ええじゃないか〜!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
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好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
(マウスのスクロール機能で、上下に小刻みに動かしながら、みこしに乗っている気分。)
2013年04月02日
『ええじゃないか』のイメージは『モテキ』のギャルみこし
posted by fmtbank at 11:57| カテゴリ無し
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2013年04月01日
今年度は、京都からお送りします。
新年度が始まりました。本日より、拠点を京都に移します。
以前より、最も好きな街で、機会をうかがっておりましたが、
2013年の今こそ、京都を舞台にすべき!と決心したのです。
京都は、出雲と伊勢のちょうど中間に位置し、最後の革命、
「ええじゃないか運動」の指揮をとるのに、非常に適している。
比叡山も近いし、寺院も結集して、『何無派(ナンパ)道場』の、
本部を置く、最高の場所です。モチベーションが上がりますわ。
それに私自身、そもそも大阪にて最初のブレイクをしたので、
最後も円を描くように、また関西に戻ってこようと思いました。
でも同じでは面白くないので、今度は大阪ではなく、京都です。
★
そういうわけで、今年は京都から全国に向けて、発信します。
「ええじゃないか運動」は、震災後の東北地方や、北海道にも、
広めたいので、江戸の方にも、まだ拠点は残しておきますが、
このまま京都が気に入ったら、完全に骨をうずめるつもりです。
ただし、このブログや音声メルマガは、あと一年で完全終了で、
2014年3月31日を持ちまして、その全てが消えます。本気です。
10年目に消えるからこそ、出し惜しみなく、力を発揮できます。
私がナンパを脱出するまでを描きながら、あなたも道づれで、
解脱に巻き込み、日本全土で、あの奇跡を起こすつもりです。
平成最後の「ええじゃないか運動」を、どうぞご期待ください。
(鼻息荒く、新天地にて記す)
以前より、最も好きな街で、機会をうかがっておりましたが、
2013年の今こそ、京都を舞台にすべき!と決心したのです。
京都は、出雲と伊勢のちょうど中間に位置し、最後の革命、
「ええじゃないか運動」の指揮をとるのに、非常に適している。
比叡山も近いし、寺院も結集して、『何無派(ナンパ)道場』の、
本部を置く、最高の場所です。モチベーションが上がりますわ。
それに私自身、そもそも大阪にて最初のブレイクをしたので、
最後も円を描くように、また関西に戻ってこようと思いました。
でも同じでは面白くないので、今度は大阪ではなく、京都です。
★
そういうわけで、今年は京都から全国に向けて、発信します。
「ええじゃないか運動」は、震災後の東北地方や、北海道にも、
広めたいので、江戸の方にも、まだ拠点は残しておきますが、
このまま京都が気に入ったら、完全に骨をうずめるつもりです。
ただし、このブログや音声メルマガは、あと一年で完全終了で、
2014年3月31日を持ちまして、その全てが消えます。本気です。
10年目に消えるからこそ、出し惜しみなく、力を発揮できます。
私がナンパを脱出するまでを描きながら、あなたも道づれで、
解脱に巻き込み、日本全土で、あの奇跡を起こすつもりです。
平成最後の「ええじゃないか運動」を、どうぞご期待ください。
(鼻息荒く、新天地にて記す)
posted by fmtbank at 10:01| カテゴリ無し
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2013年03月31日
年度末、最後のごあいさつ(闇から光へ)
いまだに、この変なナンパブログについてきている方々、お待たせしました!
ようやく準備が整いましたので、明日より、新企画を本格スタートいたします。
題して、『自虐的代理代理戦争』という、日本全土を舞台にした大プロジェクト。
これは江戸時代に流行った、「おかげまいり」と「ええじゃないか」をモチーフに、
新しいナンパ革命と、「究極の女」と結ばれるまでのツアーを実施するものです。
あなたが、まるで旅をするように、多くの女遍路を経て、最終的に最強の女神に
出会うまでをサポートします。あたかも至高のロードムービーのような、一年間!
★
今年は、日本最高の神社と、日本最大の「縁結びの神」の大社が遷宮します。
この60年に一度の祭りを下敷きに、私が「新しいナンパ革命」を手引きしていく。
江戸時代には、「御師(おんし)」といって、伊勢神宮にお参りする人々を助けて、
旅の便宜を図る、旅行代理店のような役割を果たしていた者がいました。今回、
私、フミトバンクは「何無派師(なんぱし)」として、その便宜をはかる次第です。
スケジュール的には、ちょうど春に出雲大社が、秋に伊勢神宮が、大遷宮祭を
するので、それに応じて、ナンパ革命「ええじゃないか」を展開していく予定です。
基本的には、10周年記念として、これまでお世話になった方への、お礼参りで、
公にならないイベントものですが、ノリのいい一見さんも、どうぞご参加ください。
ちなみに、この「出雲」と「伊勢」は陰と陽で一対になっており、「出雲」が土地を
守る神で「地」を司る、「陰」であり、「伊勢」が「天」を司る、「陽」の神となります。
この「地」と「天」、陰と陽を統合させる、「出雲」から「伊勢」というのが、決め手!
春は「出雲」という、モヤモヤした雲の状態から出て、秋に「伊勢」という、太陽の
女神に出会い、焼き尽くされるイメージで(「伊勢」は太陽の女神が祀れている)、
見えないもの、隠されたものが次第に明かされていく過程を、同時に示してます。
隠れていたものが、露わになること。それが面白いんです。女もミニスカートとか、
見えそうで見えないのがいいわけだし、アフリカの部族などは平気で胸放り出して
るけど、やらしくない。それと同じように、我々の未来も、見え隠れしてるからいい。
そうやってソソられ、隠されたものを見つけようとするから、宝探しになるんです。
我々のまだ見ぬ未来や、叶っていない願望、出会っていない女神たちに、乾杯!
ようやく準備が整いましたので、明日より、新企画を本格スタートいたします。
題して、『自虐的代理代理戦争』という、日本全土を舞台にした大プロジェクト。
これは江戸時代に流行った、「おかげまいり」と「ええじゃないか」をモチーフに、
新しいナンパ革命と、「究極の女」と結ばれるまでのツアーを実施するものです。
あなたが、まるで旅をするように、多くの女遍路を経て、最終的に最強の女神に
出会うまでをサポートします。あたかも至高のロードムービーのような、一年間!
★
今年は、日本最高の神社と、日本最大の「縁結びの神」の大社が遷宮します。
この60年に一度の祭りを下敷きに、私が「新しいナンパ革命」を手引きしていく。
江戸時代には、「御師(おんし)」といって、伊勢神宮にお参りする人々を助けて、
旅の便宜を図る、旅行代理店のような役割を果たしていた者がいました。今回、
私、フミトバンクは「何無派師(なんぱし)」として、その便宜をはかる次第です。
スケジュール的には、ちょうど春に出雲大社が、秋に伊勢神宮が、大遷宮祭を
するので、それに応じて、ナンパ革命「ええじゃないか」を展開していく予定です。
基本的には、10周年記念として、これまでお世話になった方への、お礼参りで、
公にならないイベントものですが、ノリのいい一見さんも、どうぞご参加ください。
ちなみに、この「出雲」と「伊勢」は陰と陽で一対になっており、「出雲」が土地を
守る神で「地」を司る、「陰」であり、「伊勢」が「天」を司る、「陽」の神となります。
この「地」と「天」、陰と陽を統合させる、「出雲」から「伊勢」というのが、決め手!
春は「出雲」という、モヤモヤした雲の状態から出て、秋に「伊勢」という、太陽の
女神に出会い、焼き尽くされるイメージで(「伊勢」は太陽の女神が祀れている)、
見えないもの、隠されたものが次第に明かされていく過程を、同時に示してます。
隠れていたものが、露わになること。それが面白いんです。女もミニスカートとか、
見えそうで見えないのがいいわけだし、アフリカの部族などは平気で胸放り出して
るけど、やらしくない。それと同じように、我々の未来も、見え隠れしてるからいい。
そうやってソソられ、隠されたものを見つけようとするから、宝探しになるんです。
我々のまだ見ぬ未来や、叶っていない願望、出会っていない女神たちに、乾杯!
posted by fmtbank at 14:45| カテゴリ無し
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2013年03月29日
一日に千人声をかけた男、その後
以前、一日で千人に声をかけたゼロさんをご紹介しました。
なかなかキャッチセールスでさえ、そこまで出来ないのに、
体ボロボロになるまで、やりきったのは、尊敬すべきヴァカ。
そんなゼロさんから、最近、久々にご報告をいただいたので、
転載させていただきます。(以下、ゼロさんの、意外な顛末!)
★
>
> ゼロです。
>
> 千人声掛けた後なんですが、
> 思いっきり振り子現象の洗礼を浴びて
> まったく声がかけれなくなりました。
>
> 逆転と粘りがテーマだーと息巻いてましたが、
> 声掛けすらできなくなる始末です。
>
> 千人の代償は大きかったです。
>
> で、去年末まで地蔵状態が続いたんですが、
> 今年の1月になってなにげに覚醒ブログラムの声掛け編から
> 全部聞いて、解説も熟読してみました。
>
> これまで何度も聞いて、読んだはずの内容です。
> が、フミトさんスゲェと思わず感動している自分がいました!
>
> こんなすごい内容だったんだと
> コトヴァの力はめちゃくちゃパワフルなんだと
> 改めて感じました。
>
> 今までの自分のトークがなんかつまらなく感じ、
> しょせん、他のナンパ師と同じ範疇のトークだと
> 凹みました。
>
> フミトさんの他とは違う且つ面白いナンパに興味を持ち
> 教材を買って勉強してきたはずが、いつの間にか
> 普通のトーク(GETするためだけの)になっていました。
> もちろん、受け身やポジ、ネガ、オシなどの基本トークは
> 使ってましたが・・
>
> でやばいと思い、2月くらいから再開したんですが、
> 驚いたことに、声掛けが今まで以上に楽になっていました。
> 最初の10人を10分以内に声かけると以前はやってましたが、
> もうそんなのいらないくらい、最初から楽にいけます。
> 千人声掛けたおかげかなと思ってます。
>
> トークはフミト流のトークを改めて勉強しつつ
> もっともっと磨いていきたいと思います。
>
> 千人声掛けは地蔵になるという代償はありましたが、
> それ以上の恩恵を自分にもたらしてくれたようです。
>
> ヴァカ最高っす!!
>
★
本当に、意外でした。千人声かけれたのに、まさかの地蔵です!
つくづくナンパは、これまでの経験も関係なく、リセットされてしまう
ものだと、再確認しました。また10年近くもやっているゼロさんが、
今更、『ナンパ覚醒プログラム』をポジしてたのが、嬉しかったです。
なんせ、すでに何度も聴いてるものから、新しいものを引き出すこと、
これはなかなか出来ません。その感受性の方がスゴイと思いました。
なお長年ナンパを続けていると、なぜか全く出来ない、やらない時期
というのが必ず存在します。よほど外向的な人じゃないと、いつでも
出来るなんてないんです。そういう意味では、誰もが、常に初心者!
私だって地蔵しまくりでした。自分がハードな地蔵を脱出するため、
開発、制作したのが、『超覚醒チャレンジ!』でしたし、自分の趣味
に走って、ナンパを日本風に装飾したのも、やる気を出すためです。
そして、やる気といえば、今年が一番燃えています。これはもう女に、
というよりも、全国を引っかき回してしまおう!という、イタズラ心です。
それが、意図的な「ええじゃないか」運動であり、あなたとの知恵比べ、
新しいナンパの創出となる、対決企画となります。本当、ワクワクする。
そもそもの最初が、「教材買うか買わないか対決」といって、私が文章で、
教材を買わせようとするので、買わなかったら、あなたの勝ち!といった、
対決企画から始まってますので、最後も、対決企画をしたかったんです。
ただし、今度は買う買わない、なんてものじゃなくて、私が開発した裏技を、
当ててみよ!超えてみよ!といった、思考をフルに使う、謎解きものです。
これを半年くらいかけて、日本全土を舞台に、本気でやってみるわけです。
ちなみに、この企画、正式名称は、『自虐的代理代理戦争』ともいいます。
しっかし、10年前、まさかこんな展開になるとは、夢にも思っていません
でした。それもこれも、一番最初に「教材買うか買わないか対決」に参加
してくださった方から、全てが始まったんですね。本当に、感慨深いです。
現時点では、その10年前の対決企画に参加されていた方は、ゼロさん
しか残っていません。やはり、結婚して引退した方っていうのが多いです。
ナンパワールドは人の出入りが激しいから、それも仕方ない。私は最後、
たまたま現在、これを読んでいる方を大事にし、対決するつもりでいます。
誰だって、最初は、テンション高く続けられます。問題は、その後でした。
終わり方が重要。そればかり考えてきました。そして、機は熟したのです。
(いざ!)
なかなかキャッチセールスでさえ、そこまで出来ないのに、
体ボロボロになるまで、やりきったのは、尊敬すべきヴァカ。
そんなゼロさんから、最近、久々にご報告をいただいたので、
転載させていただきます。(以下、ゼロさんの、意外な顛末!)
★
>
> ゼロです。
>
> 千人声掛けた後なんですが、
> 思いっきり振り子現象の洗礼を浴びて
> まったく声がかけれなくなりました。
>
> 逆転と粘りがテーマだーと息巻いてましたが、
> 声掛けすらできなくなる始末です。
>
> 千人の代償は大きかったです。
>
> で、去年末まで地蔵状態が続いたんですが、
> 今年の1月になってなにげに覚醒ブログラムの声掛け編から
> 全部聞いて、解説も熟読してみました。
>
> これまで何度も聞いて、読んだはずの内容です。
> が、フミトさんスゲェと思わず感動している自分がいました!
>
> こんなすごい内容だったんだと
> コトヴァの力はめちゃくちゃパワフルなんだと
> 改めて感じました。
>
> 今までの自分のトークがなんかつまらなく感じ、
> しょせん、他のナンパ師と同じ範疇のトークだと
> 凹みました。
>
> フミトさんの他とは違う且つ面白いナンパに興味を持ち
> 教材を買って勉強してきたはずが、いつの間にか
> 普通のトーク(GETするためだけの)になっていました。
> もちろん、受け身やポジ、ネガ、オシなどの基本トークは
> 使ってましたが・・
>
> でやばいと思い、2月くらいから再開したんですが、
> 驚いたことに、声掛けが今まで以上に楽になっていました。
> 最初の10人を10分以内に声かけると以前はやってましたが、
> もうそんなのいらないくらい、最初から楽にいけます。
> 千人声掛けたおかげかなと思ってます。
>
> トークはフミト流のトークを改めて勉強しつつ
> もっともっと磨いていきたいと思います。
>
> 千人声掛けは地蔵になるという代償はありましたが、
> それ以上の恩恵を自分にもたらしてくれたようです。
>
> ヴァカ最高っす!!
>
★
本当に、意外でした。千人声かけれたのに、まさかの地蔵です!
つくづくナンパは、これまでの経験も関係なく、リセットされてしまう
ものだと、再確認しました。また10年近くもやっているゼロさんが、
今更、『ナンパ覚醒プログラム』をポジしてたのが、嬉しかったです。
なんせ、すでに何度も聴いてるものから、新しいものを引き出すこと、
これはなかなか出来ません。その感受性の方がスゴイと思いました。
なお長年ナンパを続けていると、なぜか全く出来ない、やらない時期
というのが必ず存在します。よほど外向的な人じゃないと、いつでも
出来るなんてないんです。そういう意味では、誰もが、常に初心者!
私だって地蔵しまくりでした。自分がハードな地蔵を脱出するため、
開発、制作したのが、『超覚醒チャレンジ!』でしたし、自分の趣味
に走って、ナンパを日本風に装飾したのも、やる気を出すためです。
そして、やる気といえば、今年が一番燃えています。これはもう女に、
というよりも、全国を引っかき回してしまおう!という、イタズラ心です。
それが、意図的な「ええじゃないか」運動であり、あなたとの知恵比べ、
新しいナンパの創出となる、対決企画となります。本当、ワクワクする。
そもそもの最初が、「教材買うか買わないか対決」といって、私が文章で、
教材を買わせようとするので、買わなかったら、あなたの勝ち!といった、
対決企画から始まってますので、最後も、対決企画をしたかったんです。
ただし、今度は買う買わない、なんてものじゃなくて、私が開発した裏技を、
当ててみよ!超えてみよ!といった、思考をフルに使う、謎解きものです。
これを半年くらいかけて、日本全土を舞台に、本気でやってみるわけです。
ちなみに、この企画、正式名称は、『自虐的代理代理戦争』ともいいます。
しっかし、10年前、まさかこんな展開になるとは、夢にも思っていません
でした。それもこれも、一番最初に「教材買うか買わないか対決」に参加
してくださった方から、全てが始まったんですね。本当に、感慨深いです。
現時点では、その10年前の対決企画に参加されていた方は、ゼロさん
しか残っていません。やはり、結婚して引退した方っていうのが多いです。
ナンパワールドは人の出入りが激しいから、それも仕方ない。私は最後、
たまたま現在、これを読んでいる方を大事にし、対決するつもりでいます。
誰だって、最初は、テンション高く続けられます。問題は、その後でした。
終わり方が重要。そればかり考えてきました。そして、機は熟したのです。
(いざ!)
posted by fmtbank at 09:17| カテゴリ無し
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2013年03月28日
「信仰」と「革命」が性的快楽を増幅する!
私は間違っていました。ブログの方向性を遠慮していたのです。
実は、このブログは、私自身が女に飢えまくっていた初期こそが、
評判よくて、達観した後は「よくわからない」という感想が多かった。
特に、日本風の『何無派道場』を想定して書き始めてから、それが
顕著でしたね。しかし、私自身の感覚では最も研ぎ澄まされていて、
ピークだったのは、去年の「瞑想・読経・参拝」を押していた頃です。
最近、書いていた「女は子宮」という観点も、すでにここに書いてて、
なぜ、わざわざ出雲や伊勢や神なんてことを言いだしたかというと、
すでに書いてた「信仰を持つ強さ」を、再び持ち出してきただけです。
路上で宗教勧誘している若者たちが、いじめられっこのような姿で、
ガンガンに声かけていけるのは、信仰があるからですよ。お洒落で、
友達も多そうな人が地蔵になるのは、信仰がないから、弱いんです。
で、信仰はタダですから、自分の信仰は、自分で創ればいい。すると、
無敵になれまっせ、という話でした。その一つのモデルとして、女性を
神のように見て、参拝していくという修行形態を、日本風に示しました。
これは震災後のナンパの一つの形として、ある到達点だったのです。
ところが、今までのブログで最も力を入れて書いていたのに、あまり
伝わらないというか、評判はイマイチでした。で、私はもうブログから、
興味を失くしてしまって、去年(2012年)は、手を緩めていたのです。
これはもう、音声メインでやるしかないと、超覚醒シリーズに着手して、
ブログの方は頻繁に休止したり、あとはテキトーな遊びの記事以外に、
いただいたご報告から、連想されたことだけ書くという、受け身でした。
そんなスタンスに引っ込んでしまったわけですが、これが間違いでした。
やはり集大成として、ちゃんと伝え切るべき!その想いに乗るしかない。
これは、自分がやらなきゃ誰がやる?という使命です。ナンパに対して、
性的エクスタシー以外に、宗教的エクスタシーを付加できるのは、他に
いるかもしれないけど、さらに革命的エネルギーを付加するのは稀です。
私の原点自体が、恋に落ちて、激しい悟りの一瞥状態に入っていますし、
それ以降も、女との出会いで人生がガラッと変わってます。そんなせいか、
ナンパの素晴らしさを伝えられるのは、日本で一番だと思っているんです。
★
ずっとナンパを続けると、女性への幻想を失います。そのままにしてたら、
本当、つまんなくてどうしようもなくなる。だったら再び、幻想を創るわけ。
それが今あるものを変えずに、自分の心ひとつで活性化させることです。
この宗教的スタンスと真逆なのが、革命的スタンスであり、こちらは現状
を変えます。行き詰った状態から、新しい道を発見し、現実的に創造する。
これは思考センターの活性化で、思考というのは新しいことが好きでして、
次から次へと試行錯誤して面白いことを仕掛ける。そうして奇跡を起こし、
めっちゃ興奮状態に入ります。これが革命的エクスタシーというやつです。
つまり、ただGETするぞ!あきらめずに頑張るぞ!という性的スタンスに、
宗教的なエクスタシーと、革命的エクスタシーまで付加したのが、これまで
何度も述べてきた日本風の「何無派(ナンパ)」です。これが最高なんすよ。
だって性的快楽だけで、ナンパなんて長年続けられない。そこに感動する、
宗教的エクスタシー(悟り)と、新しい世界を創造する、革命的エクスタシー
を足してぶつければ、えもいわれぬ爆発が起こるんです。わかりますか?
まぁ、よくわかんないのが普通です。むしろ、これから伝えていくべき課題!
なんとか一年前に、宗教的エクスタシーについてなら、お伝え出来たので、
今年は、手つかずの革命的エクスタシーをメインに展開していくつもりです。
それが、「おかげまいり」から発展した、ナンパによる「ええじゃないか」運動。
他者に伝えるのが面倒くさいと投げ出さず、なんとか、やりきろうと思います。
それも、これまでの友好的姿勢ではなく、あなたに挑戦状を叩きつける形で。
(イッヒッヒッ・・・、これも僕なりの愛ですよ。)
実は、このブログは、私自身が女に飢えまくっていた初期こそが、
評判よくて、達観した後は「よくわからない」という感想が多かった。
特に、日本風の『何無派道場』を想定して書き始めてから、それが
顕著でしたね。しかし、私自身の感覚では最も研ぎ澄まされていて、
ピークだったのは、去年の「瞑想・読経・参拝」を押していた頃です。
最近、書いていた「女は子宮」という観点も、すでにここに書いてて、
なぜ、わざわざ出雲や伊勢や神なんてことを言いだしたかというと、
すでに書いてた「信仰を持つ強さ」を、再び持ち出してきただけです。
路上で宗教勧誘している若者たちが、いじめられっこのような姿で、
ガンガンに声かけていけるのは、信仰があるからですよ。お洒落で、
友達も多そうな人が地蔵になるのは、信仰がないから、弱いんです。
で、信仰はタダですから、自分の信仰は、自分で創ればいい。すると、
無敵になれまっせ、という話でした。その一つのモデルとして、女性を
神のように見て、参拝していくという修行形態を、日本風に示しました。
これは震災後のナンパの一つの形として、ある到達点だったのです。
ところが、今までのブログで最も力を入れて書いていたのに、あまり
伝わらないというか、評判はイマイチでした。で、私はもうブログから、
興味を失くしてしまって、去年(2012年)は、手を緩めていたのです。
これはもう、音声メインでやるしかないと、超覚醒シリーズに着手して、
ブログの方は頻繁に休止したり、あとはテキトーな遊びの記事以外に、
いただいたご報告から、連想されたことだけ書くという、受け身でした。
そんなスタンスに引っ込んでしまったわけですが、これが間違いでした。
やはり集大成として、ちゃんと伝え切るべき!その想いに乗るしかない。
これは、自分がやらなきゃ誰がやる?という使命です。ナンパに対して、
性的エクスタシー以外に、宗教的エクスタシーを付加できるのは、他に
いるかもしれないけど、さらに革命的エネルギーを付加するのは稀です。
私の原点自体が、恋に落ちて、激しい悟りの一瞥状態に入っていますし、
それ以降も、女との出会いで人生がガラッと変わってます。そんなせいか、
ナンパの素晴らしさを伝えられるのは、日本で一番だと思っているんです。
★
ずっとナンパを続けると、女性への幻想を失います。そのままにしてたら、
本当、つまんなくてどうしようもなくなる。だったら再び、幻想を創るわけ。
それが今あるものを変えずに、自分の心ひとつで活性化させることです。
この宗教的スタンスと真逆なのが、革命的スタンスであり、こちらは現状
を変えます。行き詰った状態から、新しい道を発見し、現実的に創造する。
これは思考センターの活性化で、思考というのは新しいことが好きでして、
次から次へと試行錯誤して面白いことを仕掛ける。そうして奇跡を起こし、
めっちゃ興奮状態に入ります。これが革命的エクスタシーというやつです。
つまり、ただGETするぞ!あきらめずに頑張るぞ!という性的スタンスに、
宗教的なエクスタシーと、革命的エクスタシーまで付加したのが、これまで
何度も述べてきた日本風の「何無派(ナンパ)」です。これが最高なんすよ。
だって性的快楽だけで、ナンパなんて長年続けられない。そこに感動する、
宗教的エクスタシー(悟り)と、新しい世界を創造する、革命的エクスタシー
を足してぶつければ、えもいわれぬ爆発が起こるんです。わかりますか?
まぁ、よくわかんないのが普通です。むしろ、これから伝えていくべき課題!
なんとか一年前に、宗教的エクスタシーについてなら、お伝え出来たので、
今年は、手つかずの革命的エクスタシーをメインに展開していくつもりです。
それが、「おかげまいり」から発展した、ナンパによる「ええじゃないか」運動。
他者に伝えるのが面倒くさいと投げ出さず、なんとか、やりきろうと思います。
それも、これまでの友好的姿勢ではなく、あなたに挑戦状を叩きつける形で。
(イッヒッヒッ・・・、これも僕なりの愛ですよ。)
posted by fmtbank at 16:00| カテゴリ無し
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2013年03月27日
神はどこにいる?女体に宿る。(SAY!性!聖!)
日本人は神頼みが好きで、初詣以外にも、神社によく足を運ぶが、
神社に「神」などいない。あれは、ただの雰囲気を出す舞台装置だ。
誕生会における、ロウソクの立ったバースデーゲーキのようなもの。
では、「神」はどこにいるか?というと、実は「神」なんてものはいない。
脳で把握できるものは、「神」だろうが、すべて脳が創りだした幻想だ。
しかしながら、我々が感知できない、この世界を運営しているシステム、
計りしれない超越的な理(ことわり)を人間は感じ、そこに神秘を感じる。
宇宙の果ては何だろう?と考えていると気が遠くなるように、いくら科学
が理路整然に説明しようが、それはただの仮説にすぎず、幻想の一種。
ならば、実際の摂理など関係ない。重要なのは、我々がどう感じるか、だ。
そして、どう役に立つか?だけで事を進めてしまうなら、「神」的な存在が、
自分を守ってくれていると、そう思い込むことは、そう思わないよりもいい。
自分でゴチャゴチャ考える必要もなく、全ては与えられると、お任せして、
悠々自適な生活を送れる。そして、そういう姿勢で過ごすと、謙虚になる。
なんか知らんけど、うまくいくという、痛快な結果に、感謝せざるをえない。
★
日本人は、遥か昔から、大自然の中に「神」を見出し、祀ってきたのだ。
時おり起こる驚きの偶然や、人生の神秘に対する感受性も素晴らしい。
その新鮮な面白さや、涙ぐむほどの感動は、超越的なものへの憧憬と、
全てが繋がってるという、あの強烈な快感を生み、人生観を一変する。
時代の流れは、すでに経済から宗教の時代に入っているが、その中で、
我々が出来ることは何か?それはお金を必要としない、精神性の発動!
それが、究極まで高められた、女と男の紡ぎ合いによる、陰と陽の統合。
その象徴的な年となるのが、出雲、伊勢の遷宮が行われる今年である。
今年、2013年は、伊勢へと参拝にいく「おかげまいり」が流行るだろう。
いや、正確には、伊勢(いせ)ではなく、異性(いせい)への参拝となるが・・。
ところで、重ねていうが、神社には「神」はいない。それなら、どこにいる?
もちろん、女体にいる。我々が生まれてきた、この世に出現してきた場所、
「子宮」という不思議な神殿を、我々は、もっと深く祀らなければならない。
あの全てが始まった源こそ、理性ではわからない、超越的な世界への扉
の向こう側に想いをはせる、神的崇敬に値する。なので我々は、子宮に
戻ろうとして、ふたたび女体へと入ろうとする。それが陰と陽との「性」だ。
「性」こそが神聖な「神事(かみごと)」であり、そこに全てを没入し、全てが
解放されたとき、えもいわれぬエクスタシーが巻き起こる。そこでは一種の
強烈な「死」が訪れるため、我々、男は、「性」を恐れる者が後をたたない・・。
なんとか半身のまま、できるだけ没入しないようにすましたり、我を忘れる、
偉大な魅力を宿した女性からは逃げて、安っぽく弱い女へと、逃げるのだ。
たいてい男はそんな調子で、真なる「性」の深遠に飛び込む者は、少ない。
いにしえより、男は女に魅了されると同時に、畏怖してきた。そうして、あの
「子宮」というものから産まれ出る我らの仲間、自分自身の源を敬ってきた。
実は、神社というものは、そもそも、女体を模して作られた。鳥居は女性器で、
たまに赤く塗られているものは、女性器が「ここですよー!」と、分かりやすく、
アピールしているわけで、我々、男は鳥居をくぐって、中に侵入(チン入)する。
神社に入ってすぐの所に、清めの水があるのも、汚い手指で触れ、女性器に
バイキンが入らないようにするためで、口を注ぐのも、口臭予防というやつで、
いわゆるエチケットだ。そうして、子宮を模した、本宮へと参拝することになる。
神社へ向かう道を参道と呼び、子が生まれる「産道」と同じ意味だし、もともと、
昔は神社に、男性器や女性器を模した木や岩が祀られ、完全に神聖なる「性」
をメインに我々は祈ってきたのだった。今では、すっかり撤廃されてしまったが。
結局、文明が進むにつれ、「性」が恥ずかしいもの、汚らわしいものとされたのだ。
何が文明開化だ!西洋のものを徹底的に取り入れた結果が、今の無残な有様・・。
★
我々、男は、女体を軽んじすぎてきた。雑に扱うのも、二次元に逃げるのも違う。
もっと女体そのものを参拝するつもりで、堂々と、優しく、いやらしく詣でるべきだ。
今でもストリップでは、女が全て服を脱ぎ、大股開きした時、年輩の男性などが、
手を二回叩いて拝んだりする。あれは、女体に対して参拝する、名残りでもある。
子を産みだす女を「神」として、憧憬の眼差しで見つめ、思いっきり卑猥に味あう。
この「聖」と「性」が、両方そろってこそ、古代より行われてきた「和」の参拝となる。
今こそ我々は、日出づる国の失われた伝統、その源を取り戻さなくてはいけない。
そこで何無派師の登場だ。かつて蔑まされていた身分にあった者が、日本を救う。
今年は、「出雲」と「伊勢」の大遷宮である。神の祠(ほこら)を移動する儀式だが、
実際の遷宮は、神の居場所は、女の体へと移動することになる。あくまでも神社
の遷宮など、その象徴の祭りにすぎない。本当の遷宮、祭りは我々が取り仕切る。
我々、何無派師は、「性」と「聖」を和する、和みのプロであり、天と地を結ぶ神官。
悟りの一瞥を横目で見ながら、街を駆け抜け、時を超え、究極の女と結ばれた時、
その平成の大遷宮は完遂となる。彼らは目立っているようで、目立ってないようで、
陰と陽の振り子の狭間を、さっそうと走りながら革命を起こす。その姿は、美しい・・。
しかし、それに気づく者は少ない。ひけらかすことも一切ない、静かな革命だから。
歴史の裏で、一体、何が起こり始めているのか?それを知るのは、当事者のみだ。
つまるところ、貴君に言いたいのは一つだけである。当事者たれ!あかんたれ!と。
神社に「神」などいない。あれは、ただの雰囲気を出す舞台装置だ。
誕生会における、ロウソクの立ったバースデーゲーキのようなもの。
では、「神」はどこにいるか?というと、実は「神」なんてものはいない。
脳で把握できるものは、「神」だろうが、すべて脳が創りだした幻想だ。
しかしながら、我々が感知できない、この世界を運営しているシステム、
計りしれない超越的な理(ことわり)を人間は感じ、そこに神秘を感じる。
宇宙の果ては何だろう?と考えていると気が遠くなるように、いくら科学
が理路整然に説明しようが、それはただの仮説にすぎず、幻想の一種。
ならば、実際の摂理など関係ない。重要なのは、我々がどう感じるか、だ。
そして、どう役に立つか?だけで事を進めてしまうなら、「神」的な存在が、
自分を守ってくれていると、そう思い込むことは、そう思わないよりもいい。
自分でゴチャゴチャ考える必要もなく、全ては与えられると、お任せして、
悠々自適な生活を送れる。そして、そういう姿勢で過ごすと、謙虚になる。
なんか知らんけど、うまくいくという、痛快な結果に、感謝せざるをえない。
★
日本人は、遥か昔から、大自然の中に「神」を見出し、祀ってきたのだ。
時おり起こる驚きの偶然や、人生の神秘に対する感受性も素晴らしい。
その新鮮な面白さや、涙ぐむほどの感動は、超越的なものへの憧憬と、
全てが繋がってるという、あの強烈な快感を生み、人生観を一変する。
時代の流れは、すでに経済から宗教の時代に入っているが、その中で、
我々が出来ることは何か?それはお金を必要としない、精神性の発動!
それが、究極まで高められた、女と男の紡ぎ合いによる、陰と陽の統合。
その象徴的な年となるのが、出雲、伊勢の遷宮が行われる今年である。
今年、2013年は、伊勢へと参拝にいく「おかげまいり」が流行るだろう。
いや、正確には、伊勢(いせ)ではなく、異性(いせい)への参拝となるが・・。
ところで、重ねていうが、神社には「神」はいない。それなら、どこにいる?
もちろん、女体にいる。我々が生まれてきた、この世に出現してきた場所、
「子宮」という不思議な神殿を、我々は、もっと深く祀らなければならない。
あの全てが始まった源こそ、理性ではわからない、超越的な世界への扉
の向こう側に想いをはせる、神的崇敬に値する。なので我々は、子宮に
戻ろうとして、ふたたび女体へと入ろうとする。それが陰と陽との「性」だ。
「性」こそが神聖な「神事(かみごと)」であり、そこに全てを没入し、全てが
解放されたとき、えもいわれぬエクスタシーが巻き起こる。そこでは一種の
強烈な「死」が訪れるため、我々、男は、「性」を恐れる者が後をたたない・・。
なんとか半身のまま、できるだけ没入しないようにすましたり、我を忘れる、
偉大な魅力を宿した女性からは逃げて、安っぽく弱い女へと、逃げるのだ。
たいてい男はそんな調子で、真なる「性」の深遠に飛び込む者は、少ない。
いにしえより、男は女に魅了されると同時に、畏怖してきた。そうして、あの
「子宮」というものから産まれ出る我らの仲間、自分自身の源を敬ってきた。
実は、神社というものは、そもそも、女体を模して作られた。鳥居は女性器で、
たまに赤く塗られているものは、女性器が「ここですよー!」と、分かりやすく、
アピールしているわけで、我々、男は鳥居をくぐって、中に侵入(チン入)する。
神社に入ってすぐの所に、清めの水があるのも、汚い手指で触れ、女性器に
バイキンが入らないようにするためで、口を注ぐのも、口臭予防というやつで、
いわゆるエチケットだ。そうして、子宮を模した、本宮へと参拝することになる。
神社へ向かう道を参道と呼び、子が生まれる「産道」と同じ意味だし、もともと、
昔は神社に、男性器や女性器を模した木や岩が祀られ、完全に神聖なる「性」
をメインに我々は祈ってきたのだった。今では、すっかり撤廃されてしまったが。
結局、文明が進むにつれ、「性」が恥ずかしいもの、汚らわしいものとされたのだ。
何が文明開化だ!西洋のものを徹底的に取り入れた結果が、今の無残な有様・・。
★
我々、男は、女体を軽んじすぎてきた。雑に扱うのも、二次元に逃げるのも違う。
もっと女体そのものを参拝するつもりで、堂々と、優しく、いやらしく詣でるべきだ。
今でもストリップでは、女が全て服を脱ぎ、大股開きした時、年輩の男性などが、
手を二回叩いて拝んだりする。あれは、女体に対して参拝する、名残りでもある。
子を産みだす女を「神」として、憧憬の眼差しで見つめ、思いっきり卑猥に味あう。
この「聖」と「性」が、両方そろってこそ、古代より行われてきた「和」の参拝となる。
今こそ我々は、日出づる国の失われた伝統、その源を取り戻さなくてはいけない。
そこで何無派師の登場だ。かつて蔑まされていた身分にあった者が、日本を救う。
今年は、「出雲」と「伊勢」の大遷宮である。神の祠(ほこら)を移動する儀式だが、
実際の遷宮は、神の居場所は、女の体へと移動することになる。あくまでも神社
の遷宮など、その象徴の祭りにすぎない。本当の遷宮、祭りは我々が取り仕切る。
我々、何無派師は、「性」と「聖」を和する、和みのプロであり、天と地を結ぶ神官。
悟りの一瞥を横目で見ながら、街を駆け抜け、時を超え、究極の女と結ばれた時、
その平成の大遷宮は完遂となる。彼らは目立っているようで、目立ってないようで、
陰と陽の振り子の狭間を、さっそうと走りながら革命を起こす。その姿は、美しい・・。
しかし、それに気づく者は少ない。ひけらかすことも一切ない、静かな革命だから。
歴史の裏で、一体、何が起こり始めているのか?それを知るのは、当事者のみだ。
つまるところ、貴君に言いたいのは一つだけである。当事者たれ!あかんたれ!と。
posted by fmtbank at 17:08| カテゴリ無し
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2013年03月26日
女の尻を見ていると、自然と手が・・。
私は女の尻を見ていた。それはそれは、熱い視線を注いでいた。
なぜなら、「さぁ見てくださいな。」という形と、動きをしていたから。
それに応えて、見てあげなければ、男としての責務の放棄となる。
★
女が前から歩いてきた時、男は女の顔を見たり、胸を見たりする。
いや、しかし正面からだと、胸を見てるのが、女にバレバレなので、
そんな図々しい人は少ないだろう。(意外に多いのかもしれないが)
ところが、女を後ろから見るとき、遠慮はいらない。こちらが見てると
バレないので、ゆったりと足を眺め、そして尻を見つめるのも自由だ。
だから私は、ここぞとばかり、なんていう勢いさえもなく、見て当然と、
ボンヤリ見つめていたのだった。そうしてるうちに、ふと疑問が湧いた。
なんで女の尻は、男よりも大きいのだろうか?(体のバランスから)
どうして、腰からくびれて、あのなだらかな曲線を描いているのか?
まぁ別にいいんだけども、単純に、いい形だぜよ、あっぱれ、あっぱれ、
と感嘆した途端、不意に答えが出た。それは「子宮」があるからである。
男と女の最大の違い。それは胸でもアソコでもなく「子宮」だといえよう。
そんなの当たり前じゃんかと、君は思うかもしれない。しかし私にとって、
これが雷に打たれたような衝撃の答えであった。全てが繋がったのだ。
なぜ女の尻が、ふくよかなのかというと、「子宮」を守るクッションとして、
尻もちついた時、衝撃をやわらげるためであったり、体中が丸みを帯び、
柔らかいのも、特に「子宮」に子供がいた時など、守るためだったのだ!
また、なぜ女に冷え症が多いかというと、手足よりもまず「子宮」を暖め、
他は後回しにするためだったり、太っても内蔵脂肪ではなく、皮下脂肪
がつくのも、「子宮」の邪魔にならないようにするためだと、理解できた。
つまり、女は「子宮」であること!完全に「子宮」がメインで、それを包み、
守るようにして、体が出来ている、という生物学的事実の発見であった。
そんなの当然の事として知っていたのに、初めて自分の目で見、それを
体中で感得した時には、私はあまりの敬意に打たれ、自然と手が動き・・、
両手を合わせ、その場にひざまずき、合掌したのだった。
そうして、ハッキリわかったのだ。女こそが神である、と。
(合掌からの、コマネチ!)
なぜなら、「さぁ見てくださいな。」という形と、動きをしていたから。
それに応えて、見てあげなければ、男としての責務の放棄となる。
★
女が前から歩いてきた時、男は女の顔を見たり、胸を見たりする。
いや、しかし正面からだと、胸を見てるのが、女にバレバレなので、
そんな図々しい人は少ないだろう。(意外に多いのかもしれないが)
ところが、女を後ろから見るとき、遠慮はいらない。こちらが見てると
バレないので、ゆったりと足を眺め、そして尻を見つめるのも自由だ。
だから私は、ここぞとばかり、なんていう勢いさえもなく、見て当然と、
ボンヤリ見つめていたのだった。そうしてるうちに、ふと疑問が湧いた。
なんで女の尻は、男よりも大きいのだろうか?(体のバランスから)
どうして、腰からくびれて、あのなだらかな曲線を描いているのか?
まぁ別にいいんだけども、単純に、いい形だぜよ、あっぱれ、あっぱれ、
と感嘆した途端、不意に答えが出た。それは「子宮」があるからである。
男と女の最大の違い。それは胸でもアソコでもなく「子宮」だといえよう。
そんなの当たり前じゃんかと、君は思うかもしれない。しかし私にとって、
これが雷に打たれたような衝撃の答えであった。全てが繋がったのだ。
なぜ女の尻が、ふくよかなのかというと、「子宮」を守るクッションとして、
尻もちついた時、衝撃をやわらげるためであったり、体中が丸みを帯び、
柔らかいのも、特に「子宮」に子供がいた時など、守るためだったのだ!
また、なぜ女に冷え症が多いかというと、手足よりもまず「子宮」を暖め、
他は後回しにするためだったり、太っても内蔵脂肪ではなく、皮下脂肪
がつくのも、「子宮」の邪魔にならないようにするためだと、理解できた。
つまり、女は「子宮」であること!完全に「子宮」がメインで、それを包み、
守るようにして、体が出来ている、という生物学的事実の発見であった。
そんなの当然の事として知っていたのに、初めて自分の目で見、それを
体中で感得した時には、私はあまりの敬意に打たれ、自然と手が動き・・、
両手を合わせ、その場にひざまずき、合掌したのだった。
そうして、ハッキリわかったのだ。女こそが神である、と。
(合掌からの、コマネチ!)
posted by fmtbank at 16:37| カテゴリ無し
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