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 「坂の町」広島県尾道市は、「映画の町」とも呼ばれる。地元出身の大林宣彦監督の「転校生」や、小津安二郎監督(1903~63)の名作「東京物語」が、尾道で撮影されたためだ。

 1953年公開の「東京物語」は、尾道に暮らす老夫婦の周吉、とみが東京に出た息子と娘を訪ねる話だ。だが医師の長男、美容師の長女は仕事が忙しく、両親の相手をするのは戦争で亡くなった次男の嫁だった。

 尾道ロケでは、東京から戻ってまもなくとみが亡くなり、葬儀の朝のシーンを撮った。寺の境内で、周吉(笠智衆〈りゅうちしゅう〉)が日の出を眺めている。心配して迎えに来た次男の嫁(原節子)が、並んで朝日を見る。

 JR尾道駅から中心街を抜けて東へ約2キロ、ロケ地の浄土寺を訪れた。笠と原のシーンにあった石灯籠(いしどうろう)が今も残っている。

 この映画は、経済成長がはじまった日本で、薄れていく家族の絆が主要なテーマとなっている。一方で、夫を戦争で亡くした妻を描くことで、戦争の影を宿した作品でもある。

 小津は2度、戦地に行った。最初は兵士として中国戦線へ。次は軍の要請で映画を撮りにシンガポールへ赴いた。だが、映画を撮らずに終戦を迎えた。

 戦後の小津映画には戦闘場面はない。だが、戦災孤児や復員兵など戦争の影は描き続けた。

 尾道を訪ねる前に、兵庫県明石市在住の映画評論家、伊良子序(いらこはじめ)さん(66)に、その理由を問うてみた。「戦場での悲惨な状況を、映画で伝えるのは無理だと考えていたと思います」

 小津は中国戦線で毒ガス部隊に所属していたと、研究者は指摘している。部隊は何をしたのか、小津は語っていない。

 「『東京物語』に、次男の遺影が出てきますが、小津も次男です。あの遺影は、戦後の家族と社会を見守る小津だと考えられないでしょうか」

 再び尾道駅前に戻った。近くにシネマ尾道という映画館がある。ここでは年1回、「東京物語」を上映している。昨年は中学生が宣伝用ポスターを作った。「子供たちも、家族の絆の大切さを読み取ってますね」と河本清順(せいじゅん)支配人(38)は話す。

 ポスターを見ながら、浄土寺の場面を思い起こした。伴侶と死別した2人が朝日の中でたたずむ。これは死者たちの思いを受け継いだ2人が新たな再生を図る物語ではないか。戦場の惨状を見た小津の、戦後とも重なるように思えた。