ナンパとは、いちいち考えずに、ただ行くこと。つまり、修行の『行』である。
そして、「行く」ことは「育(いく)」でもある。人との縁や己自身を育てること。
育てるというのは、待つことであり、ナンパでは、待つことが最大の修行だ。
なお修行場となる「街」は「待ち」である。声かけて、いい子が現れるのを待つ。
調子がいいとき、悪いときなど、誰しも波があるので、あきらめずに待ち続ける。
女が警戒したり、意地を張ったり、表面上で拒否したり、ヒステリックになったり。
それがある瞬間、急激に変化するときがくる。焦らずに、その解放の時を待つ。
★
ナンパとは『街』で行う、待つ修行。時間の経過を味方につけなくてはいけない。
たとえ思い通りにいかないことが多くても、それは時間とともに勝手に解決する。
それを知らぬ者は、頭で考えすぎて、「もうダメかも」と焦って、無残に自滅する。
しっかりチャンスが来るまで「待機(たいき)」できる者こそが、「大器(たいき)」だ。
待つことが最大の修行。『待つ』という字は、『侍(サムライ)』という字に似ている。
もうわかるだろう?ナンパ修行者は、悠然と待てる者で、現代のサムライなのだ。
2013年07月06日
なぜナンパ師はサムライと呼ばれるのか?
posted by fmtbank at 11:47| カテゴリ無し
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2013年07月05日
次々と自滅していく、ナンパ修行者たち
どうも、何無派道場の家元、フミトバンクです。今日は大事なメッセージ。
まず、ええじゃないか運動は、先月始めるつもりでしたが、体調を崩して、
寝込んだこともあり、遅れてしまいました。今月こそ、始めたいと思います。
で、体調を崩していた時に感じたのですが、やはり体には、体のリズムや、
理(ことわり)があって、それに任せて、余計なことをしてはいけませんね。
いくら頭で「早く治れ!」と焦ってもダメ。いったん治ったと思ったら、すぐに
ぶり返して「え〜、まだ〜?」とウンザリしてましたが、途中で、もういいや、
と完全に何もしないことにして、体を観察してたら、順調に治っていきました。
ただ食事を減らし、何もしなかっただけです。その過程で、生命力がグンと、
引き出されていくのを実感しました。しかし、時間がすごくかかる感じでした。
以前、風邪をひいて、ひどい頭痛で動けなかったことがあります。そのまま、
耐えるつもりだったのが、看護師の女の子が、よく効く薬を持ってきたので、
つい飲んだんですよ。そしたら、その頭痛が、アッという間に消えて大感激!
子供の時以来、薬を飲んでなかったので、こんなに効くんだと、驚きました。
そうして、その子とラーメンを食べに行き、普通に動いていたら、その後日、
すぐにぶり返してしまい、それはもう長いこと、体調がすぐれませんでした。
薬なんて飲まず、大人しくしてればすぐ治ったと、間違いなく、断言できます。
結局、頭が痛いというのは、自然な生命力の働きで、外に出たり、食べ物も
不要だということなのに、薬で消したため、かえって治るのが遅くなったという、
よくある話です。薬でごまかした症状が、違う症状となり、それをまた薬で・・・。
そうやって生命力を自ら殺して、複雑なことをしているのが、現代人でしょう。
★
現代人は自分の体に対して、頭で考えまくり、余計なことばかりしています。
頭で考えると、風邪や病気というのは、何もできやしない、無駄の極地です。
だからこそ、仕事がつまってんだから!と人間は、薬を飲んで即効性こそを
求めます。そして症状が消えたからもう大丈夫と、体に無理して仕事をして、
実は、そこからもっと深い部分を痛めて、重い病気にかかっていくのでしょう。
熱が出たら、体が細菌を殺してるわけだから、そのままにしておけばいいのに、
解熱剤でムリヤリ熱を下げ、体に細菌が残ったままになり、それが肺炎だとか、
脳炎となり、重病にまで発展させてしまう。何もせずに寝てれば治ってたのに!
この何もしない、という事が出来ない人が本当に増えていて、自滅しています。
自分の生命力が発揮されるまで、待てないのです。体の作用は、頭にとって、
遅く感じるんです。なぜなら今や、情報過多で、ありとあらゆる情報をネットや
TVでザッピングできるし、次から次へと変化するスピードに、頭は慣れている。
映画やドラマも、たかが1〜2時間で、すぐクライマックスがくるし、のんびりと、
なだらかな変化に退屈を感じ、実際の現実に、頭は耐えれなくなってきてます。
それはナンパをしている人達にも顕著でした。焦って、焦って、自滅していく・・・。
すべての物事には、それが花開く時があり、最適なタイミングがあります。
それを「これは悪いことだ」と頭で考えて、自ら止めようとするのは愚か者。
風邪や病気は、バランスを崩した体を整えるための、大事なリセットですし、
失恋や失敗も、自らの精神を浄化し、再構築するための、最高の働きです。
この破壊なくして、生命力は新たに生まれ変わらず、絶対の必需であります。
たんに、うまくいくためだけに効率を追うことや、成功だけすればいいなどは、
実は幻想の中だけの話であり、結局は焦ったり、バランスを崩すだけでしょう。
現実は違います。ありとあらゆる喜怒哀楽を経験し、ポジもネガも、どこからが、
良くて、どこからが悪いもわからなくなり、全てが統合されていく、その豊かさを
知るためにナンパがあるわけです。それがイヤなら、とんだおカド違いとなる・・。
そして、ナンパといえば、瞬間的に行動する、その瞬発力を鍛えることばかり、
クローズアップされがちですが、それは片側の面だけで、本来は、待つことを、
つまり自然な流れに逆らわず、その時が来るまで、やりすごすことこそが大事。
余計なことをせずに、縁を壊さないこと。こちらの方が、真に学ぶべき修行です。
★
自然主義のナンパというものは、まったく手を加えないわけではありません。
まず自然な流れを邪魔しないことを意識しつつも、ここぞという時に、ちょっと、
手を加えるわけです。これは熱を出したら、頭を冷やそうとせず、逆に、熱い
タオルで暖めてやることで、自然に汗がたくさん出て、熱が下がるのと同じで、
自然の働きを利用することに通じます。薬飲んだり、余計なことをしてはダメ。
ナンパにおける大失敗やショック、へこむことや悩むことに関しても、同じです。
手痛い失敗や失恋にも二種類ありまして、自然に壊れるべくして壊れるものと、
自分で余計なことをして、壊れるべきでない時に、自ら壊してしまうものがある。
これは土にタネをまいて、せっかく小さな芽が出たのに、遅い!これじゃダメ!
と焦っては、芽を引っ張り、抜いてしまう感じです。せっかちで待てないのです。
ナンパとは、とことん待つ修行なのに、勘違いして、すべて自分で壊してしまう。
自分の技術や経験、そして相手との縁など、じっくりと育てることを学ぶんです。
ただ時間をかけずに、前に前に行くことだけしているのなら、やがて行き詰るし、
ナンパから学べるものも少ない。我々は、待つことや育てることを学べるから、
他の分野、仕事や子育てなどに、ナンパで培った精神、技術を応用できます。
待つことができず、ラクになりたいから答えばかり求める者は多く、熱を出して、
すぐ解熱剤で下げようと、ドラッグに群がる脆弱な現代人そのもので、これは、
自らの抵抗力を下げて、病気になろうとしている自殺行為といってもいいです。
またナンパでは相手に惚れたら負け、なんて意見もありますが、とんでもない!
恋に落ちれたらラッキーです。失恋できたら、もっとラッキー!恋は熱病と同じ。
それを邪魔せず、自然に通過することによって、どれだけ心身が浄化されるか、
驚くべきものがあります。健やかに生きるための起爆として、利用すべきです。
人間は気づかないうちに、中途半端に部分的に生きます。すると偏りが生じて、
その歪みから不快さが続くようになる。それを正すのが恋であり、失恋ショック
による大幅なリセットです。それを変に焦って、不自然に経過すると、傷を残す。
堂々と負けていいんです。そして、自然に回復する。それが自然主義のナンパ。
★
幼い子は、何度も高熱を出して、そこから回復する度に、抵抗力を身につける。
それを馬鹿な親が焦って、「これじゃ死んじゃう!」と、夜間に病院に生き、宿直
の見習いの医者に注射を打ってもらい、その副作用で子を死なせたり、後遺症
を残す。「あ〜!もっと早く病院に連れていけば!」と嘆くが、真実は、その逆です。
余計なことしなければ、治ってたというのに、無知と恐怖から、ダメにしてしまった・・。
本当に悲しいことだけど、多くのナンパ入門者達も、同様のことをしているのです。
不安になった時、迷った時に、待つことができないため、育てられずに、自滅する。
ナンパとは、ただ「行く」こと。そして同時に、「行く」というのは「育(いく)」でもある。
まるで子供を育てていくかのように、自他を見守って、本来の力を引き出していく。
それには時間もかかるし、また逆に、待ち過ぎてタイミングを逃がすと、全てを失う。
だからこそ恐れてしまいがちだが、動くべき時は必ず明確にわかるので、心配無用。
瞬間的に動くことと、待つこと。この二つの修行をもってして、初めて覚醒は起こる。
そして、ええじゃないかは、「行く」よりも、「育(いく)」がメインの、逆ナンパ運動です。
まず、ええじゃないか運動は、先月始めるつもりでしたが、体調を崩して、
寝込んだこともあり、遅れてしまいました。今月こそ、始めたいと思います。
で、体調を崩していた時に感じたのですが、やはり体には、体のリズムや、
理(ことわり)があって、それに任せて、余計なことをしてはいけませんね。
いくら頭で「早く治れ!」と焦ってもダメ。いったん治ったと思ったら、すぐに
ぶり返して「え〜、まだ〜?」とウンザリしてましたが、途中で、もういいや、
と完全に何もしないことにして、体を観察してたら、順調に治っていきました。
ただ食事を減らし、何もしなかっただけです。その過程で、生命力がグンと、
引き出されていくのを実感しました。しかし、時間がすごくかかる感じでした。
以前、風邪をひいて、ひどい頭痛で動けなかったことがあります。そのまま、
耐えるつもりだったのが、看護師の女の子が、よく効く薬を持ってきたので、
つい飲んだんですよ。そしたら、その頭痛が、アッという間に消えて大感激!
子供の時以来、薬を飲んでなかったので、こんなに効くんだと、驚きました。
そうして、その子とラーメンを食べに行き、普通に動いていたら、その後日、
すぐにぶり返してしまい、それはもう長いこと、体調がすぐれませんでした。
薬なんて飲まず、大人しくしてればすぐ治ったと、間違いなく、断言できます。
結局、頭が痛いというのは、自然な生命力の働きで、外に出たり、食べ物も
不要だということなのに、薬で消したため、かえって治るのが遅くなったという、
よくある話です。薬でごまかした症状が、違う症状となり、それをまた薬で・・・。
そうやって生命力を自ら殺して、複雑なことをしているのが、現代人でしょう。
★
現代人は自分の体に対して、頭で考えまくり、余計なことばかりしています。
頭で考えると、風邪や病気というのは、何もできやしない、無駄の極地です。
だからこそ、仕事がつまってんだから!と人間は、薬を飲んで即効性こそを
求めます。そして症状が消えたからもう大丈夫と、体に無理して仕事をして、
実は、そこからもっと深い部分を痛めて、重い病気にかかっていくのでしょう。
熱が出たら、体が細菌を殺してるわけだから、そのままにしておけばいいのに、
解熱剤でムリヤリ熱を下げ、体に細菌が残ったままになり、それが肺炎だとか、
脳炎となり、重病にまで発展させてしまう。何もせずに寝てれば治ってたのに!
この何もしない、という事が出来ない人が本当に増えていて、自滅しています。
自分の生命力が発揮されるまで、待てないのです。体の作用は、頭にとって、
遅く感じるんです。なぜなら今や、情報過多で、ありとあらゆる情報をネットや
TVでザッピングできるし、次から次へと変化するスピードに、頭は慣れている。
映画やドラマも、たかが1〜2時間で、すぐクライマックスがくるし、のんびりと、
なだらかな変化に退屈を感じ、実際の現実に、頭は耐えれなくなってきてます。
それはナンパをしている人達にも顕著でした。焦って、焦って、自滅していく・・・。
すべての物事には、それが花開く時があり、最適なタイミングがあります。
それを「これは悪いことだ」と頭で考えて、自ら止めようとするのは愚か者。
風邪や病気は、バランスを崩した体を整えるための、大事なリセットですし、
失恋や失敗も、自らの精神を浄化し、再構築するための、最高の働きです。
この破壊なくして、生命力は新たに生まれ変わらず、絶対の必需であります。
たんに、うまくいくためだけに効率を追うことや、成功だけすればいいなどは、
実は幻想の中だけの話であり、結局は焦ったり、バランスを崩すだけでしょう。
現実は違います。ありとあらゆる喜怒哀楽を経験し、ポジもネガも、どこからが、
良くて、どこからが悪いもわからなくなり、全てが統合されていく、その豊かさを
知るためにナンパがあるわけです。それがイヤなら、とんだおカド違いとなる・・。
そして、ナンパといえば、瞬間的に行動する、その瞬発力を鍛えることばかり、
クローズアップされがちですが、それは片側の面だけで、本来は、待つことを、
つまり自然な流れに逆らわず、その時が来るまで、やりすごすことこそが大事。
余計なことをせずに、縁を壊さないこと。こちらの方が、真に学ぶべき修行です。
★
自然主義のナンパというものは、まったく手を加えないわけではありません。
まず自然な流れを邪魔しないことを意識しつつも、ここぞという時に、ちょっと、
手を加えるわけです。これは熱を出したら、頭を冷やそうとせず、逆に、熱い
タオルで暖めてやることで、自然に汗がたくさん出て、熱が下がるのと同じで、
自然の働きを利用することに通じます。薬飲んだり、余計なことをしてはダメ。
ナンパにおける大失敗やショック、へこむことや悩むことに関しても、同じです。
手痛い失敗や失恋にも二種類ありまして、自然に壊れるべくして壊れるものと、
自分で余計なことをして、壊れるべきでない時に、自ら壊してしまうものがある。
これは土にタネをまいて、せっかく小さな芽が出たのに、遅い!これじゃダメ!
と焦っては、芽を引っ張り、抜いてしまう感じです。せっかちで待てないのです。
ナンパとは、とことん待つ修行なのに、勘違いして、すべて自分で壊してしまう。
自分の技術や経験、そして相手との縁など、じっくりと育てることを学ぶんです。
ただ時間をかけずに、前に前に行くことだけしているのなら、やがて行き詰るし、
ナンパから学べるものも少ない。我々は、待つことや育てることを学べるから、
他の分野、仕事や子育てなどに、ナンパで培った精神、技術を応用できます。
待つことができず、ラクになりたいから答えばかり求める者は多く、熱を出して、
すぐ解熱剤で下げようと、ドラッグに群がる脆弱な現代人そのもので、これは、
自らの抵抗力を下げて、病気になろうとしている自殺行為といってもいいです。
またナンパでは相手に惚れたら負け、なんて意見もありますが、とんでもない!
恋に落ちれたらラッキーです。失恋できたら、もっとラッキー!恋は熱病と同じ。
それを邪魔せず、自然に通過することによって、どれだけ心身が浄化されるか、
驚くべきものがあります。健やかに生きるための起爆として、利用すべきです。
人間は気づかないうちに、中途半端に部分的に生きます。すると偏りが生じて、
その歪みから不快さが続くようになる。それを正すのが恋であり、失恋ショック
による大幅なリセットです。それを変に焦って、不自然に経過すると、傷を残す。
堂々と負けていいんです。そして、自然に回復する。それが自然主義のナンパ。
★
幼い子は、何度も高熱を出して、そこから回復する度に、抵抗力を身につける。
それを馬鹿な親が焦って、「これじゃ死んじゃう!」と、夜間に病院に生き、宿直
の見習いの医者に注射を打ってもらい、その副作用で子を死なせたり、後遺症
を残す。「あ〜!もっと早く病院に連れていけば!」と嘆くが、真実は、その逆です。
余計なことしなければ、治ってたというのに、無知と恐怖から、ダメにしてしまった・・。
本当に悲しいことだけど、多くのナンパ入門者達も、同様のことをしているのです。
不安になった時、迷った時に、待つことができないため、育てられずに、自滅する。
ナンパとは、ただ「行く」こと。そして同時に、「行く」というのは「育(いく)」でもある。
まるで子供を育てていくかのように、自他を見守って、本来の力を引き出していく。
それには時間もかかるし、また逆に、待ち過ぎてタイミングを逃がすと、全てを失う。
だからこそ恐れてしまいがちだが、動くべき時は必ず明確にわかるので、心配無用。
瞬間的に動くことと、待つこと。この二つの修行をもってして、初めて覚醒は起こる。
そして、ええじゃないかは、「行く」よりも、「育(いく)」がメインの、逆ナンパ運動です。
posted by fmtbank at 08:55| カテゴリ無し
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2013年07月04日
「いい人」をやめよ!(自分勝手のススメ)
私は、人間が最も美しい時というのは、毅然とした態度をとった時だと思っている。
どんなに不利な状況でも、孤立しようとも、周囲の空気に流されずに、毅然とする。
恋や愛とかいう甘いひとときも素晴らしいが、何にもまして、死に際に毅然としたい。
そのためだけにナンパをしてきた。実をいうと、それ以外は、オマケになっていった。
なぜナンパを日本風に表現しようとしたり、自然回帰主義だと言いだしたか、それは、
かつての日本人の持っていた毅然とした態度に共感しているからであり、明治男の
気概なんてもう、頑固でしびれるばかりである。しかし実は、我々も、相当強いのだ。
すっかりスポイルされてしまったが、えもいわれぬパワーが、内に眠っているだけで、
それをいかに目覚めさせるかだけが肝である。その為には、政治的アプローチという、
極端な話、政治犯になる、という道もあるが、それは時代遅れで、もう有効ではない。
今の時代には、今の時代にあった、新しい闘争の仕方があるはず。その1つとして、
ナンパを通じた闘争を紹介している。ナンパの何がいいかっていうと、周囲の空気
に流されない自分を確立できること!自発的に動いて、やりたくないことなどしない。
「いい人」をやめて、好き勝手に生きる。「いい人」は本当に、病気になる。歳をとって、
元気な人を見てみよ。ほぼ全員、不真面目な奴ばかり。「いい人」は軒並み、病気・・。
ナンパ修行は何か?というと、まずこの「いい人」から脱却して健康になることだった。
★
何無派師とは、まず人のいうことをきかない奴である。それも思春期の不良のような、
「うるせえ!」とストレートに反抗するのではなく、「ほー、それもいいですね。」なんて
言いつつ、やんわりと調子よく、結果的に、全然いうこときかないで、ケロッとしている。
そして、自ら、自分に有利に、自分に気持ちよく、サイコーに面白いセカイを創っては、
悦に入り、青空に向かってVサインをする。人の、いうことなんてきくものか。金がない、
ブサイクだから、もういい歳だから、そんな戯言、誰が受け入れるものか。知らんがな。
自分を弱めるための情報など、完全無視。基準は活力を与えてくれるかどうか、だけ。
しかし、アメリカの多国籍企業の下僕であるマスコミの情報など、誰が観てやるか、と、
ソッポを向きつつも、女性陣からの情報をもとに、興味をもったことは、勉強したりする。
例えば、日本は、国の債務が1,000兆円を超えて、国民の借金が一人当たり800万円
になったとかいうが、大ウソで、実際の日本財政は赤字無し、超健全財政だったりする。
なんと、今年、財務省が発表した海外純資産は、前年比12%増の296.3兆円で、22年
連続世界一。さらに外貨準備の100兆円まで加えたら日本の国の純負債は消えて無く
なる。なぜなら、「総負債」と「純負債」は違くて、本来の「純負債」は半分以下だから・・。
ま、詳しい話はよくわからない。でも、なぜ借金あるように見せてるかというと、これで、
税金をたくさんとれる理由が作れるし、外国から、経済援助も求められなくなるからで、
金のないフリというのは、得するのである。「儲かってまっか?」「あきまへんわ。」とね。
とにかく、物事というのは、実際、かなり企てられている。すぐ陰謀論だ!と否定しては、
それこそが思うつぼ。我々は、予想以上に、笑っちゃうほど、企てに騙されているのだ。
だって、我々が女を口説くのに、一生懸命、知恵を絞るのに、我々より、もっと頭がよく、
もっと貧欲で、命懸けで、しぶとく大金を動かせる連中が、企てないわけがないだろう?
大抵は、ワクチンビジネスのように、怖がらせてから、ウソで搾取したり、それ以上に、
見えないように、バレないようにじんわりと騙してきている。そのトリックは見事すぎて、
「やるね〜!」と感嘆してしまう。まぁでもいいのさ。こっちは、いうこときかないもんね。
(新型インフルエンザの時も、注射もマスクもしなかった。後年、企てだったと判明!)
だからといって、他人にまで口出しするのは無意味。例えば、私はフェイスブックなど、
ゲスの極みと思っている。というのも、その成り立ちの映画を観たら、最初は女たちを、
可愛さ順で勝手に投票する「ブスランキング」として始まったシステムの改良だったし、
しかも会社を大きくするため、昔の親友を裏切ることで、成功したという、クソ話だった。
その義理と人情にツバを吐きかけて出来た、面汚しフェイスブックなんぞ、誰がやるか。
何が「いいね!」だ。「よかねーよ!」と笑っちゃう。しかし、この映画に疑問を感じる人
など少数派だし、実際、楽しんでフェイスブックをやってる人を、悪くいうつもりはない。
ただ純粋に、自分は「フェイスブック、カッコ悪い」としてやらないだけ。他人にはドンドン、
推奨してもいいくらい。これか超個人主義である、『家系(いえけい)』というやつだった。
それぞれが自分のセカイで、自分の価値観を表明してればいい。それでスカッとする。
★
本来、ナンパに興味がある者に対し、こういうことを書くべきではないのかもしれない。
ただ女をたやすくGETできれば、可愛い彼女ができれば充分というのが、本心かな?
やっぱりラクしたいし、みんなで仲良くナンパしたほうが、まぁ集団の利で怖くないしね。
でも、これからの日本を楽しく生き抜くためには、周囲の空気に流されない自発性こそ、
最も重要だと思う。それは怖れの中でも、直感的に動ける行動力と、うまくいかなくて、
めげそうになり、思考が不安でざわめている中でも、じっと時機を待てる忍耐力である。
そのために、情報の取捨選択ができる直観力や、創造性の発揮も必要になってくるが、
基本的には、思考から、脳からの自由と、本来持っている生命力の解放を目指すだけ。
それがナンパで覚醒するのなら、一石二鳥で悪い話ではないと思う。この自然主義の
ナンパは少し遠回りになるように感じるだろうが、間違いなく、後で、大きな恩恵がある。
しかし、私自身は、グローバリズムに対抗して、『何無派道場』を標榜しているが、実際、
「女とやりて〜!」「彼女、欲ちぃ〜!」で始めていいと思う。キッカケとしては、大正解!
そうして続けるうちに、次第に深まっていく。自分の色が出てくる。そこが面白いんだ。
(いいね!いいね!どっちでも、いいね!)
どんなに不利な状況でも、孤立しようとも、周囲の空気に流されずに、毅然とする。
恋や愛とかいう甘いひとときも素晴らしいが、何にもまして、死に際に毅然としたい。
そのためだけにナンパをしてきた。実をいうと、それ以外は、オマケになっていった。
なぜナンパを日本風に表現しようとしたり、自然回帰主義だと言いだしたか、それは、
かつての日本人の持っていた毅然とした態度に共感しているからであり、明治男の
気概なんてもう、頑固でしびれるばかりである。しかし実は、我々も、相当強いのだ。
すっかりスポイルされてしまったが、えもいわれぬパワーが、内に眠っているだけで、
それをいかに目覚めさせるかだけが肝である。その為には、政治的アプローチという、
極端な話、政治犯になる、という道もあるが、それは時代遅れで、もう有効ではない。
今の時代には、今の時代にあった、新しい闘争の仕方があるはず。その1つとして、
ナンパを通じた闘争を紹介している。ナンパの何がいいかっていうと、周囲の空気
に流されない自分を確立できること!自発的に動いて、やりたくないことなどしない。
「いい人」をやめて、好き勝手に生きる。「いい人」は本当に、病気になる。歳をとって、
元気な人を見てみよ。ほぼ全員、不真面目な奴ばかり。「いい人」は軒並み、病気・・。
ナンパ修行は何か?というと、まずこの「いい人」から脱却して健康になることだった。
★
何無派師とは、まず人のいうことをきかない奴である。それも思春期の不良のような、
「うるせえ!」とストレートに反抗するのではなく、「ほー、それもいいですね。」なんて
言いつつ、やんわりと調子よく、結果的に、全然いうこときかないで、ケロッとしている。
そして、自ら、自分に有利に、自分に気持ちよく、サイコーに面白いセカイを創っては、
悦に入り、青空に向かってVサインをする。人の、いうことなんてきくものか。金がない、
ブサイクだから、もういい歳だから、そんな戯言、誰が受け入れるものか。知らんがな。
自分を弱めるための情報など、完全無視。基準は活力を与えてくれるかどうか、だけ。
しかし、アメリカの多国籍企業の下僕であるマスコミの情報など、誰が観てやるか、と、
ソッポを向きつつも、女性陣からの情報をもとに、興味をもったことは、勉強したりする。
例えば、日本は、国の債務が1,000兆円を超えて、国民の借金が一人当たり800万円
になったとかいうが、大ウソで、実際の日本財政は赤字無し、超健全財政だったりする。
なんと、今年、財務省が発表した海外純資産は、前年比12%増の296.3兆円で、22年
連続世界一。さらに外貨準備の100兆円まで加えたら日本の国の純負債は消えて無く
なる。なぜなら、「総負債」と「純負債」は違くて、本来の「純負債」は半分以下だから・・。
ま、詳しい話はよくわからない。でも、なぜ借金あるように見せてるかというと、これで、
税金をたくさんとれる理由が作れるし、外国から、経済援助も求められなくなるからで、
金のないフリというのは、得するのである。「儲かってまっか?」「あきまへんわ。」とね。
とにかく、物事というのは、実際、かなり企てられている。すぐ陰謀論だ!と否定しては、
それこそが思うつぼ。我々は、予想以上に、笑っちゃうほど、企てに騙されているのだ。
だって、我々が女を口説くのに、一生懸命、知恵を絞るのに、我々より、もっと頭がよく、
もっと貧欲で、命懸けで、しぶとく大金を動かせる連中が、企てないわけがないだろう?
大抵は、ワクチンビジネスのように、怖がらせてから、ウソで搾取したり、それ以上に、
見えないように、バレないようにじんわりと騙してきている。そのトリックは見事すぎて、
「やるね〜!」と感嘆してしまう。まぁでもいいのさ。こっちは、いうこときかないもんね。
(新型インフルエンザの時も、注射もマスクもしなかった。後年、企てだったと判明!)
だからといって、他人にまで口出しするのは無意味。例えば、私はフェイスブックなど、
ゲスの極みと思っている。というのも、その成り立ちの映画を観たら、最初は女たちを、
可愛さ順で勝手に投票する「ブスランキング」として始まったシステムの改良だったし、
しかも会社を大きくするため、昔の親友を裏切ることで、成功したという、クソ話だった。
その義理と人情にツバを吐きかけて出来た、面汚しフェイスブックなんぞ、誰がやるか。
何が「いいね!」だ。「よかねーよ!」と笑っちゃう。しかし、この映画に疑問を感じる人
など少数派だし、実際、楽しんでフェイスブックをやってる人を、悪くいうつもりはない。
ただ純粋に、自分は「フェイスブック、カッコ悪い」としてやらないだけ。他人にはドンドン、
推奨してもいいくらい。これか超個人主義である、『家系(いえけい)』というやつだった。
それぞれが自分のセカイで、自分の価値観を表明してればいい。それでスカッとする。
★
本来、ナンパに興味がある者に対し、こういうことを書くべきではないのかもしれない。
ただ女をたやすくGETできれば、可愛い彼女ができれば充分というのが、本心かな?
やっぱりラクしたいし、みんなで仲良くナンパしたほうが、まぁ集団の利で怖くないしね。
でも、これからの日本を楽しく生き抜くためには、周囲の空気に流されない自発性こそ、
最も重要だと思う。それは怖れの中でも、直感的に動ける行動力と、うまくいかなくて、
めげそうになり、思考が不安でざわめている中でも、じっと時機を待てる忍耐力である。
そのために、情報の取捨選択ができる直観力や、創造性の発揮も必要になってくるが、
基本的には、思考から、脳からの自由と、本来持っている生命力の解放を目指すだけ。
それがナンパで覚醒するのなら、一石二鳥で悪い話ではないと思う。この自然主義の
ナンパは少し遠回りになるように感じるだろうが、間違いなく、後で、大きな恩恵がある。
しかし、私自身は、グローバリズムに対抗して、『何無派道場』を標榜しているが、実際、
「女とやりて〜!」「彼女、欲ちぃ〜!」で始めていいと思う。キッカケとしては、大正解!
そうして続けるうちに、次第に深まっていく。自分の色が出てくる。そこが面白いんだ。
(いいね!いいね!どっちでも、いいね!)
posted by fmtbank at 17:05| カテゴリ無し
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2013年07月03日
このブログは、あなたには向かない(サヨナラ)
ナンパは社会運動である。かといって、ナンパを広めようとしているのかというと、
実は、そうでもない。この日本にて、ナンパが主流になることは、ありえないのだ。
どんなに素晴らしく、人の生命力をイキイキと伸ばすものでも、受け入れられない。
不思議なことに、大抵、本当にいいものは、少数だけが気づいて、実践するものだ。
たとえば、自然食品店や東洋医学など、いまだマイナーであり、ごく少数しか興味
を持たず、ファーストフードを食べ、西洋医学を信じて薬づけになり、家畜のように、
黙って毒ワクチンを打たれまくっているのが主流だった。大衆は常に、愚かである。
かといって、大衆を批判するのも間違っている。厳格なベジタリアンが、どんなに、
肉食、牛乳は体に悪い!と喚こうが、うるせえし、嫌われるし、気にしすぎなだけで、
大衆にとって、何の意味もない。野菜だけ食べて満足なら、自分がそうすればいい。
そして、その素晴らしさを体現して、コソッとブログ等で自説を述べているだけで充分。
すると、共鳴した少数の人が、影響を受けて始めるかもしれない。というより、むしろ、
始めなくてもいい。いいものはいいのだから、わかる人がいたら、ニヤリとするだけ・・。
そして、わからない人は、わからないのが当然であり、批判も不要。放っとけばいい。
★
同じように、このナンパブログも、実際のところは、ほとんどの人が理解できない。
大衆に向けていないのだ。大衆に向けるのなら、宣伝しまくって、相互リンクして、
ツイッターやって、アフィリエイトやりまくり、表面上のほめ言葉をやりとりしている。
フォレスト出版から書籍も出し、懸賞で集めたメールマガジン読者は3万人突破!
そうではなくて、目覚めつつある、少数の人に向けている。マニアックといおうが、
選ばれし民という、エリート意識をもとうが、どちらでもかまやしない。ただたんに、
自分が眠りこけていた、常識や世間の目に縛られ、不自由だったと気づいた者へ、
お送りしている。だから、何も心に響かなかった人達は、別に、それでOKである。
とにかく、目立たないようにしてきたし、大衆の目に触れないように気をつけてきた。
ただし、このブログの最初は、大衆向きにしている。最初のとっかかりは、どうしても、
まだ眠りこけて、洗脳されている者を導入する必要があった。しかし途中から、もはや
鈍い者はいらぬと、あえて理解できぬよう、大衆を積極的に排除し、選別していった。
そうして今、あなただけが残ったのである。いや、ちょうど全国都道府県、47人位の、
ごく少数の敏感な者だけが残った。そんな、あなた達に向けて、ブログを書いている。
よくぞ、ここまでたどり着いたものだ。では、そろそろ始めようか。ええじゃないか、を!
実は、そうでもない。この日本にて、ナンパが主流になることは、ありえないのだ。
どんなに素晴らしく、人の生命力をイキイキと伸ばすものでも、受け入れられない。
不思議なことに、大抵、本当にいいものは、少数だけが気づいて、実践するものだ。
たとえば、自然食品店や東洋医学など、いまだマイナーであり、ごく少数しか興味
を持たず、ファーストフードを食べ、西洋医学を信じて薬づけになり、家畜のように、
黙って毒ワクチンを打たれまくっているのが主流だった。大衆は常に、愚かである。
かといって、大衆を批判するのも間違っている。厳格なベジタリアンが、どんなに、
肉食、牛乳は体に悪い!と喚こうが、うるせえし、嫌われるし、気にしすぎなだけで、
大衆にとって、何の意味もない。野菜だけ食べて満足なら、自分がそうすればいい。
そして、その素晴らしさを体現して、コソッとブログ等で自説を述べているだけで充分。
すると、共鳴した少数の人が、影響を受けて始めるかもしれない。というより、むしろ、
始めなくてもいい。いいものはいいのだから、わかる人がいたら、ニヤリとするだけ・・。
そして、わからない人は、わからないのが当然であり、批判も不要。放っとけばいい。
★
同じように、このナンパブログも、実際のところは、ほとんどの人が理解できない。
大衆に向けていないのだ。大衆に向けるのなら、宣伝しまくって、相互リンクして、
ツイッターやって、アフィリエイトやりまくり、表面上のほめ言葉をやりとりしている。
フォレスト出版から書籍も出し、懸賞で集めたメールマガジン読者は3万人突破!
そうではなくて、目覚めつつある、少数の人に向けている。マニアックといおうが、
選ばれし民という、エリート意識をもとうが、どちらでもかまやしない。ただたんに、
自分が眠りこけていた、常識や世間の目に縛られ、不自由だったと気づいた者へ、
お送りしている。だから、何も心に響かなかった人達は、別に、それでOKである。
とにかく、目立たないようにしてきたし、大衆の目に触れないように気をつけてきた。
ただし、このブログの最初は、大衆向きにしている。最初のとっかかりは、どうしても、
まだ眠りこけて、洗脳されている者を導入する必要があった。しかし途中から、もはや
鈍い者はいらぬと、あえて理解できぬよう、大衆を積極的に排除し、選別していった。
そうして今、あなただけが残ったのである。いや、ちょうど全国都道府県、47人位の、
ごく少数の敏感な者だけが残った。そんな、あなた達に向けて、ブログを書いている。
よくぞ、ここまでたどり着いたものだ。では、そろそろ始めようか。ええじゃないか、を!
posted by fmtbank at 15:10| カテゴリ無し
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2013年07月02日
弱体化した男女に告ぐ!(家畜どもへ)
何も考えずに、声かければいいんだよ。それでも、続ければ、うまくいく。
かつては、それでよかった。人間の本能で、男女は自然と引き合うのだ。
ところが、いまやすっかり、我々の本能は狂い、男達は不自然になった。
生活が便利になり、体力が落ち、化学薬品づけの食品で、体内もやられ、
おびただしいいジャンクな情報で思考はのっとられ、とことん自信を失くし、
もはや生身の女に向かう気力は残されていない。男は女にいかなくなった。
そのままの自分じゃいけない、と教育され、洗脳され、お互いを批判し、足を
引っ張り合って、牽制しあっている。自発的に動けない。動いても、人に頼り、
ノウハウを信仰し、他人のせいにする。家畜化された、頭でっかちの腰ぬけ・・。
そして、実をいうと、女達も弱体化している。甘いものばかり口にし、低血糖症
ですぐキレる。はたまた、ファッション誌に洗脳されて無理なダイエットをしたり、
生理も不順。若くして筋力が衰え、すぐに失禁する。何よりも、自信がなさすぎ。
だから、声をかけても、すぐ怒ったり、ムッとしている女達を責めてはいけない。
彼女達は、生命力がはなはだしく落ちていて、余裕がないのだ。ナンパ運動家
は、目覚め始めると、生命力が向上するが、強い者は、弱い者をかくまうべし!
★
いずれにしろ、男女ともに、生命力は落ちている。我々は避妊することばかりに
気を使いがちだが、本質的には、今の日本では「不妊」こそが問題になっている。
結婚しても、子供が出来ない男女が続出し、体外で受精させたり、動物園にいる
弱体化した動物のように、医学の手助けがなければ、まともに出産も出来ない・・。
しかし、これもまた一つの適応だろう。人間は人口が増えすぎたので、ここら辺で、
制限するために、無意識に弱体化を選んでいるのかもしれない。なので、多くの
大衆と呼ばれる人々、つまり国や企業、常識などに身を任せてる者は、そのまま、
家畜のように、心身の弱体化を、文句だけ垂れながらも、受け入れていればいい。
家畜は囲い込まれているが、エサを与えられ、ラクなのだ。どんなに薬品づけで、
栄養のないエサであろうと、自動的に与えられるものをいただき、慰みと欺瞞の、
粉飾された情報をパクついて、「野性」のパワーを封じこめられ、飼い殺しされる。
ところが、そんなのゴメンだとばかりに、奴隷の群れから飛び出そうという人達が、
チラホラと現れてきている。首輪をちぎり、柵を飛び越え、野山へ駆け出す勇者が!
大抵、勇者は最初こそ弱い。徹底して弱体化されているため、まずは自らを解放
しなければ、とてもじゃないがやっていけない。命を落とすか、再び、家畜の獄舎
へと戻り、これでいいんだと、自分を慰めるはめになる。それだけ洗脳は根深い・・。
洗脳から解放されるには、瞬発的な行動力と、自然に待つという忍耐力も必要だ。
さらに自発的な創造力も発揮されないと解放は起きないため、挫折者はたえない。
そうして、その狭き門をくぐり抜け、覚醒した者が『何無派(ナンパ)師』と呼ばれる、
解放行者である。必ずしも解放の道はナンパだけではないのだが、この道場では、
我々、男に備わった性欲を利用して、男女の統合を通じて、覚醒を起こそうとする。
いうならば、元々あった自然な欲求を利用し、ナンパを通じて、野性を体得していく。
そして解放された者は、またさらに新たに女を解放できるようになるため、そのまま、
解放が少しずつ広がっていくことから、彼らを、立派な『ナンパ運動家』と呼びたい。
ナンパをすることは、れっきとした自然回帰の社会運動である。社会は変わるのだ。
かつては、それでよかった。人間の本能で、男女は自然と引き合うのだ。
ところが、いまやすっかり、我々の本能は狂い、男達は不自然になった。
生活が便利になり、体力が落ち、化学薬品づけの食品で、体内もやられ、
おびただしいいジャンクな情報で思考はのっとられ、とことん自信を失くし、
もはや生身の女に向かう気力は残されていない。男は女にいかなくなった。
そのままの自分じゃいけない、と教育され、洗脳され、お互いを批判し、足を
引っ張り合って、牽制しあっている。自発的に動けない。動いても、人に頼り、
ノウハウを信仰し、他人のせいにする。家畜化された、頭でっかちの腰ぬけ・・。
そして、実をいうと、女達も弱体化している。甘いものばかり口にし、低血糖症
ですぐキレる。はたまた、ファッション誌に洗脳されて無理なダイエットをしたり、
生理も不順。若くして筋力が衰え、すぐに失禁する。何よりも、自信がなさすぎ。
だから、声をかけても、すぐ怒ったり、ムッとしている女達を責めてはいけない。
彼女達は、生命力がはなはだしく落ちていて、余裕がないのだ。ナンパ運動家
は、目覚め始めると、生命力が向上するが、強い者は、弱い者をかくまうべし!
★
いずれにしろ、男女ともに、生命力は落ちている。我々は避妊することばかりに
気を使いがちだが、本質的には、今の日本では「不妊」こそが問題になっている。
結婚しても、子供が出来ない男女が続出し、体外で受精させたり、動物園にいる
弱体化した動物のように、医学の手助けがなければ、まともに出産も出来ない・・。
しかし、これもまた一つの適応だろう。人間は人口が増えすぎたので、ここら辺で、
制限するために、無意識に弱体化を選んでいるのかもしれない。なので、多くの
大衆と呼ばれる人々、つまり国や企業、常識などに身を任せてる者は、そのまま、
家畜のように、心身の弱体化を、文句だけ垂れながらも、受け入れていればいい。
家畜は囲い込まれているが、エサを与えられ、ラクなのだ。どんなに薬品づけで、
栄養のないエサであろうと、自動的に与えられるものをいただき、慰みと欺瞞の、
粉飾された情報をパクついて、「野性」のパワーを封じこめられ、飼い殺しされる。
ところが、そんなのゴメンだとばかりに、奴隷の群れから飛び出そうという人達が、
チラホラと現れてきている。首輪をちぎり、柵を飛び越え、野山へ駆け出す勇者が!
大抵、勇者は最初こそ弱い。徹底して弱体化されているため、まずは自らを解放
しなければ、とてもじゃないがやっていけない。命を落とすか、再び、家畜の獄舎
へと戻り、これでいいんだと、自分を慰めるはめになる。それだけ洗脳は根深い・・。
洗脳から解放されるには、瞬発的な行動力と、自然に待つという忍耐力も必要だ。
さらに自発的な創造力も発揮されないと解放は起きないため、挫折者はたえない。
そうして、その狭き門をくぐり抜け、覚醒した者が『何無派(ナンパ)師』と呼ばれる、
解放行者である。必ずしも解放の道はナンパだけではないのだが、この道場では、
我々、男に備わった性欲を利用して、男女の統合を通じて、覚醒を起こそうとする。
いうならば、元々あった自然な欲求を利用し、ナンパを通じて、野性を体得していく。
そして解放された者は、またさらに新たに女を解放できるようになるため、そのまま、
解放が少しずつ広がっていくことから、彼らを、立派な『ナンパ運動家』と呼びたい。
ナンパをすることは、れっきとした自然回帰の社会運動である。社会は変わるのだ。
posted by fmtbank at 15:28| カテゴリ無し
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2013年07月01日
何無派道場がオープン!(自然回帰へ)
本日より、あらためて、究極の何無派(ナンパ)道場を開きます。
コンセプトは簡単、ナンパを通じた『自然回帰主義』の道場です。
現代は、あまりにも人工的になりすぎて、無駄な情報も氾濫して、
頭でっかちになり、生命力は失われた。その対抗策としての道場。
ナンパという、最も原始的でシンプルな行為を通じて、現代社会
の影響で、ゆがんだ心身を、あなた本来の自然な姿に戻します。
そのために、かつてあった古きものを大事にする、社会運動です。
自然食品店や無農薬農業、東洋医学や伝統的な日本家屋など、
さらに禅や修験道といった、かつての日本がよしとしていた文化の、
ナンパ版、男女の紡ぎ合いの作法だと思っていただければ結構!
基本的には、過剰に取り入れられてきた西洋文化や、企業の倫理、
功利主義や、これまで常識とされてきた道徳などに中指立てます。
特に、いらないものを買わせてきた広告代理店やTV等のマスコミ、
「モテるためには、これが足りない」とコンプレックスをつついてきた、
識者と呼ばれる、うすら馬鹿共に対しては、徹底抗戦していきます。
あ、ウソついてしまいました。全然興味ありませ〜ん。知らんもんね。
知らぬが勝ちで、名誉もいらぬ、金持ちにもならず、システムには、
取り込まれるものかと、日々を楽しむことに全てを注ぎ、まず自分と、
その周囲だけを健全化させることができれば、全てを良しとします。
この、かつて主流の「俺、ビッグになるぜ」という、立身出世を目指す、
大きくなろうとするバブリーな方向とは真逆の、自分のセカイだけを、
めちゃくちゃ面白くしようとする、ささやかな自然主義がヒッキー思想。
これもいらぬ、あれもいらぬ、何も無くても幸せを目指すという、主に、
引き算である思想です。これは縮小していく経済大国に適応してます。
ひきこもりや働かない人が増えたのも、また働き方が変わっていくのも、
すべては時代の要請。そんな背景の中、何無派道場は生まれました。
真面目な話になりましたが、要は、ナンパで心身の自然を取り戻すべし!
それ以上でもなく、それ以下でもなく、ただそれだけです。では、よろしく。
コンセプトは簡単、ナンパを通じた『自然回帰主義』の道場です。
現代は、あまりにも人工的になりすぎて、無駄な情報も氾濫して、
頭でっかちになり、生命力は失われた。その対抗策としての道場。
ナンパという、最も原始的でシンプルな行為を通じて、現代社会
の影響で、ゆがんだ心身を、あなた本来の自然な姿に戻します。
そのために、かつてあった古きものを大事にする、社会運動です。
自然食品店や無農薬農業、東洋医学や伝統的な日本家屋など、
さらに禅や修験道といった、かつての日本がよしとしていた文化の、
ナンパ版、男女の紡ぎ合いの作法だと思っていただければ結構!
基本的には、過剰に取り入れられてきた西洋文化や、企業の倫理、
功利主義や、これまで常識とされてきた道徳などに中指立てます。
特に、いらないものを買わせてきた広告代理店やTV等のマスコミ、
「モテるためには、これが足りない」とコンプレックスをつついてきた、
識者と呼ばれる、うすら馬鹿共に対しては、徹底抗戦していきます。
あ、ウソついてしまいました。全然興味ありませ〜ん。知らんもんね。
知らぬが勝ちで、名誉もいらぬ、金持ちにもならず、システムには、
取り込まれるものかと、日々を楽しむことに全てを注ぎ、まず自分と、
その周囲だけを健全化させることができれば、全てを良しとします。
この、かつて主流の「俺、ビッグになるぜ」という、立身出世を目指す、
大きくなろうとするバブリーな方向とは真逆の、自分のセカイだけを、
めちゃくちゃ面白くしようとする、ささやかな自然主義がヒッキー思想。
これもいらぬ、あれもいらぬ、何も無くても幸せを目指すという、主に、
引き算である思想です。これは縮小していく経済大国に適応してます。
ひきこもりや働かない人が増えたのも、また働き方が変わっていくのも、
すべては時代の要請。そんな背景の中、何無派道場は生まれました。
真面目な話になりましたが、要は、ナンパで心身の自然を取り戻すべし!
それ以上でもなく、それ以下でもなく、ただそれだけです。では、よろしく。
posted by fmtbank at 16:00| カテゴリ無し
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2013年06月12日
準備が整いました。
そろそろ、最後の祭りの準備が整いましたので、ブログで告知します。
新たなナンパのムーブメントの始まりです。主にええじゃないか運動、
自虐的代理戦争と呼ばれてきた、日本伝統のナンパの祭典の開始!
★
私は、この「家系(いえけい)ナンパ」の胎動に、数年かけてきました。
これまでに、大幅な遅れがありましたが、ようやく機が熟したようです。
2月に落語、3月に出雲と伊勢、4月にヒッキー運動に関して書いて、
本格的に、「何無派(ナンパ)神話大系」を始める助走はすんでます。
最近はずっと音声編集ばかりに取り組み、こちらもメドがつきました。
したがって、7月より、口火をきらせていただきます。ええじゃないか!
新たなナンパのムーブメントの始まりです。主にええじゃないか運動、
自虐的代理戦争と呼ばれてきた、日本伝統のナンパの祭典の開始!
★
私は、この「家系(いえけい)ナンパ」の胎動に、数年かけてきました。
これまでに、大幅な遅れがありましたが、ようやく機が熟したようです。
2月に落語、3月に出雲と伊勢、4月にヒッキー運動に関して書いて、
本格的に、「何無派(ナンパ)神話大系」を始める助走はすんでます。
最近はずっと音声編集ばかりに取り組み、こちらもメドがつきました。
したがって、7月より、口火をきらせていただきます。ええじゃないか!
posted by fmtbank at 16:57| カテゴリ無し
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