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【社会】

まど・みちおさん 後悔の3編 「戦争協力詩」全集に収録

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 童謡「ぞうさん」などで知られ、二〇一四年に百四歳で死去した詩人まど・みちおさんの「続 まど・みちお全詩集」(理論社)が刊行された。一九九二年出版の「全詩集」の続編。太平洋戦争中、高揚する意識などをつづった「戦争協力詩」三編も収録し、「過去」と正面から向き合おうとした、まどさんらの遺志を受け継いでいる。

 責任編集者だった故伊藤英治さんから今回の続編を引き継いだ市河紀子さんは「まどさんは、小さな生命一つ一つを見つめた詩人。戦争協力詩が投げ掛ける問いは重い」としている。

 続編に収めたのは約七百二十編で「全詩集」の約千二百編と併せ、約八十年に及ぶ作品の全集が完結した。万物に優しい目を向け、みずみずしくユーモラスな表現が愛された詩人だが、高齢のため外出の機会が減って以降はテレビニュースなども題材にした。働いても報われない人々に思いを寄せた「ワーキング・プア」や、力士の引退を取り上げた「今朝のニュース」など晩年の日常を伝える作品も見られる。

 まどさんの作品を語る上で無視できないのが、本人が生涯悔やんだ戦争協力詩の存在だ。

 「全詩集」にも戦時中に書かれた二編が掲載され、まどさんはあとがきの大半を、協力詩を書いたことへのざんげとおわびに費やした。

 協力詩をめぐっては、信頼する編集者の伊藤さんが国内でくまなく資料を当たり、この二編以外は存在しないと長く考えられていた。だが中国文学研究者が二〇一〇年、台湾で新たな協力詩を確認したと公表した。

 続編に盛り込まれた三編は、四二年に書いた「たたかいの春を迎えて」「てのひら頌歌(しょうか)」「妻」。

「続まど・みちお全詩集」(左)と「全詩集」

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 伊藤さんは、三編を含めた続編の編集を急ごうとした矢先の一〇年末、がんで死去。協力詩の新たな発見には「まどさんの思いを痛いほど知っていただけに、ずいぶんショックを受けていた」と妻小百合さん(69)は振り返る。まどさんが傷つくことを心配してか、伊藤さんの病床には「まどさんを励ます会」と記したメモが残され、これが絶筆となった。

 だが、まどさんの長男石田京(たかし)さん(75)によると、本人は単に悲嘆するのではなく、見つけてもらって「ありがたい」と語っていたという。

 詩人ねじめ正一さんは「自らが戦争に流されてしまったことについて、まどさんほど誠実に向き合った作家はいないと思う。残されたたくさんの素晴らしい詩を読みながら、あらためて戦後七十年を考えてみたい」と話している。

◆自己批判 特筆に値

<植民地文化学会代表の西田勝さんの話> 戦争協力をした文筆家は多いが、戦後、きちんと総括した人は少ない。戦中の記述を戦後、ひそかに削除、改ざんする人もいて、知識人といわれる人ほど自己批判が難しい面があるようだ。まど・みちおさんのような人は珍しく、特筆すべき事例だと思う。

    ◇

 「この戦争は 石に噛りついても勝たねばならないのだよ」 

◆応召前年の高揚感

 「続 まど・みちお全詩集」に収録された三編の「戦争協力詩」はいずれも、まどさんが応召する前年の一九四二年に書かれた。当時の高揚する気分が短い言葉でつづられている。

 「たたかいの春を迎えて」は、旧日本軍を力強く走る汽車になぞらえ「忠勇や 義烈たちの あたたかな音楽もひびくであろう」と兵隊を鼓舞。「てのひら頌歌」では「ちかって 至尊(しそん)へ あわせたてまつる」と、皇居の方角に向けてかしわ手を打つ際に湧き上がる感情の高まりを表現した。

 「妻」では「この戦争は 石に噛(かじ)りついても勝たねばならないのだよ」と、妻に語り掛ける様子を描いている。

<まど・みちおさん> (1909〜2014年)詩人。山口県生まれ。台湾総督府勤務の34年、児童雑誌に投稿した詩が入選したのを機に童謡の作詞を始める。94年、国際アンデルセン賞作家賞を日本人として初めて受けた。代表作に「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」など。

 

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