とてつもなく、大変でしたね。ここのところ、ずっと音声メルマガ制作ばかりで、
実は、ブログどころか、日常生活さえもままならない程、苦闘していたのです。
とにかく今週号の内容が、ほとんど決まらない。構成を決めてから仕上げまで、
3日はかかるのですが、その前段階の下地さえ、あまりにも選択肢が多すぎて、
迷宮に入ったかのように、決まらなくて、今週は穴を開けるか?とも思いました。
それもこれも、また複雑な内容にしようと狙って、何十人との会話をメガMIXし、
傑作を作ろうとしていたからで、最終的には挫折しました。こういう凝ったのは、
実際、自己満足の世界なんですよ。今までも、何度か挑んで、失敗しています。
今回も、膨大な音声の前に、「もうムリだ。時間が足りない。」と頭を抱えました。
それで体調崩して、弱々しく起き上がり、頭がボーッとしたまま、単純な作業だけ
していたら、あれよあれよと今週号が出来あがってしまいました。ああ!これか!
と自分で拍手喝さいです。仏像づくりと同じで、正解が自分でもわかるんですね。
結局、今週号は初めて、一人だけとの会話を延々と収録しました。むしろ最初に
志向していたものと真逆!そっちが正解だったのです。ところが私は、どうしても
凝り症だから、反対のことに、こだわっていました。そこで体調を崩し、頭が全然、
働かない状態にして、正解に気づくよう、セカイに、もっていかれたという話でした。
こういうことって、本当によくある。努力しても、うまくいかない!だとか、なぜだか、
嫌なことが続いた!なんていう葛藤の時期なんかは、その後、正解に導くための
前フリです。ていうか、そもそも創造は混乱の時期をくぐらないと、絶対起こらない。
これはナンパでも同じです。むしろ他のことよりも、さらに混乱し、葛藤し、迷います。
だからよく、ひどい目にあった人に対し、私は「おめでとう!やりましたね!」と返し
ますが、それは皮肉でもプラス思考でもない。ただの心からの本音です。絶対に、
何かをしでかそうとする者は迷いに迷い、混乱に入るんです。これが最高の喜び!
後で振り返ると、一番大変な時期が、一番面白かったな〜、と遠い目になるもので、
つまり、死ぬ時に、「生きた!面白かったわ〜!」と思うには、それナシにありえない。
なんか、またも説教くさくなってしまったけど、これはもう仕方ない。今、ハイだから!
★
ところで、現在、『超覚醒アーキテクト!』が届いている、運動家の皆さまに問題です。
前回の第08号:『好奇心を刺激!超越的エロさへの志向』は、相手の性的な好奇心を
かきたてるためのトークでしたが、最近は、主に、相手の記憶を利用するのがテーマ。
今週は、性的な内容ではないんですが、延々と抵抗されている中で、コトヴァを使って、
相手の警戒を解いていきます。そこで私は、あるものを利用する。それは何でしょうか?
そのあるものとは、「女性は○○に弱い」の二文字です。その「○○」を、巧みに使いながら、
相手の警戒を解いている。わざわざ答えなくていいので、今週号が届いたら、ご自身の
予想していたものを念頭に、聴いてみてください。当たっていた人は、女心をわかってる!
それにしても、本当に、コトヴァ遊びって面白いですよね〜。工夫すればするほど、です。
2014年03月19日
やっと峠を越えました。
posted by fmtbank at 12:39| カテゴリ無し
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2014年03月16日
このブログは今年の夏に完結します。
このブログは今月末をもちまして、運営会社の都合により、終了します。
しかし、このまま終わると、あまりに中途半端なので、他へと引越しして、
延長することに決めました。一番最初の記事が夏から始まっているため、
最後も、ちゃんと夏まで続け、ちょうど10年間の記録にしようと思います。
また当初は、全ての記事が消滅するのがロマンチックだと思ってましたが、
これからも、ずっと残すことにしました。なぜならこのブログは、いつからか、
私のものというより、ナンパに挑戦する人達のものになってしまったのです。
全部が役立つなんて、おこがましいことはいえない。しかし、全体の2割位は、
ナンパに悩む人や初心者の方には、必ず役立つし、元気づけられるでしょう。
せっかく膨大な時間をかけ、多大な情熱を注ぎこんで書いてきたわけですし、
今後も、新たにナンパに挑戦し、続けていく皆さんのためにも、残すべきです。
★
また、有料の音声メルマガについては、現在配信中の『超覚醒アーキテクト!』
の後に、『ナンパ脱出プログラム:最終章<極>』という集大成が控えております。
やはりブログも、これに連動して、ナンパを脱出するところまでカバーしてみたい。
そうして、1000日分の記事と、音声メルマガ120号を実らせ、完結といたします。
現在は、フィナーレに向けて、熱にうかされたように、音声メルマガを制作中でして、
ブログの更新は遅れていますが、必ずまとめあげますので、しばしお待ちください。
(なお、ご報告やご要望は、お気軽にお寄せください。それらを参考にしています!)
しかし、このまま終わると、あまりに中途半端なので、他へと引越しして、
延長することに決めました。一番最初の記事が夏から始まっているため、
最後も、ちゃんと夏まで続け、ちょうど10年間の記録にしようと思います。
また当初は、全ての記事が消滅するのがロマンチックだと思ってましたが、
これからも、ずっと残すことにしました。なぜならこのブログは、いつからか、
私のものというより、ナンパに挑戦する人達のものになってしまったのです。
全部が役立つなんて、おこがましいことはいえない。しかし、全体の2割位は、
ナンパに悩む人や初心者の方には、必ず役立つし、元気づけられるでしょう。
せっかく膨大な時間をかけ、多大な情熱を注ぎこんで書いてきたわけですし、
今後も、新たにナンパに挑戦し、続けていく皆さんのためにも、残すべきです。
★
また、有料の音声メルマガについては、現在配信中の『超覚醒アーキテクト!』
の後に、『ナンパ脱出プログラム:最終章<極>』という集大成が控えております。
やはりブログも、これに連動して、ナンパを脱出するところまでカバーしてみたい。
そうして、1000日分の記事と、音声メルマガ120号を実らせ、完結といたします。
現在は、フィナーレに向けて、熱にうかされたように、音声メルマガを制作中でして、
ブログの更新は遅れていますが、必ずまとめあげますので、しばしお待ちください。
(なお、ご報告やご要望は、お気軽にお寄せください。それらを参考にしています!)
posted by fmtbank at 15:39| カテゴリ無し
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2014年03月04日
オリンピック選手と何無派師の違い
オリンピック選手は、周囲から期待もされ、世界中の人が見守る中で、行動する。
いわば、外側からのプレッシャーがハンパない。その「外圧」に負けず、ノビノビと
演技するために、「外圧」をいい意味で利用して、自らのパフォーマンスを高める。
一方、何無派師は、誰からも期待されず、世界中の人も見ていないので、とにかく、
「外圧」がない。これは一見、ラクに思えるが、「外圧」がないと、「内圧」さえもなく、
モチベーションが生まれにくい。尻を叩く人も、応援してくれる人も、誰もいやしない。
だからこそ、「内圧」を自ら作らないと何も始まらず、これが自ずと創造性を鍛える。
実は、オリンピック選手は、「外圧」を「内圧」に変換して、練習を重ねている。大抵、
「外圧」につぶされないように、納得いくまでやりきり、ここまでやったんだと、恐怖が
消えるまで頑張り、そうして、本番での緊張感を、いいように利用して、結果を出す。
しかし何無派師には、何も無い。せいぜい人目が気になることぐらい。しかも本当は、
たまたま、そこにいあわせた人々など、あなたの事なんか、別に、気にしてやいない。
声をかけた相手もそう。違うことで頭がいっぱいで、たんに機械的に断っているだけ。
それなのに、その周囲の視線を「外圧」として捉え、それに押しつぶされる人もいる・・。
★
何無派師にとって、周囲の目が気になるという「外圧」は、実は、大いなる味方である。
「外圧」があるからこそ、「内圧」は生まれる。要は、「外圧」を「内圧」に変換する点で、
なんらオリンピック選手と変わらない。プレッシャーや抵抗を乗り越えた時、解放され、
普段の自分を越えたパワーが発揮される。緊張こそが、その高い跳躍へのバネとなる。
以前、内気なヒッキーの人が、唯一の親友の結婚スピーチを頼まれて、パニックになり、
ナンパ道場に駆けこんできた。人前で話すのが、あまりにも恐怖で、ゆえにナンパをし、
ショック療法したい、とのこと。そうして彼は、初歩の初歩から、ゆっくりナンパを続けた。
すると、どうだろう。その数ヶ月後、堂々とスピーチが成功したという報告が届き、以降、
心身を解放する手段として、ここまで使えるのか!と、いろんな分野に拡張していった。
なんといっても、わざわざオリンピックに出なくとも、プレッシャーの中、堂々とするコツ
がつかめるのだ。世界中の人が見ていようが、せいぜい世間の一部が見ていようが、
まったく関係ない。最後は自分自身だ!という点では同じである。行きつくところは同じ。
陽の当たる場所で、自己を解放するのと、忍びのように、個的に解放するだけの違い。
しかもオリンピック選手は、完全に独りで行動するわけでもなく、コーチがつきっきりだ。
たった独りで行動を続ける、何無派師の方が、ずっと難しいことに、挑戦していると思う。
だから、その孤独を邪魔せず、少しでも「孤高」として高めるために、ごくわずかな補助、
糸口として、このブログやナンパ道場は運営された。やはりコーチは、自分自身である。
いわば、外側からのプレッシャーがハンパない。その「外圧」に負けず、ノビノビと
演技するために、「外圧」をいい意味で利用して、自らのパフォーマンスを高める。
一方、何無派師は、誰からも期待されず、世界中の人も見ていないので、とにかく、
「外圧」がない。これは一見、ラクに思えるが、「外圧」がないと、「内圧」さえもなく、
モチベーションが生まれにくい。尻を叩く人も、応援してくれる人も、誰もいやしない。
だからこそ、「内圧」を自ら作らないと何も始まらず、これが自ずと創造性を鍛える。
実は、オリンピック選手は、「外圧」を「内圧」に変換して、練習を重ねている。大抵、
「外圧」につぶされないように、納得いくまでやりきり、ここまでやったんだと、恐怖が
消えるまで頑張り、そうして、本番での緊張感を、いいように利用して、結果を出す。
しかし何無派師には、何も無い。せいぜい人目が気になることぐらい。しかも本当は、
たまたま、そこにいあわせた人々など、あなたの事なんか、別に、気にしてやいない。
声をかけた相手もそう。違うことで頭がいっぱいで、たんに機械的に断っているだけ。
それなのに、その周囲の視線を「外圧」として捉え、それに押しつぶされる人もいる・・。
★
何無派師にとって、周囲の目が気になるという「外圧」は、実は、大いなる味方である。
「外圧」があるからこそ、「内圧」は生まれる。要は、「外圧」を「内圧」に変換する点で、
なんらオリンピック選手と変わらない。プレッシャーや抵抗を乗り越えた時、解放され、
普段の自分を越えたパワーが発揮される。緊張こそが、その高い跳躍へのバネとなる。
以前、内気なヒッキーの人が、唯一の親友の結婚スピーチを頼まれて、パニックになり、
ナンパ道場に駆けこんできた。人前で話すのが、あまりにも恐怖で、ゆえにナンパをし、
ショック療法したい、とのこと。そうして彼は、初歩の初歩から、ゆっくりナンパを続けた。
すると、どうだろう。その数ヶ月後、堂々とスピーチが成功したという報告が届き、以降、
心身を解放する手段として、ここまで使えるのか!と、いろんな分野に拡張していった。
なんといっても、わざわざオリンピックに出なくとも、プレッシャーの中、堂々とするコツ
がつかめるのだ。世界中の人が見ていようが、せいぜい世間の一部が見ていようが、
まったく関係ない。最後は自分自身だ!という点では同じである。行きつくところは同じ。
陽の当たる場所で、自己を解放するのと、忍びのように、個的に解放するだけの違い。
しかもオリンピック選手は、完全に独りで行動するわけでもなく、コーチがつきっきりだ。
たった独りで行動を続ける、何無派師の方が、ずっと難しいことに、挑戦していると思う。
だから、その孤独を邪魔せず、少しでも「孤高」として高めるために、ごくわずかな補助、
糸口として、このブログやナンパ道場は運営された。やはりコーチは、自分自身である。
posted by fmtbank at 15:34| カテゴリ無し
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2014年03月02日
ナンパにおける、プロとアマの差
アスリートの世界では、コーチには「普及型」と、「強化型」の二種類がある。
そのスポーツを初心者から広めていくコーチと、オリンピック選手などを作る、
上級者向きのコーチ。これはナンパでも同じであり、私は「普及型」であった。
なにしろ競技人口の少ない、マイナーな世界だし、まず興味をもってもらって、
自分でもやってみようと、思ってもらわなくちゃいけない。その点、私は内気で、
最初から外向的な人よりも、出来ない人の心がわかったので、恵まれていた。
フェイスブックやツイッター、相互リンクやアフィリエイトなどをせず、広めようと、
積極的ではなかったが、それでも、かなり熱をこめて、しつこい位に、書き続け、
たまたまここに辿り着いた人には、だいぶ間口を広めただろうと、自負している。
ただ、「強化型」ではなかったために、ナンパが普通に出来るようになった人には、
物足りない部分もあっただろう。私が心に決めていたのは、ゼロからの初心者が、
10人GETするまで面倒みよう!ということだった。それ以降は、才能も必要だし、
さらに100人単位でGETし続けたい人などは、「強化型」のコーチを探してほしい。
ただ実をいうと、私は、あの手この手で、結構、違う切り口で試行錯誤してきたので、
参考にしようと、「強化型」の選手も、意外に音声プログラムを購読している。もはや、
不要だと思うのだが、「強化型」の選手は、とにかく勉強熱心であり、熱量がすごい。
しかし、ほとんどの人は「強化型」にはなれない。これは生まれついてのものである。
それを錯覚してしまうと、多くは苦しみ挫折する。やはり自分のやっていることに対し、
どうしても自信をなくし、楽しめなくなってしまうのだ。特に、今はネットでナンパ情報
がたくさん読めるので、他の人と比べて、「なんで自分はダメなんだ!」と比べがち・・。
ナンパというと、ただ話しかけてるだけのことだから、ある意味、誰でもできるもので、
傍から見ると、そう「差」が見えづらい。これはプロとアマの世界の「差」ともいえるが、
なぜかナンパでは、その「差」がおぼろげで、アマが平気でプロと比べて、落ち込む。
★
スポーツの世界では、もう明確に、プロとアマの世界は分けて考えられるというのに、
ことナンパになると、「自分は他と比べて全然ダメ!」とか、平気で思えるのは錯覚だ。
スポーツでも、休日、レジャーとして楽しむ人と、そこに命を賭けて、それだけで生活し、
毎日訓練している人とは、まったく別物である。現在、結果が出ない!と苦しむ人には、
いったい何人に声かけている?どれだけトークを洗練させようと、時間をかけている?
と聞きたい。その答えは大抵、驚くべきものになる。10人でさえ、声かけていないのだ。
また、どんなスポーツでも、運動神経がよかったり、すぐ修得できる才能ある人がいて、
彼らは、そんなに練習しなくても、ある程度ならできてしまう。同様に、ナンパでも、元々、
普通に女性と会話できる人と、内向的なヒッキーとを比べることはできない。その差は、
絶対あるし、だからといって、下手な人が、その競技を楽しめないか?といったら、違う。
下手な人は下手なりに、体を動かすこと自体が楽しく、時々、点が入るだけでも、逆に、
プロよりも喜びが大きく、感動できるのである。むしろ、プロの方が苦しんでいたりする・・。
そういうわけで、傍から見てわかりにくい、ナンパにおける、このプロとアマの差に対し、
錯覚を捨てなくてはいけない。休日だけレジャーでスポーツ楽しんでる人が、わざわざ、
プロの競技を見て、「なんだ、自分はプロになれないのか・・。」とガッカリなんかしない。
ところがナンパでは、ちょっとダメだと、「自分は向いてない」と萎縮してしまう。それこそ、
傲慢きわまりなく、プロと比べるんだったら、全てを注いで、死ぬほど悩め!と言いたい。
しかし、それは「強化型」へのアプローチであり、「普及型」のコーチとしての取り組みは、
まず問答無用で10人声かけよう!という、最初の厳しさ位で、あとは、ラクなのが一番。
実際、本当にラクなのである。それを複雑にしてるのが、プロとアマの混同であり、別に、
「自分はプロになれないのか・・。」とガッカリする必要もない。ただ、アマとして楽しんで、
そうする中で覚醒してきたら、「プロに行こう!」と思えばいい。しかし、これだけはいえる。
出会いに、プロもアマもない。あなたは出会うべくして出会う相手としか、出会わないのだ。
そのスポーツを初心者から広めていくコーチと、オリンピック選手などを作る、
上級者向きのコーチ。これはナンパでも同じであり、私は「普及型」であった。
なにしろ競技人口の少ない、マイナーな世界だし、まず興味をもってもらって、
自分でもやってみようと、思ってもらわなくちゃいけない。その点、私は内気で、
最初から外向的な人よりも、出来ない人の心がわかったので、恵まれていた。
フェイスブックやツイッター、相互リンクやアフィリエイトなどをせず、広めようと、
積極的ではなかったが、それでも、かなり熱をこめて、しつこい位に、書き続け、
たまたまここに辿り着いた人には、だいぶ間口を広めただろうと、自負している。
ただ、「強化型」ではなかったために、ナンパが普通に出来るようになった人には、
物足りない部分もあっただろう。私が心に決めていたのは、ゼロからの初心者が、
10人GETするまで面倒みよう!ということだった。それ以降は、才能も必要だし、
さらに100人単位でGETし続けたい人などは、「強化型」のコーチを探してほしい。
ただ実をいうと、私は、あの手この手で、結構、違う切り口で試行錯誤してきたので、
参考にしようと、「強化型」の選手も、意外に音声プログラムを購読している。もはや、
不要だと思うのだが、「強化型」の選手は、とにかく勉強熱心であり、熱量がすごい。
しかし、ほとんどの人は「強化型」にはなれない。これは生まれついてのものである。
それを錯覚してしまうと、多くは苦しみ挫折する。やはり自分のやっていることに対し、
どうしても自信をなくし、楽しめなくなってしまうのだ。特に、今はネットでナンパ情報
がたくさん読めるので、他の人と比べて、「なんで自分はダメなんだ!」と比べがち・・。
ナンパというと、ただ話しかけてるだけのことだから、ある意味、誰でもできるもので、
傍から見ると、そう「差」が見えづらい。これはプロとアマの世界の「差」ともいえるが、
なぜかナンパでは、その「差」がおぼろげで、アマが平気でプロと比べて、落ち込む。
★
スポーツの世界では、もう明確に、プロとアマの世界は分けて考えられるというのに、
ことナンパになると、「自分は他と比べて全然ダメ!」とか、平気で思えるのは錯覚だ。
スポーツでも、休日、レジャーとして楽しむ人と、そこに命を賭けて、それだけで生活し、
毎日訓練している人とは、まったく別物である。現在、結果が出ない!と苦しむ人には、
いったい何人に声かけている?どれだけトークを洗練させようと、時間をかけている?
と聞きたい。その答えは大抵、驚くべきものになる。10人でさえ、声かけていないのだ。
また、どんなスポーツでも、運動神経がよかったり、すぐ修得できる才能ある人がいて、
彼らは、そんなに練習しなくても、ある程度ならできてしまう。同様に、ナンパでも、元々、
普通に女性と会話できる人と、内向的なヒッキーとを比べることはできない。その差は、
絶対あるし、だからといって、下手な人が、その競技を楽しめないか?といったら、違う。
下手な人は下手なりに、体を動かすこと自体が楽しく、時々、点が入るだけでも、逆に、
プロよりも喜びが大きく、感動できるのである。むしろ、プロの方が苦しんでいたりする・・。
そういうわけで、傍から見てわかりにくい、ナンパにおける、このプロとアマの差に対し、
錯覚を捨てなくてはいけない。休日だけレジャーでスポーツ楽しんでる人が、わざわざ、
プロの競技を見て、「なんだ、自分はプロになれないのか・・。」とガッカリなんかしない。
ところがナンパでは、ちょっとダメだと、「自分は向いてない」と萎縮してしまう。それこそ、
傲慢きわまりなく、プロと比べるんだったら、全てを注いで、死ぬほど悩め!と言いたい。
しかし、それは「強化型」へのアプローチであり、「普及型」のコーチとしての取り組みは、
まず問答無用で10人声かけよう!という、最初の厳しさ位で、あとは、ラクなのが一番。
実際、本当にラクなのである。それを複雑にしてるのが、プロとアマの混同であり、別に、
「自分はプロになれないのか・・。」とガッカリする必要もない。ただ、アマとして楽しんで、
そうする中で覚醒してきたら、「プロに行こう!」と思えばいい。しかし、これだけはいえる。
出会いに、プロもアマもない。あなたは出会うべくして出会う相手としか、出会わないのだ。
posted by fmtbank at 13:15| カテゴリ無し
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2014年03月01日
3月はコーチに徹します。
3月に入りました。このブログは運営会社の都合で、今月末をもちまして、終了します。
通常のナンパに関する音声メルマガも、今月で配信終了するし、これもまた運命です。
ちょうど、オリンピックでの浅田真央さんの演技に衝撃を受け、その後、やるべきことも
見つかりました。私としては、ナンパに関しては、やりきってます。悔いはもう一切ない。
そこで今月は、「コーチ役」に徹したいと思います。最近知った、アスリートの世界では、
コーチをつけて、それぞれが練習に打ち込んでいく。そのナンパ版は、どんな感じか?
以前から同じような事をしてきましたが、ナンパに挑戦する人達を、「アスリート」だとは、
見てきませんでした。しかし、スポーツマンシップに則った正々堂々さや、勝負に対して、
極限までこだわるところなど、まさにナンパに適応される、新しい視点だと感じています。
もしかしたら、ブログより、メールでのやりとりがメインになってしまうかもしれませんが、
とにかく最後まで、ナンパの競技人口を増やし、勝負に勝てるよう、力を注ぐ所存です!
通常のナンパに関する音声メルマガも、今月で配信終了するし、これもまた運命です。
ちょうど、オリンピックでの浅田真央さんの演技に衝撃を受け、その後、やるべきことも
見つかりました。私としては、ナンパに関しては、やりきってます。悔いはもう一切ない。
そこで今月は、「コーチ役」に徹したいと思います。最近知った、アスリートの世界では、
コーチをつけて、それぞれが練習に打ち込んでいく。そのナンパ版は、どんな感じか?
以前から同じような事をしてきましたが、ナンパに挑戦する人達を、「アスリート」だとは、
見てきませんでした。しかし、スポーツマンシップに則った正々堂々さや、勝負に対して、
極限までこだわるところなど、まさにナンパに適応される、新しい視点だと感じています。
もしかしたら、ブログより、メールでのやりとりがメインになってしまうかもしれませんが、
とにかく最後まで、ナンパの競技人口を増やし、勝負に勝てるよう、力を注ぐ所存です!
posted by fmtbank at 07:24| カテゴリ無し
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2014年02月28日
マトリックスが陰でがつぶやいてたよ。
人をつぶすのは簡単。
その人を周囲に、好かれるように仕向ければいい。
自滅してくれる。
(マトリックス)
その人を周囲に、好かれるように仕向ければいい。
自滅してくれる。
(マトリックス)
posted by fmtbank at 07:02| カテゴリ無し
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2014年02月27日
なぜ我々は生まれてきたのか?(オリンピック終了)
いや〜、かたじけない。オリンピックの影響によるフィギュア熱も、すっかり冷めました。
本気でアスリートになろうとしていた自分が、今では愛おしいです。まぁ、このMAXから、
すぐ飽きてしまうパターンは、いつもの恒例です。ただし今回は、いまだ少し残ってます。
相変わらず、浅田真央ちゃんは素晴らしいと思う。でも「師匠」と呼ぶのは、やりすぎだし、
そもそもの第一印象で起きた、「もう一人の自分を発見!」という感覚の方が正しかった。
初めて浅田真央ちゃんの演技を観た時、いいようもない衝撃を受けたのですが、なぜか、
似た者同士と感じて、なんていうか、今まで自分が意識してなかった方面への、新鮮な
開花を見たのです。盲点だった。だから師匠というより、同志ですね。同じ匂いを感じる。
アイドルファンが好きなアイドルを調べるように、四柱推命で彼女を調べると、私と同じ
本質である「水のマイナス」だったので、あー、やっぱり、同じ出だなと思った。(やべー)
外面は柔らかくて、あんまり細かいこと気にしないけど、内面は強烈に頑固で、自分の
決めたことに対しては徹底的にこだわるところとか同じだと、勝手に思ってる。(やべー)
これは、あれだな。アイドルファンと、あんま変わんないかもしんない。どっちでもいいや。
ただ今回のオリンピックの彼女の演技は、何度もいうけど、とてつもなく素晴らしかった。
言葉にならないショックだったのに、ムリヤリ言葉にしようとして、間違えましたが、結局、
他人は関係ない。他人と比べてもしょうがない。自分のやりたいことをやりきる!という、
その熱いメッセージを、体全体で、人生全体で表現され、ぶっ飛んでしまったのですね。
それは、どういうことかというと、メダルを期待されていたのに、初日は、大失敗しました。
あれは周囲の期待とか、そういうものを全部、ちゃぶ台をひっくり返し、無に帰すもので、
大舞台に強い彼女が、あんなに崩れたのは初めてでしょう。これがもう、最高なんです。
メダルとか点数とかってのは、他者からの評価ですよ。他者が、あなたに対して偏差値
だとか、点数をつけてきやがるわけです。最終的に決めるのは、他者。それに対しては、
完全に、ゼロの状態にしてしまった。もちろん、本人はショックです。でも、その後が凄い。
もうメダルは関係なく、翌日の演技では、自分のやりたかった事を全部やったわけです。
一言ではいえない、鬼気迫る演技は、本当によかった。そして、彼女は、言うんですよ。
自分に点数つけるとしたら、100点と!彼女は、いつも強気発言ですが、自分の演技
に対してだけは厳しかったのに、あんなに、すがすがしく言えるのは、心底、本心です。
★
それにしても、つくづく、いいメッセージだったなと思う。大失敗と、真の意味での再生。
この陰と陽のセットで、「他者との比較なんか知るかい。自分のやりたいことをやる!」
という強烈なメッセージが表現されたわけです。我々は、子供の頃から、他者によって、
いちいち評価され、その恐怖で自由を失ってきましたが、オリンピックは、その極地です。
世界一を決めよう、とかいって、才能ある人が、とんでもない努力して、それを比較する。
そんな他者圧力の極地で、ちゃぶ台の引っくり返しと、本来の自分の表現が見れたので、
なんてパンクなんだ!なんて斬新なんだ!と興奮してしまった。セカイって、実に面白い。
浅田真央ちゃんは、本気で頑張ろうとしていたのは当然ですが、努力の果ては、もはや、
個人の意志なんて関係ないですもん。すべて天の采配ですよ。人智を越えた、セカイの
仕業。そしてセカイは、いたずら好きなので、個人の意志よりも、面白さを選ぶんですね。
「そう来たか!」っていう、想定外のところを突いてくる。ナンパしてれば、わかるでしょう?
なお、もう気づいてる人も多いと思いますが、我々が、なぜ生まれてきたのか?というと、
別に、悟りを開くための修行でも、カルマの解消でもない。ただ、「個性」を楽しむためで、
どんなに不完全だろうが、性格悪かろうが、弱かろうが、関係ない。だって、個性なんて、
どんなに立派でも不完全なんですから、もうそのまんまで、自己表現していくしかない。
そもそも、欠点も味わうために、今生きてる。だから自分を表現しないことが、唯一の罪。
ダメでけっこう、知りまへん。あたしゃ、やりたいことをやります。このまんまで、いきます。
その力強いメッセージをドカンともらえた、最高のオリンピックでした。めでたしめでたし!
本気でアスリートになろうとしていた自分が、今では愛おしいです。まぁ、このMAXから、
すぐ飽きてしまうパターンは、いつもの恒例です。ただし今回は、いまだ少し残ってます。
相変わらず、浅田真央ちゃんは素晴らしいと思う。でも「師匠」と呼ぶのは、やりすぎだし、
そもそもの第一印象で起きた、「もう一人の自分を発見!」という感覚の方が正しかった。
初めて浅田真央ちゃんの演技を観た時、いいようもない衝撃を受けたのですが、なぜか、
似た者同士と感じて、なんていうか、今まで自分が意識してなかった方面への、新鮮な
開花を見たのです。盲点だった。だから師匠というより、同志ですね。同じ匂いを感じる。
アイドルファンが好きなアイドルを調べるように、四柱推命で彼女を調べると、私と同じ
本質である「水のマイナス」だったので、あー、やっぱり、同じ出だなと思った。(やべー)
外面は柔らかくて、あんまり細かいこと気にしないけど、内面は強烈に頑固で、自分の
決めたことに対しては徹底的にこだわるところとか同じだと、勝手に思ってる。(やべー)
これは、あれだな。アイドルファンと、あんま変わんないかもしんない。どっちでもいいや。
ただ今回のオリンピックの彼女の演技は、何度もいうけど、とてつもなく素晴らしかった。
言葉にならないショックだったのに、ムリヤリ言葉にしようとして、間違えましたが、結局、
他人は関係ない。他人と比べてもしょうがない。自分のやりたいことをやりきる!という、
その熱いメッセージを、体全体で、人生全体で表現され、ぶっ飛んでしまったのですね。
それは、どういうことかというと、メダルを期待されていたのに、初日は、大失敗しました。
あれは周囲の期待とか、そういうものを全部、ちゃぶ台をひっくり返し、無に帰すもので、
大舞台に強い彼女が、あんなに崩れたのは初めてでしょう。これがもう、最高なんです。
メダルとか点数とかってのは、他者からの評価ですよ。他者が、あなたに対して偏差値
だとか、点数をつけてきやがるわけです。最終的に決めるのは、他者。それに対しては、
完全に、ゼロの状態にしてしまった。もちろん、本人はショックです。でも、その後が凄い。
もうメダルは関係なく、翌日の演技では、自分のやりたかった事を全部やったわけです。
一言ではいえない、鬼気迫る演技は、本当によかった。そして、彼女は、言うんですよ。
自分に点数つけるとしたら、100点と!彼女は、いつも強気発言ですが、自分の演技
に対してだけは厳しかったのに、あんなに、すがすがしく言えるのは、心底、本心です。
★
それにしても、つくづく、いいメッセージだったなと思う。大失敗と、真の意味での再生。
この陰と陽のセットで、「他者との比較なんか知るかい。自分のやりたいことをやる!」
という強烈なメッセージが表現されたわけです。我々は、子供の頃から、他者によって、
いちいち評価され、その恐怖で自由を失ってきましたが、オリンピックは、その極地です。
世界一を決めよう、とかいって、才能ある人が、とんでもない努力して、それを比較する。
そんな他者圧力の極地で、ちゃぶ台の引っくり返しと、本来の自分の表現が見れたので、
なんてパンクなんだ!なんて斬新なんだ!と興奮してしまった。セカイって、実に面白い。
浅田真央ちゃんは、本気で頑張ろうとしていたのは当然ですが、努力の果ては、もはや、
個人の意志なんて関係ないですもん。すべて天の采配ですよ。人智を越えた、セカイの
仕業。そしてセカイは、いたずら好きなので、個人の意志よりも、面白さを選ぶんですね。
「そう来たか!」っていう、想定外のところを突いてくる。ナンパしてれば、わかるでしょう?
なお、もう気づいてる人も多いと思いますが、我々が、なぜ生まれてきたのか?というと、
別に、悟りを開くための修行でも、カルマの解消でもない。ただ、「個性」を楽しむためで、
どんなに不完全だろうが、性格悪かろうが、弱かろうが、関係ない。だって、個性なんて、
どんなに立派でも不完全なんですから、もうそのまんまで、自己表現していくしかない。
そもそも、欠点も味わうために、今生きてる。だから自分を表現しないことが、唯一の罪。
ダメでけっこう、知りまへん。あたしゃ、やりたいことをやります。このまんまで、いきます。
その力強いメッセージをドカンともらえた、最高のオリンピックでした。めでたしめでたし!
posted by fmtbank at 15:19| カテゴリ無し
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