2012年06月26日

ナンパが楽しい人と、辛い人との違い

突然に、リセット!このブログは、久しぶりに、新たな領域に入ります。

最近、またも覚醒がありまして、次の段階にいくべきとわかったのです。

思えば、これまで新しい「第三のナンパ」を主張してきましたが、正直、
自分でもよく分かってないくせに面白がって述べていました。(恥ずい)

たんに、大勢の女性ををGETするのが「第一のナンパ」で、その反対、
自分にとっての最高のイイ女、運命の一人だけを求めて頑張るのが、
「第二のナンパ」と呼んでいたため、次は「第三」としていただけでした。

これを、女遊びでも、本命探しでもない、精神修養としてのナンパとして、
日本風に「何無派(ナンパ)」と表記し、道場での修行として表現しました。


それはそれで面白かったんですが、最近、飽和感を感じていて、すでに、
ブログも完結後のオマケ状態ですし、音声メルマガ『マークシックス計画』
のプロトタイプ編で紹介したような、まったく傷つかないナンパも開発した。
(後日談: しかし、これは最終的にマネしづらい失敗作だったのですが・・。)

その途端、過去最大に体調を崩し、あれ?全てやりきったのか?と萎えて、
もうネット上からは潮時か?という考えも浮かんだ。しかし体調を崩す時は、
必ず何か新たな事に気づけ、というサインです。やはり今回も、そうでした。


で、やっと、わかりました。これからの方向性は、ただ一つだけを目指します。

これまで、初期段階で、ナンパに楽しさを見出せず挫折する人は、やはり多く、
しかも、やたら大勢GETしても、満たされない人や、最高の彼女を見つけても、
元気を失った方までいたのですが、その理由が完全に、明確になったんです。

なぜ、つまらなくなったか?楽しくないのか?結果が出ていない人は、単純に、
結果が出れば楽しくなる、と思うかもしれませんが、結果が出ている人の中で、
「結果が出てない時の方が楽しかった」って言う人も、驚くほど、多いんですよ。

じゃあ、何が原因なんだ?っていう話ですが、それはズバリ!『創造性』です。


ナンパの楽しさは、『創造性』が発揮されているか?否か?もう、それだけで、
後はオマケといってもいいかもしれない。じゃあ、この『創造性』って、何なのか、
っていうと、別に面白い台詞をいう事でもありません。もっともっと根本的なこと。

それは、あなたの内から外へと流れ出すもので、心の奥深くにある源泉からの、
みなぎるパワーです。これは外から来るものではない。そして人間ていうのは、
外から来るものには、すぐに脳が慣れちゃうんですよ。まったく長続きしません。

人間は、内から外に流れるものでしか、真なる喜びは感じれないんです。それが
『創造性』であり、ナンパや人生の楽しさを左右する、唯一の分岐点になります。





何だよ、そんな事かいな、と思うかもしれませんが、私自身、何で、こんな大切な
ことをメインに掲げなかったんだろう?と完全に見落としていました。そして、もう、
完全に気づいてしまったのです。この世で一番怖いのは、『創造性』である事を!

死なんかより、ずっと怖いし、スリリング。私は今でも『創造性』を心底恐れている
ことに気づいています。おそらく、自分を表現するのが苦手な人は、共感できるで
しょうが、実は、コミュニケーションが上手と言われてる人ほど、恐れているんです。

もちろん、何のこっちゃ分からない人も多いでしょう。こいつは、実に、倒しがいの
ある化けものであり、これさえ、くぐりぬければ、全ての王国が手に入るんですよ。

当ブログでは、今後、皆が無意識に恐れている、この『創造性』をテーマにします。

何無派十牛図のアーキタイプも、『創造者』に入り、新展開とさせていただきます。


とはいえ、これまでの『何無派(ナンパ)』という表記なども、そのまま使用しますし、
そんなに違いはないかもしれません。ただし、軸がブレブレだった最近のブログと
全く違うポイントは、最大の目的が『創造性』へと、ガッチリ固定されている点です。

もうハッキリしてますが、ナンパは創造ですよ。創造そのものです。そして創造が
ない場合、そこに喜びはない。それを知ってしまった人は、もう普通の生き方など、
出来なくなってしまいます。それでもいいですか?決して後戻りできなくなりますよ。

以後のブログは、『創造者』となる方にのみ捧げられます。羊の群れの中にいたい、
普通の方は読まないでくださいね。ただ失うばかりで、何も得るものはないでしょう。

もはや模範解答なんか、出すつもりもありません。整合性や理屈に興味なしです。

あの強烈な『創造性』の発露の前に、全ては消し飛び、我も忘れて、あなた、だれ?

posted by fmtbank at 12:33| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2012年06月23日

何無派(ナンパ)神話大系

ちょいとオマケです。前回の『マインドゲーム』と同じ監督で、さらにお勧めの
アニメがあるので、一応ご紹介しておきます。(これも文化庁アニメ大賞受賞)

タイトルは、『四畳半神話大系』です。内容は、京都大学に入学した主人公が、
もし違うサークルに入っていたら、大学生活はもっと充実していたに違いない!
と悔んだ途端、時間が巻き戻り、また違うサークルの生活が始まるというもの。

そうして、いろんな人生が描かれていく、要はパラレルワールドものです。これが
ナンパと関係あんのか?と言われると、少し微妙ですが、あまりの大傑作ぶりに、
絶句してしまったので、やっぱり紹介しておきましょう。特に、引きこもりの人には!

あと、カン違いしている方もいるかもしれませんが、このブログは、ナンパブログ
というよりも、引きこもりが外のセカイに飛び出していくためのブログです。ただし、
外に一歩も出ない、完全な引きこもりの人よりも、心理的な引きこもりの人が対象。

どんなに働いていようが、友達が多かろうが、閉塞感を感じているのなら、毎日の
生活に息苦しさを感じているのなら、その人は引きこもりです。そういう人が閉じた
自分の殻から脱出するための応援歌であり、ナンパは、その一手段にすぎません。


そんなわけで、『四畳半神話大系』も、現状に不満タラタラの、引きこもりの方や、
悔いの多い、つまらない大学生活を送ってしまった方などへ、超おすすめします。

ただし注意点としては、もしかしたら合わないかもしれない。実際、私も発売当時に、
第1巻を観て、「つまらん」と切り捨てていたのですが、この間、体調崩していた時に、
ネットでの評価があまりにも高いので、他にやる事ないからと、観なおした次第です。

そしたら、あまりの傑作ぶりに、のけぞった!このアニメDVDは全4巻あって、まず、
第1巻は面白くないです。それでも続けて第2巻も我慢して観ます。すると第3巻で、
結構、面白いじゃないかとなり、最終の第4巻で、一気に、超大傑作になり失神する。

私も「どうも微妙だな。」と鼻クソほじりながら、寝そべって観てたのが、最終巻で、
完全に心を持っていかれて、また最初から観なおしてしまいました。こんなに途中
までは我慢が必要となり、最後でパズルのように絶頂感を与える作品って珍しい。


この作品も、広い意味では、引きこもりからの脱出なんですが、ループする人生
からの脱出がテーマであり、『マインドゲーム』とは、また違います。あっちの方は、
閉じたセカイ(鯨の腹の中)が、もうすぐ終わるから出なくてはいけない!といった、
時間制限をかけられたがゆえの、火事場の馬鹿力、全力疾走でもって脱出します。

これはナンパを始める、初期の起動時にも使える、「陽」のアプローチ。追い込まれ、
今まで抑圧されていたパワーを使う。一方、今回の『四畳半神話大系』は、間逆です。

「陰」のアプローチでの・・、

あっ!

ネタバレしたら、これから観る人、可哀そうじゃんか!


観るつもりの人は、ここで終わり。以下、ネタバレです。

紹介の動画も貼っておきますが、これは、すでに観た人用。

あの感動を、うまく6分にMIXして、表現できている動画です。







(以下、ネタバレ注意)

では、引きこもり生活や、惰性の日々(ループ)から脱出する方法のつづきです。

実は、自分の殻の破り方というのは、陰と陽で二種類あり、ピンチに出くわした時、
制限時間があって、急がないといけない時などに発揮される、火事場の馬鹿力と、
逆に、力尽きた時に、パワーがゼロになった時に、新しい事に気づく、無為の覚醒。

前者が、『マインドゲーム』での、ハイテンションに全力疾走で脱出する過程であって、
後者が、『四畳半神話大系』での、延々に続く日々から、絶望の挙句に、本当に大事
なことに気づくという、あの感動的なラストです。見事に、正反対の脱出劇であります。

これをナンパに当てはめると、最初こそ、時間を制限して、勢いをつけてやった方が、
絶対に成果は出ます。ところが、慣れてしまって惰性の日々になり、同じパターンに
はまり込んだり、絶望したりしてしまったら、とにかく、気づくことが大事になってきます。

『四畳半神話大系』でも、主人公が閉じ込められてしまったセカイで、同じ部屋ばかり、
並列していたと思いきや、少しずつ違ってることに気づき、最終的に、自分が先延ばし
していた大事なことに気づき、脱出できる。さらに最終話の反転は、実に、素晴らしい!


もしや、私だけが過剰に反応してしまっているのかもしれませんが、それも仕方ない。

ウンザリするような引きこもりの日々を、あの並列する四畳半世界に感じてしまったし、
何より、制作中だった新しい音声メルマガ『ナンパ脱出プログラム』のラストと、まさに
同じ展開で、「好機は目の前にぶら下がっている」というオチに、心底、驚いたのです。

よって、『脱出プログラム』は、『何無派(ナンパ)神話大系』というタイトルに変えて、
もしこの子と付き合っていたら?というパラレルワールドものにしようかと思いました。

しかしドキュメンタリーなのに、パラレルワールドというのもなー、演出が強すぎます。





とにかく、『脱出プログラム』も『マインドゲーム』も『四畳半神話大系』も、共通して、
ある目覚めを描いていますが、それは「他者」という存在に対する、熱い希求です。

「他者」に会いたい。「他者」は楽しい。「他者」は愛しい。皆、他者を求めて行動する。

よく、刑務所に長く入っていたヤクザが、シャバに出て、女にむしゃぶりつくシーン等、
ドラマなどで描かれますが、そういう性欲よりもっと深い部分での、他者への希求は、
人間の心の奥深くに、根強くたぎっているのです。我々は、他者を必要としています。

依存ではなく、もう純粋に、他者という存在が好きなんですよ。それに、気づくんです。


ナンパをずっと続けていると、他者が嫌いになる時期もあるかもしれない。しかし必ず、
そんなエゴは破壊される時がきて、セカイは反転します。それこそが恩恵なんですね。

『四畳半神話大系』の主人公の最後のダッシュは、本当に美しかった。同じように早口
な主人公である、映画『モテキ』の最後のダッシュなんかより、数百倍、感動的でした。

あれは、ただの性欲と記憶による欲望にすぎず、『四畳半神話大系』の深さには、全く
及びもつかないでしょう。こちらは、まさに他者そのものに対する憧憬、神話なんです。

これにて、ナンパは神話であると、完全決着がつきました。私も最高のものを創ります!

posted by fmtbank at 12:18| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2012年06月20日

あなたは、どういう風に死にたい?

全員に必ず訪れる『死』について、考えたことのない人などいないでしょう。

よく考えると不思議なんですが、我々は消えるんですよ。こんなにいろいろ、
活動して、蓄積してるのに、消えるんですよ。あの仲のいい子も親しい人も、
かき消えてしまう。答えなんかないのは分かってるけど、何なんですかね?

あと臨死体験ってのがあって、死にかけた人の話も不思議です。三途の川
の夢とかではなく、死にかけた体から離れてフワフワ浮かび、それを上から
見つめて「あっ、終わったんだ。」と、なんの感情もなく、冷静に感じてしまう・・。

その途端、体に戻され、痛みにショックを受け、「頼むから死なせて!」と叫び、
事故現場から救急車に乗せられ、病院に運ばれていく。そして見事、生還と。

思えば、バイクとかで事故にあって、体がふっ飛んだ時、スローモーションに
なるっていうのも不思議じゃないですか?これは特別なオカルト話ではなくて、
何千人、何万人(?)と経験している、時間が伸びる不思議な状態であります。


しかしまぁ事故だとかで突然、死ぬ場合ってのは、やはり少数です。たいていは、
病死となり、しかも病院で死にます。施設で寝たきりのまま死ぬ方も多いようです。

でも、どうせ死ぬなら「大往生」が良くないですか?例えば、『無病法』を書いた、
102歳の貴族は、死の当日まで普通に散歩し、食事をして、その後、昼寝の時、
眠るように死にました。こうして普通に動ける中で、ポックリいけるのは幸せです。

そんな中でも、20世紀初頭のトリックスター、マルセル・デュシャンの死に様は、
とても気に入っています。彼は美術館に、普通の便器を飾って、そこにサインし、
自分の作品とした、芸術の破壊で有名ですが、ダリのように自意識過剰じゃない。

芸術家達とつるむわけでもなく、何者でもなく、普通に暮らした。そして彼は晩年、
言います。「幸せな一生でした。」しかも苦労話もなく、軽やかな語りでもって言う。

そしてデュシャンの死に様なんですが、これが素敵なんです。毎晩の日課として、
奥さんとジョーク本を読んで、そのオチで爆笑した後、眠るんですが、最後の日も、
爆笑した後、そのまま永眠したらしい。最後に笑ってから死ぬなんて、素晴らしい!

しかも、笑いのツボが同じ奥さんに看取られてだなんて、ロマンチックすぎる(涙)・・。


で、これに私は影響されて、最近はいつも寝る前に、アメリカのバカコメディを観て、
眠るんですが、これがもう、眠りも深くて、目覚めもいいんです!超気持ちイイ〜!

やっぱ笑う事はいいですね。ギャグのレベルがどうのこうの、とか気にしちゃダメで、
とにかく、どんなにくだらなくても下品でも、自ら笑っちゃえばいい。そしたらスッキリ!

で、そんな幸せな日々を送ってたんですが、先日、『ドラゴンタトゥーの女』っていう、
発売したてで、007役が出てるのもあり、借りてみたんですが、これが最悪でした・・。

ただの変態暴力映画で、寝る前に観た私は、悪夢にうなされ、眠りも浅く、目覚めも
最低で、一日調子悪かったです。ところが翌日、またまたバカコメディ映画を観たら、
元気いっぱい!多幸感!つくづく、寝る前に観る情報ってのは、重要だと思いました。

よく寝る前に消化の悪いものは食うな、って言うけど、映画だとか、情報も同じですよ。





そんなわけで、このブログでは、寝る前に見ても元気が出るような、ナンパ修行に
向かう前に見てもモチベーションが下がらないような情報だけを書いていきますね。

ただ、もう「模範解答」はいいでしょう?別に、それを求められてるわけじゃない事に、
最近、気づきました。そういう標準的なのは、女ウケする人達に任せて、もっともっと、
ダメ男が現状を打破するような、極端な意見を書いた方が、ノレる人が多いのかしら?

いずれにしろ、一番大事なのはモチベーションだって事は、ある程度、続けた方は、
わかっているでしょう。ノウハウなんて基本的なことだけで充分。それ以前に、まず
挫折した人は全員といってもいい程、モチベーションが原因で終わっているんです。


そして、モチベーションを上げるには、最終的には、ヴァカしかない、と思っています。

小賢しくなったら終わり。何の面白味もないロボット、奴隷、中古品の出来上がりで、
そこに歓喜はない。世間に従うか?自分の本音に従うか?二者択一でございます。

しかし、自分の本音や直感に従うのって、本当に、勇気いりますよ〜。なんたって、
全部、自己責任で、前例から外れた、前人未到なんです。これは理性で何とかなる、
そんな類のものではない。むしろ逆に、思いきって全て捨て、ヴァカになる以外ない。

だから、今後は、この「ヴァカ」に重点をしぼって、展開していきたいと思っています。


ところが、そういう私自身、最近はすっかり利口になってきていて、自分を戒めるため
にも、「ヴァカ」を意識しなくてはいけないと、襟を正しています。いや、乱しています。

いろいろ多くを知ってしまうと、経験してしまうと、「ヴァカ」になれなくなっちゃうんです。

子供が元気なように、入学したては希望に満ちているように、知らない方が楽しいし、
女を知らない人の方が恋にも燃えやすい。この「知らない」パワーこそを再び活用し、
ソクラテスじゃないけど、本当は何も知らない、という無垢を取り戻さなくてはいけない。

最初の頃は、この「知らない」力での独走は、自分でもほれぼれしました。先の事を
まったく考えてないまま突っ走る喜び。『覚醒プログラム』には、その時のエネルギー
が込められています。そして、実は、この時、そのキッカケになった映画がありました。

それが、アニメ映画の傑作『マインドゲーム』です!(文化庁アニメ大賞もとってます。)


内容は、ヘタレの男が臨死体験した後、別人のように大胆になり、狭い制限された枠
から脱出するという、単純なストーリーで、脱出の仕方も、ただただ、走るだけという、
全編ハイテンションに貫かれた、ヴァカ映画。ハマる人にはハマりますが、独特です。

声優が吉本芸人なのに、芸術っぽい作風だったり、人を選びます。一応、紹介動画
も下に張り付けておきますが、面白そうだと思った方だけ、どうぞ。(少しネタバレあり)

特に、方法とかにこだわって、原初のモチベーションを忘れている方に、おすすめ!







以上、久々の映画紹介でした。今後も、マルセル・デュシャンが死ぬ前に、笑い本を
読んでから死んだかの如く、この映画を観てから死んでもいいんじゃないか?という、
『死ぬ前に観たい映画』シリーズとして、モチベーションUPのために、ご紹介します。

キリストの最後の晩餐みたいな感じですかね。最後に何を食べるか?何を観るか?

なお、その映画を、死ぬ前に一緒に観る相手というのは、ご自身で見つけてください。

(あたぼうよ!)

posted by fmtbank at 15:28| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2012年06月12日

なぜかモチベーションが上がらない人へ

結果も出ないし、やる気も出ない。そんな方は「やり方がマズイのか?」と迷い、
いろいろ試したりするかもしれません。ところが、意外に見落としがちなのが・・・。

「食事」です。この答えは、地味なんだけど、そうなんだから、しょうがないです。

「食事」を変えるだけでも、信じられない位、モチベーションが上がったりします。

具体的に、胃腸の負担をなくすために、消化のいいものを選んだり、よく噛んだり、
細かい要素はありますが、一言でいえば、食事を減らして、体を少し飢えた状態に
おくことで、心身を活性化させるハングリー精神てやつです。これは本当に効果的。

これからナンパ修行する者に、満腹は大敵!動物は満腹では、動けないように、
動く気がおきないように出来ています。それどころか、食べ過ぎると、病気になる。


ナンパは体が資本です。食事が原因で体調を崩すことは、とにかく避けましょう。

このトピックスって、本当に、本当に、忘れがちなんです。今まで同じような事を
何回か主張してきた私でさえも、いつの間にか、すっかり忘れてしまう位でした・・。

先週、ずっと体調を崩してて、結局、それは風邪をこじらせただけでしたが、なぜ、
ちゃんと体もリラックスさせていたし、脳もプラス思考になっていたのに、こんなに
治らないんだ?と疑問を抱いてましたが、答えは簡単。「食事」を減らさなかった!

体調崩したら、ただただ、食事を減らせば、食べなければ治るのに、そんなことは、
すっかり忘れて、普通に食べていました。たんなる習慣としてです。それに高熱が
出てたわけではなく、中途半端に体調悪かったので、油断して、こじらせたのです。


あと、病気の時って、何かする気力がないので、気分転換に食べたくなるんです。

実は、これが一番よくない。「精をつけなくては」という古い迷信から、食べてしまう・・。

食べた直後って、血行がよくなり、元気になったと錯覚するだけです。その実情は、
食べ物を食べた途端、ウイルス・細菌との戦いを一時中断してしまい、消化吸収に
エネルギーを費やすことになって、その時だけ、症状がなくなるだけにすぎません。

結局、消化活動が終わったら、その間、免疫機能を留守にしていた分のツケが一気
にドッと、増えた悪玉細菌の攻撃を浴びることになり、完治が遅くなってしまうんです。

それを今回、嫌っていう程、自分で経験しました。ちょっと治りかけては、また体調を
崩すという繰り返しは、毎日おいしい物を食べたせいで起こったのです。たんに食事
を抜いたら、みるみるうちに回復し、今では最高の絶好調ぶり。小学生の元気です!





やはり栄養不足の昔と違い、現代では、大抵、食事を減らしたほうが健康になります。

調べれば調べるほど、ほんのごくわずかな食事の人ってのは、めちゃくちゃ元気で、
上機嫌なんですよね。余計な消化活動にパワーとられないから、集中できて、肉体
から自由で、心も広い。難病も治ったり、食事を減らすことは不思議なパワーがある。

ちょうど出たばかりの『無病法』という本を読んでたら、著者は16世紀の貴族ですが、
40代まで美食で、ずーっと病気がちだったのが、もう病気で死ぬ、と追いつめられて、
最後に、ごくわずかの食事にしたところ、超健康体になり、102歳まで活躍したらしい。

日本人でも、甲田さんや石原さんなど、小食の凄さを啓蒙してきている方は多いです。
私も以前、相当な健康マニアでしたので、その手の本は大量に読みまくってきました。


ところで震災後、日本人の集団意識として、食事を減らした方が良いという方向性が、
顕在化してきていると感じます。 南雲さんっていう、一日一食を提唱しているお医者
さんの本がベストセラーになっていて驚きました。震災前には、ありえなかったです!

南雲さんは、震災前にも2冊本を出していましたが、全く話題になっていなかったし、
1日1食なんてマニアックすぎて、まさか病気以外の人が興味もつとは、驚きました。
あくまで入口は、アンチエイジングなんですが、それだけで、あそこまで売れません。

こりゃ絶対に、小食にしないとヤバイという集団意識が働き出しています。放射能も
あるでしょうし、口から取り入れる物質は少ない方がいい。しかし、そもそもがガンを
始めとする病気の多くが、食べすぎによって起こっているのだから、ようやく意識に
のぼったということです。とにかく、体調が悪い人は、食べる量を減らしてくださいね。


実をいうと、これまで、このブログを更新してきて、最も感謝されたのが、一日三食を
食べていて、長年、不調に悩まされていた方が、二食に減らしたら、治ってしまった!

そんなナンパとは関係ないご報告でした。それだけ体調が悪いというのは、苦しいし、
身体が元気に戻るのは、死ぬほど嬉しいんです。(彼女が出来るとか以上なんです。)

なお私に病気の事を相談される方がおられますが、申し訳ありませんが、私なんかに
尋ねるのではなく、上記にあげた専門家の情報を調べてください。私はナンパが専門
でして、病気治しはズブの素人ですから。というわけで、やっとナンパの話に入ります。





ちなみに、ナンパと食事の話は、すでに何度か書いた気がするので短めに書きます。

まず、小食にすると、胃腸の負担が軽くなり、爽快な気分になるというのは、お伝え
した通りです。ですので、ここでは、たった一つだけ、食事に関して提案いたします。

それは、ナンパ修行を開始する時間を、食後どれ位たってからか?意識すること!

もう、これだけです。実は、まとまって修行する場合、食事の時間が非常に大事で、
胃腸の丈夫な人はともかく、モチベーション低下の原因が、この「食後」という時間
にある場合は意外に多いかもしれません。消化活動にエネルギーもってかれてる。


例えば、私は最初期の頃、安いし眺めがいいからって、新宿都庁の職員食堂にて、
食事をして、すぐに修行を開始していました。いわゆる、食後すぐ、ってやつですね。

で、この時っていうのは、正直いって、絶不調でした。食後すぐは血糖値が上がって、
すごい元気になるんですが、食休みしないので、しばらくしたら頭がボーッとし出して
だるくなったり、すぐ帰りたくなっていました。消化活動にパワーをとられ、辛かった・・。

そこで、なるべく食事は家でとり、ちゃんと食休みを入れて、食後1時間後、2時間後、
という風に、出発する時間を1時間ずつ伸ばして、体の動きやすさを見ていきました。

しばらくは2時間後とかに出てましたが、胃腸の働きがよくなったのか、3時間後位に
トイレ行くようになったんです。そうなると、トークの最中とかでもトイレ行くのが嫌で、
出かける時間をさらに4時間後、5時間後とかに伸ばしていったら、これが大ビンゴ!

最も体調がよく、動きやすいし、精神も透き通っていることに気づき、定着したんです。


『腹が減ったら運動しなさい』という本にもありましたが、動物は腹が減り出して初めて
獲物を捕まえに動き始めます。お腹が空くというのは「動けよ!」という指令なんです。

エネルギーが貯まったから、それを使って、新たな獲物を捕まえに動けるというのに、
現代の人間は、腹が減った瞬間に、飯を食ってます。それどころか、そもそも減る前、
まだ消化活動してるのに、時間がきたからという習慣だけで、食っているわけですね。

そりゃあ病気になるわ!という話です。ですので、腹が減ったら、すぐに食べないで、
ナンパ修行に出かけると、体の貯蓄された脂肪が燃焼し、ドンドン元気になってきて、
頭もフル回転し、トークも冴えわたる、っていう話です。思い返せば、私自身が一番、
アグレッシブだった時は、食費がほぼなく、うろついていた頃でした。ハングリー最高!


しかし、ハングリーすぎるのも辛いかもしれません。一時期、禁欲にはまりすぎた時、
朝から何も食べずに修行してましたが、完全に体は省エネモードに入り、性欲ゼロで、
フラフラになってました。トークもかぼそく、あれは、やりすぎだったと、思っています。

ただし、忙しい医者の方なんかは、夜寝る前の一食だけで、バリバリ仕事してますし、
やはり、これも慣れだとか体質でしょう。とにかく、食事に関しては、それぞれが自分
の体で実験し、試していくことです。全員の体が、面白いほど、少しずつ違うんですよ。

ですから、食後何時間がいいか?という問題も人それぞれですし、そもそも胃腸が
丈夫なら問題にもならない。今回は、体調を崩しやすい人に向けました。お大事に!

posted by fmtbank at 14:39| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2012年06月09日

見ちゃダメよ!(泣いてはいけないシリーズ)

やっと完全復活しました!実をいうと、もう10日間位、体調を崩したまま、
全然治る気配もなく、参っていたのです。こんな長い不調は初めてでした。

最初は、「病は気からだ」とヤセ我慢して、自分の脳に対し、強気の姿勢で、
叱咤激励していましたが、外出する度に、ドッと疲れて、全然治らないんす。

普通の風邪なら、1〜2日だけ熱が出て治るのに、ずっとダルくて、頭も重く、
何かをする気力もない。これはもしや、何かの病ではあるまいか?と覚悟し、
途中から抵抗するのをやめて、不調自体を、じっくりと味わうことにしました。

こういう病気の時っていうのは、「どこか間違えているぞ」というサインであり、
また、新たに進化するための、身体の再構築の時期と捉えています。だから、
ジタバタするのをやめて、ひきこもりライフを満喫すること。これが、大正解!

見事に、新たなものを掴めたし、間違えていた事にも気づき、元はとりました。


しかし、まだまだ修行が足りない。今回は体調の悪さに、非常に凹みました。

とにかく、だるくて、気分が塞ぎこんで、いわゆる「ウツ」気分。しかしポイント
として、「ウツ」なんて言葉は使わない。私は「ウチ」なる時間、と呼んでます。
(言葉というのは呪術なんです。人を縛る、すんごいパワーがあるんですよ。)

人間の精神は、外側に向かいたい時と、内側に向かいたい時と、両方あって、
バランスとるために「ウチ」に入るんです。そして、その陰気な感じを、ちゃんと
味わう。今回、私は、人生なんて意味ないんじゃないの。全部、消えるのに・・。

そんな儚い気持ちになって、消えていく恐怖、その後は、空虚感に襲われて、
ひたすら出てくる思考に対し、「ゆるします」と唱え、全て肯定しながら流して、
味わいつくしました。希望は一切なかったけど、抵抗しなければ大丈夫です。


こちらは、引きこもり生活を長く送ってますから、自分の精神の扱いには、もう、
慣れっこというか、長けています。しかし、今回の人生最長の身体的不調には、
本当に参りました。いろいろ行動したいのに、身体がいうこときいてくれません。

おかしいぞ?何か嫌な事があったわけじゃない。むしろ好調な日々だったのに、
ここにきて何だっていうんだ?と、精神は焦り、最初こそジタバタしていましたが、
やはり体が動かないことを受け入れるしかありませんでした。抵抗をやめます。

そして、今の自分にできる事だけをすることにしました。特にベストだったのが、
重病の人の身になることでした。こういう時こそ、感情移入できて、身にしみる。





世の中、病気で体が動かない人は、意外に多い。また老いたことによる、体の
不自由ってのもあります。そういう人達の情報を集め、そのまま死んでいくのは、
どういう感じなのか?自分の不調を利用して、思いっきり同調してみたんですね。

まずハッキリわかったのが、体が弱ると、そのまま自動的に気力も弱まります。
90歳で肺に穴が2つ開いてても、真冬に凍った水風呂に入ってた中村天風さん
レベルはともかく、普通の人は、気力を出そうにも出ないっすよ。哀しいほどに・・。

よくバリバリ働いていた人が、病気になった途端、別人のように弱くなるケースは、
非常に多い。しかし怒ったり、恐れたり、まだ現状に抵抗できているうちは元気で、
最後は意識も混濁していく。だから死への恐れさえも感じなくなっていく場合もある。

そういった、セカイから鈍〜く退いていく感じは、何ともいえないですね。どんなに
世の中で成功しようが、全ては夢だったように思えてしまう。ベッドの中で縮んで、
身動きとれないまま、ただ耐えている時間だけが空しく過ぎて、意識を失っていく・・。


なーんて暗い気持ちになってた時に、素晴らしい動画を見つけました。日常では、
ネットサーフィンなんて、時間もったいなくて、1分位しかやんないんですが、今回、
あまりに体調が悪かったので、ダラダラと長くやっていたところ、見つけたのです。

それは筋ジストロフィという、体がドンドン動かなくなっていく難病の車イスの方と、
日本で第一号の介助犬とのドキュメンタリーでした。これには、見事にツボった・・。

なんせ、動物とテレパシーで同調できるという能力を持った、ハイジさんも登場し、
やたら感動を呼び起こすつくりになっています。全部で15分を超える動画です。

前もって、いっておきますが、泣きたくない人は見ちゃダメよ!特に、犬好きは!


そんなわけで、この犬の忠誠ぶりに感動し、死ぬまで生きよう!という気にもなり、
また、普通に体が動くだけでも充分、幸せじゃないかと、気持ちをあらためました。

あと、注目すべきはハイジさんの能力ですよね。あれは、ナンパにも使えますよ。

彼女は、高校時代に友人とスレ違った時、自分への悪口が聴こえてしまい、その
ショックで人間の心を見るのは止めてしまったそうですが、我々は、やりますよ。

マークシックス計画の最後のキーがある限り、何無派修行者に、怖いものはない。

なお、地蔵で悩んだりしている方や、人を信用できなくなっている方も、なんとなく、
元気が出るような気がする、という、曖昧な理由で、今回の動画を紹介しました。

(後日談:すでに動画は消えてしまいました。全ては、いつ消えるかわからない!)

posted by fmtbank at 16:52| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2012年06月08日

あなたは、すでに存在していない!

あなたは、本当は存在しない。「自分」という感覚は、ただの記憶にすぎず、
一つのフィクションである。・・なんて言われて、おいそれと信じられますか?

否です。そこで、有名な話ですが、ある科学者の体験談をご紹介します。





かなり優秀な脳科学者(女性)が、ある時、脳卒中になり、左脳がほとんど
使えなくなります。そしたら、今までにない、不思議な精神状態に陥りました。

なんと、自我が消えてしまったのです!そこには、素晴らしい安堵があった・・。

彼女は、科学者らしく、著書で、その時のことを綴ります。(『奇跡の脳』より)


 「自分というものは、想像上の概念でしかなかった。その、自分はなかった、
  という衝撃は、全てとつながっている、という、終わらぬ喜びに変わった。」


つまり、「自」と「他」の境界線がなくなってしまったのです。これは赤ちゃんと
同じで、赤ちゃんも最初、自他の境界を理解するところから始まるそうです。

それが、大人になってから、後天的に組み立ててきた記憶や、検索マシンの、
理屈を司る左脳がクラッシュしてしまい、赤ちゃんの状態に戻ってしまった、と。

その結果、常に今、この瞬間を感じて充足している、まさに悟りの状態になり、
何かに「なる」という時間の領域に生きず、常に「ある」という生き方になった。

それは、自分も他人も同じという感覚ですから寂しくなく、素晴らしいんですが、
時間という概念もなく、まったく一人では日常生活を送ることさえ出来ません。


そこで仕方なく、リハビリして、再び左脳を構築していく過程が描かれます。

まずは肉体を個体としても感じられないので、簡単な運動から始めました。
最初は、ただ歩くことから始めて、段階的に、難しい動作も入れていきます。

例えば、ウォーキングの時、同時に上半身も鍛えるために、重りを持って、
振り回しながら歩いた。その時、変人に見られたけど、左脳の自我センター
を失っているから、誰がどう思おうが、まったく気にならなかったそうです。

これって、ナンパする時も自分がいなければ、ラクだなと思うかもしれない。


だからといって、地蔵になってしまう人に、脳卒中になって、左脳を破壊だ!
なんて、勧められません。だって左脳は、論理である言葉を操る脳であり、
こっちも大事です。なお左脳のことを、著者は「物語作家」と呼んでいました。

何かと理屈や繋がりを構築し、自我を創作するのも、この物語作家の仕業・・。

つまり、「自分」というのは、過去から未来へと連なる、連続した記憶ですが、
結局、これは物語ということです。物語という、時間の概念がないと、自分は
存在できないという、いかにも、曖昧な存在なわけです。幻想といってもいい。

でも、その時間という幻想を楽しむのが、このセカイの意義かもしれません・・。





ただし左脳は、物事を分けるのが得意ですから、もちろん、自他を分けます。

すると、他から切り離された「分離」を感じるので、孤独や葛藤が起こってくる。

そして、そこから苦しみが生まれるわけです。この世の中の苦しみは、やはり、
人間関係から生まれるものが非常に多く、独りになりたくなるのも、よくわかる。

しかし同時に、他者は、苦しみと同時に、喜びも与えてくれます。どっちか一つ、
というのは成り立たない。陰と陽のセカイですから、必ずや反転していくのです。


それでも、その他者との交流による喜びのために、苦しみも体験するなんて、
面倒くさいこと、この上ないため、考えてしまったら、一歩も踏み出せなくなる・・。

なんたって、その苦しみとは、たんにウザイだとか、傷ついたとかいう、表面的な
マイナスだけでは止まらず、ひいては、もう自分にはどうしようもない位に狂って、
怒って、落ち込んだりなど、精神的にメチャクチャになる可能性さえ秘めています。

特に、恋愛にまだ過剰な期待やエネルギーをこめる段階の者は、巻き込まれて、
はなばなしく散りやすい。それでも断言したい。それこそが、最高の恩恵である、と。

自我が徹底して攻撃され、死に絶えた時、「なる」事をあきらめた時、不思議な程、
静寂な感情に満たされる。右脳の「ある」意識が浮上していく、その感動ときたら・・。





先週は、気分が塞ぎこんで難儀しましたが、その原因がわかった。旧劇版のエヴァ
を観たからです。観てない人にとっては、上記の曲なんて、なんて事ないでしょうね。

だけど、当時、トラウマ的なショックを受けた自分としては、死にたくなってしまいます。
この曲を聞くと、そろそろ個体をやめて、無に帰るのもいいかな、といった感じになる。


しかし映画では、人間が個体をやめて一つになった後(いわゆる、サードインパクト)、
やはり他者を必要として、またも自我を生みだします。その結果、主人公は、苦手な
ヒロイン(アスカ)と個体的に分かれた状態で目を覚まし、非常に、ビクついてしまう。

そうして傷つける存在としての他者(アスカ)の首を絞めて殺そうとする。ところがです、
彼女は自分の首を絞めている主人公の頬を優しくなでる!そこでフッと我にかえった
主人公は、殺すのをやめて、泣き出す。そこで、あの悪名高い一言、「気持ち悪い。」

その瞬間、映画はブツッと、唐突に終わる。なんて、素晴らしいラストなんでしょうか!


他者は苦しみの源であり、理解しあえないし、誤解だらけ。だけど、他者がいた方が、
面白いし、感動できる。そこで我々は、他者という物語、「幻想」を無意識的な協力で、
創り出したのかもしれません。「すべては一つ」という、自他のないセカイは、もういい。

他者というアイデアは、本当に、素晴らしい。人間が分かれているのは相当、面白い。





そうして、なぜ引きこもりが、最もナンパを楽しめるのか?という答えになるわけです。

外に出て、他者が動いているのを見るだけでも新鮮!そして話すだけでも、泣きそう。

他者がいる!他者がいるよ!いろんな人がいる!しかも交流できる!交流できるよ!


部屋から脱出した私は感動し、あまりのはしゃぎぶりに、「気持ち悪い」と言われます。

その拒否に心底喜び、自と他の分離に、しみじみと新鮮さを感じたまま、久々に叫ぶ。

「タダでナンパする!」と。(なお脱出プログラムは、実はエヴァの旧劇版がモチーフ)

posted by fmtbank at 07:53| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2012年06月03日

死の恐怖で、のたうちまわりました。

ここ数日、風邪で寝込んでいて、夜中に何度も目覚めることがありました。

そして、その度に、死ぬのが怖い。個体としての一生を終えるのは嫌だ・・。
といった、はてしない心細さを感じ、たまらない孤独感に襲われたのでした。

かねてから肉体は乗り物にすぎない、という実感はあったし、幽体離脱とかを
やってみたり、死後の世界もあるだろうと確信していましたが、実に甘かった。

そんな、本当かどうかわからない事など、どうでもよく、ただ単純に、これまで
いろいろあった過去や現在の出来事、その全てが消えていく、というはかなさ、
その恐ろしさに、声なき声で「わーっ!」と叫びたくなる程、心底、まいりました。


これは誰もが感じる事なのに、たった独りで感じなくてはいけない辛さがある。

だって人に相談しても、その途端に、その感覚を忘れてしまいます。現に今も、
文章にした途端に、その神秘的な絶大なる不安は逃げていってしまいました・・。

思い出すことさえ、うっすらとした記憶になり、だから、どうでもよくなるんです。

日常では、隠れてしまう。完全に孤独な状態にならないと、あれは現れません。


特に、眠りに入る時のはざまに、意識が消えていく、落ちていく瞬間に、すごく
恐れを感じます。これまでの人生で起こった出来事はおろか、他人というのも、
実は存在しなかったのでは?すべて絵空事だったのでは?という感覚がある。

この、あまりに心細い感覚は、皆が経験済みなのに、なぜか普段は思い出せず、
文章にした途端、陳腐になり、本来の意味を失う。あの絶対的恐怖は何なのか?

どんなに頑張っても、どんなに成功しようが失敗しようが、全ては消えていくし、
愛すべき人達も、次から次へと消えていく。個体は消えることを前提とした存在・・。


それで「私」は、真夜中に無音の悲鳴を上げながら、その恐怖の感覚にとどまり、
ようやく、その中に、ほんの少しながらも、喜びを発見しました。すぐ意識を失うし、
捉えるのが難しいので、曖昧なんですが、やはり「死」は、喜びかもしれません。

そのわずかな兆しを見つけれたので、これからも、ドキドキしながら生きられます。

なお自殺しても、しょうがないと思うし、ズルイと思う。死は、あくまでも、ちゃんと、
生ききったという証として、最後にお迎えがくるわけで、最大の恩恵なんですから。





そういえば、これまで他者と、死について語ったことは、意外にも、少なかったです。

皆、どうやって折り合いつけているのでしょうか?目をそむけて、富や快楽を追って、
ごまかそうとしても、隙をついて、死は現われる。しかし見つめると、安堵も感じます。

例えば、これまでに死んでいった人を想起していったら、信じられない位の人達が
大勢、死んでいってます。その人達の元に帰るんだ、と思うと、皆と一緒になれる、
なんて考えて幸せな気分になれました。これは他にも、すでに母親が死んでいる
人などは、愛すべき母の元に帰れるなんて思えば、嬉しく死を歓迎できるでしょう。


ただし、これは、ただの脳による、ごまかしにすぎないかもしれず、ちゃんと「死」を
見つめないと、本当の素晴らしさがわからないかもしれない。あー、しかし残念です。

こうして書いてるうちに、またもや、死から遠のいていく感じがある。ノンキな気持ち
に戻ってしまって、ここ数晩、襲われた、消えゆく孤独感が消えてしまうと、わかる・・。

もしかしたら、「死」に対する恐怖こそが、最大の喜びの可能性があるというのに!


となると、やはり、今後は「死」をテーマに生きるしかない。毎日、死に飛び込んだ者
だけが、本当の意味で生きるということは、これまで多くの賢者に言われてきました。

はたして、「死」を超える面白いものって、あるのでしょうか?これまで、自分の脳が
ただのパソコンにすぎないとして、だったら好きなように操作しちゃおうと、根拠なき
自信をつけたり、現実に見えない物も見えるようにしたりと、自由に遊んできました。

これは「何無波十牛図」でいう、『8:創造者』の段階だったのですが、もう卒業です。

私は、これまで培ったもの全てを献上し、無に帰す段階、『9、統合者』に入りました。


しかし、ここにきて、自分が消える恐怖というものを、人生最大に恐れたというのは、
やはり成長した証拠かなと嬉しく思っています。まぁ成長というよりも、深化ですが。

正確には、人間は上へ上へと成長するのではなく、下へ下へと深化していくのです。

というより、そもそも成長段階なんて、ないんですが、それをいっちゃあ、おしまいよ。

そこは、「時間」という連続する物語を、「幻想」を楽しみたいじゃない?それだけっす。

posted by fmtbank at 07:53| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする