2014年02月26日

自分にとっての、トリプルアクセルは何か?

ようやく冷静になりました。オリンピックでの、浅田真央さんの演技に衝撃を受けて、
アスリートになるぜ!と暴走していたのですが、もう躁状態も収まり、通常状態です。

ただし、依然として、浅田師匠の男っぷりには感動していて、私も春から新しいことを
始めようと決めています。できるだけ難しく、時間のかかることに、挑戦していきたい。

浅田師匠は、「難しいことに挑戦しないと、一気に弱気になる。」と言って、とにかくもう、
イケイケで前向きで、負けず嫌いで、あの魔の「トリプルアクセル」に、こだわってきた。
現役女子では、浅田師匠しか、試合に入れようとしない、あの三回転半ジャンプです。

スッ転ぶ可能性も高く、その後、転倒した場合、盛り返せなくなる怖さもあるというのに、
しかも一番難しいのに、そんなに点数も高くとれなくても、やっちゃうところがカッコいい。


このトリプルアクセルを、女子で初めて成功させたのが、伊藤みどり選手です。彼女は、
このジャンプのことを、「たったの半回転なのに、スピードを保って前へ跳んでいくのは、
すごく怖いんですよ。」と言ってる。実際、足首を二度も骨折して、一時封印もしている。

通常のジャンプっていうのは、すべて後ろ向きに跳ぶのが、アクセルだけは前に跳ぶ。
実際、やってみないと分かんないけど、相当、怖いらしい。だから、女子達はやれない。
それをイケイケでやろうと、失敗しながらも長年続けてきたのが浅田師匠!実に男前!

そんなの、みんな知ってるし、今更かもしれないけれど、私はこの「トリプルアクセル」
という言葉をすっかり気に入り、自分にとっての、難しいトリプルアクセルは何だろう?
と考えていると、楽しくなっちゃう。以前の「マークシックス」に匹敵する、大好きワード。

やはり、ラクにうまくいくことだけしても飽きます。時間かけて、難しいことに挑戦したい。





ちなみに現在、毎週金曜、ナンパの音声メルマガを配信していますが、メインテーマが、
「頑張らない」なんですよ。私が最近、「すごい頑張る!」と燃え出していて、一部の方
は困惑したかもしれません。しかし、テーマは、そのままの、「頑張らない」で続けます。

あくまで初級、中級の方向きですから、そんなストイックな追い込みは無用です。むしろ、
頑張りすぎて動けない人が多いため、それを解放するよう、優しい作りを心がけてます。
ナンパの基本である「五段階」って簡単じゃん、余裕だと思っていただくためのものです。

一方で、その後、配信予定の『最終章<極>』は、その正反対です。めちゃくちゃ頑張り、
極めるというのは、こういうことだ!と、ぶん殴るような内容になります。深く追いつめられ、
悪あがきしまくりです。物事を極めるためには、なんていったって必要なのは、悪あがき。

難しいことに挑戦しているのだから、スムーズにいくわけがない。そこで、絶望の中でも、
あがいて、あがいて、あがきまくるわけです。そのヒリヒリするような状態に触れることで、
かえって、やる気になれる人もいると思います。その過程をも描いた、究極の教材です。


なお、このナンパを脱出しよう、なんとかして伝説を作ろうと、もがいていた時期は、私が、
もう二度と戻りたくないと思っていたドツボの頃ですが、今振り返ると、あの悪あがきの時
が一番面白かったな、という気にもなるのが不思議なんです。今の自分なら、いけますし。

というよりも、その後は、大抵、心が安定しまくって、余裕ぶってましたが、はたして、これ
でいいのだろうか?と、迷いもあったんです。うっすらと、長い間。で、浅田師匠の演技を
見たことをキッカケに、いやいや、たんに難しいことに挑戦してないだけ!と気づいた、と。

彼女の本を読むと、どんどん難しいことに挑戦して、その中で、えらい悪あがきをしていて、
修羅場も結構、襲ってくるわけです。メチャクチャな中で、弱音を吐かず、やり続けている。
ああ〜、いいな〜、と心底、思った。だってドラマがある。そして時折起こる、超越がある。

だから、また何年もかかるような、絶対無理なことに挑戦したくなったという、お話でした。

でも、それは春以降の話です。今は、冬の音声メルマガ配信に、集中したいと思います。

ようやく集中できる状態に戻ったので、今から三日間は、音声制作に没頭します。では!

posted by fmtbank at 06:45| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2014年02月25日

アスリートな生活を始めます。

こんなに衝撃を受けたのは、どれ位ぶりでしょうか?とにかく、参りました・・。

私は、いまだ浅田真央ショックから、立ち直っていません。オリンピック観て、
感動したというよりも、ショックで体が震えている感じ。凹んでいるのに似て、
また凹んでいるのではない。とにかく何かが破壊されて、人生観が変わった。

前回、浅田真央さんの演技について、にわかなのに、知った風に書きましたが、
全然知らないから、細かいことはいいんですよ。本当は「フィギュア」らしいのに
「フィギア」と書いてたし、他にも、的外れな思いこみも、いろいろとありましたね。

そもそも言葉にできない衝撃だったので、言葉にしてもしょうがないし、それより、
なんで、こんなに衝撃を受けたのか?自分でも、よくわからないまま、彼女の本、
片っぱしから読んで、DVDもやっと観て、ようやく、その理由がわかってきました。


まず、やっと言葉にできたのが、「あそこまで努力してもいいんだ」という驚きです。

彼女は世界的な超一流のスケーターで、凄まじい努力をしてきましたが、普通は、
あそこまでの努力はやろうとしてもできない。それでも刺激を受けたら、「よーし!
あそこまで頑張ろう!」と決意だけはしたりするでしょう。でもニュアンスが全然違う。

「あそこまで努力してもいいんだ!」と許された感じ。私も、あそこまでやりたかった。
でも、そこまでやる必要も感じなかったし、そういう発想さえ浮かばず、今まで生きた。
それが彼女を知って、よくわからないけど、思い出したんです。やる予定だったことを。

なぜか、あんまり努力しすぎたら、いけないと思い込んでいた。理由はわからないけど、
そのバグが自分の中にあった。今回、破壊されて出来た、心の空洞のところに隠れて
いるのを見つけたんです。これからはもう、浅田真央さんレベルで、努力しまくれます。

とはいえ、そんな凄いことしようとせず、ただ地味なことを積み重ねるだけの日々です。





浅田真央さんの生活は、元旦だけ休み、あとは毎日、冷たい氷の上で、ひたすら滑る。

外に出ても、民衆に顔を指されるから、ほとんど出ないし、スケート場に引きこもって、
黙々と練習し続けるだけです。普通の若者の遊びなんて無縁で、地味な生活でしょう。

しかも、自ら世界で一番難しいプログラムに挑むので、スランプもあるし、先も見えなく、
コーチがいようが、孤独や不安に襲われる。それを乗り越えていっても、必ずいい結果
が保証されたわけではなく、土壇場で、引っくり返される時もある。なんてステキなんだ!

出家した僧侶達の、寺での生活なんかよりも、ずっと修行めいていて、神秘を感じます。


もしかしたら、アスリートは皆、同じ環境かもしれないけど、これまで、どんなスポーツを
観ても、揺さぶられることはありませんでした。やはり、浅田真央さんの持つ「何か」に、
こちらの魂が震えて、共鳴したわけです。それは、ピュアさなのか?ひたむきさなのか?

どこかアニメの『竹取物語』に出てくる姫君にも似ているけど、やはり、あの「菩薩顔」が、
いいですね〜。菩薩っていうのは、悟りを得た「仏」の手前の状態で、悟る前に、多勢を
救うために生まれてきた存在です。そういう意味では、彼女は天真爛漫な菩薩といえる。

かなりの人数を、元気づけてきたし、愛されてきた。もう生まれる前から決めてきたかの
ように、あの体を選んで、幼い頃から真っすぐ、他を犠牲にして、ひたむきに滑ってきた。


まぁ菩薩は言いすぎだとしても、現実的に、浅田師匠は男っぽい性格でカッコいいです。

特に、しびれたのが、競技中ではなく、黒いジャージ着て、すっぴんで練習している所で、
トリプルアクセル失敗で、何度も尻もちつくんだけど、平然と起き上がるシーンが、男前・・。

もうね、ナンパで失敗したが、何だって話です。何度も何度も練習して、続けるだけです。
冷たい氷の上に転ぶより、ずっとマシだし、それで弱音吐いてるようじゃダメかもしれない。

そして、トークも、いっぺん、フィギュアの競技くらいに、真剣に取り組むと、どうなるのか?
それが知りたい。選手達の、あんなに全てを賭けている姿を見せられたら、仕方ないです。





しばらく、ナンパとアスリートの世界を融合させることを考えていきたい。私は、これまで、
スポーツには全く興味なかったため、知識もゼロです。それゆえに嬉しくてしょうがない。

アニメとか宗教とか、スピリチャルで捉えていた世界観が、さらに拡がるわけですから!

今後はアスリートの世界を、自分の中に取り入れていきます。すでに想像上のリンクは、
自分の中に設置したし、新たな家作り、リフォームを始めていて、自分でも楽しみですわ。

それもこれも、浅田師匠が、思いっきり転倒してくれたからこそ。もし彼女が、金メダルを
普通に取っていたとしても、私は観ることさえしなかったでしょう。また、たまたま偶然に、
キムヨナをTVで見かけなかったら、浅田師匠の演技も、目にすることはなかったですね。

そういう意味で、やっぱり、セカイに守られていることを実感し、私は嬉しくてしょうがない。

posted by fmtbank at 13:06| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2014年02月24日

こんにちわ、浅田真央です。(超越的セカイへの渇望)

ここ数日、フィギアの浅田真央さんに衝撃を受けて、何にも手につかない状態でした。

もちろん、日本中の大勢の人が心奪われたと思いますが、その中でも、私は、たぶん、
かなりヘビーな方です。もう人生観が一変し、アスリートになることを決意しましたから。

「真央ちゃん、頑張れ!感動をありがとう!」じゃなくて、「あっ、懐かしい!やっと会えた、
もう一人の自分に!」と感じてしまったのです。彼女の存在が、デジャブのように思えた。

それはファンになったというよりも、純粋な自己発見で、まったく予想もしていなかった・・。


有名な人だとは知っていたけど、世間知らずの私は、スケートのことはよくわからんし、
唯一、前回のオリンピックでキムヨナが滑ってた007の演技を、たんに007好きという
理由から、惚れ惚れと何回も観ただけで、あとは全然、記憶にも残っていませんでした。

今回も、たまたま家電量販店でトイレ借りようと寄ったら、テレビでキムヨナを見かけて、
なんて素敵なんだろう!と見入っているうちに、その流れで、つい見てしまっただけです。

それが、あのショートの痛々しいボロボロの演技です。全然フィギアを知らない自分でも、
ショックを受けるような、気持ちが落ちる内容で、見てはいけないものを見た感じでした。

さすがに、その後、どうなったのか?気になって翌日、ネットを見ると、ちゃんとフリーは、
出来たと知り、どうしても見たくなり、全部テレビで見ました。そしたら、あの感動だもの・・。

久しぶりに、セカイがケタケタと笑う瞬間を見せてもらい、信じられないほど、興奮しました。





あれは、ただのお涙頂戴じゃないんですよ。メダルとか採点というシステム、マトリックス
をぶち壊して、真理を露わにするような、本当に痛快で、まさしく、ギリギリの開花でした。

実際、メダル争いとは関係ないところで起こったわけで、政治家とかシステム側にとって、
「メダルとれなかった、失敗者」ということになるわけですが、他にメダル取った人よりも、
誰よりも、感動させてしまった。それもこれも、前日の大失敗があったからこその話です。

メディアでは、「たった一日で、よく気持ちを立て直せた」ことがズームされていましたが、
あれ、気持ちなんか立て直せてません。朝の直前練習も初めて寝坊してきてるし、もう、
立て直すどころか、すべてを失った、もうメダル無理という呆然の状態になっただけです。

それまで金メダルとるために、ひたすら全てを捧げてきたというのに、それを一瞬の間に、
最悪の状態で、全てを奪い去られた。そして、その空っぽになったところに、セカイから、
恩恵のように力が注がれ、体は動いた。空っぽにならない限り、セカイは助けてくれない。

だからこそ、セカイは、まず希望を破壊した。彼女を真に助けるために!なんという強運!


前日は、プレッシャーで空っぽになれなかったので、大失敗しましたが、この大失敗こそ、
最高の恩恵です。普通にノーミスで無難にできていても、たぶん銅メダル位だったのが、
実際は、絶対無理な状況に突き落とされ、そこから立ち上がるドラマとなり、大成功した。

確かに、他の外人勢と比べ、流れるような感じじゃない。しかし、キレイに機械的な演技
なんてのは、あらキレイと感心するだけ。そんなものより、最も難しい演技に挑戦し続け、
自分がやりたいと思ったことを、やりきった。その姿は、計算がなく、あまりにも神々しい。

比喩でいうなら、この世を越えた、あの世が少し垣間見えた状態で、世俗を越えている。

だから、あれに触れた人は、なぜかわからないけど、感動してしまう。他にメダルとろうが、
どんなにミスなく綺麗に演技しようとも、あれには敵わない。理性を越え、圧倒的だから。

私は、あの名付けえない、「あれ」を求めて、再び立ち上がろうと思いました。この世にて、
「あれ」を越えるものはなく、「あれ」を経験するために、人間は生まれてきた。そのことを、
すっかり忘れて、余裕ぶっていた自分が恥ずかしい。浅田さんが思い出させてくれました。

posted by fmtbank at 15:37| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2014年02月20日

女は面倒くさい。あらためて運動家の皆さまへ

現在の日本において、「ええじゃないか運動」というものが、ひそかに行われている。

それは、何も持たざる男が、そこら辺の女子にサッと近づいて、平然と口説きまくる、
無軌道な運動である。かつては「ナンパ」と呼ばれていたが、そんなナンパができる
状態にないような地味で、どうしようもない男でも、「ええじゃないか」とやってしまう。

逆に、ナンパ師達が眉をひそめて、「なんだ、あいつ?」と引いたり、嘲笑するような、
そんな連中であるが、まさに「ええじゃないか」だ。やれやれ!ドンドンやれ!と思う。

なんせ、あなたが世界の中心であり、あとは全員、オマケであり壁紙にすぎないのだ。





そもそも、実は簡単な、単純すぎるナンパを、さも難しそうに思わせる、おかしな風潮、
そして、ナンパするのは、いかにもな「ナンパ師」だけだったという、独占状態に対して、
「ナンパ師から、ナンパを奪え!」とばかりに始めたのが、実は、何無派道場であった。

しかし、それは、あくまでも、ただの面白半分なスローガンで、ナンパ師達から、ナンパ
を奪うことなどできない。だって、女はあまりにも余っているのである。もうそれは、世間
で草食系がどうだとか語られているので、ご存じだろう。現実は、あれより、もっとヒドイ。

男達は、女達から、大挙して逃げ出してしまった。ほとんどの女たちは、ほったらかしで、
その解放されない性欲は、買物で発散されたり、誰かのファンになったりなど、なんとか、
他で解消するしかなかった。もはや男達には期待できない。全然、追っかけてくれない。

それもそのはず。この便利になった世の中で、女を追っかけるなんて、不合理すぎる・・。


誰が、追っかけるか!面倒くさい。女は本当に面倒くさい。ただ、やりたいだけなら風俗、
いや、一人でオオキニーで充分。もっとラクなことに時間を使いたい、となるのも、必然。

女の面倒臭さは、凄まじいものがある。まだ幻想があるうちは、夢見れるけど、それは、
深く入れば入る程、途方もなくエネルギーと時間を奪われる、邪魔なものに思えてくる。

ところが、それでも女達から背を向けず、飛びこむ覚悟を決める者が、現れてきたのだ。


こんな面倒くさいものに、挑戦しようとしている男達がいる。これは山登りなどの大自然
に挑むロマンに似ていて、自然というものは、基本的に面倒くさいのである。その面倒さ
ゆえに感動や面白さがあるんだ、ええじゃないか!と、挑む者たちの晴れ晴れとした顔・・。

「やりたいことは、やりますよ。それが何か?」の精神でもって、彼らは街に繰り出すのだ。

(後日談: この時は、相当、やる気を失くしていたが、直後の浅田真央ショックで急上昇!)

posted by fmtbank at 15:01| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2014年02月08日

最初に声をかける時の全パターン(ナンヴァ編)

最初の声のかけ方、つまり、相手の「場」への入り方には、どれ位パターンがあるのか?

台詞でもなく、気持でもなく、単純に、身体的な面で見ていくと、だいたい、こんな感じだ。

(コトヴァ使いでもなく、スタンド使いでもなく、自分の肉体「ナンヴァ」使いとしての見解)


声をかける方向: 真正面、斜め前、横、斜め後ろ、後ろから、

自分の動き: 前から歩いてくる、後ろから追い抜く、自分は止まったままで、

相手との距離: 近い、普通、遠い(一定の距離)、近づきながら、離れながら、

声を発すタイミング: 場に入る前、場に入ると同時に、入ってしばらくしてから、


このように、確かに、いろいろとあるが、どうでもいいといえば、どうでもいいともいえる。

自分の好きなスタイルにもよるし、また、相手のATフィールド(場)の許容範囲にもよる。





入り方に、うまいヘタはあるのか?やはり、ある。でも実際には、うまいのはわかりづらい。
ごく自然に当たり前のように入っているから、これ!っていうポイントを掴みづらいのだが、
一方、下手なほうはわかりやすい。明らかに、相手に違和感を与えてしまっているから・・。

これは鈍い人には、全く感じとれない。だけど話は簡単、相手の立場になればいいだけ。

実際に、声をかけられてみればいいのである。都市部でたまにやってるアンケートとか、
女のキャッチに声をかけてもらう。するとハッキリ、どんな感じかわかる。まず多いのが、
斜め後ろから声かけてくる人。一瞬、ビックリするし、相手の姿が見えず、逃げたくなる。

そんなところから声かけられても、その人を見るために首を廻さなくちゃいけない、体を
よじらなくてはいけない、面倒くさいと感じる。声かけられたら、まず面倒くさいと思うのに、
さらに面倒くささに拍車がかかる。そういった感覚が、すぐにわかるので体験してみよう。
(注意:性格のいい、外向的な人は、どんな声かけされても、気にならないかもしれない)


ただし後ろから声かけるのも、コトヴァを変えれば、アッという間に反応率は十倍になる。
まぁ誰でも、すぐわかるだろうし、これは、あえて伏せておくが、結局、身体だけではなく、
コトヴァも重要になってくる。なぜなら、コトヴァはセカイを、強力に書き換えるのである。

イケメンだったり、モテる人間には関係ないかもしれない。しかし、何も持たざる最底辺、
どうしようもない男にとって、コトヴァは最大の武器となる。コトヴァで全てをひっくり返す。

その全身が痺れるような面白さを経験するために、あなたはその不利な顔、不利な体を
選んだのである。なので工夫しないでどうする?心の奥底ではチャレンジしたいはずだ。

体は乗り物にすぎず、ただのアバターである。だからこそ可愛がって、自由に動かしては、
音波を発して、思いっきり遊ぶ。思いっきり自己表現する。難しければ難しいほど、面白い。

そのことを、貴君は何となく知っているはずだ。それなのに、大人しく引っ込んでられるか?

頭の中に、自分の人生とは、まったく無関係な情報を詰め込まれてしまって、身動きとれ
なくなっているとしたら、それが唯一の裏切りである。それに気づいた時、覚醒が始まる!

posted by fmtbank at 12:14| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2014年02月07日

進めば進むほど、簡単になる五段階(男の盲点!)

本日配信します、『超覚醒アーキテクト!』の第3号は、「脱力トーク」特集です。

なぜ何無派師は、冷たい反応されようが、全然平気なのか?その極意を理屈は
ともかくとして、実際の会話REMIXにより、表現しきりました。『覚醒プログラム
で扱った基本である、時間制限や時間延長の新しいコトヴァ集も、収録してます。

特に今回は、会話に引き込むための第二段階で、いかに連続のQが有効なのか、
そして相手が答えやすいように、いかにポジを利用しているか、に着目してください。


また、笑いの起こし方も、わかるようになってます。怒ってる相手だろうが笑ったり、
警戒している相手も、つい笑ってしまうのが、第三段階:脱力トークです。もちろん、
すぐ使える面白い台詞も多数紹介していますが、もっと大事なのは、スタンドです。

こちらの第三スタンドによって、相手は自らの緊張を解放することにより、実際は、
こちらの台詞うんぬんではなく、自分で笑いを起こしてます。別に、面白いことなど、
言ってないのに、笑いが止まらなくなる。その典型的な実例をラストに収録しました。

これは、どうしても女性に対し、恐縮してしまう方のために開発しました。だったら、
あえて極端に、バカ丁寧に入る、「ニセ恐縮モード」というやつで、強力な武器です。





このように、『何無派道場』では、悩める修行者のご報告を受けて、その要望に応じ、
音声メルマガを作っています。いわゆる、コトヴァの武器を調達する、武器商人です。

今後も、すぐGETできてしまう相手を、Qで見分ける方法や、多くに足りないと感じる、
下ネタへ話題をもっていく方法だけを集めた、下ネタ特集なんかも、予定しております。

しかし何度もいうように、第四、第五段階なんて、一番簡単なんです。そんなことよりも、
最初の第一段階が最も難しい。次に難しいのが第二段階。そして第三段階まできたら、
もうパラダイス。第四段階なんて相手任せだし、第五段階なんて、状況任せの自動的。

物事というのは全て、慣性の法則が働くので、こちらの意図を離れ、加速していくんです。


つまり、ナンパの段階なんて、進めば進むほど、簡単になる。これを誤解している人は、
意外に多いようです。よく、最後までいけなかった!最後に誘うテクニックを間違えた!
だとか、再会できない!メールの内容を研究しよう!とか、最後だけ必死になってます。

そんなことより、もっと前段階で、やるべきことをしていません。すでにシンクロ率自体が、
低いまま、ムリに押し進めようとした結果です。これは、よく離婚などの別れ話で、突然、
女側から別れを切り出されパニックになり、悪いところは直す!と慌てても、もうすでに
時は遅しで、ずいぶん前からサインはあり、それに気づかなかったことと、似ています。

しかし、この男の鈍さは、一般の人達の話。ナンパワールドに入る者は、ごく短期間で、
もう嫌っていう程、シンクロ率の変動を体感し、一喜一憂します。その通過儀礼を経て、
リアルな状態や、いろいろな仕組みが見えてくる。この覚醒自体が、最大の恩恵です。

posted by fmtbank at 15:47| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2014年02月05日

ナンパの入り口には何も無い!(第一段階:「無垢」)

もし見知らぬ女性に話しかけることで、傷ついたり、凹むのなら、それは自分の責任だ。

あなたは何か変な期待をしたのだろう。期待とは、感情の借金であり、そのツケは当然、
払わなくてはいけない。また、傷つくかもしれないと恐れていたら、それ自体が苦しめる。

つまり、すべてが自分独りでおこなっている、一人相撲である。相手の反応は、無関係!





第一段階の無垢は、何も起きないし、何もない。一切の期待も恐れもいらない。ただの、
相手の場に出入りするという、かすかな運動であって、その「行為」自体で完結している。

その純然たる、シンプルさに美しさがある。いかなる感情、いかなる思考も、汚れであり、
もし心に「何か」あるのなら、その垢を落とさないといけない。無垢なる意識こそが正常だ。

もし第一段階で、傷つく者は、自分で自分を傷つけている。脅える者は、自分の影に脅え、
永遠に堂々巡りをしている。また面倒くさがる者は、あんなにも素朴で小さな行為に対し、
過剰な意味づけをしている。その全ての者は、虚妄の世界の奴隷となっている証である。

覚醒するというのは、極限まで単純化することであり、複雑さからは迷いしか生まれない。

この最初のスタンドを「無垢」と呼ぶ。無垢なるスタンスとは、何も考えずに、ただ入ること!

posted by fmtbank at 13:44| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする