堀込泰三 - こころ,モチベーション,仕事術,健康,働き方,生産性向上,睡眠 09:00 PM
11カ月間旅をしながら働いてわかった、生産性の本質
MakeUseOf:昨年、11カ月にわたり旅をしながら働いた結果、生産性を高める方法をそれなりに学ぶことができました。でも、もっと多くを学んだのが、生産性そのものの本質です。
ここ数年、私の人生において、旅が大きな意義を持つようになりました。そのため、旅をしながら稼ぐ、持続可能な方法を考えることに時間を費やしています(私はブロガーではありません)。
11カ月の旅に出る前、すべてはうまく行っていました。たくさんのクライアントがいて、他者からはパラダイスと思われるような場所にも旅行していました。でも、その状況に満足はできませんでした。フルタイムで働くことで銀行口座は満たされても、たくさんの経験を逃してしまうと考えていたのです。
生産性に関して
起きている時間のすべてを生産性の追求に費やしていては、大切なことを失います。代わりに、疲労感、不安、恐怖が残るだけ。
決して、生産性が悪いわけではありません。生産性そのものは、完全にニュートラル(後述します)。それよりも、常に何かに取り組むことの必要性や欲求が過剰評価されていることが問題なのです。
そして、皮肉にも、そう考えることは生産的ではありません。
旅の最初の5カ月は、そんな日々でした。まるで、仕事を終わらせるためにコーヒーを飲み過ぎて、途中で気持ち悪くなってしまうような状況だったのです。そんなバカなことを、繰り返してはいけません。
それ以降、生産性に対する認識が変わりました。ヘンリー・ソローの名言に、私の気持ちを代弁してもらいましょう。
忙しいだけなら不十分だ。それならアリでもできる。問題なのは、何で忙しいかだ。
真の静寂は金
騒音による悪影響よりも面白いのが、静寂による好影響です。社会評論家のウィル・ロジャースは「口を閉ざすチャンスを逃すな」と言っています。私はそれをもう一歩進めてこう言いたい。「世界の口を閉ざすチャンスを逃すな」と。
町の絶え間ない騒音に耳を澄ませてください。モーターの唸り声、群衆の金切り声、これらの不快な音に抑圧されて、私たちが何とかつなぎとめているわずかな静けさが奪われてしまいます。古いコンピューターの雑音や、同僚が出す騒音も同じです。私の場合、フィリピンの車が鳴らすクラクションがそれでした。そのような騒音がエネルギーを奪い、脱力感だけが残るのです。
カーレド・ホッセイニ著の小説『君のためなら千回でも』で、主人公のアミールがこう言っています。
静けさとは、平和だ。平穏だ。静けさは、人生のボリュームを下げる。静寂は、オフボタンを押してくれる。電源を落としてくれんだ。すべてのことの。
そのオフボタンを押して訪れる本当の静寂こそが、常にノイズにさらされている人々にとって、最高の「サウンド」と言えるでしょう。
静寂を見つける場所はどこでも構いません。近所の山の頂上でも、夜明け前の散歩でも。でも、常に騒音(心の騒音も含む)のない場所を見つける努力は大切です。仏教を学ぶと、その重要性がさらにわかるようになるでしょう。フリーの瞑想アプリもオススメです。
そのため、静寂はクラスを分けるための商品になりました。何百ドルもするノイズキャンセリングヘッドホンが売られているのには、理由があるのです。こぎれいな客がお金を払って空港のラウンジを訪れるのには、理由があるのです。静寂には、良質な睡眠と同じぐらい、回復と精神安定の効果があります。静寂に高い値段が付くのはそのためです。
真に少なきことは豊かなこと
ヘンリー・ソローがジャーナルに記したこの言葉は、生産性の本質をうまく表しています(ジャーナリング自体が生産性を高める習慣です)。
本当に効率的な労働者は、1日を仕事で埋めたりしない。気楽さとレジャーの大きな後光に包まれて、タスクにゆっくりと立ち向かうだろう。
ソローは、目標や欲求に向けてがんばるという従来の生産性のアイデアを理解していました。ハードに働くほど、それらを早く実現できることも。それでも彼はこう言ったのです。「めんどりがずっと卵を温めなければならない理由は何か? それは、1つの卵しか産めないからだ」
めんどりにとって生産的な日とは、その1つの卵を産む、のんびりした1日を指します。彼女は、自分の欲求を満たすために必要なすべてを生み出したのです(お腹は満たされているとする)。
もし私たちが自分の欲求をコントロールできるなら、「生産的」な日を達成できる可能性は劇的に向上します。
毎日のニュースを読むことは、そんなに役に立つのでしょうか? メールに即答することで、何かがうまくいくようになるのでしょうか? 1日の中からあと1時間絞り出して働く必要などあるのでしょうか? 週90時間労働で10万ドル稼ぐことで、私たちは幸せになれるのでしょうか?
基本的な例として、1日に10個の目標と欲求しか前に進められないと仮定しましょう。100個の目標と欲求を持っていると、24時間につき10%しか進められません。でも、それを重要な20個に減らせば、相対的な生産性は50%に高まります。つまり、少ない労働時間で、それほど多くのお金を稼ぐ必要もなく、「目指す場所」により早く近づくことができるのです。
私はこのことを、多くの国で見てきました。各人の目標や欲求が少なくても、それを大切にしているような国々です。その分、注意が散漫にならないため、正確に目標や欲求に向かって進むことができます。彼らには、先延ばしを防ぐためのアプリなんてものは不要です。また、目標の進捗状況を表計算シートで管理する必要もありません。追跡するようなことは、それほど多くないのです。
西洋社会では、生産的なエネルギーが分散してしまいがち。そのせいで、どの方向にも進むことができません。集中が新しい通貨と言われるのは、それが原因かもしれません。アレクサンダー・グラハム・ベルは言いました。「太陽光は、焦点に導かない限り、燃えることはない」
言い換えると、焦点を絞ることで、急速な成長が得られるのです。
生産性の追求はやめよう
ここ何十年の間に、生産性は、なぜか称賛されるべき美徳となりました。いつでも走り続けることがもてはやされているのです。これは、前に進むことがよしとされる風潮が理由ではないでしょうか。生産性は前進につながるので、同じようにいいものとされているのでしょう。
生産性向上法やブログ、YouTubeチャンネルなどの数からも、そのことがわかります。でも、生産性の追求には終わりがありません。まるで、ニンジンは身体にいいから、1回につき5kg食べろと言っているようなものではないでしょうか。それでは、健康によくありません。
それよりも、歩を緩めること、生産性に注意を払わないことが何よりも大切です。あなたの生産性追求が、翌日のToDoリストを持って1日を終えることだとしたら、それに何の意味があるのでしょうか?
これについては、ジョナサン・ミード氏が、大げさなタイトルのエッセイ『Why Trying To Be Productive Is a Huge Waste Of Time』(なぜ生産性追求は大いなる時間の無駄なのか)において詳述しています。オンライン生産性のセレブであるレオ・バボータ氏も、やることを減らすことの素晴らしさを説いています。
生産性にとりつかれるのは不健全です。生産的になりたければ、リラックスすること。超効率的になる必要性を手放すこと。楽しむことに罪悪感を抱かないこと。
昔ながらのコンピュータゲームに興じるといった、「非生産的」と思えることをやってみましょう。バリやモルジブなど、世界中の文化において、いわゆる"生産的"な時間はほとんどありません。でも、満ち足りた人生を生産するためなら、彼らは実に生産的だと言えるでしょう。
引けないときだけ足してみる
14世紀の哲学者、オッカムのウィリアムは、後に「オッカムの剃刀」と呼ばれる理論を提唱しました。簡単に言うと、「無用にものを増やしてはならない」という理論です。
アプリやウィジェットであらゆる問題を解決できる現代社会において、これは実に辛辣な指摘です。私は、生産性を保つための包括的システムを持つことの重要性について、記事を書いたことがあります(私の場合それはEvernoteです)。包括的システムは、そのシステムに合致したアプリやアイデア以外は受け入れません。合致しなければ、それを避けるほかないのです。
多くの場合、新しいものを取り入れることは解決策になりません。本当に必要なことは、古い何かを手放して、物事をシンプルにすることかもしれません。
インドネシアに滞在中、クライアントのために、TrelloとSlackをうまく連携するためのIFTTTレシピを導入しようとしていました。でも、数週間ムダに過ごしたあとで、ワークフロー全体からTrelloをなくしてしまうことこそが、最も生産的な方法であることに気がつきました。
このように、シンプルであることはエレガンスでもあります。
「シンプルさなくして素晴らしさはない」と言ったレフ・トルストイは、このことを理解していました。ですから、引き算で解決策を見つけてください。それが、永続的で生産的な選択肢になりうるのです。
終わりに
ここに示した4つの教訓は、あまり語られていないような気がします。でも、私の経験上、それらはとても重要です。「よく食べる」「よく寝る」「社交的である」「厳格なルーチンを守る」ことと同じくらいに。
Facebookのニュースフィードに生産性の記事が出てきたら、私はこの4つの教訓を思い出すでしょう。タイで1日をより有効に利用するためのオフ会に呼ばれたときも、スケジュールを詰め込み過ぎたときも。
価値ある場所につながらないような生産性には、何の意味もありません。生産性のための生産性なんてものには、立ち向かわなければならないと私は考えます。そんなことに人生をかけるなんて、非生産的ではないでしょうか。生産性そのものには、本質的な価値がありません。生産性の本当の価値は、何のためにそれをするかにあるのです。
冒頭の言葉を再び引用して、締めくくりにしたいと思います。
忙しいだけなら不十分だ。それならアリでもできる。問題なのは、何で忙しいかだ。
The Powerful Truth About Productivity from 11 Months on the Road | MakeUseOf
Rob Nightingale(訳:堀込泰三)
Photo by Shutterstock.
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