2013年10月27日

ホームレスには負けるけど、それ以外には勝つ!

ここは、「何も持たざる者が、人生に勝つためのブログ」となります。

何も持たざる者が、人生に勝つためのブログというのは、おそらく、
ゼロから起業する人なんかが、けっこう、書いているとは思います。

当ブログは、その女性関係ヴァージョンといったら、いいでしょうか。

ただ、ゼロからの起業ブログなら、どん底のホームレスから始めて、
一部上場するとか、凄いのがあるのかもしれませんが、こちらでは、
さすがにホームレスからは無理です。一応は、住むところはある、と。


だから、「何も持たざる者」というのは、厳密にいうと、ウソなんですね。

家があるだけで、もう恵まれている。どんなボロ屋でも、レンタルでも、
親と同居で肩身の狭い思いをしていても、すでに「持っている者」です。

さらに、一応は動く「肉体」と、まともに働く「脳」があれば、すごい贅沢!

持ってるじゃ〜ん。持ってるじゃ〜ん。持て持てじゃ〜ん。てことになる。





私も全国を放浪ナンパしたいと思い、野宿にも挑戦したことありますが、
だいたい一日でギブアップしました。慣れる前に、疲れて、イヤになる。

やはり強烈なインドア派で、キレイ好きな性格なので、ホームレスには、
向いていません。部屋から出ないヒッキー向きです。それなら全然平気。

ですから、ここでの「何も持たざる者」とは、ヒッキーを基準にしています。

最低限、寝るところがあり、健康な体を保っていける食糧があり、女性に、
嫌悪感を与えない清潔な衣服を持つ、最低限の「衣食住」がある人達です。

そんな人は大勢いますし、実をいうと、このブログを読んでいる人で、実際、
ほとんど外出しないヒッキーなんて少なく、ほとんどの人は、ちゃんと働き、
学校に行ってる人達です。むしろヒッキーの話題に興味ない人の方が多い。


それでも、なぜ何度もヒッキーの話題ばかりあげているかというと、人間の
基本ラインがヒッキーで、そこに、バイトや仕事や交遊がつけ加わり、外出
するための、ありとあらゆる理由が、それぞれプラスされただけだからです。

ヒッキーとは、そういった外出する理由を持たざる者で、残されているのは、
自分の意志でもって、散歩に出かけること、知らない人間に話しかけること。

これが、もうね、死ぬほど難しい。普段、人とふれあってなくて、慣れてないし、
何よりも、他者から何の強制力もないのに、自発的にやるってのが、最難関・・。

味方ゼロ!自信ゼロ!孤独感もハンパない!そこから始めるしかないわけ。

この純粋性がわかりやすく、伝えやすいので、ヒッキーを基準にしたのです。

なお、このヒッキーが基準のナンパを、「家系(いえけい)ナンパ」と呼びます。

posted by fmtbank at 12:38| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年10月26日

何も持たざる者が、人生に勝つためのブログ


わかりやすくします。ここは、何も持たざる者が、人生に勝つためのブログです。

コンセプトを一言でいうと何かと、考えた結果、この「人生に勝つ」がしっくりきた。


以前は、ナンパで成功するため、たくさんGETするため、彼女をつくるため、とか、
いろいろと細かく設定していましたが、それらは全て一時的なものにすぎません。

それぞれの成長によって、いろんな事が、どうでもよくなるし、恋の成就にしても、
失恋がいけないのか?といったら、そうではない。すべてはプロセスであります。

あまりに辛かった失敗が、後から振り返ると、最高の出来事に思えたり、大成功も、
実は、それが地獄の始まりだったりして、短いスパンでみると、よくわからんのです。

なので、いちいち途中の過程で、成功失敗を決めて、一喜一憂してもしょうがない。





しかし、「人生に勝つ」は、死ぬ前に「勝った!」と思えればいい、究極の目標として、
非常にわかりやすい。もちろん、人生、勝ち負けじゃないとか、厳密に考え始めると、
哲学的になりますが、わかりやすくした方がいいです。勝ったら気持ちいいでしょう?

それに、この勝負は、世間でいわれていた「勝ち組」「負け組」なんていう、くだらない
分け方など超越したものです。世間や他人の客観性なんて、どうでもいいんですよ。
死ぬ前には、そんな二次的なもの、かき消えます。しがみついてたら、大負けします。

ただ純粋に、自分自身が「人生に勝った!」と主観的に思えれば、勝ちです。むしろ、
どんなに世間的に大成功をおさめようが、「負けた」と思っている人、いくらでもいるし、
関係ない。だからこそ、世間や他人から、気をそらされないようにしないといけません。

つまり、本来、やらなくてもいいことを、夢や義務や道徳を持ちだされ、いつの間にか、
やらされていたり、他者との競争に駆り出されたりすることです。今、負け続けてると
したならば、他人のダシにされていることを意味します。そんなアホくさいこと、無駄!


それよりも全部、自分で基準をつくって、毎日、勝ち続ければいい。たとえ負ける時が
あっても、それを負けと認めない。その負けがいいんだよ、と開き直ります。ですから、
「自分に勝つ」なんてストイックさも、また違う。「人生に勝つ!」が一番しっくりきます。

試合に負けても、勝負に勝てばいい。基準はすべて、自分のさじ加減でOKというわけ。

やっぱり、気持ちよく生きたいし、気持ちよく死にたいもの。そのためだけに、集中する。

すると、余計なものがあると目が曇るので、必然的に、いろんな虚飾を捨てていけます。

そして、それが一番できるのが、何も持たざる者である、通称:何無派(ナンパ)師です。

posted by fmtbank at 07:42| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年10月25日

日本全国民が引きこもりになるとき

『TOKYO!』という、有名な外国人監督が3人で制作した、短編映画集があります。

ハッキリいって、フランス人の作った最初と二番目は最低なので、観てもムダです。
ただ三番目のボン・ジュノだけがよかった。(『殺人の追憶』、『母なる証明』の監督)

外国から見たニッポンというテーマで、各自が自由に描いたもので、ボン・ジュノの
『シェイキング日本』は、ひきこもりの話でした。なんと主役は、あの香川照之さんで、
カイジの悪役をやった彼が、10年間ひきこもっている男を演じ、見事なりきってます。


内容自体は、あってないようなもの。地震がキッカケで、そして、ピザの宅配人の女子
に惚れたことをキッカケに、ただ家を脱出するというだけの、短くも、美しいファンタジー。

で、面白いのが、彼が10年ぶりに家を出たら、今度は東京の住人が全員、ひきこもり
になっていたところで、そうなんだよなー、と作り手の意図とは関係なく、感心しました。

だって、実際に、この10年で、どこもかしこも、ひきこもりばかりになっちゃったんです。





最近、ひきこもりという言葉を、あまり聞かなくなったでしょう?それは、家にひきこもる
ことが、もう当たり前になったから、珍しくなくなったからです。確かに、昔から、身体的、
精神的な病気が理由で、外出できない人達は一定数います。しかし、現代は違います。

もちろん、ウツは増えてますし、世界で一番、精神科が多いとされている日本で、医者
が薬を出しまくることで、逆に、ウツもひどくなり、自殺も増えました。(薬の副作用です)

しかし、そんな深刻な人達よりも、ずっと多いのが、面倒くさいから外出しない、中間層。

だって、最低の生活費さえあれば、外に出なくても生活できるようになったんですから!

ありとあらゆる買物、ありとあらゆる娯楽が、家にいながらにして出来るなら、わざわざ、
外出する必要なんてないでしょう?面倒じゃないですか。これは、ごく普通の流れです。


ただし、その反動から、もっと体を動かそう!再び、昔のような不便な生活を見直そう!
といった、自然回帰の方向も出てきます。社会問題が増大するからです。(主に病気)

今もすでに、労働問題や健康問題、医療費の増大が著しいですが、今後、爆発します。

そこで普通の、ひきこもり支援だとか、真面目なNPOが頑張っている一方で、私自身は、
家から出ない人達、ヒッキーに向けて、それがどんなに贅沢で素晴らしい生活なのかを
表明し、親が食わせてくれるなら、それを享受すればいいし、ニートも全肯定してみたい。

働く、働かないは、小さな問題です。そんなの、どうでもいい。それよりも、そんな独りで、
厳密な意味では、誰かしらの世話になりつつも、生活自体は、ほぼ独りきりという状態で、
いかに自分を楽しくするか?最高の日々を繰り広げるか?充実させるか?を描きたい。


なぜなら、独りは自由でいいなと思うのは大間違い。正味な話、何度も途方にくれます。

ずっと独りでいると、歯止めがきかなくて、一歩間違えれば、ドツボにはまるんですよ・・。

また、不安になって、いろいろやろうとしますが、これが難しく、挫折が続くと無気力に・・。





実は、ただ独りで何かを始め、続けてやりきることは、とても骨の折れることです。これを、
起業などをテーマにせず、ナンパというものをテーマにしたわけです。誰に頼まれるわけ
でもなく、何の強制力も働かない虚無の中で、どう生きて、どう花開かせるか?という話。

これが最終的に、ヒッキー運動と名付けられた、新しいライフスタイルとして結実しました。

最初は、「元ひきこもりがナンパ師に!」なんてキャッチフレーズを使ってましたが、もはや、
そんな単純な図式は古くさい。ヒッキーだからナンパする。よく考えたら、それが当たり前!


会社や学校に行ってたら、生身の人間と会えるから、それでいい。しかしヒッキーは、何の
機会もないし、何のコネもなく、人間と会うためには、直接、外にいる人間と話すのみです。

よく「何のためにナンパするのか?」なんてことで悩んでいる人がいますが、贅沢な悩み。
こっちは無人島にいるんだよ。たまには生身の人間と会ってみたい。ただそんだけ。何が、
ナンパの目的は?とか、よほど余裕かましてられるんだね、よかった、よかった、ですよ。

そういう人は、すでに恵まれた強者としかいいようがない。ヒッキーは、欠けまくった弱者。


しかし、孤独に人一倍敏感なヒッキーが、コミュニケーションへの希求が、人一倍強くなる
ヒッキーが、時間だけは、たくさんある自由なヒッキーこそが、ナンパを主導できるのです。

会社や学校に通う人達も、実は、ヒッキーとそんなに変わりません。表面的な、やりとりを
処世術として覚えただけで、本来の自分を抑えてたり、自分の中に引きこもっていますが、
いかんせん、集団の中にいるので、孤独感というのが覆い隠される。ただ、それだけです。

もしかしたら、ヒッキーより苦しいかもしれません。不満の原因が、自分でわからないから。
だからこそ、孤独が露わなヒッキーが先導をきって、先に、真理を追究しなくてはいけない。


コミュニケーション不足の人しか、不満が大きい人しか、身を捧げて研究なんかしません。
ほどほどに、うまくやってる中途半端な人は、新しい探求をしようともしない。すでに適応
しているから、その必要性がない。だから新しい世界を切り開くのは、常に、落ちこぼれ!

そして、その発見したことや価値観を独り占めせず、適応してる人へも、明け渡すのです。

社会的にどうしようもないヒッキーこそが、その宝を再び、社会に還元することになります。


そうやってね、社会は少しずつ革新していったわけです。そして今や、大変革期にいる。

古い社会なんぞに、誰が適応するものか。おい、ヒッキーのあなた、わかってんのかい?

あなたが次の時代をつくるのです。前の時代でダメだった人が、新しい世界を創造する!


posted by fmtbank at 13:12| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年10月24日

ヒッキー運動は独りでやれ!(リア充との接触)

先日、数年ぶりに、男の知人達と会いました。ヒッキーの私にとって、大変珍しい。

私以外に、三人の男達で、皆、社会的に成功していて、会話上手の自信家でした。

そこで痛感したのが、複数の男と話すのは、女性達との会話とは全然勝手が違い、
ほとほと疲れちまう、ということです。リズムや会話の運びに合わせるだけで、もう、
精いっぱい。ビジネスマンばかりだったので、話題にも、ついていけませんでした・・。

そして、何よりも気づいたのが、女性陣と話す時は、精神的に完全に甘えきってて、
もたれかかっていますが、男性陣と話す時は、やはり無意識に、気を使い、考えて、
もたれかかる感じにはならない。それが結果的に、シンクロ率の低下を生みました。


実際、私が唯一、イキイキとしたのは、皆で女性店員をからかっていた時だけです。

その飲食店『塚田農場』では、会員になると、来店した回数により、係長、部長、社長、
とかいって、役職が上がるという設定で、彼女はそれを説明してくれたのですが、もう、
毎回、説明しているため、言葉がペラペラと流暢すぎて、まったく耳に入ってきません。

ナンパでも慣れすぎると、説明口調になって、逆に反応率が落ちることがありますが、
そういう時は、あえてヘタウマに崩したり、抑揚をつけることで、相手に届くようにする。

だから今回も、彼女に指導しました。それは、係長、部長といった、役職を言う時だけ、
声を変えて、わざと男声にする。するとアクセントがついて耳に入ってきます。それを
やらせて、さらに役職が上がる度に、偉そうな口調をとるように、コントへと誘導します。

女性店員は恥ずかしがりますが、「バカだなー、そうやって、自分の魅力を殺してる。」
「あなたは何やってもいい。許される。」と、そこから相手にタッチさせる、あの鉄板ネタ
に進もうとしましたが、遠慮してやめました。他の男達も、ドンドン会話に混じったから・・。


やはり、いつものマイペースでは出来ません。他の男達のノリにも加勢し、話題もすぐ、
変わってしまいます。これが楽しいところでもあり、残念なところでもあります。その前に、
路上で休んでいた女子二人に、私が独りで声かけた時も、また同様なことがありました。

スッと引き気味で入って、会話が成立し、第二段階に入ったのに、その後から、男達が、
ウワッとテンション高く参加したため、女性達は形式上、話を合わせて、すぐ離れてしま
いました。明らかに、そのノリではシンクロ率を破壊するのに!と、そりゃ思いましたよ。

しかし、一切の非難も批判も何もありません。集団でやるというのは、そういうことです。

自分の好きな物だけで固めた、独自の世界でやりたいなら、独りでやるべし、ってこと!





実は、今回、珍しく男性陣と会ったのは、理由がありました。ヒッキー運動についてです。

今まで隠れるようにして目立たず、独りで続けてきた、この活動を、もっと広い形でやる
のも面白いと考え、初めて誰かと組もうと思ったのです。特に、私は文章と音声だけしか、
表現をしないので、それに加えて、画像や動画に詳しいクリエイターと組むといいな、と。

さらに私は引っ込み思案で、放っておくと、とにかく目立たないようにしてしまいますから、
今まで本を出版したことのある、拡げようとするコンサル、仕掛け人とも組み、ヒッキー
である私と、動画のクリエイターとの、この3人でもって、やっていこうと思ったんですね。

しかし、ダメでした。私の考えていることが、ヒッキー運動の素晴らしさが、伝わりません。

言葉足らずだったことは否めません。しかし重大な問題があった。彼らは魅力的な人物
ですが、いかんせん、ヒッキーの実感がない。だったら、もともと根本的にムリなんです。

それに気づかなかった私が悪い。もう独りで何かやり続けるのは大変なので、そろそろ、
誰かと組みたい、孤独から逃れたいと、色気を出してしまっただけでした。かなり反省・・。


そういうわけで、けっこう期待していた、チームを組んでヒッキー運動を広めていくという、
矛盾した方向性は頓挫しました。ダメだ、孤独から逃げるなよ、お前!って話ですよね。

考えてみれば、ヒッキー運動を広めようとすること自体が間違いです。孤独からの逃避。

以前の50年前のヒッピー運動は、集団で集まってコミューンを作ろうとしたわけですが、
現代のヒッキー運動というのは、たった独りで、自分だけのセカイを創造して、自己完結!

だから集団で束になるということはない。ヒッキーの数だけ、別々のセカイがあるわけで、
それぞれが自分の王国の皇帝であり、独立した個と個が、たまーに貿易する感じでいい。

この個を重視したライフスタイルが、瞑想とナンパを主軸にした、ヒッキー運動であります。


歴史が証明するように、集団は必ず腐敗します。組織は必ず間違います。100%です。

そんな過去に対して反旗をひるがえし、たった独りでヒッキー・ムーブメントを起こします。

この地球で、初めて生まれた人間のように、各自、好き勝手にやりましょう。よし、決めた。

posted by fmtbank at 12:43| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年10月20日

ナンパで啓示される、孤独の美しさ

ナンパをするのに一番ラクなのは、友人、知人と一緒にやることである。

その時、あなたは孤独を感じない。女性に無視されようが、拒否されて、
痛手をくらおうが、友人とワイワイ楽しく過ごし、大失敗も、笑い話になる。

もしナンパをしたいのなら、気を許せる友人とやればいい。または、親しい
友人がいなくても、ちょっとした知人でも構わない。何かの打ち上げの時、
ふとナンパの話題を挙げて、酒の勢いで一緒にやるなんてのもよくある。

いずれにせよ、誰かしらと会う機会があるなら、それはナンパのチャンス。


また、そんな知り合いもいない場合、ネット上などで仲間を募集してみたり、
合流する方法もある。その時は、初対面の人と一緒にやることになるので、
気が合わない相手だったりすると、嫌な目にあうが、それは相手も一緒だ。

一緒にいて楽しくない男、見た目がヤバイ男が現れたら、何かと理由をつけ、
相手は離れるだろう。相手は、行動しない理由ばかり言ってる理屈野郎とは、
一緒にいる義務など一切ない。しかし、ここでお金が発生すると話は変わる。

ナンパ塾、セミナー講習、伝授会といった、商売としてやる場合、たとえ、もう、
人間的に大丈夫か?という相手でも、ちゃんと時間内には寄り添ってくれる。
むしろ、そういう人を救うために、力を注ぎ、教えてくれる。実に、ありがたい。

ただし難点としては、お金もかかるので、そう何回も通えない。結局、日常に
戻れば、また独りでやらなくてはいけない。したがって、仲間を見つけるため、
ナンパ塾で、他の生徒を紹介してもらうのもいいだろう。そのために利用する。





なお、上記のような、誰かと一緒にナンパすることに対して、抵抗のある人は、
独りで始めて、独りで続けるしかない。このブログは、そんな孤独者のために、
これまで更新してきた。なぜなら独りでやることは、非常に大変なことだから・・。

独りでナンパするのと、コンビナンパでは、その精神状況が全然違う。なんだ、
同じナンパじゃないかと、テニスとバトミントン位の違いに一見思えるが、実際、
野球とサッカー位に違う。もう全然別物!それは、やってみれば、すぐにわかる。

コンビナンパは、サッカーのようにパスしまくっては、ずっとボールが動いていて、
ずっと流れがある感じだが、独りの場合、野球のバッターボックスに立つ感じで、
間が多い。そんな間の中で、プレッシャーにさらされる。しかもサッカーボールは、
どんなに当たっても死にはしないが、野球の硬球は、ヘタすれば死ぬし、危険だ。


そうして、独りでナンパするのは、コンビナンパとは天と地の差がある。それでも、
独りでやることに惹かれる者は、自由を希求する者であったり、単純に、人見知り
するから、誰か他の男とやりたくない。はたまた、男にまで気を使うのが嫌だという、
自分勝手だったりもする。いってみれば内向的な人、引っ込み思案が多いだろう。

私は、そういった精神的に引っ込み思案の人も、物質的な引きこもり同様、ヒッキー
と呼んでいる。また無職やニート以外でも、デイトレーダーや作家、在宅ワークなど、
人と直接会わない仕事をしている人も、放っておけば外出しない、ヒッキーに含む。

このヒッキー連中は、どんどん増える一方で、それは自然な社会の流れでもある。





私はこれから、全国の「ヒッキー」に向けて、何もない孤独者に向けて、ブログを書く。

ヒッキーである、あなた達は、たくさん友人がいて、スケジュール帳が埋まってる人を、
うらやましいと思うかもしれないが、実は、そういう人こそ、孤独から、逃げ続けている。

しかし、孤独を見ないようにしても、それは大きくなるばかりで、逃げきることはできない。
つまり最後は必ず、何かが起こり、自分自身に投げ出され、孤独と直面してしまうのだ。

それは芸能人のニュースとかを見ればわかりやすいが、周囲の者も、似たようなもので、
他人の芝生はよく見える。また当人がよく見せようとしてるだけで、ヒッキーと変わりない。


世間や他者に逃避する者は、最後は裏切られ、自分自身に投げ返されることになる。

ならば最初から、自分自身から、自分の孤独と向き合うところから、始めた方が早い。

外向的な人は、外側に多くを求め、手に入れて、最終的に「孤独」と対決するのだが、
内向的な人は、最初に「孤独」と対決し、後から全てを手に入れる。正確にいうならば、
全てを失うことで、全てを手に入れる。どうせ最後は同じことなら、近道した方がいい。

したがって、今、最弱に孤独なヒッキーこそが、最強のチャンスをものにしているのだ。

孤独や劣等感や貧乏や無名や怠惰など、それらが、いかに素晴らしいか、表明したい。

posted by fmtbank at 10:59| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年10月19日

ブログ再開(1000件に向けて!)

このブログを1000件まで更新しよう!と思ったら、やる気が出ました。

あと残りが172件もあるので、できるだけ頻繁に更新するつもりです。

ちなみに、どうせ書くなら、全国に大勢いるだろう、孤独な人に向けて、
書いていきたい。そして、ナンパというより、ヒッキーライフを描きたい。


部屋に、こもりっきりのヒッキー生活は、外に出て、散歩がてらに女性
に浸かるナンパ運動と共にあることで、めっちゃくちゃ充実するのです。

会社も学校も行かなくていい。めんどくさいことは、しなくてかまわない。

そんな気持ちいいことしかしない、社会から退いてしまった、ヒッキーの
戯言だと思って、読み流してもらえれば構いません。もはや自己完結・・。


ただし今の時代は、新しいライフスタイルの確立が求められていますし、
一部の人に、何らかのヒントになればいいかなと、少しだけは思います。

だから冗談のように本気で、ヒッキー思想、ヒッキー運動を煽りますよ〜。

60年代のヒッピーとは、一味違う、ヒッキー・ムーブメントの合言葉は、
「セックス、ドラッグ、ロック」ならぬ、「セックス、コトヴァ、スタンド」です!

posted by fmtbank at 12:39| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年10月09日

100号突破記念!1000日更新予定!

遅くなりましたが、『ナンパ脱出プログラム(第三章<究>)』の解説が完成しました。

DVDの特典コメンタリーみたいな感じです。まだ届いていない方は、ご連絡ください。

(ただし、『脱出プログラム』全体ではなく、以下の9号のみの特別解説となります。)


『第三章<究>』

第31号 「ソクラテスの無知と元ナンパ師の苦悩」の巻

第32号 「逆走!体にふれないパラレルワールド」の巻

第33号 「AV出演?ハートの破裂とラブの成就」の巻

第34号 「分岐するセカイ、初めて逆ナン始めて」の巻

第35号 「与える男!ヒップでホップな夢の生活」の巻

第36号 「創造性の開花!視覚に働くQポイント」の巻

第37号 「脱ナンパ師!アウトタイプと祝祭空間」の巻

第38号 「究極の選択、求められ感、誘惑され時」の巻

第39号 「究はQ、求、救、急、休、旧、杞憂、仇!」の巻





ちなみに、これで、制作した実録音声メルマガも、ちょうど合計100号となりました。

『覚醒プログラム』:49号+『脱出プログラム』:39号+『超覚醒チャレンジ』:12号で、
ジャスト100号!この100号記念の祭典が、「自虐的代理戦争」という企画ですね。

こちらは、全100号をコンプリートした人達と、裏で楽しく、やらせていただいてます。


一方、しばらく放り投げていた、このブログの方も、気づけば、全部で827件の記事。

こうなったら、1000を目指そうと思い直しました。まさに仏教界における最大の修行、
千日回峰行のように、ちょうど千日の記事をしたためて、このブログを満行したいです。

これは私にとって、『第四章<極>』の完成と共に、最後のやり残した修行となります。

あと残り、173件・・。多いのか少ないのかは分かりませんが、噛みしめて更新します。

もはや、ここまでくると、誰が読もうが関係ないです。やりたいから、やるんです。イエイ。

posted by fmtbank at 09:27| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする