2015年05月01日

いえもとニュース(今年度の計画)

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2015年04月29日

「5次元ナンパ」という、悟りの世界

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人間の基本は「闇」であるということ。それを一生懸命、伝えてきた。

なぜなら「闇」こそが、平和の象徴であり、活力を与えてくれるから。

たとえば、闇の中でのイベント、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」では、
なぜか暗闇にいる時は、お客が皆、仲良くなるのに、一歩外に出て、
お互いが見える状態になると、急に、よそよそしくなってしまうらしい。

お互いの姿が見えると、途端に「個」が意識されて、批判を恐れたり、
距離ができる。しかし、闇の中では、人と人との境界線が曖昧になり、
お互いが溶けあいやすい。「Hの時は電気消してね」も、そういうこと。

ヘタに見えてしまうから、恥ずかしいのだ。それに見えていないならば、
相手がブサイクとか、もとより、自分がブサイクだとか、関係なくなるし、
触覚や嗅覚がメインになるとはいえ、一気に、コンプレックスが消える。


さらにいうなら、体の実体さえも消えたら、どうなるか?体がない状態で、
「てめえ、ぶっ殺すぞ」と、暴力的な奴が近づいてきたとしよう。この時も、
ちっとも怖くない。壊され、殺される肉体がないので、何もされようがない。

つまり、真の「闇」とは、あまりにも安心感に満ちている。何も見えない上、
肉体もないというなら、全てが思うがままで自由、始まりも終わりもない。
これこそが、我々の中心であり、我々の正体といってもいい、意識である。

ところが、パッと目を開けた途端、目の前に空間が広がり、自分の身体が
出現する。それは傷つきやすく、守ってあげなくてはいけない肉体であり、
しかもブサイクだ、年齢がいっている等、コンプレックスまで感じてしまう・・。

そして、「闇」を基盤にして、これを見ると、それがいかに限定されているか、
セカイは限定だらけだと、一瞬でわかるが、同時に、この限定こそが最高で、
肉体を守りながら、世話しながら動かないといけないのが面白く感じるのだ。

ただ、「闇」があるだけなら、そこには安心感しかない。しかし、限定だらけの
肉体と空間を手にした途端、危険がいっぱいのスリル満点な冒険が始まる。





おそらく、君も気づいていることだろう。この世は、限定ゲームだということを。

それも、多様性が生まれるように、うまい具合に作られているため、けっして、
飽きないようになっている。1つの結論に達したと思ったら、また新しい変動が
生まれ、次々と変化していく。絶対に、全てがわかった、という状態にならない。

宇宙は、ドンドン加速して膨張し、いくら追っかけても全容がわからないように、
拡張し続けている。またミクロでも、原子と電子が最小と思いきや、観察する程、
素粒子からニュートリノまで、ドンドン微小な部分が、姿を現して、終わりがない。

量子の世界に到っては、観察者が見ていない状態では、エネルギーでしかない、
「物」でもないものが、観察者が見た途端、「物」として固定され、出現するという、
「だるまさんが転んだ」状態。しかも量子的跳躍というように、理屈さえ超越する。

実は、私がナンパを「何無波」と表記するのは、この量子的な世界を取り入れて、
理論物理学でいう、5次元までをも含ませるためだった。ただ理系が苦手な私は、
リサ・ランドールの入門書でさえ、途中で挫折しているので、より単純化したのだ。


私は、「何無波(ナンパ)」という三文字に、今いる、セカイの構成を含ませてみた。

まず、「何無波(ナンパ)」の「何」の部分が、量子でいう、物体を意味して、「波」が、
エネルギーの状態を意味する。これを一言でいうなら、3次元セカイと5次元セカイ。

今、目の前にある空間、これが3次元の空間で、それとは別に、全ての時間と空間
が同時に存在する、5次元がある。これが物体の「何(か)」と、波動状態の「波」で、
残念ながら、私達から5次元セカイは見えないようになっている。でも、それは当然。

未来に何が起こるかわかると、ネタバレになってしまうので、危険がなくなり、またも、
安心感だけの、ひずみのないセカイになり果てる。だから見えないようにと、暗幕が、
張られていて、こちらからは「闇」としかいいようのないのが、超越した5次元セカイ。

たぶん、向こうから、こちらは丸見え。だからこそ、時折、メッセージみたいなものが、
突然のアイデアや、声なき声で送られてくる。インスピレーションは、5次元から来る。

しかし、それを解釈するのは、私達の思考であり、それはかなり条件づけされていて、
誤解もするし、せっかくの本音からのインスピレーションをスル―してしまったりもする。





私達は、常に、いろいろな事を考えている。ボーッと考え事をしていたら、乗り遅れたり、
階段につまづいたりしたことないだろうか?その時、あなたは思考空間に没入していた。

実は、思考自体が、ひとつの空間である。我々は、目の前の3次元空間とは別に、心に
思考空間が与えられている。これを4次元と呼ぼう。なぜなら、過去の事を思い出せるし、
未来の事も、完璧ではないが想像でき、今いる所でない、別の場所を考えることもできる。

つまり、時間と空間を、自由に行き来できるわけで、まさに4次元。これが実際に、全てを
見渡せるのは5次元だが、その神の視点の5次元と、物理的な3次元との間に挟まれて、
いろいろと考えられる、仮想の余剰空間といってもいいのが、思考空間である、4次元だ。

そして、この4次元では、何を考えてもいい自由が与えられている。ところが、制限を作る
役割である3次元によって、完全に居ついてしまっている人も多い。自分の境遇を重〜く
捉えすぎてしまい、金ナシ、ブサイク、もういい年齢だとか、自ら、重力を強くして動けない。

そうなると、5次元からのヒントや助けも、耳に届かず、さらに居つくことになる。そんな中で、
恋をしたりと、小さなキッカケから、思考空間が変化し(失恋など)、急に自由になったりして、
そうやって私達は、3次元と5次元の狭間の、4次元にて、あれこれ考えて、楽しむのだった。


ただし、思考空間のメインは「無」である。「無」という背景に、雑多な思考が飛び交うだけで、
それぞれの思考に執着しても、道を間違えてしまう。そういう意味で「何無波」の中心は「無」。

この「無」こそが、制限のない4次元空間を表し、両サイドの「何」が3次元、「波」が5次元と、
「何無波」という文字自体が、我々が生きているセカイ全体を意味している。たかがナンパと、
あなどるなかれ。これらの空間把握は、昔から「サトリ」と呼ばれてきた、真理を体現すること。

「何無波(ナンパ)」道とは、男女の和合を通じて悟る、れっきとした伝統的、精神修行なのだ。


なお、以前までは、ナンパを「何無派」と表記していたが、今年から「派」ではなくて「波」とした。

これは、もちろん、これまで述べた通り、5次元を表すためであり、時空間そのものをテーマに、
ナンパを繰り広げていくためにも、いうなら、「5次元ナンパ」へと、進化を目指しているからで、
だからこそ、いったん辞めたブログを再開するだけの甲斐がある。ぜひ難しい事に挑戦したい。

しかし難しく表現するのではなく、できるだけシンプル化したいので、今回のような記事は終了。

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2015年04月27日

ナンパが不安定な人へ(スランプの脱し方)

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「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」という、斬新な常設イベントがある。

お客を、真っ暗闇の部屋に入れ、見えない状態の中で、いろいろと
やらせるという闇のイベント。そこでのナビゲーターは視覚障害者
であり、普段から見えてないので、彼は闇の中で圧倒的に動ける。

光のある外では、視覚障害者は、健常者が助けてあげる存在だが、
一歩、闇の中に入ると、立場が逆転する。今度は健常者が、もはや、
まったく何も出来ない状態になり、彼らを視覚障害者が先導していく。

実は、視覚障害者は、鋭敏な空間把握者である。どこに何があるか、
大抵、頭の中には3次元マップを作っており、また同時に、目の前に、
何か物があったりすると、感覚的に察知でき、聴覚も嗅覚も、鋭敏だ。

こうして、闇の中に生きる者は、普通の人が開いていない感覚を育て、
違う道理でもって、スッと素早く動ける。これは、何かに似てないかな?


そう、ナンパ師である。彼は闇の中をスッと動いて、女と消えていくが、
これが一般の人からしたら、すごい事のように思えてしまう。ところが、
闇の中で慣らして、なんとか動けるようになったという背景を知らない。

そこで自分もナンパをしてみようと思って、やってみるが、これがもう、
簡単なようで、悲惨な結果になる。最初から、ポンと結果が出る者も、
中にはいるのだが、大抵、さらに続けていくと、ボロボロになるだろう。

彼らは、ナンパをナメているのであった。自分が闇の中にいることなど、
思いもしないため、「なんでダメなんだ!」と頭を抱える。例えば、街中
にいるスカウトや、慣れたナンパ師がうまくいってるのを見て、嘆くのだ。

「どうして自分だけ、うまくいかないのか?」そこで、すぐ挫折してしまう。
意外にも、自分は最低レベルなんだとあきらめ、そこから少しずつ始め、
謙虚に積み上げていくダメ人間の方が、ナンパは身につく。それはそう。


彼は、ちゃんと知っている。自分が闇の中にいることを。ならば、そこで、
ジタバタせず、無駄に動いて、いろんな物にぶつかり、痛い目にあったり、
どっちの方向に行けばいいのか迷ったり、そういう余計なことなどしない。

一歩一歩、少しずつ進んでは、自分の手で物にふれ、触覚を使い、歩む。
オドオドと少し進んでは、物のありかを把握していく。で、わかってきたら、
少しずつ動けるようになり、面白くてしょうがなくなるため、彼は挫折しない。

挫折するのは、きまって、自分はそこそこ出来る、と思っている者、または、
過去に結果が出てたのに、年をとるうちに停滞した者などは、過去の栄光
に縛られて、闇の中にいることを認められない。そもそもナンパは闇が基本。

闇の中で目を慣らし、闇の中で動けるように、一つ一つ把握して進んでいく。
それなのに、うまい人のを見て、自分も同様にやろうとして、ボロボロになり、
いっぺんに、幾つものノウハウを試そうとしたりして、全てが中途半端になる。


いいかい、あなたが試せるのは、常に1つだけ。毎回、何か1つだけ意識して、
練習するんだ。そのコツを掴んだら、また新たに1つ変えてみる。それだけで、
絶対に、挫折しない。ジワジワと地に足を着けた面白みを、自ら見つけられる。

しかも、この地道な過程で得たものは、失われないし、奪われない。ところが、
よくわからないが、たまたま成功したとか、ただノリだけで続けてると、ある時、
恐ろしいスランプに陥る。そこで初めて、自分が最初から闇の中にいたと知る。

NAPAの音声プログラムが毎回、少しずつなのは、せいぜい1つか2つだけを
意識して稽古してほしい、という強いあらわれであり、それこそ遠回りに見えて、
最終的に、最短距離になるのだ。あなたは闇の中での動き方を学ぶのだから。

闇の中で動くのは、何があるのか、何が起こるのか、おっかない。だからこそ、
うまいナンパ師に「こうして、こうやるだけ」と言われても、それは真っ暗闇の中、
「前にテーブルがあって、左斜めにタンスがある」と、言われるのと一緒である。

そんなこと言われても、実際に、闇の中を動いてみると、思いっきり、タンスの角
に足の指をぶつけてしまい、その後、怖くて動けなくなるのだった。ゆえに全てを
自分の触覚、感覚で、一つ一つ手に触れて、確かめながら進まないといけない。

それが最も安全で、最も面白く、最も速く、結果が出る。どうか、焦らないように!

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2015年04月25日

なぜ「悩み」が消えてしまうのか?

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銀河の中心が巨大なブラックホールのように、人間の中心は「闇」である。

結局、僕らは、いくらナンパが上達しようが、この中心に、何度も戻される。

それは期待が裏切られた時に、よく起こる。失恋なんかしたら最高で、一見、
落ち込んで最悪に思えて、実際は、君を中心に戻そうとする、宇宙の働きで、
それまで過剰に外側に向かっていたものを、再度、内側へと戻す自然制御だ。

そのことによって、君はバランスのとれた通常の状態に戻れるのだが、怖くて
執拗に逃げ続ける。そこに失敗も悲劇もない。これは宇宙からの恩恵なのだ。


もし君が、自分の中で、見ないようにしている部分があるなら、宇宙はそこを
突いてくる。最適な女性という「使徒」を送りこんで、君の歪んだ幻想を破壊し、
コンプレックスを見せようとする。それは、まるで「闇」に見えて、君は恐れる。

しかし、本当の本当は、その「闇」を思いきって見ることで、全ては解消される。

以前、私も失恋した時、一瞬で悩みが消えた時があった。これも「闇」への没入
によって、もたらされた恩恵であり、「闇」こそが、すべてを生み出す大元だった。

「闇」は、私達をゼロにリセットして、救うだけではない、インスピレーションの源。


素晴らしいアイデアや、理由はないけれど、ふとやってみようと思う気持ちなど、
みな、この「闇」からやってくる。そこに「光」があると、それらの恩恵が見えない。
せっかくの「闇」が、過剰な期待や、慰めという「光」に邪魔され、隠されてしまう。

ナンパ師は、それに気づき、「光」に騙されてる家畜の群れから、そっと離れる。
彼らは「闇」に慣れ、「闇」を中心として、生きる。そうしないと、自滅するからだ。
そうでもなきゃ、ナンパなんて続けられない。環境が人を、基本姿勢を、つくる。

周囲の目を気にしすぎて、中心から逸れたり、無駄な期待で心身を重くしない。

まるで銀河が回転するかのように、ナンパ師は今日も、「闇」と共にスピンする。

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2015年04月23日

セカイ反転の予言

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銀河が、ブラックホールを中心に回転しているように、
ナンパも、第一段階という、「闇」を中心に、回転する。

それは、ただ、10人に声をかけること。それで中心を
捉えることであり、それ以上でも、それ以下でもない。
結果がどうだ?という問題ではなく、ただの無でいい。

ここ「NAPA(ナンパ航空宇宙局)」の表記も、中心の
「N」が闇を意味し、見えないようになっており、まさに、
銀河の中心、ブラックホールとは相似形をなしている。

結局、ナンパも宇宙の縮図でしかない。さらにいうなら、
ブラックホールが謎に満ちているように、ナンパ自体も、
謎が多い。それは、たんなる男女の統合以上のものだ。


その謎の一つに、声をかける、中心軸を作るためだけの、
単純作業にすぎない、最初の第一段階が、実は最後に、
第六段階として、新たな扉を開くことになる珍現象である。

そもそも「NA(N)PA」の表記は、中心の隠された「N」が、
第一段階を意味し、残りのアルファベットにも、それぞれ、
五段階までが当てはめられて、ナンパ五輪を表していた。

しかし、これがスピンすることによって裏返り、最終的には、
中心の「N」のみが表記され、両サイドの「NAPA」の文字
が消える。つまり、セカイが反転するといった、仮説がある。

それが「新ごりんの書」による、「セカイ反転の予言」だが、
これは後々、説明していこう。まだ始まったばかりだからね。

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2015年04月21日

銀河とナンパ師の相似性

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銀河の中心には、巨大なブラックホール(ガルガンチュア)がある。

これが銀河にとって、大切な役割を担っているのを知っているかな?

ブラックホールは、強大な重力により、光さえも抜け出せなくなった、
時空領域であり、いわゆる、「闇」の極地といっていい。しかし、この
「闇」こそが銀河の中心軸となり、銀河を回転せしめているのだった。

実は、惑星が自転・公転するだけではなく、銀河全体も回転している。


同じ様に、ナンパも「闇」を中心に始動することで、ムリなく開始でき、
回転(スピン)が起こってくる。だから第一段階は中心を作るために、
「闇」が必要なのだ。「闇」とは変化がない固定点、安定を意味する。

いろいろ工夫するとか、変化を生むものは、固定点にならないので、
まず思考は役に立たない。思考ほど、変化ばかりして、落ち着きの
ないものはないので、僕らは思考を無視して、一定の固定点を作る。

それが、ただ10人に声かけるという、極端な一点である。台詞など、
全部同じでも構わない。とにかく、声かけるだけが重要な、第一段階。

これがナンパで最も難しい。中心を掴むことは、闇に入ることだから。





道聞きだろうが、人違いだろうが、何でもいい。ただ10人に声かける。

この難しさは、並大抵のものではない。まず思考が、こんなの無意味、
一体、これが報われる時が来るのか?など、しょうもないことを考える。
その時点で、君は中心から、ズレてしまっている。闇から逃げ出してる。

いいかい、一切、報われてはいけないんだ。「闇」は「無」なんだ。もはや、
今日は調子がいい、とか、今日は調子悪いとか、そんな気分も無関係で、
ただひたすら純粋に、10人声かけるか否か?だけが問題で、後は無視。


それが「闇」に、とどまるという事で、昔から「修行」と呼ばれてきた、例の、
中心作りである。ただ、行く、というやつ。昔の日本は、師匠から学ぶ前に、
意味のない雑用をひたすら、やらされた。薪割りや掃除などを、延々と・・。

そうして、教わることを忘れた時、「闇」の中に留まり、中心ができてから、
師匠は突然、教え始めた。ナンパの第一段階とは、この伝統そのものだ。

なので、君は最初、とにかく結果がどうとか気にせず、中心を作るために、
「闇」の中に飛び込む覚悟で、淡々と続けなくてはいけない。そうするうち、
君は内部に、何が起ころうが動かない、静まりかえった、中心を発見する。

これが、新たな空間としかいえない、不思議な安定をもたらす「闇」なのだ。

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2015年04月19日

「闇(やみ)」に生きるということ。


ナンパの極意は何か?漢字一文字で表すなら?というクイズの答え。

もちろん、「無」と思った人が、ほとんどだっただろう。今回は変化球で、
「闇」を答えにしたが、意味は同じでも、こちらの方が、より、しっくりくる。

漆黒の闇というのは、何もない。形も境界線もなくて、これは、ある種の
「死」といってもいいのだが、安定しているため、不思議な安心感もある。


実は、この世で最も安定しているのが「闇」だった。それを知り、改めて、
「闇」の素晴らしさに気づいたとき、私は「やるな〜!」と、狂喜狂乱した。

なぜなら、それは、すでにあった。いつも、当たり前のように、今、あった。

セカイは、最大の宝を、一番見つかりにくいところに、隠していたのである。





世間の人々は、この「闇」と、ほとんど向き合わない。かろうじて、眠る時に、
無意識に入る前段階として、おしきせに目を瞑るだけで、日常生活などは、
この「闇」を、むしろ、追いやっている。価値を感じず、避けているのである。

みな、独りきりにならない。とりあえず、誰かと群れたがるし、一人でいても、
すぐTVやネットに逃げる。スマホを手にして「闇」から逃げる。これらの画面
は点滅する光だ。そして、ほとんどは、ただの時間つぶしでしかない、慰めだ。

彼らの心が不安定になるのも、仕方がない。気が短くなるのも、ムリはない・・。

光の点滅である、無駄な情報群に、大量に、ふれているから、脳も休まらず、
興味がすぐ移ろっていく、あのスピードに慣れてしまう。彼らは「退屈」を嫌う。
もっと面白いものはないかと、貧欲に情報を探すが、逆に「退屈」そのものだ。


ネットで他者を批判ばかりしている者や、正義顔で、炎上に加担する者などは、
あたかも、狭いケージに入れられ、欲求不満で、落ち着きなく、周囲を攻撃し、
自他を傷だらけにしている、哀れな「家畜」そのもの。彼らこそ、闇を生きる者。

なぜか、闇から逃げる者は、闇の中に生きることになる。しかし意識的に自ら、
闇を探究して、闇の中に独り、身をおく者は、歓喜に満ちた、光の中に生きる。

これがセカイのパラドックス。そして、闇の強さを知っているのが、ナンパ師だ。





全ての「光」は不安定である。ゆえに、光を元に生きる者は、皆、不安定なのだ。

しかし家畜どもは、それに気づかない。マトリックスに騙され、その場限りの慰め、
虚飾された「きぼう」をエサに与えられることで、なんとか生きながらえてる始末で、
彼らは、「闇」なんか、見向きもしない。独りになんかなりたくない。独立など面倒。

要するに、「闇」は、何の役にも立たないものとされ、世間から見捨てられている。

我々は、こういう世間から軽んじられ、無視されているものを活用する。なぜなら、
それはタダで、今ここにあるから。そして、現実的に、めちゃくちゃパワフルだから。


「闇」にこそ、全てがある。これを基盤にした者が、光へ逃げようとしている者など
に負けるわけがない。あたかも、視覚障害者が、停電でも普段通り、スイスイ動く
ように、我々も、日常の空間でスイスイ動き、声かけて、相手の心理を操作できる。

なぜなら彼ら、彼女らは、闇の中に慣れていない。闇を制す者が、セカイを制すと、
知らない。想像さえしない。だから我々は、勝つのである。みな、闇の中にいるのに、
幻想に目がくらみ、不安定な光を目で追って、同じ場所でウロウロしているばかり。

闇の中にいる私達からは、彼ら、彼女らの動きは、つつ抜けである。ゆえに、まず、
「何無波(ナンパ)師」としての第一条件は、闇に慣れよ、ということ。我々はニセの
「きぼう」の光に騙されず、闇に通じなくてはいけない。これが空間把握の極意だ。

なにしろ、闇には、多いなる安心と無限の可能性、そして真の強さがあるのだから。

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