この度、わたくし事ですが、今後の進路が確定したので、お知らせいたします。
今まで、ずっとナンパ一本で活動し、ブログを書いてきましたが、これから十年、
アートの世界に身を投じ、そこで活躍することを決めました。正直、自信はない。
でもナンパだって最初は自信なんて皆無だったわけですし、全ての物事なんて、
始まりは「自信」からではなく、心の奥底からのウズウズです。理由なんていい、
ただやりたいから、やるだけ。理性が抵抗しようが、気持ちがあるなら向かうこと。
すると必ず、思ってもみなかったような展開が待ち受けている、そんなものです。
しかし人間、それがわかっていても、なかなか全面的に前進できずに、迷います。
私も今回、かなり迷いの時期を繰り返しましたが、ようやく最終決断に到りました。
そういうわけで、私はアートの世界に飛び込むために、このナンパブログ以外に、
他のサイトも始めますが、皆様には、そのURLも、新しい名前も、お伝えしません。
おそらく、見つけることは不可能でしょう。そうして長い年月が過ぎ、すっかり忘れた、
ある時、ふとニュースか何かで、「あれ、これって、もしかして・・。」と突然、あなたは、
かつて、購読していたナンパの音声プログラムの作者と、その人物がつながります。
その瞬間、あなたは「そういうことだったのか!」と、含み笑いをします。この点と点が
結ばれた瞬間を、私はあなたにプレゼントしたい。鳥肌がたつような驚きの瞬間です。
これはボーン三部作の最終作『ボーン・アルティメイタム』のラストで、逃亡中の女が、
食堂で流れてきたニュースで、死んだはずの主人公の死体が上がってこないという、
新事実を知り、最後、そっと含み笑いをするシーンをイメージしています。あれ最高!
私がアートに取り組むのは、他にいろんな事情があると思いきや、ただあなたに対し、
その一瞬を与えたいがためです。そのために最長10年を捧げる。これこそがアート。
まぁ、何でもアートっていえば、アートなんですよ(笑)。だから現代アートは好きです。
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なお、このブログは、まだ続きます。現在、900件の記事がありますが、ちゃんと、
1000件まで更新し、『ナンパ千日解放行』という、一つのパッケージとして残します。
最近、私のアート志向が反映されて、よく分かりにくい内容に向かっておりましたが、
普通に、ナンパノウハウものの内容へと軌道修正します。結局、ブログ引越しにより、
リニューアルしても、読者は変わらず、以前のように、ナンパに悩む方々ばかりです。
どうしても、そういう内向的な人達を、少しでも力づけたいと思ってしまうため、自分の
大好きな「前衛的な狂気」に突っ走ることができず、以前は、ストレスになってました。
これは通じない、これは真面目に受け止められたら可哀そう、とセーブしてたのです。
しかし、今後は、他の場所で、その自己表現は徹底的にやりますから、もう思う存分、
このブログではサポートに徹すことができます。もう迷いはない。あなたが、ナンパで、
ブレイクすること!この一点だけに絞って、ブログを1000件まで、更新していきます。
アスリートのコーチのような立場でサポートを続けて、音声プログラムも完結させます。
確かに、アートの視点から見ると、ナンパなんて、あまりに単純で楽勝な分野ですが、
なかなか成功しないで苦しんでる人に対しては、そんな物言いは、混乱も生むでしょう。
やはり、一番出来ない人を基準に考えなくてはいけません。それこそが私の役割です。
私は長年、多くの人達に助けられてきたというのに、最後の最後になって、流れを切り、
前衛に向かい、ワケわからなくするのは良くないと思いなおしました。現在はタイトルも、
新しい『何も無くとも極めてみるか。』をやめ、『タダでナンパするぞえ!』に戻しました。
これもまた一つの決意表明です。ブログの記事が1000件に達するまでは、ちゃんと、
サポートにも全力を捧げるので、ぜひご活用ください。絶対に結果を出してもらいます。
ナンパが出来ない人を、出来るようにする。これもまた一つのアートだと思ってますし、
これだけは言い切れますが、ナンパの教材で、最も成功者を産んだ確率は、日本一!
これは自慢じゃないんですよ。当たり前のことなんです。誰が、ここまで情熱を注げる?
その確信を最大限まで上げるためにも、悔いを残さないよう、最後までやりきりますよ。
何無派道場の「家元」として、あなたの成功を心より応援いたします。それでは、また!
2014年04月20日
あなたが、ほっこりする瞬間をプレゼントします。
posted by fmtbank at 08:08| カテゴリ無し
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2014年04月17日
フィギュアスケートとナンパの共通点
これまで、ナンパをいろんな分野に例えて、世界観を構築してきた。
やはり自分の好きな他の分野を取り入れることで、やる気も上がる。
特に、ブログ前半の折り返し地点、5年目がすぎてからは、完全に、
自分の趣味に走り出し、エヴァンゲリオンを発端として、禅や修験道、
千日回峰行といった、日本の伝統的な修行世界を取り入れたものだ。
さらに最後は、傑作アニメ『四畳半神話大系』の衝撃から、セカイ系を
しのぐ「家系(いえけい)」という、ヒッキー賛歌の内容になり、どんどん、
内向していった。それこそが私の陰なる本質であり、実に、しっくりきた。
ところが、ソチ五輪の浅田真央を見たことにより、これまた強烈な衝撃
を受けてしまい、新たな扉が開く。高みを目指す彼女の姿は、まぁ美しく、
そんな、究極まで磨き続けるアスリートの世界というものに魅了された。
私はとうとう、開かれた世界にも気持ちが向かい始めて、自分で勝手に、
『何無派五輪』のシンボルまでも作り、五輪に向けて夢中になっている。
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なお、数あるオリンピックの競技の中で、最もナンパと共通しているのは、
フィギュアスケートに違いない。今までノーマークだったが、実に、驚いた。
まず氷上というのがいい。氷上は陸の上と違って不安定で、バランス感覚
を養わなければ、何も始まらない。これはまさに、ナンパしようとしたとたん、
普通の陸の上が不安定になるのと似ている。路上では、精神が揺れ動く・・。
またスケートは加速や方向転換も、主に体重移動で行う。この体重を移動
していく感覚というのが、ナンパにおけるトークを流していく感じにソックリだ。
そして、何といってもジャンプである。スケートでスーッと滑っていって跳ぶ!
あれこそが、近づいていって声をかけるのと同じ。タイミングこそが命であり、
しかも、二回転、三回転と難しいジャンプに挑戦していく様も、ナンパと一緒。
例えるなら、ナンパの第一段階(短い会話)、第二段階(会話延長)、そして、
第三段階(自己アピール)まで、一気に行こうとするのが、三回転ともいえる。
だから初心者は、まず第一段階、シングルジャンプから始めて、慣らしていき、
次第に、自分自身の魅力を出せるようになるトリプルの着地が決まるわけだ。
私は最初から、この声をかけることをジャンプに例えてきた。覚醒プログラム
第01号もジャンプから始まっているし、第12号で、久しぶりに声をかけようと、
全然ダメな中で、「クルックルッと、何回転もしちゃうんだから!」と喚いている。
無意識に出た言葉だが、まさにフィギュアのジャンプのようなことを言ってて、
実際、スケート選手も日にちがあくと跳べなくなるのが怖くて、練習しているし、
スランプにはまると、全然跳べなくなるらしく、もう何から何までナンパと同じだ。
しかもフィギュアは、アスリートとしての競技の部分と、芸術点を競う、アートの
部分が共にある。これも技術だけではなく、いかに自分本来のものを出せるか?
アピールできるか?という、表現者の部分が大事になってきて、完全にナンパ!
最後に点数が出るのを待つ場所のことも、通称「キス&クライ」と呼ばれていて、
これは、成功した時はコーチと抱き合ってキスして喜び、失敗した時は泣くという、
そんなナンパの結果のような意味である。ナンパでは「ディープキス&暗い」か・・。
★
しかし、私が最も共感しているのは、選手達の、それはそれは地味な生活である。
ほとんど毎日、リンクと家の往復で、夜更かしや趣味さえも出来ない。年に10日位、
人前で滑る以外は、ほとんどヒッキーと変わらない生活。スケートは時々観るから、
素晴らしい!と思えるだけで、あれを毎日、観てたら、たまったものじゃないだろう。
なぜなら、ほとんど同じで、そんなにパターンがないから!家元も、シーズン中は、
(音声プログラム『超覚醒アーキテクト!』配信中のこと)時間がなくて、そんなに、
観れなかったが、オフに入って、片っぱしから観たところ、たちまち飽きてしまった。
観てる方でさえ、そうなのだから、やっている方にとっては、毎日、ひたすら同じ事、
繰り返しているだけで、そんな中、自分の限界に挑戦していくには、相当、パワーが、
気持ちの動機が必要なのだろう。だからこそ、成績の波もあり、コーチも必要になる。
確かに、コーチもいるし、一緒に滑る選手達もいて、そんなにヒッキーには見えない。
それでも私から観ると、彼女達(男子も素晴らしいが、家元は女にしか興味ナシ)は、
孤独に見える。ひたすら毎日、狭い氷上で滑って跳んで、コケてを繰り返す生活は、
みんな、子供の頃からやってるから出来ること。普通なら、アホらしくて、イヤになる。
でも、そんなアホな生活こそが、私が、これまでしてきたことと似ており、嬉しくも思い、
浅田真央ほどには、ひたむきではなかったと、愕然ともしたし、もっと孤高を目指して、
全てを賭けてもいいんだと、許された気もした。要するに、フィギュアに救われたのだ。
目標を失っていた自分にとって、アスリートの姿勢は刺激となり、目からウロコだった。
すでに『超覚醒アーキテクト!』も、副題が前の「音波万句集」から「何無派五輪」へ
変更になっているし、私のオリンピックへのカブれぶりは、ま〜だまだ続きそうである。
もちろん、私には何も無い。ただ、その何も無さが最大の武器になるのかもしれない。
絶対的に確信しているのは、今の時代は素人こそが、新しい世界を切り開くということ。
五輪は、究極のアマチュアリズムを極める場でもある。さぁ、何も無くとも極めてみるか。
posted by fmtbank at 07:47| カテゴリ無し
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2014年04月16日
『何無派五輪』マークに新たな色が?
上記の『何無派五輪』マークを見てほしい。一体、何色あるだろうか?
もちろん、五色である。これは、ナンパで男女が仲良くなる五段階を、
五つの輪で表したもので、この「輪」というのも、「和」を意味している。
いわば二人の男女が和んでいき、一つになるまでの過程で、詳しくは、
黒が「土」、青が「水」、赤が「火」、緑が「木」、そして最後は「金」まで、
その時々の状態や、やるべきことを、五行によっても意味づけしている。
そして、この、声をかけて仲良くなる過程に挑む者を、ストリートと呼ぶ。
スポーツに励むアスリートに対して、ストリートはトークに磨きをかける。
彼は目指しているのだ。自分だけの『何無派五輪』にて、最高の結果を!
しかし結果だけに、とらわれてはいけない。すると多くを見落とすだろう。
★
では、もう一度、上の『何無派五輪』マークが何色あるか?見てほしい。
すでに、お気づきだろうが、実は、六色ある。それは背景の「白」である。
この六番目の白には、「無(む)と「夢(む)」という意味があり、いわゆる、
何も無くなった悟りのような状態と、夢が叶う最高潮の状態を表している。
両者は陰と陽で、裏表の関係にあり、これを通称、マークシックスと呼ぶ。
しかし、この六番目の境地は、追い求めることなど出来ない。それは、ただ、
起こる。自分が消えた時、夢中になって、無になった時、突如として起こる。
ひたむきに『何無派五輪』に参加し、繰り返していると、不意に輪廻を外れ、
輪の外に出てしまうのだ。それはあまりにも唐突で、想定を打ち砕かれる・・。
その時、あなたは膝から崩れ落ち、あまりの畏敬に、泣きじゃくることだろう。
そして、セカイは傍らでケタケタと笑う。あぁ、この歓喜なくして、何が人生か。
posted by fmtbank at 12:32| カテゴリ無し
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2014年04月15日
『何無派五輪』マークの五色とは?
体の運動を極めて、オリンピックに出ようとするのが、アスリート。
一方、トークを極めて、『何無派五輪』を目指すのが、ストリートだ。
彼らは、オリンピック選手のように周囲から認められることも、また、
応援されることもない、まったくの孤独である。そんな中で、自らの
信じる道を進み、幾多の迷いをくぐり抜けるのは、至難の業である。
ストリートは、何の後ろ盾もなく、正直いって、アスリートなんかより、
ずっと精神的な負荷は大きく、もっと立派だと思う。独立精神の鏡!
そんなストリート達に対して、『何無派五輪』のマークは、シンプルに、
輪の五色によって、左から右の順に、やるべきことを示してくれている。
これらの五色は、陰陽思想の五行から来ていて、黒が「土」、青が「水」、
赤が「火」、緑が「木」、そして最後の色が「金」となる。多少、色の違いは
あれど、意味あいは同じだ。(詳細は『超覚醒アーキテクト!』にて紹介)
まず「土」というのが、「地」に足をつけて、自分にできる「地」味なことだけ、
何度も繰り返すということ。つまり声かけに当たる。続く「水」は、柔軟性だ。
水が形を変えるように、状況に合わせて、会話に引き込むことで、そうして、
会話が流れてから「火」のごとく、盛り上げていく、自己アピールへと入る。
すると相手の態度が変わり、本音など話し出したりして、今度は「木」となり、
決して慌てず、あたかも芽が出た植物をじっくり育てるような感覚で、会話を
引き出していく。そして最後は、その情報を利用して、必要性を高めて終了。
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以上の五段階がナンパの全てであり、ストリートは皆、最初の「土」から始め、
最後の「金」まで到達するよう、全力を注いでいる。特に、最初の「土」などは、
黒という闇の色で表され、常に最初は、闇の中へと飛ばなくてはならないのだ。
何が起こるかわからない、はたまた、どうせもうダメだろう、という絶望の中でも、
ストリートは、とりあえず飛ぶのである。その結果、五つの輪をすべて通過して、
最後には「金」へと、見事に着地することもあろう。その喜びは、ひとしおである。
この最後の「金」は、錬金術という意味もあり、何も無いところから、自らの行動、
知恵を使い、男と女の性を融合することにより、新たな喜びを創出する、錬金術。
アスリートは他人が金メダルをくれるが、我々は自らが、金メダルを創るのである。
この孤独を超えた自己完結には、孤高の美がある。さぁ何も無くとも極めてみるか。
posted by fmtbank at 12:20| カテゴリ無し
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2014年04月14日
『何無派五輪』マークの意味
これが、何も無いまま、たった独りでも極めようとする者のために、
公募から選ばれた『何無派五輪』のマークである。(応募総数1名)
通常のオリンピックマークとの違いが、おわかりだろうか?まずは、
すぐ気づくのが、本家は下の輪が2つで、上の輪が3つのところを、
『何無派五輪』では、下が3つで上が2つと、真逆になっている部分。
これは、オリンピックが他者と競争してナンバーワンを決めるのなら、
『何無派五輪』は、純粋に自分自身と戦いオンリーワンとなる大会で、
世界を舞台にしたマクロに対して、個人的なミクロという違いからくる。
そもそも、通常の五輪マークの五つの輪は、世界の五大陸を表してる
といわれており、ワールドワイドな交流を意味していた。平和のために、
国同士という、コミュニケーションにおける最大単位での行事でもある。
一方、『何無派五輪』は、コミュニケーションにおける最小単位、つまり、
自分と相手という、1対1での行事であり、しかも男女というデリケートな
関係を通じて、こちらもまた和平を目指し、日々、しのぎを削るのである。
やはり、自分の日常のコミュニケーションをおろそかにして、世界平和は、
考えられない。ゆえに普通のオリンピックと、個人的な『何無派五輪』とは、
マクロとミクロで補いあい、シンボルも、お互いに真逆の構成となっている。
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ちなみに、この『何無派五輪』という、ただ独りで、自分の中の限界に挑戦し、
それを乗り越えていこうとする者達を、アスリートならぬ、「ストリート」と呼ぶ。
もし街中で、オリンピック選手の着ているユニフォームにある「JAPAN」ではなく、
「NANNPA」と書かれ、胸元に『何無派五輪』マークのあるユニフォームを着た、
「ストリート」を見かけたら、そっとしてあげてほしい。彼は独り、戦っているのだ。
傍観者である、あなたに邪魔をする権利はない。それとも、あなたもストリート?
だったら、たった今この瞬間に、立って手を挙げ、宣誓せよ!(自分で自分に!)
posted by fmtbank at 00:30| カテゴリ無し
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