは違うぜ!の心の方がニセモノで、
そっちの方がマトリックスにやられていた。なんか、そっちの方向で書いたり、
音声モノを作っていても、思ったよりパッとせず、思考が思考を呼ぶだけで、
逆に、誰かナンパで苦しんでる人がいて、彼に対して書くと、無心で書ける。
この無心になれる、ってところがミソで、他人の言葉の寄せ集めである思考
とは違う、心の奥底からの本音の行為である証です。それを忘れていました。
自我が消えた時だけが、真実の時間に満ちる。それが当然だと知ってても、
こうして、いつの間にかマトリックスに思考は乗っ取らてしまいます。ふぅ〜。
まさにミイラとりがミイラとりになりました。これは永遠のイタチごっこですね。
★
というわけで、なんか、すみませんでした。最近、ブログの方向性を見失い、
辞めようとしていましたが、これからは完全に、一つの目的だけで書きます。
それは、ナンパが停滞したり、苦しんでいる人が、少しでも元気になれる!
たった、それだけです。他にも、そういうナンパブログは増えてきたのかも
しれませんが、多いにこした事はない。ナンパって本当、凹みますからね・・。
もちろん、その心が凹んだ部分が満たされるのは、現場での実際の現象
によってです。しかし、足を運ばないと、どうしようもない。その外へと向かう、
「とりあえず今日も行くか。」という気持ちのキッカケとなれば、最高ですね。
また、凹んで帰ってきた後に読むと、気がラクになったり、ほんのわずかで
あろうと、まだ続けていこうという思いにエネルギーを与えることを目指して、
今後も更新していきたいです。結局は、内容なんか、何でもいいんですよ。
ただし、私の現在の状態からの目線で、ナンパには何もいらない、だとか、
彼女探しや、GETも卒業、なんて書いちゃダメです。これこそ大間違いで、
そんなの読んで元気になる人なんていない。多くは、それで苦しんでます。
悟ったスタンスのナンパだなんて、私は、かなり独りよがりになってました。
「何も考えずに、自然に声かければいい」なんて真理を書いても、そんなの、
ほとんどの人が出来ないのは当然です。だからこそ、違った表現をとって、
手を変え品を変え、その感覚に、いつか近づけるように方便も必要になる。
私は内気な性格で、声かけても、ルックスで切られまくる中でも、ナンパを
楽しくしようと創意工夫を重ねてきた身だからこそ、そっち方面は得意です。
だったら、変にエキセントリックを狙わずに、前みたいに、ナンパで苦しむ人
のオアシス、茶屋のイメージで、ひと息つけるブログにしましょう、という結論。
マンネリでもいいじゃないですか、それで喜んでくれる人達が、いたのだから・・。
★
以上が、ここ一週間で、考え抜いた結論です。いったい、このブログは誰の
ために、誰のおかげで、ここまで続いたのか?考えてみたら、明白でした。
単純に、多くの男性に、ナンパ教材を買ってもらったからですよ。それだけ。
お前は、それ忘れてないか?売れるの当たり前になって、感謝も忘れて、
何、ウダウダ言ってんの?結局、誰も買ってくれなかったら、とっくの昔に、
終わってんだろ?だったら、筋をとおせよ。買ってくれた人のために書け!
そういう言葉が勝手に口から出てきて、自分でも完全に納得してしまい、
八ッとして目が覚め、その瞬間、素晴らしい解放感がありました。終わり。
それは、このブログが、ここまで長く続いたのはなぜか?という検証からで、
いったい誰のために、こんなに書いていたか、ハッキリ思い出したからです。
それは、私の自己表現でもあり、教材を買ってもらうために書いてきたのは、
当然として、なによりも、すでに教材を購入してくれた方に向けて、書いてた。
よく考えたら、ブログを更新するのは、大抵、質問や報告をいただいた後に、
その返答をしてから、それに関係する内容をアップしていたのです。だから、
必然的に、ナンパにつまづいている方、初心者向けの内容ばかりになった。
これって、要するに、アフターフォローですよ。記事の過半数は、応援です。
だから内容がないといえば、ない。同じことの繰り返し。言葉を変えてるだけ。
私は、それがマンネリだと感じ、時々、イヤになってました。すごく斬新な事、
したい性格ですから(中二病的な)、珍奇な方に、気持ちがいってたんです。
ところが気づくと、いつも初心者の方へ優しく書こうというスタンスに戻って、
そんな自分の生真面目さに、退屈さを感じていた。ラクになってもらいたい、
先生的なセルフイメージと、全てを破壊したいトリックスター的な心の相反。
そして、新しいナンパを創造したという、トリックスター的な心こそが、自分の
本心だと思いこみ、いかにも先生的な、初心者向けの文章を延々書きまくる
自分を囚われし者、マトリックスにやられて、無難なことを書いてるだけだと、
思ってしまいました。ところが、これが、まったくの正反対だったのです・・・。
むしろ斬新なことをしようとしている、他とは違うぜ!の心の方がニセモノで、
そっちの方がマトリックスにやられていた。なんか、そっちの方向で書いたり、
音声モノを作っていても、思ったよりパッとせず、思考が思考を呼ぶだけで、
逆に、誰かナンパで苦しんでる人がいて、彼に対して書くと、無心で書ける。
この無心になれる、ってところがミソで、他人の言葉の寄せ集めである思考
とは違う、心の奥底からの本音の行為である証です。それを忘れていました。
自我が消えた時だけが、真実の時間に満ちる。それが当然だと知ってても、
こうして、いつの間にかマトリックスに思考は乗っ取らてしまいます。ふぅ〜。
まさにミイラとりがミイラとりになりました。これは永遠のイタチごっこですね。
★
というわけで、なんか、すみませんでした。最近、ブログの方向性を見失い、
辞めようとしていましたが、これからは完全に、一つの目的だけで書きます。
それは、ナンパが停滞したり、苦しんでいる人が、少しでも元気になれる!
たった、それだけです。他にも、そういうナンパブログは増えてきたのかも
しれませんが、多いにこした事はない。ナンパって本当、凹みますからね・・。
もちろん、その心が凹んだ部分が満たされるのは、現場での実際の現象
によってです。しかし、足を運ばないと、どうしようもない。その外へと向かう、
「とりあえず今日も行くか。」という気持ちのキッカケとなれば、最高ですね。
また、凹んで帰ってきた後に読むと、気がラクになったり、ほんのわずかで
あろうと、まだ続けていこうという思いにエネルギーを与えることを目指して、
今後も更新していきたいです。結局は、内容なんか、何でもいいんですよ。
ただし、私の現在の状態からの目線で、ナンパには何もいらない、だとか、
彼女探しや、GETも卒業、なんて書いちゃダメです。これこそ大間違いで、
そんなの読んで元気になる人なんていない。多くは、それで苦しんでます。
悟ったスタンスのナンパだなんて、私は、かなり独りよがりになってました。
「何も考えずに、自然に声かければいい」なんて真理を書いても、そんなの、
ほとんどの人が出来ないのは当然です。だからこそ、違った表現をとって、
手を変え品を変え、その感覚に、いつか近づけるように方便も必要になる。
私は内気な性格で、声かけても、ルックスで切られまくる中でも、ナンパを
楽しくしようと創意工夫を重ねてきた身だからこそ、そっち方面は得意です。
だったら、変にエキセントリックを狙わずに、前みたいに、ナンパで苦しむ人
のオアシス、茶屋のイメージで、ひと息つけるブログにしましょう、という結論。
マンネリでもいいじゃないですか、それで喜んでくれる人達が、いたのだから・・。
★
以上が、ここ一週間で、考え抜いた結論です。いったい、このブログは誰の
ために、誰のおかげで、ここまで続いたのか?考えてみたら、明白でした。
単純に、多くの男性に、ナンパ教材を買ってもらったからですよ。それだけ。
お前は、それ忘れてないか?売れるの当たり前になって、感謝も忘れて、
何、ウダウダ言ってんの?結局、誰も買ってくれなかったら、とっくの昔に、
終わってんだろ?だったら、筋をとおせよ。買ってくれた人のために書け!
そういう言葉が勝手に口から出てきて、自分でも完全に納得してしまい、
八ッとして目が覚め、その瞬間、素晴らしい解放感がありました。終わり。
posted by fmtbank at 07:51| カテゴリ無し
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2012年02月11日
スッポかされたら感動した!
突然だが、カーヴィーダンスの先生を追っかけしたいと思う。48歳であの身体性は凄いし、
追っかけの99%が女性らしいから、1%の男性ファンとなって出待ちをし、差し入れしたい。
そして、おばちゃん達に混じって、「キャー!」と言いながら、先生のくびれを触らせてもらう。
そんな事を妄想しながら、書店の女性雑誌コーナーで、カーヴィーダンスのDVDが流れて
いるのをボーッと眺めていた。先生のかけ声に合わせて、つい体が動く度に、周囲の視線を
感じたが、もう変な人でいいやとカーヴィーダンスを始める。笑った人がいたら、声かけよう。
踊りたい時に踊る。これも修行である。そして、そんな状況を微笑ましく笑ってしまうような人、
とても素敵な女性だと思う。参拝する価値はある。しかし笑う人はなく、周囲から人も消えた。
書店に、閉店の知らせを教えるホタルの光が鳴り響く。僕は、そうくるかと、感動してしまった。
というのも、二時間待たされた挙句、待ち合わせをスッポかされたからだ。そんなの初めて!
★
ちょっと遅れるだけだろうと書店に寄ったら、いつの間にか二時間たってた。そりゃカーヴィー
ダンスにまで到達しますよ。しかしスッポかされて、なんで感動しているかというとワケがある。
それは、「縁がない人とは再会できない」というナンパワールドの鉄則を、まざまざと見せつけ
られたからだった。今回、それが面白いように決まった。ちなみに今回、会う約束してたのは、
数年前に仲良かった女性である。久しぶりに東京に来るというので、懐かしいので会うことに。
ところが、まず彼女の飛行機が雪で遅れた。本来は20時着の予定が、23時にまで延びて、
会うのが終電ギリギリになってしまう。朝型の僕はもう寝る時間だから、結局その日は会わず、
二泊するらしいので、翌日の20時に会うことになった。この時点で僕には、もう予感があった。
こういった予定と違う事が起こった時というのは、何か意味がある。彼女とは会う必要ないん
じゃないか?と思えたのだ。そしたら面白いように、翌日の20時にも連絡はこない。ウンとも
スンとも連絡はなく、彼女はそういう不義理をする人じゃないハズなのに、すぐに二時間たつ。
半ばあきれて帰ると、帰ったとたん、連絡があった。彼女には、突然急用が出来ていたらしい。
しかし、その事を連絡しないのは奇妙だ。そして、今から会おうと言う。僕は不快を感じ、断る。
そして、つくづく面白いな〜!と感心した。二日連続イレギュラーな事が起きて、再会できず、
結局のところ、二人が会う事は今後の人生で二度とないことがわかったのだ。セカイは実に
わかりやすく、それを提示した。彼女に対しての不快な印象まで与えて、縁を完全に切った。
そもそも性格のいい人なので連絡しないような事はないのに、なぜかその晩、そうなったし、
僕もよくよく考えたら、あんま会いたくないなと思っていた。お互い意識的には再会しようと
いう動きで同意していたけれど、もうお互いの縁など数年前で、とっくに終わっていたのだ。
このようにセカイは、もう役割が終わった相手とは会わせようとしない。以前は、それでも
強引に会ったりしていたが、お互い嫌な気持ちになって終わった。すごい頑張って押して、
ようやく再会できた相手と会ったとたん、こんな子と会うために頑張ったのか?と落胆し、
どうでもよくなったりなど、出番が終わった相手と実際会っても、何の進展もないのだった。
我々は、まるでドラマや映画の中で生きているようなもので、出番が終わったキャストは、
例外なく、眼の前から消えていく。そこで、もう一回登場してほしいと懇願しても、なんとか
登場してくれる場合もあるが、そういう場合、シナリオに無理があるので、これまた消える。
そういった無理をしても、何の得もない事がわかった。しかし、もちろん、未練があるならば、
とことん、その未練に身を捧げていいと思う。まれに逆転する時もあるかもしれないし、もし、
ダメでも、やはり出番が終わっていたかと気づくまで、徹底的に落ち込まされて分かるだろう。
囚われし者は、ボロボロになって初めて、マトリックスに支配されていただけだと、気づくのだ。
出番が終わった者に執着するのは、まるで亡霊を追いかけるようなもので、報われやしない。
★
連絡先を聞いても、再会できないで苦しむ者は多いが、たいてい皆、どこが悪いのだろう?
と迷い、悩む。そして服装だとか態度だとかを変えたり、いろいろ試行錯誤する。その過程、
もちろん無駄ではない。しかし一方で、ジタバタするのは無駄だという諦念も必要だと思う。
女性は「使徒」として、あなたに送られてきて、何かしらのメッセージを携えているわけだが、
その役目を終えたら、キレイサッパリ消える。特に最初の頃は、連絡先だけをパッと教えて、
消えてしまうアッサリとした小粒な使徒が多いだろう。別に、いいじゃない、再会できなくても。
ハッキリいって、ほとんどの相手は、とりたてて再会する価値はない。何も生まれないし、
相手にとってもプラスにならない。出会ったその瞬間だけ、縁があったにすぎない端役だ。
え?GETしたかった?本当に?ムラムラしたの?なら出会ったその時に、そのムラムラを
表現した?何?時間がなかった?で、連絡してもつながらない?あ、縁がなかったんだね。
それで終わり。何の心残りもない。だって縁がある人は、どんなに下手なメールをしようが、
再会できる。というか、連絡しなくても偶然出会ったりして、再会できてしまう。そんなもんだ。
もちろん、再会率を上げたいとメールの研究をするもよし、トークを勉強するもよし、その時、
自分の心に浮かんできた熱意にのっかって何かすればいい。そういう研究は結構面白いし、
事実、少しだけ再会率が上がったりする。しかし最終的に、あなたは、根本的に気づくと思う。
縁がある相手としか出会わないし、再会できない。たとえ無理して再会しようが、より道しても、
すぐに戻されて、縁は消えてしまう。だったら、いっそセカイに全てお任せすればいいんだ、と。
そして、今、目の前の相手こそを、とにかく大事にするしかない、というシンプルな結論に至る。
追っかけの99%が女性らしいから、1%の男性ファンとなって出待ちをし、差し入れしたい。
そして、おばちゃん達に混じって、「キャー!」と言いながら、先生のくびれを触らせてもらう。
そんな事を妄想しながら、書店の女性雑誌コーナーで、カーヴィーダンスのDVDが流れて
いるのをボーッと眺めていた。先生のかけ声に合わせて、つい体が動く度に、周囲の視線を
感じたが、もう変な人でいいやとカーヴィーダンスを始める。笑った人がいたら、声かけよう。
踊りたい時に踊る。これも修行である。そして、そんな状況を微笑ましく笑ってしまうような人、
とても素敵な女性だと思う。参拝する価値はある。しかし笑う人はなく、周囲から人も消えた。
書店に、閉店の知らせを教えるホタルの光が鳴り響く。僕は、そうくるかと、感動してしまった。
というのも、二時間待たされた挙句、待ち合わせをスッポかされたからだ。そんなの初めて!
★
ちょっと遅れるだけだろうと書店に寄ったら、いつの間にか二時間たってた。そりゃカーヴィー
ダンスにまで到達しますよ。しかしスッポかされて、なんで感動しているかというとワケがある。
それは、「縁がない人とは再会できない」というナンパワールドの鉄則を、まざまざと見せつけ
られたからだった。今回、それが面白いように決まった。ちなみに今回、会う約束してたのは、
数年前に仲良かった女性である。久しぶりに東京に来るというので、懐かしいので会うことに。
ところが、まず彼女の飛行機が雪で遅れた。本来は20時着の予定が、23時にまで延びて、
会うのが終電ギリギリになってしまう。朝型の僕はもう寝る時間だから、結局その日は会わず、
二泊するらしいので、翌日の20時に会うことになった。この時点で僕には、もう予感があった。
こういった予定と違う事が起こった時というのは、何か意味がある。彼女とは会う必要ないん
じゃないか?と思えたのだ。そしたら面白いように、翌日の20時にも連絡はこない。ウンとも
スンとも連絡はなく、彼女はそういう不義理をする人じゃないハズなのに、すぐに二時間たつ。
半ばあきれて帰ると、帰ったとたん、連絡があった。彼女には、突然急用が出来ていたらしい。
しかし、その事を連絡しないのは奇妙だ。そして、今から会おうと言う。僕は不快を感じ、断る。
そして、つくづく面白いな〜!と感心した。二日連続イレギュラーな事が起きて、再会できず、
結局のところ、二人が会う事は今後の人生で二度とないことがわかったのだ。セカイは実に
わかりやすく、それを提示した。彼女に対しての不快な印象まで与えて、縁を完全に切った。
そもそも性格のいい人なので連絡しないような事はないのに、なぜかその晩、そうなったし、
僕もよくよく考えたら、あんま会いたくないなと思っていた。お互い意識的には再会しようと
いう動きで同意していたけれど、もうお互いの縁など数年前で、とっくに終わっていたのだ。
このようにセカイは、もう役割が終わった相手とは会わせようとしない。以前は、それでも
強引に会ったりしていたが、お互い嫌な気持ちになって終わった。すごい頑張って押して、
ようやく再会できた相手と会ったとたん、こんな子と会うために頑張ったのか?と落胆し、
どうでもよくなったりなど、出番が終わった相手と実際会っても、何の進展もないのだった。
我々は、まるでドラマや映画の中で生きているようなもので、出番が終わったキャストは、
例外なく、眼の前から消えていく。そこで、もう一回登場してほしいと懇願しても、なんとか
登場してくれる場合もあるが、そういう場合、シナリオに無理があるので、これまた消える。
そういった無理をしても、何の得もない事がわかった。しかし、もちろん、未練があるならば、
とことん、その未練に身を捧げていいと思う。まれに逆転する時もあるかもしれないし、もし、
ダメでも、やはり出番が終わっていたかと気づくまで、徹底的に落ち込まされて分かるだろう。
囚われし者は、ボロボロになって初めて、マトリックスに支配されていただけだと、気づくのだ。
出番が終わった者に執着するのは、まるで亡霊を追いかけるようなもので、報われやしない。
★
連絡先を聞いても、再会できないで苦しむ者は多いが、たいてい皆、どこが悪いのだろう?
と迷い、悩む。そして服装だとか態度だとかを変えたり、いろいろ試行錯誤する。その過程、
もちろん無駄ではない。しかし一方で、ジタバタするのは無駄だという諦念も必要だと思う。
女性は「使徒」として、あなたに送られてきて、何かしらのメッセージを携えているわけだが、
その役目を終えたら、キレイサッパリ消える。特に最初の頃は、連絡先だけをパッと教えて、
消えてしまうアッサリとした小粒な使徒が多いだろう。別に、いいじゃない、再会できなくても。
ハッキリいって、ほとんどの相手は、とりたてて再会する価値はない。何も生まれないし、
相手にとってもプラスにならない。出会ったその瞬間だけ、縁があったにすぎない端役だ。
え?GETしたかった?本当に?ムラムラしたの?なら出会ったその時に、そのムラムラを
表現した?何?時間がなかった?で、連絡してもつながらない?あ、縁がなかったんだね。
それで終わり。何の心残りもない。だって縁がある人は、どんなに下手なメールをしようが、
再会できる。というか、連絡しなくても偶然出会ったりして、再会できてしまう。そんなもんだ。
もちろん、再会率を上げたいとメールの研究をするもよし、トークを勉強するもよし、その時、
自分の心に浮かんできた熱意にのっかって何かすればいい。そういう研究は結構面白いし、
事実、少しだけ再会率が上がったりする。しかし最終的に、あなたは、根本的に気づくと思う。
縁がある相手としか出会わないし、再会できない。たとえ無理して再会しようが、より道しても、
すぐに戻されて、縁は消えてしまう。だったら、いっそセカイに全てお任せすればいいんだ、と。
そして、今、目の前の相手こそを、とにかく大事にするしかない、というシンプルな結論に至る。
posted by fmtbank at 13:38| カテゴリ無し
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2012年02月10日
中2病ナンパを極めたるわい!
最近、迷いが生じてきていたんです。今は楽しいけど、このままでいいのか?
安定していますが、私の精神状態も、健全といえるのか?それが「うん!」
と自信もっていえなかった。社会との接点が最小限ですから、不安があった。
なにせ女性とばっか交流してたから、どんどん幼稚になってる。いや、待て、
女が幼稚って意味じゃないよ!ただ、男と女が仲良くなると、「好き?」「うん」
だとか、「はい、アーンして。」「チュー。」「やだー(笑)」みたいに子供になるし、
政治の話とかビジネスだとか、どうでもよくなるし、本当に疎くなっています。
だからナンパを通して成長したか?っていうと、むしろ退化している部分も・・。
ビジネス社会の中での振舞いだとか、大人側の訓練が欠落しているのです。
★
そもそも無職の三十代が、まず何をすべきかというと、社会に出るためにも、
仕事ですよね。でも私は、どうしても気が進まず、ナンパに頭から突っ込む
ことにしました。これって、やり残した事のクリア、リベンジというやつですね。
本来なら、大学時代に女遊びしておくべきなのが、出来なかったから、それを
引きずってる。この重荷があったら先へ進めないとばかりに、取り組みました。
そうして、クリアします。すると今度は、もっと奥深い、やり残したものが出て、
それが思春期の時のような恋愛でした。これはいうならば、高校時代かな。
高校時代に出来なかった、ほのかな恋愛がしたかった。これもクリアです。
つまり、やり残していった事を遡ってクリアしていったわけで、大学時代から
高校時代、ここでやめておけばいいものを、今度は中学時代にまでも入り、
私は子供じみているのも承知で、「マークシックス計画!」とか燃え始める。
これは引かれるぞ、と思いましたが、新しいナンパの発見に興奮止まらず・・。
それまで自分に禁じていたエヴァンゲリオンのネタを解禁してから、ナンパ
を中2病的に捉え直し始めました。それはセカイ系のナンパとして、結局は、
中学生が考えそうな妄想、自分は凄い能力があるという、超越思想でした。
これは幼稚であることは間違いないし、必然的に、「あたしゃ中年ですよ!
これって、どうなのかな?」という疑問、自己批判も、時に、生まれました。
しかし、もう後にはひけません。バカっぽいけど、そのバカこそを価値として、
中学時代に、やり残していた事をクリアします。当時は、子供すぎて不可能
だったこと、月刊ムーやSF映画が好きで、いろいろ想像していたことですね。
好きだから仕方ない。もう社会復帰しようなど考えず、我が道を進みますよ!
安定していますが、私の精神状態も、健全といえるのか?それが「うん!」
と自信もっていえなかった。社会との接点が最小限ですから、不安があった。
なにせ女性とばっか交流してたから、どんどん幼稚になってる。いや、待て、
女が幼稚って意味じゃないよ!ただ、男と女が仲良くなると、「好き?」「うん」
だとか、「はい、アーンして。」「チュー。」「やだー(笑)」みたいに子供になるし、
政治の話とかビジネスだとか、どうでもよくなるし、本当に疎くなっています。
だからナンパを通して成長したか?っていうと、むしろ退化している部分も・・。
ビジネス社会の中での振舞いだとか、大人側の訓練が欠落しているのです。
★
そもそも無職の三十代が、まず何をすべきかというと、社会に出るためにも、
仕事ですよね。でも私は、どうしても気が進まず、ナンパに頭から突っ込む
ことにしました。これって、やり残した事のクリア、リベンジというやつですね。
本来なら、大学時代に女遊びしておくべきなのが、出来なかったから、それを
引きずってる。この重荷があったら先へ進めないとばかりに、取り組みました。
そうして、クリアします。すると今度は、もっと奥深い、やり残したものが出て、
それが思春期の時のような恋愛でした。これはいうならば、高校時代かな。
高校時代に出来なかった、ほのかな恋愛がしたかった。これもクリアです。
つまり、やり残していった事を遡ってクリアしていったわけで、大学時代から
高校時代、ここでやめておけばいいものを、今度は中学時代にまでも入り、
私は子供じみているのも承知で、「マークシックス計画!」とか燃え始める。
これは引かれるぞ、と思いましたが、新しいナンパの発見に興奮止まらず・・。
それまで自分に禁じていたエヴァンゲリオンのネタを解禁してから、ナンパ
を中2病的に捉え直し始めました。それはセカイ系のナンパとして、結局は、
中学生が考えそうな妄想、自分は凄い能力があるという、超越思想でした。
これは幼稚であることは間違いないし、必然的に、「あたしゃ中年ですよ!
これって、どうなのかな?」という疑問、自己批判も、時に、生まれました。
しかし、もう後にはひけません。バカっぽいけど、そのバカこそを価値として、
中学時代に、やり残していた事をクリアします。当時は、子供すぎて不可能
だったこと、月刊ムーやSF映画が好きで、いろいろ想像していたことですね。
好きだから仕方ない。もう社会復帰しようなど考えず、我が道を進みますよ!
posted by fmtbank at 15:05| カテゴリ無し
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2012年02月09日
急にブログやめたくなりました(中2病)
急にブログをやめようと思ったのは、あらためて用語解説をつくった時です。
ズラーッと並んだ造語を見て、「うわー、これ、中2病こじらせすぎとるわ。」
と、急に恥ずかしくなってしまったんです。あたしゃ、何を一生懸命書いてる?
いつの間にか、シンプルさからかけ離れ、オカルトや古代文献等を中心に、
アニメや漫画やゲームの設定で使われると「かっこよさげに見えるもの」で
ナンパを装飾し、描こうとしてる。しかも時間かけてる割りには成功してない。
「あちゃー、これは、しんどいな。いったんリセットした方がいいっすわ。」
★
ちなみに中2病というのは、『思春期の多感な時期に発症する、妄想を強く
抱くことや、特別な存在になりたがるその症状。』というもので、世間に対し、
反抗のポーズをとったり、自分の想像力で描いた世界に閉じこもったりする。
これはネット上では「厨2病」とかいって、悪口として使われてるようですが、
もともとは、伊集院光が過去にラジオ番組で提唱した、中学二年生くらいの
ときってこういうこと考えるよな的な、おバカな好奇心と自己顕示欲ですね。
そして私は、完全に中2病です。ナンパのことをナンヴァといって、エヴァを
モチーフにしたり、禅や修験道ってカッコいいよな!と、取り込んでみたり、
だいぶこじらせています。最初から意図的に始めたとはいえ、かなり深い。
だいの大人が、中年が、「マークシックス計画だっ!」と息まいて、月を眺め、
息をひそめるようにして街を疾走していくその様は、アホそのもの。最高だ!
そう!実は、そんな自分をゲラゲラ笑って楽しんでいた。セカイ系のナンパ
を提唱する、とかいっても、結局は、女の子と自分だけの都合のいい世界、
想像力に満ちた閉じた世界にすぎません。中学生の生活って、狭くて限定
されてますよね?だからこそ、その中で非現実的な想像力で、世界を作る。
ただ中学生の時と違うのは、実際にこちらが想像したことが世界に反映し、
現実も変わる。確かに、ただ外では女の子と触れ合い、後は部屋にこもる
だけの閉じた生活ですが、実際、想像力を使うと、反応や出来事が変わる。
それが面白くって、たまらないもんだから、中2病は大歓迎でした。普通に、
世間の常識とかを守って、ロボットのように真面目に生きたり、他人の事を
イタイだとか、KY(死語?)とかいって批判するよりは、ずっとマシでしょう。
そういうのは中年病と呼びますが、当然ながら、私も、この中年病に少々、
かかってしまっている感がありました。もっと常識的にしようとして、本来は、
好き勝手に書けばいいものを、最近は、だいぶ遠慮してましたね。だって、
ほっとくと、中2病が暴走しますから。誰も共感できなくなる!と、ブレーキ。
でも、どっちを選ぶか?っていったら、もちろん中2病です。第三のナンパだ、
とかいって結局は、中2病的ナンパのことですが、やっぱり、お勧めだなー。
ただのオタクだと、完全に自分の世界に閉じてしまいがちですけど、そこへ、
女性原理という違う世界をぶつけて、破壊と創造を繰り返し、一体化すれば、
自分だけで規定した狭い世界ではなく、アッと驚く、新たな世界が開けます。
孤独な人ほど、その喜びは果てしがなく、中学生の多感な状態は最高っ!
ズラーッと並んだ造語を見て、「うわー、これ、中2病こじらせすぎとるわ。」
と、急に恥ずかしくなってしまったんです。あたしゃ、何を一生懸命書いてる?
いつの間にか、シンプルさからかけ離れ、オカルトや古代文献等を中心に、
アニメや漫画やゲームの設定で使われると「かっこよさげに見えるもの」で
ナンパを装飾し、描こうとしてる。しかも時間かけてる割りには成功してない。
「あちゃー、これは、しんどいな。いったんリセットした方がいいっすわ。」
★
ちなみに中2病というのは、『思春期の多感な時期に発症する、妄想を強く
抱くことや、特別な存在になりたがるその症状。』というもので、世間に対し、
反抗のポーズをとったり、自分の想像力で描いた世界に閉じこもったりする。
これはネット上では「厨2病」とかいって、悪口として使われてるようですが、
もともとは、伊集院光が過去にラジオ番組で提唱した、中学二年生くらいの
ときってこういうこと考えるよな的な、おバカな好奇心と自己顕示欲ですね。
そして私は、完全に中2病です。ナンパのことをナンヴァといって、エヴァを
モチーフにしたり、禅や修験道ってカッコいいよな!と、取り込んでみたり、
だいぶこじらせています。最初から意図的に始めたとはいえ、かなり深い。
だいの大人が、中年が、「マークシックス計画だっ!」と息まいて、月を眺め、
息をひそめるようにして街を疾走していくその様は、アホそのもの。最高だ!
そう!実は、そんな自分をゲラゲラ笑って楽しんでいた。セカイ系のナンパ
を提唱する、とかいっても、結局は、女の子と自分だけの都合のいい世界、
想像力に満ちた閉じた世界にすぎません。中学生の生活って、狭くて限定
されてますよね?だからこそ、その中で非現実的な想像力で、世界を作る。
ただ中学生の時と違うのは、実際にこちらが想像したことが世界に反映し、
現実も変わる。確かに、ただ外では女の子と触れ合い、後は部屋にこもる
だけの閉じた生活ですが、実際、想像力を使うと、反応や出来事が変わる。
それが面白くって、たまらないもんだから、中2病は大歓迎でした。普通に、
世間の常識とかを守って、ロボットのように真面目に生きたり、他人の事を
イタイだとか、KY(死語?)とかいって批判するよりは、ずっとマシでしょう。
そういうのは中年病と呼びますが、当然ながら、私も、この中年病に少々、
かかってしまっている感がありました。もっと常識的にしようとして、本来は、
好き勝手に書けばいいものを、最近は、だいぶ遠慮してましたね。だって、
ほっとくと、中2病が暴走しますから。誰も共感できなくなる!と、ブレーキ。
でも、どっちを選ぶか?っていったら、もちろん中2病です。第三のナンパだ、
とかいって結局は、中2病的ナンパのことですが、やっぱり、お勧めだなー。
ただのオタクだと、完全に自分の世界に閉じてしまいがちですけど、そこへ、
女性原理という違う世界をぶつけて、破壊と創造を繰り返し、一体化すれば、
自分だけで規定した狭い世界ではなく、アッと驚く、新たな世界が開けます。
孤独な人ほど、その喜びは果てしがなく、中学生の多感な状態は最高っ!
posted by fmtbank at 11:16| カテゴリ無し
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2012年02月08日
結論:女にはかないません。(白旗)
このブログは三つの要素で構成されています。まず3割が個人的
な体験談、さらに3割がナンパを楽にするための内容。で、残りの
3割が何の役にも立たない屁理屈で、最後の1割が「反骨心」です。
一見そんな風に見えませんが、根底には「反骨心」が流れています。
世間の常識だとか拝金主義だとかを、ぶっ壊したかった。うるせえよ、
この野郎!というパンクな精神。それをストレートに出すと凡庸になり
ますから、抑制しながら取り込みつつ、7年半も続けてきたのです。
ただ普通に、ナンパが出来るよう、応援してきたのではありません。
たとえば、このブログのタイトルは、「タダでナンパする!」であって、
決して、「ある程度のお金を持ちながら、お洒落な服を着て、スマート
にナンパする!」ではない。本気でナンパをうまくいかせ、女の子から
好感をもたれたかったのならば、ルックスをちゃんとして、お金を持つ
でしょう。なぜそれをしなかったのか?本当に、うまくいく気があった?
もちろん。でも、ある意味、失敗すればするほど面白いと思っていた。
★
確かに最初の頃は、お金がなかった。携帯は料金未払いで止まり、
インターネットも無料期間が終わる度に解約し、各プロバイダーを、
無料で渡り歩いていた。食費もない。しかし、そんな中でナンパしつつ
それでも時には、なけなしのお金を使って、店に入ったりもしていた。
しかし問題は、お金に余裕が出てからである。前のめりに作った教材
が思いのほか評判がよくて、大勢の方に買っていただき、生活に全く
困らなくなってから、私はこの恵まれた生活にアグラをかいてはいけ
ないとばかりに心を改め、さらに無一文ナンパをストイックにやった。
以前の貧乏時代は、たまにお金を使っていたが、もっと自分に厳しく、
徹底した。しかし考えてもみてほしい。そんなことする必要ないよね。
普通にお洒落な格好して、普通にナンパしてればよかったでしょう?
もともとマイナス要素が多いんだがら、さらにマイナスにするなんて、
自分の首を絞めている。つまり大人しく従順にやる気なんて、こちらは、
もとからなかったわけです。ある意味、効率主義だとかを小馬鹿にして、
ダメな自分も含めて、すべてを笑い飛ばした、アンチ・ノウハウでした。
言葉を変えれば「革命」がやりたかった。それに尽きる。お金の流通
自体はすごく便利で好きだけど、今のマーケティング社会は嫌いだし、
「ありのままの自分じゃ、誰にも相手にされない」という洗脳に反発し、
地味な服装で、「お金?そんなもんないね。」と、反骨精神の塊だった。
だから本当は「ナンパ」なんて興味なく、むしろブッ壊してやろうとした。
ところが逆のことをすると、意外にも、本質が見えてきてしまった。でも、
実際は、ひどいドロ沼にはまってしまい、ナンパに囚われの身となって、
本当に大変だった。それでも意地で続けたのは、まさしく反骨心だけ・・。
「脱出プログラム」が、一筋縄ではいかない、あんな内容になったのは、
すべてに対しての皮肉を入れた結果だった。ナンパ師が女性によって、
徹底的に滅ぼされて、そこからリベンジに向かう神話のひな型でもあり、
男性原理の弱い部分と本当の強さを、斬新に表現したかったのである。
それも自分自身を、いけにえのように捧げ、そのドキュメンタリーとして。
★
この、地味で弱気な見た目と裏腹に、しつこい反骨精神を持った私は、
まさに男性原理を抱えて、女性原理、つまり女性全員と向き合うことに
なった。そうして、いろいろあった挙句、ついに勝った。意気揚々だった!
ところが、それはすでにお釈迦さんの手の平を、世界の果てだと思った、
孫悟空のように、ただ女性の手の平で転がされていただけだったのだ。
そうして最終的に、女には絶対敵わないと知って、愕然としてしまった・・。
全ては陰と陽の二元性で、目に見えているものだけが、全てではない。
ハッキリいって、男ほど受動的な生き物はなく、女こそが行動的だった。
そもそもナンパなんてなかった。声かけることは、声かけられることで、
何かを話すということは、ただ言葉を引き出されること。体に触れること
は、触れさせられることで、一体化する時も一体化させられているだけ。
どんなに自分が行動しているように見えても、GETできたぜ!と得意に
なろうとも、全ては女に、そうさせられているだけで、向こう側が主体だ。
それを男は許せばいい。受動的になった途端、全ての扉が一気に開く。
降参してしまうと、不思議な事に、すべての女性が味方になる。もはや、
こちらが何もしなくても、寄ってたかって、世話を焼いてくれるのだった。
なぜなら、その時は、女性原理の流れと一体化しているため、まるで
幼子のように大事に扱われ、敵とみなされないからである。私自身も、
ナンパを脱出し、すっかり変わってしまった。口説く、口説かれるという、
対立構造のバカさ加減に気づき、一体化してしまったら、なんてラク!
この感覚を文章で表現することは難しい。やはり実際に感得すべきだ。
いずれにせよ、コーリングされたなら、招待を受けたなら、自分の身を
ナンパワールドに向かわせればいい。やるべき事は、それだけでいい。
すると、1ページ1ページめくるように、セカイがあなたに教えてくれる。
あなた自身のこと、そして、その他のことの全てが、目の前に晒される。
まさに、現実は小説より奇なり。そんな、ありえない事が起こり始める。
これは夢なのか?現実なのか?そういう時がくる。よい旅を。チャオ!
な体験談、さらに3割がナンパを楽にするための内容。で、残りの
3割が何の役にも立たない屁理屈で、最後の1割が「反骨心」です。
一見そんな風に見えませんが、根底には「反骨心」が流れています。
世間の常識だとか拝金主義だとかを、ぶっ壊したかった。うるせえよ、
この野郎!というパンクな精神。それをストレートに出すと凡庸になり
ますから、抑制しながら取り込みつつ、7年半も続けてきたのです。
ただ普通に、ナンパが出来るよう、応援してきたのではありません。
たとえば、このブログのタイトルは、「タダでナンパする!」であって、
決して、「ある程度のお金を持ちながら、お洒落な服を着て、スマート
にナンパする!」ではない。本気でナンパをうまくいかせ、女の子から
好感をもたれたかったのならば、ルックスをちゃんとして、お金を持つ
でしょう。なぜそれをしなかったのか?本当に、うまくいく気があった?
もちろん。でも、ある意味、失敗すればするほど面白いと思っていた。
★
確かに最初の頃は、お金がなかった。携帯は料金未払いで止まり、
インターネットも無料期間が終わる度に解約し、各プロバイダーを、
無料で渡り歩いていた。食費もない。しかし、そんな中でナンパしつつ
それでも時には、なけなしのお金を使って、店に入ったりもしていた。
しかし問題は、お金に余裕が出てからである。前のめりに作った教材
が思いのほか評判がよくて、大勢の方に買っていただき、生活に全く
困らなくなってから、私はこの恵まれた生活にアグラをかいてはいけ
ないとばかりに心を改め、さらに無一文ナンパをストイックにやった。
以前の貧乏時代は、たまにお金を使っていたが、もっと自分に厳しく、
徹底した。しかし考えてもみてほしい。そんなことする必要ないよね。
普通にお洒落な格好して、普通にナンパしてればよかったでしょう?
もともとマイナス要素が多いんだがら、さらにマイナスにするなんて、
自分の首を絞めている。つまり大人しく従順にやる気なんて、こちらは、
もとからなかったわけです。ある意味、効率主義だとかを小馬鹿にして、
ダメな自分も含めて、すべてを笑い飛ばした、アンチ・ノウハウでした。
言葉を変えれば「革命」がやりたかった。それに尽きる。お金の流通
自体はすごく便利で好きだけど、今のマーケティング社会は嫌いだし、
「ありのままの自分じゃ、誰にも相手にされない」という洗脳に反発し、
地味な服装で、「お金?そんなもんないね。」と、反骨精神の塊だった。
だから本当は「ナンパ」なんて興味なく、むしろブッ壊してやろうとした。
ところが逆のことをすると、意外にも、本質が見えてきてしまった。でも、
実際は、ひどいドロ沼にはまってしまい、ナンパに囚われの身となって、
本当に大変だった。それでも意地で続けたのは、まさしく反骨心だけ・・。
「脱出プログラム」が、一筋縄ではいかない、あんな内容になったのは、
すべてに対しての皮肉を入れた結果だった。ナンパ師が女性によって、
徹底的に滅ぼされて、そこからリベンジに向かう神話のひな型でもあり、
男性原理の弱い部分と本当の強さを、斬新に表現したかったのである。
それも自分自身を、いけにえのように捧げ、そのドキュメンタリーとして。
★
この、地味で弱気な見た目と裏腹に、しつこい反骨精神を持った私は、
まさに男性原理を抱えて、女性原理、つまり女性全員と向き合うことに
なった。そうして、いろいろあった挙句、ついに勝った。意気揚々だった!
ところが、それはすでにお釈迦さんの手の平を、世界の果てだと思った、
孫悟空のように、ただ女性の手の平で転がされていただけだったのだ。
そうして最終的に、女には絶対敵わないと知って、愕然としてしまった・・。
全ては陰と陽の二元性で、目に見えているものだけが、全てではない。
ハッキリいって、男ほど受動的な生き物はなく、女こそが行動的だった。
そもそもナンパなんてなかった。声かけることは、声かけられることで、
何かを話すということは、ただ言葉を引き出されること。体に触れること
は、触れさせられることで、一体化する時も一体化させられているだけ。
どんなに自分が行動しているように見えても、GETできたぜ!と得意に
なろうとも、全ては女に、そうさせられているだけで、向こう側が主体だ。
それを男は許せばいい。受動的になった途端、全ての扉が一気に開く。
降参してしまうと、不思議な事に、すべての女性が味方になる。もはや、
こちらが何もしなくても、寄ってたかって、世話を焼いてくれるのだった。
なぜなら、その時は、女性原理の流れと一体化しているため、まるで
幼子のように大事に扱われ、敵とみなされないからである。私自身も、
ナンパを脱出し、すっかり変わってしまった。口説く、口説かれるという、
対立構造のバカさ加減に気づき、一体化してしまったら、なんてラク!
この感覚を文章で表現することは難しい。やはり実際に感得すべきだ。
いずれにせよ、コーリングされたなら、招待を受けたなら、自分の身を
ナンパワールドに向かわせればいい。やるべき事は、それだけでいい。
すると、1ページ1ページめくるように、セカイがあなたに教えてくれる。
あなた自身のこと、そして、その他のことの全てが、目の前に晒される。
まさに、現実は小説より奇なり。そんな、ありえない事が起こり始める。
これは夢なのか?現実なのか?そういう時がくる。よい旅を。チャオ!
posted by fmtbank at 11:49| カテゴリ無し
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2012年02月07日
ブログが女に乗っ取られていた!
(今回も試しに、ツイッター風に書いてみる。文字数も同じです。)
男たるもの、ナンパは誰もがやればいいと、かつては思っていました。
今は違います。選ばれし者しか出来ません。といってもルックスの良
さだとかトークの能力が基準ではなく、ナンパワールドから、お呼びが
かかるかどうか?の一点のみです。それは突然、起こる事もあります。
これまでナンパなんて全く考えてなかった者が、ふと、してみたくなる
瞬間というものが訪れる。それは一瞬で消えるかもしれないけれども、
それから何度もその思いが募っていく。そうです、お呼ばれがきたの
です!ナンパワールドからのご招待、使徒からのコーリングです。
このコーリングは、友達に誘われたりなど直接的なものもありますが、
たいていは日常生活で、油断している時に起こる。例えば、街中にて、
チャラチャラしたナンパ師が声かけてるのを見ても、別世界と思って
いたのが、ある時、パッとしない、地味でダメな男が成功しているのを
見かけ、心に火が灯る。「あんなヒドイのでいいなら、俺の方がマシ。」
こんな俺にも出来るかも、と思えた時がコーリングです。どんなに、
ナンパAVが好きで楽しんでいても、自分でもやろうと思わないなら、
呼ばれてないわけですね。そういう意味では、ナンパする人の数が
ここまで増えたのも、ネットが普及し、内気な男でもナンパできると
いった事実が知れ渡って、コーリングが全国に拡散したからでしょう。
★
当然ながらこのブログも、そのコーリングの役目を果たしてきました。
ナンパするキッカケを作ったり、ナンパに行き詰った人が救われたり、
思った以上の効果、影響力があったようです。これは私自身の手柄
だと密かに思っていた時期もありましたが、それは大間違いでした・・。
私は、ただただ、コーリングに利用された。そんな風に感じています。
日本人特有の引っ込み思案で、人の目を気にしがちな多くの男性を
外へと、女の元へと、引っ張り出す役割。こうして書くと、偉そうだなと
思うかもしれませんが、私は、この役割が大変でイヤだったんすよ!
そもそも、この「タダナンパ」企画は、短期間で終わる予定だったし、
ここまで真面目に、他人のナンパをラクにするためだけに書きまくる
つもりじゃなかった。どうせ書くならバカ路線しか興味ないのに、何か
よくわからんテンションに入り、私の意思とは関係なく、気が付いたら
初心者に対する文を書いてる。それも、すんごい時間をかけてまで・・。
・・・コーリングです。利用されてる。私は、たんなる仲介役ですね。
女が男を呼び掛ける、その誘惑のコマの1つにされている。つまり、
女という性に全体の意識があるとすると、その集合意識は、とにかく
男を引き寄せる事しか意図していません。人類が生き延びるために
そうなっている。私は、それに巻き込まれてしまったと思っています。
女という全体意識は間違いなく、男を呼びこむ事に全てを賭けていて
手段は選びません。お化粧、お洋服を頑張ってる、なんて個々による
現象だけではなく、その深い全体の意識として、使うものは全て使う。
なにしろ現代の日本の男は、消極的で来てくれない。どうにかして、
目の前に連れてこなくてはいけない。そのためにネットも利用する。
そんな女性意識の働きによって生まれたのが、このブログや教材で、
引っ込んでる男を、目の前に連れてくるための媒介の一つとなった。
最初こそは、男性原理のナンパでしたが、まるでそれを諭すように、
私は女目線のナンパに移行させられ、しまいには女性を女神として、
参拝する事まで主張した。気づいたら、勝手に書いてしまっていた。
つまり、何無派道場は、女性原理に乗っ取られたのです。こちらは、
女なんて不要だという、禁欲的な修行世界、つまり男性原理こそを持
ちこんだというのに、アッという間に、これまた女上位の内容に侵犯さ
れた。事実、女性を敬うようにすると、ナンパは驚くほどラクになるし、
むろん降参した方が、お勧めなんですが・・・。(じゃあ、降参〜!)
posted by fmtbank at 12:29| カテゴリ無し
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