ジョン・メイナード・ケインズという人の全貌はいまだ十分に明らかではありません。というより、時代ごとに新たな相貌を見せ、ある時忘れ去られたと思ったらまた思わぬ時に復活していた、ということを繰り返すというのはただ事ではない。そういう思想家はたまにいますが、ほんのこの百年ほどでこれほどの振幅を見せる例はそうはないでしょう。彼は同時代の固有の問題に懸命に取り組んでいたはずが、その問題があまりに根深いものであったため、他の時代にもまた何度もアクチュアルな問題として浮上し、そのたびに何度も新たな角度から読み返されるのです。もちろんそうした読み直しに際しては、それとは別にケインズ自身の時代についての、その間蓄積されてきた歴史学的知見による修正もかけられますから、どんどん複雑で陰影に富んできます。
まずは最近の著作(野口旭『世界は危機を克服する ケインズ主義2.0』東洋経済新報社、ピーター・テミン&デイヴィッド・ヴァインズ『リーダーなき経済』日本経済新聞出版社、『学び直しケインズ経済学』一灯舎、等)を参考にしながら、ケインズの現在形についてお話ししましょう。
一昔前の教科書的なイメージで言いますと、ケインズ経済学というのは主流派の新古典派の経済学に対して、市場の調整能力が不完全である、と指摘し、その結果不況、失業が起きてしまうため、それへの政府の介入による政策的対応の必要性を訴える立場だ、ということになります。それに対して70年代以降、それこそいわゆる「新自由主義」から「いわゆるケインズ政策、政府介入による不況対策はインフレーションと財政赤字という重大な副作用を生む」との批判が盛んになり、ケインズ経済学の影響力が減じてしまった、という整理が一般的になっています。もう少し突っ込むと、ケインズ経済学による「市場が不完全である――実際には価格はそれほどスムーズに変化して取引を調整しないし、取引に関する情報もなかなか伝わらない――」という主張も、それほど十分な根拠があったわけではない、という批判も強くなりました。ケインズ経済学への支持の根拠はしっかりした理論より、「市場がそんなにうまくはたらくわけがない」という感覚に由来するものが多かった――こんな雰囲気が80年代以降の初級・中級の経済学教科書、あるいは一般向け経済書やビジネス書の世界にはありました。
ところが皆さんもご存じのとおり、そのような雰囲気は2008年頃、つまりはリーマン・ショックの頃から急速に変わってきて、いまや「ケインズ復興」とでも呼びたくなるような状況です。しかしながらそれはかつてのケインズ像の単なる回帰、そしてここ30年ほどのケインズ批判がひっくり返された、ということを必ずしも意味しないのが面白いところです。今現在盛んに議論されている「ケインズ経済学」は、一面ではここ30年ほどの「新自由主義」からの古いケインズ批判を踏まえたものであると同時に、ケインズ自身の時代、前世紀の二つの世界大戦と大恐慌の時代についての歴史認識の深まりを反映したものでもあるのです。
第一に、新しいケインズ像においては、「市場の不完全性」論よりも、経済における貨幣の重要性が強調されます。「市場がどの程度完全かあるいは不完全か」、というような議論よりも、「どのような時に市場はスムーズに取引を調整し、どのような時に不調となるのか」の方が重要なポイントとなり、その際に「経済の中に十分な流動性、つまりは貨幣が供給されているかどうか」が肝心なのだ、というのがケインズの有名な『雇用、利子、および貨幣の一般理論』の眼目だ、と論じるのがノーベル経済学賞を取ったポール・クルーグマンで、彼が『一般理論』の新版に寄せた序文は、日本語版では講談社学術文庫版(山形浩生訳)に収録されています。
第二に、ケインズにおいてはこの経済における貨幣の問題が、国際経済体制と不可分の問題として論じられている、というのが、新しいケインズ像の今一つのポイントです。いわゆるケインズ政策はその一環として、いわゆる管理通貨政策、つまり一国の経済の中で使われる通貨が、その国の政府によって最終的にはコントロールされる発券銀行=中央銀行の発行する銀行券であるような体制の確立を必須とします。これを歴史的な文脈の中において見ると、管理通貨体制の確立が巨大な変革であり、それ以前の貨幣システムはそういうものではなかった、ということです。では問題の「それ以前の貨幣システム」とは何か? これがいわゆる金本位制です。
金本位制とはまず一国レベルで見るならば、国内で用いられる通貨がさしあたり中央銀行の発行する銀行券だとしても、その銀行券の価値が貴金属、具体的には金で裏打ちされている――ある法的に決まったレートで、銀行券と金が自由に交換可能である――という仕組みです。しかしこれだけではことの一面にすぎません。問題はその国際的側面です。このように、一国レベルで金本位制をとる国々が集まって国際的な取引を行う際には、実質的には金が共通の国際通貨として機能します。実際には各国は外国為替市場で、自国通貨と他国通貨を必要に応じて取引しているのですが、それぞれの国の通貨がそれぞれのレートで金にリンクしている限り、この外国為替市場における取引は、短期的に、かつ一定の範囲内でしか変動せず、長期的には金本位制をとる国々の間の為替レート、各国の通貨間の交換比率は、各国の通貨の金との交換レートに収斂していくのです。
ですから金本位制とは、国際経済の観点から言うと各国間の通貨の交換レートが変わらない固定相場制であり、他方で国内経済の面では、その国の国内にある金の量に国内の貨幣供給量が制約される仕組みでもあります。つまるところ国内の物価が固定的に安定し、かつ国際的にも為替レートが安定する仕組みです。それに対して管理通貨体制の場合には事情がかなり変化します。つまり、やろうと思えば管理通貨制のもとでは、国内の貨幣供給量を変化させ、物価も操作することができますし、同時に為替レートを(相手がいることですから一方的にとはいきませんが)変化させることもできます。
ケインズ政策の一方の柱――というより、第一の柱(この問題にはいずれまた触れます)であるところの管理通貨制は、実は最初から国際経済のコンテクストの中において見ないと、その意味がよくわからないものなのです。更に言うと、これはケインズ自身の生涯、彼が苦闘した歴史的現実の展開に即してみても、言えることなのです。ケインズが論客として、経済学者として名をはせたのは『一般理論』からではありません。むしろ第一次世界大戦の戦後処理を論じ、ドイツに対する過大な戦後賠償を厳しく批判した『平和の経済的帰結』からと言ってよいでしょう。後にケインズ批判の急先鋒として、「新自由主義」の代表者として名をはせることになるオーストリア人フリードリヒ・ハイエクも、この本を読んで深い感銘を受け、熱烈なケインズのファンとなってのです。
ケインズの仕事を、1929年の世界恐慌に引き続いた大不況とその克服という観点からのみ見てはいけません。のちに「ケインズ政策」と呼ばれるような機動的政策に各国がなかなか移れなかったのは、実は「金本位幻想」とも言うべき国際経済秩序観から、各国の政策担当者がなかなか脱却できなかったからです。第一次大戦という緊急時において、戦争財政を組んだ各国は、機動的な財政金融政策をとるために金本位制をやめていましたが、あくまでそれは一時的な措置としてのみ想定されていて、平時に戻れば復帰する予定でした。そして実際に日本を含めて少なからぬ国が、主として通貨の国際価値を安定させる目的で、金本位制ないし修正金本位制に復帰していったのです。そして30年代、世界不況から比較的早めに脱出した国は、金本位制に早めに見切りをつけた国である、と後の研究では言われています。つまり金本位制とは、世界不況そのものの原因ではなくとも、それへの対応を後れさせ、不況を長引かせた原因ではある、と言うのです。
むしろ近年の研究は、世界恐慌、そしてそのきっかけとなったアメリカ株式市場の大暴落そのものよりも、その後の政策的対応、更にはその背後にある制度や思想の枠組みそのものをこそ、長期不況の原因とみなす傾向さえあるようです。より正確に言うならば、バブル崩壊としての株式や土地の暴落、恐慌というのはある種突発事故として、多分に偶然に起きる時は起きる。問題は、それのダメージがどの程度長引くか、回復はどれくらい早いか、であって、そのあたりは事後的な対策、各国による政策対応が問題となる。そう考えるならば世界大不況の「原因」は株式市場の崩落それ自体ではなく、むしろその後の政策対応の方だ、ということになりかねません。われわれにとってはハイエクと並んでまさに「新自由主義」の権化、反ケインズ主義の急先鋒として記憶されるミルトン・フリードマンの大恐慌研究はそのように読めます。フリードマンらによれば、大恐慌直後のアメリカの金融政策が後手に回り、貨幣供給が不十分だったことが、その後の長期不況の根本因だ、ということになります(フリードマン&アンナ・シュウォーツ『大収縮1929-1933「米国金融史」第7章』日経BP社)。しかしながらフリードマン的見解を批判する、親ケインズ派の経済史家として知られるピーター・テミンの諸説も、実は政策重視の議論なのです。つまりフリードマンがアメリカの金融当局、連邦準備銀行の対応に注目するのに対して、もっと視野を広く取り、個々の政策よりもそれを統合する政策思想、現代的な言葉でいうと「レジームregime」に注目しよう、というものです。
そのような観点からケインズを見直すと、そこには思想と時代が切り結ぶ非常にダイナミックな有様が見えてきます。
(第3回・了)
この連載は月1更新でお届けします。
次回2015年12月22日(火)掲載