人間には、男と女の二種類、さらに少数だが、その中間もいるようだ。
ちなみに私は男である。これまで生きてきて、何度も確認したし、また、
外を出歩くと、女ばかりに目がいく。女を見ると、何だか気持ちがいい。
これは男の特性らしく、健康な男は女を見ると快感。なので見ている。
たまに気恥かしさもあるが、見られている方ではなく、なぜ見てる方が、
恥ずかしく思うのか不思議だ。遠慮してしまう。もしや怖いのだろうか?
たとえ目の前に女が現れても、無視すれば何も感じず、心も安らかだ。
こちらが見なければ、相手はいないも同然となり、心は一切動揺しない。
★
実は、見るというのは、すでに立派なコミュニケーションであり、相手が
見返してきたら、または見返さなくとも、見られていることに気づいたら、
すでに声をかけているのと同じで、そこに差異は、ほとんどなかった!
相手が表情を固くしたり、あえてソッポを向いたり、見られていることを
喜んでいる、あの「女の表情」をしたりと、いろいろな反応を見せてくる。
こちらがパッとしない男であろうと、なぜか見られるのを喜ぶ女はいる。
しかし、たとえ女と目があって喜んでそうでも、こちらのことが好きだとか、
そんな深い意味もなく、「私のこと見てる」という自己確認にすぎなかった。
そうして女は、男に見られて、見られて、見られまくってきているようだった。
男が思っている以上に、女というものは、見られることのプロに違いない。
女の視線を感じる能力は、実にすさまじい。携帯見てたり、音楽聴いてたり、
考え事してない限り、すぐにわかる。男からの視線は、超能力並にわかる。
で、面白いと思ったのが、前から歩いてきた女を見ると、時々、奇妙な動作
をすることで、それは彼女が顔を下げて、自分の胸元を見るという、行為・・。
特に、自転車に乗ってる女までが、うつむいて、自分の胸元を見てるのだ。
その意味がよく分からなかったが、ナンパを始めて、すぐ気づいた。たんに、
男の視線を感じたことで、自分の胸がどうなってるか、見えすぎじゃないか?
そういう意識が働いているだけで、しかも無意識的に出てしまうようであった。
私は「胸元なんか見てねーよ。」と、滑稽な気持ちになったが、私が見なくても、
普段、どれだけ男達は女の胸元を見ているか、ということで、もはや自分だけ
の問題ではない。女は相当、男から見られている。敏感になるのも同然です。
★
ある時、私は本屋にいた。そして本探しをしながら、女も見た。あっ、この女は、
キャバクラの客引きをしている者だと思い、文庫本の平積みを次から次へと、
手にとっている、その姿を見ていた。出勤前に時間をつぶしているのだろうか?
彼女は、非常に強引でボーイッシュな客引きをしていたが、手にとってるのは、
自己啓発系の本が多く、やはり誰でも悩みがあるものだと、感心してしまった。
しかし、そんな姿を見てはいけないような気がして、私は見るのをやめ、本棚を
移動する。すると今度は、普通のOL風な女が、『夫とは、したくない。』という本を
立ち読みしていた。あたかも本のタイトルが、彼女の自己紹介になっているようだ。
え?そうなの?と思わずジーッと見つめてしまった。途端に、彼女のまばたきが、
パチパチパチと速くなった。あれ?見ているのがバレだかな?と思ったが、彼女
は依然として、こちらを意識せず、ガッツリと「夫とは、したくない。」を読んでいる。
そうか、そこまでしたくないのかと、彼女を見つめていると、またもや、まばたきが、
パチパチパチ・・。それも、私が視線を外すと止まり、再び見ると、また始動する。
私は思い切って、『夫とは、したくない。』を読んでいる彼女を凝視しまくってみた。
すると、どうだろう。どんだけ加速すんねん!という、まばたきの嵐が巻き起こる。
パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ・・。
それでも、『夫とは、したくない。』を手離さない彼女。いったい、どんだけしたくない?
さらに私は腰を抜かしてしまった。先程のキャバクラの女も、その横で読んでいた!
(そうして、最終章が始まった。)
2013年03月25日
女をジッと見つめるのはタダだ。
posted by fmtbank at 13:54| カテゴリ無し
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2013年03月23日
ブログ最後の記事(エピローグ予告)
我々、何も持っていない、孤独な男、
その最大の味方は、「見方」である。
(最後、この記事が最新へと繰り上がる)
その最大の味方は、「見方」である。
(最後、この記事が最新へと繰り上がる)
posted by fmtbank at 12:53| カテゴリ無し
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2013年03月22日
モテないことが最強のエンターテイメント
私は、「モテない男達による決起!」というものに、とても魅力を感じていました。
かつて「革命的非モテ同盟」というのがあって(今もあるかも)、モテない男達が、
バレンタインデー粉砕!クリスマス蜂起!なんてデモ行進とか、六本木ヒルズ
の前で、勝手にコタツを持ちこんで、鍋とかやってた。本当に、楽しそうでしたね。
また一方、路上でモテる男達、というか、女ウケする人種、いわゆるナンパ師も、
素晴らしいと思ってました。しかし、やはり遊び人自体は、面白い人とは思えず、
図々しい行動力がある、という美点だけの人で、実は、そんなに惹かれはしない。
かといって、「非モテ」を自負し、ひたすら女に背中を向け、お祭り騒ぎするのも、
イヤだった。そこで私が一番やりたかったのが、全然ダメだろうが、実際に、女へ
飛び込んでいきながら、全然ダメな自分を笑い、それを革命として遊ぶことです。
つまり、女ウケする格好してる「ナンパ師」と、クリスマス反対!とデモ行進する、
「非モテ」の中間を狙った。ちゃんと女に飛び込みつつ、ダメな自分に爆笑して、
時々、成功する、なんてのが理想だった。ところが、予想以上に、うまくいった・・。
これは、女性「性」のもつ、受容力をナメていたわけです。我々、男の千倍以上は、
女性の他者を受け入れる能力はあるんだ!と。だから、風俗で大勢働いているし、
最低な男と別れられない女性も多い。我々、男だったら、気持ち悪くてムリっすよ。
(これはあくまで悪い例。要は、女性は心が広くて、いろんな男を受け入れられる)
メスは強いんです。たとえば、ウサギの足にギプスをつけると、オスはストレスで、
とにかく外そうとして衰弱するけど、メスのウサギはすぐ慣れて、平然としている。
そんな女の強さに、私は救われ、そして負けまくりました。そこで話は戻りますが、
先日、何無派(ナンパ)解放令が発布されたこともあり、私も、再び原点に戻って、
やりたいことを、全てやることにしました。それは「非モテ」と「ナンパ師」の中間で、
これまでと少し方向性が変わります。うまくいくためというより、ダメで自由な感じ。
ナンパ教材を販売するようになって、無意識的に「先生役」をやるようになったため、
あまり間違ったことを書けなくなってしまっていたのです。だってギャグで書いても、
まともに受けて実践する人もいる!なので途中から、気を使い遠慮がちになった・・。
本当は、もっとメチャクチャなことを主張したかったのに、いつの間にやら、自分で、
自分を縛っていたんですね。そんな遠慮にも終止符を打って、自分の好き放題で、
書いていこうと思います。たとえバカにされようが、最後は思いっきりスッキリしたい。
そんなわけで、今後は自分の趣味に走るし、自虐的になったり、やり放題になって、
ついていけない内容もあるかもしれませんが、結局は「創造性」がテーマですから、
私自身が解放されていく姿勢を見せることで、間接的に、役立てばいいと思います。
ここまでヴァカでいいんだ、ここまで間違ってていいんだ、ここまで最低な人間でも、
明るく生きていけるんだ、などと安心でき、鼓舞できるような内容にしたいです。もう、
ものわかりの「いい人」は卒業です。もっと地を出して、思い込みの強さを発揮したい。
★
なお最近、「出雲や伊勢」など、神社を題材にしてますが、あくまでもナンパを、もっと
ラクにするため、そして気持ちよくするために取り入れました。もともと神道に教えは
ないし、厳しい戒律もない。欲望を肯定し、神頼みに任せて、突っ走ればいいんです。
また神様とかいっても、日本には「やおよろずの神」といい、とにかく無数の神がいて、
それらは全て想像の産物、いわばアニメキャラみたいなもんです。そして神を使って、
いろんなことを成功させることを、ジョジョのスタンドでいう、「スタンド使い」と呼んでる。
私は別に布教するつもりはなく、ただ日本風の舞台装置で、ナンパを楽しみたいだけ。
とにかく、自分が面白がるために、タダで使えるものは全て使う!そこ、徹底してます。
そして今年は、春に「出雲大社」が60年に一度の遷宮を行い、秋には「伊勢神宮」が、
20年に一度の遷宮を行う。この歴史的な年を利用せずして、他に何がある!という話。
「出雲と伊勢」は、まさしくナンパ運動を盛り上げるためにはピッタリの、舞台装置です。
「出雲」が縁結びの神で、続く「伊勢」は太陽の女神であるアマテラスが祀られている。
そこで、春から、モヤモヤした雲の状態を脱出し(出雲)、太陽のように輝く究極の女と
秋までに統合する!という、一年のスケジュールを、これに合わせることにしたのです。
あなたと、究極の女を結びつけるキューピッド役になろうと思いました。それも本気で、
神がかった状態のゾーンにはまりこんでしまえ!と決めた。なぜなら、面白いからね。
これは出会いと別れの長旅です。必ずや、あなたを新しいセカイへとお連れします。
そのためには、まず『おかげまいり』といって、何無派運動をしてもらわないことには、
何も始まりません。さらには『ええじゃないか』騒動で、日本全国に革命を起こします。
今は何のことかよくわからないでしょうが、革命を起こしたい方は、ぜひご参加ください。
特に、「ナンパ師」から、かけ離れた人ほど、寄っといで。すべてを引っくり返そうぜよ!
かつて「革命的非モテ同盟」というのがあって(今もあるかも)、モテない男達が、
バレンタインデー粉砕!クリスマス蜂起!なんてデモ行進とか、六本木ヒルズ
の前で、勝手にコタツを持ちこんで、鍋とかやってた。本当に、楽しそうでしたね。
また一方、路上でモテる男達、というか、女ウケする人種、いわゆるナンパ師も、
素晴らしいと思ってました。しかし、やはり遊び人自体は、面白い人とは思えず、
図々しい行動力がある、という美点だけの人で、実は、そんなに惹かれはしない。
かといって、「非モテ」を自負し、ひたすら女に背中を向け、お祭り騒ぎするのも、
イヤだった。そこで私が一番やりたかったのが、全然ダメだろうが、実際に、女へ
飛び込んでいきながら、全然ダメな自分を笑い、それを革命として遊ぶことです。
つまり、女ウケする格好してる「ナンパ師」と、クリスマス反対!とデモ行進する、
「非モテ」の中間を狙った。ちゃんと女に飛び込みつつ、ダメな自分に爆笑して、
時々、成功する、なんてのが理想だった。ところが、予想以上に、うまくいった・・。
これは、女性「性」のもつ、受容力をナメていたわけです。我々、男の千倍以上は、
女性の他者を受け入れる能力はあるんだ!と。だから、風俗で大勢働いているし、
最低な男と別れられない女性も多い。我々、男だったら、気持ち悪くてムリっすよ。
(これはあくまで悪い例。要は、女性は心が広くて、いろんな男を受け入れられる)
メスは強いんです。たとえば、ウサギの足にギプスをつけると、オスはストレスで、
とにかく外そうとして衰弱するけど、メスのウサギはすぐ慣れて、平然としている。
そんな女の強さに、私は救われ、そして負けまくりました。そこで話は戻りますが、
先日、何無派(ナンパ)解放令が発布されたこともあり、私も、再び原点に戻って、
やりたいことを、全てやることにしました。それは「非モテ」と「ナンパ師」の中間で、
これまでと少し方向性が変わります。うまくいくためというより、ダメで自由な感じ。
ナンパ教材を販売するようになって、無意識的に「先生役」をやるようになったため、
あまり間違ったことを書けなくなってしまっていたのです。だってギャグで書いても、
まともに受けて実践する人もいる!なので途中から、気を使い遠慮がちになった・・。
本当は、もっとメチャクチャなことを主張したかったのに、いつの間にやら、自分で、
自分を縛っていたんですね。そんな遠慮にも終止符を打って、自分の好き放題で、
書いていこうと思います。たとえバカにされようが、最後は思いっきりスッキリしたい。
そんなわけで、今後は自分の趣味に走るし、自虐的になったり、やり放題になって、
ついていけない内容もあるかもしれませんが、結局は「創造性」がテーマですから、
私自身が解放されていく姿勢を見せることで、間接的に、役立てばいいと思います。
ここまでヴァカでいいんだ、ここまで間違ってていいんだ、ここまで最低な人間でも、
明るく生きていけるんだ、などと安心でき、鼓舞できるような内容にしたいです。もう、
ものわかりの「いい人」は卒業です。もっと地を出して、思い込みの強さを発揮したい。
★
なお最近、「出雲や伊勢」など、神社を題材にしてますが、あくまでもナンパを、もっと
ラクにするため、そして気持ちよくするために取り入れました。もともと神道に教えは
ないし、厳しい戒律もない。欲望を肯定し、神頼みに任せて、突っ走ればいいんです。
また神様とかいっても、日本には「やおよろずの神」といい、とにかく無数の神がいて、
それらは全て想像の産物、いわばアニメキャラみたいなもんです。そして神を使って、
いろんなことを成功させることを、ジョジョのスタンドでいう、「スタンド使い」と呼んでる。
私は別に布教するつもりはなく、ただ日本風の舞台装置で、ナンパを楽しみたいだけ。
とにかく、自分が面白がるために、タダで使えるものは全て使う!そこ、徹底してます。
そして今年は、春に「出雲大社」が60年に一度の遷宮を行い、秋には「伊勢神宮」が、
20年に一度の遷宮を行う。この歴史的な年を利用せずして、他に何がある!という話。
「出雲と伊勢」は、まさしくナンパ運動を盛り上げるためにはピッタリの、舞台装置です。
「出雲」が縁結びの神で、続く「伊勢」は太陽の女神であるアマテラスが祀られている。
そこで、春から、モヤモヤした雲の状態を脱出し(出雲)、太陽のように輝く究極の女と
秋までに統合する!という、一年のスケジュールを、これに合わせることにしたのです。
あなたと、究極の女を結びつけるキューピッド役になろうと思いました。それも本気で、
神がかった状態のゾーンにはまりこんでしまえ!と決めた。なぜなら、面白いからね。
これは出会いと別れの長旅です。必ずや、あなたを新しいセカイへとお連れします。
そのためには、まず『おかげまいり』といって、何無派運動をしてもらわないことには、
何も始まりません。さらには『ええじゃないか』騒動で、日本全国に革命を起こします。
今は何のことかよくわからないでしょうが、革命を起こしたい方は、ぜひご参加ください。
特に、「ナンパ師」から、かけ離れた人ほど、寄っといで。すべてを引っくり返そうぜよ!
posted by fmtbank at 14:13| カテゴリ無し
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2013年03月20日
本日、何無派(ナンパ)解放令が発布!
ついに本日、春分の日に、第一の御札降りが起こった。
天から御札がふってくる。それが『おかげまいり』の兆し。
いうならば、「何無派(ナンパ)解放令」が発布されたのだ。
★
そうして全ての男(陽)は、全ての女(陰)に対して詣でる、
つまり、いつでもどこでも、声をかけてもいいようになった。
男女間の不文律な壁は撤廃され、身分の差もなくなった。
第一のお札の降下と共に、古き呪縛から解放されたのだ。
以上をもって、ここに、平成の『おかげまいり』を開始する。
(『ええじゃないか』の胎動は、第二の御札の降下を待て!)
天から御札がふってくる。それが『おかげまいり』の兆し。
いうならば、「何無派(ナンパ)解放令」が発布されたのだ。
★
そうして全ての男(陽)は、全ての女(陰)に対して詣でる、
つまり、いつでもどこでも、声をかけてもいいようになった。
男女間の不文律な壁は撤廃され、身分の差もなくなった。
第一のお札の降下と共に、古き呪縛から解放されたのだ。
以上をもって、ここに、平成の『おかげまいり』を開始する。
(『ええじゃないか』の胎動は、第二の御札の降下を待て!)
posted by fmtbank at 07:24| カテゴリ無し
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2013年03月19日
60年に一度のナンパ祭り、『おかげまいり』
江戸時代には、男女が入り乱れて、ナンパ天国となる時期が60年に一度あった。
それが『おかげまいり』と呼ばれる、伊勢神宮への集団巡礼の爆発的流行である。
交通手段が発達していない中で、何日間もかけ、誰もが伊勢を目指したのだった。
当時は、身分制度(士農工商)がしっかりしていて、移動の自由も少なかったのに、
伊勢に参拝に行くという名目さえあれば、土地に縛られた、農民でさえ参加できた。
これが、どれだけ自由感があったか、想像さえつかない。まさに「うひょ〜!」である。
さらに商家の奉公人、それも若い子供から女までもが、いっせいに仕事を抜け出し、
伊勢へと走りはじめたといわれる。それも主人に無断で!つまり、サボリ、ボイコット。
制止しようとしても無駄で、止めると祟りがあるとまで信じられていた。戻ってきても、
抜け出した奉公人が、伊勢に詣でた証拠を見せれば、おとがめナシだったのである。
これを「抜け参り」とも呼び、主人も、職人がみんな出かけたから、仕方なく参宮した。
そうして身分の高い者よりも、身分の低い者が率先して、『おかげまいり』は起こった。
この気持ちよさ、解放感はたまらなかっただろう。現在とは違い、自由に旅行もできず、
厳しい主従関係の中で働かされていた、奴隷のように縛りつけられていた状態から、
一時的に解き放たれて、大勢で旅をする。その長旅の過程で、幾多の恋も生まれた。
「旅の恥はかき捨て」という言葉は、まさに、この『おかげまいり』から、出てきたのだ。
★
そして現在、平成25年の春、ふたたび『おかげまいり』が、日本に起ころうとしている。
我々は政府に対しても、社会システムに対しても、そして何よりも、自分の中にあろう、
あの微妙に本音を隠そうとし、どうでもいい事をやらせようとする、マトリックスに対し、
ほとほとウンザリしている。道徳もクソくらえ、だ。思いっきり生きたい!解放されたい!
もっとお金があっても何にもならず、カウンセリングなんて、ただの気休め。ネットなど、
もはや飽きた。キリがない他人の戯言を読み、他人の人生を覗き見するだけの日々・・。
そんなんじゃない。そんなことをするためだけに生まれたんじゃない。ふさげるな!と。
我々は、何か騙されてる。自分で自分を騙している。長年たまった、自分に反しての、
屈辱感、同じ事が繰り返される平凡な日々、ただイライラするだけの仕事、そういった
自縛から逃れ、真に求めていた超越、あのキラメク世界へと、ついに詣でることになる。
今年は、伊勢神宮の式年遷宮だ。20年に一度行われる、壮大で重要なお祭りであり、
神宮の建物を新しく建て直すとともに場所を移し、さらに殿内の宝物も全て新調する。
この日本最大の神社には、常に新しくありつづけるという、常若の思想がある。そして、
その精神を我々も忘れてはならない。江戸時代が、なぜあんなにも長く続いたのか?
それは『おかげまいり』という、民衆の不満の、爆発的なガス抜きがあったからだろう。
そして我々も同じく、一生に一度、60年に一度位は爆発してもいい。いや、すべきだ。
これからも我々は、生きていかなくちゃいけない。震災後のショック、何か社会のため、
他人のために頑張ろう、という一時的なテンションは陰りを見せたかもしれない。当然、
そういう無私なる行為も必要だ。しかし、もっともっと必要なのは!自己の解放である。
それはキレイなものではない。どこかカッコ悪くて、ドロドロして、自分勝手で、大胆で、
かつ狂騒的で、疾走的で、躁ウツ的で、陰と陽で全体的な、躍動する、生きた充実感。
刷新する『人生』に乾杯。祝祭空間は、あなたの周囲に生まれていく。ええじゃないか!
それが『おかげまいり』と呼ばれる、伊勢神宮への集団巡礼の爆発的流行である。
交通手段が発達していない中で、何日間もかけ、誰もが伊勢を目指したのだった。
当時は、身分制度(士農工商)がしっかりしていて、移動の自由も少なかったのに、
伊勢に参拝に行くという名目さえあれば、土地に縛られた、農民でさえ参加できた。
これが、どれだけ自由感があったか、想像さえつかない。まさに「うひょ〜!」である。
さらに商家の奉公人、それも若い子供から女までもが、いっせいに仕事を抜け出し、
伊勢へと走りはじめたといわれる。それも主人に無断で!つまり、サボリ、ボイコット。
制止しようとしても無駄で、止めると祟りがあるとまで信じられていた。戻ってきても、
抜け出した奉公人が、伊勢に詣でた証拠を見せれば、おとがめナシだったのである。
これを「抜け参り」とも呼び、主人も、職人がみんな出かけたから、仕方なく参宮した。
そうして身分の高い者よりも、身分の低い者が率先して、『おかげまいり』は起こった。
この気持ちよさ、解放感はたまらなかっただろう。現在とは違い、自由に旅行もできず、
厳しい主従関係の中で働かされていた、奴隷のように縛りつけられていた状態から、
一時的に解き放たれて、大勢で旅をする。その長旅の過程で、幾多の恋も生まれた。
「旅の恥はかき捨て」という言葉は、まさに、この『おかげまいり』から、出てきたのだ。
★
そして現在、平成25年の春、ふたたび『おかげまいり』が、日本に起ころうとしている。
我々は政府に対しても、社会システムに対しても、そして何よりも、自分の中にあろう、
あの微妙に本音を隠そうとし、どうでもいい事をやらせようとする、マトリックスに対し、
ほとほとウンザリしている。道徳もクソくらえ、だ。思いっきり生きたい!解放されたい!
もっとお金があっても何にもならず、カウンセリングなんて、ただの気休め。ネットなど、
もはや飽きた。キリがない他人の戯言を読み、他人の人生を覗き見するだけの日々・・。
そんなんじゃない。そんなことをするためだけに生まれたんじゃない。ふさげるな!と。
我々は、何か騙されてる。自分で自分を騙している。長年たまった、自分に反しての、
屈辱感、同じ事が繰り返される平凡な日々、ただイライラするだけの仕事、そういった
自縛から逃れ、真に求めていた超越、あのキラメク世界へと、ついに詣でることになる。
今年は、伊勢神宮の式年遷宮だ。20年に一度行われる、壮大で重要なお祭りであり、
神宮の建物を新しく建て直すとともに場所を移し、さらに殿内の宝物も全て新調する。
この日本最大の神社には、常に新しくありつづけるという、常若の思想がある。そして、
その精神を我々も忘れてはならない。江戸時代が、なぜあんなにも長く続いたのか?
それは『おかげまいり』という、民衆の不満の、爆発的なガス抜きがあったからだろう。
そして我々も同じく、一生に一度、60年に一度位は爆発してもいい。いや、すべきだ。
これからも我々は、生きていかなくちゃいけない。震災後のショック、何か社会のため、
他人のために頑張ろう、という一時的なテンションは陰りを見せたかもしれない。当然、
そういう無私なる行為も必要だ。しかし、もっともっと必要なのは!自己の解放である。
それはキレイなものではない。どこかカッコ悪くて、ドロドロして、自分勝手で、大胆で、
かつ狂騒的で、疾走的で、躁ウツ的で、陰と陽で全体的な、躍動する、生きた充実感。
刷新する『人生』に乾杯。祝祭空間は、あなたの周囲に生まれていく。ええじゃないか!
posted by fmtbank at 16:08| カテゴリ無し
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2013年03月18日
究極の相手と結ばれることをテーマにします。
今年は日本の歴史上で、過去最大にナンパが盛り上がる年になるでしょう。
そこで私は、自分の役目は何かと考えた結果、キューピッド役をやることにし、
あなたに最高の女性をあてがうことにしました。別に紹介するわけではなくて、
あなたが自然と出会い、統合できるように、ただ、日本全国を変えるだけです。
そのために、「ええじゃないか」運動を起こしますから、ご自身でやってください。
助ける感じではなく、このブログと『究と極』のプログラムで、挑発する感じです。
どちらかというと、お見合い話を持ち込むような、世話焼きババアというよりも、
神アニメ『四畳半神話体系』の冒頭で、出雲の神のフリをした樋口師匠になる!
★
とにかく今年は、日本一の縁結びの神で有名な「出雲大社」、60年ぶりの遷宮
がありますので、そのパワーを受け、私も神がかった状態に入り、応援しますよ。
必ずしもナンパは、彼女探しだけが目的ではありませんが、一番喜ばれるのが、
「最高の彼女ができたぞ!」というレスポンスなので、最後こそ、それに応えたい。
これまでで、最も日本全国の男と女をくっつけたい。一気に、統合させたいのです。
もちろん、私にはそんな力はないし、実際、行動する人しかしない、ナンパなんて、
選ばれた人しか出来ない、という結論を持つことは簡単です。しかし間違っていた。
もはや理屈や過去の経験値なんてどうでもいい。大事なのは、情熱だとわかった。
このブログやプログラムに触れた人、全員を『究極の相手』に向かって先導します。
今までは「運命の人」とか「最高の彼女」とか呼んでいましたが、これからは、新しく
『究極の女』、『究極の相手』と呼びまして、そんな彼女と統合することを応援する。
いろんな女性陣と触れ合うのも楽しいけれど、「究極だ〜!」と大興奮して、夢かと疑う、
もう死んでもいいと思う相手とくっつかなくて、なにがナンパだと思う。ちょっと好きなら、
合コンや職場など、近場で勝手につがいになってりゃいいんすよ。出会い系でもいい。
そうじゃない。ナンパの最大の醍醐味は、心が震える、『究極の相手』と結ばれること。
それを過去最大の人数、成し遂げてみます。ラストイヤーだから、大団円にもっていく。
以上が、「出雲大社」からインスパイアされた決意です。(次回は「伊勢神宮」について)
そこで私は、自分の役目は何かと考えた結果、キューピッド役をやることにし、
あなたに最高の女性をあてがうことにしました。別に紹介するわけではなくて、
あなたが自然と出会い、統合できるように、ただ、日本全国を変えるだけです。
そのために、「ええじゃないか」運動を起こしますから、ご自身でやってください。
助ける感じではなく、このブログと『究と極』のプログラムで、挑発する感じです。
どちらかというと、お見合い話を持ち込むような、世話焼きババアというよりも、
神アニメ『四畳半神話体系』の冒頭で、出雲の神のフリをした樋口師匠になる!
★
とにかく今年は、日本一の縁結びの神で有名な「出雲大社」、60年ぶりの遷宮
がありますので、そのパワーを受け、私も神がかった状態に入り、応援しますよ。
必ずしもナンパは、彼女探しだけが目的ではありませんが、一番喜ばれるのが、
「最高の彼女ができたぞ!」というレスポンスなので、最後こそ、それに応えたい。
これまでで、最も日本全国の男と女をくっつけたい。一気に、統合させたいのです。
もちろん、私にはそんな力はないし、実際、行動する人しかしない、ナンパなんて、
選ばれた人しか出来ない、という結論を持つことは簡単です。しかし間違っていた。
もはや理屈や過去の経験値なんてどうでもいい。大事なのは、情熱だとわかった。
このブログやプログラムに触れた人、全員を『究極の相手』に向かって先導します。
今までは「運命の人」とか「最高の彼女」とか呼んでいましたが、これからは、新しく
『究極の女』、『究極の相手』と呼びまして、そんな彼女と統合することを応援する。
いろんな女性陣と触れ合うのも楽しいけれど、「究極だ〜!」と大興奮して、夢かと疑う、
もう死んでもいいと思う相手とくっつかなくて、なにがナンパだと思う。ちょっと好きなら、
合コンや職場など、近場で勝手につがいになってりゃいいんすよ。出会い系でもいい。
そうじゃない。ナンパの最大の醍醐味は、心が震える、『究極の相手』と結ばれること。
それを過去最大の人数、成し遂げてみます。ラストイヤーだから、大団円にもっていく。
以上が、「出雲大社」からインスパイアされた決意です。(次回は「伊勢神宮」について)
posted by fmtbank at 15:39| カテゴリ無し
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2013年03月17日
2013年は「ええじゃないか」に最適の年だった!
私は、この春、日本全土にナンパ革命を起こすと銘打って、
それを平成最後の「ええじゃないか運動」になぞらえていた。
そこで、ちゃんと「ええじゃないか」の古い文献を調べていたら、
そもそも「ええじゃないか」とは、伊勢神宮に、集団で参拝する、
「おかげ参り」という、江戸の巡礼運動を下敷きにしていました。
そうして、伊勢神宮を調べたら、なんと今年が、20年に一度の、
「遷宮」といって、本宮の場所を移動する、リセットの年だった・・。
「遷宮」は、莫大な費用もかかり面倒なのに、なぜやるかというと、
場所を変えることによって、惰性による腐敗から逃れるためです。
それが神社頂点の伊勢で行われる。いわば新しい時代の始まり。
こりゃ、ナンパによる「ええじゃないか」を起こす年に、ピッタリだ!
しかもこの遷宮は、縁結びで有名な「出雲大社」でも、60年ぶりに、
今年、同様に行われる。まさに神道系における、大革新の年でした。
なんと伊勢と同時に、出雲まで動くなんて、まさに男女の結合の年!
★
私はメチャクチャ興奮して、こりゃ、もっと本気でやろうと思ったのです。
このブログや活動も、ちょうど10年目になるし、最後の年にふさわしい、
大きな祭りにすべきだと考えなおしました。まさにジャストタイミングです。
というよりも、セカイによって導かれ、時間調整させられたと思ってます。
本当は去年、すべてを発表して終わりたかったのに、なぜか出来ずに、
ズルズルと2013年になってしまって、だらしないなと、少々凹んでいた
のですが、これで理由がわかった。これぞセカイのおぼしめしである、と。
また、歴史的にも、「ええじゃないか」が起こったのは、江戸幕府が終わり、
明治維新へと変わる、その狭間です。まさに我々は、そんな時代にいます。
おそらく今年は、下半期から日本は激変するのでしょう。それに合わせて、
我々も、命を革新すべきです。たかがナンパというなかれ。全てが変わる!
それを平成最後の「ええじゃないか運動」になぞらえていた。
そこで、ちゃんと「ええじゃないか」の古い文献を調べていたら、
そもそも「ええじゃないか」とは、伊勢神宮に、集団で参拝する、
「おかげ参り」という、江戸の巡礼運動を下敷きにしていました。
そうして、伊勢神宮を調べたら、なんと今年が、20年に一度の、
「遷宮」といって、本宮の場所を移動する、リセットの年だった・・。
「遷宮」は、莫大な費用もかかり面倒なのに、なぜやるかというと、
場所を変えることによって、惰性による腐敗から逃れるためです。
それが神社頂点の伊勢で行われる。いわば新しい時代の始まり。
こりゃ、ナンパによる「ええじゃないか」を起こす年に、ピッタリだ!
しかもこの遷宮は、縁結びで有名な「出雲大社」でも、60年ぶりに、
今年、同様に行われる。まさに神道系における、大革新の年でした。
なんと伊勢と同時に、出雲まで動くなんて、まさに男女の結合の年!
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私はメチャクチャ興奮して、こりゃ、もっと本気でやろうと思ったのです。
このブログや活動も、ちょうど10年目になるし、最後の年にふさわしい、
大きな祭りにすべきだと考えなおしました。まさにジャストタイミングです。
というよりも、セカイによって導かれ、時間調整させられたと思ってます。
本当は去年、すべてを発表して終わりたかったのに、なぜか出来ずに、
ズルズルと2013年になってしまって、だらしないなと、少々凹んでいた
のですが、これで理由がわかった。これぞセカイのおぼしめしである、と。
また、歴史的にも、「ええじゃないか」が起こったのは、江戸幕府が終わり、
明治維新へと変わる、その狭間です。まさに我々は、そんな時代にいます。
おそらく今年は、下半期から日本は激変するのでしょう。それに合わせて、
我々も、命を革新すべきです。たかがナンパというなかれ。全てが変わる!
posted by fmtbank at 10:32| カテゴリ無し
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