2013年04月12日

家系ナンパと、家系ラーメンとの違い

全然違います。

以上。


(好きだけどね)

posted by fmtbank at 12:25| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年04月11日

体育会系でもなく、文化系でもなく、家系(いえけい)

ナンパを三つに分けるのなら、とにかくGET!イイ女をGET!が体育会系です。

そして、じっくり会話を楽しみ、関係を深めるのが文化系といってもいいでしょう。

さらに、そんな女遊びや恋人づくりにとどまらない、第三のナンパが『家系』です。


これは、今まで誰も、開拓も表現もしてこなかったので、わかりづらくて、説明に
やたら時間をかけてますが、一言でいえば、山伏が山で修行したのを、街にて、
女という自然を相手に修行して、精神修養や能力開発することを意味してます。

文化系ナンパと似ているんですが、もっと革命的、孤立的で、浮世離れしている。

その担い手はニュータイプと呼ばれる、新しいナンパ師ですが、大抵は中二病で、
子供じみてたり、世間からの落ちこぼれ、ヒッキーが多く、中には、仕事も家庭も
成功している人もいますが、それで満足できず出家してきたというのが実情です。

「何も持たざる者が一番強い」という真理のもと、各自が孤立して修行しています。





確かに、コミュニケーションを豊かにすることを志向する点では、文化系ナンパと、
家系ナンパは似てますが、映画『桐島、部活やめるってよ』で例えるとよくわかる。

あの映画では、高校の中でのイケてるグループ、イケてないグループなどの区分、
校内カーストを描いていました。体育会系の部活に燃える集団、文化系のダサい、
イケてない集団。そして帰宅部で女にモテてる人や、その他もろもろの登場人物。

もし私が、あの高校にいたとしたら、映画には出てきません。あまり登校しないから。

そうして登校しないんだから、帰宅部でさえない、自宅部でしたが、それはそれで、
楽しくやってました。(家でコメディ映画ばかり、朝から晩まで観てた。楽しかった!)


つまり、そんな学校自体から落ちこぼれて一人でいるのが「家系」です。そうなると、
校内カーストとか知ったこっちゃないんです。それと関係なく、生きているのだから。

もう独りで勝手に都合のいいように考えて、思い込みを育み、自分の世界を生きる。

「我、想うに、我の世界あり」というやつ。そこから新しいものが生まれるわけですね。

(無知!無知!無知!知らぬが勝ちの、お尻ペ〜ンペン!)

posted by fmtbank at 12:27| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年04月10日

日本最小の流派、『家系(いえけい)ナンパ』が登場!

ここ最近、私のやるべきこととして、ひきこもりの人達を肯定しています。

ひきこもりはマイナス面ばかりスポットがあてられていますが、もちろん、
プラスの面から見れば、こんなに時間が自由で、ぜいたくな身分はなく、
ただ、お金の自由がないだけで、現代の貴族といってもいいくらいです。

好きで引きこもってねえ!と文句を垂れようが、客観的には、非常に豊か。

ひきこもりが自室のパソコンで、「おねだりマスカット」の動画を見るのは、
時代が時代なら、殿様にしか許されなかった、ぜいたくの極みであります。


あんな風に面白い遊女を集めて、トンチのきく参謀(作家のこと)に任せて、
盛り上がる宴を開くとしたら、そこに座するのは、本当に限られた者だけで、
それを自室にいながら、鼻くそほじりながら流し見するとは、あっぱれです!

しかも、まるで蛇口をひねるようにエロ動画が、それも南蛮渡来の舶来品、
金髪女郎の動くポンチ絵、蓄音付きの春画が、無限に見れるという、幸せ。

それもこれも、記録する技術と、広める技術を革新してくれた、ご先祖様が、
いてくれたおかげです。我々は、仏壇に手をあわせ、感謝すべきなんです。





とはいえ、ひきこもりはハッピー!なんてことは、全員にはいえません。もし、
ハードなひきこもりの人から、「どうすれば外出できるか?」と質問されても、
そこら辺の本にのってる以上のことはいえず、助けることもできないでしょう。

そこで前回、部屋から一歩も出られない人達のことを、「積極的ひきこもり」、
そして、外出しようと思えばできるけど、自分の部屋の方が楽しいし、めんど
くさいから必要最低限しか出ないライトな人を、「受動的ひきこもり」としました。

しかし、ここでわかりやすく、「ひきこもり」という言葉を、部屋から出られない、
ヘビーな人限定に使い、それ以外のライトな人達を、「ヒッキー」と呼ぶことに
しました。これは「ひきこもり」に「Y」をつけた形容詞で、より軽い意味ですね。


本来、皆がどういう使い方をしているか知りませんが、このブログ上において、
「ヒッキー」は、自室に引きこもりがちなインドアな人、そして、通勤や通学など、
普通に生活していようが、殻に閉じこもり、引っ込み思案な人達まで含みます。

「ひきこもり」から「こもり」の部分をとり、「ひき」を強調した感じの「ヒッキー」で、
宇多田ヒカルも「ヒッキー」と呼ばれているそうだし、光る人の意味もつけたい。

なぜなら、これからの日本は「ヒッキー」が担っていくからです。これマジでっせ。


なお、ヒッキーがするナンパを、これからは「家系(いえけい)」ナンパと呼びたい。

これが、ひきこもりナンパじゃ、カッコ悪いし、セカイ系ナンパも、用語が古くさいし、
セカイ系ではなく、「家系」とするのが、日本風だし、「家元」制度もありカッコいい。

こうやって用語というのは、自分で勝手に作っていいんです。これぞ「家系」です。

まぁ例によって、私しか使わないと思いますが、今後も、「家系」ナンパをヨロシク!

posted by fmtbank at 13:01| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年04月09日

ひきこもりは人類の夢だった。

元ひきこもりがナンパできるようになる。凄腕のナンパ師になる!

それは、かつて珍しかったが、今では当たり前になってしまった。

私も最初、それをプロフィールにしていたが、今では恥ずかしい。

いかにも陳腐で、ありふれていて、どこか古くさい価値観だった・・。


しかし、ここで強調したいのは、ひきこもりという、ダメな状態から、
自由な「ナンパ師」になる人が増えた、とかいう意味でもないこと。

そもそも、ひきこもりという状態が当たり前になり、ダメでもなくて、
とりたてて社会問題ではなくなり、話題にものぼらなくなったのだ。

もちろん、病気などで苦しんでいる人は今でも増えている。しかし、
もっと増えたのは、そんなヘビーな状態にいるのではなく、たんに、
面倒くさいから外出しない、充分楽しいからね、という人達である。


ここで、あえて分けるなら、外出したくでも出来ない、ヘビーな人を、
「積極的ひきこもり」。そして外出しようと思えばできるけど、そんな
必要もないし、面倒くさいからしない人を「消極的ひきこもり」とする。

そして、この「消極的ひきこもり」は、もうハンパなく、増えたことだろう。

なぜなら、これは人類の夢だったから。便利さを追求した結果なのだ。





実は、ひきこもりという、部屋から出なくても、ほとんど済んでしまう、
インドアなライフスタイルは人類の夢だった。かつて野性の獣を追って、
地をはいずり廻っていた時代から、人類はラクを求めてきたのである。

いちいち狩猟してるのが面倒になり、農業を始めて、共同体を作って、
皆で協力しあい、さらに工業を始め、大勢で従事し、会社で集団分業
してきたのだが、そこでの人間関係は、ストレスを生むものでもあった。

そこで、さらに人類は、会社にも行きたくない、集団の中にいるのが嫌!
一人で暮らせたら最高じゃないか!そんな生活を夢みて、最終的には、
インターネットという情報網を世界中に張り巡らし、部屋にひきこもった。

それは、指を動かすだけで、ありとあらゆる娯楽が享受でき、買い物が
できる、仕事もできる、すさまじい便利さである。人類の夢が叶ったのだ。

すべては人類の集団意識による結果であり、我々は、それを享受した。


と同時に、人間も進化してきている。欲がない人達が増えたのである。

最近の若者は、家も車もいらない、酒も飲まないという、消費を最小限
におさえた生活をする者が増えたが、これも当然。高度成長時代から、
低成長時代にシフトするために、見事、心身を適応させただけのこと。

それを、もっと頑張れよ!とか説教されても、余計なお世話でしかない。

別に欲しいものなんてないし、プライベートを大事にし、残業などしない、
そもそも週に5日も6日も働きたくないので、バイトで充分。最低レベル
であろうが結構。自分の時間の方が大事だとばかりに、部屋にこもる・・。

これは今の時代、当たり前の生活であり、人類の最先端としての形だ。

しかし、古い価値観に染まっている親にとってみれば、これは大問題で、
なんとかしなくちゃいけないと思うかもしれない。そして激しくぶつかって、
さらに引きこもりを助長するだろう。そんなに嫌なら、援助してはいけない。

親が仕送りをやめたり、勝手に置いて引越したりすれば、ひきこもりなど、
働かざるをえなくなり外に出ていく。この決断は、早ければ早いほどいい。


ただし、親に食わせてもらう、親に養ってもらうことは、悪くもなんともない。

お金は持ってる人が払えばいいし、一番よくないのは、そんな自分に対し、
自己嫌悪を持つことで、その自己嫌悪はやがて親への憎しみに転化して、
悲劇を生んだりもする。もし親に文句いうならば、絶対に家を出るべきだ。
(別に文句いわないで感謝してるなら、一生、親に食わせてもらってもOK)

まぁ、こういった家庭の問題は、それぞれの事情があるので、これまでにし、
とにかく、親元にいたり、一人暮らしで最低限のバイトをしたり、また、作家や、
フリーのSEだとか、自分独りで部屋にこもって仕事している人達というのが、
今の時代、本当に増えてきた。そして、行き詰っている人も多いに違いない。

そこで私は、こういう「ひきこもり」系の人達に対して、あるライフスタイルを
提唱したい。それは、こんなブログを書いてることからわかるように、ナンパ
を取り入れたインドアライフのすすめだが、別に、強制するつもりはないし、
もはや助けようという気持ちも薄い。たんに自分の経験と発見を語るだけ!





ひきこもり生活に、少しナンパを取り入れるだけで、あまりに健康的となり、
あまりに腹の底から笑える生活へと変貌することを、私は知っているのだ。

他の人も知ってるかもしれないが、もはや他者はどうでもいい。私自身が、
日本で一番その面白さとパワーの凄みを知っていると、自負しているだけ。

そして、知っていることを、最後に伝えきらないと、気がすまないだけの話で、
あくまでこちらの問題。そして、そもそも全ては自分の問題でしかないだろう。

(普通に働いてる方、すみません。しばらくは、ひきこもりナンパの話です。)

posted by fmtbank at 15:56| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年04月08日

家元は引きこもりである。蔑視せよ!

なぜだろう?勘違いをしている者も多いので、ここで正しておこう。

日本古来の何無派(ナンパ)を継承している「家元」である、私は、
通称フミトバンクは、別にナンパ師ではない、ただの引きこもりだ。

最初は、元ひきこもりがナンパ師になった!という導入だったが、
すさまじく行動的に外へ外へ向かい、遠征ばっかしてたのなんぞ、
最初の数年だけであり、あとはまた、かなり内向的に戻っていった。


要するに、躁鬱病の人の反動のように、ずっと閉じこもってたから、
その反動で超外向的になっただけで、しばらくすると、本来の自分、
シャイで内気な自分に落ちついた。ただもちろん、以前とは違ってる。

完全に引きこもりに戻ったわけではなく、ちゃんと外出できるし、全然、
声もかけられる。しかし、それは運動不足にならないようにジムに通う、
その程度のことで、あくまでも、引きこもりのインドアの方がメインである。

もともとの性格がそうだし、そんな内向的な日々に、ナンパが寄り添う形。


もうすぐ開始の『第三章<究>』も、声かける場所がすごく狭いし、ほぼ、
いつも同じところに行って活動していた。気持ち的には、その場にこもり、
引きこもっていたという感覚だった。たとえ何百人に声をかけていようと!

なので、だいぶ前から、元ひきこもりがナンパ師になったのではなくて、
ひきこもりがナンパしている。精神の健康のため、運動のためにしてる。

そんな感覚になっていた。あくまでも私の自己イメージは、ひきこもりで、
正直いって、その気になれば一年間は、誰とも話さなくても平気だと思う。


でも、少しでも他人と話したほうが、より面白いから、そうしてる。さらに、
どうせ話すなら異性で、さらに可愛ければいいなという、ささやかなもの。

またさらに、どうせ話すんだったら、飽きないように、いろんな技術を試し、
創造性も発揮して、長いスパンで楽しめるように工夫する。その過程で、
セカイ観でさえも、自分の気持ちのいい思想で構築し、ひたすら独り遊び。

つまり、ナンパ師がナンパの腕を磨いてる、そんなつもりは毛頭なく、ただ、
ひきこもりが毎回、気合い入れて外出し、独り遊びしながら、そこに女性を
巻き込んであげてるという、謙虚かつ、自分勝手にも思えるスタンスだった。





しかし、こんなことを声高に述べるのは遠慮していた。なぜなら、外出して、
しかも女性と触れ合ってる奴のどこが「引きこもり」なんだよ!と言われる
のが当たり前だから。部屋から一歩も出ない人に、違う!と怒られちゃう・・。

ハードな引きこもりの人は、ネットばかりやっていて怒りっぽいイメージで、
それにやっぱり外出したくても、病気やウツで動けない人は可愛そうだなと、
彼らに遠慮していたため、いつからか、ひきこもりに関しては書かなくなった。

しかし、時代は変わった。ひきこもりなんか特別じゃない。もう、そういう時期。


ブロードバンドのネットが行き渡り、アマゾンや各種のデリバリーを利用して、
家から一歩も出なくても生活できる。動画だって、レンタルビデオも行かずに、
ありとあらゆる娯楽を楽しめる。これじゃあ生活費さえあれば、部屋は出ない。

つまり、健康的な若者でさえ、ひきこもって当然の時代。特に、内向的な人や、
面倒くさがりの人は、ひきこもりこそがメインになる。ただ、完全にひきこもる、
というわけではなく、外出の方が遥かに少ない傾向にあり、ハードな人と違う。

だから、「ひきこもり」という言葉の変わりに、外出が少ないインドア派の人を、
これからは「家元」と呼びたい。こちらは、「ひきこもり」よりも軽い意味で使う。


解説すると、「家元(いえもと)」というのは、「家」が「元(もと)」という意味で、
あくまでも家がメインのインドア派。そんな家元が、家を出てナンパすることを、
「出家(しゅっけ)」と呼ぶ。道を歩き、街に立つその姿は、まさに「出家者」だ。

あたかも僧侶が道を歩くような聖なる行為であり、ナンパするものは、覚悟が
違う。それに引きこもっている時も「家元」と呼ぶだけで、なんか偉くなった気
もするし最高だ。ただ「家元」は独りが多いため、空気を読まない傾向がある。

だからネット上で、掲示板などに偉そうに書いたり、コメント欄で何かと議論を
吹っかけたりする人がいたなら、彼は「家元」かもしれない。部屋に閉じこもり、
欲求不満で性格悪くなっちゃってるかもしれないが、「家元」だから仕方ない。


「家元」は自己正当化の権化。独りでいることが多いと、変な思想を育みやすい。

どうか許してやってほしい。また、私自身が「家元」を名乗り始めたのも、人間、
少しくらい馬鹿にされた方がいいと思うからであり、また、落語界で唯一、この
家元制度をとっていた立川流が、談志師匠の死と共に、制度を廃止したから。

こうなったら、後は、この何無派落語が引き継ごうと思う。ワシは、家元じゃい!

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2013年04月07日

モテ期を到来させる、3つの映画

最近、映画「モテキ」のギャルみこしをプッシュしていたので、

そこから派生した、モテ期のための3つの映画を紹介します。


まず1つめは、「苦役列車」。

これは「モテキ」と同じ、森山くんが主役ですが、内容の方は、
「モテキ」のポップさと間逆で、陰なるリアリズムの汚い映画・・。

まともにコミュニケーションとれない男の大変さが描かれてて、
印象的なシーンは、森山くんの、ヒロイン(元AKBの前田さん)
との距離感がメチャクチャで、空気を全然読めないところです。


続いて2つめは、「指輪をはめたい」。

こちらは山田孝之さん主演で、実際に、女3人と同時につきあう、
モテる男の話。ちょうど「モテキ」の公開と重なり、比較されてた。

賛否両論でしたが、今まで女性とつきあってて大変だと思ったり、
失恋して、忘れられない人がいる経験があるなら、最高の映画!
(ところが、そんな経験のない人には、まったく心に響かないかも)


最後の3つめは、「婚前特急」。

この映画は、「指輪をはめたい」の逆で、今度は女(吉高由里子)
が男5人と同時につきあってて、誰か1人を選ぶというストーリー。

もちろん一番どうしようもない男が、最後には選ばれるんですが、
彼がタダナンパしてる姿や、気持ちに素直すぎるのが素晴らしい。
常識など忘れ、素朴に生きればいいんだなと、勇気が湧いてくる。


以上、久しぶりの映画紹介でした。

なお話の流れで一応、紹介しましたが、本当は観る必要ありません。

モテ期を到来させるには、観る時間のかわりに、外に出るべきですぅ。


(春まっさかり!)

posted by fmtbank at 14:33| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年04月03日

女は偉大なる「乗り物」だ。乗りこなせ!

この世で最も素晴らしい乗り物、それは「ギャルみこし」である。

毎日でも乗りたい。ヒマさえあれば、乗ってる自分を想像してる。

「好きよ!抱いて!」のかけ声と共に、女達の人力で動いていく。

その上に乗っている自分も、威勢よくフエを吹き、両手で音頭を
とりながら、男っぷりを発揮している。それにしても揺れが激しい。

今にも振り落とされそうになるが、それが女達のパワーを表わし、
そんなに悪くはない。いや、むしろ「ええじゃないか!」といいたい。


私は強い女が好きだ。だって、女はめっちゃくちゃ、強いのだから。

弱いフリしたって、もうバレてる。いさぎよく、強さを見せなさいって。

そうして昨今、女は強くなった。弱いフリをやめて、自然に戻った。

日本は、もともと女主導の国だった。男はそれに乗っかるだけよ。


(卑弥呼さま〜!)





車の免許を持っていない私は、女が運転する、車の助手席を好む。

しかし、もっと好きなのは、女のこぐ自転車の後ろに乗ることであり、
女の自前の脚力によって、グングンと動くその様に、惚れ惚れする。

あるガタイのいいサーファーの女は、登り坂であろうが、立ちこぎで、
全身を左右に振り回しながらこぐので驚いて、瞬間、惚れてしまった。

疲れないか聞くと、「余裕ですわ。」と強気の返答。惚れるではないか。

彼女とはドンケツゲームを挑み、思いっきりスッ飛ばされたこともある。


また場面は変わって、池袋サンシャインの1Fフロアにて、違う女の話。

彼女もパワーがあった。「お客さん、どちらまで?」と、そこに置いてある、
無料貸し出しのベビーカーを手にして、私を乗るように、促すのである・・。

私は一瞬恥ずかしく思い、躊躇したが、ここで乗らねば、男がすたる。

さっそうと、ベビーカーに乗りこみ、行き先を告げる。


「人生街道、ひたすら真っすぐ!」


そこから彼女が口でいうエンジン音「ブーンブンブン、ブーンブンブン、」
とともに、いったんエンジンを吹かして、溜めを作ってから、カーが発進。

じゅうぶん満足できる初速であったが、みるみる加速し、フルスロットル!

彼女のベビーカーを押す、そのパワーときたら、息をのむ暴走機関であり、
しかも私が架空のハンドルを左右にまわすと、車線まで変更する、操作性。

地をすべるようにして走る、そののびやかなスピード感に、私はやられた。


こりゃたまらない。ギャルみこしに乗るような、女の動力を感じて、最高だ。

ショッピングセンターを歩く人々の冷たい視線など、もう一切、どうでもよく、

私は絶叫するのだった。


「ええじゃないか〜!」


(F1のドップラー効果で)

posted by fmtbank at 06:46| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする