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mixi時代を経てなぜ我々はブログを書かなくなったのか

ブックマーク数やアクセス数のことなんて考えず、ただひたすら書きたいことを書いていたあの頃。読者はマイミクだけだったけれど、毎日ブログを書くことが楽しくて仕方がなかった。それが今では書きたい記事も「AdSenseがー、ホッテントリがーーー」なんて言うこともしばしば。だから更新頻度も下がる。

mixi時代を振り返って

そもそもブログとは自分の考えを文章で発信することだったはず。少なくとも、他のサイトから意見や写真をたくさん引用したまとめ記事や他人のブログ記事に言及した内容を書くことではなかった。自分の意見や気づきを文章にしているから、読んでいて面白い。推敲もろくにされておらず、勢いだけで書かれたクソみたいな文章はそれだけで面白かった。あの頃こそインターネットがそこにあった。

書けることが無いというのはウソ

毎日書きたいことを見つけるってのは、ホントに大変なことだ。朝起きて電車に揺られパソコンのモニタに向き合い夜遅く帰宅してメシ食ってフロ入って・・・という日が続いたりするとホントに書くことがなくなるが本当だろうか?年間数万ツイートしている君達に書けないことなんて無いはずだ。

「俺はおまえの考えが読みたいし、お前は俺の考えを読んで言及する」自由に何かを言い合えるというそういうインターネットに憧れを持っていたし、それが正義だった。いつしかインターネットの民は有名ツイッタラーの発言だけに耳を傾け、消耗してない人の天竺をありがたく読むようになった。

匿名性がブログを殺す日

そもそも脳味噌にドシャドシャと汗をかきながら文章を書くことよりも、他人の発言に言及して乗っかったほうがリスクはゼロだし数百万倍も楽、しかも誰も傷つけない。そういうシステムとしてはツイッターやフェイスブックはとても特化している、変なレッテルを貼られる心配もない。記事への同意を送るにはふぁぼやいいね!で十分。なんと軽いことか。そりゃ毎日クソリプに怯え自ら危険を踏んでブログ書く人も居なくなりますわな。

ブログを書くことは義務ではないが、今のインターネットを見ていても自らの体験をアウトプットするユーザは本当に稀になってきたと感じられる。プライベートを秘匿し、他人のコンテンツに寄り縋り、それでいて他人の尖った発言には食って掛かる。ああ言えばこう言う。それでもって口八丁。ズルくないですかそういうの。私はそういう人達とお付き合いする気は無いですけどね。少なくとも私はセックス中にウンコ漏らして別れた話とかいつか書きたいと思ってるんですけど。